辺りは薄暗い部屋の中のようだった。ただ、壁という壁は本棚と本に埋め尽くされてい て、微かな光を取り入れているのは天井に備え付けられた天窓だけで、周囲のほとんどは よく解らない状態だった。その中で私は一人の女の人と向かい合っている。  私が何か呟いた。私が呟いたのにも関わらず、その声は酷くぼんやりとして、私の耳に はっきりと届くことはなかった。でも、向かい合っていた女の人は何を言ったか解ったよ うに、私に向かって何か言ったような気がする。でも、その声も私に届くことはなくて、 表情さえも解らない。こんなに近くにいるはずなのに。  そして、女の人の輪郭がぼやけていく。  違う。すべての視界がぼやけていってる。陽炎のように揺らめいて、霞がかかったよう にすべての色を白という色が埋め尽くしていく。その白い色は輝きをぐんぐんと増して。  §  遠くに聞き覚えのある声とメロディ。透き通った少女とも女性とも取れる声に柔らかい ギターの音が相乗して・・・?  あれ?  私はようやくその声とメロディが大好きなアーティストの大好きな歌だということに気 付く。メロディはミニコンポのCDデッキから程よい音量で流れている。 「ぅにぃぃぃ・・・もう、朝なんだ。」  私はベッドからぐぅっと伸びをして、手元のリモコンでCDを止める。そして、ぐるり と逆さまになってベットの下を覗き込む。  そこには、ウサギさんとハムスターさんの間の子のような不思議な動物さんがうつ伏せ に「へろん」ってなってる。ううん、正確に言うと彼は魔法界『グリーン・ウィーヴァー』 の住人で、れっきとした人間なの。そして、魔法界の罪人を取り締まる地球の警察官で、 私はふとしたことで、彼のお仕事に巻き込まれて危険なお仕事のお手伝いをすることにな ったんだ。初めて現れた罪人を見たときは怖かったけど、私の魔法でちゃんと撃退したん だよ。フォックスさんは念のため一週間ぐらい様子を見て、異変がないのなら魔法界に戻 ることになった。傷が癒えてからフォックスさんと私は周辺のパトロールが日課になった。 私は学校を休むことになったけど、これも世のため、人のためってやつだよね? ・・・ でも、本当のことを言うと私はフォックスさんのことが・・・・・・・・・・・・・・・  うにぃぃぃ。  これ以上は恥ずかしくて言えないよぉ!  そして、今日でちょうど一週間。異変は感じられなかった。  ということは、今日でフォックスさんは魔法界に帰ってしまう。この一週間、私はとて も素敵な毎日だった。魔法界の色々なことを教えてもらったり、魔法の使い方を教えても らったり、逆にこっちの世界のことをフォックスさんに教えてあげたりしたそれは、まる で恋人同士みたいで、夢のような日常だった。  けれど、それも今日で終わり。  寂しかった。だけど、駄々をこねて困るのはフォックスさんだから・・・私は自分の心 を押し留めて、精一杯の笑顔で挨拶する。 「おはようございます、フォックスさん。」 「・・・ぁあ、おはよう。」  ふわぁぁっと大きな欠伸をしてフォックスさんはこっちに振り返った。見慣れた不思議 な動物さんが愛くるしい仕草でベッドの下から駆け出て人間の姿へ戻り私を見る。 「お勤め、ご苦労様でした。」 「・・・それは、わたしが君に贈る言葉だよ、乃優希くん。本来なら私が務める任務だっ たというのに・・・本当にありがとう。心から礼を言う。」  フォックスさんの感謝の言葉に私は努めて、明るく戯けた調子で言う。 「ううん。お礼は、ここ一週間で十分貰いちゃいました。」 「? わたしが何か贈ったか?」 「うふふっ、内緒です。・・・で、一応、今日、学園から帰ってきたら、フォックスさん の送迎会をしたいなって思ってるんですけど、ダメですか?」  もしかしたら、一刻も早く魔法界に戻って報告をしなければならないのかも知れない。 私は少し不安になって上目遣いにフォックスさんを見る。フォックスさんは少しだけ複雑 そうな顔をしてから、 「・・ああ。では、そうすることにしよう。帰ってきたら、魔力開放の儀式を行うことに しよう。」 「あ! そっか・・・私まだ・・・・・」 「そう、魔力は魔法界の者だけが持つことを許される力だ。君の魔力は開放しなければな らない。だが、儀式にはかなりの時間を要する。時間が時間だ、行ってきなさい。長期間 の欠席で友達も心配しているだろう。」  優しげな笑みを浮かべて、フォックスさんは快く私を送り出してくれた。 「じゃあ、行ってきます。」  私は久しぶりの登校でなんだか新鮮な気持ちを胸に学園へ向かった。  校門を通り抜けると、ようやくいつもの感覚が戻ってくる。  クラスに入ると皆が体調の心配をしてくれる。  私は大丈夫って笑って仲の良い友達の輪に入り込む。  日常に戻るだけ。  私は自分にそう言い聞かせて、今では少しだけ退屈な日常に紛れ込んだ。  §   放課後。本当はすぐにでも家に帰りたかったんだけど、部活動をお休みするわけにもい かず、私は第二体育館へ向かった。第二体育館は学園から少し離れた場所に建っている。 学園の裏手は小さな丘になっていて、そこは学園が経営する植物園。入口は学園の校門の 正反対に位置していて、その道路を挟んだの向かいに第二体育館は建っている。ただ、校 門からぐるっと回ろうとすると、とっても遠回りになってしまうので、みんな裏手の植物 園を通って第二体育館へ向かう。私もいつも通りその道を使って歩く。でも、何だかヘン だった。普通なら、植物園内で活動している園芸部員や第二体育館へ向かう途中の新体操 部員のみんながいるはずなのに、姿はおろか声さえも聞こえてこない。人がまったくいな い。私は静かな園道に寂しさを覚えながら歩いた。  中央のお花畑に差し掛かったとき、ようやくそのお花畑の中で佇んでいる女性を見つけ て私はほっとした。平日に植物園へくるお客さんなんてそんなに多くないし、今日はたま たま時間帯がズレただけで、みんなはどこか違う場所にいるんだ。私はそのまま通り過ぎ ようとしたんだけど、そんな時、お花畑の中の女性が声をかけてきた。 