百寺巡礼 奈良編

第1番 室生寺 真言宗室生寺派大本山 

        
  護摩堂付近の石楠花                 金堂                  五重塔        石段と金堂

赤い太鼓橋を渡ると女人高野と書かれた石塔が目に入る、そこの門をくぐると左側は護摩堂と本坊、右に行くと仁王門が見えてくる。
仁王門をくぐるり少し行くと、石段の奥の方に金堂が佇む、さらに金堂の奥に室生寺のシンボルでもある日本で一番小さい五重塔がみえる。
春になると石楠花が塔を包むように咲き乱れる。奥の院へは仁王門から700段の長い石段を登ると、崖にせりだすようにして常燈堂と御影堂
がある。帰りは足元を気にしながら木々の間から見える室生の街を見ながら下りてくる。
境内を出ると店があり、そこで草もちで一息いれたいものです。
室生寺が女人高野としてして開放したのが鎌倉時代の後だろうと伝わっているようです。


第2番 長谷寺 真言宗豊山派総本山

               
  仁王門                 登廊                      本堂から本坊を望む
 
 春3月下旬から4月上旬 参道、境内はソメイヨシノ、山桜の花で埋まる、4月下旬から5月上旬は参道、登廊の両側は牡丹の花が咲き、これぞ
 花の寺とよばれる由縁であると思います。牡丹の花を見ながら登っていくと約400段の階段も知らず知らず登ってしまう。登り詰めた所が鐘楼と
 本堂です。本堂の舞台から見る景色も素晴らしい。
 長谷寺のご本尊は十一面観音菩薩立像で像高10・18メートルにおよび、見る者を圧倒する。「通称長谷観音」
 西国33所巡礼の第8番札所として巡礼に訪れる人も多い。
 
 第3番 薬師寺 法相宗
 
       
   金堂(1976年復興)            東、西塔(観音池より)                 西塔(1981年再建)       東塔(730年築)
  
           
  南大門の金剛力士像              大講堂(2003年)            西塔の水煙        東塔の水煙
 
 天武天皇は680年皇后の病気回復を願い、薬師如来を本尊とする寺院建立を発願する。薬師寺は平城京への遷都にともない、現在の地に
 移された 。移転後も度重なる災害、資金難で伽藍が衰退するばかりだった。1528年の兵火で 東塔と東院堂を残して伽藍は焼失してしまった
 ようです。
 高田好師が金堂の復興を発願した。建立の資金は百万巻の写経を集め、その納経料で賄ったようです。昭和51年に無事に百万巻を達成した。
 これによって西塔、中門、大講堂が完成し白鳳時代の栄華が蘇った。ほとんどの古寺はセピヤ色をしているが創建当時は薬師寺のように
 極際色に輝 いていたのだろうと想像いたします。(平山画伯の大唐西域壁画は春と秋に公開されるようです。行って見たいと思います。)
 
 第4番 唐招提寺 律宗総本山

            
                          南大門                 御影堂への道           
                     
              御影堂縁側                        金堂(平成の大修理中)           講堂                             
           
        御影堂の庭園              東山魁夷の襖絵(テレビより

私は訪れたのが御影堂の鑑真和上の命日「開山忌舎利会」に,鑑真和上坐像の御厨子が開扉されいるときでした。このときに鑑真和上の
肖像美術と 東山魁夷の障壁画、襖絵を拝観してきました。雨の降りしきる中でしたがしっとり静かな旅のひと時でした。
鑑真和上は唐を出発し、12年もの歳月をかけ、苦闘に苦闘を重ねて盲目になりながらわが国に渡り、初めて正式な戒律を伝えた。
その鑑真和上が創建したのが唐招提寺であるそうです。金堂は平成12年から10年間かけ大修理を行っています。

 第5番 秋篠寺
 

                
       開山堂                     本堂(元講堂))                  苔庭

 住宅街の中に佇むこじんまりとした小さなお寺でした。しかし境内はよく手入れされた苔庭に樹木からの木漏れ日が苔を浮き上がらせていました。
 樹木の小径を抜けると白い玉砂利の向こうに奈良時代の建築様式を意識した本堂が佇んでいました。
 そのお堂の中には秘仏の本尊薬師如来像、日光、月光菩薩、技芸天立像などが置かれているらしい。残念ながら見ることができなかった。
 一般公開は毎年6月6日の秘仏公開に行われるそうです。
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 第6番 法隆寺 聖徳宗総本山
     
