ひなのと・・・
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「しょうがいじの母になりたい」と
決して望んだわけではない。
「しょうがいじの母になれる」という
ココロ構えがあったわけでもない。
ほんとに突然。
自分の中の偏見と
無知から来る不安に
もみくちゃになって
うろたえるこんな母のもとに・・・。
ひなのが生まれた時
「こんな子いらない。」
ココロで母はあなたを抹殺していた。
そんな母だから
ごめんね。
一生、私はあなたに謝ってる。
だけど今は
あなたなしでは生きていけないくらいに
こんなにあなたを愛しているの。
たくさんの「愛」をくれたあなたに
私もいっぱいの「愛」を返そう。
そして、そんなあなたと一緒に
生きる楽しさを
あなたと生きる人生のすばらしさを
私は胸張って、語っていきたい。
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あなただけの個性 |
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お出かけ先で
ひなののやることは
ちょこっと変わってて
ちょこっと目立つ
「おいくつですか?」
「はい。4歳です」
「あ・・・・そうですか」
微妙な間の中に
相手の戸惑う姿が見える。
同い年の子たちと
おんなじことはできない。
でも
ひなのだけが持ってる
たくさんのいいところ。
いっぱいいっぱいある。
それは
どんな子でも同じだよね。
その子だけが持ってるいいところ。
ひなのがひとり
オマヌケなことやってる。
だけど
私にはその姿が
ダイアモンドみたいに見えるよ。
キラキラ
キラキラ
あなただけの個性。
その輝きを消したくない。
ずっと
ずっと
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くるま |
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モノにもココロがあると
感じてしまう私は
主人に「アホちゃうか」と
呆れられることしばしば。
こんど
8年半乗った車を手放すことになった。
私には車に対して
さして好みとかがないので
主人の意向で選ばれた
今の車が
我が家にやってきたのは
健太の生まれる前。
それから
健太が生まれ
ひなのが生まれ
あちこち遊びにもでかけた。
お買い物。習い事。
実家へも何十回と行ったなあ。
療育園への道
何度通ったことだろう。
病院も訓練も
ひなのがICUにいる時は
少しでも早く会いたくて
ビュンビュンとばしたっけ・・・。
ひなのの告知の後
雨の日でもないのに
フロントガラスが
いつも涙でにじんだ
だけど
フロントガラスのむこうの青空は
どんな時も
私を励ましてくれた。
カナシイ思い出。
タノシイ思い出。
ずっと一緒だったよね。
私の涙も知ってるでしょ。
子どもたちの笑い声も知ってるでしょ。
あちこちガタがきてるけど
これまで大きな故障もせずに
ホントよく走ってくれた。
新車が来る喜びよりも
今は、この車と別れることの方が
サミシイ・・・。
モノにはココロはないのかなあ。
でも、この車に
ココロから
ありがとう・・・って言いたい。
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あなたへ・・・ |
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会ったこともないのに
とっても近くに感じる。
知らず知らずのうちに
励まされたり
教えられたりもする。
「どーしているかなあ」
「げんきかなあ」
洗濯物干しながら
ふと考えたりする。
あなたの顔も
あなたの声も知らないのに
変だね・・・。
でも
ここで
ココロとココロを
通わせることができる。
ステキな出会いをありがとう。
優しいコトバをありがとう。
おおげさじゃないよ。
それは私にとって
どんな高価なものより
タイセツな
ココロの財産。
今年一年。
ここへいらして下さったみなさん。
コトバをくださったみなさんへ。
「ありがとう」の気持ちをこめて・・・。
2002・12・31
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くつ |
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「ボク、このクツがいい!」
健太が指差したクツは
子どもがよく履いている
ごちゃごちゃ飾りがついたやつだった。
お父さんは
クツにはこだわっていて
「子どもには安いクツを履かせるな」と
いつも言っていた。
歩き始めたころから
クツを買う時は
お父さんのお眼鏡に叶うもの。
健太も文句も言わず履いていた。
みんながほしがる
