『私の新幸福論』

NHKラジオ深夜便 「わたしの新幸福論」
『にこさんのリウマチ日記』 鎌田 真澄 さん
2002年9月10日(火)放送
アンカー:古屋 和雄 氏

このコーナーでは、21世紀という新しい時代を迎えた今、私たちはこの先どんな幸せ のよりどころを持っていったらいいのか、月に一度様々な方にそのヒントを伺ってお ります。今月のゲストは、愛知県名古屋市にお住まいの主婦で30年以上リウマチと向 き合っていらっしゃいます、鎌田真澄さんです。

インタビューの中で私は、「皆さんからのメールを拝見しました」というふうに、 「メール」という言葉を使ってしまいましたが、これは誰でも書き込んだり読んだり することができる「掲示板」の誤りです、どうぞご了承下さい。

それでは、鎌田真澄さんに『にこさんのリウマチ日記』と題しましてお話を伺いま す。

―― 鎌田さん、どうぞ宜しくお願い致します。

鎌田 宜しくお願い致します。

―― 私も鎌田さんのホームページ拝見したんですけど、随分多くの方が見て下さっ ているみたいですね。

鎌田 はい、現在25万件のアクセスを頂いています。

―― 25万とはすごい。一日最近どのくらいの方が見るんでしょうか。

鎌田 一日400件くらいの数字が伸びているんですけど、丁度5年3ヶ月になるものですから、本当に皆さんにきて頂いて…、嬉しいです。

―― そうですか。5年前の母の日に始められたんですって?

鎌田 そうです。あの、息子が母の日のプレゼントとして、ホームページ上げてくれ たものですから。

―― ああ、そうなんですか。その時はどういうお気持ちで始められたんですか?

鎌田 はい、私が発病したのが14歳だったんですが、その頃に診察室でお話がした かったんですよ、同じ年頃の人と。カバンが重たいね、とか、体操座りできないよ ね、みたいな話をしたかったんですけど、周りを見ると、みんなおば様達なんです。 だからなんか寂しいなと思いながらずうっときまして、で、20歳になれば恋愛の話と か、結婚とか、出産とか、そんな話をしたいなと思って、こんな歳になってしまった んですけれど、あの、周りを見ると、もっともっと若い人がこれからリウマチでそう いう思いをしてくんだろうな、と思った時に、何かお話ができるといいな、と思っ て、壁新聞を作ろうと思ったんです。

―― 新聞ですか。

鎌田 はい、病院のちょっと隅に何か書いて、で、集まってお話でもできたらいいな と思ったんですが、あの、手の変形が始まっているものですから、その、書くことが 苦手になってきてて。その時に、息子がホームページでもやってみたら、って。で、 すっと、こう作ってくれたものですから、私はそこに書き込むだけで始まったんです けど…。

―― そうなんですか。随分親孝行の息子さんですね。

鎌田 そうですね。今思うとね、本当に感謝しています。

―― パソコンのキーボードを拝見しましたら、鉛筆でこう打っていらっしゃる写真 が掲載されていたんですが、今どんな調子ですか?

鎌田 あの、今、こう、持ってきているんですが、鉛筆の先に消しゴムが付いてい て、その消しゴムの部分で打つんですけど…、

―― あ、滑らないようにしていらっしゃるんですか?

鎌田 はい、そうです。消しゴムも普通の茶色いような消しゴムだと削れてきてしま うんですけど、キャラクター鉛筆の消しゴムだと全然削れなくって。

―― ほう、なるほどね。

鎌田 これ、今、もう2年くらい使っているので、だんだん先がまあるくなってき ちゃったんですけど。これ、いいんですよ、両手に一本ずつ持って二刀流で打つんで す。

―― 今、あの、変形とおっしゃいましたが、右手の中指と左手の薬指を中心に、で すか?

