于禁伝

于禁　文則

厲公。彼の諡（おくりな；死後に皇帝から授かる名前）である。
厲とは災い、病などを示す言葉である。
彼は魏の曹操のもとにあって、華々しい功績から栄光を極めたが
ただ一つの出来事で全てを失った。

関羽　雲長

蜀の主、劉備の義弟。武勇は天下に鳴り響き、義にも篤かった。
劉備が漢中において曹操軍を撃退すると、荊州にいた関羽もそれに呼応。
北進し、ハン城に立て篭もる魏の曹仁を包囲した。

未曾有の豪雨であった。雨は３日３晩止まず、ついに漢水が氾濫。
援軍に来た魏の于禁軍は陣営が流され魏の兵達は高地に逃れた。
各々の連絡は途切れ軍としての機能をなさなかった。
対する蜀の関羽は軍船を用い魏軍を激しく攻撃した。
于禁は抵抗空しく、関羽に捕われた。

于禁殿、貴殿は、名将としての名が天下に鳴り響いておる。
が、そのあなたは今私の前に捕われの身となっている。

これはどうしたことかな。

私はすでに敗軍の将。何も言うことはない。

貴殿は、殺すには惜しい人物。私はかつて曹操に降った。
あの屈辱をばねにしてこのような好機を得ることができた。
私は曹操の都を落としてみせる。
そして貴殿は昔の私と同じ立場となるのだ。

殺さぬのか。

関羽は于禁を捕虜とした。
このことは次の件と相まって曹操を非常にがっかりさせる事になる。

龐徳　令明

かつて曹操の敵であった。西涼に勢力を持つ馬超のもとで曹操と対戦し
曹操軍をてこずらせた猛将である。
馬超軍が敗れると、曹操に降伏した。
龐徳は曹操の人物に惚れ、曹操に忠誠を誓った。

関羽軍が北進し、ハン城に曹仁を包囲すると、于禁軍は味方を救うベく迎撃の軍を出した。

龐徳は于禁軍に加わった。当初、彼を疑うものがいた。
敵の蜀には、かつての主君、馬超がおり、親族の龐義もいたからである

私は既に曹操様に忠誠を誓った身。
旧縁をも断ち切る決意がある！

龐徳は棺桶を背負い、死ぬ覚悟で戦に望むという、固い決心を表明した。
龐徳は于禁軍中にあって、抜群の武勇を発揮し、白馬に乗っていたことから

関羽軍から、白馬将軍と呼ばれ恐れられた。
だが、洪水のため軍は敗北した。
龐徳は激しく抵抗したが、やがて力尽き捕らえられた。

我が国には馬超殿、龐義殿がおられる。
また君は武勇に優れていることから、
ぜひとも我が軍に加わってほしい。

へ。誰が貴様などに下るか！！魏王さまは百万の軍勢を抱え
威名は天下に轟いている。おまえの主劉備なぞはぼんくらだ。
わしは国家の鬼となっても、けっして賊徒にはならないぞ。

殿を侮辱したな！よかろう。
望みどおりにしてやる！！

龐徳は処刑された。于禁が捕虜になったすぐ後のことだった。

曹操　孟徳

魏の最高権力者。乱世の姦雄。
中原を制覇し、残るは南の劉備、孫権の２つの勢力だけであったが、
諸葛亮の天下三分の計の実現に伴い、
劉備、孫権の両面攻撃を受け、予期せぬ危機を迎えていた。

于禁が降伏し、龐徳が義を貫き処刑された。これを聞いた曹操は、

わしは于禁を知って何十年とたつが、死に及んで、

龐徳にも及ばぬとは・・・・。

曹操はかつての于禁を回想した。
出会いは、曹操がまだ勢力を築いてない頃のことである。
曹操軍の勢力の源である、青州黄巾賊はかつて曹操の敵であった。
黄巾賊は百万の軍勢を抱え、青州で挙兵、青州の牧（属官、主）ホウ信は
黄巾賊の攻撃にさらされていた。
于禁はホウ信の配下であった。
多勢に無勢、城を盾に討ち死にを覚悟したとき、援軍に訪れたのが

