臥薪嘗胆(遠征記録)
釣れない釣り日記、なけなしの給料はたいて遠征しても
釣れないときは釣れないんだよね(;;)
普通は釣れた記録というものを重視するんでしょうが、
ここでは、臥薪嘗胆、釣れない悔しさをばねにということで、
ここ何年かの釣れない記録を載せた自己(不)満足のページ。
ずいぶん前のこともありますし、記録も十分残っていない場合もありますので、ご容赦。
・2000年秋
あこがれの、北アメリカ大陸でバス・フィッシングです。でも・・・あれれ?
2000年の秋、ひょんなことから、アメリカ合衆国のインディアナ州の田舎町にホームスティすることになりまし
た。
まあ、釣りは無理だなあ、とあきらめていたんですが、ホームスティ先の家の敷地に、なんと池(^^)がありまし
て、そこに、なんと、バスとギルのおなじみコンビがいるというんです。(そおか、向こうが本場)休日に、
「おまえはどこかに行きたい?」
と、聞かれ、
「いや、どこにも行きたくない、しかし、あの池で、ぜひバス釣りをしたい。」
と言ったら、子供用のロッドと、リールを倉庫からごそごそと出してくれて、楽しんでくれ、と言うんです。
で、初体験の北アメリカ大陸、バスフィッシングなんですが、池自体はそれほど大きくなく(所有者は、「これ
ポンドではなくレイクだ。」と言い張ってましたが(^^))ガンガン投げると向こう岸の芝を釣るというちょと情け
ない状況でした。もちろん「レイク」にバスボートはつき物ですね。(足漕ぎだけど)
しかし、夏には4人の子供たちが泳ぐというこの「レイク」。なかなか侮れません。クローズドフェイスリールと
ジグスピナーが引きずり出したのは、なんと40cm近いナイスなバスでした。ほんと、普段あまり釣りをしていない
のか、ただ投げ4投目にガン。ときて、釣れました。
この日、この家の子供と合わせて、2匹のバス(いずれもナイスサイズ)と2匹のギルを釣りました。日本なら当然
リリースなんですが、子供たちがバケツを持ってくるので、キープしておきました。どうするのかな?と聞くと、当
然のように、「今日のランチ。」だそうです。
というわけで、バスもギルも三枚におろされて、昼にはフライになってテーブルに並んでいました。初めてバスを
食べる訳ではないので、味のよいのはわかっていましたが、この日は特においしく感じられました。ギルは初めてで
した。ちょっと味が落ちます。(というか、臭みがある)
ちなみに、子供たちは、ルアーではなくライブベイト(ミミズか、仔ギル)で釣りをします。ルアーを投げている
最中になんどか、巨大な針に刺さったギルを指さして「こっちのが釣れるぞ。」と言われました(^^)。ここの子供た
ちは釣りをするぞ、と言われると、釣りざおより先に集魚ビンを取り出し、パンくずを入れて、仔ギルを捕まえます。
ちょっと、イメージしていたアメリカのバスフィッシングとは違いましたが、まあ、こんなのもありかな、という
遠征でした。(おいおい、こういうのを遠征というか?)
・2000年夏
2年ぶりの 奄美大島ツーリング
別にアップしました
・1999年夏
雨!雨!!奄美大島
・ほとんど唯一の釣果
昨年の夏の奄美が忘れられず、沖縄で惨敗を喫したのにもかかわらず、またもや家族を説得。本当は家族でフィ
リピンに行く予定だったが、飛行機が取れないのをいいことに「いやー、奄美は原生林も残っているし、人も少な
いし天国だよ」などと甘言を弄して一家で奄美大島へ出発しました。
ところが島に着く日まで、低気圧の余波で豪雨が降っていました。飛行機もかろうじて雨雲の間をぬって着陸。
雲の合間からちらと見えた北部の海岸には、川から濁流が流れ込み、いつもの美しい珊瑚礁がまったく見えません。
着陸してからも雨は降り続き、林道に行く道はがけ崩れで通れないという状況でした。かんじんの海は、どこを見
ても黄色に濁った海水があるばかり、昨年の透明な美しい海はまったく見ることができません。特に、大きな川の
ある湾(メッキの釣れる湾です)はどこも、透明度が低く、釣りどろこではありません。いちおう立ち込んではみ
たのですが、川から流れ込む水はやたら冷たく、海水と二層をなして底を流れています。これでは釣れるわけあ
りません。泊まっていたバンガローの前の流れ込みの中から、ミナミクロダイ(だと思う)を一匹と、住用川の河
口でコトヒキを数匹釣り上げましたが、それっきりでした。
残りの時間は子供にヤドカリを捕まえて遊んでいました。海以外は、ハイビスカスの花と奇麗なチョウとあいか
わらず夢のような風景なんですが・・・。
・1998年冬
2匹目のドジョウをめざし 沖縄名護市周辺
夏の奄美爆釣に気をよくして、「南の海は釣れるんだ」と単純に信じて、スキーに行きたがっている家族を説得。
沖縄をめざしました。家族旅行なんで、チャンスはそう多くはありません。家族の顔色をうかがいつつ、パックロッ
ドにルアーをセットする時間も惜しみながら、せっせと投げてはみたのですが、どこも反応無し。根回りも、河口
もからっきしダメ。水はきれいで天気もよかったのですが、魚の反応はないのです。元気がよかったのはネオパー
クオキナワの池の、コイとティラピアくらいなもので、海は全然でした。帰る日の午前中。家族を再びネオパーク
に押し込んで、1時間半の自由時間をもらい、ラストチャンスにかけます。
残り時間あと30分というところで飛び込んだ漁港で、ダツがライズしているのを発見。さっそく、スプーンを投
げます。第1投目からチェイスがあり、「しめた!」と攻め続けます。しかし、なかなかフックにのりません。最
後にこれでもかの電光石火のセットにガツンという手ごたえ。出ました。40cmオーバー(だと思う)のダツです。
漁港ですからギャラリーもいます。「待たせやがってこいつ。」と余裕のロッドワーク、10mほど先の水面から
ダツがジャンプします。しかし、おお!なんて思っているうち、リールに手ごたえがありません。
あれ?あれ???
