中期
-あとがき-
三国、魏、呉、蜀が三つ巴の様相を呈した。
蜀は魏に勝利し、呉は蜀に勝利し、魏は呉に勝利する
という循環の中、英雄たちが次々と姿を消していく。
魏は、天下統一寸前と思われていたが、
呉蜀の伸長により新たな局面を迎えた。
ひとつ大きな原因として知将の有無が挙げられる。
中期の魏は知将があまり活躍していない。
前期で活躍した郭嘉はすでに亡く、荀ケ、荀攸は中途で世を去った。
魏は国の防衛を
張遼、曹仁、張郤、徐晃、楽進などの猛将のみに頼ってきた。
やっと出てきたのが、司馬懿である。
呉は、赤壁で魏を破り、陣営の若さもあり
最も勢力を伸ばすポテンシャルを秘めていたが、
軍事の中心であり英才を持った、周瑜、魯粛、呂蒙が、
それぞれ短命に終わったため、
劉備に遅れを取ってしまった。
また劉備と結ぶか単独で勢力を伸ばすか方針も統一されないため、
勝利が多いのに江陵を二度攻めたり、無駄な動きが多かったといえよう。
蜀は、漢朝復興のスローガンを抱えて民衆の支持を得、
関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲、諸葛亮、法正など
一流の猛将、知将を擁し大国魏を圧倒したが、
呉との外交を軽視したため側面攻撃を受けた。
関羽の敗北、夷陵の敗戦により、蜀の領有していた荊州は
完全に呉の領するところとなった。
魏は呉蜀の争いにより有利な状況を更に確実なものにした。
そして新たな時代へと突入していく。

後期へ。