Dragon S GEAIA 第一書
/世界観/
ここは地球と似て否なる世界。
「Dragon S GEAIA【ドラゴン ズ ガイア】」
人間【ヒューマン】
半人半犬【キャントール】
森妖精【エルフ】
兎人【ラビリース】
狼男【ワーウルフ】・・・・・
さまざまな種族が存在し、干渉しあって生きている。
良いほうにも、悪いほうにも、傾きながら。
そして・・・すべての生ある者は、ここで生をうけ、神の祝福を受け、世に現
するのである。
ここで、神といったものは、生ある者の「心」を司る。
喜び、悲しみ、憎しみ、愛、友情、怒り、冷静、熱血、羞恥・・・・・・・・
生ある者すべての性格なども司る。
なお、
自然を司る者、そして、「魔法」という技能を司る者。
それが「竜」。そして「龍」。
世界の生ある者を導くもの。
−序章− 神の名のもとに・・・
険しい山道だ。そこらじゅうにゴロゴロと岩が転がっている。
その険しい山道を二つの影は人間とは思えぬスピードで軽々と舞うように移動
していく。
「え〜ん、ジャスト様ぁ。そんなに急がないでくださいよぉ。」
影の一つが前を進む影に甘えた声を出す。その姿は一瞬見ただけでは平凡な、
15、6才ぐらいの美少女としか瞳にうつることはないだろう。だが、その身
軽さが常人並みでない理由がある。当然だ。
頭の頂から後ろにかけたところでリボンで結いてある、銀色の髪。色白な肌。
そして、背から生える純白の翼。人間ではない。有翼人とも違う。そう、その
翼の白さは性の汚れを知らぬ天使の証拠。
そして彼女の左脇にかかえられた長刀(薙刀)は簡素な造りだが、確実に青白
い光を放っている。「ヴァルキュリア」又の名を「ヴァルキリーグレイヴ」、
聖戦処女【ヴァルキリー】のみ持つことのゆるされる聖槍である。防具には緑
の膝上10cmぐらいのフリルスカート、簡素な胸当てを装備している。しか
しながら、どちらもそこそこの抗魔【アンチマジック】の力が宿っているよう
だ。
そのポニーテールの聖戦処女が無視して進もうとする前の影に腕をからめる。
影が振りかえる。
いくつかの帯が重なったような服を着た神秘的な人物は聖戦処女を半ば諦めか
かった口調でとがめる。
「・・・はぁ・・・またか? 夕方中にこの先の村まで行くんじゃなかったの
か?」
声はとても凛々しくよく響く。18才ぐらいの青年のようだ。
身長は190cm程度だろう。なかなかの高身にスタイルの良い細身の体だ。
しかし、なんといっても目に止まるのは青年の左肩から右腰に伸びる背中にか
つがれた大剣だ。
どう見ても2mはある。巨大な剣は柄から剣先まで真っ白で柄には見事な装飾
が施されている。柄の先にはひし形のクリスタルの中に、やはりひとまわり小
さいひし形のルビーがはめこまれていた。
青年は多少周囲に気を配らせた。気配はない。
「だぁってぇ。ジャスト様ったら私を無視して先にいってしまうんだもん。私
だって女なんだよぉ。男と女、二人きりなのに少しもエスコートしてくれない
んだもん。ねぇ、ジャスト様ぁ。・・・私ってそんなに魅力ないの?」
聖戦処女はそういって影に、青年にからめていた腕を自分の胸にひきよせる。
青年の腕は自然に聖戦処女のまだ膨らみきっていない青い果実のような胸の谷
間に吸い込まれる。
「ば、馬鹿! やめろ。オイ、ティーナ!!」
青年は身体全体を真っ赤にして怒鳴る。どうやら青年は意外に恥ずかしがりや
のようだ。
青年はティーナと呼んだ、聖戦処女の細腕を強引につかんで引きはなした。
「いったーい。もっと優しくしてよ!」
ティーナが抗議の声を上げる。
「なっ!? お前、いつから主人【マスター】に対して命令口調で喋れるよう
になった!」
すかさずジャストと呼ばれていた青年はティーナに対し、きつい口調で反論す
る。しばしの沈黙。
「ゴメン・・・なさい。」
ティーナの口から小さな声で、そして悲しそうな声で一言、謝罪の言葉が放た
れる。そして、その言葉が終わるや否やティーナは山道の奥にジャストを無視
して進み去ってしまった。
「ティーナ!」
ジャストの声にも耳を貸さずティーナは山道の奥に消える。
・・・・・勝手にしろ!
ジャストはふてくされて村を目指すためティーナとは逆の道を進みはじめてし
まう。
素直になれないのは気恥ずかしい男心か、複雑な女心か。お互いに理解しよう
としない二人の心は噛み合わずにすれ違う。
試練は始まったばかりだった。
第一章 離別と出会い
Act.1
日が落ちる・・・山と山の谷間から見えた夕焼けが少しずつ闇色に沈んでゆく。
ジャストは予定通り峠の村についていた。村はいたって静かで不気味なほどだ。
必要最小限の施設しかない。宿屋、酒場、そして、雑貨屋。見ての通りの田舎
村だ。しかし、一通り冒険に必要な食料や薬などは腰に巻きつけた袋に入って
いる。特別に補充するべきものもない。
それよりもジャストにはやるべきことがある。
「神の試練」
ジャストが本来住んでいた天界には一つの大きな規則がある。それはある一定
期間天界で生活した者は天界の職務に就かなければならない、というものであ
る。天界の職務といっても様々で、天使として神に仕える者もいれば、守護神
として下界の人間等に憑くこともある。そして、もっとも難しく、天界人の中
でも一握りの中の一握りの者は「神」として登録する。この「神」への昇格試
験こそ「神の試練」なのである。
その「神の試練」、実際にどのような試験かというと非常に曖昧な目標が掲げ
られている。
「下界にて己を見つめ直し、名たる神の為に力を振舞え。」
名たる神とは司る心のことをいう。例えばジャストは正義の心を司る正義神を
目標にしている。その正義神に成るために下界で力を振舞え、というわけだが
詳しい方法などは一切何も伝えられていない。確かなことは、審査官が天界の
泉から、今回の受験者7名の行動を逐一チェックしているということだ。
ジャストはこの言葉の真意をまだ見定めていない。しかし、おおよその憶測は
ついている。
下界で義のない者を討伐しろ、ってことだろう。
何にしても情報が足りない。まだジャストは下界に下りてたいした時間を過ご
していない。
ジャストは宿に自分の分だけ部屋を取ると、情報収集を兼ねて夜の御殿、酒場
にくりだそうと足を速めた。
その時だ。
ジャストの周りを数人の男たちが囲んだのは。
「兄さん、いい剣持ってるじゃねえか。その剣、おれたちに譲っちゃくれねぇ
か。なぁに、殺されるか、剣を渡すかなら迷わずとも答えは一つだろ?」
いかにもゴロツキっぽい男共だ。数人に見えたが、夜霧に紛れて十数名ほどの
気配をジャストは感じとっていた。
「お前たちにはこの剣は扱えない。おとなしく消えたほうが身のためだ。」
内心はかなり情緒不安定ぎみだろう。先刻のティーナの件もある。だが、こう
見えても仮にも神になるための試練を受ける身だ。自分をコントロールするこ
とぐらいはできるはずだ。そう紳士的に話しかけたつもりだった。・・・が、
結果はこれだ。
「消えろ! ザコ共!!」
このジャストの罵声を皮切りに、4人程度のゴロツキが逆上して飛び掛かる。
しかし、その攻撃をジャストは大きく跳躍しかわした。同時に目を閉じ、呪文
の詠唱【えいしょう】に暝【つ】く。
「我がジャストの名において、核の炎【ほのお】と輝【キ】と弓【ゆみ】よ。
今、我が魔力より型持ちて、力となりて現せよ!」
”フレアアロゥ”
ジャストの目が開かる。
放った言葉は具現化魔術【ぐげんかまじゅつ】の爆発の弓【フレアアロゥ】。
瞬く間に彼の弓を構えたような型に魔力の矢が現れ、そして、放たれた。
小型の核が・・・
空中で放ったためか、軽く身体が弾かれ、ゴロツキの輪から約5mほど離れた
ところに着地する。もっとも着地したときには、ゴロツキの輪は爆発と激しい
光に包まれ消滅していたが・・・。
「ザコ共が・・・。」
ジャストは一瞥すると何事もなかったように酒場に歩きだした。実際、かわっ
たことといえば、ジャストの気分が少し楽になった。それぐらいなものだ。
どうやらジャストは喜怒哀楽の激しい、典型的なAB型タイプのようである。
Act.2
川のほとりに純白な翼がおりたつ。
汚れた胸当てを外し、服を脱ぐ。色白で美しいラインが露になる。フリルのス
カートも脱ぐ。
今、ティーナは先程のできごとをきれいに水で洗い流したかった。川の中に進
む。透青緑色【エメラルドブルー】の優しい川の流れは、心を痛めた少女をあ
たたかく迎え入れてくれた。
先刻、ジャストに涙を見られたくなくてとびだしてきたティーナは川の水と戯
れて、ようやく心のおちつきをとりもどしてきた。
・・・やっぱり私とジャスト様って結ばれない運命なのかなぁ?
誰に告げるわけでもなく、ポツンと呟く。もちろん聞こえる音も川のせせらぎ
だけ・・・ときおりチャプチャプとティーナに戯れた水音が響くだけだ。
だって、ジャスト様ったら私以外の女の人と話すときとっても緊張して、
声も裏返っちゃってるのに・・・。やっぱり私は妹ってとこなのかなぁ?
そんなことをぼんやり考えていると、また悲しくなってきてしまう。
やめよっと。だって、今はたとえ主人と下僕【しもべ】でも、兄と「かわ
ゆい」妹でもジャスト様と一緒にいられるんだもん。さあ、早く着替えて
ジャスト様に追いつかなくっちゃ。
川から色白で華奢な裸体を上げ、服を脱いだところに歩いてゆく。川の水が、
いつの間にか浮き上がった月の光で照らされ、ティーナの裸体に滴った水が光
を浴び、そして光を帯びて、ティーナのなだらかな線【ライン】を照らし、そ
して浮かび上がらせる。その風景には綺麗とか美しいという言葉ではとうてい
言い表すことのできない、奇蹟的な感動があった。
Act.3
ガサッ
草のかきわけられる音。
ティーナは、ハッと音のした方に神経を集中する。
・・・ガサッ・・・
・・・誰?
ティーナは夜風と緊迫した空気、自分に集まるだろう視線の恥らいからか、胸
元に服をたくしよせる。
・・・・・・ガサッ
二十秒ぐらいごとに聞こえる草を分ける音。近づいてくる危険、そして沈黙。
聖戦処女とはいえティーナも一人の女の子だ。年端もいかぬ少女にはこの緊張
感の連続は耐えられない。
「誰なの!?」
小さなカナリアは鳴くことしかできない。気配さえ絶てば気付かれなかったか
も知れない。だが、今のティーナの発した可愛い声は狩人に自分の居所を教え
るようなものだった。草をかき分ける音が早く、大きくなっていく。ティーナ
の鼓動も比例して早まる。半裸で小さく縮こまるティーナの顔には明らかに怯
えの表情が浮かび上がっている。
・・・・・来たっ!
張り詰めた糸が震えた。横に跳んで岩影に身を隠す。
しかし、岩影にも影はあった。
!! 回り込まれたの!?
信じられずティーナは驚愕した。小さな唇が青冷め、震える。
岩影に潜んでいた影はティーナの手首を掴み、引き寄せる。そのままの流れで
影はティーナの腰を抱き寄せて、手首を掴んでいた手はティーナの唇を分け、
口の中におし入る。
影の人差し指と中指がティーナの舌を押し付ける。
!! 声が、声がでない!! まさか、黒魔術【ブラックルーン】!!
そ、そんな・・・よりによって魔法が使える人間が相手なんて!
ティーナは影にふりかえる。勇ましい表情で。しかし、その表情もどこか怯え
を含んでいる。
茶色の髪、胴には強固な胴巻【プレート】が装備され、背には曲刀、腰には手
斧【ハンドアックス】がつるされている。
しかし、ティーナにもっとも恐怖を植えこんだのはそれらではなく、漆黒のゴ
ーグルだった。
黒光りするそれは、間違いなく暗黒水晶【ブラックオニキス】。
地獄か、魔界でしか手にいれるのが不可能な代物だ。
・・・! 亜魔族【デミヒューマン】!!
亜魔族とは、悪魔の使い魔的な存在の生物だ。魔族とは違い、角や、牙、翼等
は無く、身体も人間にとてもよく似ている。唯一の違いはといえば性器を尾の
ように伸ばすことができる、それだけだ、外見的には。
しかし、能力的には亜魔族のほうが人間より数倍優れている。
仮にも魔族の使い魔である、初歩の黒魔術程度は心得ているし、力も優に人間
の二倍はある。
ティーナの背筋には鳥肌が立ち、心には恐怖の感情がわきおこってくる。
いやぁーっ!
声にならない叫び声。現実から目を逸らしたくて大きな瞳を強く閉じる。自然
に涙もあふれてくる。
「泣くな!」
ふいに亜魔族が口を開いた。ティーナはビクッと体を震わす。
「やることやったら、無事に帰してやる。」
その声は威厳に満ちていたが、どこか悲しげだ。ふっと顔を上げるティーナ。
瞳に涙を浮かべながら、下から亜魔族の顔を見上げる。漆黒のゴーグルに阻ま
れ表情は分からない。
だが、確かに声には悲しみが含まれていた。
どこかで心が泣いていた・・・・・
Act.4
赤いカクテルの氷がゆれる。
・・・カラン
冷たい響きのある音だ。
グラスを口へ運ぶ。最初は甘く、後味は少し苦い・・・。
身体が火照る。熱く、心地好い。今日の出来事すべてを忘れてしまいそうだ。
「・・・ティーナ・・・」
自然に口から言葉がでる。酒場のマスターはその呟きに片方の眉をピクリと上
げて、グラス七杯目のカクテルを受けとった泥酔いのジャストに声をかけた。
「アンタのコレかい?」
グラスを磨きながら小指を立てて見せる。その顔には半ば苦笑いが含まれてい
た。
声に釣られてジャストは顔を上げ、苦笑いを含んだ初老らしい長顔のマスター
を見る。しかし、その瞳に映ったものは歪んでいてよく解らなかった。
「・・・」
・・・ふぅ。お客さん、目が座ってるねえ。赤いカクテル【レッドリトル】
はアルコール分、2%も入ってないんだが。
「マスター、もう一杯!!」
グラスを割らんばかりにカウンターに叩きつける目の座ったジャスト。
「お客さん、もうよしたほうがいい。まぁ、あんまり詮索はしないがね、女絡
みの酒で男は酔うもんじゃない。まぁ女なんて、自分勝手で、わがままで・・
いいところなんて、数えるほどしかないんだがね。・・・だがね、時々思うよ、
自分勝手で、わがままっていうのは・・・俺達、男が守ってやれば、そんなに
つっぱらなくてもよくなるかも知れない。男達の保護欲というのも、実はそん
なところからくるのかも知れないな・・・ってな。」
初老のマスターは目を細め遠くを眺める。
「つまらん話だが聞いてくれるかな・・・?」
ジャストの目は既に焦点が合っていない。
そして、眠気に耐えきれず首は落ちた。
「そうか・・・・・聞いてくれるか。」
これより二時間以上にも及ぶマスターの昔話が始まり、ジャストは夢の世界へ
旅立った。
Act.5
しばしの沈黙。
うつむいているティーナ。ティーナを捕まえた亜魔族も静かに期たるべきとき
を待っている。
・・・なによ、なんなのよ・・・この沈黙は・・・
ティーナの涙はいつしか乾いていた。身体全体に吹きあたる一陣の風。身体に
寒気が走る。
月夜の光を浴びて美しく輝く背筋が粟立ち、ふいに先刻の言葉が脳裏を過ぎる。
・・・・・やること・・・ヤる?!
ま、まさか・・・それって・・・!
月が霧で隠れる。
・・・そ、その・・・あの・・・・・やっぱり・・・・・
裸で抱き合って・・・
熱いキスをして・・・
・・・・いやぁーッ、これ以上は恥ずかしくてダメェッ!!
妄想が一気に膨らむ。同時に身体が熱くなっていく。夜霧の冷たさも気になら
ないほどに。
・・・ヤダぁ! なんで私、こんなこと考えちゃうの!?
既にティーナの全身は朱色に染まっていた。しかし、その羞恥心は消えること
なく、更に全身を赤く、熱していく。妄想は理性に反して加速度的に膨らんで
いく。
しかも、この人、亜魔族なんでしょ。
・・・確か、亜魔族って・・・・・・
・・その・・・アレ・・が蛇みたいに伸びてウネウネ動くって・・・
しかも、しかも! 真っ黒でとぉっても太いって聞いたことあるしぃ・・
そんな・・・おもいっきり、つめこまれちゃったら・・・・・
・・・・・失神しちゃうよぉ!
いや、いやぁ!! 私の初めてはジャスト様にって決めてたんだからぁ!
・・・・・・・・・・って、強姦魔にそんなこと伝えたって、素直に、
「はい、そうですか。」
なぁ〜んて言ってくれるとわけないじゃない〜〜〜ッ!!
いつの間にか、強姦魔にまで格上げ【ランクアップ】(?)された亜魔族はそ
のティーナのコロコロかわる表情を不思議そうに、又、楽しそうに眺めている
ようにも見えた。
しかし、突然の、
「・・・・・レム・・・・・」
悲しき声、やはり亜魔族のものだ。表情は分からないが、口は震え、頬から一
粒の滴が整った顎を伝い、胸におちる。
・・・泣いてる・・・
顔を見上げるティーナ。その視線に気づき亜魔族は、バツが悪そうに涙の筋を
拭う。その時、
ガササッ・・・
複数の者が草をかき分ける音が聞こえた。
「来た・・か。」
気配を探る。
「・・・・追っ手の数は、五人か。人質をとらなくても充分だったな。・・・
まあ、念には念をいれてってとこか。」
亜魔族の独り言は明らかに余裕が含まれている。
・・・人質? 何のこと??
ティーナには、その言葉の意味がよく理解できない。そして、亜魔族の余裕の
表情のわけも・・・・・
亜魔族の特徴として、最も大きい点がこれだ。
亜魔族の最大採光能力は、人間のおおよその20倍。夜霧の中、光がおもうよ
うに届かない場所でも亜魔族にとっては、ただの空間に過ぎない。
「いくぞ!!」
そんな! 私、心の準備が!
慌てるティーナを抱いたまま、亜魔族は岩影から川のほとりまで跳躍した。
亜魔族の降り立った場所は、5人の人間の男達に囲まれていた。まるで、全て
を見通していたかのように、的確に。
・・・?・・・
いまいちティーナには自分の立場が分かりづらいらしい。キョトンとしている。
答えはこうだ。
−亜魔族は人間に追われていた。
−ティーナは追っ手と勘違いされた。
−結果、捕まった。
−誤解されたまま人質になった。
・・・・・・・・・・・・しまった!!!!!
ティーナの顔が強ばる。唇も震える。そして肩も・・・
いらないことばっかり想像してたーっ!!
そんなティーナの心の嘆きは、闇夜のなかに消えていったのであった。
ACT.6
「この娘の命は俺が預かっている。下手な真似はよせ。女に手を出して、寝起
きが悪くなるのは、いやだからな。」
まだ状況を把握していない者が、ここに約一名。
「それがどうした。」
当然のことながら、男たちの輪は一段、縮められた。
「なにっ!」
「そんな娘など知らねぇって言ったんだよ。まあ、まだガキみてえだが、お前
を殺【ヤ】った後にでも遊んでやるさ。それとも、もうおまえが身体の端から
端まで犯しちまって、普通の男じゃ満足できないか? お嬢ちゃんよ。
うひひひひ・・・・ま、それなら安心しな。そんな人間のできそこないに感じ
たんだ。これからおれたちが、3P、4Pの雌の感じかたを教えてやるぜェ。
っへへへへへ・・・」
下卑な笑い声が、あたりに響く。そして、男たちの輪ももう一段縮まる。
こんのぉ、品性のかけらもない男共がぁ!!
半裸の姿で、男共を睨みつけるティーナ。その視線にリーダーらしき男が気づ
き、顔色をかえた。
二つの表情が混合された表情。
男の性欲とリーダーの威厳。すなわち、欲求と理性の葛藤。
半裸の娘を、自分ので汚れさせたいという欲求と、
反抗しようとする者への「死」という制裁の行使。
そのとき、リーダーがどちらの道を優先するのかはわからないが、今は亜魔族
に向き直り、斬りかかる準備をする。
後ろ2人が長剣【ロングソード】を抜きはなつ。両側の男たちもそれぞれの剣
を握り締める。
「いいゼェ・・・おまえが・・・欲しくなった。」
目線は亜魔族に集中しているが、リーダーは確かにティーナにそう言って舌舐
めずりをした。
お褒めに預かり光栄ですよっ!!
声がでない代わりに、リーダーに向かって、舌を出す。
一部始終の会話や態度を見て、ようやく亜魔族も理解したようだ。こちらも目
線をそらさずティーナに告げる。
「悪い。無関係な君を巻き込んだみたいだな。・・・・・逃げろよ!」
亜魔族はティーナを突きとばし、同時に右肩から左手で曲刀を抜いた。
重曲刀【シャムシール】。その名の通り、かなり重く、しかも大きく湾曲して
いるため並みの人間では扱えない。普通、その重さから両手に持って使うが、
柄が短く片手にもう一方の手を添えて使う。しかし、亜魔族は左手だけで十分
なのか、無造作に下段に重曲刀を構える。
「やっちまえ!」
リーダーの怒号が下卑な男たちの合図となった。順々にとびかかる男たち。
しかし、亜魔族は全ての攻撃を、まるで次に繰る攻撃が分かってるように完璧
に避けた。
左からの攻撃を重曲刀で受け流し、後ろからの攻撃を身体をひねって交互にか
わす。右からの攻撃を柄で弾き、リーダーの足払いも、なんなく跳躍して回避
する。
「くそっ、なめやがって!!」
「もう、おわりか?」
悠然と答える亜魔族・・・
息など、ぜんぜんきれてない。
「・・・おまえたちでは無理よ、退きなさい。」
不意に男たちの背後から声が聞こえたかと思うと、紫色のローブをまとった人
間が現れる。ハスキーな声に、切れ長の目。高い鼻。紫色のローブの下には、
素肌に着込んだ黒いレザースーツが、月の光【ムーンライト】で鈍い光沢を放
っている。
魔法使い・・・女か・・・やりづらいな。
亜魔族は、後ろに一歩引こうとする。刹那、
ヒュンッ・・・
風をきる音が放たれたかと思うと、しなやかに伸びた革の鞭が亜魔族の左足を
捕らえる。
「しまった!」
・・・油断した!
転倒する亜魔族。その勢いで鞭女の近くに転がる。
立て続けに腹部に鈍い痛み。鞭女の強烈な、決して軽くないストンピングが胴
を貫く。
「! がっ!!」
鞭女の不意をついた連続攻撃に、亜魔族は顔を歪める。
「あらぁ・・・もうおしまい?」
鞭女が残虐な微笑で罵る。しかし、亜魔族はそこに出来た隙を見逃さない。鞭
女に渾身の足払いを食らわせ、後転して距離をとり立ち上がる。
ちいっ! ヒールになにか仕込んでやがったな!
腹を押さえると生温かい液体が零れ出していることが解る。心の中で悪態をつ
きながら鞭女を睨み付ける。当の転倒した鞭女も今、立ち上がる。
しかし、鞭女はただで立ち上がったわけではなかった。
鞭女が、一言、二言、放った言葉は!
「我が名フレイアの名において、太陽よ光よランタンよ。今、我が魔力よ型持
ちて、力となりて現せよ!」
”サンライト”
光の球体が空高く舞い上がり、夜の闇を光が侵食していく。あたりは眩しいぐ
らいの光に包まれる。
具現化魔術【マジッククラフト】。ある自然の物質と人工の物質とを合成して
力を与える魔術である。
「!! こいつ!! ・・・は、羽根があるぞ!!」
今まで闇夜に遮られていたが、光が灯ったため、ティーナの羽根が気付かれた
のだ。所詮、ゴロツキ。ティーナの裸体を拝みにきたのだろう。そして、隙あ
らば襲いかかる準備をして。
しかし、ゴロツキどもの野望はついえた。そこには着替えを済ましたティーナ
が、恐い笑みを含みながら立っていたのだ。
純白の翼が輝く。突きとばされたショックで黒魔術も解かれていた。
「今まで、散々言ってくれたわね! ガキやら、遊んでやるやら、挙げ句の果
てには、3P,4Pの雌の感じかたですって! 冗談は顔だけにしなさいよ。
誰があなた達みたいな、野蛮で、傲慢で、下卑で、品性のかけらもない奴等に、
大切な貞操を渡せますか!
ちょっと、どころじゃない!! ・・・度が過ぎたようね。
聖戦処女クリスティーナの名において、神にかわってぇ・・・」
背中からヴァルキュリアを引き抜く。一層、青く輝くそれは、ティーナの心に
呼応しているかのようだ。
「成敗いたします!!」
口調こそ穏やかになりつつあるが、心中は怒りの炎で荒れ狂っていることであ
ろう。しかし、その心を読めぬ愚者達、そうリーダー他4名の男共は吠えた。
「かまうこたぁねぇ! ちょっと痛い目に遭わせてやれっ!」
「うぉぉぉ!」
「処女【オンナ】はもらったぜぇっ、げひひひ・・・」
「泣けぇ、喚けぇっ! 狂えぇっ!!」
「お前がただの雌だってことを嫌と言うほど教えてやるぜぇ。くひひ。悶え、
狂わしてやる。壊れてしまえば、どれほど楽だろうなぁ。くひひ。」
男達五人がティーナを囲む。全員が一様に目をギラつかせて、野獣のように。
・・・いや、野獣よりも淫獣というのが正しい表現かもしれない。
ティーナは両手をクロスする独特な持ちかたでヴァルキュリアを構えた。
恐くないといえば、嘘になる。が、しかし、亜魔族に比べれば十二分にましだ。
「来なさい!」
ティーナが叫ぶか否や、男達の猛攻が始まる。後に続くは、死体の山か、それ
とも性の狂宴か? それを知る人間はまだ、誰一人としていない。
Act.7
左右から、剣を振りかざして斬りかかる男達。
この距離で、両側から斬りかかられたら、ひとたまりもないはずだ。
ティーナの武器が薙刀ということからしても・・・
獲った!
二人は同時に、そう確信したことだろう。
狙いは右肩、左足。それぞれの男が斬りかかっていく。痛みを与えて、自由を
奪うつもりか。加減をし、なるべくコンパクトに素早く、斬り裂くつもりだっ
たのだろう。
実際、命中する寸前までティーナは動かなかった。
しかし、その一瞬で男二人は軽鎧【ライトプロテクター】をズタズタに裂かれ、
川の中に沈んだ。
悲鳴を上げるひまもない。痛いと思えなかったかもしれない。男二人は、ただ
ただ呆然とした表情で、川の中に消えた。残った男達も、呆然と仲間が消える
のを見送るしかなかった。水飛沫をあげ、藻屑となるまで・・・・・
川に赤い液体が混ざる。透青緑色【エメラルドブルー】と赤色【レッド】の対
比が、妖しくも、なお、美しい。
「薙刀技【グレイヴスキル】・旋風陣【せんぷうじん】。さあ・・・次の相手
は誰?」
正面に向きなおったティーナの顔には、微笑みがあった。
残りの男達はようやく状況を把握し、一歩退く。身体中におぞましいほどの寒
気が走り全身の毛が逆立つ。顔がひきつり、足が震えておもうように動かない。
そのとき、
「びびってんじゃねぇ!! 俺に殺されたいのか!!」
男達の後ろからリーダーの罵声が響き渡り、辛うじて震える足を押さえつける。
しかし、男達二人が一様に思ったのは、どちらに転がっても <殺される>と
いうことだ。
そのとき男達がどちらの道を選ぶことだろう。
そして、男達は裏切りを選んだ。
低能な男達には、先刻の衝撃的な出来事は、脳裏に焼き付いて離れなかったの
だ。
男達二人はリーダーに牙を向いた。二人がかりという小さな望みを賭けて。
「くぃひぃぃぃぃぃっ!!!」
奇怪な声をあげ、死ぬ気でとびかかった。しかし、そんな即席ペアでリーダー
は仕留められるほど、弱くはない。
「馬鹿共がぁっ!!!!!」
咆哮し、人体を真っ二つにしたのは、リーダーの方であった。
息絶えた二人を一瞥し、ティーナを睨みつける。ひるまないティーナの視線と、
怒りのリーダーの視線とが激しく火花を散らす。その間、約10間隔・・・
沈黙を破ったのは、リーダーの方だ。目の光は、未だ、ギラつきを湛えている。
「よくもやってくれたなぁ・・・嬢ちゃんよ。こいつは、たっぷりとお礼をし
なきゃならんなぁ・・・・・。」
わざとであろう、一つ大きな音をたてた舌舐めずり。
「結構です。・・・貴方が悔い改めて下さるなら・・・ね。」
二人とも目線を一刻もそらしていない。戦闘はもう、始まっているのだ。隙を
見せたほうが、負ける。
「そういうわけには・・・・・いかねぇんだよぉっ!!」
動いた!
リーダーの素早い一撃。袈裟懸けに斬りこむ、その攻撃をティーナはヴァルキ
ュリアで受け止める。
ガキィッッ
鈍い音が響くと同時に、リーダーの正面蹴り。上からの強烈な一撃を受け止め
たため、膝をついているティーナ。
「!」
・・・躱せる?!
上体を反らす。すぐ上で、リーダーの蹴りが空を切る。併せてヴァルキュリア
を動かすティーナ。足を斬り落とすつもりだ!
「うおっ!」
リーダーは短く吼えてヴァルキュリアを剣で薙払う。
キインッ
乾いた音が響き渡る。どちらも攻撃を相殺し8mほど離れる。ティーナは体勢
を立て直し、リーダーのほうは剣を握り締め直す。
「うおおおぉぉっ」
立て続けに動いたのは、やはり、リーダーだった。次は剣を腰の横まで引いて
突きの構えで突進してくる。
薙刀に突きで仕掛けるなんて正気か? と、思われる人がいるかも知れない。
しかし、力の均衡した戦いならば斬るよりも安全な点が多い。
本来、薙刀とは女性が心身ともに健康で、精神を鍛え、護身術として栄えた武
器である。女性には本来、非力な者でも剛腕の者に太刀打ちできる、いわゆる
「柔よく剛を制す」のための武器として薙刀を愛用した。それは、リーチを伸
ばし突くことも斬ることもでき、もともとの重量からしても、女性が使うには
ちょうどよかったからである。しかし、薙刀本来の戦い方というものは、相手
の攻撃を受け流し、そのままの流れで一撃をおみまいするという、一撃必殺の
戦法を得意とする武器である。よって、こちらから攻撃を加えるというのは、
一種の草薙刀【くさなぎ】といわれる、ほとんど技の無い無鉄砲な攻撃となっ
てしまうのである。
また、蛇足であるが舞薙刀【みなぎ】と呼ばれる円舞【ロンド】こそ薙刀の基
礎であり、その攻撃は斬撃が主なのである。
そのため、身体を半身【はんみ】にして素早く突きを繰り出すということは、
姿勢も乱れにくく、自分の間合いで対処できることから、力の均衡した対薙刀
戦においては基本中の基本【セオリーオブセオリー】とも言える。
斬撃をもらわない為に接近し、腰元に剣を寄せ、刃を向ける。
突進。
円を描こうにも、素早い突きがそれを阻止する。躱すので精一杯のティーナ。
「くっ!」
ティーナの顔に早くも焦りがあらわれる。
このままじゃダメ。一度、間合いを・・・
しかし、焦りがその動きを硬くさせてしまう。ティーナのヴァルキュリアにリ
ーダーの攻撃がとどく回数が徐々に増していく。乾いた音があたりに響き渡る。
・・・・また、だ。
くうぅっ!
ティーナの顔が歪む。年端もいかぬ少女には、この激しい戦闘は命を削るほど
の消耗戦だ。明らかに疲れが見えはじめる。息が上がり、華奢な身体には細い
赤い筋が幾筋も刻まれているのが、なによりもの証拠だ。
既にティーナは満身創痍だ。
辛うじて致命傷を避けるのが精一杯。しかし、攻撃は止まない。
右、左の突き、そして!
左からの薙払い!!
!!斬撃!! ティーナの腰目掛けて、剣が振るわれる!!
「きゃあっ!」
突然の斬撃に、ティーナは対応できない! 後ろに跳ぶが、一歩遅い!!
・・・シュパァッ・・・
横一文字に斬り裂かれたのは・・・
ティーナの緑のフリルスカートだった!
横一文字に斬り裂かれたスカートの合間から、白の下着がのぞく。
あと一歩遅かったら・・・・・・・・・・
致命傷は免れなかったであろう。ティーナの背中は冷や汗でぐっしょりと濡れ
ていた。しかし、そんなことに気遣っている暇はない。息を整えて、次の踏み
込みで仕留めなければ・・・・・殺される。運が良くても身体を弄ばれ、奴隷
として売り付けられるだろう。
そんなのはごめんよっ!!
気合いを高め、睨みつける。しかし、気臆されすることもなくリーダーはいや
らしく嗤【ワラ】っていたのだ。
「白か・・・生娘【きむすめ】ってのは本当らしいなぁ、嬢ちゃん。」
最初、言葉の意味がよく理解できないティーナだったが、リーダーと睨み合っ
ているうちに、体力が回復してくると酸欠状態に近かった脳にも酸素が回りは
じめ、さっきの言葉を理解しようとする。
あっ!
スカートのことに気付くティーナ。裂けたすき間から白の下着が覗いている。
「!!! ・・・・・き..きゃあああぁぁぁーーーっっっ!!!」
耳を劈【ツンザ】くようなティーナの悲鳴。びりびりと鼓膜が震える。
一方のティーナは、耳を、顔を真っ赤にして、ぺたんとその場にへたりこむ。
「ばかばかばかぁ!!! みないでよっ!この変態っ!!」
確かにへたりこんでしまえばみえないだろうが、それではリーダーの思うつぼ
だ。俯いて気恥ずかしさに耐えているティーナに、リーダーの動きは映らない。
気がつくと喉元に剣がつきつけられていた。
「<GAME OVER>だ。・・・・ここで<THE END>がいいか?
