結婚することをおすすめします

会社の友達に紹介されてお見合いしたのが
かつおさんです。

       「清水の舞台から飛び降りる」と言うのはこんな時をいうのでしょうか。

           『私、リウマチなんです』
あ〜、いっちゃったよ。(やっぱ、隠しチャおけないでしょ)

        私は主人と知り合ってから、「結婚」ということを考えました。
こんな私でも、結婚していいのかしら...
私と結婚して彼は幸せなんだろうか?
結婚生活大丈夫だろうか...etc.etc...

        病院の先生も父も母もおばあちゃんも心配してくれた。
みんなが賛成してくれたわけではなかった。

何を考えたって、結論なんて出やしない。

彼の一言でした。   『一緒に幸せになろう』 

妊娠、出産、育児、そして手術

結婚して2カ月後、なんと妊娠したんです。
もちろん結婚のときと同様、病院の先生を始めまわりの人全部が
反対顔。でも、産みたかった。なんとしても産みたかった。

リウマチは必ず悪化する。そう言われても私の気持ちは変わらない。
だから産むことを決意した。病気が悪化することも覚悟した。

なぜだか妊娠しているときってホルモンの関係か、とても体が
楽なんです。久しぶりに走ったり、正座が出来たり、自分でも
ビックリしちゃう。いつもこんなんだったらいいのになあ...

妊娠6カ月で会社を退職し、身体障害者手帳を頂きました。
手帳を頂くに当たっては、随分と迷いました。

障害を持つ私が、ちゃんと子どもを育てていけるのかしら?
生まれてきた子供が将来、障害をもつ母親をどう思うかしら?
そしてこの子が結婚する時、私の事が問題にならないかと...

でも、『案ずるより産むが安し』ですよね!

長男、誕生です。自然分娩です。
彼はとてもおとなしい性格で、自分で出来ることは全て
自分でやってくれました。(靴をはく、公園の遊具で遊ぶなど)
母親としてはハラハラドキドキ見守る事しかできなかったけど...

息子が2才のとき、右肘滑膜切除の手術を勧められた。
右ひじが痛くて、包丁が持てなくなったんです。

そして痛くて痛くて、息子と手をつないで歩く事もできなくなった。

ある日、買い物の荷物を左手で持って、息子と歩いていた。

当然右手は空いてる。その時、後ろから来た車が私の横で止まった。

「ばっかやろー!子どもの手ぐらいつないでろっ」
そう怒鳴って行ってしまった。

わかってるよ、そんな事...辛い一言だった。

そして手術する事に決めた。

「ママ、どうして病院でお泊まりするの?」
「よっちゃんとお手手つないで歩くためだよ。」

育児編PART2

そして息子5才のとき、長女、誕生!

二人目を妊娠したときの先生方の顔、今でもしっかり
思い出します。(あきれちゃったんでしょうね)

娘は産まれてすぐにリウマチ検査を受けました。
小さな体にいっぱい注射をされて保育器の中にいたそうです。
主人はその姿を見て涙が出たそうです。

その頃、リウマチの遺伝はないと言われてました。でも、私も母もリウマチです。
もしかして娘にも...なんて考えるとこわい。

『ママが病気は全部ひきうけたからね!
あなたたちは元気だからね!』

そう思う事にしたんです。  
そうしたら、おかげさまで二人ともメッチャ元気です。

娘が生後6カ月の時、右手甲の手術。
指の関節が変形してすじが落っこちちゃったんですって。

とにかく悩みました。だって、母乳で育てていたから。

あふれるお乳を我慢して、ミルクを与えてみる...(きっと嫌がる...)

と、これがまた、よく飲むんだなあ(この子って一体..?)ミルクの件は一件落着。

次の問題は、誰が生後半年の娘をみてくれるか...
息子は5才。幼稚園生の彼は、よし。として、ママしかない娘の面倒をだれが?

同居の実母は悪性リウマチで大変。そこで立候補してくれたのが母の母。
(つまり私のおばあちゃん。明治生まれのおばあちゃんは当時77才。)

ひ孫のためと、泊りがけで来てくれました。ありがとう、おばあちゃん。

泣く泣く娘をおいての入院です。
夜泣きしてるんじゃないかなあ〜、息子はわがまま言ってないかな〜

そんな事を心配しながら、後から後から張ってくるおっぱいとの格闘。

子ども達の写真を枕元において一週間。
お見舞いに連れて来てくれた娘の口元になんと、「おしゃぶり」がはまってた。
『えっ!』
それから2年間、何個のおしゃぶりが登場しただろう...

後で聞いてみると、あまりに泣くので試しに使ったらおとなしくなったとか...

そっか〜、ごめんね。ママが入院しちゃったからだね。

そんなこんなで回りの人に助けてもらっての育児編です。