「・・・高峰 乃優希さんね?」 「え? あ、はい。そうですけど・・・」  驚いた〜。だって、急に私の名前を呼ぶんだもん。随分、綺麗な女の人だけど、どこか で会ったことあったかな?   でも、女の人は私が頷いたと同時に沈黙してしまう。 「・・・あの、ごめんなさい。どこかで、お会いしたことありましたか?」 「いいえ。あなたと直接対面するのはこれが初めてよ。ただ・・・」 「ただ?」 「これからも、あなたは私を覚えていることはないでしょう。」  言葉の意味を考える間もなく、女の人は空に舞った。そして、言葉を続ける。 「私たちの記憶をあなたから消去します!」  溢れ出す魔力に気付いた頃には、彼女の放った水の鞭が私の目の前に迫っていた。咄嗟 に両手を顔の前でクロスさせてブロックする。でも、普通の人間が魔法に抵抗できるはず もなくって、私は後方に弾き飛ばされてしまう。幸いにも、お花畑の柔らかい土がクッシ ョンになってくれて大きな怪我はしなかったけれど、打ちつけられた背中がジンジンと痛 かった。ただ、私は混乱していた。彼女はきっと魔法界の住人だ。けれど、どうして私の 記憶を消すなんて言ったのだろう? 記憶を消されるってコトは、魔法界の住人と関わり を持ってはいけないってコトなんだよね? だけど、フォックスさんは協力者になれば、 記憶は消さなくても良いって言ってた。じゃぁ、罪人の仲間なの? 「きゃッ!」  次の攻撃が迫って私は咄嗟にゴロゴロと転がって避ける。  とにかく、このままじゃダメ!  私は転がりながら、フォックスさんに教わったたった一つの呪文を唱える。 「『クェーレ・クゥアイナ・シェールト・シャーイン・ルーケルトメッルーイーン』!!」  パァァァッっと小さな白い光が私を包み込んで、私は蓮華の天使ラーワェルへ変身した。  風よ 我を 彼の者の元へ 誘え! 「あなたは、誰なのっ!」  突風が私を包み、私は空中の彼女へ飛び掛かる。しかし、捕まえようとした瞬間に身を 翻され、躱されてしまう。後ろから彼女の水の鞭が襲い掛かってくる。  大地よ 我が身を護る 盾となれ!  私は背後の大地を隆起させてこれを弾く。彼女が小さく舌打ちした。着地すると同時に 私は次の魔法を創る。とにかく、彼女を捕らえなければいけなかった。聞きたいことが、 頭の中で反芻する。  蔦よ 彼の者を 絡めとれ!  大地から蔦が踊り出て、彼女に向かって走る。 「愚かな。」  空に浮いたまま、彼女はクロスした両腕を解放する。すると、蔦の動きが急に止まって、 次の瞬間には私に向かって走ってくる。 「!! きゃッぁぁぁぁぁぁぁぁ〜!!」  振り解こうとした腕を逆に蔦に絡めとられて、私は体勢を前のめりに崩されてしまう。 辛うじて身体を支えても、次々に絡み付いてくる蔦が自由を奪ってしまう。あっという間 に私は蔦で空に縛り上げられてしまっていた。 「これ・・どうしてッ! 私、ちゃんとイメージしたのに!」 「そう、これはあなたの魔力で創り出してもらった蔦よ。そして、それを私が反射(リフ レクト)しただけ。」  彼女が近付いてくる。 「どうしてッ! 記憶を消すって・・私は、フォックスさんに協力して罪人を倒したんだ よッ! フォックスさんは協力してくれたら、記憶は消さないでいいっていったもん!」  私は空中でバタバタもがきながら、彼女を睨み付ける。そうすると、彼女は目の前でふ わりと静止して、複雑そうな表情を見せた。 「そう・・いうことなの。・・・・・いいわ。あなたには本当のことを話すべきなのかも 知れない。」 「本当の・・コト?」  「ええ。」と彼女は頷いて、自分の名をジャスミンと告げた。そして、魔法界の掟につ いて、話し始めた。  魔法界にグラリオーサという、優れた魔法の使い手がいたこと。しかし、その魔道師は 己を極めることを望みすぎ、とうとう禁断の魔法に手を出してしまう。それは、心を操る 魔法で、魔法界では魂を操る魔法と同等に禁忌(タブー)とされていた。当然、資料は僅 かしかなく、彼は必然的に研究成果を上げるために実験を行うことになっていく。しかし、 心が操れたかどうか確認する方法は難しく、とうとう彼は一番身近な恋人に魔法を懸けて しまう。そして、その魔法は失敗し、恋人は命を失ってしまった。彼は魔法界から人間界 へ逃げ込み、それを捕らえるための彼女たち、狩人集団(ハンターグループ)が結成され ることになった。 「じゃあ、フォックスさんもジャスミンさんもハンター仲間なんじゃないですか。」  でも、ジャスミンさんは私の問いに首を横に振る。 「一週間前、ハンターの一人が大怪我を負って魔法界に戻ってきたわ。」 「一週間前?」 「その者の証言によると、人間界にてグラリオーサを発見し、追い詰めるもグラリオーサ の魔力を受け継いだものと思われる人間界の少女にやられた・・・と。」 「!!それって!!」 「・・心当たり、あるわね。そう、あなたが倒したと思っていた者は、私と同じハンター だったのよ。そして・・・」  これ以上、聞いちゃダメだ! きっと、この人も罪人の仲間なんだ! 私を混乱させる ために嘘を吐いているんだ!!  私は自分に言い聞かせて、大声でその声を遮った! 「う、嘘だよッ!!」 「嘘ではないわ。グラリオーサというのは・・・」 「うそ! 嘘! 嘘だよッ!」 「真実に耳を背けないで・・・」 「いやだよっ! フォックスさんがそんな悪い人だなんて信じないッ! 信じないんだか らッ!!」  その瞬間、私を絡め取っていた蔦たちが切り裂かれ、私は地面に着地した。 「来たわね・・・グラリオーサ。」  彼女を見上げると私の後方を睨み付けている。私も振り返る。そこには、フォックスさ んが立っていた・・・。  § 「君か・・・」  フォックスさんはジャスミンさんを見て、目を細めた。  この人を知っているの? フォックスさん。 「久しぶりね、グラリオーサ。」 「・・・・・」 「あら・・・あの娘の親友だった私に挨拶の一つもくれないの?」  