鎌田 そうですね、全部の指が変形しているんですけど…、

―― 外側にちょっと曲がった感じ、ですね。

鎌田 そうです。一番悪いのはやっぱり右手の4本ですか。

―― でも、この指で、家事ですとかいろいろなさって、がんばっている手、なんで すね。

鎌田 そうです。この手はもう、大事な手、です。

―― 車にお乗りになるそうで…。車の運転もなさるんですね。

鎌田 もう、車は20歳の時に取って、ずうっと乗っています。

―― あぁ、そうですか。あの、リウマチというのは、今70万人のくらいの方がい らっしゃると推計で伺っていますが、「最後の難病」いう方もいらっしゃいまして、 難病というだけに、原因とか治療法がよくわかっていないということなんですね。ど のへん位までわかっているんですか?

鎌田 そうですね、やっぱり自己免疫の病気なんですけど、その、体の中で風邪とか を受けてしまうと体がやっつけようとするものを、体の中で体の中のものがやっつけ てしまうというか…、

―― ほう。

鎌田 ですから、それが何が原因といわれるとまだわからないので、治療法も確立さ れていなくって。

―― 免疫というのは普通、自分の体を守るために外からやってきたものをやっつけ るといいましょうかね。

鎌田 そうです。

―― そのために免疫というものがあって体を守っているわけですが、それが、自分 の体を外敵というか、外からきたものだと思ってしまう…。

鎌田 そうです。

―― いわゆる膠原病といわれる中に、このリウマチに入るんですね。

鎌田 はい。

―― ということは、なかなか原因が一つではないというか、これだというふうに特 定はできないんですね。

鎌田 そうです。

―― そうすると、治療の方もなかなか逆にいうと難しいんですね。

鎌田 もう、これといった治療方法はまだないという段階ですね。ただ、昔に比べれ ばいいお薬もできましたし、手術もされる方もたくさん増えましたし、前のような車 椅子の方とかはだいぶ少なくなってきたと思うんです。

―― 昔は人工関節というのは抵抗ある方も多かったと思うんですが、今どうなんで しょうか?

鎌田 そうですね、やはり、歩きたいから人工手術をするっていわれる方がたくさん みえて…。あの、私のお友達もやっぱり悩むんですね、子供を置いて入院することと か、人工関節にするとやっぱり10年か15年位するとまた入れ替たりしなきゃいけない 手術なので、今ここでやってしまうと一生のうちにあと何回するのかな、とか考えら れて、やっぱりやりたくないと思う方もいらっしゃるんですけど、でも、手術された 方が元気になって、もう外で歩くようになると、やっぱりやろうかなという気になる ようで、こう、後押しできたらいいな、と思っているんですけど。

―― なるほどね。いままでに鎌田さんは何回手術をなさいましたか?

鎌田 手術の回数は5回なんですけど。

―― 人工関節は?

鎌田 人工関節は、今は入れていません。

―― あの、社団法人日本リウマチ友の会の『2000年リウマチ白書』という非常に細 かいデータが、皆さんから聞き取りなさったものがあるんですが、これを拝見すると 9対1くらいで女性が多いんですねぇ。

鎌田 そうですね、リウマチ友の会の会員さんは女性が多いですね。でも、もちろん あの男性にもたくさんいらっしゃいますし、あの、子どもでも、JRAというんですけ ど、たくさんいらっしゃいます。

―― 白書の中に、「つらいことはどういうことですか?」という問いがありまして ね、三大つらいことというのがあって、一番多かったのが「激しい痛みがあり治らな いこと」、これが49.7%、複数回答ですけれども、半分くらいの方が。それから次に 「何かにつけて人手を頼むこと」、これも40.5%くらいですね、それからですね、 「冠婚葬祭とか、近所付き合いがなかなかできないこと」というのが26.3%という数 字が出ていますが、いかがですか?

鎌田 そうですね。リウマチは痛みを伴うものですから、本当に全身痛みがあるとま ず起きることも寝ていることさえもつらいですね。ですから、寝返りなどとんでもな いし、で、家族がバスタオルとかかけてくれるのですが、それが重くって。

―― バスタオルも重い…?

鎌田 はい、寝ているだけもその調子なんですけれども、起きている時は、それこそ もう、腕が重いとか、足が重い、そういうことを感じますね。

―― とにかくよくおっしゃるのが、朝起きて活動を始めるまでがなかなか大変なん だ、と。

鎌田 はい、そうですね。ですから、私もなんですけど、夜、薬を使って朝起きること にしているんですね。

―― 夜、薬を使って?