それとも?」
淫獣のような目。ギラつかせた様が一層、淫らに燃えたとき、
・・・一瞬だった。答えるのに躊躇したティーナの表情が恐怖を含み、次に思
ったことは「後悔」という二文字だけという、一瞬だった。
フリルスカートは原形をとどめることができなくなるくらいに斬り裂かれた。
「い...いやあああ〜〜〜〜〜っ!」
絶叫。それに重ねて、
「悶え、狂わしてやる!!」
悦とした表情で飛びかかるリーダーだが、世界は崩れた。
「! な、なんだぁっ! ・・・う、ひいぃっ!!」
リーダーの悲鳴。抑えつけたはずのティーナの身体が突然、軟体動物のように
グニャとひしゃげたのだ。
「ふふっ・・・どうしたの? 私が恐いの? ・・・・・・それとも・・・・
私があんなに簡単にスキをみせるとでも思ったのかしら?」
空間に溶けていくティーナ。そして形を持たなくなる。そのどこからともなく
発せられる声が、より一層、リーダーに威圧と恐怖を与えるのだ。
「ど、何処だ! ・・・何処にいるぅ!」
真っ白な空間を前後左右に見回す。狼狽を隠せずに叫ぶ。すると、一面が水色
に変化する。
「何処でしょうね? 地獄でゆっくりと考えてくださいな。」
冷たい声が止み、静寂に包まれる。空間が水色から闇色を溶いたように青黒い
色に変わる。
ザバアッ
激しい水流がリーダーを飲み込み・・・
「うがあぁっ・・・」
もがきながら、息を止めるリーダー。
・・・だが、そこには、何も残らなかった・・・。
ACT.8
「ふう・・・」
ティーナが可愛らしい声で息をつく。
幻術【デリシャゲイ】。ティーナの十八番だ。リーダーは自ら川に飛び込み顔
を沈め、溺死していた。
そうティーナの幻術ということも知らずに。耳を劈く彼女の悲鳴が、平衡感覚
を失わせ幻覚症状を呼び起こす。
「あなたがたの命、私のスカート代としてとっておきます。・・・・でも安心
してください。あなたがたの現世の業は、私が引き受けますから。どうか安心
して・・・・・永遠の輝きを。」
男たちの死体から魂が集まり、ティーナの前で結合する。差し出した手の上に
落ちたのは妖しい光を放つ、宝玉であった。「魂玉」【コンギョク】と呼ばれ
る呪われし玉。禁忌【タブー】視された錬金魔術【アルケミストリィ】。中で
もかなり高度な、魂を宝玉に変える魔術である。
ティーナは腰帯に括り付けた皮袋に魂玉をしまい、両手を破れたスカートの上
に翳す。呪文を紡ぐと彼女の手の平が淡い緑の光を放つ。奇蹟魔術【プリーテ
ストマジック】の再生の呪文【フィジカルリターン】である。見る見るうちに
降り注いだ光がスカートを元通り再生していく。光が消失するころにはすでに
シワさえ残っていなかった。
一方、亜魔族のほうといえば・・・
「くっ・・・!」
鞭がしなり、襲いかかる。
横に跳んでうまく躱す。しかし、反撃するにもこう距離が離れてしまうと無理
に近い。まして、相手は具現化魔術の使い手ときている。
・・・ちいっ!
踏み込むまえに、鞭が又、襲いかかる。鞭そのものを断ち切ろうともするのだ
が、銅糸が埋め込んであるらしく、傷つけるのが精一杯だ。まして、肋の痛み
を圧して戦っているのだ。切れ味についても、かなり鈍くなっているだろう。
「息が上がっているわよ!」
続けざまに、一撃。
重曲刀で弾き飛ばし、後退【バックステップ】。一度、距離をとる。
しかし、鞭の届かない場所に距離をおくと、
「我がフレイアの名において、熱き炎よ射る弓よ。今、我が魔力よ、型持ちて、
力となりて現せよ!」
”フレイムアロー”
が、とんでくる!
炎の弓矢か!
一瞬で判断し、剣に気を集める。
「恰アアァ・・・ッ!!」
気合と共に重曲刀が鈍い黄金色【こがねいろ】に包まれる。上段から弧を描き、
美しき剣の輝線が三日月を現す。
「ハッ」
短い気合と共に下段から上段に剣を振り上げる。気柱が発され、寸分違わず炎
の弓矢と激突する。
ゴゴゴッ・・・
辺りに地鳴りが轟【とどろ】く。力を相殺するために、第三者たる新たに生ま
れた衝撃波の一部が大地に流れ込んだためだ。その衝撃波は双方にも襲いかか
る。拡散したそれは、命に別状こそないものの、突風で目が開けれないほどだ。
しかし、亜魔族は違った。その衝撃波の中、動きこそ鈍いが鞭女に突進する。
激突点を過ぎることができれば、衝撃波にのって意表を突くことができる。
痛みに動きが制限される分、瞬く間に攻撃できるチャンスはここしかない。
抜けたっ!
後ろから突風が押し寄せる。ひとつ、大きな跳躍。
貰ったッ!!
剣を構え飛来する。
「・・・! なっ、し、しまった!!」
刻既に遅し、亜魔族の突き出した剣は心臓を一突きの必殺の一撃だった。
Act.9
「あら、そちらも片付いたのね。」
ティーナが岩影から顔をのぞかせる。ゆっくりとふりかえる亜魔族。
「あぁ、君か。よく無事だったな・・・。正直言って、もう男共に弄ばれて殺
されてしまっているかと思ったよ。」
目の前で微笑む少女の存在が信じられない。
しかし、目の前の少女の微笑みが、亜魔族の心にとても良い安堵感を与えてく
れる。
なぜ、自分で目の前の少女のことを意識するのかという疑問はなく、ただ少女
が無事でよかったと思う亜魔族の心。
あのときの事・・・か。
「聖戦処女をあまくみたらダメよ、亜魔族さん。」
亜魔族からつい先刻のような殺気が感じられなくなった。ティーナの心にも余
裕がうまれる。軽い答えで話しかけ、パチリとウィンクしてみせる。
?
「亜魔族? ・・・俺が、かい?」
「え? 違うの?」
亜魔族がすっとんきょうな声をあげたので、ティーナはすかさず聞き直した。
「俺はれっきとした人間だぜ。」
「だ、だって・・・・・あら?」
漆黒のゴーグルが輝く。と、急に辺りが闇色に染まる。
「具現化魔術の”サンライト”の効果が消えたみたいだな。ええと・・・お嬢
さん、明系【ライトけい】の魔術は使えるかい?」
月明かり【ムーンライト】に慣れるには時間がかかる。けれどティーナは明系
の魔術には長けていない。
この際、ティーナの魔術のおおかたの説明をしておこう。
ティーナの唱えられる魔術は大きく分けて二つ。
一つは、神に祈りを捧げ、奇跡をおこす「奇跡魔術」。回復魔術を主体とした
ようは、白魔術といわれるやつだ。
もう一つは、精神にはたらきかけ幻覚をおこす「幻術」。先程、リーダーを溺
死させたあの魔術だ。
このうち「奇跡魔術」に”ホーリーライト”という光系魔術はあるが、持続性
を持たないため一瞬で消えてしまう。
ちなみに余談であるが(このごろ出番のない)ジャストは「具現化魔術」を最
も得意とする。
「ごめんなさい。明系の魔術は不得意なの。」
「いや、謝ることなんてない。ああ、こちらこそ敵の追っ手と間違えて、失礼
なことをしてすまなかった。」
まだ月明かりに目が慣れていないが、声の流れからすると男は頭を下げたよう
に、ティーナには聞こえて見えた。
「いえ、そんなこと気にしないで。おかげで少し気が晴れましたから。」
男が亜魔族ではないという安心感からか、恐い印象は消え、かわりに少し気恥
ずかしい空気が流れる。
なぜ男の言ったことをこうも簡単に信用してしまうのかは、少女の世間知らず
の特権なのか、聖戦処女の天使としての心読【こころよみ】技能【スキル】な
のかは、わからない。しかし、ティーナにはそれが嘘偽りでないことが、手に
とるようにわかった。
「気が晴れた・・って、裸で俺に抱かれてもかい?」
「!*○!★?+$−☆: !!!! 」
真っ赤になるティーナ。
「いぢわるっ!」
プイとそっぽを向く。
「・・・あ、ゴ、ゴメン。」
月明かりに目が慣れてきて、お互いの姿が見てとれるようになってきたため、
ティーナの行動が男にも見てとれるようになったのだろう。
男は慌ててティーナに頭を下げた。
「いいよ。最後までいかなかったんだから・・・・・!!」
しまったぁ、余計なこと言っちゃった!
慌てて男を伺うティーナ。表情はつい先刻とはうってかわって、口元から察す
ると困ったような表情が綻んでゆくところだった。
・・・よかった。気付いていないみたい・・・
心の中で胸をなで下ろす。
ここは話を変えたほうがいいよね。
「ところで、貴方の名前は? ・・・あっ、こういうときは自分から名乗るん
だよね。私はクリスティーナ・メルモ・ナッツノーレ。見ての通りの聖戦処女
です。」
そういうとティーナは男の前で礼儀正しく左手を胸に当て、一礼した。
「俺は、ジュダイス。ジュダイス・グスティラン。見ての通りしがない傭兵業
を営んでいる流浪の剣士だ。よろしく。」
ジュダイスもティーナの挨拶が終わるとティーナのまえに跪き、ティーナの右
手を引き寄せ甲に接吻する。
「きゃっ!」
ティーナは慌てて右手を引っ込める。右手を左手で覆うように胸の前で、鼓動
を確かめるように添えている。
「えっ?」
ジュダイスは困惑した顔でティーナを見た。
当のティーナを覗うと、頬が朱く染まっている。
「ご、ごめんなさい。男の人に触れられるのは慣れていなくって。」
ジュダイスの形式だった接吻もティーナには少し、刺激が強かったのだろう。
しかし、ティーナはそんな自分をもどかしく思うのだろう。ますます朱に染ま
っていく。
「ごめんなさい。変ですよね、私って・・・」
うつむきながら、ポツリと言う。
ふと、ジュダイスはその場から動いた。うつむいたティーナにはその動きは見
えない。当然、その問いかけにジュダイスが首を横に振ったのも・・・
ジャリッ・・・
目の前で小石を踏みしめる音。
・・・あっ・・・
ジュダイスは、目の前の男の存在を今気付いたようなティーナの驚きの表情の
顔を、その頬を、優しくつかまえて自分と向かい合わせるように顔を上げさせ
た。
「あっ!!・・んっ」
ティーナが拒む仕草をする。しかし、ジュダイスはかまわずティーナに顔を重
ねた。命の息吹が感じられる温かい唇がゆっくりと重なる。半ば強引に思える
かもしれないこの行動も、ティーナにとってはこれぐらいのアプローチが必要
だったのかもと思わせる。
だが、初対面にしては少し強引過ぎただろう。
・・・ダメッ・・・
ジュダイスの脳裏にティーナの声が響く。
「えっ?」
脳裏の声に戸惑うジュダイス。その隙にティーナは唇と体を離した。
ティーナを見据えるジュダイス。瞳は戸惑いと焦りの後悔を湛えていた。
しばしの沈黙。
二人とも動けない。
呼吸が身近に感じる。
人がいる、ただそれだけの確信、安心。だが、今は安心とは言い難い緊張。
その乱れる呼吸で八間隔、
「ごめんなさい。けど、けどっ、・・・ダメなの・・・」
ティーナの瞳に涙が浮かぶ。そして、ティーナの頬を流れ滴となって落ちる。
「・・・あ、あれっ・・な、なんで泣いちゃうんだろ? ・・・あれれ・・?
涙が・・涙が止まんないよ・・・・・。
・・・・・・・・・・ねぇ、なんで。な・・・ぜ・・なの?・・・・・・」
「ご、ごめん。」
戸惑いの表情が一層、深まる。そして、狼狽【うろた】えと。
「やだ、謝らないで・・・私だって、なんで・・・・・・なんで泣いてるのか、
わかんないんだから。」
顔をクシャクシャにして、無理に笑おうとするティーナ。
その表情には天使という飾りのない、ただ一人の・・・美しい少女の、素顔が
あった。
Act.10
少女の素顔があらわれたとき、ジュダイスは無意識のうちにティーナを強く、
強く抱きしめていた。
最初は拒む姿勢を示していたティーナも、ジュダイスに下心がないことを身体
で感じとったのか、ジュダイスに体を預けた。
熱く、長い、聖戦処女と剣士【ソードマン】の抱擁【ほうよう】。
どれくらいの刻【とき】が刻まれたのだろう。
ジュダイスがゆっくりと、そして現実を見つめるように、しっかりとした口調
でティーナに語りはじめた。
「・・・君は見つめれば、見つめるほど、・・・レムにそっくりだ。」
穏やかな口調だ。まるで、何かを愛しむような、懐かしむような。
「恋人・・・ですか?」
ほんのりと朱く染まった顔を上げる。ジュダイスの瞳が、ティーナの瞳に飛び
込んでくる。
・・・・・・悲しみの色だ・・・・・・
ジュダイスの瞳は漆黒のゴーグルでわからない。
・・・はず、なのにティーナにはわかった。それが、聖戦処女の力なのか?
それとも他の何かの力かはわからない。だが、彼女にはジュダイスの瞳が悲し
みの色に彩られていることを知ることができた。
「恋人・・・というほどの仲じゃないさ。・・・けど、あいつは俺の妹みたい
なモンだった。血は繋がってないけれどお互いの気心が知れた・・・幼馴染。
あいつとはいつも一緒だった。朝、あいつが俺を起こしにきて、朝食を一緒に
とって、剣の練習をして・・・・・笑って、泣いて・・・怒って、悲しんで。
・・・んで、頭に馬鹿がつくような、誰よりも純粋な・・・・・・・・・・」
ティーナの銀髪に滴が落ちる。
涙・・・
ティーナが心配そうにジュダイスをのぞき込む。
・・・辛いのなら無理に話さなくてもいいよ。
そう瞳は語りかけていた。
だが、ジュダイスはゆっくりと首を横に振って、又、辛い話を語りはじめた。
記憶の中の、かけがえのない自分。そして、それ以上にかけがえのない・・・
ジュダイスの心の中に生き続ける、レムという名の少女の記憶を。
第二章 追悼【ついとう】
Act.1
「ねぇ、ジュダイス・・・朝だよ。ねぇ、もう起きてよ、ジュダイス。お布団
干せないよぉ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・おーい、ジュ・ダ・イ・ス。朝だよーっ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あーさ、朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝朝
朝だよーっ!! ジュダイス・・・ジュダイスっ!!
ジューダ、ジュダジュダジュダジュダジュダ、イスイスイスイスイスイス!」
「だあーっ! お前はオウムかよっ!!」
ゆるりと目を開け、いつも通りのことに言い放つ。
太陽の光がカーテンのすき間から俺のベッドに射し込んできている。いつも通
りの朝だ。そしていつも通りの、目の前のレムの顔。
俺が上半身を起こすとレムはぴょんとベッドから飛び降り、カーテンを開けた。
窓一杯の光が部屋を包み温める。
「・・・ジュダイスが悪いんだよ。いつまでも寝てんだから。・・・う・・ん
・・・今日もいい天気だよ。お日様があんなに綺麗に輝いてる。」
窓からふりかえって語りかけるレム。その無邪気さについついつられて顔が綻
【ほころ】んでしまう。ずっと昔から続いていたような平和な日常生活。
終わることのない平穏な日々。
「ふ・・ぁ・・・・・仕方ねぇな、・・・さてと・・・起きるかな・・・」
一つ大きな背伸び、ベットから飛び降りる。
「着替え、持ってくる?」
「ん・・・・・あぁ、たのむ。」
汗ばんだシャツを脱ぎ、近くにあるタオルで身体の汗を拭う。
そろそろ秋の風が快い季節であるのに、何故か俺の身体はひどい汗だった。
「夢・・・ 見たのか・・・・・?」
自分で自分に問いかけられずにはいられなかった。
・・・夢は起きると忘れるっていわれているけどな・・・・・・・・
タオルを握っている右手に力をこめる。
「・・・・・嫌な夢は忘れられないものなのか・・・」
AcT.2
着替えを済ませて一階に降りる。俺の部屋は二階の奥の部屋だ。
「ん? おっ、今起きたのか? ジュダイス。」
がっしりとした黒髭のぼさぼさ頭の男、俺の親父だ。大雑把で無神経で、そし
て「大」のつくほどの好色男【いろおとこ】。よく、これで母さんとくっつい
たもんだ。
「あら? おはよう。今日はいつもより少し、起きるのが遅かったみたいね。
昨日は夜遅くまでおきていたのかしら?」
今のが俺の母さんだ。物静かで、きめ細かで、温和な人柄だ。昔は、親父と会
うまでは、男性恐怖症だったらしい。
「なんだ? 父さんが毎日早く家をでて働いているのに、お前はお天道様が昇
ってから起きているのか?」
親父が呆れ顔で俺に言う。
「いいだろ、自分のことなんだから。」
食事用の椅子を引く。
「何を言うか! 毎日、レムちゃんが、わざわざ起こしに来てくれているのに。
なぁ、レムちゃん。」
親父が台所から顔を出したレムに同意を求める。
はにかみながら微笑むレム。
「ほらみろ、レムちゃんだってがんばっているんだ、お前もレムちゃんが喜ぶ
ことでもしなさい。」
勝手に人の表情で言葉を解釈するなよ、親父。
「じゃ、何をしたらいいんだよ!」
「まぁ、そうつっかかるな・・・」
ゆっくりとテーブルに両肘をつけて手を組む。その甲の上に顎をのせたポーズ
は、親父一八番【オハコ】だ。
親父は人を諭すときや、語りにくい話をするときいつも、このポーズで話をす
る。
このときは口うるさく高い声を低い声にして、静かに話す。
. .
そして、この時だけは真剣になる。
「例えばな、ジュダイス・・・。」
親父の表情が真剣になる。
・・・この顔で母さんにプロポーズしたのか? こいつは・・・。
前々から思っていたことだが特に今日は一段に凛々しく見える。
・・・この顔に弱いのは母さんのほかに、俺もそうなんだな。
「レムちゃん、ちょっといいかね?」
静かな低い声でレムを呼ぶ。
「えっ!? あ、はい。」
台所で母さんの手伝いをしていたレムが、小走りに現れる。
「なんですか? 叔父様。」
親父はゴホンと咳払いし、レムを手招きした。
親父の近くに寄るレム。
何をするつもりだ?
俺には今の、親父の行動がいまいちつかめない。
レムも不思議そうに親父の近くに寄ったまま動こうとはしない。真剣な親父の
顔を見るのは、幼なじみとはいえ初めてのはずだ。それだけ親父の真剣な表情
は、凛々しく、珍しい。
・・・・・数秒の沈黙。・・・・・と、突然、親父が破顔する。
?!
親父はレムに振り返ると、そっと左手をレムの太ももから腰に向かって這わせ
たのだ!
「きゃん!」
突然のことに驚いて、とびあがるレム。
「 !!! お、親父っ!! ・・・っなにしてんだっ!」
なにしてんだ、この色魔野郎がっ!!
バンとテーブルを叩き、立ち上がる。
「うん、レムちゃん、いいヒップラインだねぇ。これなら、きっと元気な赤子
が産めるぞ。」
「えぇッ・・そ、そうなんですか。で、でもまだ私には早いかな・・なんて。」
親父の左手はレムの腰をまだ、まさぐっている。レムのほうといえば、少しは
抵抗しているようだが、ほとんど無力だ。
「親父ぃーっ!!!!! 聞いてんのかっ!!!!!! その汚い手を、レム
から離しやがれっ!!!!!!!!!!!」
もう一度、怒鳴り散らす。
レムは、俺の・・・!
・・・・・俺の・・・何だ・・・・・
「ん〜、疲れはないみたいだね。張りやしこりができたら、私がほぐしてあげ
るから、遠慮なく言いなさい。」
「あっ、ハイ。・・・大丈夫です。」
そういうとようやく親父はレムの腰から手を引いた。レムは少しほっとしたよ
うにそのまま親父と歓談を始めた。
俺は目の前の珈琲を腹いせに飲み干す。二人の会話を遠くに聞きながら。
何してんだよ、俺は。だいたい、親父も何が言いたかったんだ?
レムはあんなに楽しそうに笑いやがって。
・・・そういえば、なんか俺、久しぶりにレムのあんなに楽しそうな笑い
顔を見たな。
いつも、会ってるのに。
そんなこんなで、ようやく話が終わって親父がこっちに振り返る。
「ジュダイス、時間を与えたつもりだが、父さんが何を言いたいのか、わかっ
たか?」
再び、真剣な親父だ。
「何って・・・?」
俺が答えられず口を噤むと、親父はやれやれといった表情で口を開いた。
「わからんか? では、質問を替えることにしよう。・・・・お前にとって、
レムちゃんはいったい何なのだ?」
!
「な、えぇっ!」
「お、叔父様!?」
親父の口調は諭すときのような冷静な口調から一転して、大きく荒っぽい。
だが、表情は真剣なままだ。
俺は、そんな親父の視線から逃れるようにレムを見た。
レムは耳まで真っ赤にして上目づかいで、こっちを見ている。俺も全身に火が
入ったように熱くなっていた。
俺は再び、親父に視線を戻した。
「答えはでたか? それとも・・・」
真剣な眼差し。
言い逃れはできそうにない。
俺は親父の言葉を遮るように口を開いた。ただの直感だが、次の言葉は聞いて
はいけない気がした。
「レムは俺の・・・!」
俺の・・・何だ?
許婚【いいなずけ】? ・・・違う・・・
召使【めしつかい】? ・・・違うっ!・・・
奴隷【どれい】? ・・・違う、違うっ!・・・
じゃあ、何だ?
妹か? ただの幼なじみか?
俺は心の中の問いかけに必死に首を横にふった。
好き。
この一言を今まで何故言えなかったのだろう。一番自然なこの台詞【セリフ】。
わかっている。
今、はっきりと言える大事な台詞。
それなのに・・・・・・・
喉まで来ている、声。
けれど、気恥ずかしさが喉から先へ進むことを拒む。
そして、この一言が何かを変えてしまうんじゃないかと思う恐れや、俺自信の
ために、レムを傷つけてしまうんじゃないかという気遣いが台詞を止めてしま
う。
いや、違うな。なんとかこの気恥ずかしい状態から逃げたっかただけなんだ。
言い訳をつくって現実から逃げようとしていたんだ。
「・・・・・・・・・・っ!」
言葉につまって言い出せない。
必死に心の中で、叫んでるのに。
もう一つの心で、臆病風が吹いている。
レムが胸の前で組んでいた手に力を込めた。
親父が口を開こうとした。
震える唇を噛み締めた。
一瞬だったが全員の行動【アクション】がそこにはあった。
レムの瞳に涙が宿る。
親父が俺の胸ぐらを掴む。
「好きだ!」
俺が叫ぶ。
そして、二間隔。
レムの瞳が驚きを湛え、手は口をおさえる。
涙が一滴、頬を伝って零れ落ちていった。
「レム、・・・お前を・・・・・俺は、お前だけを、愛している。」
親父がフッと笑い、俺の胸ぐらから手を退け、部屋の奥へと消えていった。
「・・・・・・ジュダイス・・・・・私、なんて答えていいのか、わかんない
けど・・・けど、一つだけ言えるよ。・・・私もジュダイスのことが・・・。」
レムが全身を真っ赤に染めながら俺に近付いた瞬間。
ドォーーーーーン!!!
爆音が辺りに響き渡った。
「なんだっ!」
俺が窓を開けると、今、又、爆音が響き渡る。
村外れのほうから白い煙に混じって、赤々と燃える炎がちらつく。
「何が起こっているんだ!?」
戸惑う俺。とはいっても、だいたいの検討はついている。
疑問は部屋に駆け込んできた親父により明らかとなった。
「ジュダイス、レムちゃんを狙う輩だ。」
レムの顔が強ばる。
予想通り、だな。
レムの白龍の力を求めた輩【やから】だ。
「ちっ、鬱陶しい奴等だぜ。今度はどこの輩だ!?」
階段を駆けのぼり、俺は自分の部屋からすぐ弧円刀【シミター】を持ってくる。
そのうちに親父は窓を全て閉める。
「いくぞ!」
「あぁ。」
親父に答える。
「ジュダイス・・・・・」
「・・・レム。」
涙を浮かべたレムを抱き留める。
「なんで、みんな、私を狙うの? なんで? なんで、私は他の人から守られ
ているの? なんで、他の人を巻き込むの? 嫌、イヤ、いやぁっ!!」
俺の胸で泣きじゃくるレム。
俺が、今から戦地に赴くことへの拒絶感。
俺が人殺しになって戻ってくることへの拒絶感。
「・・・私は・・・・・ジュダイスと一緒にいたいだけなのに。」
胸の中で ポツン と呟いたレム言葉は、俺の胸を熱くした。
「恐悦至極【きょうえつしごく】に存じます、お姫様。」
俺は、はにかんだ笑顔でレムに言った。
しかし、冗談めかしたのは逆効果だったのか、レムは「ぶぅ」と頬を膨らませ
た。だが、レムは少し落ちついてくれたようだ。一瞬だったが笑ったようにも
見えた。
が、即座に酷く脅えた表情になる。
「ジュダイス・・・・・・。お願い・・私を・・・・・独りぼっちにしないで
ね・・・」
「ああ、安心しろ、レム。俺はお前を一生守ってやる。だから、俺は今日、死
ぬわけにはいかない。」
抱き留めたままレムの瞳の高さまで腰を下ろし、人差し指でレムの瞳に溜った
涙を拭ってやる。そして、桃色の髪を一撫し、親父の後を追う。
入り口で親父と合流すると、そこからは既に戦場。
無駄な意識の離散は死のもとだ。
心にそうきかせて、親父の後を追った。
続く道は、家への往復切符か?
それとも、死への片道切符か?
栄光に続く路【みち】。それは今日より始まっていくものと信じて・・・・・
Act.3
「ふん・・・・・ようやく・・・お前も大人になったのだな。」
走りながら親父は笑った。
「道理で父さんも歳をとるわけだ・・・」
「・・・・・親・・・父・・・・・」
横顔をちらりと覗くと、母さんの惚れたもう一つの理由があることに気付く。
他人を気遣う心か。
まだ、俺には真似できねーな。
「見えたぞ! 気を抜くな。」
既にそこは燃え盛る炎に包まれていた。
村の連中が総出で火消しにかかる。
そして、少数の精鋭部隊が敵を食い止めている。
「ガイフィスさん!」
精鋭部隊副隊長、村長の孫、アドルが主力の到着に歓喜の声を上げる。
「遅いじゃねぇか! ガイフィス、ジュダイスっ!」
こちらは親父の友人、樵【きこり】のグレインさんだ。傭兵らしい男の攻撃を
弾いて、ブンブンと斧をまわしている。
「待たせたな。ジュダイス、いくぞ!」
「OK!」
敵陣に一気に突っ込む。
傭兵の一個部隊、数はそう、百にやや欠けるくらいだろう。
目の前の敵を下から肩口に斬り上げる。斜め後ろからの薙払いをかがんで躱し、
そのまま足払い。バランスを崩して倒れこんだ敵に剣を突き立て、左からの敵
の鳩尾に肘打ち一発! 動きが止まったところで中段を水平に薙払う。
十秒経たずに三人の命が散った。
次の瞬間、後ろから現れた竜巻が回り込んだ敵を吹き飛ばしていく。アドルの
自然法【ナチュラード】「竜咆旋風【ドラグーンサイクロン】」だろう。竜の
咆哮に似た風をきる音が、俺にそのことを確信させる。
俺は地面に剣を突き立てて、剣を持つ手に力を込める。
大きな風の音が近くを通り過ぎる。土煙が舞い、目を開けられない。
しばらくして、ようやく土煙が収まり、辺りを見渡す。
親父、アドル、グレインさん、見渡す限りでは怪我人はいない。
あっけないな・・・本当にこれで終わりか?
親父を見る。
!
親父は、竜巻の消えた方をじっと睨んでいる。
終わってないみてぇだな。
「・・・どうやら、大物の登場らしいな。」
「 ! 親父っ!」
一瞬だったが、俺の背筋に寒気が走る。
気勢で心が圧される。
「くっ。」
悔しいが、一時後退だ!
身体がいうことをきかない。間合いをとるべきだ。
本能的に悟って、俺はアドルの近くまで逃げ帰った。
近くには、アドルとグレインさんがいる。
・・・!!! 親父が、いない!
前に振り返る。
!
「お、親父っ!」
親父の気が、おしよせる怒涛の気に飲み込まれそうになる。時間の問題だ。
親父を、助けないと。
だが、気持ちは動けど身体が動かない。防衛本能が、俺の身体に鎖を巻き付け
る。
それほど力の差はひらいているのか!?
「親父ーっ!」
動け、動いてくれっ、俺の身体っ!!
無理にでも動かさないと親父の命が・・・・・無い!!
しかしなお、身体はいうことを聞いてくれない。鎖はがんじがらめにするだけ
では飽き足らず、近くにあった大木にくくりつけているような感覚だ。
「任せろっ!」
見るに見兼ねて横から飛び出したのは、
グレインさん!
バチイッ
互いの気が見えない火花を散らしあった。
「ぐおおおぉぉぉっっっ」
親父のまわりまで突進する。グレインさんが、親父の腕を掴む。
「アドルーっ! 今だぁっ!!」
なに?
俺がアドルに振り返るのとほぼ同時!
「天翔臨壁【ウイングウォールス】!」
自然法を唱えるアドル。
天から舞い降りた虹の壁が、気を遮る盾となる。
「うらぁっ!」
グレインさんが親父をこちらに投げ飛ばす。
「親父、大丈夫か?」
俺がガッチリと抱きとめ、安否を気遣う。
「あぁ、それよりグレイン!! 逃げろ〜〜〜〜〜〜〜っっっっっ!!!!!」
耳が張り裂けんばかりの、親父の叫び声。
はっと顔を上げる。
グレインさん!
次の瞬間!
「うがぁぁぁっっっ!!!!!!!!」
絶叫。
同時に、親父は目を閉じた。
それが何を意味するのか・・・判っていた。しかし、俺は、確かめられずには
いられなかった。
先刻までグレインがいた場所に、もうグレインの影はなかった。
そこにあるのは、黒く固まった、焼け跡もない、真っ黒な・・・・・・・・・
消し炭だけだった。
Act.4
「・・・・・ぐっ」
胸の奥から熱いものがこみあげてくる・・・・・
・・・涙・・・
判っていた、こんな場所で泣くべきではないということを。けれど、熱い涙は
とめどなく流れ落ちた。
親父は気を失い、
主戦力、そして親父の友、グレインを失い、
前に立ちはだかる、得体のしれない輩。
勝てねぇ・・・
悔しい・・・何もできねぇ・・・・・自分が・・・・・・・・恨めしい!
「諦めるなよ・・・ジュダイス・・・」
・・・えっ?!
俺は顔を上げて声の主を探る。
「アドル・・・」
この絶体絶命の状況においても、そこに向かい合う漢【おとこ】がいた。
「諦めたら、そこで何もかも終わりだよ。それでいいのか? グレインさんや、
今まで戦ってきた仲間を裏切れるというのか、ジュダイス? レムちゃんを守
るという使命を、裏切るのかっ? そうなのか?」
「!!! 違うっ !!!」
そうだ、俺は約束した。
「今日、死ぬわけにはいかない!! レムには指一本、触れさせねぇ!!!」
鎖を断ち斬る。恐怖の束縛と、運命を繋ぎ、紡ぐ鎖を。
「いくぞ、アドル!」
俺は親父をそっと寝かせ、見えない何かに突進を仕掛ける。援護するように、
アドルは走りながら自然法の呪文の詠唱に瞑【つ】く。
「天皇神ウラヌゥイス様、今、天よりの其の力、我が元へお集め下さい・・・
世界の風は、天よりの恵み。其の力、一時の間、一時の場、一時の行の許しを
得、力、分け与えられん !天よ! !風よ! !力よ! ここに集わん!!」
”仙塵衝【ミストブレイク】”
自然法上級魔術”仙塵衝”
敵に向かって衝撃波を幾重にも重ねて繰り出す魔術で、たとえ、霞【かすみ】
だろうが霧だろうが一瞬で粉砕、消滅させる大技である。
それが、一気にジュダイスの合間を縫って、みえない敵に襲いかかる。
この攻撃で、仕留める!!!
もう、迷いはない。目の前のみえない敵に渾身の一撃を見舞うまで!
勝負だっ!!
Act.5
動く気配がない、この高圧の気。
見失うわけない、この強大な気。
少しダッシュのスピードを緩めれば、たちまち吹っ飛ばされてしまうだろう。
俺は強大な気の元に走った、力の限り。
そろそろ、仙塵衝の第一波が到達する! どうするつもりだ?
その問いに答えるかのごとく、みえない何かは何か言葉を発したような。
ビシイッ!
「なっ?! なにっ!!」
奴の気が、一瞬で数倍に跳ね上がった。そして、俺を守るように走った仙塵衝
は、同等の力のようなものに相殺【そうさい】される。
な・・・この気は・・・!!
一瞬跳ね上がった気から察すると。
魔道士かよっ!
強大な気で隠してはいたが、一瞬、魔力を感じた。
確かにあれは魔力。
しかし、そうそうゆっくりしている暇もない。相殺された力が第三者のもとに
流れ込んでくる。
しかたねぇ、ここは一時引くぜ。
風圧にのってバックステップ。アドルの横に舞い戻る。
距離は・・・魔道士との距離・・・みてとれない距離じゃない・・・・・
「ジュダイス、今のはいったい?」
戸惑うアドル。今、何が起こったのかもよくわからないだろう。
まあ、俺みたいに前線までいってないしな・・・
「魔道士だ。」
俺はアドルには振り返らず言った。
「!? そんな、ばかな! 魔道士であんな強大な気を練ることなんて・・・
は!・・・まさか!!」
「気付いたか? そう、それも魔術かもしれないってことだ。しっかし、依然
俺達が不利なのはかわんないぜ。どうする、アドル?」
振り返る気はない、隙を見せたものが殺られるのはこの世界の常識だ。
「・・魔道士なら、懐に入りさえすれば、ジュダイスの剣技でなんとか・・・」
「そいつは無理だ。」
断固として言い切る。
それ以上の言葉も、それ以下の言葉も、この戦場では必要ない。
一言・・・又は、目くばせで意志を伝達しなければ、相手に付け入るスキを与
えるだけだ。しかし、アドルは食い下がる。自分の意見が否定されたからには、
なんらかの答えがほしいのだろう。
「何故ですか? ジュダイス。」
「・・・相手が、化け物だからだ・・・・・アドル、禁呪【きんじゅ】って知
っているか?」
少し声が震えた。
「・・・いえ。何ですか? その禁呪というのは・・・」
まぁ、知らなくて当然か。
魔術のことは親父にみっちり教えこまれたから、な。
「禁呪ってえのは、別名(古代)封印魔術【クワイエットアルティメイトマジ
ック】といわれている。その名の通りの封印されし魔術で「アルティメイト」
即ち「最終最強」の意を持つ、一言で山を吹き飛ばし、川を蒸発させるような
極めて実戦的な魔術だ。術者は魔導師【メイジ】と呼ばれていて過去に8名、
現在では4名しか存在しない。そして、禁呪の意は術者「魔導師」達が使用を
禁じたことからついた名前だ。そして、そいつらが今、現に戒【いまし】めを
破って攻撃してきている。正直言って勝てる見込みなんて1%にも満たないだ
ろうよ。」
アドルを見ると、少し、青ざめてみえた。当然と言えばそれまでか。
「・・・っていっても、勝算がないわけじゃない。」
「!? それは?」
驚きの表情で俺を見るアドル。
「・・・・・・・・それは・・・父さんが言おう・・・・・」
「お、親父?! 大丈夫か?」
後ろでゆらりと立ち上がった親父を凝視するアドル。その前に俺が親父に肩を
貸す。親父は大きな傷こそ受けていないが体力的にはもう・・・・・限界に近
いはずだ。俺はしっかりと支えて負担を軽減させようと試みる。しかし、親父
はそれを制し口を開いた。
「勝負は一瞬だ、判っているな?」
頷くアドルと俺。
「よし、アドル君は私の後ろについてこい! ジュダイス・・・・・判るな?