彼女は明らかに嘲笑を含んだ声でフォックスさんに問い掛ける。私はフォックスさんを 見つめて動けずにいた。フォックスさんは何も言わない。 「あの娘は、あんなにも貴方を慕っていたのに。・・・どうしてその想いを裏切ったの! 答えなさい! 禁断の魔法に魅入られた魔道師グラリオーサよ!」  沈黙に激昂して叫ぶ彼女にフォックスさんは口を開いた。 「あいつは、わたしを愛してなんかいなかったさ。」  あいつって誰のこと? なんで、グラリオーサって言う人の名前で返事をするの?  私の心の中で疑問が渦巻く。だけど、私は真実を聞くのが怖くて何も言い出せなかった。 「何故、言い切れるの! 人の心など解るはずもないでしょう!」 「ふ。君には解らないだろう。しかし、わたしには解った。」 「・・・まさか・・・それが、禁断の魔法の成果だというの?」  その時、フォックスさんは私をちらりと見た。彼女への答えは無かった。 「もし、それで、殺したというのなら、私は躊躇わず貴方を殺す! 親友の無念を晴らす ために!」 「ふ。いいだろう。君の背中にはあいつの無念とその娘の未来が乗っている。せいぜい、 気張ってくることだ。」  その言葉にジャスミンさんは切迫した表情で私を見詰め、すぐにフォックスさんへと振 り返る。 「乃優希さんにも魔法を懸けたのね!」 「わたしに好感を持ってもらう必要があったからな。ふ。それも今となっては邪魔なだけ だが。」 「え・・・?」  言っている意味がよく解らなかった。ううん。意味はすぐに理解できた。けれど、意味 が解らなかった。違う。意味は解ってるんだよ。だけど、そう・・・認めることが出来な かった。だって・・・だって・・・・・認めてしまったら・・・・・・・・・・ 「私のフォックスさんへの気持ちは・・・」  アイシテル・・・この気持ちは・・・? 「わたしが魔法によって植え付けた感情。すなわち、偽りの感情だ。わたしが魔法を解け ば、君はわたしに対して何の感情も抱かない。いや、むしろ騙されていたことに腹を立て るのが普通ならば、私を憎むようになるだろう。」  アイシテル・・・この気持ちは・・・偽り? 「そんなはずないよッ! 私は、フォックスさんが好き! 大好きなの! 愛してる!! この気持ちは、偽りなんかじゃないッ! 絶対に! 本当に・・本当にフォックスさんの ことが、誰よりも好きなのッ!」  私は叫んでいた。言ってから、身体から火が出るほど真っ赤になっていくのが解った。 だけど、この気持ちが嘘だなんてそんなコトない! 絶対にない! 私の気持ちは、私が 一番よく知っているはずだから。でも・・・フォックスさんは・・・ 「ふ。どうやら、魔法は完全に効いているようだ。しかし、わたしは君に好かれても嬉し くもなんともない。むしろ、わたしは干渉されるのが嫌いでね。疎ましいんだよ、君が。」 私の告白に少しも耳を傾けてはくれなかった。それどころか・・・ 「実験が成功すれば君は用済みなんだ。消えてくれないか。」 私に向かって左手を突き出し、魔法を集中していた。 「Yesなら命まで取るつもりはない。なにせ、君は協力者ですから。・・・ただ、飽く 迄もNoなどと駄々をこねるつもりなら・・・・君も殺します。さぁ、選びなさい。この 場を離れるか、わたしに殺されるか、二つに一つです。」 「そんな・・・フォックスさん・・・」  「嘘ですよね。」と踏み出した足の数ミリ手前に輝く光線が撃ち込まれ、私の足はそこ で止まってしまう。地面はどす黒く焼け爛れていた。 「今までの感謝の気持ちで一度だけ外しました。聞き分けの悪い娘は手間がかかっていけ ません。」  腕は私に向かって突き出したまま、フォックスさんはやれやれというように首を振る。 しかし、その隙にジャスミンさんが動いていた。フォックスさんを旋回するように左へ大 きく回り込み、水の鞭を打ちつける。でも、フォックスさんはその攻撃を予期していたよ うに木々の枝を呼びかけ防御する。その瞬間にジャスミンさんが私に向かって叫んだ。 「逃げなさい! これは、私たち魔法界の問題なのよ。あなたにはこれ以上、巻き込まれ て欲しくない。だから・・・ッ、きゃぁぁぁぁっっっ!!」 「戦いの最中に余所見とは、随分わたしも見縊られたものです。」  私を狙っていた腕はいつの間にかジャスミンさんに向けられていて、彼女は輝く光線を 叩き付けられ、空から失墜した。 「ジャスミンさんッ!」  私は吹き飛ばされたジャスミンさんの元へ駆け寄る。  大丈夫。息はある。でも、今の一撃で肩に酷い傷を負ってしまっていて、もう戦うこと は出来る状態ではなかった。私の胸の中で小さく「逃げなさい。」と繰り返すジャスミン さんを静かに横たえて、私はフォックスさんに向かい合った。 「ふ。どうやら、思っていた以上に子供だったようですね。」 「子供じゃないよ。」  私は小さく呟く。  フォックスさんが目を細める。 「子供じゃないから、私は自分の意思であなたと戦うことに決めたんだよ。今でも愛して るあなたに立ち向かおうって思うの。決して良い結果を残せないかも知れないけど、でも、 きっと、今のあなたは間違ってる。魔法は人を傷つけるために生まれてきたはずじゃない から。きっと、人を幸せにするために生まれてきたはずだから。だから・・・だから、私 はあなたと戦います。あなたから分けてもらったこの魔法の力で・・・蓮華の天使として あなたと戦います。」 「・・・手加減は無用ですね。もう少し利口かと思っていましたが。」  刹那、フォックスさんの突き出した掌から突風が私目掛けて放たれる。  大地よ 我が身を護る 盾となれ!  私は目の前の大地を隆起させて、風を受け止める。  大地よ 留めた風を 跳ね返せ!  そして、その魔法をそっくりそのままフォックスさんに向かって跳ね返す。 「反射の魔法。教えていないのに使えるようになるとは大したものだ。」  突風が襲い掛かる瞬間、フォックスさんはそう呟きながら、左腕を下から振り上げて、 風の軌道を大きく横へ逸らした。突風が斜め後ろの木立に叩き付けられ、何本かの木々が ミシミシと音を立てて倒れていく。  