魏呉激突
夷陵の戦いのために魏に降伏した呉であったが、
魏の曹丕は呉に人質として孫権の息子を要求してきた。
それを断ったため、魏は呉に侵攻してきた。
曹丕は宛に駐屯し曹休、曹仁、曹真に軍勢を率いさせ、
三方面から呉を攻めた。
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今こそ呉を滅ぼす好機ぞ!
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曹休は水軍を進め呂範と対峙した。
呂範水軍は突風で船が転覆したため戦力が減少した。
曹休軍の張遼、蔵覇は呂範軍を撃破した。
しかし徐盛、全綜が健闘し、賀斉が後詰として兵を率いていたため、
張遼はそれ以上兵を進めなかった。
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曹仁は濡須城へ出撃すると陽動作戦によって呉軍を分断。
対する朱恒は兵を分断されたものの士気を高め
兵を潜ませ敵に兵が少ないと見せかけた。
魏軍がそれを見て城に近づくと一斉に攻撃し魏軍に被害を与えた。
更に城から打って出て曹仁軍を撃破した。
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曹真は張郤、夏侯尚を参謀として呉の江陵に攻め入った。
魏軍は長江中州の呉軍を撃破してそこから呉の江陵城を攻めた。
対する呉は江陵城に立てこもったが城内に疫病が発生。
多くの兵が病で倒れる中、魏軍は執拗に攻撃を加えた。
江陵城主、朱然はこの攻撃の中でも談笑し兵に動揺を与えなかった。
また隙を見て魏の陣地を攻め破った。
しかしそれでも魏軍は攻撃を止めず、攻城は数ヶ月に及んだが、
ついに魏は攻撃を諦め退却した。
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