鎌田 朝起きるために、夜、薬を寝る前に使うわけです。その薬を使わないと朝起き られないもんですから。で、朝起きて、またお薬を飲んで動くようになる、という か…。

―― そうですなんか..。実は、私も左の腰に、あの椎間板ヘルニアがありまして、 左の太もも、左の足の親指の付け根あたりがしびれているというか、鈍痛というか、 いつも四六時中あるんですよ。で、これ、もう鬱陶しいなと思いながら10数年経って いるんですが、この痛みっていうのは、人に説明しにくいですよね。

鎌田 そうですよね。いつもね、この痛みを伝える時に、「先生もリウマチになって くればわかるのに…」って、つい思ってしまうんですけど。

―― よく皆さんの希望で、お医者さんに対する要望の中で、せめてこう触ってこう 診てほしいと、触診というんですか。触っても下さらずに、これこれこうだって数値 だけ見てね、する先生もいらして、どうもそういう先生に対しては不信感があるよう ですね。

鎌田 そうですね。あのやっぱり診察までたくさんの時間、待たされるんですね。 で、いざ自分の番になった時に、すごく診察時間が短いもんですから、その間にいろ いろなことをこう伝えなければいけないんですけれども、伝えるのが大変なんです よ。ですから、もうこの手を見て下さい、とか、ここ触ってもらいたいとか思う患者 さんはいっぱいいらして、それでも、検査の数値を見るとそんなに大して炎症は激し くなかったりするんですけど、でも、今、実際自分が痛いと思っているのは事実です し。

―― やっぱりそういう患者さんの、心も含め、寄り添って下さるお医者っていうの が大切なんですよね。

鎌田 そうですね、はい。

―― さて、その14歳の頃に最初にリウマチといわれたとおっしゃいましたが、その 頃は中学の…。

鎌田 2年生です、はい。

―― 運動など、なさってたんじゃないですか?

鎌田 はい。あの、14歳で発病にはなっていますが、やっぱり8歳くらいの時から歩け なくなったりとかいろいろあったもんですから、運動はどちらかというと苦手な方 だったんですね。でも、テニス部に入ってまして、ラケットでボールを打ち返すと、 ボールは跳ぶんですけど、ラケットが後ろに跳んでいってしまうんです。で、どうし てこんなにラケットが握ってられないんだろう、って思って。で、あと、うさぎ跳び をすれば膝に水が溜まったり、変だなと思ってたんですけど、はい、やっぱりリウマ チ、ということで。

―― 最初リウマチといわれた時、どのように思われました?

鎌田 あの、母がリウマチだったので、この痛みはリウマチしかないなっていう気は してたんですね。だから、慢性関節リウマチと当時その診断をされた時は、ほら、 やっぱりね、みたいな感じで…。

―― でも、必ずしも遺伝的に伝わるというものでもないわけですよね。

鎌田 はい。もう当時は遺伝はないといわれていたので、絶対おかしいよねっとか いっていたんですけど、今は多少遺伝のこともいろいろ研究して下さっているような んですけど。でも、必ずしも遺伝が出るということはないですし…、

―― そうですよね、外的要因とかストレスとか、いろいろなものがありますよね。 それから、高校に入られて、演劇部に?

鎌田 はい、そうです。

―― すごいじゃないですか。

鎌田 (笑)もう運動はできませんでしたから、何か、あの体は動かせないんですけ ど、口は動くもんですから、いいかなと思って。(笑)

―― でも、舞台に立たなきゃいけないですから、結構重労働ですよね。

鎌田 そうですね。女子高だったものですから、そんなに気を使うことなく、舞台に 立つキャストだけじゃなくって裏方さんもいっぱいありますし…。ええ、そちらの方 でがんばりましたね。

―― 舞台で具合が悪くなられたことはないですか?

鎌田 ありますね…。その時そんなにお薬とかも使っていなかった時代でしたので、 舞台で倒れたりして。で、丁度いとこが1年下で、演劇部に入ってきてくれたもので すから、そのいとこが連れて帰ってくれて、あと看病したりしてくれたものですか ら…、助かりました。

―― そうですか。一回目の手術をなさったのはその頃?