これしかない方法だということを。」
「・・・あぁ。」
・・・親父・・・死ぬ気なのか?
俺が見殺しにしていいのか?
・・・・・母さん、俺はどうしたら・・・・・
「いくぞ!」
悩む暇なく親父達が突進する。
やるしかない! 親父、死ぬなよ!
親父が覚悟を決めている。
俺が止めれるわけはない、それが親父の意志であり、勝機はこの方法でしか得
られないから・・・
俺は親父達とは反対側から魔導師に回り込む。気を消して気付かれぬように。
Act.6
「おおっ!」
! ・・・動いた・・・
俺は親父の咆哮と気を感じとりながら、タイミングを掴もうとする。
要は三段の波状攻撃。親父が魔導師の注意を引き付け、アドルがそのすぐ後ろ
から自然法で動きを止めて、ラスト一撃を俺が後ろから叩き込む!
大技を使った後にできる呼吸を狙う。
戦闘の一番重要性が高いのは「息継ぎ」だ。
これは、すべての武器攻撃、魔法攻撃に共通して言えることである。
例えば、剣で攻撃する場合、息を吸いながら攻撃する人はいない。必ず「静気」
(息を止めること)又は「吐気」(息を吐くこと)で攻撃するはずだ。なぜな
らば、「吸気」(息を吸うこと)で攻撃を仕掛けた場合、威力が、反応速度が、
大幅に減退してしまう。よって、「吸気」は攻撃を当てた後や、大きく間合い
をとったときに行う。
魔導士にとっては、呪文を紡ぎ終わったときこそが息継ぎのタイミングだとい
うのは、少し考えればすぐ分かるはずだ。
失敗は許されない。奇襲は成功させてこそ意味があるのだから。
魔導師の気が膨らむ。
禁呪だ、親父!
「ダルデ」
魔導師が禁呪を唱える。しかし、ターゲットは親父ではなく!
俺!?
しまった!
先刻の気の乱れを感じとられたのか!!
次の瞬間、腹部に鉄球でも打ち込まれたような衝撃が走る。
!!
「ぐ・・・・・ぁ」
耐え切れず俺は、膝から前のめりに倒れこんだ。
「が、がはっ・・・ゴボッ!」
吐血、そして呼吸困難。
視界が急激に狭まり、痛みで気が遠くなる。
「ジュダイス!」
「ジュダイスっ!」
・・・アドル・・・親父・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・レム。
一瞬、レムの微笑みが脳裏にちらつく。
・・・俺は・・・まだ死ねない!
自分の意識を三途の川から引き戻す。レムの為に。
動けない俺にようやく全貌を現す魔導師。俺は力を振り絞って魔導師を睨みつ
ける。
「ふん、大裂撃【ダルデ】一発で立てなくなるとは、みっともないな。」
そう俺を見下した魔導師は、すっと親父達に向き直った。
眼中にない【ノーがんちゅう】・・・ってことかよっ!
俺の心にふつふつと怒りと悔やみの感情が沸き起こる。しかし、その力だけで
は俺の身体は動きそうもない。魔導師が口を開く。
「貴様達、そうまでして死に急ぐか? レム様を素直に渡せばこのような戦い
とは無縁というのに。
・・・・・一度しか言わん、レム様を連れてこい。そうすれば今すぐここから
撤退することを約束しよう。」
「・・・・・」
親父、何を考えていやがる! おれたちの答えは一つしかないはずだぜ。
「俺達は、レムを守る!」
業を煮やして俺が力一杯叫ぶ。
振り返る魔導師。
「・・・・・そうか・・・・・なら・・・!」
魔導師は俺の胸ぐらを掴んで、強引に空中に持ち上げた。
・・・嘘だろ・・・
魔導師とは思えない力で、俺は紙屑のように空中に引っ張り上げられた。自然
に俺は首を吊る格好になり、
「ぐぁぁ・・・・・」
必死に悲鳴を圧し殺す。だが、それに反比例して俺の意識は遠のいてゆく。
・・・・・・・・・・レ・・・・・・ム・・・・・・・・・・・・・・・
ふいに脳裏に浮かんでくるレムとの出来事。
「エル」と名乗る男がレムを連れて現れた事。
レムが俺のことを「お兄ちゃん」と慕っていたときの事。
毎日、剣の稽古についてきたレム。
俺の側にいた・・・・・
微笑みのレム。
悲しみのレム。
ちょっと怒った顔のレム。
そして、今日の真っ赤になった恥らいのレム。
全ての記憶・・・いや、レムとの全ての記憶が鮮明に蘇る。
・・・まさか・・・今日の夢が現実となるとはな・・・・・
・・・・・レム・・・・・
・・・・・・約束を守れそうも・・・・・ない・・・・・
・・・・・レム・・・・・
・・・・・・す・・・・・ま・な・・・・・・・・・・・・・・い・・・
俺の意識は無限の闇へと落ちて行く。
Act.7
「その手を離してっ!」
「レム様次第です。貴女様が私たちとご一緒してくだされば、すぐにでも手を
離しましょう。」
「駄目ですよ、レムちゃん。」
「ジュダイスのことは、私たちがなんとかする。だから、今は、逃げてくれ!」
「いやぁっ! 目を開けてよジュダイス!!
私を・・・私を一生守ってくれるって約束・・・・・約束したじゃないっ!!
うそつきっ!
男でしょ! 約束ぐらい守りなさいよ!
・・・私を独りぼっちにしないって・・・・・・・・いったじゃない・・・・」
遠くからレムの声が響く。
ひどく悲しそうな声だ。
泣いているのか?
俺がレムを泣かしてしまったのか?
そうなのか・・・
昔もあったな・・・・・こんなことが・・・・・・・・
確か・・・そう、3年ほど前も・・・・
レムを狙う奴らに・・・俺は殺されかけて・・・・・・
・・・そして・・・レムは殺されそうになった・・・・・
・・・・・・・・・・レムが殺される!?・・・・・・・・・・・・・・
そうだ・・・
俺は目を開いた。
「・・・レムは・・・レムは誰にも渡さないっ! レムは僕が守る・・・・・
もう、二度と泣かせない!! 目を・・・開けろぉーっ!!!!!」
途端に弾ける声。
・・・これは・・・!?
レムが意識を、生命を取り留める一瞬前の俺が涙声で叫んだ・・・言葉・・・
・・・そうだ俺は・・・俺は一番大事なことを忘れていた。
俺にしかレムは守れない。
・・・・・俺は・・・・・負けない・・・いや、負けられないんだ!!
「うぉおっ!!」
渾身の力で魔導師の腕を振り払う。
「な、なにっ!」
一瞬、魔導師が狼狽える。俺はそれを見逃さなかった。
着地と同時に弧円刀を拾い上げ、魔導師に向けて横一文字に薙払う。
ズキィッ
身体に先刻の裂撃の痛みが響き渡る。
「くぅ おぉっ!!」
踏み込みが!
・・・甘い。いつもの必殺の斬れ味がない。
駄目だ!!
「いい気になるなっ! くらえ!!」
攻撃に耐えた魔導師が精神を集中する。
殺られる!
「ナシル」
魔導師の一言紡いだ言語によって、急激に辺りの温度が下がり始める。怒涛の
冷気が押し寄せてくる。
・・・身体が、動かねぇ!
急激な辺りの温度変化で身体全体がかじかみ、麻痺してしまったのだ。
「今度こそ、死ね!」
動けない俺に氷の刃が襲いかかる。
!!
顔を背け、痛みに耐えるために歯を食いしばる。
次の瞬間、おこりえるだろう想像を脳に過ぎらせながら。
・・・しかし・・・
次の瞬間の想像はいつまでたっても実現しなかった。
俺はいぶかしげに顔を上げる。
「なっ!」
俺はそのとき自分の眼を疑った。目の前には氷柱【つらら】で身体を貫かれた
女の子が立っていたのだ。
その身体を呈して俺を守った少女こそ、俺の最愛の女、レムだった。
「大丈夫・・・!? ジュダイス・・・・・・・・」
レムは痛みを隠すように微笑んでいた。しかし、俺にはその冷静なレムの十分
の一も冷静になれなかった。
「 !! ば、馬鹿やろう! ・・・なんで、なんで、出てきた!」
怒鳴り散らす。
「・・・馬鹿とは・・失礼ね・・・。・・・女の子に、・・・そんなこと言う
もんじゃ・・・・・・・・・・ないゾ。」
レムは微笑んで言った。
血はもう足元まで達し、徐々に地面を赤黒く染めていく。
「けど、・・・・・けどっ!」
狼狽えることしか出来ない俺。
「・・・・い・・いの・・こうやって愛する人を・・・守れて・・・ゴボッ」
レムが言葉の途中で吐血する。俺が狼狽えるのをレムは制した。
「・・・・・手・・・握ってくれると・・・・・嬉しいな・・・・・・・。」
俺はレムの腹部を貫通した氷柱を素早く引き抜く。一瞬、レムは痛みに呻いた。
流れだす鮮血はレムの真っ白な肌を無残にも、真っ赤に染めていた。
俺は優しくレムの両手を胸の前で組ませ、自分の両手で包みこんだ。
左腕でレムの背中を支えつつ、レムの左手に添える。右手はそのまま、レムの
右手に添える。
レムが下から俺を見上げる。俺はレムだけを見つめていた。
「・・昔も・・・・・あったね、こんなこと・・・・・」
あの刻のことを言っているのだと、俺はすぐ判った。
レムの瞳が潤んでいる。
「・・・・・でも・・今日は・・・運がなかった・・・・・みたい・・・・」
震える俺の腕に優しく、安心したように抱かれ、そして言葉を続けるレム。
「・・・し ょうがない・・・よね・・・今日は・・・一番・・・・幸せ・・
なコト・・・・が・・・あった・・・ん・・だもの。・・・・・ジュダイス。
・・・・・・プロポーズの返事・・・・・ゴホッ・・・・・・・・・まだ・・
・・だった・・・・・・ね・・・・・・・・・・・・・・私・・・・も・・・
・・・ジュ・・ダイス・・・・・・・の・・・・・・こと・・・・大・・・・
好・・・・き・・・・・・だ・・・・・・・ヨ・・・・」
同時にレムの身体から力が抜け、俺の胸に倒れこんだ。握った手が冷たくなっ
ていく。身体も。
「・・・・・・そ・・・だろ? おい、しっかりしろよ! レム。護ってやる
っていった方が・・・護られてどうすんだよ! おーいっ!」
平手で軽くレムの頬を叩く。
声に涙が混じる。
「・・・・・眼を・・・開けてくれよ・・レム。もう一度、俺に微笑んでくれ
よぉ〜っ!!」
信じ難い、信じたくもない。
しかし、レムの頬が平手打ちで真っ赤になっても、レムが目を覚ますことはな
かった。
ザッ
おれ達の前に魔導師が歩み寄る。
「・・・ふざけるのはそこまでにしてもらおう。・・・・・お前さえ存在して
いなければ、レム様は我らの手中に在ったものを! それを、それを貴様は!
レム様を死においやり、護れなかったと泣き喚く、偽善者め! その罪、死を
もって償え!」
魔導師は地に手をつき、自分の無力さを嘆く俺を見下し、言葉を放った。
まわりが熱い。
いつの間にか俺は灼熱の炎に囲まれていた。そして、その火輪の外側に魔導師
の姿が伺える。
「・・・・・一思いには殺さん。レム様を死においやった罪、火の中で苦しみ
焼け爛【ただ】れて、死ね。」
動けない。
動けなかった。
自分の無力さに、涙が出てくる。
あと、少しで終わりだ。
もう生きる気力などなかった。
このままレムと一緒に死ねるのなら・・・・・
そんな想いが、脳を過ぎる。しかし、その時・・・・・
俺は、一響きの声を聞いた。
その声は、優しく、温かく、そして、愛が溢れていた。まるで、その声は俺が
唯一愛した女。幼い容姿、幼い言動。しかし、彼女を見つめているだけで、心
は落ち着き、そして抱きしめたくなる程、いとおしい感情が溢れてくる。
しかし、その娘は先程、息絶えたのだ。
・・・・俺の看【み】ている前で。自分が不甲斐ないばかりに。俺は声を聞く
気分になんかなれなかった。息絶えた少女を、レムを、俺が唯一愛した女を、
強く、強く、抱きしめる。
すると、又、声が聞こえる。その声は俺の拒否を強引にねじ伏せ、心の中に入
ってきた。
「・・・ジュダイス」
まぎれもない。俺が愛した女の声。
「・・・レム」
何処に発することもなく、口の中で心に向かって声を放つ。
小さく。
「・・・聞こえる?・・・・ジュダイス。・・・もう、お迎えがきちゃった。
真っ黒なローブをまとった死神さん。」
「!!」
待って、と言おうとしたが声が出ない。
俺も連れていってくれ!
と。
「ゴメンね、ジュダイス。」
「!?!」
「・・・一番哀しいのは、残されたジュダイスなのに。それなのに、私、でし
ゃばって勝手に死んじゃって・・・それで、ジュダイスを縛るようなこと言っ
て。ホントに、ごめんね。」
涙声のレム。
「レムっ!」
一声叫ぶのがやっと。目頭が熱くなっていくのが解る。
「ありがとう・・・・・貴方に逢えて・・・・本当に・・・・・よかった。」
それっきり声は聞こえなくなった。
そして、静寂。
Act.8
レムを抱いて立ち上がる俺。
火はもうそこまで迫っていた。
何故、立ち上がったのだろう。
ただ、俺は死ぬことができなくなったと感じた。
逃げることより、戦って灰になる喜びを。
願わくば。
自分が死ぬことによって、誰もが傷つかない程、生きたい。
もう一度、輪廻の転生によって現れたレムを視たい。
剣を抜く。
弧円刀が強く輝く。
「レム・・・お前の敵、取らないと、な。」
自分でも驚くほど、落ち着いた優しい声が発せられる。意識が高まっていく。
この勝負、絶対に「勝つ」!
弧円刀で軽く、己の左手親指を斬る。すぐ血が剣に絡み付く。
「剣王、ロディ・ナ・アルスよ。我、今、血の盟約により、汝の魂を召喚する。
汝の魂は、命と同等、其の剣。大地を断ち、水流を斬り、天空を裂く剣よ。
鎖に護られた、偉大なる剣よ。今こそ我の前に集え!
「天使の翼」、「双竜の頭」、「魔獣の石」よ。神の与えた「裁きの剣」よ!!
法と風とを司る剣よ。今、名を呼び、共に現れよ。
皇剣【キング・オブ・ソード】 フィル・ディウス!!」
呪文の詠唱を終える。
と、同時に。ほぼ同時に。
目の前に一振りの剣が地面に突き刺さるように現れた。両刃の剣だが、かなり
細く、先のほうだけが少し曲がっている。柄には緑色の大きな石が埋まり、そ
の石を護るかのように天使の翼が柄護【つかまもり】を形成している。柄の先
端には竜とも、蛇とも見分けのつかぬ、双つの頭が互いに絡み付きあい大空を
見つめている。
練習で何度か召喚したことはあるが、一度も使いこなしたことはない。
使いこなせない者が触れば、触れた時点で消滅してしまうからだ。
剣は淡い金色の光をまといほぼ同等の身長の使い手、いわば俺を見つめている
ようにも思えた。
剣王「ロディ・ナ・アルス」でさえ、完璧に使いこなすことはできなかっ
たといわれている剣が、目の前に・・・ある。
俺は右手を伸ばした。そして、力を込める。
触れた瞬間、剣が変化する。
!! 失敗か!
しかし、自分の手には確かな重量感がある。
俺は右手の先を見る。
!
そこには1m少々の、紅々と輝く脇差が握られていた。
「これは・・・!」
剣王「ロディ・ナ・アルス」の左腕と称される”真紅玉の深火珠刀【ルビーの
ミカズチ】”。刀身はもちろん、柄まで紅く輝き、一振りで爆炎を呼び起こす、
竜の与えた竜具の一つ。反り返りはあまりないが細く「刀」【カタナ】と呼ぶ
片刃の剣だ。
そして、剣王「ロディ・ナ・アルス」の武器で、3番目の威力を誇る魔法刀だ。
「皇剣 フィル・ディウス」にかないはしないものの、この刀をもてた時点で、
火竜 ”ゼヴァルゥ”に認められた者と言うことになる。
「・・・ロディ様・・・感謝します・・・」
俺は一言呟くと、魔導師に向かって十字に斬る。
距離は・・・・・約50m程か・・・。
ゴガァッ
まるで、火竜の咆哮のような大音響。
そして次の一瞬で、先程まで魔導師がいた場所に無数の火球が炸裂する。
火球は地面に触れると同時に、火柱を立ち上らせる。
常人ならば、あっという間に丸焦げだっただろう。しかし、相手は魔導師。
「・・・ま、おいそれとは勝たしてくれないか・・・」
その場所には魔導師の姿は確認できない。辺りにも気配はない。
・・・逃げたのか・・・
俺は、一瞥くれるともう一度刀を振るう。
すると、辺りを襲っていた業火は音もなく収まった。
流石は火を司る火竜”ゼヴァルゥ ”の竜具。
俺は一つ、ほう、と溜め息を漏らし刀に魅入った。真紅玉の深火珠刀は未だ、
紅々と輝きを放っていた。俺は左手に感じるレムの心地好い重さを感じ、思い
出した様に少し微笑んだ。
レムの顔を覗く。
安らかな、顔。
「・・・終わったよ・・レム。」
もう二度と開くことのない瞳を見詰めながら、俺はそっとレムの後ろ髪を撫で
てやった。
第三章 心の扉の鍵言葉【キーワード】
Act.1
「これは、そのときレムが親の形見として持っていた物さ。」
ジュダイスはそう言うと漆黒のゴーグルを外した。深い茶色の瞳は優しさを湛
え少し、寂しげな色があった。優しさはレムの幻影をティーナに重ねて、寂し
げな心は今、話した事が事実であったということを認めてしまったことを表し
ていた。
「俺はエルっていうレムの父親らしき男の事をよく覚えていない。だから、エ
ルにレムの死を伝えるためには、むこうから接触してくるのを待つしかない。
そういうわけで、こいつを身に付けていたんだ。」
ジュダイスの手に顔を近付けるティーナ。
「これは・・・間違いない、”暗黒水晶【ブラックオニキス】”だよ。魔界か、
地獄でしか手に入らない。」
いやな胸騒ぎがする。
暗黒水晶は、魔を呼ぶ力や心を魔に化える力を持つといわれている。しかし、
ジュダイスには、その力を思わせる感覚が無い。精神力で押さえ込んでいるの
だろうか?
ならば時間の問題だ。魔の力はジュダイスの知らないうちに、確実に心を蝕ん
でいるのだから。
「危ないよ、それ。・・・・・それは人の心を魔に化えてしまう。」
ティーナは心配になった。
人を想う心が、人を魔に化えてしまうことは昔にもあった。
ある時は、戦から戻ってくる恋人を待ち続け、又ある時は、想いを寄せていた
人の裏切りに逆上して・・・・・。
人として生きる心は、あまりにも弱い。
人以外のものとなってでも遂げたいという想いが魔を生みだし、育ててゆく。
この優しい人を魔に化えるのは天使のティーナには、あまりにも不浄、汚らわ
しいことに思えてならないのだ。
「けれど、俺は探さなければならない。」
この、断固とした口調、そして言葉にティーナは極度の不浄さをおぼえた。
「ダメッ!」
再び、漆黒のゴーグルを身に付けようとしたジュダイスの手から、漆黒のゴー
グルをはたき落とそうとする。
しかし、ジュダイスのほうがティーナより一枚上手だ。その手をすっと躱す。
その結果、ティーナはバランスを失い、ジュダイスの腕の中に倒れ込む。
「きゃっ」
「おっと・・・」
自然にティーナはジュダイスに抱かれる格好になる。
えぇっ! 私ったらなにしてるのよぅ!
空振りと、抱かれることで恥ずかしくてうつむくティーナ。そして、戸惑いと、
温かな少女のぬくもりを肌で感じ、強く抱きしめるジュダイス。
Act.2
「何をしている・・・ティーナ・・・」
その二人の行動を打ち消したのは、突然響いたクリアな声だった。
ティーナは声のしたほうに振り返る。
そこにいたのは!
まぎれもなくティーナの主【あるじ】、ジャストだった。
「ジャ、ジャスト様ぁ! い、いつからそこに!?」
ティーナは狼狽えながら、急いでジュダイスの腕を離す。
「今し方だ。主人【マスター】と別れて男と立ち話とは、いい度胸だな、ティ
ーナ。」
「あ、あのっ、これは、偶然でぇっ! ・・えとっ、彼に・・・・・・・・・
そう、助けてもらって・・・・・で、その・・・」
慌てて弁解するがもう遅い・・・ジャストはティーナに手を振り上げる。
「きゃい〜っ! ごめんなさい。もうしませぇ〜ん!!」
頭を手で抱え込みながらティーナは床にへたりこんだ。しかし、そのティーナ
の頭には災厄は振りかからなかった。
かわりに額に、
ピンッ
という、乾いた音が辺りに響く。
「いたっ」
しかし、本能的に出た言葉で痛みはほとんど無い。
恐る恐る顔を上げる。
「・・・これからはひょこひょこ出歩くな。」
顔は依然、憮然とした表情だが少なからず安心した表情が漏れていることも事
実だ。
「ご、ごめんなさい。」
「ま、いいさ・・・で、彼は?」
ジュダイスに目を向けるジャスト。しかし、その瞳は友好的なものではない。
それはジュダイスにも言えており、二人の間には激しく火花が散っている。
しかし、声は普通のジャストだ。それが、ティーナに安心の心を生み、同時に
油断を生んだ。
気付かず、ティーナがそれぞれを紹介しようと無邪気に微笑む。
くるりとジュダイスに振り返り、一目あわせて身体をひねりジャストの方に手
をかざす。
「えっと、こちらにいらっしゃるのがジャスト様。私の主人【マスター】でい
らっしゃいます。・・・で、こちらが」
今度はジャストに振り返り、一目あわせて軽い会釈。そして身体をひねり、ジ
ュダイスの方に手を差し出す。
「ジュダイスさん。暗黒水晶の本来の持ち主を探していらしゃるそうなんです。」
ジュダイスは視線を逸らさずに軽く会釈する。
「それで、お前は今まで彼と歓談していたワケか?」
ぅ、ジャスト様・・・まだ怒っていらっしゃる?
「ぇ・・・っと・・・ぁの・・・」
小さな声で必死に言い訳を探しているティーナ。これ以上、ジャストの機嫌が
損ねられると、本気で叩かれてしまう。そんな困った顔を見兼ねてか、ジュダ
イスはジャストに切り返す。
「お言葉ですが、ジャストさん。従者の保護・管理は、主人の仕事ではないの
ですか。」
刺激しないようにかジュダイスは、いつもより丁寧な口調で言う。
だが、その言葉自体、いや、ジュダイスがティーナの為に口を開いたという事
自体がジャストの冷静さを欠けさせていく要因になることをジュダイスは気付
くべきだった。
三人の心はすれ違い・・・・・
Act.3
「ティーナから離れろっ!」
ジャストの声が辺りに響きわたる。その声に含まれている感情は怒り、悲しみ、
そして嫉妬。
仮にも「神」、正義神を目指す者にとってこの感情の制御不能さは大きなマイ
ナスポイントであるだろう。
「 !! ジャスト様! やめて下さい・・・きゃっ!」
素早く具現化魔術【マジッククラフト】の詠唱の体勢に入ったジャストに気付
き、ティーナが説得に入る。しかし、急に逆上するジャストの心をティーナは
理解できない。そして、理解するために脳が一時何も受け付けなくなる。その
結果、一瞬辺りの注意力が欠け、石につまずいて転んでしまう。
「あいたたた・・・・・!はっ!!」
痛がっている暇などない。
ティーナが顔を上げたときには、もう既にジャストのまわりから白く輝く光の
奔流が巻き起こっている。
これは!!
ダイアモンド ジャベリン!!
ティーナはとっさにそう見極め、青ざめた。
ジャストの具現化魔術の最高魔術 ”ダイアモンド ジャベリン”
光の奔流が無数の槍の形を形成し始める。
白く輝くそれは正にジャストを衛【まも】るかのように前衛に集結していく。
「我がジャストの名においてっ、固き力の源【みなもと】よ、今、乱れゆく白
き槍よ、前ゆく敵【かたき】を貫かん!」
”ダイアモンドォ ジャベリーン ”
「駄目ぇ〜っ!」
しかし、ティーナの悲鳴混じりの絶叫もジャストの呪文の詠唱にかき消される。
呪文の詠唱の終了と共に前衛に集結していた、ざっと見、50近くの白く輝く
光の槍が一斉にジュダイスに襲いかかる。
いや、それだけではない。
ジャストの頭上には更にその倍はあろうかという槍の群れが、逃げ場を殺すか
の様に辺り一面に降り注いでいく。
普通の人間ならば死は当然。しかし、ジュダイスは中途半端な英雄気取りの冒
険者とは違う。それ相応の力の持ち主だ。
全て躱したっ!?
己の具現化魔術最高の攻撃が躱されたことにジャストが驚愕する。
「くっ! 剣をとれっ! ジュダイスっ!!」
怒りに拳を震わせ左肩の巨大な剣に手を添えるジャスト。しかし、ジュダイス
は今まで見たこともない険しい表情で、その行動を一喝した。
「馬鹿野郎!! あんたは今したことを理解してんのかっ!!」
・・・なに?
辺りの川原は光の槍にいいように乱され、朦朦【もうもう】と砂塵が舞ってい
る。しかし、ジュダイスはその砂塵の中で一点を見つめていた。唇を強く噛み
締めながら。
その一点に何があったのか、ジャストはようやく悟った。
「・・・!! ティーナっ!!!」
先刻、転んで体勢を立て直していないティーナにも、当然であるが、逆上した
ジャストの見境のない攻撃目標となっているはずなのだ。あの頭上から降らせ
た”ダイアモンド ジャベリン”が。
普段のティーナならば躱せないこともない攻撃だろう。
しかし、体勢の立て直していない、そして、ジャストを止めようと必死だった
彼女に躱せたかどうか・・・。
砂塵が落ち着き、二人は息を飲んだ。
「助・・・け・・・・・て・・・」
苦しそうな・・・間違いのない・・・・ティーナの声。今にも消え入りそうで
そして・・・確かな意識を持つ青白い清楚で華奢な色。
「!!!!!!」
ジャストは、動けなかった。
主人が従者に手を上げた。それも年端もいかぬ女の子に、だ。
ジュダイスはジャストが動けないのを見ると、すぐにティーナに駆け寄り、傷
の手当てを始める。
惨状だった。
傷口はティーナの右肩。
光の槍が貫通したのだろう。肉が抉れ、鎖骨が断たれている。酷い出血。医学
には疎いジュダイスでもこれでは命も危険な状態だと直感する。
しかし、ジュダイスは皮肉にも手段も講じてやることができない。
「大丈夫かい? ティーナ。」
そう、優しく微笑みかけることしかできない。せめて、ティーナを不安がらせ
ない様に。愛する者の傷ついた姿を見ながらもジュダイスは必死に微笑んだ。
「・・・・・・・ジュダイス・・・さん・・・・・・・・・・なんだか・・・
私・・・・・・不思議な・・気分・・・・・・・・・・・・・・・・これが、
・・・・・・・・・・・天に召される前の・・・・・・・・・・・感覚・・・
なのかな?・・・・・・・・・・」
解っているのだ。ティーナは自分が死ぬということを。しかし、ジュダイスは
首を横に振る。決して、君を死なせはしないという意志が感じとれる。
力強く。
ティーナの左手をジュダイスはいつの間にか力強く握っていた。すると、ティ
ーナは少し微笑んでこう言った。
「・・・・・・・あ・・・・・先刻話してくれた・・・・・・・・レムちゃん
・・・と・・・・・・・・同じだね・・・・・・・・ふふ・・変なの・・・・
・・・・なんだか・・・・・・・・凄く・・・・安心・・・する・・・・・」
「・・・・大丈夫、君は死なない・・・・・・・いや、死なせるもんかっ!」
手にいっそう力がこもる。強く、温かく、抱きしめるように。
ジャストはその様子を伺いながら呆然と立ち尽くしていた。しかし、これで終
わっていいわけがない。拳を強く握り締め、声を振り絞る。
「聖戦処女が、そう簡単に死ねるかっ! ティーナっ!!!」
しかし、ティーナには振りかえる気力も残されていない。代わりに聞こえるの
は辛そうに呻く声。
ジャストは覚悟を決め、瞑想についた。
大気に遍【あまね】く精霊達よ。
光と命の精霊達よ、我が呼び掛けに応えよ。
心で精霊達に呼び掛けを始めたのだ。この時の集中力は並みのものではない。
完全体の神ならばともかく、人や見習の神の使う「精霊魔術【シャーマニック
マジック】」は精霊を使役【しえき】するのではなく、協力を促す程度のもの
なのである。何故ならば、精霊が生まれた時には彼ら彼女らは「精霊魔術」を
授かっているのだ。これは、人間以外の生物全てに当てはまる特徴、もしくは
特技と言っても過言でない、唯一無二の存在なのだ。しかし、自然とこの大陸
の統治を神から託された竜(龍)族の気まぐれから人間一人につき最低、一個
の魔法が使えるようにする、という理不尽な決まり事により精霊たちは「精霊
魔術」の使える人間に自分たちの力を分け与えなければならなくなった。故に、
「精霊魔術」を扱う者を極度に嫌う。いわゆる、「自分たちの生活があるのに、
何故見ず知らずの人間に力を貸さなければならない」という主張があるわけだ。
よって「精霊魔術」を扱う者に姿を現すことはないといっても過言でないほど
珍しい存在となっている。
ましてや、この魔術は最低でも、光の精霊と命の精霊の二つの力が存在しない
と完成しない。それほどの確率の少ないことに懸けたジャスト。
それ程、ティーナの状態は危険なのだろう。
呼びかけ続けるジャスト。
時間が惜しい。早く、来てくれっ!
真に祈る。
その祈りが届いたのか、それともただの気まぐれか。しかし、ジャストの右手
には黄金色の精霊が、左手には桃色の精霊が、それぞれ、一人ずつ舞い下りた。
「随分、深刻そうな顔ですね。」
黄金色の精霊が話しかける。ジャストは声のかかった方を見る。
「ぅ!?!?☆ぇ!?!?☆・・!!! だぁあっ!!」
奇怪な声を上げながら、ジャストは精霊から目を逸らした。
黄金色【こがねいろ】に輝く光の玉の中にいたのは、紛れもない光の精霊であ
る。しかし、ジャストはその精霊を直視することができず、真っ赤になって俯
いている。
なぜならば、光の精霊は一糸纏わぬ裸であったのだ。しかも光の精霊は人間見、
妙齢の女性だったので、いくら精霊の女性とは言え、女性恐怖症のジャストに
とっては鳥肌が立つほどの恐怖なのである。
ちなみに精霊が裸なのは一度呼んでみれば解ることである。精霊たちは服を着
るという習慣がないためである。これは身体を束縛することが嫌いというのが
正しい。そんな魔術に頼らざるを得ない状況。ティーナの状態はかなり深刻と
想像できる。
左の手の平に腰を下ろしていた命の精霊は人間見、13,4の女の子でその、
ジャストの赤面の意味に気付き、自分もまたほのかに赤面していた。たぶん、
人前にでたのはこれが初めてなのだろう。幸いにも、恥ずかしそうに左の手の
平から空中に舞ったものの、ジャストの死角へと滑り込んだだけで付近に留ま
ってくれた。
そんなジャストを妙齢の光の精霊はくすりと笑い、話しかける。
「我らの使い手よ、貴方には我らを呼び出した理由があるのでしょう? 我ら
に何を望むのですか? そう堅くなさらずに、使い手よ。」
光の精霊の声がジャストの頭の中で木霊【こだま】する。しかし、その声を聴
く度にジャストは先程の妙齢の光の精霊の美しい裸体を思い出してしまう。
「ぅぅ・・?!!?%ぁぅぅ$!??!うぁ・・」
「会話になりませんねぇ。」
手の平の影に隠れていた命の精霊が顔を出し、光の精霊に問う。
「困りましたね。場合が場合みたいですし、戻るわけにもいかないでしょう。」
光の精霊はそう言うと同時に、もう一人の男に抱かれ息も絶え絶えな少女を見
やる。続けて、
「仕方ありませんね。少し、荒療法でいきましょう。」
光の精霊はそう告げると、彼女は何か呪文を唱え出した。小声なので聞き取れ
ないが「精霊魔術」であろうことは理解できる。呪文が終わると彼女の身体は
より一層輝きをまし、光の強さに彼女の裸体は見えなくなった。そして目線を
逸らしたジャストの目の前に飛び込んでいく。
「! うわっ!」
光の強さにジャストは顔を覆った。しかし、輝きは目の中に吸い込まれていく。
顔を覆った腕を下げてもあたりは闇。
「!! なんだ!」
何も見えない!
「安心して、すぐに回復しますから。」
命の精霊の声が響く。そして、ジャストに会話をする間を与えず、質問する。
「使い手さん、私たちに何を求めるのでしょうか? 答えてください。」
その質問を聞いてジャストはようやく自分のためにやっていることに気付く。
手早く質問に答え、続けて二人の精霊に了解を得る。そして、心に呪文を刻み
こむ。
光は希望【きぼう】を・・・
命は生命【ちから】を・・・
心を温め、命の息吹を与えんことを・・・・・・・・
傷つき、痛んだ身体へいたわりを・・・・・・・・・
生存する【いきる】力を与えなさん!