キャラクター付きのクツも
フシギに欲しがった事がない。
ところがその日
「これがいい!」と選んだクツは
決して高くはない
近所の子がよく履いているクツ。
お父さんは
「えーーっ?それがいいの?」
と驚きつつ
「自分がそれがいいんだったら・・・」と
それ以上言わなかった。
「だって、みんなはいてるもん」
みんなが履くから・・・という
基準でモノゴトを選んでほしくない。
とも思う。
でも、コドモにはコドモの世界もある。
親の価値観とコドモの価値観は違う。
いつから
「自分のクツと人のクツとの違い」
を意識していたんだろう。
「ボクはこれがいい」と
目をキラキラさせて言った。
それは親の言いなりではなく
自分の選んだもの。
その日は
健太の8歳の誕生日。
少しずつ
親から離れて
自分の世界
自分の価値観を作っていく。
そんな気がした。
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ココロのことば |
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人には「ココロのことば」がある。
自分のキモチを
ことばで表現できたら
どんなにか
伝える方も
伝えられる方も
楽だろう・・・。
でも
「コトバ」に頼れないと
人間
どうにかして
相手のココロを探ろうとするものなのね。
そして
ひなのはありがたいことに
なんとかして
自分のキモチを伝えようと
アノ手コノ手で迫ってくる。
あなたのしぐさや
あなたの表情や
あなたの小さなコトバの切れ端を
できるだけ寄せ集めて
母はあなたのココロを想像する。
それが
このごろ楽しくなってきた。
もちろん
的外れな時もあるかもね。
あなたが
「ココロのことば」を
次から次へと
私に投げかけてくる。
母はあなたの
「ココロのことば」を
どれだけ
受けとめてあげられているでしょうか。
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ゆめ |
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小さいころ
夢はいっぱいあった。
結婚して
母になって
私の夢はどこにいったんだろう。
オトナになって
いろんな現実が見えてきた。
自分の力も見えてきた。
やりたいことと
できること
だけど
いつでも
どこにいても
「こうありたい」という
夢を持ちつづけていたい。
どんな小さな夢だって
そこへ行くための
道順を
あれこれ探している時は
胸がワクワクするもの。
そんなワクワクするキモチ。
きっとそれが
私が生きていくチカラになるんだと思うから。
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ま。いっか・・・ |
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ひなのが一生懸命
伝えようとしていること
なかなかわかってあげられない時
「え?なあに?」
「もういちど言って」
私は、何度も何度も聞き返す。
何度も何度もひなのは
話してくれる。
それでもわからない時もある。
「あ!そうか!」
私じゃないの。
ひなのが自分でそう言うの。
私に
「あ!そうか!わかったよ!」と
言って欲しいから。
その言葉のむこうに
「わかってよ!お願い!」
というひなののココロが見える。
「ごめんね。わかんないよ」
すぐにはわからない日もあるの。
「ま。いっか・・・」
ひなのは諦めたように
怒りもせずに言う。
私でもこんななのに
ひなのは
家の外で、どのくらい自分の気持ちを
理解してもらってるんだろう。
こんなに自分の”キモチ”があるのに
じょうずに言葉で伝えることのできない
もどかしさ。
感じているんだろうか。
伝えられないひなのが悪いわけじゃない。
理解してあげられない人が
悪いわけじゃない。
でも
「ま。いっか・・・」と
諦める場面が少しでも減るといいのに。
と、母は願わずにいられない。
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それぞれの階段 |
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ひなのがダウン症だと知った時
「この子はなにもひとりではできないんだ」
と、絶望し
そのあと
「この子は私がいなけりゃ・・・」
という責任感で立ち直り
いま
「この子は自分の人生を自分の足で歩けるんだ」
ということにやっと気付いた。
ひなのだけの階段。
ひとりひとりみーんなちがう階段。
きのうより一段。
きょうより一段。
ひとつひとつ上っていってくれればいい。
途中で一休みしても
ずっこけちゃってもいいな。
大ケガさえしなければ。
道草もいっぱいしちゃえ!