一発も当たっちゃダメだ。  私はフォックスさんの魔法の威力を目の当たりにしてそのことを再確認する。私はその ままの距離で魔法を創りあげる。接近すればいざというときに躱せない。  猛き風よ 彼の者を捕らえ 押し潰せ!  私の創り出した暴風があらゆる方向からフォックスさんへ向かう。会心の魔法だった。 今までで最高のイメージで描き出した最高の魔法。でも、直撃したはずの風はみるみるう ちに収束して・・・。 「なるほど。ここまで魔力を高めれるようになりましたか。」  収束した風の中から傷一つないフォックスさんの姿が現れる。その声は、動揺も感嘆も 含まない冷たい声だった。私の全身から力が抜けていくのが解った。 「そんな・・・」  急激に意識が朦朧として、私は膝をついてしまう。 「しかし、それが君の魔力の限界というわけだ。」  ダメだよ! 私はまだ戦わないと! ジャスミンさんを護らないと!  でも、いくら頭を振っても一向に回復の兆しは見えない。視界が歪んでいく。全身が気 怠くて、瞼が重い。沈むような感覚。訪れる闇。そして、私は意識を失った。  §  辺りは薄暗い部屋の中だった。ただ、壁という壁は本棚と本に埋め尽くされていて、微 かな光を取り入れているのは天井に備え付けられた天窓だけ。周囲には大きなテーブルの 上に散乱した書物となんだか妖しい雰囲気の大きな釜が目を引いた。その中で二人の男女 が向かい合っていた。  あれ・・・? これは・・・今日、私が見た夢?  視点の違いはあっても、今日見た夢にそっくりだった。私は、二人を見る。でも、二人 には私は見えていないみたいだった。男性の方が口を開く。 「フリガ・・・本当にいいのか?」  あれ・・・?  その声に私は聞き覚えがあった。そう、男性の方の声はフォックスさんの声だったんだ。 姿が今と少し違うから、解らなかったけれど、この人はフォックスさんに間違いないよ。 だとすると、これは、フォックスさんの過去の記憶? 「大丈夫だよ。ボクはグラのこと信じてるもん。」  女性の方はどちらかというと女性というよりは私とそんなに変わらない女の子っていう 感じで、活発そうなショートヘアに大きな瞳が印象的な娘だった。 「しかし、禁断の魔法の実験なんだ。わたしにも何が起こるか解らない。」 「珍しいよね、グラがこんなに慎重になるなんて。」 「だから、危険だからと言っているだろう。フリガ、君の申し出は嬉しいが、君にもしも のことがあったら、わたしは・・・」 「ん〜。でも、完成させたいんでしょ? 心を操る魔法ってやつ。」 「それは、そうだが・・・」 「んじゃさ。どうして、心を操る魔法を完成させたいって思ったの?」 「え?」 「だって、理由もないのに禁断の魔法にこだわるなんておかしいよ? きっとね、グラは 迷ってるんだよ。」 「迷ってる?」 「そう。」 「何に?」 「あははは。それは、私に解るはずないよ。だけどね、迷ってる。迷ってるから完成させ ることが出来ないんだよ、きっと。」 「・・・解らないな。」 「迷いは断ち切らないとダメだよ。特にグラみたいなタイプは迷うと絶対に進めないよ。 思い切って進んでみなさいって。結果がどうであれ、足踏みしてるよりはよっぽど有意義 だって。」 「・・・しかし・・・」 「どうして、そんなに失敗を恐れるかなぁ? 完成させたくないの?」 「完成は、したい。しかし、失敗はしたくない。」 「我侭だなぁ・・・人間界の書物の一説に発明は1%の閃きと99%の汗だ〜って言葉が あるの知らないの?」 「・・・知っている。」 「はぁぁぁ、さよですか。ん! そうか解ったよ、グラに足りないもの。それは、きっと 勇気だよ!」 「勇気〜? さっき迷ってるって言っていたのは?」  珍しくフォックスさんが砕けた声を出す。 「ん〜。迷ってるから、勇気が溢れてこない!ってことでどうかな?」 「・・・どうなんだろうな?」 「自覚症状なしかぁ。これは重症ですなぁ、うんうん。」 「おい、勝手に決め付けるな。」 「まあまあ。先生に任せなさい。」  フォックスさんの唇に人差し指を当てて言葉を封じると、彼女はトンと胸を叩いて、お 医者様の真似を始める。 「勇気のない人に効くおまじないをしてあげるから。その代わり、おまじないが済んだら 必ず魔法を完成させるって誓ってよ。」  彼女はウインクしてから、フォックスさんを手近な椅子に腰掛けさせると、何やら意味 深な呪文をフォックスさんの頭の上で手を翳しながら唱え始める。 「初めて聞く呪文だな。」 「つべこべ言わないで静かにしてるの! それから目を閉じるのよ!」 「何故だ?」 「決まりなの!」  「仕方ないな。」と呟いてフォックスさんは目を閉じる。彼女はそれを見て彼の側面に 移動して、翳していた手をフォックスの目の前に持ってきて、三つの指を立てる。 「これ、何本?」 「3」 「!! こらぁ! 目ぇ瞑りなさいっていったでしょぉ!」 「わ、解ったよ。」  あまりの剣幕で耳元で怒鳴られたせいか、フォックスさんは素直に目を閉じた。それを 確認したように彼女は静かに身体を傾けて・・・唇と唇が触れた。 「!!」  慌てて、目を見開くフォックスさん。 「勇気でた?」  目の前で悪戯っぽく微笑む彼女。 「このやろ・・・」  フォックスさんは、からかわれたことに破顔してフリガさんに飛び掛かる。 「きゃぁぁぁ。ごめん、ごめん! 謝るから許してよ〜。」  狭い部屋の中をゴロゴロと転がって戯れ合う二人。それは、童心に戻ったようで。  そして、時が流れた。二人にとっては束の間という、私にとっては悠久という時間。  二人はいつしか見詰め合っていた。正確にいうと、フォックスさんがフリガさんを押し 倒していた状態で、私たちは時の柵から開放されていた。 「グラ・・・そろそろ、許してよ。」  先に言葉を発したのはフリガさんの方だった。でも、フォックスさんは何も答えない。 もう一度彼女が声を発する。 「ボク・・・そろそろ、お家に帰らないといけないし。」 「・・・帰るなよ。」 