曹操であった。曹操は少ない勢力でありながら、智力を絞り
ホウ信と協力して青州黄巾賊を撃破し、その勢力をそのまま自軍に取り込んだ。
その戦いの中で、ホウ信は戦死。曹操は遺体を捜させたが、見つからなかった。
変わりに廟を作ってホウ信を祀った。

于禁殿。
貴殿はホウ信の右腕とも言える人物であったな。
ホウ信殿の遺志を継がれるのだ。
今後私に協力しては、もらえぬか。

ありがたきお言葉。曹操様はわれらが危機を救ってくれた

命の恩人。あなた様の助けが無ければ私も死んでいました。

ゆえに今後はあなた様に命をささげる所存です。

于禁は王朗の配下に組み込まれた。王朗は曹操の配下で、

学者として名声が高かった。
その王朗が于禁を高く評価した。

于禁は、兵を与えれば抜群の功績を挙げ、
軍律に厳しく人格にも優れている。
その才は十分に大将軍（軍の最高官）となるにふさわしい。

于禁は曹操の戦いのほとんどに参加し、魏でも５本の指に入る名将と評判された。

虞翻仲翔

呉の謀臣。古今を通して難解とされる易経に通じ、博学の士であるが、
正しいと思うことを誰はばかることなく貫くことから、
他人との折り合いが悪く、主君、孫権からも煙たがれていた人物。

話は元に戻り、于禁の降伏の後、魏を攻めていた関羽も敗れ、拠点の紅陵も既に呉の手中にあった。
紅陵に捕虜として捕われていた、于禁は今度は呉の捕虜となった。
呉主孫権は于禁と会うと、表上は捕虜だが彼の身柄を解放し常にそばに控えさせた。
それほど、于禁の名は四海に鳴り響いていたのだ。
だが、虞翻だけは反対した。

彼は数万の軍勢を失った。軍律に従えばその罪は死刑に値する。
この様な罪人を放置してはなりませぬ。
いま、ここに彼を斬って、忠誠を尽くせなかったものの見せしめとなさるがよろしい。

孫権は聞き入れなかった。

あるとき孫権は于禁と馬を並べ談笑した。虞翻はその様子を見て、

降伏者の貴様がなぜ、我が主君と馬を並べているのだ！！

といい、馬の鞭で于禁を殴りつけようとした。
孫権は大声をあげ、それを止めさせた。

こらあ！やめんか仲翔！！

今度は酒の席でのこと、楽隊の演奏に故郷を思い出し涙を流していた于禁に、

おまえはそんな心にも無い演技をして許してもらおうとしているのか？

呉が魏に帰順を申し入れると、于禁は魏に帰された。
孫権以下群臣が見送る中虞翻は

この国に人物がいないと思うな。たまたま私の意見が採用されなかっただけだ。

于禁は帰国後虞翻を大いに賞賛した。

曹丕

魏の２代目主君、禅譲で皇帝となった。
文学の才能もあり彼の著した「典論」は世に広く伝わった。
有能であるが合理的な考えをもつ非情の人物。

于禁は魏に帰還した。既に曹操は死に、曹丕の時代であった。
于禁は曹丕に目通りした。既に于禁は年をとり髭は白く涙を流して曹丕に平伏した。

長旅ご苦労であった。こちらでゆっくりされるとよろしい。
いずれまた呉に使者として行ってもらうようお願いします。
まずは、父の墓を参られるがよろしい。父もそなたに会いたがっておろう。

曹操の墓を訪れた于禁は驚愕した。
そこには関羽にひざまずく于禁、降伏を拒否する龐徳の絵が飾られてあった。
曹丕が前もって作らせておいたものであった。
于禁はショックと恥辱で病を発し、まもなく死去した。