”リカバリー ”
温かい光の波がティーナに吸い込まれ、消える。
その光景を眺めながらジャストは精霊たちに心から礼を告げた。
「お疲れさま、そして、有難う。」
二人の精霊は顔を見合わせ、少しジャストに微笑んで消えた。そして、視覚が
回復する。つられるようにジャストも振り返り歩き始める。
なぜならば、これ以上ティーナの側にいるのは苦痛でしかなかった。だからだ。
後ろから声が響く。
「逃げるのか?」
と。
その問いにジャストは何と答えたのだろう。
しかし、もうジャストは振り返らなかった。
心をティーナの傍らに置き去りにして、彼は何を求めるのか。
虚無【きょむ】の心で。
第四章 喪失
Act.1
どれくらいの刻が流れたのだろう。
傷ついた羽根と、右肩をいたわるように優しく包み込む。
男、ジュダイスは聖戦処女ティーナの傷ついた右肩と純白の羽根を触れずとも
暖かく包み込んでいた。
触れれば壊れてしまいそうな華奢【きゃしゃ】なティーナの身体、可愛い顔、
そして羽根。触れることにさえ罪悪感を覚える。
それが神の従者だからか、それとも己の腕が汚れているからかは判らない。
しかし、その傷ついた羽根を眺めるほど華奢な可愛い女の子を助けたいという
保護欲が湧き起こることもまた、確か。
ジュダイスの手が動く。
宙を彷徨【さまよ】っていた手はティーナの髪の上におちた。
銀髪をなでる。
さらりとした細い髪を結いていた後ろの淡い黄色のリボンをほどく。
ポニーテールとして形とっていた髪はハラリ、と、後ろに流れた。
涼風が吹き、髪が流れる。静かな音を立て、純白の羽根もさらさらと流れる。
その無防備過ぎる姿に愛しさを覚えるジュダイス。しかし反面、理性を保とう
と首を振る。しかし、感情の高まりを抑えることができなくなるのに、それ程
時間はかからなかった。それはジュダイスがまだティーナにレムの面影を重ね
てしまっていることを物語っている。
ジュダイスはティーナに身体を重ねていく。そのときふと、ジュダイスの左手
がティーナの傷ついた羽根に触れた。
「いたっ・・」
痛みがティーナに瞳を開かせる。
「レム・・・」
えっ?!
ティーナが目を開くのとほぼ同時だった。
視界を占拠した影、ジュダイスの唇とティーナの唇が触れ合う。
互いの滑らかな隆起をひとつひとつ確認するかのような、つかず離れずの接吻。
しかし、ティーナはまた嫌がるだろう。
ジュダイスは己の強引さを恥じて、本格的な接吻の前で自分の心を押し留めた。
「ティーナ・・・?」
唇を離し、ティーナの様子を伺うジュダイス。
しかし、様子がおかしい。このような強引な接吻などティーナにとっては充分
に嫌悪の対象となるだろう。平手打ちを貰っても文句は言えないほどに。
しかし、ティーナはジュダイスを見つめながら沈黙したままだ。その表情に怒
りや悲しみはない。しかし、ティーナはそれよりも複雑な表情を携えていた。
そう、例えるならば。
不安や苦悩といった表情。
そして、彼女は半開きになっていた唇から小さく声を漏らした。
Act.2
「あなたは・・誰? それから・・・私を知っているの?」
決して、嘘で出来る仕草ではないことは理解できた。しかし、それを差し引い
たとしても、ティーナの質問はジュダイスの想像の範囲を超えていた。
「な・・にを?」
「解らないの・・・あなたは誰なのか。ここは何処なのか、何をしていたのか、
そして・・・私は誰なのか。・・・あなたは、私を知っているんでしょう?」
覆い被さっているジュダイスにそっと告げる。
記憶は失っている。しかし、この体勢で無関係といわれても説得力の欠片もな
い。
「待てよ! 君の名前はティーナ。クリスティーナ・メルモ・ナッツノーレだ
ろう? そう、自分で名乗ったじゃないか。」
ジュダイスには悪い冗談にしか思えなかった。泣きそうだった自分をからかう
つもりならそれもまた良い。しかし、それ以上の悪質な悪戯には流石に閉口す
る。
ジュダイスは瞳を真摯に見つめた。
彼女には吹きだして欲しかった。ゴメンナサイと笑いながらで構わないから謝
って欲しかった。己の顔が泣きそうだったことを笑って欲しかった。
しかし、ティーナは、
「・・そう、なんだ。ティーナっていうんだ、私。」
と、呟くだけだった。
「ど・・うして・・・?」
動くこともままならず、ティーナに覆い被さったまま呆然と呟くジュダイス。
そんなジュダイスの背中にティーナはそっと腕を回した。
「ティ・・ナ?」
驚きながら紡いだ言葉は切れ切れに渇いていた。それはティーナも同じのよう
でよく見れば身体を小刻みに震わせている。
「怖いケド・・・あなたは私を知ってるんだよね? それなら、あなたは怖く
ない・・・記憶がないことのほうがよっぽど怖い。だから・・・だから・・・」
ティーナの腕がジュダイスの背中を一層強く抱いた。これほど彼女が勇気を振
り絞ってジュダイスを求めてくれている。ここで応えないわけにはいかない。
「解った・・・・・できる限り、優しくする。」
首を縦にふるティーナ。
「うん・・・いいよ・・・・・優しく・・してね。」
か細い腕【かいな】がジュダイスの背中にまわされる。
徐々に二人の身体が熱くなっていく。
それは男と女の愛という名で語られる式典【セレモニー】の前準備。
心と身体を触覚に同調【シンクロ】させて、愛を感じ合う。
純白の羽根が鼓動の様に、同期【どうき】でピクン、ピクン・・・と揺れる。
・・・・感じてきているのか?
可愛い・・な・・・・・抱きしめているだけなのに。
後ろ髪をなでていた手をゆっくりと下に降ろしていく。
後ろ首を人差し指で撫でる・・・いや、撫でるというより触れるといった方が
近い。
「きゃんっ」
くすぐったいような、甘いような、気持ちのいいような、切ないような・・・
そんな入り交じった感覚が脳裏を通り過ぎていく。
「くすぐったい?」
「・・・もぅッ、意地悪ッ。」
舌をだして答える。その姿は一種の小悪魔【インプ】のような可愛さがある。
そう、まるで魅了【チャーム】をかけられたように。盲目的な魅了。抗うこと
の出来ない枯渇。
二人の鼓動が早まる。
そして、そろそろ頃合いかと計ったジュダイスの左手の次の目標【ターゲット】
は、必然的にまだ膨らみきっていない青い果実のような双丘である。
ジュダイスは背中にまわされたティーナの腕を左手でそっと撫でる。すると、
抱擁していた力は弱まり、ジュダイスとティーナの間に空間ができる。そして、
左手を双丘に近付けるジュダイス。しかし、急にティーナが身を強ばらせるの
をジュダイスは気付き、一度手を引く。
「やっぱり、まだ怖いのか?」
もう一度、優しく抱き寄せて尋ねる。
「・・・う、ううん・・・・そんなんじゃ、・・ないの・・・・ただ・・・・
ただね・・・」
心做【こころな】しかティーナが震えているような気がする。緊張しているの
だろうか。しかし、ジュダイスは落ち着いてティーナの次の言葉をゆっくりと
待った。ティーナの不安な心を察しているからこそ、優しく接しなければなか
った。
そして、しばしの沈黙。
川の流れる音と、朝日の光を浴びて緑瑞々【みどりみずみず】しく輝く葉の風
にたなびく音が風と共に流れてゆく。
「・・・・・ただ・・・私・・胸・・・小さい・・みたいだから・・・・・」
しばらくしてティーナが風に消え入りそうな声で紡いだ言葉はジュダイスにと
ってどうでもいいことだった。真っ赤になってうつむいたティーナに微笑む。
「そんなこと気にするな。おれは今のティーナが好きなんだ・・・・それに、
今のままでも充分に可愛いよ。」
「・・・・・うん・・ありがと☆」
うつむいていたティーナの顎を上げてやると、また少し、頬を赤らめて笑った。
「触るよ。」
コクン、と頷くティーナ。頷いたのを確認したジュダイスは右手をティーナの
双丘に移動させる。双丘は仰向けになっているのにもかかわらず、小さめなが
らも立派に谷間を誇示できるほど象【かたど】られていた。
「あ・・ン」
触れただけなのに小さな声が漏れる。そして、ティーナは己の喘ぎ声を恥じる
ように両手で口元を抑える。
「可愛い声だよ。」
率直な意見だった。
恥じらった表情といい、声といい、まるで本当に魅了【チャーム】されたよう
で。
ジュダイスの中で熱いものが上から下へと流れていく。
しかし、今まさに始まろうとしていた行為は、後ろから聞こえた声で中断せざ
るを得なくなる。
「あたりまえじゃない、ジャストくん。」
!!?
ジュダイスは咄嗟に、うつ伏せの状態から身体を左へ反転し、右足の踵を中心
に右肘と腕を使って素早く体勢を立て直す。口調からして解っていたが、そこ
には19か20歳ごろの女性が立っていた。
気配を消して、おれの後ろに回り込んだのか?
ジュダイスは冷や汗を感じた。女性に殺気こそ感じないが、後ろに回り込まれ
たのは確かな真実。もし、敵であったならば確実に殺されていたはずだ。
付け加えるならば、それがほぼ同年代の女であったのだから冷や汗は一層感じ
られたのかもしれない。
自分よりも遥か「上」の存在に。
呆然と眺めていた女性をようやく認識するジュダイス。
黒髪をボブカットにして、ぶかぶかのTシャツの様なものを身に纏っている。
目は切れ長で、ちょっとつり上がったところが猫を連想させる。一言でまとめ
るのであれば「悪戯っぽい」といった風体【ふうてい】の持ち主だった。
「あら? ジャストくんじゃないわね・・・あなた。」
黒髪の女性は驚きを隠せない様子で、そのままジュダイスに釘付けとなる。
しかし、ジャストの名が上がったことに不快感を覚え、黒髪の女性に食って掛
かるジュダイス。それは、ジャストという名でティーナの記憶が戻るのを恐れ
た結果かもしれない。
「おれをあんなやつと間違えるな! おれの名前はジュダイス。あんたこそ何
者だ?・・・・単なる見物人でもないだろう。」
よく見れば、おれとジャストを見間違えるはずがない。しかし、この女は
間違えた。あたかもジャストとティーナがこうなると分かっていたかのよ
うに。単なる見物人のはずがない! もし、それでも見物人と言い張るの
なら・・・実力で、吐かしてやる!!
全身に力を呼び起こさせる。戦闘準備、と。
黒髪の女性はそれに気付いたか、気付かなかったかは解らないが、素直にジュ
ダイスの質問に答える。
「・・・・まぁ・・ネ・・・・・意外な展開になっちゃったなぁ。私の名前は
フィア。ジャストくんと同じ神の試練をうけている、まあ言ってみれば、神の
同期仲間ね。」
髪をかきあげて、心を見破ったような余裕の笑みを浮かべる。その表情は正に
「悪戯っ子」というのに相応しい。
しかし、ジュダイスに衝撃を与えたのはそんなものではなかった。聞いてはい
けない真実を知ってしまった後悔が、延々と頭の中で木霊する。しかし、初対
面の女性にそんなことをいわれても信じることはできない。否、信じたくない、
真実。
「・・・そんな・・・嘘だろ?・・・・・神・・だって!?・・あいつが?!
あのジャストとかいう奴がか!?!?!?」
真実を告げた当人に詰め寄り答えを変えようと。
安息の想像へと歴史を塗りかえる為に、声を荒げてフィアに問う。
そんなジュダイスに少し考えるふりをして、あっけらかんと答えるフィア。
「う〜ん、ちょっと違うわね。私たちはまだ「神」じゃないの。今、受けてい
る”神の試練”に合格することによって、ようやく一人前の「神」として認め
られるようになるの。ま、ようは見習いね。Understand?」
ジュダイスは奈落の底に落とされた気分だった。例え見習いとはいえ「神」に
刃を向けたことに、これ以上ない大きなショックを受けていた。
「まぁ、いいわ。せっかくこっちに来たんだから、ジャストくん探しのついで
に貴方についていってあげるわ。どうせあてもないしね。」
と、その言葉に今まで成り行きを黙って見ていたティーナが食って掛かる。
「・・! ちょ、ちょっと待ってください! フィアさん、あなたは私たちに
とってどういう関係の持ち主なのですか? それにジャストって、私は一体?
それに・・・!! と、とにかく、私にも解るように説明してください!!」
普段のティーナらしからぬ言動に怪訝そうに見やるフィア。しかし、その瞳は
真剣そのもの。一息ついて呆れたように口を開く。
「いいわ。そのかわり後で聞かなかったほうがよかったといっても、私は知ら
ないわよ。」
コクンと頷くティーナ。記憶を失ったとしても性格自体はそれ程変化はないよ
うだである。その瞳の奥にはしっかりとした決心の光明が見える。フィアは、
「わかったわ。」と小声で呟くと重い口を開いた。その唇から紡がれた話の内
容は確かに意外な真実だった。
「数か月前ティーナ、あなたを召喚したのは、この私なのよ。」
!!?
意外な真実に驚きを隠せないティーナ。その言葉が本当ならば今までフィア、
即ち主人に対して放った言動にかなりの暴言が含まれていたことを思い直さね
ばならない。あくまでもこの世界では、従者は主人に忠実でなければならない。
主人が神であるならば(この場合は神の見習いであるが・・・)存在ごと消さ
れてしまう事にもなりかねない。冷や汗がティーナの背中をくすぐる。しかし、
フィアは「気にしないで。」と一言ティーナに言い、話を続けた。あくまでも
これは自分の意志でやっていることなんだ、と言わんばかりの口調で。
「ジャストくんの女性恐怖症、あれは私が彼を苛めちゃって養った、いわば病
気なのよ。」
フィアの話を聞いていたのは何もティーナだけではない。意気消沈のジュダイ
スもようやく現実世界に復帰して、
「へぇ、意外だな。ティーナとは別にそんな風には見えなかったけど。」
そう問う。確かにジャストとティーナの間にはそうぎくしゃくした感じはなか
ったはずだ。ゆっくりとジュダイスの頭の中にしばらく前の出来事が脳の画面
に映し出される。額を軽く弾かれた所やジャストのティーナに対する台詞等を
頭の中の画面がテンポよく映り変わっていく。
「そのとおり。なぜだか解るかしら?」
大人びた視線をジュダイスに向ける。そんな視線は「悪戯っ子」と言うよりは
「まわりを見下している者」といったほうが適当かもしれない。
ジュダイスは質問に見当すらつかない。ティーナに至っては問題外だ。なにせ、
今、彼女の記憶は失われているのだから。
沈黙が続き、フィアの話が再開される。
「それは、ティーナ。あなたがジャスト君の従者【ビースト】だからよ。主人
【マスター】としての責任として嫌でもあなたを養っていかねばならないジャ
スト君。そこで、私は彼の女性恐怖症が緩和されるのを待ったの。いくら何で
もこればっかりは慣れの問題だから、ね。もう解っているかと思うけど、私は
ジャスト君のことが好きなのよ。だから、ティーナ。あなたが交わる準備がで
きたなら、私を強制召喚する魔術をかけておいたの。そうすれば、寸前であな
たからジャスト君を奪うことが可能だからね。」
「・・・・どう・・・いう・・・・こと・・?」
言葉は風の中に消え失せる。
尋ねるのが・・・怖い・・・・・・
何故? あれほど望んだ真実が・・・とても、とても・・怖いの。
ジャスト・・・どこか、懐かしい響きのある言葉。意味は解らない。
・・・何も、全て。
記憶を呼び覚まそうと、想いを巡らせるティーナ。しかし、一度失った記憶は
そう簡単には戻ってきてくれない。運命は残酷で皮肉なのだから。
しかし、フィアの唇からはなおも言葉が紡がれていく。
「私は、ジャスト君が召喚魔術の練習をしているところで、事故と託【かこつ】
けて、あらかじめ召喚しておいたティーナをジャスト君に送り込んだの。わざ
わざ、ティーナがジャスト君に恋する魔術まで掛けて、しかも行為に慣れるよ
うに女悪魔【サタニア】の力も併合させた。」
ここでフィアは話を切り上げてティーナに振り返る。表情からではフィアの想
いは解らない。怒っているような、悲しんでいるような、楽しんでいるような、
不思議な表情だ。
「答えなさい・・・・・何故、こんな男といるのです?」
決して大きな声ではなかったが、ティーナやジュダイスにとってはずしりと響
く重い声に聞こえた。しかし、ティーナは
「・・・・わかりません。」
そう答えるしかなかった。記憶の片隅にジャストという存在があれば言い訳も
できそうなものだが、今のティーナにはこれが精一杯の答えだった。しかし、
その答えをフィアがどう解釈するのであろう。
フィアはその答えにジャストを庇った、と思うだろう。
ヒュッ
短く風をきる音がジュダイスの横を通り抜けたと思った瞬間!
「・・たっ・・・」
パァンと小気味よい音と共にドサッという転倒の音。ジュダイスの前にいた筈
のティーナがなぜか後ろで転倒している。前に見えるのは平手打ちの後の格好
で佇むフィアのみだ。不思議な表情で佇むフィアはもう一度、同じ質問を繰り
返す。しかし、返答も変わることはない。立ち上がろうとしたティーナが突然
呻く。ジュダイスが呻き声に反応して振り返ったときには既に訳がわからない
状態だった。
!!!!!!
息をのむジュダイス。そこに展開された異様な光景とは!
Act.3
正に、異様としか言い様がなかった。
ティーナが、浮いているのだ。
翔んでいるのではない。
翼など微かにも動かない。動いていない。
しかし、浮いているのだ。
まわりには風・・いや、かまいたちを思わせるような白い軌線が幾重も走り、
それが走る度にティーナの短い悲鳴と、肌には赤い痕が刻まれていく。
これは・・・・もしや!
間違いないだろう。フィアがやっているのだ、なぜかは解らないが、そうとし
か考えられない。現に、辺りを見回してもフィアの姿は見えない。
「・・や、やめろ〜っ!!」
それしかできなかった。ジュダイスにはティーナに突進することしか考えられ
なかった。白の軌線に触れる瞬間にビシッと何かで叩かれた痛みがあったが、
そんなことに構っていられない。そのまま腕で辺りを振り払いつつ、ティーナ
を抱いて走り抜ける。
しかし、すぐに前に立ちふさがる者がいる。
フィアだ。
不思議な表情は相変わらずだったが、その瞳は視るだけで凍り付きそうだった。
それは、怒りとか、憎しみとか、感情のないものであったが、背中の汗だけは
充分に流してくれそうだ。背筋に冷たく流れる一滴、二滴。そして・・・・・
今まだ神の見習いとは言え、それぞれに神の敬称がつけられている。彼女は、
別名を、恐怖神フィアと呼ばれている。
彼女は潜在する魔法力においても、精通した魔導学においても一目置かれる存
在であるが、それだけではない。重要なことはその後、キレた時に現れる二重
神格者のもう一人の自分が「恐怖」なのだ。
暗黒神アスモデ。それが彼女の父親の名。それが「恐怖」の本質【もと】なの
だと、口をそろえて皆は言う。
一瞬にして希望の朝は静寂の夜へと姿を変える。闇夜に煌【きらめ】く閃光は、
いつの間にか現れた雷雲から発せられる輝かしい光。音。そして、一筋の雷。
それは、天よりの裁きの光。人ならば触れただけで即死の雷光。しかし、直撃
したのはフィア自身。だが、死などありえない。彼女は神、否、神をも恐れぬ
暗黒魔導神【ダーク・マダイオンユーザー】。そして、彼女は嗤【わら】った。
そう、確かに雷の中、閃光が幾重に刃のように炸裂する中で、あざけわらうか
のように嗤ったのだった。
背筋にどっと汗が滴となって現れる。言い様のない「恐ろしさ」によるものだ
と納得できる。
「・・・・・」
無言のフィアがより一層、ジュダイスの背筋を凍らせていく。そして。
!! 動いた!?
フィアの指先が動いた、気がした。咄嗟に後ろに跳ぶ。反射神経というよりは
勘に近かっただろう。しかし、それでもフィアにとっては遅く感じられただろ
う。
「な! 後ろっ!!」
気付いたときには、既に遅い。彼女の回りに凄まじいほどの熱波【ねっぱ】の
奔流【ほんりゅう】が巻き起こっている。
体勢を立て直して躱す時間などない。咄嗟の判断でそう考えたジュダイスは、
迷いもせずに剣に手をかけ、身体を回転しつつフィアに向けて薙ぎ払った。
呪文の詠唱が終わるまでに倒すつもりだ。しかし、それもまた遅かった。
「カバラ」
一言だった。
その一言で辺りの気温は灼熱へと変貌した。
「ぐ、ぅ・・・がぁあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」
身体全体が焼け付いていくようだ。皮膚が溶け、身体が絞られ、臓器が飛び出
し、手足がもぎ取られるような感覚が襲い、そして、ふっと感覚が無くなった
かと思うと、辺り一面広がった赤色の空間は闇色へと静かに変わっていった。
漆黒の闇。
夜よりも昏【くら】きもの。
安らぎのある無限に広がる空間。
それが闇。
辺り一面の漆黒の闇。
Act.4
静かな安息の空間に一人、ジュダイスは佇んでいた。
「・・・・ここは?」
返答はなかった。言葉はあっという間に闇に溶け込み、しばらくの静かな空間
に舞い戻る。辺りを見回しても、一寸先は闇だ。真っ黒な空間が広がっている
だけだ。気配を探ろうと気を巡らしてもなんら反応は返ってこない。
「ふぅ。」
一つ大きな溜め息と共にジュダイスは自分の身体が動かないことを知る。
ただ、真っ黒な空間にあてもなく漂うだけ。
悲しみとも諦めとも見てとれる表情。解ってしまったのだろう、ここが現世と
黄泉【よみ】の境ということに。
死んじまったのか、おれ。
無様だな。なにしてんだかな・・・おれ。
神様を怒らせて、女一人も守れやしないで。
地獄じゃ、きっとレムには逢えないな・・・・・
ゆっくりと意識が真っ白になってゆく。
「気持ちいい・・・・柔らかくて・・・どこか暖かい・・・・昏いのに・・・
どこか優しい。」
ジュダイスがゆっくりと目を閉じようとしたとき、何かが頬を撫でたような気
がした。
なんだ?
気を研ぎ澄ます。
声が聞こえる。
そう、確かな声が聞こえてとれる。
「・・・・・・ぇ・・・・・・ょぃ・・・・・・ょ・・・・・・・・」
これは・・・・・
子守歌・・・か?
それっきりジュダイスの意識は闇に吸い込まれていった。
Act.5
どれくらいの刻が流れたのだろう。ゆっくりと目を開くジュダイス。
一番にとびこんできたのは、
ぶかぶかのTシャツのようなものを身にまとった、黒髪のボブカットの、
「フィア・・・さん・・・」
の顔だった。つい身体が強ばる。先程の光景が脳裏に映し出され、離れようと
身体に力を入れる。しかし、身体はいうことをきかず一向に動く気配はない。
「静かに寝てなさい。無理に身体を動かせば、いくら私でも責任は取れないわ
よ。」
ジュダイスが身体を動かそうとしているのに気付き、一言忠告するフィア。
「・・・・な」
「けど、あなたもタフねぇ。私の禁呪【カバラ】をうけて生きてるなんてね。
ほんと、よく生きていたわね。感心、感心。」
「・・・・お」
「だから、動かないようにっていったでしょ。人の厚意には素直に甘えるもの
よ。それとも私の膝枕なんて・・・・・信用できないかしら?」
酷く悲しそうなやるせなさを含んだ声だった。そして、ジュダイスはようやく
理解した。彼女は、自分の二重神格をとても嫌いなんだと。
今の彼女の顔、瞳。
哀しそうな、苦しそうな、そんな表情。
俺にしたことを後悔してる。
彼女は苦しんでいる。
と。
もう、先程ジュダイス自身を殺しかけた人物とは思えない。そう、彼の瞳の奥
にいるのは、大きな悩みを抱えたひとりの女性だった。
助けてあげたい。
そう思う。そう、ジュダイスには「女」という面識が少な過ぎたのかもしれな
い。だから、無意識下で「女」というものは「守らねばならぬ者」というよう
に=【イコール】で結んでしまうのかも知れない。
「いや、柔らかくて・・・気持ちいいよ・・・・・石の上で寝るよりよっぽど
いいさ。」
苦笑いと共に彼女を見詰める。つられて、フィアの顔も綻【ほころ】ぶ。
「・・・・ティーナを助けてくれて、ありがとう・・・私、わたし・・・・・
本当に・・・」
言葉がつまる。仕方ないだろう。自分の不甲斐なさにより人を殺しそうになっ
たのだから。
「別に、あなたが謝る必要は無いですって。おれが勝手に巻き込まれただけで
すから。気にするな、なんては言えないけど、今回の場合は気に病む必要はな
いですよ。だけど、ティーナも無事で良かった。」
ティーナと言われるまでジュダイスは、存在をすっかり忘れてしまっていた。
一息つくと、随分心に余裕ができてきた。
「逢えるかな、ティーナに。」
身体は軋んだが、先刻より随分楽になっている。フィアの回復魔法のおかげだ
ろう。
「無理はダメ!」
急に顔を強ばらせ、フィアは強く言い放った。
「! ご、ごめんなさい。怒鳴ったりして・・・・でも、今は私で我慢して。
・・・ティーナの膝枕のほうが嬉しいのはわかってる。けど、今は・・今だけ
は・・・・・私の側にいて・・・」
フィアの頬はほんのりと赤く染まっていたような気がした。
その事についてはジュダイスは何も言わないことにした。彼女も何かしら頼る
ものが欲しい場合もあるのだろう。
そして、静寂が訪れる。
風が流れ、葉のざわめきが一層大きく感じられた。緑と日差しの中で日だまり
を楽しむ男と女。いつまでも終わることの無い平和な日常、そんなひとときの
絵のように思える。
「・・・ところで。」
思い出したようにジュダイスはフィアを見詰めた。
「?」
首をかしげるフィア。
「膝枕は、初めてじゃないのか?」
「・・・ばか。」
真剣な表情のジュダイスから、何とも場違いな質問がきたので、フィアはその
質問を一蹴した。
よくよく考えれば、子供の頃にジャストの世話を焼いたんだってなら、膝枕の
一つや二つ、やってあげたことなど用意に想像のつきそうなものだが。
しかし、そんな質問でもフィアの心の安らぎにはなったのだろう。ようやく表
情に「笑い」といった感情が現れてきたのだ。
その明るい笑顔を眺めれば眺めるほど、先程の「恐怖神フィア」とは信じ難い。
その笑みは優しさを含んだ笑みだったからだ。
「?どうしたの? 私なんかじっと見たりして。」
「えっ、いや、・・・・・なんでも・・ない。」
ジュダイス自身、今のフィアへの特別な視線は全く気付かなかった。
まったく、どうしたんだ? おれは?
ふう、と今日数回目の溜め息をつく。そして、視線をフィアに戻す。
「!」
フィアの真剣な表情が一番に目に入ってきた。
ただごとじゃない?!
真剣な表情は嘘はつかない。フィアの表情は真剣さと・・・なにか・・・解ら
ない、別の感情が見て取れた。
そのとき一瞬、フィアのこめかみ付近で何か光った。
・・・・・あれは・・・汗?
フィアが・・・・・冷や汗を流してる?!
「・・・出てきなさい、いるのはわかってます!」
視線の先は前方の大木に向けられていた。ジュダイスも慌てて気を探る。
確かに、何かいる!
辛いながら、身体を起こそうと思ったのだが、既に痛みはすっかりと消え失せ
ていた。楽に身体を起こす。
「出てこないというのなら、こちらから仕掛けるわよ!」
フィアが両手を前に突き出して呪文の詠唱にはいる。それと同時に大木に隠れ
ていた者が姿を現す。
「フ、相も変わらずに好戦的ね。フィア。」
!!
「・・・シヴァ。」
フィアの唇からその者の名と思われる単語が紡がれる。
フィアと知り合いなのか?
シヴァと呼ばれた女は随分、冷たい瞳を持ち合わせていた。深い蒼色の瞳に長
い黄金色【こがねいろ】の髪。薄い紫色のマントを羽織り、胸には白い光を放
つプレートが装備されていた。騎士とも美しい吟遊詩人とも例えられた。
しかし、気品もあり知識もありそうな才色兼備の様な女性だが、その凍てつい
た瞳だけで近寄り難い雰囲気がある。
「誰だい? 彼女は。」
フィアに小声で尋ねる。その言葉を聞くと彼女は顔を赤く染めて答えた。
彼女ではなく、彼だ、と。
「!」
驚いた。腰まで届く長い髪に、整った顔立ち。女性の声ように、鈴の音を例え
た奇麗な声。男だとはとうてい思えない。
「そこの男。まだまだ、神を見る眼が無いみたいね。」
口調も女そのもの。これが本当に男だというのか。
呆然と佇むジュダイスからフィアに目線を戻し、言葉をつなぐ。
「・・・それも、男っぽいフィアが近くに居たなら、なおさら悪くもなるわよ
ねぇ。」
口に手を当てクスクスと笑い、フィアを挑発する。そんな仕草さえ、どう見て
も女であった。
だから、フィアも挑発にのってしまったのかもしれない。己が、シヴァより美
しくも、可愛くもないと解っていたからこそ。
「言わせておけば!」
フィアの回りに一瞬、炎が渦巻いたと思うと同時に地を這う1m程の炎の蜥蜴
がシヴァに向かって疾走する。しかし、シヴァは難なく右腰に下げた剣壊刀で
炎のトカゲを両断した。
「魔法陣で攻撃するなんて、私への当て付けかしら。」
ゆっくりと剣壊刀【ソードブレイカー】を鞘に納め、冷たく微笑むシヴァ。
今の魔術の名は魔法陣【ルグローム】。円【まどか】に、追撃に、火に、獣。
陣の中外【ちゅうがい】問わずに描かれた様々な記号や紋章【エムブレム】が
火トカゲを創り出したのだ。
ここで、簡単な魔法陣の解説をしよう。陣の基本となるものは、どういった魔
法を使うのかという系列を示すものである。その系列には7種ある。
1に召喚系【しょうかんけい】の重円【じゅうえん】。これは二十【にじゅう】
の「まる」で表し、悪魔や天使等を召喚する時に使う。但し、あくまでも「創
り出す」といった概念に近いため、実物より能力は劣るうえにこの世に長くは
存在できない。
2に攻撃系【こうげきけい】の円【まどか】。これはその名の通り「まる」、
ひとつを描き、自分意外に危害を加える魔術であることを示す。
3に破邪系【はじゃけい】の勾珠【まがたま】。「まる」の中に交流波形を描
いたもので表し、亡者を無に還【かえ】したり、呪いを解いたりすることがで
きる陣である。
4に防御系【ぼうぎょけい】の五芒星【ごぼうせい】。五角の星の事で、自分
の身を守るための陣である。
5に結界系【けっかいけい】の六芒星【ろくぼうせい】。六角の星の事で、陣
内を守るための陣である。
6に行動系【こうどうけい】の橋【ブリッジ】。これはあやとりの「はしご」
の様なもので示し、行動に関する抑制や、開放を操作する魔術であることを表
す。
最後に7で、精神系【せいしんけい】の峠【とうげ】ですが、上三角と下三角
を一線上に並べて描いたもので、これは精神をコントロールし感情を消すこと
ができる魔術である。しかし、下手に使えば術者が精神崩壊【マインドクラッ
プス】を起こしてしまう可能性があり、現在使用は禁止されている。
そして、陣の中外問わず描かれるもの、それが、「水」の紋章や「獣」の記号、
「乱射」の記号といった「効果記号」となり、魔法陣は発動するのである。
さて、話は戻ってジュダイス達は。
「当て付けだったら・・どう?」
シヴァを睨みつけながら冷たく言い放つフィア。
「本場の魔法陣を見せてやろう!」
その答えを待っていたかのように、シヴァは大きく後退【バックステップ】す
る。
辺りにはいつの間にか冷たい風が吹き始めていた。神の見習い同士の戦闘の前
触れは、その一陣の冷たい風が吹き抜けたと共に訪れていた。
Act.6
「そういえば、あなた未だあの「バカ【ジャスト】」を追いかけているんだっ
て?」
「ジャストくんを悪く言わないでっ!!」
既に辺りは大気が鳴動【めいどう】し爆発的な雰囲気だった。それでもシヴァ
は挑発をやめようとはしない。
「知っているのでしょう、あなたの父様は「バカ【ジャスト】」の父親、世界
神ゼウス様と仲が非常に悪いということぐらい・・・」
フッと鼻で笑うシヴァ。それをフィアは大声でかき消す。
「知ってるわよ、それぐらい! でも好きなのよ、ジャストくんが忘れられな
いのよっ! 恋ってそういうものでしょ!!
もう、聞きたくないっ! 従兄弟でもこれ以上何か言うのなら容赦しないわよ!
今のシヴァは私の敵よっっっ!!!」
最初に仕掛けたのはフィアだった。辺りに炎の渦が巻き起こりその中心から光
の奔流が溢れ出す。天高く昇った光の輝線【きせん】が辺りに溶け込む頃に、
「そいつ」は存在した【いた】。
炎鰐【サラマンダー】。
赤黒く輝く皮に炎が揺らめき、開いた口からは多くの牙が覗く。炎の属性を持
つ化物【モンスター】の中でも上位に位置する厄介な奴だ。まず、第一に全身
に炎をまとっている為に物理攻撃が仕掛け難い。下手に手を出せば逆に大火傷
を食らわされる。そして第二。皮膚が硬い。鉄と同等の強度を持つ皮、こいつ
もかなりの食わせものだ。最後に、第三だが、炎を吐く。当たり前と思うかも
しれないが、これも結構、鬱陶【うっとう】しい。接近戦に持ち込みたくても、
なかなか近付けないものだ。
「いいでしょう、受けて立ちましょう。」
シヴァがそう言うと同時に、水飛沫【みずしぶき】と共に彼の回りに水の渦が
巻く。そして、光の輝線。渦の中から姿を現したものは、
「蛙?!」
場違いな化物【モンスター】、もとい、両生類の出現にジュダイスは目を丸く
する。
どう考えても、蛙が炎鰐に勝てるようには思えないからだ。そんな声を聞いて
か聞かずか、シヴァは悠然と応えた。
「醜いものに敗れるほど精神に堪えるものは無いからねぇ。」
もはや、勝った気持ちでいるのか。大した自信だ。
「それが、過剰で無いことを祈るわ。」
炎鰐が動いた。
まず、手始めに炎の塊を吐く。距離がある為、牽制としてだろう。相手の動き
を観るためにも、これは比較的重要な戦闘要素だ。シヴァと蛙は余裕をもって
躱す。別段慌てた様子もない。それなりの場数は踏んでいるということだ。そ
して蛙、動きもぎくしゃくしてないことから、随分シヴァはこいつを使い込ん
でいるとみていいだろう。
今度は蛙の番だ。躱した速度【スピード】のままフィアを狙う。迷わず指揮官
を狙ってくる所をみれば、相当な知能を有していることなど火を見るより明ら
かだ。
「なめた真似をしてくれる!」
右手を突き出し、気合いと共に呪文を紡ぐフィア。
「ゥオン」
短い単語と共に黄色に輝く斬跡【ざんせき】が前方に無尽に走る。
捉えた!
蛙は斬跡に切り刻まれ、跡形もなく消滅した。
「ほぅ、法術【フィ・ルラ】・・ですか? 流石は暗黒魔導神【ダーク・マダ
イオンユーザー】。全ての魔法に精通すると・・・・あながち嘘ではないよう
ですね。」
顔色一つ変えず、シヴァは感心した。いや、感心したのかどうかも解りはしな
いが。
「しかし・・・法術【フィ・ルラ】は生命を縮める術として有名ですよねぇ。
いけませんよ、無理をしては。」
冷ややかな瞳が、一層、凍結したように感じる。同時に寒気が走る。
恐怖・・・というよりはむしろ・・・・・・
「・・!!」
声にならないフィアの悲鳴!