ひなのが人間らしく生きるために
ひとつひとつ上る階段。
途中で不当にジャマする人(モノ)があったら
母は闘う。
でも母は
ひなのと同じ階段は上れないのよね。
幼稚園へ入るまでは
時には手をひっぱり
時にはおしりを押し上げ
時には抱っこして
ひなのと同じ階段を
母は上ってきたの。
でも幼稚園へ入った時から
ひなのはもう
母とは別の階段を上り始めたのよね。
あの時から
母と子の階段は
あっちとこっち。
あなたが転んだら
となりの階段から
声援を送るよ。
あなたが立ち止まったら
一緒に座って一休みしよう。
元気にどんどん上れる時は
お母さんのことなんか
気にせずに
どんどん上に向かって
上れ。
そのずっとずっと上に何があるのかな。
楽しみだね。
お母さんはいつも、となりで
あなたの歩く姿
見てるよ。
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ココロの思い出 |
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「今日、幼稚園で何してきたの?」
毎日毎日
私がひなのに尋ねることば。
幼稚園での楽しいできごと。
コトバで残せなくても
ひなののココロの中に
ひとつひとつ残っていってくれればいい。
そう思いながらも
お母さんは
あなたのココロの思い出を
聞きたい。
おともだちと遊んだこと。
「楽しかったんだね」と
一緒に喜んであげたい。
おともだちとケンカしたこと。
「悲しかったね」と
抱きしめてあげたい。
今までできなかったことが
できるようになったこと。
「すっごいじゃーん!」と
誉めてあげたい。
うまくできなかったこと
「また今度やってみたらできるよ」と
励ましてあげたい。
喜びも悲しみも
自分以外の誰かと
分けっこすることができるんだよ。
自分のよろこびが
だれかのよろこびになることがある。
誰かの悲しみを
あなたが半分にしてあげることも
できるかもしれない。
それを知って欲しいから。
お母さんは
あなたのココロの思い出を
一緒に感じたい。
だから今日も
私は聞くの。
「今日、幼稚園で何してきたの?」
あなたのココロの思い出
ちょっとだけ見せて。
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やさしいキモチ
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ひなのの目の前で
ヨチヨチ歩きの子が転んだ。
その子のお母さんより早く
ひなのがしゃがんで
その子に両手を差し出した。
その子が立ちあがったら
顔を覗きこんで
「だいじょおぶ?」と
そっとその子の頭をなでた。
しかも
ひざの砂を払うことも忘れない。
室内だったから
転んでも
砂なんてつかなかったんだけどね〜。(笑)
シアワセな光景。
身体の発達。
知能の発達。
すべてが遅いといわれるこども。
そのことに
絶望した日もあった。
だけど
こうして
「やさしいココロ」は
ちゃんと育ってくれているんだね。
そんなあなたを見て
私のココロはとても豊かなキモチで
いっぱいになる。
あなたの母でよかったなあと
思える瞬間を
ありがとう。
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コドモの裏切り |
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コドモっていうのは
親には太刀打ちできない
底力を持っている。
思えば
事あるごとに
最高のラインと
最低のラインを
ココロの中に想定して
最高のラインのことは
ほとんど無視して
最低ラインばかりを気にかけて
ああでもないこうでもないと
必要以上に心配しているのは
私ばかりじゃないか。
それは
単なる私個人の性格から
来るものなのかしら・・・。
幼稚園のお泊まり保育だって
案ずるより生むが靖だった。
ひなのは終始
笑顔で過ごしたらしい。
それを
「この子は障害があるから」
「よその子以上に手がかかるかもしれないから」
「お泊まり保育が理解できないかもしれないから」
と、辞退しようかとも
考えていたのだ。
コドモを守りに入る余り
コドモの可能性をつぶすかもしれない
一番のやっかいな大人は
親なのかもしれない。
そんな親の思いを
コドモは
いとも簡単に
裏切ってくれる。
体験っていうのは
コドモの表面に
かたちとして残るものではない。
まして
幼い頃の思い出は
記憶として思い出されることも
少ないかもしれない。
だけどその時
「楽しかった」と笑ったキモチは
かたちを変えて
その人の人間性を
作っていくんだろうと
信じている。
これからも
心配症のダメな母を
裏切り続けてね。
あなたのそんな裏切りを
母は頼りにしているよ。
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わたしらしく・・・ |
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この秋
ずっとやりたかった勉強を
始めることにした。
「わたしがわたしらしくあるために」
でも
その為に
「母らしく」「妻らしく」いられない
時間ができた。
わたしが
わたしの人生のために
わたしの為に
使う時間。
いっしょに暮らす家族に
強いることになる
不自由を思うと
ホントにやるべきことなのか。
今、やらなきゃいけないことなのか。
と悩んだ。
だけど
「わたしらしく」いられることを
理解してくれる
家族に感謝しつつ
がんばろうと思う。
久しぶりに
ワクワク、ドキドキする
心地よい緊張感。
わたしの新しい出発。
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「ひなの」という名前
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ひなのが生まれる前
子どもの名前を決めるのは
男の子ならお父さんが。
女の子なら私が。