当たり前のブレイクです。(ダツだもんね)これでタイムオーバー。おとなしく家族と合流して空港を目指しま
した。屈辱のオキナワでした。
・1998年夏
爆釣も稀にはある 奄美大島ツーリング
別にアップしました
・1997年夏
つれない原点 東北ツーリング
・魚が釣れないので、林道の写真です。
このころは、根魚をソフトルアーで狙うという遊びにはまっていました。で、日本地図を見て、海岸線がガタ
ガタしている三陸海岸にひそかにあこがれを抱いていたわけです。つまり、中学校のときに習った日本地図の知
識「リアス式海岸=岩場」、だったら根魚であるカサゴやメバルなんてうじゃうじゃいるだろう、というあまり
に単純な方程式で、夏休みにバイクにロッドをくくりつけ出発したわけです。例によって雨雨雨。日本海側を北
上したのですが、新潟の北部で前線に当たり、雨を避けて太平洋側にトラバースしても、松島あたりでまた前線
に。ついに気仙沼までたどりつけず、三陸海岸は夢となりました。その中でいくつか漁港にバイクを止めてルアー
を投げたのですが、いずれもノーフィッシュ。全行程を通じて釣れたのは、本当にアナハゼ2匹だけという悲惨な
結果でした。おまけに、帰りの新潟県内のキャンプ場で金縛りにあうし、散々なツーリングでした。
(おかしいと思ったんだよな、だいたいお盆の最中にテントが一張もないキャンプ場なんて・・・。)
その後は、気合いの抜けた走りで、ふらふら帰路へ。
・1996年夏
再び種子島ツーリング
やや釣れたので、特になし。
甲女川河口でのコトヒキ、メッキ、フグの五目釣り。
・1995年夏
友人をたずねて種子島遠征
やや釣れたので、特になし。
夜、友達がイカを釣りました。その後の彼の年賀状「イカ釣りの餌のボラの仔を飼ってます。」
・1995年夏
別に釣りが目的じゃないけど フィリピン
マニラに友達がいて、その彼に連れられ、パラワンの孤島のリゾートへ行きました。景色は夢のように美しかっ
たけれど、島の周りはノーフィッシング。ホテルのオプションでトローリングと、ボトムフィッシングがありまし
た。そのボトムフィッシングは、エンジンつきの双胴船で沖に出て、ひたすら仕掛けを放り込んで待つ釣りです。
餌は、魚の切り身。錘はボルト(^^)でした。それでもシングルハンドのロッドとABUのリールの先にゲーリーヤマ
モトの4inchグラブ(すでに勘違いしている)を垂直にたらし、ジギングを試みましたが、ノーフィッシュ。もと
もと釣りが目的でなく、リゾートに行ったんですが、世界一美しいパラワンの海で丸ボーズを食らった壮絶な旅行
でした。
・1994年夏
熊が怖かった北海道ツーリング
この年、北海道へ嫁さんと2人でツーリングに行きました。いわゆる新婚旅行ってやつです。もちろんロッドを
持っていきました。目当ては林道の奥の川に棲むはずの「オショロコマ」です。それから知床半島の漁港をまわっ
て、根魚を釣ってやろうと考えていました。結果は、全日程雨にたたられ、雨雲から逃げるように北海道内を移動。
忍耐のツーリングとなりました。そんな中でも、一人で入った道東の山の中の渓流でスプーンを投げてみました。
川幅数メートルの小さな流れだったんですが、枯れ木の陰から小さな魚影が飛び出し、バイトしました。ちょっと
焦ってバラシ。その後何度もチェイスがあったものの結局ノーフィッシュ。早々に上がってしまいました。なぜっ
て?それは熊が怖かったからです。遡行して粘ればきっと釣れたと思うのですが、前日からキタキツネやらシカや
らリスやらの野生生物をさんざん目撃していたものですから、釣っているうちに背中の方から熊の恐怖がじんわり
とのぼってきて、いてもたってもいられなくなったのです。雨だったので漁港でも一・二度ルアーを投げたくらい
で、ほとんどボーズ状態のまま帰りのフェリーに乗りました。
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