・・・・・何かを知らせる警報機だったのだ。
Act.7
「ひぃ・・、やぁあっ!」
確実な、悲鳴。先程の声にならぬ悲鳴から2秒経ってのことだった。
「あなたは己の能力を過信し過ぎる傾向がある。私【わたくし】も神の見習い。
あなたと同等の能力ぐらい持っていますよ。・・・そう、あなたの敗因は常識
に囚われ過ぎといった所かしら。特に実戦経験【エクスピリエンス】と想像訓
練【イメージトレーニング】が足りないわね。だから、こんなに簡単に敵の罠
にはまってしまうのよ。」
いつの間にか、後ろに回り込んだシヴァがフィアの耳元にそう囁【ささや】く。
左手は胸に、右手は腰を支えながらフィアの女性の部分をつぃと撫でていた。
「このまま押し倒しちゃって、フィアの操【みさお】を奪ってしまうのも悪く
はないけど、そんな事するとあなたの中のもう一人が現れてしまうからね。」
よく見れば、左手の中の胸だけがふくよかである。それこそが、悲鳴の元凶。
「よし、もういいわ、蛙・・わよ。」
くだらないギャグと共に左手の中の胸から蛙が跳ね出てくる。
そう、シヴァは得意の魔法陣でフィアが一匹目の蛙に気を取られている間に橋
三角の陣で二匹目の蛙をフィアの胸へと転送していたのだ。
シヴァは、フィアの意識が戻ってくると、
「そうそう、蛙がいなくなった後の揉み堪えは皆無ね。」
そう、フッと微笑して森の中へと姿を消した。
後に残った、意識の戻った、フィアの一言。
「あんたよりは、ふくよかよぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!!!!」
哀しい絶叫だった。
しかし、意外なことにフィアはそんな罵声とは似合わず、少女の様に泣き出し
てしまった。余程、シヴァの言葉が堪えたのか。
「・・・ばかぁ・・・・・・・・私だって・・わかってるわよぉ・・・・・・
こんな・・・・こんな自分・・なんか・・・・・嫌いよぉ・・・・・胸だって
ないし・・・・・・可愛くもないわよぉ。・・・・・性格だって、傲慢で・・
二重神格よぉっ・・・・んッ・・・だからって・・・・・私だって女だもん!
好きっていう心に・・・・うそ・・・なんか・・・・つけないよ・・ぉ・・・」
そんな涙に今まで固まっていたジュダイスは心をえぐられる思いだった。
何故、あの場面【とき】に止めに入らなかったのか、と。
言い訳ならいくらでもできるが、ジュダイスは逃げなかった。
逃げる気はさらさら無い。
泣きくずれる女性を見捨てるような真似は絶対にしたくない。
本心からそう思った。だから、留まった。例え、フィアがジュダイスに食って
掛かってきたとしても、それは哀しさが生み出した幻影【まぼろし】。真実は、
フィアの心の中にある。そう、
少しの間、あなたに甘えさせて。
と。
暖かく、心だけ抱きしめて。
と。
だが、そんな甘い一時さえ与えてくれない。相変わらず、運命の神様は悪戯好
きなのである。
「きゃぁああああぁぁーーーーーーーーーーーーーーっっっっっ!!!!!」
何処からか轟【とどろ】いた悲鳴に二人はハッと身を強ばらせた。
聞き覚えのある声。この声は、
「ティーナ!」
二人は同時に今まで忘れていた少女の名を叫び、共に悲鳴の元へと走り出して
いた。
Act.8
二人が悲鳴の元に駆け付けた時には、もう辺りにティーナの姿はどこにも無か
った。
「何処だ、・・・・何処に消えたんだ?!」
誰に尋ねることなく、ジュダイスが問う。
フィアにも答えることはできない。辺りには気配さえ残っていない。
「落ち着きなさい。焦っても答えがでるとは思えない。一つずつ、整理して考
えましょう。」
つい先刻のことが嘘のような、しっかりとした意識、確かに伊達に神の見習い
をやっているわけではないようだ。この立ち直りの早さが、それを証明して見
せた。
「まず、あの悲鳴はティーナのものと断言できる?」
ジュダイスはその問いに頷く。それは、フィアにとっても同じ考えだった。
「・・・そう、あれは確かにティーナの悲鳴だったわ。悲鳴をあげて消えた、
これにはどんな可能性があるかしら?・・・・・・・まず、可能性として高い
ものとして、何者かに襲われた、という事が考えられるけれど、抵抗した形跡
がほとんどないわ。」
辺りの木々、草木、落ち葉、どれを見ても、特に乱れたものは見つけられない。
「ということは、相手は武器を構えていない「者」の確率が高いわね。」
武器を持って威嚇したのであれば、少なからず抵抗した形跡が残っているはず
である。それにあの悲鳴。武器を突き付けられた状態ならば、あの大きな悲鳴
が出せるだろうか? きっと、全身硬直してあんな大声はだせないはずだ。
「者」を強調したのは人間、もしくは高い知能を持つ「何か」ではないか、と
いうことだ。理由は簡単、知能が低ければティーナをあっという間に消すこと
などできるはずがない。たとえできたとしても、必ずや形跡が残っているはず
だ。
以上のことをまとめると、相手はかなりの体術の使い手という可能性が高くな
る。
そこまで考えをまとめた時、
パキ
枯れ枝が折れる音。
「!」
「誰だっ!」
音のした方に振り返る二人。
何もない。
しかし、気配がある。
「そこかっ!」
いちはやくフィアが気配を感じとり、左手を赤く宿らせる。赤く燃えた左手に
握られたものは”爆発の重槍【フレアランス】”。
具現化魔術! 本当に、何でも使えるんだな。
「はぁっ」
短い気合いと共に木々に挟まれた大岩を突き刺す。石の焼ける独特の感覚と爆
音とが森と川の辺り一面に木霊し、大岩は粉々に砕け、飛び散る。その爆発の
背後から人影が揺らめき、奥の木々の合間に移動する。
「逃げる気か!」
「逃がすかよっ!」
フィアの魔法に頼りきるのも、情けないからな!!
気合いを高め、剣を抜き放つと同時に奥の木々へと一閃する。
手ごたえありっ!
気柱が人影に命中。地面に倒れる人影に走り、近付く。聞きたいことが山ほど
ある。そんな気持ちの先走りが、
「!! 服だけっ!」
しまった、代身【かわりみ】か!
ときとして、自らを危険に晒すこととなる。
思うより早く剣は上段に構えられる。同時に上から剣撃が走る。
ガキィイン
重い一撃を真っ向から受け止めたため、たまらず片膝をつく。その隙に人影は
ジュダイスの背後に回り、剣を突き立てようとする。
くそっ!
とっさに前方に跳び、転がる。そして、人影の剣は空を斬るはずだった。が、
人影は突いてくるのではなく、そのまま突進してきた。
な!
振り返った瞬間に剣がついてきていない。人影の重い蹴りがジュダイスの腹部
に炸裂する。
激痛。
そのままゴムまりのように弾き飛ばされ、地面で右肩を痛打し、重曲刀【シャ
ムシール】が手から離れる。
やべぇっ!
剣はジュダイスの右方、約1.5mに転がっている。起き上がり、剣を持たねば
ますます不利だ。しかし、立ち上がろうとして右腕に激痛を受けると共に、腕
が自分の意識で動かないことに気付く。
右肩が・・外れた!?
痛みに一瞬気を取られ、動きが鈍る。人影はその隙を見逃さない。大地を蹴っ
て、上からジュダイスに襲いかかる。ジュダイスはまだ体勢を立て直していな
い!
しまったっ!!殺されるっ【やられるっ】!!!!!
瞳に映った広刃剣【ブロードソード】が迫る。
しかし!
人影は横からの何かしらの力で空中から叩き落とされる。
「ぐうっ」
低い呻き声。
どうやら人影は男のようだ。
「大丈夫? ジュダイス。」
何かしらの力、それは彼女の力によるものであるとすぐに解る。
「ええ、助かりました。フィアさん。・・・痛ぅっ!」
無理に笑って見せたが、右肩の痛みは正直だ。すぐに肩を押さえてうずくまる。
「!? 右肩が外れてるの?!大丈夫じゃないじゃない!!」
驚き、手早く非難と共に回復魔法を唱えるフィア。外れかたが良かったのか、
痛みはあっという間に消えていった。
右腕の感覚も徐々に戻り始めている。相当上位の回復魔法であろう。
「さて、と。この男から情報を聞かせてもらいましょう。随分、御丁寧な情報
が聞けるとは思うけれど。どうかしら、ね。」
悪戯っぽく微笑み、仰向けに倒れた男の頬を平手打ちするフィア。
パーン
と、小気味よい音が響き男はゆくっりと目を開いた。
「お・は・よ・う。」
意地悪っぽい、笑顔。それを男はどう解釈しただろう。
男はザッと後ろに跳んだ。しかし、いつの間にか木々の間には網【ネット】が
張り巡らされており、逃げ場は無い。男もそれに気付いたようだ。
「わしを・・・どうするつもりだ。」
明らかにジュダイスたち、特にフィアを警戒している。
「別にあなたをどうこうしようって訳じゃないのよ。ちょっと、情報が欲しい
だけよ。」
しかし、男はフィアが発した「情報」という単語に反応した。
「ワルトリュキューラの手の者かっ!」
吐き捨てるように男は言った。正に何かを憎んでいるような、そんな瞳と言論
だった。
「・・ワルト・・・何?」
聞き逃したフィアはもう一度、尋ねようとする。そこをジュダイスが補佐する。
「ワルトリュキューラ。この大陸の一国家の名前ですよ。しかも、近年急成長
して、軍事力もこの大陸一だとか聞いてる。もともとは酒の美味い街だったら
しいんですけど、弓の名手がそれまで大陸全土を統治していたサミサ自然王国
の承諾を得て自治権を獲得した小さな国家ですよ。ただ・・・」
ジュダイスが話を途中で切ったので、フィアは食って掛かる。
「ただ、何よ?」
「今では古都サミサを上回る武装を持っているらしいですよ。実質の戦力じゃ、
古都サミサの数倍はあると見て間違いはない。それについ先日、王が他界して
権力争いがどうのとか。あんまりいい噂は聞かないですよ。」
そこまで言って、フィアとジュダイスは男に向き直る。
「詳しく聞きたいわ。おじさん。」
口調は軟らかだが、決していいえと言えないような語調。しかし、男はふいと
そっぽを向いたまま、何も話そうとしない。
「・・・はぁ、男っていうのは何故、立場が悪くなると黙るのかしら。」
どうしようもないわね、と溜め息をついてゆっくりと男に近付く。その動きに
男は顔を戻し、フィアに向き直る。
「わしは、どんなことでも屈することはないぞ。」
と、一言口にすると又、そっぽを向いてしまった。
フィアは「はいはい」と軽く受け流すと、男の前で何かの呪文を唱え始めた。
呪文は延々と続くような長い時間紡がれ、終わったときには太陽が西の空に傾
いてゆく頃であった。
「さて、話してもらいましょうか。別に話さなくても、先刻【さっき】かけた
魔術で記憶を強引に呼び出すけど。」
「ふん、そんな事で脅したつもりか? わしは舌を噛むことも怖くはないぞ。」
断固として口を割ろうとしない。何がここまで男にそうさせるのだろう。
「別に死んでも構わないわよ。死体からでも記憶は呼び出せるんだから。」
しかし、フィアも負けてはいない。その表情からは決して、脅しや嘘でない事
が見て取れる。自信満々の笑顔がそこにはあった。
だが、男はそれでもなお口を開こうとはしなかった。
「仕方ないわね。記憶を覗くなんて私の趣味じゃないんだけど。はぁぁっっ!」
フィアの吐く息と共に男はぶるぶると震えた。そして、だんだんと震えが大き
くなり、突然、がくんと力の抜けたように地面に崩れて動かなくなる。
「大丈夫なんですか? この男。」
ジュダイスが不安げにフィアに尋ねる。
「・・・ま、なんとかね。久しぶりに”暗黒魔法【ダークサイドマジック】”
なんか使ったから完全に保証はできないけど。」
しかし、そんな不安な返答も男がゆらりと立ち上がったことから、全く意味を
なさなかった。男の瞳は虚ろで、死人のように思えるが、そうではない。彼は
今、フィアの傀儡【くぐつ】と化したのである。
フィアの唱えた”暗黒魔術 傀儡糸【マリオネット・ライン】”という魔術は
術者が相手の脳を支配することによって全身を、そして記憶さえも術者が完全
に支配する。
そして、主人【フィア】の命令により、男の口が開いた。
語られた内容はフィアにとって、又、ジュダイスにとっても意外な事ばかりで
あった。
まず、第一にワルトリュキューラ帝国とサミサ自然王国とがここ神王醒川【ハ
イネリバー】で十数時間後、戦争を起こすということ。
第二に男はサミサーナ女王陛下の勅命で戦闘工作員として帝国へ侵入し戦闘工
作を行う途中だったということ。
そして、第三に帝国の王が先日亡くなり、3人の兄弟が我こそは、とばかりに
サミサを手にいれ一大陸の王として君臨することを望んでいること。
「和解できないのか?」
ジュダイスの質問に人形となった男は機械的に答える。
「とっくに手は打った。が、返答はこうだった。」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
前略
貴国の和解案賜り、小国の意見沿わず処直し、これ和解案とする。
一つ 南、フォスの港町以南を小国の領土とせん。
一つ 自衛守備隊・警官隊等軍事力を破棄し、治安・防衛は小国が行う。
一つ 女王陛下と従者のみで小国を訪れ、和解会を開くこととする。
一つ 小国の派遣した使節に国方針をまかせることとする。
以上 四項目改案
−ワルトリュキューラ帝国−
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「無茶だ・・・」
唖然としているジュダイスとは違い、フィアは何かを考えていた。
「しかし、それでも陛下は和解を選択するという。王国を存続することよりも
民草の生活を守ろうと仰【おっしゃ】られるのだ。わしはそれが許せなんだ。
陛下は未だ19という若さで己の命を民の為に投げ出そうというのだ。それが
不憫【ふびん】でならぬ。わしは、陛下に直訴した。抗戦をとるように、と。
わし以外の者も陛下の為に命を差し出す覚悟が出来ている者が多く、陛下に重
ねて直訴した。そして、ついに陛下は我々に未来を託された。しかし、帝国の
兵力と我々の兵力の違いは歴然。その為に、わしが逸早く帝国に潜入し工作を
行うのだ。」
「・・・ティーナの行方が気になるな。仮に帝国に連れさられたと考えるので
あれば、この者に手を貸しティーナの捜索ついでに帝国に神の裁きを与えるの
が最良と思うが・・・ジュダイス、どう思う?」
遠回しが手を貸してやろうと言うフィアに意義するほどジュダイスは愚かでは
ない。
「意義なしです。」
フィアは頷くと男にかけていた魔術を解く。糸が切れた人形のように崩れる男。
「うぅ・・・っ」
気が付くのに大した時間はかからなかった。
「男、名は何と申す。」
「バーブリット・グリーダ。おまえさん、なかなかの淑女【しゅくじょ】だな。」
記憶からいくらでも呼び出せた。しかし、フィアは必要意外の記憶は見ようと
はしなかった。そこに男は感慨したのだ。
大きな右手からはめていた篭手【こて】をとり、フィアの前に突き出す。
フィアも右手を突き出す。そして、握りしめる。
「我が名はフィア。あいつはジュダイス。よろしくな、バーブリット。」
こうして、ジュダイスたち一向は帝国へと侵入することとなる。
刻々と迫る時は残り半日程度しか残されていないのだ。
第五章 それぞれの思い
Act.1
栄えある城下町の中央通り【メインストリート】。多くの石積みの店が並び、
多くの人が行き来する。酒場、飯屋、武器屋、防具屋、万屋、中古屋、出店。
活気溢れ、歓声が常に辺りに響いている。
少なくとも、前ワルトリュキューラ帝国国王「ヨノウェス」の時代まではそう
であった。それが城下町の真の姿であろうから。しかし、今正に現実に広がる
ワルトリュキューラ帝国城下町−ワルトン−はそんな城下町の想像をまったく
無視したような殺風景に身を包ませていた。中央通りには人影はまばらで、出
店のほとんどはたたまれていた。そんな中央通りを10人ほどの黒いマントを
羽織った男たちが帝国城へ足早に向かって行く。通りはそんな男たちが充分に
歩ける道幅であったが、中央通りにいた少数の人々は怯えるように道をあけた。
そんな少数の人々のアーチを足早に抜ける黒マントの男たちの中に一際、輝く
「白」を見た人々は男たちが去ったあとにこう口々に呟きあった。
「天使は捕らえられ、悪魔が降臨する」と。
冷たい風が中央通りの人々をそれぞれの帰る場所へと誘っていく。辺りに人の
姿が消えてから見上げた空にはいつしか現れた暗雲が立ち込めていた。
Act.2
中央通りをしばらく進み帝国城の大門にさしかかる黒マントの男たち。空には
既に暗雲が立ち込め、いつ降りだしてもおかしくない状態であった。
先頭を歩いていた男が門番に許可証か何かを提示すると、門番は一つ頷き門を
開くようにと上にいた男に指令をだす。数分経たずに大門は開き、黒マントの
男たちは城の中へと姿を消した。それに続くように大門もゆっくりと閉じ、外
界からの通行を拒否することとなった。
城の中に男たちが入ると一人の女が近付いてきた。
男たちと同じように黒いマントを羽織り、皮の腕袋【ラバースリーブ】、皮の
靴下【ラバーソックス】、そして、皮の衣服【ラバースーツ】と、全身黒光り
しているボンデージファッション。その大きく刳【く】り貫【ぬ】かれた場所
から覗く肌の色は小麦色で、特に違和感はない。言うなればお似合いなファッ
ションだ。
黒髪のショートボブ。胸元に輝くネックレスの橙色の輝きは、彼女の瞳の色と
類似していた。珊瑚【さんご】であろうか。
瞳は炎のようにゆらめいて、そのらんらんとした切れ長な眼は身に付けたもの
と相まって、女を黒豹へと変貌させていた。
先に挨拶を交わしたのは黒マントの男たちの先頭にいた男だった。先頭の男が
女に対して跪くと残りの黒マントの男たちも次々と片膝をつく。全員、黒マン
トの女に跪いたのを見計らうようにして先頭の男が口を開く。
「死の散弾銃隊【デッドクラスターユニット】、只今戻りました。」
「御苦労。面【おもて】をあげよ。」
黒マント女の一声で、死の散弾銃隊と呼ばれた隊員全員が顔をあげ、女に視線
を集める。その瞳は作戦を全うするために必要な意志の強さを示すものだった。
死の散弾銃隊は皆、自軍の城に入っているにも関わらず戦いの最中【さなか】
のような険しい瞳を持ち合わせていた。まるで眼前に敵でもいるかのようだ。
どうしてここまで、良い意味での緊張が続くのか不思議でならない。普通の人
間ならば、集中力の限界は40分程度が限界とされる。どれだけ鍛えた人間で
2時間集中すればしばらく動けないと言われているが。
さして、緊張もせずにできる作戦だったのだろうか。
「ザイン、現状報告を。」
隊先頭の男が視線を左斜め後ろの男に向け、しっかりとした口調で呼びかける。
左斜め後ろのザインと呼ばれた男が、
「は」
と、短く答えると同時にもう一度頭を下げ黒マントの女に視線を戻し口を開く。
「神王醒川【ハイネリバー】周辺を巡回、サミサ軍の潜んでいる形跡は見つか
りませんでした。途中、林の中に有翼人の女がいましたので保護いたしました。
後ろに倒れている者がそれです。」
ザインはそこまで事務的口調で話すと一礼して言葉を切った。黒マントの女の
瞳が後ろに釘付けになったからだ。今、話をしても彼女の耳には何も入らない
ことをザインは、いや、死の散弾銃隊全員は知っているのだ。黒マントの女は
しばらくの間、後ろに横たわっていた有翼人を上から下へ嘗めるような視線で
幾度も往復し、ようやく死の散弾銃隊に向き直った。
「有翼人は牢につないでおけ。それから、城内警備の強化と共にヨハンナ全軍
に出撃準備を怠るなと伝えよ。皆、御苦労であった。」
「は」
黒マント女の労いの言葉を最後に、死の散弾銃隊は足早にそこから立ち去って
いく。しかし、一人だけその場を去らずに止【とど】まるものがいる。隊先頭
の隊長格の男だ。辺りに他人の気配が消えてしばらくの後、黒マント女が先に
口を開く。
「ホーネット、ヨヴァルハの様子はどのようになっている?」
黒マント女の瞳がまた一層、炎のようにゆらめく。その瞳は長く見詰め続けれ
ば心から燃やされそうな、野心と能力【ちから】を持ち合わせており、そして、
淫美【いんび】さという炎をまとっていた。
そう、まるで男を誘う売春婦や闇の殿堂で妖しく舞う踊り子の瞳だ。男の理性
をかき消し、野獣に返す魔術のよう。そして男は己の欲望と他人の不幸を笑う
欲望の化身と化し、眼の前の女に襲いかかる・・・・・そんな瞳だ。男を還る
瞳だ。
しかし、隊長格の男ホーネットは欲望の化身と化すことはなかった。とても職
務に真面目な男なのか、外に女がいるのかはわからないが、女黒豹の瞳を逸ら
さず直視し続けていてもその瞳に欲望が現れることはなかった。逆に女黒豹に
何かを訴えているような眼だ。言葉よりも眼で見ること、これは真実を掴む上
でより確実な方法とも言えるのではないだろうか。昔から、
「百聞は一見に如かず」
という格言もある。または、
「眼は口ほどにものを言う」
という格言も聞いたことがあろう。
アイコンタクトというものは戦闘ではときとして勝敗を、被害を、左右してし
まうことも少なくない。その重要性の高いものを乗りこえているということは
少なくともこの死の散弾銃隊は弱いはずがないということを示しているのだ。
「・・・・・そうか・・・予想通りだな。あの馬鹿のことだ、全軍をぶつける
つもりだろう。」
女黒豹はそんな眼を読み取り、独り言のように呟いた。しかし、ホーネットは
それに答える。前々から考えていた質問が怒涛に流れ、頭を支配してゆく。
「ヨハンナ様。サミサはどう動くつもりでしょう? 抵抗するのであれば神王
醒川【ハイネリバー】付近の樹海こそ、彼らにとって最高の城でありましょう。
しかし、我らが巡回したというのに姿形は元より、気配さえも見当たらないと
は・・・彼らは無条件降伏するつもりでしょうか?」
ホーネットの質問にワルトリュキューラ第二子ヨハンナ王女は鼻で笑って、そ
んな考えを一蹴する。
「まさか。サミサの女王【サミサーナ】はそんな柔な女じゃないよ。あの女、
ああ見えてなかなかの気丈な性格を持ち合わせているのさ。無条件降伏するぐ
らいなら、一矢報いてくる型よ。多分、工作員を派遣してくるね。・・・・・
ホーネット、城の守りを固めよ。蟻の子一匹侵入できないようにね。それから
ヨヴァルハ全軍の出陣の後にすぐ出陣できるように他の皆に伝えなさい。ヨヴ
ァルハがサミサと交戦し始めたら一気にヨヴァルハの首を取る。これ以上、あ
んな駄馬にこの国を任せておけないからねぇ。」
そこまで言うとヨハンナは口の中で蠢く真っ赤な舌で下唇を音を立てて湿らす。
青紫色の口紅【ルージュ】が明度を増し、鮮明な輝きの色をひく。黒豹が瞳を
燃やし目標を定めたのだ。
まだ、牙こそ剥いていないがその口は明らかに目標を喰い殺すことを楽しみに
唾液が溢れ出していることを示していたのだった。
Act.3
キィィ・・・ィ・・・・・ガチャン・・・・・・・・・・
錆付いた鉄の格子【こうし】が耳障りな音を立ててゆっくりと閉じる。床は全
石畳で、日の当たりもなくヒンヤリというよりも、氷のような冷たさがある。
時折、
ピタン・・・・ピチョン・・・・・
といったような滴【しずく】の滴【したた】る音が一定間隔で鳴り響き、静か
な眠りへと誘うまるで子守歌のようにも聞こえる。
しかし、時としてそんな静かな音さえも目覚めの粉となることもある。滴は少
女の顔の付近に落ち、砕けた無数の粒が、水の霧が、彼女の頬を、口元を、髪
をくすぐり少女は静かな音でゆっくりと眼をあけた。まるで昏々【こんこん】
と眠り続けた者がゆっくりと薄目を開けて光に慣れてから起き上がるような、
そんな仕草であった。
「・・・ここは?」
少女のか細い声が石畳と石壁に反響し、吸収される。しかし、そんなか細い声
であっても、甘く優しい声は鉄の格子を挟んだ向こうにいる男にも届く。
牢屋の見張り役であろうか。
まだ若い顔だちのひょろりとした青年。その隣にはつい先程、少女を運んでき
た黒マントをまとった死の散弾銃隊の一人がいる。それぞれの男たちは少女の
声に気が付き、振り返った。
「気が付いたかい? 有翼人のお嬢さん。」
先に口を開いたのは死の散弾銃隊の一人であった。その男は黒いマントを外し
近くにあった衣紋掛【えもんか】けへおもむろに被せて牢の中の少女に一礼し
た。
「非礼をお許しください、とても魅力的【チャーミング】な有翼人のお嬢さん。
あなたをサミサの密偵【スパイ】とは考えたくはないのですが、これも我が国
の勝利のため。神王醒川【ハイネリバー】の近辺におられた者は、例えサミサ
と関係のない者だとしても決着がつくまでは牢に監禁するようにと、上からの
命令があるのです。サミサとの決着がつくまで今暫く辛抱願いたい。」
男は事務的で丁寧な口調であったが確固としてお願いではなく、命令を言葉に
しているということが明らかに見て取ることができた。少女はどういうことか
全く解らなかったがそんな言葉より自分の意識が朦朧としていることに気付き
首を振る。頭の中にはいくつかの単語と名前が浮かんでくるだけで、その事を
深く思い出そうとするとこめかみが激しく痛んだ。
「・・・私は・・・私は・・・誰・・・・・なの?」
銀髪のポニーテール。水色の瞳。華奢な身体の輪郭。青い果実を連想わせる膨
らみきっていない胸。純白の翼。そして、記憶喪失。
この少女・・・
この少女こそ、
薄幸のヒロイン、ティーナであった。
しかも、ティーナの記憶は未だ戻っていないようだ。それどころか先刻の会話
の内容さえ記憶から消し飛んでいるらしい。当然、己の名前も思い出せない。
何も・・・思い出せない・・・
・・・・私は・・・・・?
苦悶する少女。頭を押さえ、うずくまる少女。
そんな少女【ティーナ】の表情を見ていると二人の男たちは痛まれない気持ち
になる。
すぐにひょろりとした若い顔だちの青年のほうが少女に声をかける。
「・・だ、大丈夫ですか? あの・・・どこか痛みますか?」
手に持っていた鍵束からさっと一本の鍵を抜き取り、少女の牢へと近付こうと
する。しかし、一つの声がその行動を阻止してしまう。右後方から聞こえてき
た野太い声が青年の身体を硬直させる。
「なぁにやってんだぁ〜?!」
ずしりと心にのしかかる重低音声。続いて響く金属の擦れ合う音と石畳を金属
で踏み締める音。暗がりからその姿を現した者は2人。一人は鈍い黒光りを放
つ全身甲冑に身を包み右肩に戦長斧【バトルアックス】を担ぎ、左手には甲冑
とセットの鉄仮面を抱え、左の腰には己の腕ほどの大筒【おおづつ】がぶら下
げてある。髪は燃えるような赤。髪を逆立て所々に染め残しのような黒髪が存
在していた。瞳もこれまた赤。髪よりどちらかと言うと朱色に近い赤だ。巨漢
といえる身長とがっしりとした体格からすると体重もかなりありそうだ。だい
たい戦長斧【バトルアックス】自体相当な重量であるのだ。それを振り回す力
を操作【コントロール】するためには体重もそれなりになければ戦長斧に振り
回されてしまうことだろう。軽く見積もっても80kg後半の体重の持ち主で
あると思われる。
そして彼こそが現時点でのワルトリュキューラ帝国最高指導者、第一子。
第一王子「ヨヴァルハ」なのである。
後ろの男はどうやらヨヴァルハの付き人のようである。鎧などを一切身に付け
ておらず茶色の渋い長着【ローブ】を身にまとっただけの男。腕と脛にそれぞ
れ防具【プロテクター】を装備してはいるが明らかに戦い向きではない。本来、
防具というものは人の急所を守るために造られたものであるのだから真っ先に
守るべき場所、身体と頭の防具をそろえるべきである。男はそのどちらも満た
すことがなく、見える範囲では武器も持ち合わせていない。とはいえ体格はヨ
ヴァルハと同等、もしくはそれ以上の巨漢なのできちんと防具をそろえて訓練
すれば多少の使い手となることは確実と言える。現在では身の回りの世話係と
いったところか。
青年の身体が強ばったのも無理はないであろう。先刻の声の主はヨヴァルハ、
即ちこの帝国、最高指導者の声であったのだから。
恐る恐る振り返る青年。
最高指導者は既に眼前に迫っていた。
「うすのろめ。だからてめぇはいつまで経っても牢屋の番なんだよ!」
言うが早いかヨヴァルハの戦長斧の柄が青年の胸に叩きつけられる。加減した
だろうがそれでも青年とヨヴァルハの体重差だ。青年は軽々と宙に舞い数m先
の石畳に身体を強かに打ち付けて転がる。転がった後に小さなうめき声が聞こ
えてきたのでどうやら生きてはいるようだ。
しかし、ヨヴァルハはそんなのお構い無しだ。戦長斧を振り上げ、元通り右肩
に担ぎなおす。それからゆっくりと牢に近付き、未だ苦悶の表情から覚めない
少女へと視線を落とす。
「ほぉ・・・なかなかいい女じゃねぇか?」
小さな感嘆の声とさも面白そうな淫魔を思わせる淫らに燃えた瞳。ギラギラと
光るその瞳は既にティーナしか映していなかった。
そして従者の止める間もなく、次の瞬間、なんの予告もなく、凄まじい轟音と
共に城が大きく揺れた。
ヨヴァルハが石畳に戦長斧の柄を力強く叩きつけたのだ。しかし、それだけで、
叩きつけられた石畳は見事その部分だけ重力が何十倍にでもなったかのように
深くへこみ、多くの亀裂が生じていた。そして、その石畳に支えられていた使
い物にならなくなった2本の格子がガランと音を立ててティーナの方へと転る。
ヨヴァルハはさも得意気にニヤリと笑い、鉄仮面と戦長斧を従者に投げ、甲冑
姿でティーナへと近付いていく。
流石に今まで頭を押さえてうずくまっていたティーナにもこの大振動と大音響
は意識を現実世界に引き戻されるのに充分であった。
顔を上げたティーナは転がった格子の間から歩みを進め、断りもなく牢の中に
入ってくる巨体にようやく気付き、目を合わせる。しかし、目があった瞬間に
ティーナは素早く片手を地面につき、その手を軸に反転して後ろの壁際まで身
体を後退させて立ち上がる。
本能的に防衛本能が働いているのだろう。ティーナの心の中で赤ランプが点灯
し、危険信号を灯したのだ。
この人・・・危険・・・・・!!
ヨヴァルハを見据えるティーナ。その瞳は戦いのときのティーナの瞳であった。
水色の瞳がゆらゆらと陽炎のように揺らめき、強い意志を感じさせるあの瞳だ。
しかし、そんな瞳もヨヴァルハには通用しない。瞳の強さで勢いを呑めるほど
ヨヴァルハは弱くない。
牢の中で向かい合う二人。
先に言葉を放ったのはティーナであった。
「あなたは・・誰・・ですか?」
油断無い表情で尋ねるティーナ。そんな問いにヨヴァルハは一歩前に踏み込み
答える。油断しているのではなく、己に絶対の自信を持った踏み込みだ。
「おいおい、随分ご挨拶じゃねぇか? 俺の目を見た瞬間に逃げるなんてよぉ。
俺が何かするとでも?」
含み笑い。
ティーナの行動をさも可笑しそうに喉の中で笑うヨヴァルハ。明らかに嘲笑を
含んだもの言いだ。挑発をして相手の神経を逆なでしようとしている。本来の
ティーナであればこんな単純な挑発にのることなどありえない。しかし、今の
ティーナは記憶を失い精神的な負荷が既に加わった状態であるのだ。そんな不
安定な精神状態でこの挑発は少女の精神の暴走を促すようなものだ。偶然か、
それとも考えがあったかは知らないがヨヴァルハは今、実に妙技を使ってティ
ーナの風上に立った。
「答えになっていません!」
怒りを押さえようともせずにヨヴァルハの笑いを一蹴する。
「へっへっへ。そう怒るなよ。いい顔が台無しだぜぇ。っても・・その怒った
顔もなかなかいい顔だぜぇ。もっと怒ってみろよ。そのほうがお前を組み伏せ
たときお楽しみが増えるからよぉ。」
淫らな意識と絶対の自信。心を読むことなどできない人間でも、ヨヴァルハか
ら溢れ出る「気」にあてられればそんなこと当然として理解できる。それ程の
密度の淫気がヨヴァルハを中心に広がっている。もし、男を誘う売春婦や闇の
殿堂で妖しく舞う踊り子達がこの場にいたのならば、空気だけで激しく悶え狂
っていたことだろう。
濃密な淫気を放ちながら、もう一歩ティーナに近付くヨヴァルハ。ティーナの
羽根は既に壁に触れるか触れないか、といった状態でこれ以上の後退は言うに
及ばず、接近はヨヴァルハの間合いに触れてしまう。左右に逃げることはでき
るが、タイミングを間違えれば今度こそ八方塞がりになってしまう。それでは
いくら素早いティーナとはいえ、ヨヴァルハの体術に対応するのは至難の業だ。
ただでさえ重い甲冑を身に付け間合いが狭くなっているというのだから相手の
間合いにかち合っては意味がない。
幸いティーナには美しく綺麗な羽根がある。スピードではティーナに部がある。
仕掛けるなら、今しかない。
本能的にティーナもそう感じていた。記憶と共に忘れられた戦闘技術も本能が
それを補佐【サポート】する。ティーナは今、自分自身にどれほどの実力があ
るのか全くわからない。しかし、不思議と眼前の巨漢には負ける気がしなかっ
た。身体に呼応して透き通るような声も一段と凛を増す。
「名を名乗らない場合、御霊は天界に昇ること叶わないと思いなさい。」
『我が魂の半身、我が肉体の半身、其の名クリスティーナ・メルモ・ナッツ
ノーレの半身として命ずる。一途な想いを輝きへ、純真な心を鋭さへ。
元素構成のための肉体へ宿りて、我が半身ここに姿を変えて現せよ!