 斑鳩の里 中門と五重塔               学問、法要の場,大講堂             回廊                         五重塔
 
蘇我一族の横暴に嫌気を差した聖徳太子は、政界から遠ざかり、斑鳩に理想郷を求めて移り住んだ。その一角に太子が最高の職人と
最新の技術によって建築されたのが法隆寺である。
五重塔や金堂などは世界最古の木造建築物とされ平成5年には日本で始めて世界遺産に登録された。
無数の文化財を所蔵し、国宝、重要文化財だけでおおよそ190件、仏像だけでも650体あるという。(百寺巡礼より)

 
 第7番 中宮寺 聖徳宗

 
  
   
   
中宮寺の由来                            入り口                   耐火構造の本堂

 法隆寺の夢殿に隣接したところに入り口ある。尼寺らしくこじんまりとした、優しそうな庭園の小径の奥に本堂がある。
 現在の本堂は鉄筋コンクリート製です。本尊の弥勒菩薩半伽像が安置されている。
 この像の魅力は、その柔らかく気高い微笑である。エジプトのスフィンクス、ダ、ウ”ィンチのモナリザと並ぶ世界三大微笑像に、
 数えられるそうです。

 第8番 飛鳥寺 真言宗豊山宗 

     
  南門                     飛鳥大仏(釈迦如来坐像)        西門から中金堂と西金堂      蘇我入鹿の首塚

飛鳥寺は日本ではじめてつくられた本格的な寺院であるそうです。飛鳥寺は格式ある白壁の続く街並みの田園の中に佇んでいる。
現在は小さいお寺ですが、創建当時は東西約200メートル、南北約300メートルという壮大な伽藍だったそうです。
飛鳥寺の本尊はわが国で初めて造られた銅製仏像で、釈迦如来坐像「飛鳥大仏」、今でもこの場所に幾多の災難にあっても座り続けているので
やや黒ずんだ姿です。顔は何度も修理したあとがあります。ほとんどの寺院の本堂内は撮影禁止ですがここだけは撮影が許可されていました。
「蘇我入鹿の首塚は大化元(654)年の(大化改新)で中大兄皇子にはねられた入鹿の首は、板蓋宮から数百メートルも飛んでこの場に落ちた
とされている。」(百寺巡礼より)

第9番 當麻寺 真言宗と浄土宗の両宗並立

                  山門                    中の坊天井絵            西塔と東塔               本堂

この寺の本尊は當麻曼荼羅である。本堂は曼荼羅堂と呼ばれている。現在須弥壇上には、三代目の當麻曼荼羅、が安置されている。
百寺巡礼ガイドブックには「當麻曼荼羅は、古代人々が、やがていけるであろう二上山の向こうの浄土を思い浮かべつつ描いたいう。
曼荼羅の中央には、阿弥陀三尊を中心とした三十七尊があり、その手前には宝池や宝樹、奥のほうには楼閣宮殿が建っている。
そのモチーフは、浄土三部経の一つ、「観無量寿経」というお経に書かれた阿弥陀浄土である。」境内は仁王門をくぐると鐘楼、左側に本坊、
奥に金堂、講堂がありその間から本堂がみえる。本堂横の参道を登っていくと宝物院、奥の院に着く。参道には赤と白の寒牡丹が咲いていた。
花のころは見事な伽藍と花が調和して一層綺麗になるだろう。2月に訪れで残念でした。

第10番 東大寺 華厳宗大本山

      
   南大門                  大仏殿(金堂)             二月堂                 裏参道

 大仏殿は世界最大の木造建築物で奈良時代の代表的な寺院です。天平15年(743)聖武天皇が蘆舎那大仏建立の勅頼を発令し、その大仏を
 安置する寺として国家事業として造営された。752年大仏殿が完成。1180年平重衡の軍勢により焼失、また1567年三好、松永の乱により
 再び伽藍の少しを残し焼失した。現在の伽藍の多くは江戸時代に再興されたものだそうです。
 私は二月堂、大仏殿、正倉院、大仏池の畔、戒壇院に通じる裏参道と小路の散策が好きなんです。
 四季を問わず楽しいひと時を過ごすことができます。奈良の旅に出かけた時にはコースの中に入れて見てください。
 (一人旅か二人旅がよい、)