鎌田 そうですね、高校2年の春ですか、はい。

―― 最初はどこを手術なさったんですか?

鎌田 足の小指あたりなんですけど、両足とも。やっぱり、あの、軟骨のあたりでしょ うか。

―― これも相当な激痛ですか?

鎌田 そうですね、あの、足の変形が始まると運動靴さえ履けなくなってしまうん で、で、学生ですから、白い通学用の運動靴なんですけど、もうそれが履けなくっ て、痛くて、痛くて。で、手術をして骨を削くれたら履けるんじゃないかなと思っ て、はい。

―― そうですか…。今ではシューフィッターさんとかね、靴もいろいろなものを 作って下さいますが、最近は靴で不便をお感じになることはないですか?

鎌田 そうですね。結婚した頃から、一足いい靴を見つけまして、もうずうっとその 靴履いています。

―― 底の柔らかい靴、とか?

鎌田 そうです。ウォーキング用に考えられている、障害者向きではなく、普通の健 康な人向けの靴なんですけど、それがすっごく良くって。

―― そうですか。それで、その高校を出られた後、社会人として電話交換手の仕事 を?

鎌田 はい。

―― これは、どういうきっかけでなさったんですか?

鎌田 これは、丁度入院しまして、私、車の免許を取ってから入院したんです。で、 その時に同時に入院した方が電話交換の免許を取って入院されてきたんです。で、話 をしていて、退院したら交換して取ろうって、取りっこしようって、約束したんです よ。

―― ほう、資格の取りっこ?(笑)

鎌田 (笑)そうです。だから私は電話交換の資格を取るからあなたは自動車の免許 を取りましょうね、って。で、約束通りに、はい。

―― そうですか。やっぱりその同じ位の年頃の人と、こう悩みとかこれからの楽し みとかって、話し合えると、いいですよね。

鎌田 いいですね。やっぱり、あのわかり合えるんですね。こういうのが痛いんだ よ、っていっても普通の人だとわからないんですけど、あぁ、わかるわかるってい う、その答えがすごくいいですね、はい。

―― さて、そしてですね、23歳の時に劇的な方との出会いがあって。

鎌田 (笑)

―― 今のお連れ合い、と…。

鎌田 そうです。

―― 職場でお知り合いになったんですか?

鎌田 あの、職場のお友達の紹介なんです。ですから、あの、リウマチでしたのでお 見合いなんてこと、全然考えていなくって、もちろん恋愛もなんですけど、あんまり 結婚ということを考えてはいなかっんですけど。初めてお会いした時に、「結婚を前 提と僕は考えていますので」という人だったので…、

―― ええ、ええ。

鎌田 あ、これはちょっと、真面目に、ちゃんとリウマチということを伝えなければ いけないと、はい、そちらの方は考えたんですけど…。

―― で、私はリウマチでこうですということをお話になったわけですか?

鎌田 はい。もう会って2回目でしたか、あの、もう清水の舞台から飛び降りるつもり で、私はリウマチです、と。伝えました。

―― ほう。ご主人は、その時は反応はどうでした?

鎌田 やっぱり、リウマチという言葉は知っていてもどのような病気かはあんまり理 解はしてなかったと思うので、「ああ、そうですか」っていう感じで。あの、本人は すごく悩んだと思うんですけど、「それでも、一緒に歩いていこう」といってくれた ので。

―― わぁ。それ、何回目位の時ですか?

鎌田 (笑)2回目のデートです。

―― えっ?わぁ、そうですか。

鎌田 はい。

―― うわぁ、それは劇的ですね。へぇえ。その時、そのリウマチである自分を、こ う、受け止めて下さったということで、どんなことを思われました?

鎌田 そうですね。私自身が結婚というものをあまり考えてなかったので、これを 言ってどうなるのかなということもあまり考えてはいなかったんですが、真剣に受け 止めてくれてからは、やっぱりこういうこともできないしこういうこともできない、 でも、それでもいいですか?っていう感じで、始めは思っていたんですけども。

―― ほぅ、なるほどね。鎌田さんのホームページを拝見すると、「リウマチという のも自分の一部だ」、と。「全部まとめて愛してみようというふうに思った」、という件があって、これ、素敵な言葉だなぁと思ったんですが、こんな感じでしたか?