「ヴァルキュリア」 』
無意識下で唱えられた呪文に反応し、ティーナは急に虚脱感に襲われる。膝を
つきそうになるのを懸命にこらえ、突き出した両手に集まる力を待った。もの
の2秒程度後、ティーナの身体を離れた半身の「魂」と「肉体」が光の粒子を
纏いて現実世界に光臨する。光の束となった横一文字を両手で掴むと、光の束
は左右に霧散した。
光の束の中から現れた一振りの小柄な薙刀を振り絞るとようやくティーナの身
体に活力が戻ってくる。同時に青白い光が薙刀の切っ先を包み込む。
心身一振【しんしんいっしん】となった薙刀は聖槍ヴァルキュリアへと姿を変
えた。
「ほぉ。武器を創り出すたぁ・・ただの有翼人とは違うわけだ。おもしれぇ! 」
言うが早いか雄叫びを上げながらティーナに突進するヨヴァルハ。
「お前の具現化魔術がどれほどのものか、見せてみろぉおおおおおっっ!!!」
「はぁぁぁっっ!!」
気合一閃!
ヨヴァルハの動きに合わせて上段からヴァルキュリアを振り下ろすティーナ。
討った!
次のヨヴァルハの足が地面を踏み込む前に斬れる!
鋭い斬撃!
空気とともにヨヴァルハの首が跳ねられる刹那、
ギィィンンン
鈍い金属音。
!!
信じられない光景だった。今まで牢の外で傍観していたヨヴァルハの従者が、
いつの間にか主人の前に立ちふさがり、ティーナの放った鋭いヴァルキュリア
の斬撃を手甲【しゅこう】一つで防御【ブロック】したのだ。
聖槍ヴァルキュリアが弾かれたのだ!
しかし、幸いにもティーナはこの重大なことが今は理解できない。本来なら大
いに動揺しただろうが記憶のないティーナにとって現出来事は「邪魔が入った」
という程度の事でしかない。
従者が手甲を引き重心を沈め大きく踏み込んでくる。
掌底。
本能的にそう感じたティーナは片足を中心に身体を捻り薙刀を返して突き出さ
れた腕を下から跳ね上げる。
しかし、寸でで従者は掌底から打ち下ろしに切り替えた。
ガキン
いくら武器で攻撃しているからとはいえ、大の大人と年端も行かぬ少女の力の
差は拭い切れるものではない。
「くぅっ!」
ビリビリと腕が痺れヴァルキュリアを手放しそうになるのをこらえながらティ
ーナは間合いを取ろうと身を引く。
しかし、結果としてティーナは牢の隅へと追いつめられた格好となってしまう。
今度こそ後が無い。
「後がねぇぜ! お嬢ちゃん。」
追い討ちするようにヨヴァルハの声。
「・・・」
答える余裕もねぇか。
呆気ねぇ・・・まぁ、いい。お楽しみはこれからだ。
ヨヴァルハの顔が面白そうに歪む。
しかし、そんな決着は意外な声でついてしまう。
「ヨヴァルハ兄さん! 止めてください!!」
その場に居合わせた全員が声の主へと視線を集わせる。
そこには、白い正装の上から表が黒、裏が深紅の防寒長着【ロングコート】を
羽織った14・5歳の少年、整然とした出で立ちに優しい面だち。しっとりと
した艶のある黒髪は、肩もとでカールしており額には細い銀色の輝きがある。
ミスリル鉱銀であろう額輪【サークレット】は少年をますます少女っぽい姿へ
と変貌させているようにも見えた。しかし、その少年へと視線を集わせたある
者は敬礼をし、又ある者は石畳に跪くのであった。
そんな皆の行動をティーナは呆然と眺めることしか出来ない。そんな少女のよ
うな少年をまじまじと見詰めるティーナ。
ワルトリュキューラ帝国第三子。第二王子、ヨルガ。少女のような少年の正体。
そんな正体を知らないティーナには辺りの行動が可笑しく見えても不思議では
ない。
戸惑いつつも口を開くティーナ。
「・・・貴方は・・・どなた?」
そんな問いに少女のような少年はにっこりと微笑み、多少の過剰演出のような
貴公子の一礼を見せる。
「先刻の非礼をお許しください、聖戦処女【ヴァルキリー】。わたくしの名は
ヨルガ。この国、ワルトリュキューラ帝国第三子にして第二王子であります。」
面【おもて】を上げた少年。見れば見るほどに少女に見間違うほどの優しげな
顔だちが、とてもサミサ自然王国を狙う一角とは思えない。そしてその瞳の中
では深い紅の色がうっすらと翳って揺れていた。
心が・・泣いている。
無意識のうちにティーナは相手の心を読んでいた。いや、意識していれば逆に
できないことであるのかもしれない。無意識であればこそ、単純【シンプル】
かつ純粋【ピュア】な答えが表れたのかもしれない。
しかし、そんな想いも前から紡がれた言葉でどこかに消え入ってしまう。
「ヨルガか。今日はどういった要件だ? 折角のお楽しみを邪魔してくれるな
よ。」
鬱陶しそうな眼でヨルガを睨みつけるヨヴァルハ。しかし、第二王子ヨルガは
臆することなくヨヴァルハとティーナの間に割って入る。そしてヨヴァルハを
片手で制し、ティーナに振り返り跪く。
「度々の非礼、許し難く存じます。しかし、ここは貴女様のその寛大な御心を
もってどうか御慈悲を頂きたく、わたくし参上仕りました。とりあえず、ここ
ではゆっくりとしたお話もできませんので、どうぞ、わたくしの部屋へおいで
ください。さぁ、こちらです。」
ヨルガはそこまでしっかりとした口調でまとめるとティーナの右手を取り、牢
から出ようとする。しかし、こうなると面白くないのはヨヴァルハだ。すぐさ
ま二人の進路に仁王立ちする。
「おい、ヨルガ! これはどういうことだっ?!」
随分、頭にきているらしい。今にも突き出されそうな拳がそう物語る。細かく
震える拳は怒りを噛み締めた震えに違いない。しかし、ヨルガはその凛とした
声でヨヴァルハを制止させる。
「ヨヴァルハ兄さん、この方がどんな方か、わからないのですか?」
あくまでも馬鹿にするようにではなく、諭すように柔らかい口調で。
そんな声にヨヴァルハはヨルガに手を引かれたティーナに視線を移す。
「有翼人の女だろう。」
ヨヴァルハの瞳にはティーナの本来の種族を見抜く眼は備わっていないようだ。
これはワルトリュキューラ第二子第一王女ヨハンナについてもいえる。有翼人
と聖戦処女では格が全然違うのだ。勝手に人間の価値観で話すならば、有翼人
は人間の出来損ない、即ち卑【いや】しい亜人種【あじんしゅ】であり、聖戦
処女は神の遣わした神徒【しんと】、即ち気高き天使族【エンジェル】である
のだ。もちろん、そんな気高き天使様を牢屋につなぐなど言語道断、愚の骨頂。
「やはり、解っていなかったのですね。」
ヨルガは肩を落とし、正に情けないといった表情だ。そして、その後ゆっくり
と口を開く。
「この方の翼をよく見てください、ヨヴァルハ兄さん。」
ヨルガの後ろできょとんとしている少女。その翼に話を聞いていた全員が注目
する。
真っ白な翼。
多分、その場に居合わせた全員がそれとしか考えられなかったであろう。
「この翼の純白さは、天使様のものに他ありません。」
そんなヨルガの一言にようやく皆、ヨルガの言いたいことを理解する。
居合わせた皆は跪き、頭を下げる。ヨヴァルハとて例外にあらず。
そんななか、ヨルガは改めてティーナの手をとり、自分の部屋へと導いていっ
た。
Act.4
整然とした通路。
赤を中心にした薄い絨毯がどこまでも中央に敷かれているような、長く静かで
広大な幅を持つ通路。高い天井と庭との間、無数のアーチが印象的な通路。
そこを美しくも可愛い少女と、小柄で優しそうな、まるで少女と見間違うほど
の可愛らしさを持つ少年が二人並んで歩いている。
二人は時折おしゃべりをしながら、またクスクスと小さく笑いながら・・・・
二人はまるでどこかの姫君のような気高さを感じさせる雰囲気を辺りに漂わせ、
庭園から香る甘い花の香りに包まれ、決して凡人には近付けない高根の花を思
わせた。
そんな二人の声がゆっくりと遠ざかってゆくとようやく辺りに小鳥の囀【さえ
ず】りが聞き取れるようになってきた。
二人の進んだあとにはこの清閑とした国にも春を運ぶのか。
鴉さえ寄りつかぬこの地に・・・・・。
冷たい空気がゆっくりとぬくもりを帯びてきた。まるで冬から春へと移り変わ
っていくようだ。
二人は庭園の通路を抜け、少し行ったところで立ち止まる。
小柄な少女がドアを開け中へ入る。それに続くもう一人の少女。
少女達が部屋の中に消えると共に静かにドアが閉まり、カチャンという鍵を掛
けた音。それ以降通路にはまた静けさが戻っていった。
しかし、部屋の中はそんな静けさとは裏腹に少女たちの談話が弾み賑やかであ
った。
Act.5
静かな部屋。
第一印象はそんなところであろう。
確かに広大な部屋に所々に豪華な家具をちりばめ、素晴らしい内装をもっては
いた。しかし、家具と家具の間はいやに殺風景で、部屋をより一層広く見せる
だけである。
ここは第三子ヨルガの部屋。
しかし、そんな殺風景な部屋も今は様子が違っていた。
美しくも可愛さを残す面立ちの少女、ティーナと、小柄で優しげな、少女と見
間違うような第二王子ヨルガの歓談が、部屋を桜色に染め上げていた。
とても心安らぐ、春の微温湯【ぬるまゆ】のように。
だが、その暖かみもすぐに外からかき消される。
「王子、ヨルガ王子!! 居られますか?! トゥルーリンでございます!
扉をお開けください!」
随分と慌てた声だ。比較的、若々しい男だろう。
その声で、はっと扉に向き直るヨルガ。
表情は堅い。
まるで扉の向こうの何かに、憎しみをもっているような顔だ。
ティーナは外から聞こえる慌てた声と、その声の主を睨むようなヨルガを見合
わせ、小首をかしげた。
そんな可愛らしい仕草がヨルガの瞳をティーナに向けさせた。
「どなたですか?」
小声で訪ねるティーナにヨルガは又、扉に向き直る。
「わたくしの従者で、相談役のトゥルーリンと申す者でございます。」
目線を一度ティーナに返し、そう述べると扉から錠前を外した。
ガチャンと重々しい音。
と、ほぼ同時に、けたたましく破られる扉。
「王子、ご無事でございますかッ?」
血相を変えた三十歳前位の頬の痩せこけた男が飛び込んできた。
何事かと、立ちすくむヨルガを見つけた男は、さっと自分の身体で部屋の中心
から、王子を守るように立ちふさがった。
それは言ってみればティーナからヨルガを守るような形をとっていた、という
ことになる。しかし、男は中心にきょとんとした少女を見つけても、構えを外
そうとはしない。それよりも、ますます気合いが高まっているようにも見える。
そして、その気合いが掛け声と同時に弾ける。
「覚悟! はぁぁぁぁぁっっっっ!!」
男は背負っていた長身のライフルを抜き放ち、ティーナに突進する。
「!!」
座っていたティーナはようやく眼前の男が自分の命を狙っていると理解し、男
の攻撃を躱すべく、床に両手をつく。
「せぇえいぃッッ!!」
男の銃口からキラリと何かが夕陽の光を受けて輝いた。
ティーナは本能で次の攻撃がその「何か」であることを察知し、長身ライフル
が、ティーナに向けて叩きつける動きに変化した瞬間、右手の掌に力を込めて
床を滑るように左に避ける。
シッ
空を斬り裂く音。
受け身をとったティーナがその場所を伺うと、銃口が絨毯の寸前で止められて
おり、その銃口の先には獣の爪のような刃が煌【きらめ】いていた。
男はゆっくりとその武器を床から引き上げ、構え直す。
「次は・・・外さぬ。」
気迫は先程よりも充実している。
この人、本気だ。
仕方なくティーナも身構える。このまま逃げていれば、殺されると悟ったから
だ。
しかし、ここでようやく我に返ったヨルガが仲裁に入る。
「待て、トゥルーリン。これはいったいどういうことなのだ? 天使様に無礼
は許さぬ!」
その声にトゥルーリンは落ち着いて答える。
「王子、たぶらかされてはなりませぬ。この女子【おなご】、記憶が無いと聞
きます。然【しか】らば何故、この者が天使であると解りましょうか! 王子
は己の悲しみを現実から逃避させるため、この女子に夢をみておるだけでござ
います。現実を儚【はかな】んで夢に逃げることはお止め下さい。いやと申さ
れるのならば、我が手で夢を壊してさしあげるのみ! ゆくぞッ!、女子【む
すめ】ッッ!!!」
怒気を放って、踏み込む。
「やめよぉーーーーっ!!」
悲鳴に似た絶叫が辺りに響きわたり、同時にヨルガはトゥルーリンに組みつい
ていた。
「!!、王子、お放しください!」
後ろから、顔に似合わずの力に拘束されたトゥルーリンは王子を突き飛ばすわ
けにもいかず困惑している。
「放さぬ、この御方は間違いなく天使様である。これ以上の無礼は許さん!!
もし、これ以上の無礼を働くというのなら、おぬしを裁く!」
静寂。
しかし、その間、トゥルーリンの怒気は落ち着いていった。
そして、
「仕方ありません。この場は王子に免じて引きましょう。しかし、これ以上、
配下のものを困惑させるような言動はお慎み下さい。王子はこの帝国にとって
なくてはならない存在なのですから。・・・失礼いたします。」
力の弱まった王子の手を振りほどき一礼すると、扉の外へと消えていった。
静かに見送るティーナとヨルガ。そして、どちらからともなく大きくため息を
ついた。
二人顔を見合わせる。
「申し訳ございません、聖戦処女。あの者には後程、わたくしからよくいって
聞かせますので。」
申し訳なさそうに顔を伏せて言葉を紡ぐ、ヨルガ。
「いえ、気にしてはおりません。それに私自身の記憶がないという事実、それ
は確かな真実なのですから。」
顔を伏せたヨルガに向かって精一杯の微笑みを返し、そして、一片の心配そう
な不安げな表情。
それが己の記憶に対するものか、ヨルガの心の中の傷跡に対するものなのか、
解らなかったが。
「未熟な話しながら、懺悔【ざんげ】させていただいてもよろしいでしょうか。」
沈黙を破って顔を上げる。表情は硬く、苦しんでいるようにも見えた。
「・・・記憶のない、私でよろしければ。辛いことを長く一人で抱えることは
ありません。お話しなさい。」
美しい微笑み。
天使の微笑みとはこれほど心のわだかまりを消してくれるものなのか?
一度、深呼吸してティーナを見つめる。
真摯に。
「わたくしは、間違っているのかも知れません。」
心の奥に封じてきた思いが溢れてくる。
思いが、弾けた。
Act.6
ヨルガの話はこうであった。
彼は、サミサの王女に想いを抱いていた。
幼い恋心がはっきりとした好意に結びつくぐらいの期間、その程度の月日の昔。
ヨノウェスの時代は、サミサ自然王国とワルトリュキューラ帝国は争い事など
起こること自体不思議なくらいで、旅人も多く行商にも向いた政【まつりごと】
が両国を平和に、かつ大きな発展に役立っていた。そのころの両国の王は、交
易以前に両国の平和のために会議を開くことも多く、その度、実の子らを相手
方の子らと遊ばせていたという。それほどまで平和に続いたこの国に思いもよ
らない出来事が起こった。
サミサの女王が暗殺されたのだ。
公【おおやけ】では自然死となっているが、当時の宮仕えの者ならば当然のよ
うに事実を知っている、いわば公然の秘密というやつだ。
ワルトリュキューラ帝国、首都ワルトン城内で射殺されたのだ。
それからといえば、サミサとワルトリュキューラの交易が途絶え、間もなくし
て、ワルトリュキューラ国王「ヨノウェス」がこの世を去る。
同時に現れた、己を賢者と名乗る3人の者達。
ヨヴァルハの従者「オーディン」、ヨハンナの従者「ホーネット」、そして、
先刻のヨルガの従者「トゥルーリン」。
彼らは己を賢者と呼び、その力を見せ付けたのだ。
多くの居合わせた者達が身体を震わせる中、この力に酔いしれた者達がいた。
ヨヴァルハとヨハンナである。
彼らは恐れも知らず賢者たちに近付き、その力を己の手中に納めたのだ。
その頃からだろうか、少しずつ彼らの意識が「好戦的」になっていったのは。
唯一、その頃に従者を従えていなかったヨルガのみがそのことを肌で感じるこ
とができていた。しかし、その事を何度説いても、彼らは従者を手放そうとは
しなかった。そして、第一王子ヨヴァルハの「サミサを陥落させた者が、この
国の王となる」という宣言。
これによってヨルガ自身も兵力と優秀な補佐官を必要とせざるを得なくなる。
なぜなら、この戦争でサミサが彼らの制圧をうけることになれば、王女は見せ
しめのために処刑されてしまうことは明白である。それだけは避けなければな
らなかった。
「王女に恋しておられるのですね?・・・・・」
まだ、幼さを残す風貌で夕陽と共に頬を赤く染め上げながら、ヨルガはコクリ
と頷いた。
「幼少の頃二人で遊んだ思い出が、つい先刻のように思い出せるのです。サミ
サーナの細かい表情や仕草まではっきりと。殺されてしまうのを黙って見過ご
すなど、できません!」
「そこで、自軍でサミサを陥落させ、王女を手にいれようというのですね?」
はっと瞳を上げたヨルガが最初に見たのは真摯に見つめ返していたティーナの
瞳であった。
瞳はどこか悲しげだ。
ヨルガはそこで俯き黙ってしまう。
しばらくの沈黙の後、ティーナが又、口を開く。
「懺悔は、終わりですか? 貴方は戦を起こしてしまった事を懺悔したかった
のですね?」
ティーナの容赦のない言葉が、静かに空間に溶け込んでいく。聴こうとする者
がいないためだ。ヨルガはその情け容赦のないティーナの言葉を聴こうとしな
かった。いや、聴けなかったのかもしれない。懺悔を行うには彼はまだ、未熟
過ぎたのだろう。
ティーナは俯いたヨルガと見合わせるるために広げていた翼を折り畳み、片膝
を立てた。ヨルガの視界にはっきりとティーナの真摯な瞳が飛び込んでくる。
その瞳で彼は王子の殻を解き、張り詰めていた想いを一遍に押し出していた。
15歳の少年の一途な想い、想いとは裏腹の王子としての行動。
恋慕、理念、思想、礼儀、抑制、抑圧・・・・・・・・
様々な思いと行いが、反比例し、正比例し、また反比例して心を押さえ込んで
いったのだ。それが弾けたとき、
少年は両膝をおり、涙で滲む眼前に佇む少女の胸へ顔を埋めて、泣いた。
その涙が少年にできる精一杯の懺悔であることをティーナは理解っていた。
だからこそ、この罪深き人間【ひと】を、その暖かき腕と翼で包んでやるのだ。
護ってやるのだ。二度とこの過ちを繰り返さぬように心に説いてあげるのだっ
た。
Act.7
「・・・・・わたくしは・・どうしたら、いいのでしょう?」
しばらくして落ち着きかけたヨルガはティーナの胸の中で問うた。
いばらく、ティーナも何も話さない。
沈黙が続いた。
想いは痛いほど伝わってきている・・・・・。
しかし、これ以上ティーナは語れなかった。
なぜならば、多くを語ればこの世の理【ことわり】を壊してしまいかねない。
それは、天界から降りたものの決まりごとでもある。
「それを語ることはできません。考えるのです、己の力で、最善の方法を。」
顔を合わせるのが辛い。身体を後ろに引き、少年へ背を向ける。
そんなッ、と後ろから小さな声が聞こえた。
「貴方なら、解るはずです。それを行動に移せないだけ。勇気をもって、行動
なさい。間違いを恐れて、人の考えに従ってばかりでは、きっといつか後悔し
ます。そうならないためにも、自身で考えて、後悔しないように生きなさい。
それがこの世に生を受けた者の使命であるのだから。」
沈黙が辺りを包む。
長い長い、沈黙。
「・・・わかりました。最後に聖戦処女、ワルトリュキューラ帝国第二王子の
我が侭を聞いていただけますか?」
「私に出来ることであれば。」
振り返るティーナに真摯な瞳で少年は告げた。
想いは、届いた・・・・?
第六章 導かれざる出会い
Act.1
もうどれぐらい歩いたであろうか?
どれぐらいの時間が過ぎたのであろうか?
青年の幾つかの帯を束ねたような神秘的な衣類は、ここ神王醒山【ハイネマウ
ンテン】の木々や岩肌により痛んでしまっている。この神王醒山はその名の通
り、天界から神が降臨する山として神聖視され、人間にとっては不可侵の土地
として存在している。当然のことながら山には道など整備されておらず、緑と
切り立った崖が侵入者を頑【かたく】なに拒んでいた。そんな中をひたすらに
上へと進めば、やはり衣類が痛むのも仕方がない。しかし、何故このような場
所を進んでいるのだろうか?
青年の表情には何も浮かんでいない。いわば無表情というやつだ。苦痛も疲労
も感じさせず、もちろん山登りを楽しんでいるようにも見えない。しかも登山
を行うにはあまりにも装備が軽い。身につけているもので目を引くものといえ
ば、背負った剣【つるぎ】ぐらいしかない。しかも邪魔になるような2m以上
の巨大剣だ。ここまで登ってこれたこと自体が不思議なくらいだ。
青年は黙々と上へと登ってゆく。崖を伝って登れる場所から少しずつ、決して
木を切り倒すことなく、うまく迂回をしながら登っている。そして、しばらく
進んだところで眼下に目を移した。
ちょうどその場所は木々が開けたところで、眼下に広がる樹海を一望できた。
かなり登ってきたようだ。他の山々の頂【いただき】が下に見える。しかし、
神王醒山は他の山々の二倍はあるであろうという高さを持ち合わせている。ま
だまだ先は長いようである。
青年は手ごろな岩に腰掛け樹海の向こうに目をやった。樹海を緩やかに流れる
神王醒川【ハイネリバー】を辿ってゆくと東海洋に流れ着く。その東海洋の付
近の拓けた僅かながらの平地が、サミサ自然王国首都サミサであろう。
そのしばらく南には、フォスの港町がある。ここからでは見えるはずもないが、
本来なら多くの船が停泊しているはずだ。この大陸の東海洋には数々の小島が
存在する。そのうちの一つにしばらく前に移住した人々が、鉱物や産物を交換
するために栄えているのが「フォスの港町」である。そこから反対に西に移動
すると広大な荒れ地が広がっている。ここは既に、ワルトリュキューラ帝国の
領土で開発が進められているはずだ。そのやや北に位置するのが首都ワルトン。
北には比較的低い山々が連なり東はすぐ樹海。北西には帝国領のユーザンロゥ
の街が栄えている。とはいえ未だ未開拓の地も多く残されている。戦をするよ
りも開拓を行ったほうがずっと利潤があるというのに、なぜ人間は争いを好む
のであろうか。
青年はしばらくこの大陸の全貌を眺めていたが、ふっと腰を上げ、神王醒山を
登り始めた。
Act.2
雲が近づいてきた。
流石に気温もかなり低くなってきている。吐く息も白い。視界も霧や雲によっ
てはっきりしない。これでは動きがとれない。下手に動けば足を滑らせて転落
してしまうことだろう。青年は小さな舌打ちをし、辺りを見回した。この場所
で留まるのは得策ではない。凍えて手足が動かなくなる前に雲から逃れられる
場所を探すつもりであろう。幸いにも近くに洞窟らしき空洞が見つかり、青年
はそこに滑り込んだ。
そこは自然にできた洞窟にしては珍しく、奥までを一目で伺うことは出来ない。
かなり深いようだ。風は無い。どこかに通じている、というわけでは無いよう
だ。
青年は少しだけ苦笑いをするとその奥へ足を進めていく。しかし光はすぐに届
かなくなる。青年はなれた手付きで腰袋から火打ち石をとりだし、松明【たい
まつ】に明かりを灯した。ボボッと燃える音が響き、次第に燃え盛る音が安定
していったところで青年はもう一度、奥に向かって歩き始めた。
洞窟の中は狭いようで広い。人ふたりぐらい歩ける空間がしばらく続き、20
分ほど歩いた場所でようやく幅が狭くなってきた。ひとりが横向きに歩けばな
んとか通れそうだ。男は剣を構えることもなく、その空間を進んでゆく。
10分も歩いただろうか、前方に白い光が漏れてきた。青年はやはり慣れた手
付きで松明から火を落とし、前方に向かって注意深く歩みを進めていく。狭い
通路の出口には、広さ六畳・高さ3mほどの空間が広がっていた。その両側の
壁には見事に装飾された燭台が彫り込まれており、光の源はその燭台に灯され
た魔法球が白色の光を放っていた。そして空間の奥には一対の翼を携えた女性
が何かに祈っているようだ。
青年は祈りを捧げているものを伺ったところで、小さく声を上げようとしてし
まった。慌ててでかかった声を飲み込む。翼を携えた女性の前には石像が彫ら
れていた。その石像にははっきりと見覚えがある。いや、見覚えがなければ、
恥ずかしい話だ。
母さん・・・
正義の女神フェルアーナ。石像ははっきりと青年の母親を映し出していた。厳
格さと正義をあらわす出で立ち【いでたち】に身を包み、右手に剣をかざし、
左手に書を携【たずさ】えた誇り高き女神。
しばし呆然とその像を眺めていた青年は祈りを捧げていた女性の行動が眼に入
らなくなっていた。祈りを終えた女性が振り返る。
当然ながら女性は見知らぬ来訪者を歓迎するわけもなく、
「きゃぁッ!」
短い悲鳴と共に正義女神フェルアーナ像の元へと飛びのく。しかし、翼を携え
た女性は青年の姿を確認すると一層驚き青年の名を呼んだ。
「!? あ、あなたは、ジャスト様!! どうして、こちらに?」
しかし、青年ジャストには目の前の女性は見覚えが無い。
「あなたは?」
更に不思議なことに、普段なら女性と話すことでさえ震えがくる全身は、この
女性に対し反応を示さない。
ジャストは不思議に思いながらも、彼女に問い掛ける。
「・・・憶えてらっしゃいませんか?」
女性は少し悲しそうに目を伏せた。
憶えていないということは、彼女とジャストは以前、何処かで出会ったことが
あるのだろう。しかし、ジャストがそのことに触れる前に翼を携えた女性は自
らを名乗る。
「失礼いたしました。出会ったことがあるのは一度きりですので、憶えていら
っしゃるほうが特別ですね。私はファルと申します。以前、フェルアーナ様に
お世話になった者です。」
ファルと名乗った女性は深深と下げた頭を上げ、そう答えた。
整った顔立ちにサラサラのブロンドがなびく可憐な女性だ。
見た目からはジャストと大して年齢は変わらないように思える。
そして、一番の特徴ともいえる彼女の携えた翼は、天使の翼とは異なりかなり
大型でややクリーム色に近い白色だ。
臀部からは翼と同色の馬のような尾が生えている。
耳は妖精【エルフ】族の面影を微かに残すように、僅かながら人間よりも尖り
左の耳にだけ、大粒の真珠を吊ったイヤリングが光っていた。
「母さんに?」
しかし、一介の有翼人【ハーピー】が正義を司る女神に謁見を賜ることなど、
聞いたことがない。ジャストたちなどの天界人と下界の者が交流することなど
滅多にない。しかも、まして相手は完全なる神なのだ。ジャストのように神の
見習いというわけでも、天からの遣わした天使というわけでもない。
まず、ありえないことだった。
しかし、ジャストの真剣な表情の問い掛けにファルは頷いた。嘘を吐いている
ようには見えない。
「ジャスト様。ここでお話しするものなんですので、私の村へいらっしゃいま
せんか?」
確かに薄暗い洞窟に二人きりというのも落ち着かない。
ジャストはファルの好意に甘えることにし、後について洞窟の入り口まで戻っ
ていった。
Act.3
しかし、雲と霧は一層深くなっていた。これでは、有翼人のファルならばとも
かく翼のないジャストでは身動きがとれない。
「まいったな。」
ジャストの呟きにファルは振り返る。
「どうなさったのですか?」
「いや、この霧のなか下手には動けないだろう? 君の村へ招待してもらった
のはいいが、これでは、ここに待機せざるを得ない。」
ファルは視線を洞窟の先に戻し、しばらくその先を見つめていた。それから、
ジャストに振り返り、言う。
「ですが、この程度の霧ならすぐに抜けられます。さぁ、どうぞ、こちらへ。」
ファルは両手を広げてジャストを招いた。しかし、ジャストは彼女の行動の意
図することが解らず、その場から動かずに外を眺める。
「・・・確かに君の翼ならすぐに抜けることが出来るかもしれないが、おれは
飛ぶことも出来ないし、この霧の中進むことにも自信がない。しばらく時間を
くれないか?」
「ですから、私がジャスト様をお送りして差し上げます。身体に掴って下さい。」
そういって、ファルは微笑んだ。
しかし、
「なッ!」
ジャストは彼女の意図を理解して慌てて後ずさりした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! それは、少なからず抵抗があるッ!」
ジャストは赤面し、ファルの好意をとにかく断ることで頭が一杯になっていた。
会話では女性恐怖症は現れなかったが、触れるとなると抵抗がある。既に想像
するだけで鳥肌が立ち始めている。これで、彼女を抱きしめようものなら気を
失ってしまいかねない。
そんな狼狽したジャストを見て、ファルはクスと小さく笑った。
「本当にお変わりないのですね。」
「え?」
彼女はジャストの女性恐怖症を知っているようだ。その事実へ気を取られた瞬
間、ジャストの身体はファルに抱きつかれていた。
!!!!!!!!!!!!!!
全身が硬直してしまうジャスト。しかし、ファルは瞳を閉じると同時に胸に顔
を埋め、回した両腕の掌で背中と後頭部を優しく撫でた。
「・・・大丈夫ですから。少し、お休み下さい。」
耳元に小さく呪文が囁かれる。同時にジャストは眠りに落ちていった。
Act.4
「ねぇねぇ、てんしちょうさまぁ。」「あら? どうしたの、こんなところへ
来て?」「あにょね、あにょねぇ! へんなひとがね、たおれてぅの!」「?」
「あぅ〜。こっち、こっちぃ!!」「あぁ、待って。そんなに急がないで。」
「ここぉ!! はやく、はやくぅ!」「!!? なに!? これは・・・・」
「てんしちょうさまぁ、このひとどうしたのぉ? くるしそーだよぉ?」
「何故、人間が天界の外れに・・・?!!そうじゃないわ。早く癒しの法を!」
§
「おはようございます。」「あ、おはようございます、天使長様。」「もう、
すっかり大丈夫のようですね?」「はい。天使長様のおかげです。私のような
人間を助けて頂き、なんとお礼を申し上げればよいのか・・・」「よいのです。
私が助けたのも主のお導き。あなたの信心の深さが己を救ったと感謝なさい。」
「はい。ありがとうございます、ありがとうございます。」
§
「う・・・・」「!? ど、どうされました? まさか!」「うまいッ!!」
「え・・・?」「美味しいです。天使長様は料理もとても上手でいらっしゃる。」
「・・・もぅ、びっくりするじゃありませんか。」「す、すみません。でも、
あまりに美味しかったものですから。」「ふふ・・そう言って頂けるのは貴方
だけです。」「そんなことありませんよ! あなたの料理には、なんというか
・・その・・・温かなものがあります。思いが込められているというか・・・
す、すみません、大きな口を叩いて。」「・・・いいえ。」「・・・・・・・
天使長様?」「ユリシス、と。」「・・・・・・・・・・ユリシス・・様。」
「・・・ユリシス、と。」「・・・はい・・・・・ユリシス・・・・・・・」
§
「天使長様ッ!」「!? 何事ですか?」「管理庫に賊が侵入した模様です!」
「!!」「賊は『魔王の石鏡』を奪い逃走中とのこと!」「賊の行き先は?」
「おそらく、西の泉から逃亡するのではないかと!」「天界の泉?」「はッ!
