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八ヶ岳
阿弥陀岳北稜
2001/1/5夜〜8

1/7【硫黄岳〜横岳〜赤岳】M、I【阿弥陀北稜】F、O、K、Hiro
1/8【地蔵尾根】M、I +上記6名

1月5日 春日井(22:00)−美濃戸口(25:10)
1月6日 美濃戸口(8:20)−行者小屋BC(12:40)

美濃戸口を晴天の下出発、昼過ぎには行者小屋前にBC設営。天気が良く時間もあるので、2月に登るつもりの石尊稜取り付きの偵察へ行った(Fさん、Oさん、Hiro)。

今夜のメニューはカレーライス、量を多めに見積ったせいか、3回もおかわりができた(ちょっと多すぎたか)。明日の打ち合わせでは、「好天は明日午前中までと予想、早めに行動、4時半床6時出発」でまとまりかけたところを「4時起床」に変更してもらった(明朝の炊き込みご飯が、α米と一緒に炊く必要があるので、時間がかかると予想)。

1月7日 (阿弥陀北稜パーティー) BC(6:15)−JP上部(7:25〜35)−第2岩稜(8:00〜10:00)−阿弥陀岳(10:20〜50)−BC(11:40)

4時にちゃんと起きたものの、いろいろと手間取り、出発できたのは6時15分になった。
登攀具を身につけ、阿弥陀北稜へと向かう。中岳沢をつめ、コル手前の桟道?の下あたりから右へトラバースして、ジャンクションピークの上部へ出た。結局一番乗り。天候は薄曇り・ほぼ無風・気温も高めで、絶好のコンディション。第一岩稜は、木につかまりながら登ると、すぐ登り切る。

第二岩稜には、残置ハーケンがあちこちにあり、左右に3本以上のルートがとれる。ほぼ末端からのルートをとる。1ピッチ目、トップのFさんが登り始めると、厳しそうなのは最初の5〜6m位で、後はどんどんザイルがのびていく。次は私の番、登高器のセッティングに気をつけて、慎重に登る。出だしにある核心をクリアすると、草付き混じりの斜面を登り、ビレイ点に着いた。
2ピッチ目、5m程の岩場を登り、続いてナイフリッジの向こうまで行って終了。そこからは、コンテとした。

阿弥陀岳頂上で握手を交わし、記念撮影。下りは、中岳とのコルで弱層テストを行いルートを検討、中岳沢を下る。途中「明日に向けて阿弥陀北稜の偵察に来た」という女性たちにつかまったが(沢の中で、そんなに話しこむなよ)、無事BCに着いた。

テントに入り、今夜の麻婆豆腐春雨の材料を2つに分ける(最初から分けておけば良かった)。今夜も、多めに出来てしまった。今日の反省は「BC行動で、4時起床6時15分発は遅い」。ほんとにそのとおり、で、明朝の雑炊は『α米を袋で作っておいて、朝は温めるだけ』とする。行動の打ち合わせは「悪天は、明日の明け方がピークと予想、行動は地蔵尾根(頭まで)or朝一番で下山or昼頃まで待って下山、判断は明朝」となった。寝る前に外へ出ると、雪と風で小屋の前のトレースがすべて消えていた。

地蔵尾根階段付近 1月8日 BC(6:40)−地蔵の頭(8:50〜9:00)−BC(9:50〜11:05)−美濃戸口(13:50)

夜じゅう続いた風雪も少し弱まり、地蔵尾根の頭をめざして出発。ルンゼをトラバースし、階段へ移る手前で、先行パーティーに追いつく。トップを変わると、予想以上のラッセルで、傾斜も急になり、遅々として進まない。「このトラバースをどうしようか。新雪も多く、雪崩のおそれがないとは言えないし、8人(も)のパーティーだし……」迷いながらも「もう少し直上した後、ザイルをフィックスし、階段への最短距離をトラバースする」と考えた。無事にトラバースを終え、地蔵尾根の頭へ着き、休憩もそこそこに下山した。フィックスザイルはそのままにしておいたので、下りでも使用した。テントを撤収して下山。
原村でお風呂、茅野でとんかつ、駒ヶ根SAで解散した。

地蔵尾根でのトラバースに関しては、○最短ルートをとった○一人ずつ通過○下りも含めたザイルの使用、は良かったが、×傾斜、積雪深に対する注意(より低い位置からのトラバースのほうがbetter?)×積雪断面の観察×時間がかかった、など 今考えると不十分な点もあったと思っています。


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The Original : 2001/1/31
1st Updated : 2001/2/20