鎌田 そうですね。私とリウマチはもう切り離せないものなので、リウマチは私に付 いてるオマケみたいに考えているんです。だから、私をお嫁さんにしてくれるという ことは、リウマチ付いてくるけど、いい?みたいな、そんな感じで、はい。

―― ほぉう。

鎌田 でも、主人のお母さんがわかって下さって、リウマチの子でもお嫁さんとして 認めてくれたっていうか、可愛がってくれるので、助かります。

―― そうですか。そして、2人のお子さんが誕生されて、今、大学2年生と中学3年生 ということなんですが…、

鎌田 はい。

―― あの、ご本人は、子どもさんを生むということについての思いは如何でしたか ?

鎌田 もうやはり結婚するといった時から、周りの反対もありましたし、絶対にリウ マチが悪化するっていわれていました。

―― 鎌田さんご本人のリウマチが?

鎌田 はい。ですから、あの主治医達も「考えて」っていう感じではあったんですけ ど。

―― 実際、悪化するんですか?

鎌田 そうですね、進行は早まりましたね、変形の。でも、結婚しなくてもたぶん もっと病気は進んでいたような気もします。

―― なるほど。周りの反応はそういうのがあったけれども、ご自身としてはやっぱ り生みたい、と。

鎌田 はい。もう主人に相談しましたら、主人もがんばろうって、僕達二人でがんば ればやっていけるよ、っていってくれたので。

―― そうですか。妊娠中というのは痛みとかはどうなんですか?

鎌田 あの、全員というわけでもないんですけど、だいぶ和らぐんですね。

―― 和らぐんですか?

鎌田 はい。リウマチをたまに忘れてしまうくらい元気になっちゃうんですよ。で も、悪くなる人ももちろんいますから、一概にはいえないんですけど。もう、その時 は正座もできましたし、階段もトントントンって上がれたり、もう本当に走ったりも できたんですよ。でも、絶対悪くなるから無理はしないでねって、ずっといわれてま した。

―― ホルモンとか、そういう関係なんでしょうかねぇ。

鎌田 そう思うんです。ですからね、先生にずっと妊娠しているような体でいればいい んじゃない?って、だからそういうお薬を作って、って。

―― 子どもさんがお生まれになって、上が息子さんで、下がお嬢さんで、子どもさ んとそのリウマチとかっていうことについても思われました?

鎌田 はい。もうやっぱり母がリウマチでしたから、遺伝はないっていわれながら やっぱり心配でした。でも、最初は男の子だったので、あぁ、ちょっとはいいかなと 思って。でも、小さい時に足が痛いとか、転んでしまったりとかすると、あ、リウマ チの影響かな?とかってびくびくしながらはいたんですけど…。あと、娘が5年後に 生まれたんですけど、その時は障害者手帳頂いて、リウマチの患者が出産するという 形で病院も考えて下さったので、生まれて直ぐに保育器の中で検査をさせられまし て…。私は実際見てないんですけど、体中に、こうチューブを巻いたような形で、も う主人はその姿を見て、涙が出たっていってましたけど。

―― あぁ、そうですか。先ほどちょっとお話しましたら、息子さんの方は大学で陸 上の選手のようですし、お嬢さんの方も買い物や料理、いつも助けて下さるやさしい お子さんだそうで。

鎌田 はい。二人とも元気に育ってくれているので、本当に助かります。

―― あの、ホームページの中に『リウマチ日記』という件がね、ありまして、私5月 25日の『リウマチ日記』を拝見しましたら、「誰かがリウマチでなければならないと したら、自分が引き受けるということで自分を納得させている」というような件のと ころがあったのですが、これはどういうお気持ちですか?