賊は何処から侵入したかも知れぬ、人間の男とのこと。」「!!まさか!!」
「天使長様?!」「・・・解りました。あなたは至急このことを主に伝えなさ
い。」「し、しかし!」「構いません。私が阻めばよいだけのこと。」「は!」
「・・・いやな・・風だわ・・・・・・・・・クーレン・・・あなたがこんな
ことは・・・・しないわよ・・ね・・・・・」
§
「ユリシス。」「・・・クーレン、どうして貴方が。」「僕は君を騙していた。
この『魔王の石鏡』を手に入れる為に。」「何故ッ!」「・・理由は言えない。
だけど、この『ちから』は僕に必要なものなんだ。」「『魔王の石鏡』【それ】
は貴方が思っているほど優しいものではないわ! 憎しみや闘争心を、そして
生ける者の魂さえも喰らう『ちから』。それは、人間【ひと】には決して耐え
られない!」「百も承知さ・・ユリシス。僕は己の命など欲しくない。だが、
あることを成すまでは死ぬことは出来ない! たとえ、魔王の力【ちから】に
支配されてでも成さねばならない!」「クーレン!」「ユリシス、さらばだ!」
「!! ッ、行かせないっっっ!!!」
§
「天使長ユリシス。」「・・は。」「この度の失態、どう責任を取るつもりか?」
「・・・」「申し開きもないとは・・余程あの人間に情が移ったと見える。」
「・・・」「肝でも奪われましたかな?」「・・・」「・・どうやら、我々の
声も届いていない。主を裏切り、天使長の名を汚すとは許し難い大罪。存在の
抹消。刑の執行は明日。牢に封印しておけ。・・・閉会。」
§
光のない世界。
ユリシスは今、光のない世界にいた。
辺りは暗黒の闇。その闇の中に彼女は不安定に浮遊していた。
腕も足も、美しい翼も自由に動いた。しかし、一片の光もない場所でどのよう
にしてここから抜け出すことができるのだろう。前も後ろも上も下も解らない
闇の中で。
彼女は瞳をうっすらと開き、また閉じた。
暗くて怖い。
今まで光を感じられなかったことなどなかった。そして、彼女の能力【ちから】
を持ってすれば辺りに光を宿すことなど造作もないことであった。しかし、そ
れは今、適わない。
彼女は天界の牢獄に囚われていた。外から見れば巨大なクリスタルの中で彼女
は浮遊しているだけだ。しかし、中に閉じ込められたものは特殊な結界により
平行感覚を失い、魔法も完全に封じ込められる。絶対に破ることの出来ない、
完全な個別牢。これが、天界人の罪人を封じる「封印のクリスタル」といわれ
るものだった。
その「封印のクリスタル」に近付く青年が一人。当然だがこの部屋の前には、
立入禁止の札があった。しかし、その禁を破って入室するとは・・・。
青年は慎重に歩みを進め、ユリシスが浮かぶクリスタルの前で止まった。
「・・・あ、あなたが、ユリシス様・・ですか?」
小さく消え入りそうな声で、青年はユリシスに声を掛けた。しかし、彼の瞳に
は彼女は眠っているように見えたのだろう。反応がないことを確認すると、そ
そくさと退散しようとする。
「・・・誰?」
青年が部屋を出ようとしたときだった。彼女は聞こえた声に反応した。
逆に青年は困ったような顔をして、ユリシスのクリスタルに向かって、拳大位
の飛礫【つぶて】を投げた。飛礫がクリスタルに触れると、クリスタルは音も
なく破裂しユリシスは地面に投げ出された。
「・・時間がないので、これだけ読んでください。」
ユリシスに近付いた青年は帯から紙切れを取りだし、彼女に手渡すと後ろを向
いた。その手紙はユリシスの見慣れた文字でこう書かれていた。
「ユリシス、時間がありません。・・・今すぐ堕天なさい。本来ならばあなた
のような優しい娘に堕天を望むことなどあってはならないことですが、しかし、
あなたは今生き延びるべきなのです。罪人【クーレン】を本当に愛していたの
ならば今一度彼に逢い、真実を確かめるべきです。我が息子、ジャストに支度
をさせました。この程度のことしか出来ない私を恨みなさい。そして、行きな
さい。いつまでも優しい天使長ユリシスへ。」
「・・・これは?」
聞かずとも解っていた。この文面、この書体。これは彼女を最も可愛がってく
れた神が遣わした書面に違いない。しかし、その方は「正義」に厳格で過ちを
簡単に許す方でないこともユリシスは重々に承知していた。だから、先の天廷
裁判で何も言わなかったのだろうと・・・彼女に失望し、何も言わなかったの
だろうと思っていた。しかし・・・
「母さんは・・多分、ユリシス様が正義を犯したとは思ってない・・・」
後ろ向きの青年、ジャストは天井を見上げながら、ポツリと呟いた。
「! しかし、私は罪人【クーレン】を取り押さえることが出来ませんでした。
あの時、私は罪人【クーレン】を捕らえることが出来ました。しかし、最後に
心が挫け、あの者をみすみす逃がしてしまったのです! それが正義を犯した
ことでなければ、なんと説明が出来ましょう! 私は・・私は・・・・・」
ユリシスは震えていた。自分の不甲斐無さと無力感を噛み締め、そして、己を
可愛がってくれた神に情けをかけてもらっている。優しく誠実な彼女故、苦し
みは人一倍感じていただろう。しかし、ジャストはふっと笑ってこう言った。
「正義とは『己の信じる道』のこと。」
どこかで聞いた優しさの溢れる声にユリシスはハッとジャストの背中に視線を
上げた。ジャストは続ける。
「法も戒律も道を明確にするためのものに過ぎない。正義とは内なる心に誰し
も持っているもの。大切なのは『己の行動を信じ、その行動に責任を持つ』事。
・・・・・母さんの受け売りですけれど。ただ・・・・母さんはユリシス様の
正義を信じているのだと思います。」
「・・・フェルアーナ・・様。」
ユリシスはジャストの背中を見つめながらポツリと愛してくれている神の名を
呼んだ。そして、どうしようもなく胸が熱くて、どうしようもなく恥ずかしく
て、どうしようもなく寂しくて、どうしようもなく涙が零れ、最後にどうしよ
うもなくなって、ジャストの背中に抱きついていた。
フェルアーナの幻影をジャストに重ねているのだ。厳しさと優しさと、そして、
愛するということを教えてくれた母に、どうしようもなく、甘えたくなって、
抱きついてしまったのだ。
しかし、ジャストにとっては驚き以上の恐怖となる。なにせ彼は女性恐怖症な
のだから。固まりつつも、慌てて声を上げるジャスト。
「す、スミマセン! そ、その・・おれにさっ触らないで下さいッ!!」
しかし、ユリシスは手を離さない。少しでも母の感覚を覚えておきたかったの
かも知れない。
「あ、あのッ! お話しは・・いいみたい、なんですけど・・・触れられると
また・・・と、鳥肌がたって・・・お、おれ、女性恐怖症・・・でッ・・・」
そこまでいうと、ようやくユリシスも気付いたようだ。慌てて手を離して距離
をとる。そして、二人はどちらからともなく謝り、ジャストはフェルアーナか
ら預かっていたアイテムをユリシスに手渡した。
「これは?」
「・・・下界は淀みが多く、あまり長い時間生活していると天使の翼は使い物
にならなくなるそうです。これは『変化の石』。あなたを天使から有翼人に変
える魔力があるそうです。これを使い、神王醒山【ハイネマウンテン】の有翼
人の村へ逃げるのが安全だと母は言っておりました。しかし、これを使えば二
度と天使へは戻れないそうです。これが、最後の選択です。よく考えてお使い
下さい。さぁ、もう時間がありません。西の泉は警戒が厳重になっていますか
ら、南の泉からお逃げ下さい。母の御加護がありますよう、お祈り致します。」
そして、二人は別れた。その後、ジャストはこの件に関して二度と口を開くこ
とはなかった。
Act.5
「・・・う・・・」
ゆっくりとジャストの瞳が開かれる。ぼんやりとした瞳に比較的高い木造の天
井が映る。ジャストは柔らかな布団に寝かされていた。その心地良さにまどろ
みながらもゆっくりと上半身を起こす。
「・・あ、お目覚めになられましたか?」
声の主を手繰ると優しげな表情で微笑むファルが見えた。随分長い時間、眠っ
ていたらしい。外は梟【ふくろう】さえも寝静まる真夜中の闇が静かに佇まい
を見せていた。
「・・・夢を見た・・・確かにおれは『あなた』に会ったことがあるのかも知
れない。」
手渡された水の入ったコップを飲み干し、ジャストはファルへと話しかける。
しかし、ファルは無言だった。無言でジャストから空になったコップを受け取
り、台所へと戻って行く。その姿を留めるように、ジャストは続いて言葉を発
した。
「そして・・・おれは、『きみ』にどう接するべきなのか・・・解らない。」
二人の空間に僅かな溝が生じたように思えた。
少しの沈黙。
そして、ファルが沈黙を破る。僅かな溝を強引に埋めるように。
「・・・少し、夜風に当たりましょうか?」
ファルは台所にコップを持って消えた。ジャストはその答えに一抹の不安を感
じながらも布団から抜け出し、衣類を整えた。
台所からファルが戻ってくる。
「行きましょうか。」
その微笑みにどこか儚げなものを感じたのは気のせいなのだろうか・・・。
§
ファルの家は村でもかなり高い位置にあった。そして、反比例するように広い
庭があった。山間にこれほどの平地があるのはとても不自然だ。話しによると
ファルは有翼人の長を務めているということなので、その為なのだろうか。
山間のこの地はかなり強い風が吹いていた。ジャストはその突風に何度か飛ば
されそうになりながら、二人はその広い庭の端までゆっくりと歩き、風を感じ
あった。慣れればたいしたことはない。風の流れ逆らわず、受けた風を逃がし
てやればいいだけのことだった。
ゆとりの出来たジャストは、隣を歩くファルに呟くように言葉を紡ぎ始める。
「『あなた』は、過去のおれにとって十分に敬う対象だったんだ。母さんから
何度もその優秀さは聞かされていた。千の魔術を使いこなし、同時に3種の呪
文を紡ぐことのできる才能【ちから】。大天使【アークエンジェル】が十人束
になって戦ったとしても、軽くいなしてしまう実力の持ち主・・・」
ジャストは何度も母から聞かされた天才の話しを呟いていた。母フェルアーナ
が息子の次に可愛がったとされる娘の話。血の繋がりはなくとも、それは母が
娘に与える愛であった。
「同時に悔しかった。おれはいつか『あなた』を超えたいと思っていたんだ。
強さと優しさ・・・そして、自分自身の正義に対する厳格さ。母さんを超える
ために、まず『あなた』を超えようと思っていた。だけど・・・」
ジャストの瞳が曇る。ファルは相変わらず話しを聞いているだけだ。
「『きみ』はここで何をしているんだ? 『きみ』の目的はなんだったんだ?」
ジャストの悔しそうな声を聞いたからだろうか? ファルの瞳が少しだけ揺ら
いだような気がした。
そして、ファルは長い息をつき、噤んだ唇をようやく開いた。
「ジャスト様・・・・これ以上、私に関わられると取り返しのつかないことに
なりかねませんよ。」
脅しだった。
明かなジャストの詮索を拒否。そして、瞳が揺らぐような迷いはなく、代わり
に突き刺すような鋭い視線がジャストを射る。しかし、ジャストの瞳もまた、
真剣そのものであった。
「『あなた』は罪人【クーレン】と出逢うために下界に降りたのではないので
すか? 己の正義を証明するために。そして、母の正義を証明するために!!
もし、母の正義を汚すというのなら、おれは『きみ』を消さなければならない。
それが、神の試練に課せられた使命なのだから。・・・答えよ、ファル!・・
いや、元天使長ユリシス!!」
ジャストは最後の想いを込めて元天使長に訴えかかり、二人の間に沈黙が流れ
る。
そして・・・
先に沈黙を破ったのはユリシスだった。
「いいでしょう・・・やってごらんなさい!」
「!!」
ユリシスは怒気を放つと同時に空高く舞いあがる。
ジャストは内心の動揺を隠せずに、一瞬動けなかった。
迷いがあった。
そんなはずはない、と。例え牙を剥かれたとしても、未だどこかで信じる気持
ちが残っている。それは、母が愛した者が汚れ堕ちることなどありえないと信
じているからだ。
ならば、牙を剥いた彼女を抑えなければならない。
殺すことは出来ない。彼女の本心を聞き出すために。
いつでも呪文が唱えられるように構えをとるジャスト。剣は使えない。何故な
ら彼の剣は母から与えられた特別製で、抜剣と同時に大量の酸素が燃焼し始め、
辺りを灼熱の熱波が襲う魔力を秘めている。しかし、それはこの酸素の少ない
高地で使えば主人【ジャスト】自身を苦しめることになる。
だが、相手は元とはいえ天使を束ねる天使長の実力を持つユリシス。千の魔術
を持ち、同時に3種の呪文を紡ぐことができる天使。ジャストに勝機はあるの
だろうか。
「ウィ・クスリ・ミュシ・・・・・」
先手を取ったのはユリシスだった。30m上空で呪文を唱え始めている。
ジャストはその姿を確認しこちらも魔力を練ろうと思考を巡らすが、彼の使い
こなせる具現化魔術の、フレイムアロー、フレアアロゥ、リムスリング・・・
どれも射程範囲外だ。
しかし、その間もユリシスは強大な魔術を練り上げている。そして、
「・・・ィオル・マ・ザンマ・・・『ブラストファイアー』!!」
彼女の突き出された両手に灼熱と爆裂の塊が集う。ユリシスは魔力を片手に溜
め、ジャストに向かって神速で降下する。
「ッく!」
残り5mというところまで引き付け、魔力を放出する。ジャストは動きを見定
め魔力が放たれたと同時に左斜め前に飛び移る。次の瞬間、先程までジャスト
の居た場所は爆音を響かせ大地が20mに渡って削り取られていた。
後ろを振り返る間もなく爆風で前方に吹き飛ばされるジャスト。なんとか受身
をとって振り返るも既にユリシスの姿はない。
「どこだ?」
「ここよ!」
後ろから右脇腹をしなやかな脚に蹴り飛ばされる。
「くッ!」
こらえて、次の攻撃に備えようと振り返る。しかし、それもまた遅かった。既
にユリシスは後ろに回り込みジャストの首元へ手刀を突きつけていた。しかも、
手刀は赤く輝いている。何かしらの魔力が宿っていることは明白だった。息も
吐くことの出来ぬ緊張がジャストを襲う。
「・・・これで、解ったかしら? あなたの実力では私は消せない。」
それだけ言うと、ユリシスはジャストの背後から身体を離し、
「私に・・・関わらないで。」
もう一度、冷たい声で言い放った。同時にジャストの身体にどっと汗が噴き出
してくる。あのまま首を掻き切られるはずの状態から一生を得たのだ。それは
仕方ないことだろう。しかし、ジャストにはどうにも腑に落ちなかった。
何故、彼女は信心深くフェルアーナの像へ祈りを捧げているというのに、彼女
の息子を無下に追い払おうとしているのだろう。例えば、目的を失い堕天した
のならば祈りを捧げることなど行うはずもないし、今の戦いでジャストを殺す
べきだったはずだ。少なくとも彼女はまだ目的を見失ってはいないことは解る。
しかし、ならばなぜ同胞とも言えるジャストに牙を剥くのか?
「ユリシス・・どうしてなんだ? 君はまだ正義を貫いている。ならば、なぜ
真実を頑なに閉ざすのか? 罪人【クーリン】とは接触できたのか?」
ユリシスはやはり沈黙したままだ。
「答えてくれ、ユリシス!」
長い沈黙に空気は張り詰めていた。
そして、ジャストの真剣さが伝わったのだろうか。
長い長い沈黙の後、ユリシスはゆっくりと唇を開いた。
「・・・ジャスト様・・・もし、あなたの大切なひとが命を捨てる戦いへ赴く
こととなった場合、どうしますか?」
その問いはジャストを沈黙させるのに十分な意味合いを持っていた。彼女の瞳
と声から訴えるものが伝わってきていた。
ただの例え話ではない。
嘘も偽りも意味をなさない。本心の答えこそ、この場を変える。
本能的にジャストはそう悟っていた。
「おれは・・・ともに戦いたい。例え、一人では絶望的な戦いでも、僅かな力
であっても、ともに思い合えば・・戦える。互いを護りあって、帰ってくる。
・・・・・おれは・・それに賭ける。」
再度、深い沈黙。
二人はお互いに瞳を見つめ合っていた。どれほど、お互いが真剣であるかも、
解るほどに。
そして、ユリシスは深い溜め息をつき、
「かしこまりました。全てをお話し致します。」
ゆっくりと真実を紡いだ。
罪人【クーレン】は未だ見つからないこと。
しかし、おおよその検討はついていること。
「彼は『魔王の石鏡』の使い方を知っているようです。」
それが、どういうことか。
『魔王の石鏡』は人間の憎しみや闘争心、そして命さえも吸収し、魔力へ変換
することの出来る魔法道具【マジックアイテム】である。
罪人【クーレン】は力を欲していた。
彼は『魔王の石鏡』で力を手に入れようとしているのだ。
そして、
「憎しみや闘争心、そして魂を、一度に多くの人間から奪える方法・・・」
すなわち、
「戦を起こすというのか・・・?」
ジャストの問いにユリシスは小さく頷き、そのまま俯いてしまう。
「はい。そして、現に戦は引き起こされました。報告によると明朝にも戦は始
まるとのこと。我々、有翼人は盟約により自然王国サミサを助けなければなり
ません。」
「・・・通りで静かなわけだ。」
「・・・私は有翼人の長として、村を護らねばなりません。」
悲痛な表情だった。
罪人【クーレン】と接触出来るのはこの戦いの最中【さなか】でしかない。
しかし、それでは任された村を無視することになる。彼女の優しさと誠実さが
ここでもまた、彼女自身を苦しめることになっていた。
「しかし、あなたの目的はあくまで罪人【クーレン】のはずだ。」
ジャストの叱咤にユリシスは俯いていた顔を上げた。ジャストの瞳を再度真摯
に見つめる。そして、彼女はゆっくりと息を吐き、
「・・・・正義とは、辛いものですね。」
呟いた。
「そう・・かも知れない。」
ジャストは彼女の重みに曖昧な相槌を打つことしかできない。
彼女の重みは、とりわけ辛く苦しいものだ。しかし、後ろを向けば母の教えを、
延いては自身さえ否定することになる。
彼女は逃げることを許されぬ、辛い正義を持っていた。
だれも、代わることのできぬ苦しさを。
一人で背負わざるをえない辛さを。
終末まで。
助けのない。
孤独で・・・。
それでも、彼女は前に向き合う。
それが、自身にとって砕けそうな痛みだろうと、苦しさだろうと。
彼女は、自分自身の心にどれほどの辛さを課そうとも、屈することない。
ジャストから見た彼女は、まるでひび割れた硝子の剣【つるぎ】のように思え
た。
そして同時のこの儚い華【はな】を護り、咲かせてやりたいと、心からそう願
い、誓いを立てた。
剣【レイ・ジャスティス】に誓って、ユリシスを開放する、と。
その瞬間、ユリシスの瞳の色が変わった。
「・・・・・! 行きましょう・・間違いない、彼【クーレン】の気配を感じ
ます!!」
ジャストにも感じられたそれは、禍禍しい気。ここまで震撼させる魔王の力が
どれほどのものか。ユリシスは小さく震えていた。その小さな手をジャストは
後ろからとった。
ユリシスが驚いたように振り返る。
「ジャスト・・様・・・」
「・・越えなければ・・・ならないときがある・・・それが、今だ。」
ジャストの手は自らの恐怖症から震えていた。腕には鳥肌が立っているのが解
る。だが、必死に己の恐怖症を越えようとしているのだ。
それは、他人からみれば、どれほど些細な出来事だったかもしれない。しかし、
ユリシスには自分を勇気付ける厚意が身に染みていた。
瞳を上げ、ジャストを見つめる。そして、
「はい!・・・参りましょう。」
そう答えた彼女の瞳に、もう迷いはなかった。
第七章 運命
Act.1
「遅かったか・・・」
バーブ、フィア、ジュダイスの3名は日が変わる少し前に首都ワルトン入りを
果たした。しかし、ヨヴァルハ全軍とヨハンナ軍の大多数は既に出発した後の
ようだ。閑散とした雰囲気がそう伝えている。
「気付かれぬように、北の山々を大きく迂回してきたからな。」
フィアの冷静な答えにバーブは不服そうな顔をして、
「ならば、軍に特攻するべきではなかったのか?」
と、フィアに詰め寄る。
「待て。気持ちが昂ぶるのはよく解るが冷静になって考えてみよ。お主一人が
軍に楯突いたとして、時間稼ぎにもならぬ。それよりも、手薄になった城を落
とすほうが効率が良いとは思わんか?」
フィアは依然冷静な態度を崩さない。確かに全軍を一度に相手にするよりは、
城内の兵を個別に撃破し、城を制圧するほうが生存率は高いだろう。
バーブはその言葉に冷静さを取り戻し、フィアに非礼を詫びた。それを片手で
制し、フィアは言う。
「構わない。大切なものを護るために必死になれば仕方ないことだ。しかし、
冷静さを欠けば己の命を失うことになる。大切なものを護るために捧げた命で
あるのなら事を成すまで命を捨てるな。」
バーブはその言葉に深く頭を下げ、フィア一行はワルトリュキューラ城内へと
侵入していった。
§
しかし、3人が城内に侵入した頃には既に異様な光景が辺りに広がっていた。
そこはまるで嵐が去ったあとのように燭台は倒れ、絨毯は捻じれ、壁には窪み
が見て取れる。そして、壁にも床にも、天井にさえ血の海を描き出していた。
その量から推測すれば、一人、二人の騒ぎではない。何十人・・いや、何百人
という血糊は一面を赤々と輝かせているようにも思えた。
その凄惨さに言葉を失う3人。
「・・・な、なんだよ。これ・・・」
一歩踏み込んだジュダイスの足は血の海に吸い込まれ、バシャっと嫌な音を立
てた。もう一歩踏み込んだジュダイスの足がまたも血の海に吸い込まれ、今度
はフィアの頬に飛び散る。
「解せぬ・・・・わしら以外にもこの城に敵意を持つ者は少なくない。だが、
これほどの惨状を起こす実力の持ち主など聞いたことがない。大体、これは・
・・・・・」
バーブの言葉をフィアが引き継ぐ。
「・・・人の引き起こす惨状を超えておる。これほど大量の血の海だというの
に・・死体がない。」
ジュダイスとバーブの背中に戦慄が走る。それはフィアも同じ。
二人の瞳が集まる。
その先の答えを探るように。
フィアは意を決したように噤んだ口を開く。
「・・・・喰われたのかも知れぬ。」
瞳の色に少なからず動揺が走る。しかし、冗談と笑える余裕は、この異常時に
誰も持ち合わせていなかった。そして、続けざまに、
「ぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!」
悲鳴。
3人は咄嗟に駆け出していた。
声は反響して正確な位置は特定できなかったが、比較的高い声だった。女性か
もしくは子供のような声に聞こえた。
水溜りとなった血の海からバシャバシャと血が跳ね上がる。
そして幾つ目の角を折れただろうか、少女のような小柄な少年がこちらに向か
って走ってきた。
咄嗟に前衛のバーブが彼を担ぎ後退し、ジュダイスとフィアが前衛に進み出る。
辺りは拓けた広間になっている。謁見の間だろうか。中心には王座が確認出来
る。
二人が気を許すことなく気配を探っている隙にバーブは担いだ少年を下ろし、
問いかける。
「おい、大丈夫か?」
そして、顔を確認したところでバーブはこの顔に見覚えがあるのを思い出した。
「・・・お前は、第二王子のヨルガだな。」
その声にビクリとヨルガはバーブたちを見やる。その服にはワルトリュキュー
ラの紋章はない。
ヨルガは疲れたように微笑んだ。
「・・・サミサの者か。」
「そんなことはどうだっていい。これはどういうことだ?」
バーブはこの惨状についてヨルガを問い詰める。
だが、ヨルガが答えるよりも
早く答えは現れていた。
刹那、辺りに轟音が轟く。
謁見の間の上の天井が抜けたのだ。
そして、中心に蠢く巨大な影。
「・・・キマイラ!」
フィアが驚愕のため叫んだ。
合成魔獣キマイラ。その名の通り幾つもの魔獣たちを魔術によって合成させた
魔物【モンスター】である。しかし、当然ながら大陸に存在するような魔物で
はない。召喚には多大な犠牲を求め、維持することさえ困難な魔力を求められ
る。人が操ることの出来ない強大な魔獣。それが、キマイラだ。
獅子の胴体。蛇の尾。双頭の頭の一方は魔界の狼ヘルハウンド。もう一方の頭
は獰猛な人喰熊グリズリー。顔は赤く染まり、どれほどの兵たちを喰ってきた
のか解らぬほどの血糊がこびりついている。背には大型の翼が見える。元は白
かっただろうそれも、既に赤く燃え上がっており、一層凶悪さを増しているよ
うに思えた。
「やつに・・・喰われたのか?」
その問いにヨルガは頷きながら、苦い表情で前を見る。
「無様な話し、臣下に牙を剥かれた・・・三賢者の目的はこういうことだった
のか。」
魔界の狼が咆【ほ】える。
同時に灼熱の炎が辺り一面に燃え盛っていた。
Act.2
静かに夜が明ける。
低い山間のこの地には、未だ光は届くことはなかったが空が青みを帯びてきた
ことから、それも時間の問題であった。
木々の合間を縫った、けもの道のような整備されていない道を進む兵士たち。
辺りはまだまだ暗く、ただ歩くだけでも新参の兵士たちにとっては難儀な道で
ある。
その先頭に立って歩く巨漢。
巨漢はその手に持った戦長斧【バトルアックス】を無造作に振るいながら邪魔
な木々を倒しながら歩いている。しかし、そんな重労働をしながらの行進も彼
にとっては然したる問題ではないようだ。
その瞳に疲労感はない。
代わりに、その朱【あか】い瞳は怒りで炎が揺らめいているように思えた。
彼は苛立っていた。
生まれて初めて、獲物を逃したことに。
それも極上の獲物だった。
天が創造しただろう「それ」は、硝子細工のような美しさと青い果実のような
瑞々しい可愛さが溢れていた。
彼は、「それ」を壊してみたかった。
抵抗を無理矢理抑えつけ、己の手の中で踊らせ、抑えることのできない欲望の
渇きを教え、青い果実にむしゃぶりつき、美しい肌を、何度も何度も彼自身の
欲望で汚【けが】し尽くしたかった。
泣き喚こうが、噛み付こうが関係ない。
いや、その抵抗さえ、彼にとっては悦楽の時間なのだろう。
しかし、それを奪われた瞬間に、彼は極度の渇きを憶えるようになった。今ま
で欲しいものは何でも手に入れてきた。手に届かないものなどない、と信じこ
んでいた。だが、現にそれは彼の前に現れた。
喉が渇く。
苦痛であった。
何故、あのときに弟【ヨルガ】に関わったのかと、思い出すと無性に苛立ちが
増した。
その怒りの炎が彼の瞳に溢れかえっていた。
その怒りの炎に木々が焼き尽くされたかのように、視界が開けた。
神王醒川【ハイネリバー】西側の川原。
藍色の空が兵士の衣類を照らした。
ワルトリュキューラ帝国第一王子の率いた兵士たち。
先頭を歩いていたのは、第一王子ヨヴァルハである。そして、その瞳は対岸を
見据えた瞬間にさらに赤く燃え上がった。
対岸にはサミサの旗をあげた軍がヨヴァルハの軍を睨み付けていた。
兵力から考えれば圧倒的にワルトリュキューラに分がある。
しかし、サミサは奇襲などの兵法をとらず、真っ向からの勝負に出るというの
か。
「雑魚どもが・・・いいだろう、全軍、砲撃開始ッ! 一人として生かして帰
すな!」
ヨヴァルハの指揮の下、砲撃が開始され、神王醒川は戦場へと変貌していった。
Act.3
深い藍色の空が橙色に燃え始める。
ティーナはその陽光【ひかり】を受けながら、懸命に羽ばたいていた。
東には大きな港町が見える。いくつもの大きな船舶が停泊したその街は、大陸
屈指の港町で、名をフォス【フォスの港町】という。
彼女は一夜で大陸を横断し、サミサ自然王国首都サミサの袂【たもと】まで辿
り着いていた。
しかし、伴って彼女の純白の翼は、もう限界であった。
本来、天使の翼は長時間飛行に耐えれるような実用的な意味で携えられている
ものではない。天使としてのいわば、高貴な者の尊厳として与えられた一種の
装飾【インテリア】なのである。ゆえに有翼人と比較すると、翼は小さく尾も
存在しない。特に尾はバランスをとる役割として非常に重要なのであるが、装
飾としては認められなかったのだろう。
そんな飾り物の翼で休みなく飛び続ければ、当然の結果であった。
しかし、彼女の瞳には確かな意志が宿っており、休息をとるつもりは毛頭ない
様子だ。その瞳は、目標【まえ】しか見えていない。
彼女は翼を一度大きく羽ばたかせ、上空へと舞い上がり、北東へ旋回し、最後
の力を振り絞って、飛んでいった。
§
「戦況はどうなっているのでしょう?」
サミサ自然王国サミサ城。僅かながら拓けた土地の最も東。これ以上東は断崖
絶壁の下に海。正に最東端の城と呼べることだろう。
その王城の謁見の間から広がるバルコニーへ、長く美しい金髪を肩元で束ねた
美少女が躍り出ていた。その動作には気品が溢れ、まだ幼さの抜けきらない顔
立ちを美女へと変えるに十分である。
サミサ自然王国国王サミサーナ女王である。まだ19という若さでだが、その
表情には気品と意志の強さが表れており、彼女はその責務を全うしようとして
いる。
彼女の瞳は今、西を覆う森のそのまた向こうを見ようとしていた。
「少なくとも優勢ではないでしょうね。」
その問いに謁見の間からサミサーナに向かって放たれる鈴の音を例えたような
美声。だが、その美しい声はそれ以上に冷酷さを含んだ声に思えた。声の主は
事実を言っているのだけなのだろうが、その冷たい声は死神のようにも思える。
サミサーナは声にピンと反応し、バルコニーから謁見の間に視線を移す。その
視線の先には二人の人影が見える。
一人は黄金色の長髪に深い蒼色の瞳が印象的な美人。出立ちから騎士か吟遊詩
人と見て取れる。しかし、瞳は凍てつくような冷たさを放っており、先ほどの
声の主はこちらだと解る。
もう一人は、対照的に春の優しい日差しを思わせる瞳を携えた美少女だった。
彼女の瞳は新緑を彩り、髪もほぼ瞳と同色である。顔立ちは年齢よりも幼い様
子だ。それとも部分的に発育の良い少女なのか、淡い桜色を基調とした大きめ
の長着【ローブ】を羽織っているのにも関わらず、胸元には見事なふたつの膨
らみが見て取れた。
その春日の瞳を持った少女が隣に立っていた美人の腕を小突く。
「シヴァ、そんな言い方はないでしょう? サミサーナ陛下は民草を護るため
に自らの命を差し出そうとするほどの御方よ。本来なら、いくら私たちの進言
とは言え、聞き入れて下さらないわ。でも、今回に限って、臣下の者にも説得
されて、ようやく抗戦を決意されたのよ。先ほどの言葉は失礼です、謝りなさ
い。」
そう。春日の瞳の少女がシヴァと呼んだ者はフィアを片手であしらった、あの
シヴァであった。
「何故、私【わたくし】が謝罪せねばならないのですか。私は真実を告げたま
でです。」
しかし、シヴァはその言葉に不服を申し立てる。
そう、春日の瞳の少女もまた「神の見習い」であり、名をマリアという。彼女
は優しさという心を司る「優神」を目指す少女である。そして、
「まぁ! シヴァったら! 子供の頃、あんなにお世話してあげたのに。私の
言う事が聞けないというのね?」
シヴァの叔母に当たる。
「!」
「酷いわ。あの頃は友達がいないくて、いつも泣いていたのを慰めてあげたの
に。それに、おねしょをし・・・」
マリアは饒舌に泣きまねを交えながらシヴァの過去の秘密を明かそうとしてい
く。それに耐えきれず、シヴァは慌てて口を挟んだ。
「わ、わかりました、わかりましたよ。叔母さんには敵いませんね。」
その言葉を聞いてマリアはニッコリ微笑む。
「女王サミサーナ、先ほどの非礼お許しください。」
流石に気品溢れるシヴァは作法も心得ている。彼は中途半端な美を嫌っている。
そして、完全なる美を知っているからこそ己の裁量を存分に発揮する。他人の
目には本来みっともなく映る姿も、彼にかかればどちらが非礼を詫びているの
か解らないほど映える。
そして、サミサーナは首を横に振った。
「いいのです、マリア様。シヴァ様は事実を告げたまで。わたくしの覚悟が足
りなかったのです。」
しかし、彼女の瞳は悲しみに彩られていた。森の奥では今尚、多くの兵士達が
傷付き、命を落としているのかと思うと自身の選択に自信が持てないのも仕方
のないことと言えた。そんなサミサーナを元気付けるようにマリアは近付く。
サミサーナの前まで歩み寄り、その俯かれた面【おもて】を覗く。サミサーナ
の身長は比較的高めで、マリアの方は子供のような背丈なので、ちょうど大人
の瞳を子供が覗く構図に見える。
マリアは優しい笑みを浮かべながら胸元で手を組み、
「祈りを捧げましょう。」
と、囁く。導かれるようにサミサーナも瞳を閉じ、手を組む。
「大丈夫。森には私とシヴァが張った加護の法術と戒めの結界があります。そ
れに、有翼人たちも我々の力となってくれています。あなたは皆の力を信じ、
決して心を挫くことなく待つのです。祈りは必ず届きます。主を信じなさい。」
「はい、マリア様。」
国王としての責務に押し潰されそうになりながらも、サミサーナは必死で耐え
た。
未来の皆の笑顔の為に、心からの祈りを捧げた。
その祈りは届いたのかもしれない。
「! あれは・・・」
シヴァが逸早く気付く。
その声に二人は顔を上げ、シヴァの視線の先に目をやる。
南の空に純白の翼が舞った。
「・・・天使様?」
サミサーナの呟きは小さくとも、希望の光が宿ったように思えた。
§
「見えた。」
悲鳴を上げる翼に最後の鞭を入れ、ティーナはサミサ城の2階のバルコニーへ
滑り込むように降り立った。
バルコニーに3つの人影を確認したので、彼女は降り立つとほぼ同時に渇いた
喉から声を絞り出す。
「突然の無礼をお許し下さい。私はティーナと申します。ワルトリュキューラ
帝国第三子、ヨルガ王子の書を賜っております。これを、サミサーナ国王陛下
へと。」
ティーナは腰のポーチから認められた書を取り出す。
その声にサミサーナは一歩前に出て、ティーナからその書を丁寧に受け取った。
書には確かにヨルガの書体でサミサーナに謝罪する文面と、停戦調停への希望
が書かれていた。その内容は、これまで通りの、いやこれまで以上に双方の国
家を繁栄させることを前提とした調停案であった。
「王子はこれまでの行いを悔い改め、サミサーナ国王陛下に心からお詫びを申
し上げておりました。そして、もし許されるのならば、もう一度、お逢いした
いと申し上げておりました。」
ティーナは呼吸を整え、言葉を整理しながら、丁寧に言葉を紡いだ。
その言葉にサミサーナは真摯に頷く。
そして、思いは・・・届いた。
サミサーナは急ぎ、ヨルガ宛に書を認める為、自室へと消えた。
それを確認したティーナは緊張の糸が切れたように安堵の表情でその場に座り
込む。
実際、もう彼女の翼は使い物にならなくなっていた。装飾【インテリア】とし
て携えられた純白の翼には皹が入り、折れるのも時間の問題かと思えた。
しかし、ティーナにはまだやるべきことがある。サミサーナの認めた書をヨル
ガに届け、戦を終わらせてこそ本当の終結である。それまでは壊れるわけには
いかない。
とにかく、今は少ない休息の時間である。
ティーナは瞳を閉じた。限られた時間で、最大限回復する最善の方法は睡眠だ。
自然体の呼吸法は何より疲労を癒す効果がある。
そして、極度の疲労も手伝ってティーナはすぐに眠りに落ちていった。
Act.4
本来、有翼人は夜目が効かないと云われているが元天使長ユリシスにとっては
些細なことであるらしい。
彼女はジャストを抱いたまま禍禍しい気配を手繰りながら飛んでいた。
そして、まだ夜も明けきらぬ頃に気配の元へと辿りつく。
その場所はワルトリュキューラ帝国城。
禍禍しい気配は確かにここから放たれている。
二人はお互いの気持ちを確認するように頷くと屋上へと降り立った。
辺りは夜の闇に包まれていた。
しかし、彼らが屋上に降り立った刹那、知っていたかのように燭台に灯が灯さ
れていく。
壁伝いに白い光が奥へ奥へと進み、二人の影の伸びた先に新たな影が浮かび上
がる。
そして、白い光が影の顔を照らし、ユリシスは小さく呟く。
「クーレン・・・」
そこには、三十歳前位の頬の痩せこけた男が立っていた。
「こちらに降りてからトゥルーリンと名を変えた。その名は天界で捨てた名だ。
よもや二度とその名で呼ばれることはないと思っていたが・・・」
彼女の小さな呟きに、彼は目を細めながらそう答える。
瞳には複雑な表情が浮かんでいた。
懐かしそうでも、楽しそうでもあった。
そして、苦しそうでもあった。
ユリシスは言葉を失っていた。
頬は痩せこけ、あの炎のような活力に漲【みなぎ】っていた若者の瞳は穏やか
な水面へと変わっていた。だが、その瞳は明かに危険な色を灯していた。例え
るなら切り詰められた崖に追いつめられた者の眼だった。どれほど、己の色を
消したとしても滲み出る気配。
それが、あの頃と大きく違っていた。
「・・・あなたは・・変わったわ。」
迷いが、なくなったもの。
瞳が触れ合う。
「・・・・・そう・・だな。・・・・そして、君も・・・・変わった。」
瞬きもない。
お互いの心を読み取るかのような、真摯な瞳だった。
「変わることを望んだのは、私自身。でも・・あなたには、変わってほしくな
かった・・・・・」
「ふふ・・確かに。老いとは醜いものだな。」
己の頬を撫でながら、クーレンは嘲るように言う。
「違う!」
「違わないさ、ユリシス。・・・・・確かに君はまだ知らないだろう、天使と
して生を受けた身体ならば。解るはずもない。我々人間の鍛え上げた肉体は、
既に朽ち始めているのだよ。」
ユリシスの声にクーレンは自分の言葉を被せる。自分の言葉こそ絶対なのだと
いうかのように。その言葉に、彼女はもう一度しがみ付くかのように声を振り
絞った。
「いいえ! 解ります。私は・・・」
「・・・有翼人【ハーピー】に堕ちたからとでもいうのか? 解っていないさ。
有翼人の寿命や肉体生長期は人よりも遥かに長い。所詮、人でない君には絶対
に解らない。」
クーレンの瞳に何かが宿ったように思えた。
それは怒りというよりも・・・・・。
「・・・・・違うだろう、ユリシス。君はこんな話しをするためにここへ来た
のではないはずだ。用件を言え。そして、その用件が『魔王の石鏡』を返せと
いうものならば・・・・・」
クーレンの回りに凄まじい魔力の奔流が渦巻く。
「我を倒せ・・・出来ればの話しだがな!」
ユリシスには・・・・・焦りのように思えて仕方なかった。
§
二人の戦いは人知の想像を、そしてジャストの想像さえ遥かに超えてしまって
いた。
ユリシスの唱えた魔術は既に百を越えた。その中にはジャストが聞いたことの
ない魔術も多く存在した。彼女の魔術はまるで打ち寄せる波のように切れ目が
なく、呪文は短めだが威力の高いものから低いものまで様々な魔術が彼に狙い
を定め放たれていく。火、水、風、地の四大元素はもとより、光、闇、冷気、
爆発、雷・・・ありとあらゆる属性の魔術が無限の波のようにクーレンへと向
かってゆく。
しかし、その魔術のいずれも彼に傷を負わせることは出来なかった。
何故ならば、クーレンの唱えている魔術は、誰でも知っている単に己の魔力を
練り上げて叩きつけるだけの基本的な魔術であるが、彼の持つ『魔王の石鏡』
が無限の魔力を彼に授けているのだ。
そして、その力は練り上げるまでもなく、洪水のように溢れ、彼の全身を包ん
でいる。無限の魔力は絶対防御の魔術障壁となり、決して貫けぬ壁となってい
た。
「くッ!」
どれほどの時間が経過しただろう。既に夜は明け、ユリシスの魔力も疾【と】
うに限界を超えていた。
息が上がり、顔面も蒼白になっている。
これ以上は無理だ。
「下がるんだ、ユリシス!」
おれが食い止めなければ、終わりだ・・・。
あの凄まじい魔力の奔流を一度でも凌ぐ自信はなかった。しかし、そうしなけ
れば二人とも志し半ばで倒れることとなる。延いてはお互いに敬愛する『母』
の教【おしえ】を汚すこととなる。
ジャストは誓ったのだ。
儚い華【ユリシス】を開放する、と。
剣【レイジャスティス】に誓いを立てたのだ。
母さん、力を!