「え?」  少しだけもがいていた彼女の動きが止まる。 「フリガ・・・わたしは君のことを愛している。一緒にいて欲しい。」 「え? え? な、なに冗談言ってるのぉ。ヤダなぁ、グラ〜。そういう性質の悪い冗談 は、やめてよぉ〜。」 「冗談に聞こえるのか?」 「う。うん。だ、だって冗談だもん! 絶対そうに決まってる!」 「そうか・・・だったら・・・」  フォックスさんがフリガさんに覆い被さっていく。そして、強引に唇を触れ合わせた。 「んッ! やッ! グラっ! ダメッ・・んんッ!!」  長いキス。お互いの吐息が絡み付くような、キス。自然にフォックスさんの手は彼女の 服を留めている背中のボタンに這わされて、一つ一つとボタンを外していく。しかし、そ のことにようやく気付いたフリガさんは慌ててフォックスさんを押し返す。 「ダメっ! ヤダっ! ヤダよッ! グラ!」 「どうして? わたしが嫌いか?」  押し返されたことにショックを隠せないフォックスさん。そんな表情を見て、彼女は悲 痛な叫び声を上げる。 「ううん。嫌いじゃない。大好きだよッ! けど、ケドぉっ、ダメなのッ! ボク・・・ ボクは・・・グラを受け入れることが出来ないぅっ・・ぅえぇっ・・・・!!」  最後には泣き崩れてしまう彼女を見て、フォックスさんは何を思ったのだろう? ただ、 フォックスさんのとった行動だけが私に焼き付いていった。  フォックスさんは泣き崩れてしまったフリガさんを椅子に座らせ、真っ白なロングコー トを羽織る。そして、フリガさんにさえ聞こえないぐらい小さな声で呟く。 「わたしは、君が微笑んでくれるために禁呪に手を染めたのだよ。他には何もいらない。 ただ、君が微笑んでくれればそれでいい。笑ってくれ・・・フリガ・・・・・」  フォックスさんは呪文を唱え始めた。すると、しばらくしてからフリガさんの様子に異 変が生じていた。明らかに苦しみ出している。でも、フォックスさんは呪文を止めない。 きっと、この呪文が成功すると信じているんだ。  止めさせないと! このままじゃ、きっと、フリガさんが死んじゃう!!  私はフォックスさんの腕にしがみつこうと手を伸ばした。でも、その手は何も掴めない。  フリガさんを逃がそうと思って肩を掴もうとしても、その手はすり抜けていくだけ。  本も卓上の機材も投げ飛ばせない。  何も出来ない。  そうだ! こんな時こそ魔法で!  私はフリガさんを安全な場所へ移動させようと念じる。でも、ぴくりとも動かない。  思ったより重いのかも知れない。それならと私は本をフォックスさんにぶつけて正気を 取り戻してもらうつもりで、本に念を送る。でも、そんな本でさえ私の想いに答えてくれ ない。  だったらと、私は得意の風の魔法を使う。でも、部屋の中の風は滞ったままで・・・。  どうして? 魔法は人を幸せにするためのものじゃないの? どうして、肝心な時に何 も起こらないの?  私の問いかけは空気を振動させることもなく、その場で滞っていた。  そして・・・私は目を瞑った。遠くにフリガさんの悲鳴を聞きながら・・・。  どうして、こんなことになってしまったのだろう?  私は暗闇の中で考えていた。目を開ければきっと夢の続きが見れたけど、私はこれ以上 誰の苦しむ顔も見たくなかった。  だから、考えていた。  好きってどういうことなんだろう、恋ってどういうことなんだろう、愛ってどういうこ となんだろうって。  二人はきっとお互いを好きだった。だけど、二人は愛し合っていたの? フォックスさ んはフリガさんに笑っていて欲しいって願っていた。そして、フリガさんは・・・泣き崩 れていたよね、あの時。どうして、泣いちゃったんだろう? 怖かったのかな? ううん。 違うような気がする。だって、あの時最後に受け入れることが出来ないって言ってたもん。 きっと何か違う理由があると思う。どうしてだろう? 好きな人から告白されて、断る理 由? 他にもっと好きな人がいる・・・とか? でも、それならどうして泣き崩れたりす るんだろう? 彼女はきっとあのとき悲しくて泣いていたんだよね。悲しくて泣いていて ・・・・好きな人を断る・・・・!?  私の脳裏に一週間前の出来事が過った。あの生々しいほどの嫌悪を感じる出来事。  もし、あの時、私・・・最後までされていたら、フォックスさんを好きって言えたかな? ううん、きっと言えなかった。だって、フォックスさんまで汚れてしまうような気持ちに なるもん。きっと、私以上に素敵な人と巡り会えるからって思うと、絶対に言えないよ。 ・・・もしかしたら、フリガさんも同じような目に合っていたのかも知れない! だけど、 自分が汚れていると知っていたから・・・言えなかった。自分の気持ちに嘘を吐いてでも フォックスさんを幸せにしてあげたかった。 「愛っていうのは真中に心の文字があるでしょう? だからね、真心を持って接している ってことなの。自分よりも相手を一番に思ってる。相手が嬉しければ、自分も嬉しいし、 相手が悲しければ、自分も悲しくなるの。逆にね、恋っていうのは下に心の文字があるで しょう? だから、何か下心があるのよ。自分がこうありたいって思うから、相手を好き になるの。そうなるとね、自然と相手の心が解らなくなるのよ。心が通じ合っていなけれ ば、どんどん悪いところばかり見えてくるし、良いところも次第に霞んでしまうの。だか ら、乃優希これだけは覚えていて。自分が幸せになる為の努力も必要だけれど、それ以上 に相手を幸せにしてあげなさい。そうすれば、きっとあなたに幸せは帰ってくるわ。・・ ・・ふふ。まだ、乃優希には早かったかな?」  ふと、母の話を思い出していた。小さい時の私には、そんな意味は解らなかったけど、 今なら少しだけ解るような気がした。きっと、フリガさんはフォックスさんを愛していた んだ。だから、言いたい言葉が言えなかった。そして、フォックスさんはフリガさんに恋 をしていたんだ。そして、こうあって欲しいっていう願いを望み過ぎて、お互いの心を遠 ざけてしまったんだ、きっと。  