鎌田 そうですね、丁度、たくさんの方からメールを頂くんですけども、その中に 「小学生の娘がリウマチになりました」というメールを頂いたんですね。で、その 「娘の病気を私は代わってやることが出来ない」というお母さんからのメールを頂い た時に、私も考えて、息子や娘、主人がリウマチになるのであれば、進んで私がリウ マチになりたい、と、私でよかったな、って思ったんですね。ですから、その方の メールにも一生懸命私お返事させてもらったんですけど…。

―― そうなんですか、そういう意味だったんですね…。確かに、ホームページを見 ますと、いろんな方のね、声が出ていまして。6月19日に東京の30代の女性ですが、 ちょっと宜しいですかね…。「昨日、リウマチといわれて気が動転してしまいまし た、今までのメールを拝見していろんなことがわかりました。これからも参考にさせ て頂きます」、と。昨日いわれたばかりの方が、この、にこさんの『リウマチ日記』 を見られて、ようやくホッとなさったという件がありますね。

鎌田 そうですね..。リウマチですと診断された時のその本人の気持ちっていうの は、もう本当に痛いほどわかるんですけども、どうなっちゃうんだろう、まずリウマ チって何だろう、って、そう思うと思うんですね。で、いろいろ本とか調べると結構 怖いこと書いてあるんですよ。ですから、ええっ、こんなふうになっちゃうの?って 思った人が、ホームページを見て下さって、あ、それでもみんな元気でやっているん だって、思って下さったらいいな、って思って。

―― あの、中には埼玉の40代の女性ですが、リウマチになって7年かな、「痛くて首 を動かすことも唾を飲み込むことさえ痛い時も、薬を飲んでがんばって仕事に行きま す。母子家庭なので、がんばります」、と。そしたら、にこさんがですね、「一人で がんばらないで、子どもさんと一緒にがんばってみては!」っていうふうに、アドバ イスをなさっている。(笑)

鎌田 (笑)はい、自分がそうなので。一人では大変なんですよ、ですから、助けて もらったりしながらがんばっていけたらいいな、って思って。

―― 中には、メールを拝見すると、子供達や主人にわからないように、普段痛みを 悟られないように暮らしていますという方も随分いらっしゃるんですが、どうなんで しょう、家族に理解を得るということと、家族にも隠すということと、やはり難しい ところですね。

鎌田 やっぱり、リウマチという病気は本当に理解されていないことが多いものです から、まだあのご年配の病気っていうことで皆さん思われてしまうようなんですね。 で、本当はそうじゃないんだよ、ということをもっとうたっていかなければいけない と思うんですけども、やっぱりリウマチって、恥ずかしいって思う人が結構いらっ しゃって、隠しておきたいな、とか…。私もやっぱりこのホームページを出す頃に なって、みんなに私はリウマチなんだってことがいえるようになったんですけど、そ れまでは、ちょっと人には足が悪くてとか、ちょっと体が弱くて、とかいう感じで、 あやふやにしてたんですけども。

―― 先ほど悩みの三番目に、近所づきあいができないというお話がありましたが、 あの、ホームページを拝見していると、中に、幼稚園の先生とか保育園の保母さんに 子供を預けているんだけれども、母親である自分がリウマチであるっていうことを 言った方がいいか言わない方がいいかって、随分と、こう、悩んでいらっしゃいまし たね。

鎌田 あの、私たちくらい長くなると、もうどんどん言いなさいっていうんですね、 言って助けてもらいなさい、っていうんですけど、なかなかそれは若い方には難しい ようです。もうそういう経験もしてきてますから、どんどん言いなさいって、言い難 いところなんですけども、これからのことを考えたら、やっぱり言っておいた方がい いと、私は思ってます。

―― それで、ですね。ホームページってすごいもんだなぁって思ったのは、普通リ ウマチで自分が悩んでいる時は本を読んだりしますよね、ところが、埼玉の40代の女 性が、自分はリウマチではない、と。ただ、「久々にあった知人がリウマチであるこ とを聞かされ、どう接したらいいのか、このホームページに辿り着きました。明るく 前向きに生きていらっしゃる皆さんに感動しました。一人でも多くの人がこの病気に 理解を深められることを祈っております」、という文章がありまして、あぁ、そうな んだ、そういう相互理解っていうか、それもインターネットを通じてできるんだ なぁ、って思いましたね。

鎌田 あの…、嬉しかったですね。リウマチというものを勉強して下さって、お友達の ために何とかしてあげたいという気持ちがすごくわかりまして、もうそういう方が増 えると本当に嬉しいですよね。

―― 社会的理解がほしいと、こう思った時、何か義勝さんが2歳の時に、三回目の手 術をなさっていますが、その時義勝さんと、こう、手をつなぎたかったんだというこ とを書いていらっしゃいますね、これ、どういうことだったんですか?