と、決めていた。
候補はいろいろあった。
自分がひらがなの名前なので
考えるのはひらがなの名前ばかり。
「あったか〜い」イメージがいいなと
思って
最後に搾られたのは
「ひな」がつく名前。
「ひなこ」
「ひなた」
「ひな」
そして「ひなの」
「ひなたの野原って気持ちいいだろうなあ」と
私の脳裏に
クリーム色の野原が広がっていた。
そんな名前を書き連ねたメモを持って
出産の日を迎えた。
産んでみたら
名前どころの騒ぎではなくなって
名前を考えるどころか
名前候補のメモを
見る気持ちさえ、吹っ飛んでしまった。
ひなのの事を話すとき
「あの子は・・・」
「あの子が・・・」
と、夫婦で話すのが
よけい悲しかった。
「あの子」じゃ
まるで
「他人の子」のようだった。
それでも出生届の期限は迫ってきて
必要に迫られ再び名前のメモを見た。
「ひなのだなあ・・・」
そう感じて
お父さんに電話した。
「ひなのにしようと思うの」
「うん。いいよ」
たったそれだけの会話で
ひなのの名前は決まった。
実家の両親に伝え
看護婦さんに伝えた。
「ひなのにします」
実家の父は
「なんだ。漬物みたいな名前だなあ」と
笑った。
(三重県には「ひのな」という野菜があり
「ひのな漬け」というお漬物がある)
時々父は
「ひのな」と呼び間違えて
「ちがうやん。ひなのだってば!」と
言い合って笑った。
今、思うと
落ちこんで涙する
娘への
父の思いやりだったのかもしれない。
「ひなの」
「ひなの」と呼ぶうちに
どこから見ても
「ひなの」にしか見えないコドモになった。
あたりまえ。だけど
今は
本当にココロから
ひなのの人生が
「ひなたの野原みたいにあってくれたら」
と、願っている。
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健太が見ているひなの |
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このHPのトップにある絵は
健太が幼稚園の頃
描いた絵。
「ひなちゃん。かわいい」
「ひなちゃん。スキ」
そう言って描いた
たくさんのひなのの顔。
私はそんな絵がスキだった。
今もトップの絵を見ながら
思うことがある。
あの頃の私。
「ダウン症であるひなの」のことを
なんとか受け入れていたものの
「この子はダウン症なんだから」
「なにかしてあげないと」
「頑張ったら、健常のコドモに近づけるかしら」
そうやって考えている自分がいた。
一生懸命
療育機関をさがし
どんなに遠くても出かけた。
一生懸命だった私。
そんな毎日は決して
無駄だったとは思わない。
だけど
「ダウン症」を「いけないもの」と見て
それからできるだけ
遠ざかりたい気持ちが確かにあったことも
事実。
健太は
ひなのが生まれたその日から
「ひなの」そのものを見ている。
いつも健太の前にいるのは
ちょっと横着くて
自分にくっついてきてばかりいる
時々「うっとおしい」けど
「やっぱりカワイイ妹」なんだ。
健太の絵を見るたびに
健太は最初から
そして今も
ずっと
ありのままのひなのを見ていたんだなあと
思う。
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ぼくのいもうと
(けんた 小2の時の作文より)
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ひなちゃん。
ひなちゃんはぼくのいもうとです。
ひなちゃんはかわいいからです。
まいにちうたをうたっています。
大きなこえでうたっています。
ちょっとうるさいです。
いつもひなちゃんはぼくのことを
バブちゃんとよんでいます。
だれもひなちゃんがバブちゃんとよぶことのいみが
ぜんぜんわかりません。
ぼくの名前はけんただからです。
ひなちゃんは4才でようちえんへいっています。
ひなちゃんはぼくとおんなじで
ベビースターラーメンをたべます。
プリンもすきです。
ひなちゃんはちょっとおっちゃくいし
うさぎのポッケのケージをがたがたならします。
ポッケはこわがり、はなを早くぴくぴくして
ますます耳はせなかにくっついてしまいます。
ひなちゃんはいつも
しまじろうのビデオを見ています。
ねるときはいつもいっしょです。
おかあさんよりぼくのほうに
くっついています。
かわいいぼくのいもうとです。
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まんげつころころ
(けんた 小3夏の詩)
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まんげつくるまからみえた
まんげつころころまわってた。
まんげつ中にうさぎがみえた。
まんげつ中に子犬もみえた。
まんげつぼくについてくる
まんげつくるまについてくる
まんげつくもにかくれて見えなくなった
まんげつくもから出てきて
まんげつまたころころまわった
まんげつころころ目がまわる
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前を見て |
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ひなのの卒業式を見ていて
気付いたことがある。
小さい子どもっていうのは
前しか見ていないのね。
「あの頃は・・・」と
懐かしむことも
「あの時は・・・」と
後悔することも
ない。
見て見て!
こんなに立派に
卒業式ができたでしょ。
ぼくらは
もうすぐ1年生。
その目は
桜の花の下の
ランドセルだけを
見ているみたい。
ひなのが
「卒業」をどこまでわかっているのか
1年生になることを
どこまでわかっているのか
定かではないけれど
ひなのの目も
まっすぐ
前だけを見ていた。
だから
いつもの泣き虫お母さんも
泣けなくなっちゃったよ。
まっすぐ前を
前を見て行こう。
あなたのように
笑顔で。
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