だけど、このままじゃダメだよ。また、同じ過ちを繰り返すことになっちゃう。なんと かしなきゃ! 私に何が出来るかなんて解らないけど、このままじゃダメ! ダメなの!  その時、白い光が見えた。  その光には見覚えがある。そう、夢の目覚めに広がった白い光。私は駆け出していた。 きっとその場所が現実へと戻れる場所だと思っていたから・・・。  そして、私は光に還った。  §  私は全身全霊を込めて起きあがった。全身の気怠さは消えていない。けど、地面に寝そ べっている為に還ってきたわけじゃないもの!  起きあがった時、フォックスさんは今正にジャスミンさんを手に掛けようとしていた時 だった。私はすぐさま魔法を紡ぐ。  風よ 我を 彼の者の元へ 誘え!  私は風を纏ってフォックスさんの腰にタックルを仕掛ける。 「何!?」  予想だにしない攻撃で、フォックスさんは一瞬狼狽した。でも、次の瞬間には冷静さを 取り戻して、私の背中に向けて風の魔法を放っていた。抉られるような衝撃に私は痛みを 隠せずに膝を付いてしまう。でも、腕だけはしっかりフォックスさんを捕らえている。こ の腕を解いてしまったら、きっと私はもう立ち上がれない。 「邪魔をするな!」  何発か風の魔法を撃ちつけられた後、輝く光が私の背中を焼いた。でも、私は倒れない。 「何故倒れない!」  もう一度、輝く光が撃ちつけられる。もう痛みはない。全ての神経が麻痺しているよう な気持ちだった。衝撃だけが背中から伝わってくる。 「自分の為? それとも、ジャスミンの為に戦っているとでも言うのですか? 助けられ たという小さな仲間意識で!」  私は小さく笑ってしまった。当然、すぐに背中を撃ちつけられる。 「何が可笑しい!」 「どっちも、違うよ、フォックスさん。私は、あなたのために倒れないんだよ。」 「わたしの為・・・笑止!」 「フォックスさん。いつまでフリガさんとの思い出を恋にしておくつもりなの?」 「・・・なんだと?」 「その時の記憶、見せてもらったんだ。ダメだよ、そんなんじゃ。ちっとも成長してない じゃない。」 「なんだと・・・」 「結局、愛してなかったのはフォックスさんの方だよ! どうして、もっとフリガさんを 思い遣ってあげなかったの? どうして愛してあげなかったの? フォックスさんは恋を してただけだよ! 上辺だけの世間体に身を包んで、自分の幸せだけを求めていたんだよ!」 「貴様に何が解る!」  痛烈な衝撃。でも、ここで倒れるわけにはいかない。絶対に、絶対に、フォックスさん を救ってあげたかったから。 「・・・解るよ。女の子同士だもん。あなたを愛した者同士だもん。フォックスさん、愛 ってどんなことかちゃんと知ってる? 愛っていうのはね、真心で相手を思い遣る気持ち なんだよ。フォックスさん言ってたよね? フリガさんにいっつも微笑んでいて欲しいっ て。そんなこと魔法に頼らなくたって簡単に出来るんだよ! あなたが、フリガさんの為 に微笑んであげるだけでいいの。気持ちは伝わるものなんだよ。決して強制するものじゃ ない!」  フォックスさんは答えなかった。私は咳き込みながら、必死で顔を上げる。  フォックスさんを見詰めて話したかったから。 「それに・・・私思うんだ。心は移ろうからこそ素敵なんだ〜って。」 「移ろうから素敵?」  フォックスさんは怪訝そうな表情で私を見詰めてくれていた。でも、私には解るよ。今、 フォックスさんは気付き始めてる・・・過去の過ちに。私は努めて微笑んで話しかける。 「そう・・・フォックスさん、覚えてる? 私がお風呂場で危険な状態だったときのこと。 あのとき、フォックスさんが動物さんの格好のまま私を一生懸命励ましてくれたよね? あの時、フォックスさんが駆けつけてくれなかったら、きっと私は今ここにいなかったと 思う。これって、当たり前のことなのかも知れないけれど、凄く嬉しいの。あの時は正直 に言うとね、怒鳴っちゃったぐらい、フォックスさんのことが恨めしかった。だけどね、 それでもフォックスさんは私の前で慰めてくれたよね? 石鹸も桶もぶつけちゃったのに、 私を慰めることに一生懸命になってくれた。思い遣ってくれていたことが解ったから、私 は凄く嬉しかった。そして、力が沸いてきた。この子の為なら頑張れるって。」 「・・・そうだったのか?」 「そうだよ! その時から私はあなたのことが大好きになってた。ううん。動物さんでも あなたを愛していたの。」 「そう・・だったのか。」  フォックスさんがため息をつく。その意味はなんとなく解った。  だから、私は励ますように彼の胸に顔を埋めて言う。 「気持ちはいつも同じじゃつまらないよ。」 「そう・・なのかも知れない。」  フォックスさんが私のうしろ髪を撫でる。 「笑って・・・泣いて・・・励まし合って・・・・・頑張ろうって・・・苦しくて・・・ 痛くて・・・切なくて・・・涙が・・止まらなくなって・・・・」  自然に涙が溢れてきて、声が震えて・・上手く出ないよ。でも、フォックスさんの指が 優しくて・・・温かくて・・・安らげたから・・・・・ 「そんなときに・・・優しくて、温かくて、安らげて・・・・・抱いてくれたら・・・・ 私は・・・私は・・・えへへッ・・・また・・泣いちゃうかもね・・・・・」 「乃優希・・・」 「ごめんなさい・・・泣いたらダメだよね・・・皆に涙が伝染っちゃう・・・・・」 「構わないから、泣いていてくれ。君が泣き止んだら、わたしが泣けないだろう・・・」 「・・・・・うん・・・解った・・・もうちょっとだけ・・・泣いていてあげる・・・・」 「・・・あ・ぁ・・・そう・・していて・・・くれ・・・・・」  私は目を閉じた。髪に掛かる雫が少しだけ擽ったかったケド・・・。  §  その衝動は突然、私に襲いかかってきた。全身を引き裂くような熱。失ったと思ってい た感覚は凄まじい痛みで再度目を覚まさせられた。  悲鳴が声にならなかった。空気を吸いこむことさえ、全身を刺激して痛みが跳ね上がる。 「どうしたんだ! 乃優希!」  