震える手に活をいれ、背負った巨大な剣の柄を握る。
ユリシスがジャストの声に気付き横【サイド】に退いた。
今だッ!
「抜【バツ】」
ジャストが咆える。
同時に剣を納めていた鞘は魔力に反応し、消失する。
柄の先のクリスタルの中のルビーが輝きを増す。
刀身が赤く輝く。
周囲の空気が震え!
ブゥワドドドドドドゥ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天から轟く爆音と万物を焼き尽くす裁きの光炎【ブレイズ・バベル】が確実に
クーレンを捉え、焼き尽くしていた・・・・・。
§
万物を焼き尽くす裁きの光炎は延々と燃え盛っていた。それは、対象がまだ、
焼失していないことを意味する。だが、時間の問題だ。いくら無限の魔術障壁
があろうとも、裁きの光炎はその魔力ごと焼く。逃れる術【すべ】はない。
それをユリシスは呆然と眺めていた。
「ユリシス・・・」
ジャストは大丈夫か、と問いかけようとして止【や】めた。
愚問だ。
過程はどうであれ、結果的にクーレンを説得することが出来なかった。そして、
彼女は心の奥に溢れる純粋な気持ちを告げることが出来なかったのだ。
結局、彼女はジャストの視線を気にして自分の正義を無理に納得させてしまっ
たのではないか。
ジュストがもし問いかけたとしても、彼女は無理に笑うだろう。本当の心を押
し殺して、元天界の者としてジャストを称えるだろう。本当なら一介の有翼人
として裁きの光炎の中に飛び込み、己が焼かれようとクーレンを助け出したの
ではないか。
おれは、彼女の気持ちを知っていながら、おれ自身のエゴを押しつけてい
ただけかもしれない。
彼女の正義を阻んだだけかもしれない。
そう思うと、ジャストは何も言えなかった。
炎に照らされ赤々と輝くユリシスを遠くから見つめるだけであった。
だが。
ありえないことが起こっていた。
二人が一瞬の息苦しさを感じた直後、裁きの光炎は音もなく収まりかえってい
たのだ。
そして、刹那。
ジャストの身体はまるでゴムマリのように壁に叩き付けられ、床を弾んで転が
っていた。あまりの一瞬の衝撃に痛みを感じないほどに。だが、それが現実で
あることを示すようにうつ伏せになった全身が一斉に悲鳴を上げ始める。
身体に受けた衝撃を確認しようと息を吸い込んだ瞬間、激しく噎せ返り意識が
飛びかける。口からはおびただしい血が吐き出された。口元で血がまとわり付
き呼吸さえ困難になる。
その瞳が上を見上げる。
その先に映るものは・・・。
ジャストは息を呑んだ。
眼を瞑【つむ】った。
・・・耳を塞ぎたかった。
そして・・・・・絶叫。
「ぃッぎィッやぁぁぁぁあっぁあぁぁぁぁぁあっぁぁぁあぁっぁあぁぁ・・・l
その先に映ったものは、クーレンの手がユリシスの翼を引き千切る瞬間だった
のだ。
ユリシスの悲鳴が尾を引き、力尽きて消えた。
背からは激しく血液を吹きあがらせている。彼女の上体は既に支えられなくな
って床に倒れこんでいた。
「邪魔だ・・な。」
クーレンは呟きながら、同色だった尻尾も引き千切る。
再度、彼女の悲鳴が空気を震わせた。しかし、先程と比べれば既に彼女の生命
力は尽きかかっているのは明白だった。
続けて、クーレンはユリシスの首を捉え宙吊りにする。
「・・・人間と同じ姿で死ね。それが、せめてもの手向けだ。」
クーレンの瞳が細められる。
駄目だ! やめろッ!!
「やめてくれーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
辛うじてクーレンの手が止まる。ジャストはもう一度精一杯の声を放つ。
「クーレン・・ッ。お前は気付いているはずだ・・・・・ユリシスは・・・・
君のことを・・・・・・・」
これ以上、彼女の本心を代弁していいものか迷う。それは、彼女の口から紡ぐ
べき言葉なのだから。しかし、宙吊りのユリシスは既に息も絶え絶えでとても
言葉を紡ぐことなど出来そうになかった。
だったら・・・おれが・・・・・
「・・・お前は何様のつもりだ。」
しかし、クーレンはジャストを見ようともしない。しかし、その言葉の冷たさ
はジャストの口を噤ませるのに十分だった。
「軽々しく人の思いを語るな。お前の感じているものと、こいつの感じている
ものが同じだと誰が言える。己の心の手綱を握っていても、それさえ上手く操
れない。己さえ操れないものを他人が理解できるだと・・・・・笑わせるな!
・・・・・人は、決して分かり合えない。それが、理【ことわり】だ。」
鉄の思想。
彼にとってこの思想は絶対を思わせるものがある。
「気に入らぬ。なぁ・・ユリシス。」
クーレンの瞳がジャストに振り返り、ユリシスを放す。ユリシスは崩れるよう
にクーレンにもたれ掛かっていた。ジャストの視線からでは生死の判断はつか
ない。
「・・ふふ。ひとつ、面白い余興を思いついた。」
刹那、ユリシスは身を預けていた状態からふらりと立ち上がった。しかし、そ
の動きはジャストの背筋に嫌なものを這わせていた。
あまりにも自然に立ち上がるユリシス。それが、不自然だった。
あれほどの傷を負っていながら、痛みを感じていないような素振【そぶ】り。
そして、ジャストの嫌な予感は的中する。
「ユリシス、あやつを殺せ。」
ユリシスの身体が一歩、また一歩とジャストに向かって動き出す。
「!!」
彼女の頬は涙で濡れていた。
しかし、四肢は動く。傍らに立て掛けられた剣を取り、足は確実にジャストへ
と向かう。
ユリシスは泣いた。
泣きながら叫んだ。
「・・・ジャストさまぁぁぁ〜〜〜〜〜逃げてぇぇぇぇぇーーーーーー!!」
クーレンの瞳は嗤【わら】っていた。
Act.5
「・・・ティーナ・・・」
どこかで、ティーナを呼ぶ声が聞こえる。
だれ?
その声を聞くのは、随分懐かしいような気がする。しかし、思い出す前に彼女
の意識は目覚めてしまう。
「・・・ティーナ様。ご気分はいかがですか?」
目覚めたティーナの瞳に一番最初に入ってきたものはサミサーナであった。
慌てて上体を起こそうとして、下が柔らかなベッドだということに気付く。
「申し訳ございません、休ませて頂いて。」
ティーナは床に降り立ち、傍らのサミサーナに礼を言う。
「しかし、ほとんど休まれてはいないようですけれど・・・」
サミサーナが心配そうに言う。しかし、時間【とき】の余裕がないことは、誰
もが知っている。
「いえ、大丈夫です。行きます。」
例え、この翼が折れようとも・・・
ティーナは腰のポーチにサミサーナから受け取った書を大切にしまい込み、翼
に意識を集中する。が、
「・・・お待ちなさい、ティーナ。」
シヴァとマリアが一礼して入ってくる。
「その翼では、もういくらも飛ぶことはできまい。私【わたくし】の転移【ワ
ープ】の魔方陣【ルグローム】でワルトンまで送りましょう。」
そう言って進み出たのはシヴァであった。確かにそれならば大幅に時間を短縮
できる上に、危険も少ない。
ティーナは有り難く申し出を受けることにする。
「但し、細かい転移場所まで指定は不可能。残りはなんとかなさい。」
シヴァはティーナを制し、魔方陣を描き始める。
空に描くは行動系の魔方陣、橋【ブリッジ】。効果記号が様々に散りばめられ
ティーナの全身が光に包まれ、歪むように消えた。
「天使様。ヨルガをお守り下さい・・・」
サミサーナは胸元に手をやり、祈るように目を閉じた。ドレスの胸元には一通
の書が忍ばされている。ヨルガの書から落ちたもう一つの小さな書。そこには
ヨルガの熱い想いが認められていたのだった。
§
ティーナが瞳を開いたとき、足は地面を捉えることはなかった。慌てて翼に意
識を集中しようとするが、それよりも早く地面が可愛いお尻を打ち付けていた。
「あぃたたた・・・・」
お尻をさすりながらも、場所を確認しようとして辺りを振り返る。
「えっ!? き、きゃぁぁぁぁッ!」
しかし、眼前に迫っていたのは鈍い光を放つ刀身だった。ティーナは驚愕し、
一瞬の隙が生まれ全身が硬直する。
駄目ッ、躱せない!
ティーナは咄嗟に腕を眼前へ翳す。
腕で勢いを止めることが出来ればよかった。今のティーナにとって腕の一本や
二本失うことなど然したる問題ではなかった。サミサーナの書をヨルガに届け
ること、それが最優先行動なのだから。
「ティーナっ!」
何処かで聞いたことのあるような声と同時に腰へ斜め後方から組み付いてくる
影があった。ティーナは固まった全身から身動きとれずに横に投げ飛ばされる。
辛うじて受身をとったので痛みはなく、結果的に刀身を躱すことも出来た。
ティーナは組み付いてきた声の主を見やる。
神秘的な幾重の帯が重なったような衣を纏い、うつ伏せの背には巨大な剣が担
がれている、黒髪の青年。表情から痛みを押していることが伺える。そして、
ティーナにはこの声が懐かしくて仕方なかった。
しかし、彼女の消え去った記憶は、元凶を目の前にしても戻ることはなかった。
「・・・あなたは・・誰?」
§
その問いに黒髪の青年、ジャストは身体を震わせる。
「な、なにを?」
ジャストはティーナがふざけているのか、もしくは、憎んでいるのかと思った。
しかし、こんな状況ではどちらも容易くはできまい。
・・・!まさか!・・・
ジャストの脳裏に閃くものがあった。しかし、同時に彼の元へ刃が迫る。
「っく!」
もう一度、ティーナを抱いて大きく横っ飛びする。全身が悲鳴を合唱【コーラ
ス】する。
足元がふらつきながらも、ジャストは前へ向き直る。
刹那、全身の痛みで意識が飛び掛ける。
先には泣きながら剣を構えるユリシスと、せせら笑うクーレンが存在する。
このままでは駄目だ。
ジャストは大きく息を吐いた。
決断しなければならない。
ここで起こったことを忘れる、すなわち、逃げだすか。クーレンを裁くために
ユリシスを止める、すなわち・・・殺すか。
どちらか、二つに一つ。
その思考に気付いたのだろうか、ユリシスが声を振り絞る。
「ジャスト様ッ! 私のことは・・・私を・・・殺して下さい!!・・・・・
もう、私に・・残された命はあと僅か・・・・・そして・・・私にはもうこの
人を止める力は残っていません・・・・・・お願いです・・・この哀れな男を
・・・・・・・・」
鼓動が波打つ。
刹那。
ユリシスの剣が己の心臓を貫いていた。
「・・!!!!! ュっ、ユリシーーーーーーーーーーーースッッッ!!!」
絶叫と共に、ジャストはユリシスの元へ駆け出していた。
しかし、もつれそうになる足は一向に前に進まない。更に追い討ちをかけるよ
うに全身が軋む。
そして、彼女の周りに光が集う。
金色の光だ。
神々しい輝きは彼女の身体を包み始める。
「ま、待てッッッ! やめろぉぉぉぉぉっっっ!!」
光はユリシスの指先を包み込むと、彼女の指先を塩へと変えた。
「やめるんだぁぁぁぁぁあぁっッ!!!」
光はユリシスの足を包み込むと、彼女の足を塩へと変えた。
「やめてくれぇぇぇぇえぇぇっっっっッッッ!!!!!」
光は、整った顔を、腕を、太ももを、胸を、腰を・・・・そして、最後に胴を
塩へと変え、消失した。
残ったのは美しい塩の彫像。
そして、最後にはそれさえも自然に崩れ去っていく。
右耳に飾られていた真珠大のイヤリングが膝を折ったジャストの前に転がり、
止まった。
赤い光沢を放つそれにジャストの顔が映る。
瞳の閉じられた彼の頬には、もう涙は流れなかった。どれほど枯れた涙を流そ
うとしてみても表情だけが歪むばかりで・・・・・・・・・・・・・そして。
代わりに浮かぶ表情は、悲しみよりも・・・
深い、
暗い、
淀んだ、
憎悪の炎であった。
§
いや・・・怖い・・よ・・・・・
塩と化したユリシスのことではない。ティーナは傍らで蹲【うずくま】るジャ
ストと呼ばれた青年から発される憎悪の感情に恐怖を隠しきれなかった。
指先は震え、鳥肌が全身を支配する。
しかし、ティーナは確かにこの青年から失われた記憶の残り火を感じていた。
形にならない、何かを確かに感じ取っていた。
だから、彼女は抱いた。
憎悪の炎を。
彼女の瞳に涙が溢れた。声も上ずって、上手に話せなかった。
それでも、ティーナはジャストを抱きしめた。
思いが欲しかった。
不確かな砂で出来た絢爛【けんらん】な城ではなく、
確かな痛みを感じる茨の森へ行きたかったから。
「ごめんなさい・・・・・あなたは・・私を知っているんだよね? さっき、
『ティーナ』って名前を呼んでくれたの・・・憶えてる。凄く・・・・・・・
懐かしいの・・ホントだよ。その声も・・・そのしゃべり方も・・・・優しさ
も・・・懐かしいの・・・・・ううん、憶えているの・・・・・・・・だけど、
何故なの? あなたの名前だけ・・思い出せないの。・・・・・あなたは今、
痛いんだよね?・・・苦しいんだよね?・・・悔しいんだよね?・・・・・・
うん・・・解るよ。あなたのこと解るの。・・・・・・・だけど、どうして?
名前だけ・・・名前だけ・・・思い出せないよ。ねぇ・・・どうして? 私は
あなたを・・スキみたいなのに・・・・・」
零れ落ちる涙が石畳の上に爆ぜる。
すると、ティーナの純白の翼が輝き出した。
白光。
緩やかな、温かな光。
次に瞳を開けたとき二人は白で歪んだ空間にいた。
二人は向かい合っていた。
その中央に二人の記憶が溢れていた。
「これは・・・」
ジャストが呟く。ティーナがフィアに召喚された記憶だ。召喚した聖戦処女に
女悪魔を併合させたフィアは眠るティーナに呪術を唱えている。呪術の知識は
少ないジャストもその呪文は聞いたことがあった。
「・・・そう、だったのか。」
ジャストはもう一度呟いた。
記憶は終わった。そして、理解した。
ティーナの記憶喪失の理由【わけ】を。
本来、召喚という魔術は当然ながら召喚者【サマナー】が契約を断ち切れば、
召喚に応じた者は記憶を失い元の世界に戻るはずなのである。ティーナを傷付
けたあの時、ジャストは契約を放棄した。しかし、ティーナが変わらず存在し
ていたのはフィアが召喚を行ったため。そして、記憶を喪失した理由は強制的
に掛けられた魅了の呪術が召喚の契約放棄により錯乱し、召喚者を思い出せぬ
副作用を引き起こしたのだ。
ジャストはもう一度息をつき、ゆっくりと記憶の奔流を眺めていた。
一方ティーナも記憶の奔流を見つめていた。
その記憶はまだ、ティーナが召喚される前の記憶。フィアに苛められている幼
いジャストが見える。そして、次の記憶に彼女は驚いた。
自分が居た。
否、正確には違う。ティーナは銀髪なのに対して、その記憶の女性は金髪であ
った。しかし、それ以外の髪型や顔立ちなど今のティーナに生き写しであった。
そして、その者が先程塩と化したユリシス、その人ということまで。
「・・・そう、だったんだ。」
二人はお互いの記憶と自身の記憶の奔流を永遠とも思える時間、眺めていた。
そして、お互いが自分自身を取り戻す頃、白い光はゆっくりと収まっていった。
それは、現実の世界では刹那の出来事でしかなかったことに違いない。
しかし、二人は戻っていた。
ひび割れた心をお互いに取り戻したのだ。
二人は立ち上がり、お互いを一度見詰め合って、動いた。
いや、動いたという表現は適切ではないだろう。
二人は消えた。
それほど、瞬間的に動いていた。
ジャストが右からクーレンの足元に具現化魔術を打ち込む。魔術は障壁に阻ま
れ角度を変え消失する。しかし、その一瞬窪んだ瞬間をティーナは見逃さない。
「掃体撃【そうたいげき】ッ!」
捻りと体重を乗せた後方足払い斬撃がクーレンの脛を切り裂く。
「こしゃくなッ!」
クーレンが眼前のティーナに向けて魔弾を放つ。
ティーナはまだ体勢を立て直していない。しかし、その身体はジャストが先程
放った具現化魔術によって吹き飛ばされたあとだった。
魔弾が空を切る。
「終わりだ!」
クーレンの障壁は魔弾を放った後、すなわち薄い。
レイジャスティスが灼熱の炎を纏う前、高速で突き出された刀身は違【たが】
うことなくクーレンの脳を一突きし、クーレンは絶叫をあげる間もなく絶命し
ていた。
Act.6
「収【シュウ】」
ジャストの掛け声にレイジャスティスは音もなく鞘に収まった。
その声にむくっと起き上がるティーナ。
「ひッどーい! ジャスト様〜一番の功績者を気遣う前に剣を収めないで下さ
いよ〜〜〜ッッ!!」
「・・・元気じゃねぇかよ。」
ティーナの抗議にジャストはやれやれといった表情で答える。
「でも〜こういうときは剣を投げ捨てながら『大丈夫か、ティーナッ! すま
ない、俺のために!』とか言いますよ〜〜〜普通。」
地べたに足を崩して座りながら、ぶぅと頬を膨らませているティーナ。その顔
が可笑しくて破顔するジャスト。
「あーーーーーッ!! 笑いましたねーーーーーーッッ!! 酷いッ、酷すぎ
ますッ!!」
「悪い悪い。あまりにも・・可愛かったからさ。」
「うそ臭〜〜〜〜い!」
笑いながら答えるジャストにティーナはまだまだ不満気だ。
「解った、解った・・・・よっ!」
ジャストは座ったティーナの膝の裏と背中を支え、抱きかかえる。
「とりあえず・・・どうすればいいんだ、お姫様?」
「えッと・・その前に一つだけ聞かせてください。」
そのときポツリ、ポツリと雨が降り始めた。
抱きかかえられたまま、腕の中で恥ずかしそうにティーナは小さくなった。そ
の表情は少し不安な色も見て取れた。
雨宿り出来そうなところは城内に入る入り口ぐらいしかない。ジャストはそこ
へ向かおうとすると、ティーナは「このままで。」と制した。
「ん? なんだ?」
なるべく、優しい表情でジャストは問う。
「ユリシス様が・・・スキ・・・なんですか?」
言葉を発した後、雨は強さを増し、ティーナは余計に小さくなったような気が
した。不安な色も一層深くなっている。小動物ようなティーナ。
ジャストは少しだけ思案した。どんな言葉で告げようかと。しかし、それこそ
無意味な行動に気付く。
「そうだな、好きだよ。・・・だけど、それは敬愛、つまり尊敬しているって
意味の方が強いな。」
「じゃぁ、ティーナは? ティーナは〜?」
ティーナはジャストの首に腕を絡めて揺するようにする。まるで、子供が親に
甘えるように。
瞳の色はまだ少し不安げだ。無邪気な子供のように振る舞っているのは不安の
裏返しなのだろう。
雨はすでに土砂降りに近くなっていた。
「・・・さぁな? 妹か・・?・・・・・もう、いいだろ? 城内に入るぞ。」
冷たい雨が容赦無くティーナとジャストを打ち付ける。しかし、ティーナは首
を横に振る。水を吸った淡い黄色のリボンを解きながら。
「ジャスト・・さま・・・・お願い・・私にまで無理しないで。」
「なにを・・・!んんっ!?」
ジャストの思い描いた「なにを言ってるんだ?」という台詞【セリフ】は温か
で柔らかいものを押し付けられて言葉を失ってしまっていた。
それは1秒も触れていない。
ささやかな・・。
「お願い・・この雨の中でなら・・・誰にも見られることない。」
既にお互いの声も聞き取りにくくなっているほどの雨を受けながら、ティーナ
は言葉を紡いでいた。
「な、なにを・・・」
もう一度、言っているんだ、というフレーズだけが雨の気配に消えた。しかし、
その言葉が口に出来なかったのは、もう喉が震えて声が出なかったからだ。
それは、雨の冷たさでも、ティーナの唇に恐怖したわけでもない。
ただ、引き攣って普段通りの声は出せないように思えた。
そして、呼吸が乱れたとき・・・
「泣いて・・・・いいよ・・・ユリシス様のために・・・・・泣いてあげて。」
ジャストは雄叫びを上げるように号泣していた。
激しい雨の中でその涙は石ころ程度の比重しかない。しかし、枯れ果てたと思
っていた涙は小雨になるまで流れつづけていた。
その涙をティーナは舐めていた。
猫が主人の顔を舐めるように。
それが今の自分にしかできない、精一杯の愛情だった。
雨はいつしか小雨になっていた。
ティーナの唇はいつしかジャストの唇をついばみ始めていた。
小鳥のキス。
「ジャスト・・・」
「・・・ティーナ」
僅かな吐息に含まれる言葉。
触れるキス。
存在しているキス。
何度も何度も小さく刹那的に触れ合う。
温もりを伝えるのではなく、
お互いに必要だったものの手がかりを探すかのようなキス。
いつしか、ティーナの瞳にも涙が溢れていた。
しかし、それは悲しい涙というよりは、むしろ嬉しさの涙だった。
夢。
ジャストさまを名前で呼んでみたい。
ジャストさまにすきになってもらいたい。
そして、じゃすとさまにきすされたい。
叶うことなどないと思っていた夢。
偽りの感情だと思っていた気持ち。
それが、今ティーナにははっきりと本心だと解る。
ジャストの優しさを知っていた。
だからこそ、本心を読んでしまったことを後悔した。
例え、気を惹くための外見としてフィアがユリシスに似せて創り出した者
だとしても、こいつは記憶を失いながらも俺を好きだと言った。許されぬ
愛だとは解っている。だが、俺はティーナを幸せにしてやりたいんだ!
ティーナはジャストに向かってはにかんだ。同じようにジャストも照れたよう
に笑みを浮かべた。
言葉はなかった。
しかし、お互いに思ったことは一緒だった。
・・・・・・・・・・・・・・幸せにしてあげる・・・・・・・・・・・・・
二人は晴れた空を同じように見上げ、心に誓いをたてていた・・・。
END
終章(外伝) やまない雨はないように
Act.1
雨はあがった。
日は既に東の空に高々と上がっている。
ジャストとティーナはまだ抱き合っていた。
その姿を影から伺うフィア、ジュダイス、バーブ、ヨルガ。
「あ〜もう、いい加減にしなさいよッ! ティーナったらちゃんと書を届けて、
戻ってきたんでしょうね! 大体、その書をヨルガに渡さなきゃ意味がないこ
と解っているの!」
と、フィア。
「じゃ、邪魔してくればいいんじゃないですか? このままだとジャスト・・
様とティーナ、くっついちゃいますよ?」
というのは、ジュダイス。
「フィア殿は動揺すると口調が変わるのだな。」
これはバーブ。
「・・・多分、ここらへんの台詞は『ウキキッキー』などが適当ですよね?」
そんなヨルガの一言にヨルガ以外の一同は
「は?」
と首をかしげる。ヨルガは赤面し、言い分けする。
「いや、テンポを考えるとそうかなぁ、と。」
う〜ん。意味不明。
というわけで、これは終章とはお題だけであって、後書きみたいなものなので
原作は第七章完結でござる。
ここから先は、後書きandその後〜のような話しが適当に続きますので暇が
あるのなら見てください。
後書き:
どうも。ここまでお付き合い頂きまして誠にありがとうございました。作者の
「梧臨海」でございます。「Dragon S GEAIA」はいかがだったで
しょうか? 楽しんで頂けたら、シナリオライター冥利に尽きます。楽しめな
かった方々には申し訳ない。出来ればご意見・ご感想もお待ちしています。
Eメールは・・・ yu-tuki@hkr.jrnet.ne.jp となっております。
さて、苦節6年(?)とうとう、この小説が日の目を見ることが出来ました。
これも偏に応援してくださった皆さん、焼肉勝負をけしかけた舞奈(H.N.)の
お陰だと思っています。応援して下さった皆さん、本当にありがとうございま
した。そう、思い起こせば高校2年から書き始めた小説も紆余曲折しながら、
ここまできました。ちなみに章数はかなりまとまりました。初め、書いてた時
は全10章+αの構成だったんですよ。ちなみにエッチ有りでした(汗)
そう。今回エッチなシーンはことごとく消えました。これなら小説化しても、
大丈夫だぞ(笑)<無理だって
まぁ、ギリギリのラインはありますけどね(爆) どうでしょう? ドキドキ
しました? ドキドキしたーってなら、よかった〜ってほっと一息ですね。
心拍数まったく変わらんかったよっていわれたら、ガーン!!(笑) 修行し
なきゃ(涙) それから、キャラクターはどうでした? ちなみにとある友人
R.M.は「ジュダイス」が獣【けだもの】過ぎるーーーーッッ!と言ってました。
書いてる本人は「そうかなぁ?」と思ってたんですけど・・・。お気いりの
キャラはいましたか? 自分はティーナです。ホントは満遍なく愛さないと
いけないんですけどね。実際、ティーナはヒロインというより主人公じゃんと
何度も言われました。あっはっは・・・その通り〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
設定がジャストよりも細かいしね(爆) 所詮、男キャラは女キャラを魅力的
にみせるための道具みたいに使ってるしね。<おいおい 半分は冗談です。
さて、お気に入りって話しが出たので、シーンの描画についてもちょっとお話
ししましょう。この小説を始めたきっかけは「雨の中でキスをする」シーンを
書きたかったからなんですね。ほんとはハイライトでティーナに
「ふふ・・・キスって・・・しょっぱいものなのかなぁ?」
なんて言わせたかったんですけど、ちょっと入り方がうまくいかなかったので
カットです(爆) ラストofラストのシーンはティーナが大人モードに入って
ましたしね。そうそう。ティーナには大人モード(乙女モード)と子供モード
(少女モード)があることに気付かれましたか? 一つの見切りの感覚として
は「ポニーテール」か「おろした」かの状態で変えています。もちろん、それ
以外でも変わっているんですけど。それ以外にはフィアもジャストくん状態と
冷静状態がありますね。これは二重神格者ということを定着させようとやって
みました。どうでしたか? 違和感ありました?
おっと、話しがズレましたね。どうでした? お気にいりのシーンはありまし
たか? 一応、気合入れて書いたところは前半に偏っているんですけど、気合
入れるとどうも説明文が多くなってしまうんですよ、自分の場合。というわけ
で、後半は詩を読むような感覚で読めるように書いてみました。六章の会話だ
けのシーンもちょっと冒険ですね。雰囲気は伝わったかなぁ?
さて、ちょっとだけネタバレ。
参考ネタ
→メタルスレイダーグローリーから名台詞1個お借りしました。
(ヒント:あずさの台詞だよ〜)
→不思議の海のナディアから名場面1個お借りしました。
(ヒント:ハイライト、ガーゴイルが・・になる場面です。これは解るよね?)
etc.
さて、それでは最後に彼らのその後を、ご紹介致しましょう。
§
「や、シヴァさん。」
「や、とは随分馴れ馴れしいのでは? アスタリア。」
王室の一室でシヴァに対峙する美しい青年。
「これは、失礼・・シヴァ殿。さて、本題ですが、ご協力感謝致します。」
シヴァに対しにっこりと微笑むアスタリア。気後れした雰囲気はない。
「その様子では、万事うまくいった・・・というわけですね?」
シヴァの後ろからマリアが顔を出す。
「あぁ、失礼。マリア様もそんなところに・・・」
アスタリアはマリアに対し、一礼する。それから二人にもう一度向き直り、
「はい。罪人はジャスト君の手によって葬られました。『魔王の石鏡』もここ
に。」
そういってアスタリアは胸元から深い紫色の手鏡を取り出す。
「・・・しかし、あなたも回りくどいことをするわね。」
「そうですか? これでもスムーズに事を運んだつもりですけれど・・・」
シヴァの言葉にアスタリアは頭を掻きながら答える。
「そうね。確かにこれだけの神の見習いが降りていることを悟られてしまって
いたら、彼はまた姿をくらましていたかもしれない。」
マリアは冷静にアスタリアの言いたい事を察し、シヴァに告げる。その言葉に
シヴァは何も反応しなかった。
「まぁ、なににせよ、オーディンとロキもうまく動いてくれました。」
「あいつらには話したの?」
「まさか・・・彼らに話せば彼ら自身が動くのは必至でしょう?」
アスタリアは微笑んだ。その笑みにシヴァは深い溜め息を吐く。
「運命を導く神、ねぇ。」
「まだ、なれると決まったわけではありませんよ。」
シヴァの疲れた瞳にアスタリアはもう一度満面の笑みを返す。そこには言葉と
は裏腹に絶対的な自信が見て取れた。
「アスタリア君ならなれるわ、きっと。」
マリアは相変わらず自分のペースだ。
「今度、お二方を食事にでも招待させて頂きますよ。それでは、これで。」
アスタリアは「チャオ☆」とウインクしてみせると転移の術で飛び去っていっ
た。
「ふふ。相変わらずお茶目な方ね。」
「・・・はいはい。」
§
神王醒川にも高々と上がった太陽が木々の合間から優しい光で辺りを照らして
いた。
戦争は終わった。
ヨルガの伝令によりサミサとワルトリュキューラの戦は僅か半日もかからずに
終結していた。ヨハンナもヨヴァルハも無事だ。それはお互いの部下が優秀だ
ったからに他ならない。
「ったく。アスタリアに謀られたな。」
「まったくだ。」
ティーナの攻撃を防いだあのヨヴァルハの従者とヨハンナにホーネットと呼ば
れていた男たちだった。
「それにしても、ロキ。お前、時と場合を考えろよ。」
ヨヴァルハの従者が突然気色ばむ。
「気付いていたか。」
ヨハンナの従者ホーネットを装っていたロキは肩を上げて答える。
「気付かないわけねぇだろッ! そんな殺気立たせやがって。」
「ふん。殺せるものならいつでも殺してみなと言ったのは、オーディン、貴様
だろう。」
二人は「武」に対する宿命のライバルだった。そして、友でもあった。
「・・・ったく。今度天界の武道会で叩きのめしてやるからな!」
「望むところだ。」
二人は今日も至高の「武」を求め、懸命に凌ぎを削っている。
§
「そうですか・・・ご苦労。ゆっくり、おやすみなさい。」
天界の正義神フェルアーナの一室で天使から報告を受ける彼女の瞳は悲しげだ
った。
「・・・・・ユリシス・・・解っていたわ、あなたの優しさは・・・・・・・
でも・・・かけがえのないものを手に入れる為なら・・もう少し、わがままに
振る舞ってもよかった・・・・・母さんはそう思う。」
フェルアーナは瞳を閉じ、空を見上げていた。
§
「で、結局これからどうするんだ?」
ジュダイスは後姿の黒髪のショートボブの女性に質問する。
「・・・さぁ、ね? 一応、試験期間中だし、あんまり遊んでるわけにもいか
ないのよ。」
フィアはジュダイスに振り返る。
「でも、ま。お互い失恋の痛みを知っているもの同士、今日ぐらいは一緒にい
るのも悪くないのかもね?」
「・・・そうだ・・な。」
森の中を優しい風が吹きぬける。
二人の背中を押すように・・・・・。
今日もそれぞれの一日が始まって行く。
それは、永遠に紡がれつづける時の輪の刹那の出来事。しかし、自分自身が胸
を張って過ごせるように、彼ら彼女らは一生懸命生きている。
FIN