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読み苦しい感想文ですが…

北アルプス
槍−烏帽子
1982/8/9〜13

Hiro ほか

7月24日、名古屋駅に集合したが、前日、集中豪雨があったため、顧問教諭の判断で、山行を延期する。(長崎で、大きな被害のあった集中豪雨です)

8月9日 晴のち雨、夕方になりあがる 名古屋(7:00)−(国鉄)−木曽福島(8:36〜55)−(バス)−上高地(11:20〜12:03)−明神(12:38〜13:25)−徳沢(14:10〜25)−横尾(15:15〜37)−一ノ俣(16:35)C1

槍をバックに(槍沢) 明神で休憩をしていると、雨が降ってきたので、しばらく様子を見た。

差し入れの「スイカ」を持つ順番が回ってくると、重い!!!!!!

8月10日 晴 C1(6:10)−槍沢(6:44〜52)−天狗原分岐(9:25)−槍ヶ岳山荘(14:00)C2

Hiro、最後の登りでバテる。予定では、本日、槍山頂アタックであったが、明日とする。

8月11日 晴のち曇のち雨 起床(3:00)−山荘前発(3:41)−槍ヶ岳(4:10〜5:25)−山荘着(6:00)/C2(9:42)−双六小屋(11:32〜13:05)−三俣山荘(15:19)C3

御来光を見る為に、ヘッドランプをつけて出発。その甲斐あって、一番乗りで頂上に着く。

頂上でのすばらしい日の出の後に、我々を待ち受けていたのは、時間との戦いであった。予定では、6時にサイト地を出発しているはずなのだ。朝食に、つぶれたフランスパンと紅茶をとって、9:42、やっと槍ヶ岳山荘を出発した。

西鎌尾根 槍ヶ岳から、西鎌尾根を通って三俣山荘まで行くのが、今日のコースだ。西鎌尾根は、いかにも稜線上を歩いている、といった感じで、登山道が右へ左へと続いた。景色はすばらしかったが、どの山が、なんと言う名前か、ほとんどわからなかったのが残念だ。

ところで、新しい革製登山靴を履いているHiroには、靴擦れができていた。昨日までの2日間で、左右5ヶ所もできていて、一歩踏み出すごとに、痛いの痛くないのって!!!!
「今日は、悪夢のような、昨日の槍沢に比べれば、何とかなるだろう」という出発前の考えの、何と甘いことか。歩き始めたHiroを襲ったのは、トップのS先輩のスピードだった。予定コースタイムを、3時間半はオーバーしているので、それを取り返し、少しでもテン場へ早く着こうとするために急ぐ先輩。先輩に追いつこうとして、足をかばって歩いたので、変なところに力が入り、だんだんバテて来た。もう、景色を楽しむ余裕などはぶっ飛んでいたが、ひたすら歩いた。

3回の休憩ののち、今朝の好天から一転して曇ってきた空の下、疲れた体と、靴擦れで痛い足とを引きずって、ただ、早く昼飯を食べたい一心で、双六小屋へ向けて歩いた。

11:32双六小屋着。ここでは、割にてきぱきと昼食の準備ができた。メニューは、ラーメン、α米、紅茶、ミルク。この小屋は、水が無料なので、ありがたかった(ちなみに、槍ヶ岳山荘では1リットル=100円)

双六小屋を出て、最初のうちは上り坂だったが、すぐに山腹に沿った道になり、平坦で楽だった。あたりは、一面のハイマツで、ライチョウが出そうだったので、周りを良く見ながら歩いた。しかし、ライチョウは全く姿を現さなかった。

空は、今にも雨が降りそうな感じで、その上疲れてきたのか、みんな喋らなくなって、陰気なムードが漂っていた。なんとしても、晴れてほしかった。歩いても歩いても、灰色の空とハイマツばかりで、ウンザリしてきた。

ようやく三俣山荘についた。夕食は、何を食べたのか、あまり憶えていないが、サラダ(みんなが「おいしいおいしい」といっていた)が、タマネギだけ、やけに余ったのは確かである。
夕食の後、雪渓で遊んだり(大なべや、背負子をそりにした)、三俣山荘で、コーヒー、ココアなどを飲んだりした。

今日は、靴擦れが7ヶ所になっていた。針で水を出した。
今日も、ライチョウは見れなかった。明日こそ見たい!そう思いつつ、ぐっすり寝た。

8月12日 曇ときどき雨 C3(5:45)−鷲羽岳(6:55〜7:10)−水晶小屋(8:53)−野口五郎小屋(〜14:50)−三ッ岳(16:20)−烏帽子サイト地(17:20)C4

3時起床。そろそろ、体が山での生活に慣れてきたのか、あまり眠さを感じない、さわやかな目覚めだった。
今朝の朝食は、α米、インスタント味噌汁、紅茶。
N君が風邪をひいたらしく、調子が悪いみたい。今日は、行程が一番長いから心配である。
朝、起きたばかりの頃は、晴れていて槍ヶ岳も見えたが、朝食を済ませ、出発するときには、完璧に曇っていた。

鷲羽岳への登り? 鷲羽岳への登りは、えらかった。少しザレた、ジグザグの道が、急な傾斜で迫ってきた。岩を乗り越えるようなところでは、キスリングの外にしばった大鍋のせいで、バランスを崩して、何度もヒヤッとした。
バテてきて、足が前に進まない。『あーぁ、早く休憩したいなぁ』と思っていると、A先生が、「頂上まで、休みはなしだぞ」と言った。頭を上げると、山頂は遥か彼方にあって、とても手の届かないものに思われた。そこで『あと5分、あと5分』と思いながら歩いた。歩いた。歩いた。
周りは曇空、下はザレた赤土、可憐な花のひとつもない。しかし、我慢の甲斐があった。6:55 ついに、我々は鷲羽岳に登ったのである。

ポリタンの水が減ってきたので、草についている露をなめたが、これが以外においしかった。
水晶小屋を過ぎる頃から、冷たい雨が降ってきた。靴擦れも相変わらず痛い。

野口五郎小屋の自炊室で、紅茶、ミルク、スープ、クラッカー、コンビーフなどの昼食をとる。

やっと烏帽子のサイト地に着いた。薄暗い中、テントをたて食事をとった。夕食の後、ジュースを買いに小屋へ行った人もいたが、バテと靴擦れのHiroは、スペースを確保して早めに寝た。

8月13日 晴 C4(6:38)−高瀬ダム(11:00)−信濃大町−松本−名古屋

「もう帰らなければならないのか、もっと山にいたい」「あー、もうえらい。早く家に帰って靴擦れを直したい」 2つの思いが交錯する最終日だった。

ブナ立尾根の下りでは、靴擦れの痛さに、皆に先に行ってもらい、後ろからA先生とついて行った。高瀬ダム上からバス停までのアスファルト道路の、何と歩きにくいことか。

信濃大町へむかう途中で、まだ山の気分にひたっていたら、赤信号でバスが止まり、一気に現実に引き戻された。

 

5日間、Hiroを苦しめた靴擦れは、膿がひどく、夏休みの間は靴をはかずにぞうりで過ごした。


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Reference:杉峠 No.17, 1983
1st Updated : 2001/5/11
2nd Updated : 2001/5/13
3rd Updated : 2001/6/3