抱いてくれていたフォックスさんが私の異変にいち早く気付く。その後ろからジャスミ ンさんがフラフラと近寄ってくる。そして、ジャスミンさんは目を見開いた。 「魔力が、暴走(スタンピード)してるわ!」 「しまった! 未来鏡の魔法が限界を超えたのか・・・乃優希、聞・・・かッ!・・・・」  なに? フォックスさん・・・聞こえないよ。何て言っているの?  耳元でフォックスさんが何か叫んでる。必死に叫んでる。  だけど・・・聞こえないよ。  それに・・・もう・・・なんだか・・・眠いよ・・・  少しだけ・・・眠るね・・・・・  いいよね・・・ちょっとぐらい・・・  私・・・  疲れちゃったもん。  そして、  闇へ、  意識が消えた。  §  一面に咲き乱れる春と夏の花たち。その中で私は目覚めた。 「あれ? ここは・・・」 「おはよう、乃優希。」 「あ、フォックスさん。おはようござッ・・うぇぇぇぇっ!!」  私は声の聞こえた方向へ振り返り、奇怪な声を上げてしまう。だって、だって、しょう がないよッ! フォックスさんってば裸なんだもん! 私は慌ててひっくり返ってから、 「ちょ、酷いですよッ! 冗談はやめて下さいよぉ!」 「うぅん・・・あながち冗談ではないんだが。まあ、いいか。」  フォックスさんは笑った。今までのことが嘘のように朗らかに。 「終わったよ。君が全てを解決してしまった。」 「これから・・・どうするんですか?」  遠い声に私は少なからず罪悪感を覚えながら問い返す。 「さぁね。魔法界に出頭して、永遠を生き続ける罪に処されるか・・・はたまた、人間界 を逃げ続けるか・・・いずれにせよ・・・苦難の道というわけだ。」 「そういえば・・・ジャスミンさんは?」 「あぁ。少々手荒だが魔法界に転送しておいた。まぁ、傷が癒えたらまたわたしを捕らえ に向かってくるだろう。」 「うふふっ・・・なんだか、他人事みたい。」 「そう聞こえるか?」 「はい。」 「そうか・・・なら、そうなのかもな。」 「・・・もう、進むべき道は決まっているんですね?」 「あぁ。もう迷わない。・・・乃優希はなんでもお見通しだな。」  もう一度、フォックスさんが朗らかに笑う。私も釣られて笑った。 「お手伝いします。その為に、私が目覚めるまで待っていてくれたんでしょう?」 「あぁ。君にしか出来ない。しかし、君にはもう一度辛い思いをさせてしまうだろう。」 「・・・もう、慣れました。」 「そうか・・・悪いな。」  フォックスさんは笑って立ち上がる。もちろん、服は着てもらって。私も立ち上がる。  そして、フォックスさんと私はお花畑の端まで移動する。 「この辺でいいだろう。」 「どうするんですか?」 「わたしに向かって、『ジギタリス』と呼びかけるだけでいい。」 「それだけですか?」 「あぁ。それだけでいい。」  フォックスさんはしっかりと頷いた。そして、天を仰ぐ。 「君ともっと早く出会っていたら、フリガと君とどっちを選んだんだろうな?」 「うふふっ・・フリガさんですよ、きっと。」 「何故、言いきれる?」 「だって、イチゴの花言葉は、幸福な家庭、そして、あなたは私を喜ばせるですもん。」 「知っていたのか?」 「ん〜、なんとなく気付いちゃいました。グロリオーサは確か栄光でしたよね。そして、 ジギタリスは・・・」  そして、その言葉が放たれると同時にフォックスさんはこの世界から姿を消した。 「熱愛。そして、隠されぬ恋・・・・・」  ううん。お花畑の隅にちゃんといる。イチゴの花々と隣合わせの一輪のジギタリス。  §  私は目を閉じる。このお花畑でいつものように。そうすると、足下の花弁からそれぞれ の存在を象徴するように、色々な香りに包まれる。  一つ深呼吸。  ドキッとするような刺激的な香り、眠たくなるような甘い香り、うっとりするような美 しい香り、安心できる優しい香り、他の花たちを引き立たせるような仄かな香り。色々。  そして、同じ花であっても一つとして同じ香りと出会うことはないの。  そう。一つ一つの花たちが生きていることを証明するかのように。  その中に私にだけ感じる特別な香りがある。  目の前に咲いている一本の花。  お仲間はここにはいない。遠く遠くに白や桜色のお仲間がいるけれど、彼はここで生き ている。ラッパのような花を沢山咲かせて。私はしゃがみこんで頬杖をつく。とたんに、 彼の香りで一杯になる。  今日はいつもより香りが優しいみたい。 「なんだかなぁ。昨日はあんなに機嫌が悪かったのにぃ・・・。」  本当に昨日は酷い香りで、お隣のお花が迷惑そうにしていたのに、今日慌てて見に来た らすっかり優しい香りを振り撒いてるんだから。  私は可笑しいって思いながら、沢山あるうち一つのラッパを優しく指先で弾いてあげる。 指先で弾かれたラッパはしばらく風に弄ばれながら鬱陶しそうに元の位置に戻ってくる。 「どーせ、彼女とうまくいってるんでしょ? うふふふッ、図星、でしょ〜。フォックス さんの考えなんて何でもお見通しだよ。ま〜ったく、単純なんだもの。うふふふふッ。」  何度か苛めてあげる。  酷いって?  酷いのはこっちじゃないよ〜。フォックスさんの方なんだからねっ!  だっても、でもも無〜し! 普通はね〜・・・・・。 「乃優希〜、どこにいるの〜?」  私の非難声明文は遠くで響く、このところようやく聞き慣れてきた、母の声に留められ てしまう。そう、あれから、私は思い切って母に会うことにした。あの事件から数週間後、 偶然にも母からの電話があった。電話は元気でやっているかどうかの、ごく普通のものだ った。もし、フォックスさんと出会っていなかったら、私は電話を切ってしまっていたか も知れない。でも、気持ちは少しずつ移り変わることを知ったから、私は、今の母に逢っ て見たくなっていた。  そして、逢って話しをして解った。母は、皆よりも少しだけ愛を沢山持っていただけな んだって。それから、私と母は一ヶ月に一度か二度、二人だけで逢うことにしている。  はたから見れば、私とお父さんを捨てた母だけど、私はそうな風には思わない。きっと、 お父さんも気付いているんじゃないかな? だから、再婚も出来ずに仕事、仕事の日々。  私の毎日はほんの少しだけ変わったけれど、学校の皆からはよく変わったって言われた かも知れない。だって、部活の前に必ずお花畑の世話をするようになったから。お蔭で園 芸部の子ともお友達になれちゃった。 「うにぃぃぃ。相変わらず運が良いんだからぁ。もう、お迎えが来ちゃったよ。」  名残惜しいけど、仕方ないよね。  私は地球界の人間なんだから。  そろそろ・・・前を向いて歩かないと、ね。  これ以上、フォックスさんに迷惑掛けられないもん。  甘えたいけど、我慢するよ。だって、フォックスさんのこと・・・今でも愛してるから。 愛してる人の困った顔なんて見たくないもん。  だから、我慢するッ。  ンっく  だけど・・・  最後に、最後に・・・・・一つだけ。  涙が零れそうになる瞬間、一陣の風が辺りを吹き抜けていった。  その風は私の涙を優しく拭い去って、そして、ラッパの口を私の頬へと運んでくれた。  感じるはずのない温もりを頬へ運んでくれた。 「・・・ありがと。」  それ以上は震えて声にならないよ。瞳を閉じて涙を堪える。もう一度泣いちゃいそうで、 だけど、それだけは出来なくて、私は精一杯の力で飛び上がるように立ちあがる。  もう、失ったものを取りに戻ることは出来ない。解ってる。とっておきの大切な一つ。 唯一無二のダイアモンド。それを失ってしまうのは、どうしようもなく痛いし、辛いし、 悲しかった。でも、抱きしめた痕は全身に刻み込んであるから、絶対に忘れない。  私はきっと、もっともっと素敵なダイアモンドを手に入れるよ。  私は瞳を開ける。  ゆっくりと微笑みながら近付いてくる母に手を振ってみせる。  待ってて。  きっと、大切なものを抱きしめる強さを手に入れるから。  その時まで、見守っていて。  その時には、祝福して。  お願い、ジギタリス。                              〜Fin〜 後書き 現在、締め切りまであと45分の時点でこの後書きを書いています。(^^; まぁ、それはさておき、とりあえず、お疲れ様でした。(一応、手直しがまだ残っている んですが。) さて、今回の感想です。とりあえず、魔法少女ものです。変身シーンについては初挑戦な ので、まだまだ、勉強が足りないところもあると思いますが、いかがだったでしょうか? うまくイメージが伝わっているといいのですが。実は今回もHシーンは削りました。ちゅ うか、時間が無かったともいう(核爆)。 入るシーンは多分、ご想像に難くないと思います。あ、もちろんヒロイン役にやってもら うつもりでしたよ(笑)。さて、今作ヒロインに抜擢されたのは、高峰 乃優希(たかね のゆき)ちゃん。最初はホンとにロリロリしてましたが後編からは随分大人っぽくなっち ゃいましたね。でも、こんなヒロインもアリではないかな、と。昔の魔法少女ものなら、 変身した瞬間に仕草も声も大人になってましたし(笑)。まぁ、それはさておき今回の 「ジギタリス」というタイトル、御存知の方は御存知だったでしょうが、花の名前です。 本当は最初ハーブで攻めてみようかとか考えていたんですが、私は一時期とあるゲームに とてつもなくハマッており、そのイメージが離れなかったため、花に変えました。しかし、 花については昔から魔法少女ものでやっているんですよねぇ。さて、それでは余談の花言 葉コーナーです。本文でちょこっとだけ紹介してますけど、もしよかったら参考にしてや ってください。 ○高峰乃優希→高嶺の雪(ハナショウブ)・・・これ読めた人います? 読めた人には花 マスターの称号を進呈(嘘)。花言葉は優しい心、忍耐、あなたを信じますなど。ヒロイ ンとして綺麗で儚げなイメージにもなりました。 ○蓮華天使ラーワェル→レンゲソウ。花言葉はあなたの痛みを和らげるです。そのまんま ですかね(笑) ○フォックス→ジギタリスの英名をフォックス・グローブと言います。 ○ジギタリス→花言葉は熱愛、隠されぬ恋。そして、不誠実。半年前、ハートバザールっ ていうバンドグループがこのタイトルで曲を出してました。ちょうどこの企画が立った時 点で、嬉しいやら先を越された悔しさやら・・・(笑) ちなみに魔法界の人間には呼名(よびな)と真名(まな)があり、真名を魔力を持たない ものに呼ばれると、全ての魔法力を失ってしまうという設定が有ってフォックスは乃優希 に託し、花へと姿を変えました。元々、魔法界の人間は花の精霊なのかもしれませんね。 ○グラリオーサ→正式にはグロリオーサ。花言葉は栄光、頑強。ちょっとイメージが離れ てしまったかも知れませんね〜。(幼すぎた?) ○ジャスミン→花言葉は温和、愛敬、私はあなたについていく。グラリオーサを追ってい る彼女ならではかな?と。ちなみに彼女が好きだった人はどっちだと思います? フリガ? それとも、グラリオーサ? ○フリガ→北欧神話に詳しい方なら、読めたかも知れませんね。オーディンの妻フリガの 果物といえば答えはイチゴ。花言葉は、幸福な家庭、あなたは私を喜ばせる、尊重と愛情。 不幸な役柄でしたが、今ごろ彼女はきっと幸せになっているでしょう。 本題 今回は愛と恋についてです(多分)。本当はもっと複雑なんでしょうけど、私にはこの解 釈が限界です。掲示板の皆さんからも色々意見を頂きまして参考にさせて頂きました。こ の場で厚く御礼申し上げます。_(_ _)_ また、人として解釈が違うのは当然のことです。これをご覧頂き、解釈が違ったとしても 何も気になさることはございません。恋を恥じる必要などございません。 最後に 創作に当たって参考にさせて頂いた資料とBGM ☆過去魔法少女ものアニメ全般 ☆魔法少女プリティサミー(文庫・アニメ) ☆Septem Charm まじかるカナン(アダルトゲーム) ☆花ことばハンドブック 花束に託す心のメッセージ 池田書店 ☆深田恭子 Dear(ピアノミニアルバム)      他