鎌田 あの、右ひじが痛くて、本当に、腕をね、取って捨ててしまいたいくらいの痛 みがあったんです。だから、買い物に行っても左手で荷物を持つしか、なかったんで すね。で、子どもの手をつなげなかったんです。当時2歳ですから本当でしたらこう 手をつないで、危ないですからね、歩かなければいけないところを、荷物を持ってい るので、つなげずに歩いていたら、後ろから車がきまして止まるんですね、横に、私 の横に。そして、「バカヤロウ!!子どもの手くらい、つないで歩け!!」と、怒鳴 るんです。で、それで車は行ってしまったんですけど、もうなんだか情けなくて、す ごく子どもに対してもかわいそうな気がしまして。もうこれは手術をして、ちゃん と、よっちゃんとお手てをつないで歩こう、と、決めたんです。

―― なるほどね、そうですか。皆さん、やっぱりそういう痛みだとかにね、悩みな がらがんばっていらっしゃるということは、いつかは特効薬ができるということを 待っているんだという方が随分いらっしゃいますね。

鎌田 そうですね。薬に頼るしかないものですから、はい。

―― 今、あの世間的にはいろいろな病気が話題になりますが、リウマチというと先 ほど、まぁお年寄りの病気だというくらいで理解があまりない、地味な感じがすると いうことで、あまり社会的な理解がそんなにないというのが現実でしょうかねぇ。

鎌田 はい、そう思います。やっぱり主人も2年前に癌という病気になったんですけれ ども、やっぱり早期発見、早期治療ということをすごく癌の人にもいわれていますけ れども、リウマチもそうなんですね。ですから、もっともっとたくさんの方がリウマ チを理解して下さって、たくさんの方が研究して下さって、早期発見、早期治療がで きたらいいな、と思います。

―― 癌だとか、エイズだとか、いろんなことの新薬についてはいわれるんですが、 リウマチはあまり聞かないですかね。

鎌田 聞かない気がするんですけどね。あの、私のお友達に映画監督さんがいらっ しゃるんですけど、やはりリウマチの監督さんで、車椅子に乗りながらメガホンを 持っていらっしゃって…、

―― あ、ご自身がリウマチで?

鎌田 はい、そうです。その映画監督さんに、リウマチの映画を作って、っていって いるんですけど。え~、リウマチはちょっとツライなぁ、ておしゃってて。(笑)

―― (笑)ご本人がおっしゃって?

鎌田 はい。でも、いつかは作ってね、ってお願いしているんです。

―― なるほどねぇ。あの、日本はですね、例えばいろんな薬が出ても外国に比べる と承認するスピードが遅いとかっていう話をよく聞くんですが。

鎌田 本当に遅いと思います。

―― ほう。

鎌田 もう、インターネットでも、あの、外国のお友達からメールとかいろいろ頂くん ですけど、その、今私はこういう新薬を使っています、って、これはすごくいいです よ、って。で、使っている本人から聞くもんですから、あぁすごいすごいと思うんで すけど、日本で使えるのはもう何年も先ということを聞いて、ちょっとがっかりした りしてしまっていますけど。

―― 確かに、安全性を一方では確認しなければいけないということもあることはあ るんでしょうけども…。今年7月に成立しました改正薬事法などみましても、厚生労 働省は、治験という言葉は皆さんご存知かどうか…、臨床試験というものがありまし てね、治験で良ければ薬を承認されるということなんでしょうけども、日本はだいた い平均して4年くらいかかるやつをせめて半分くらいで認められるようにしようとい うようなことが、新聞に出ていましたが、少しでも早くなってくれるといいですよ ね。

鎌田 そうですよね。

―― あの、2000年には介護保険の対象にもなりましたよね。皆さんの間ではどうな んですか?

鎌田 そうですね、あの実際に使われている方は上手に利用されて助けて頂いている ようなんですけど、まだなかなか私はいいわっていわれる方もいらっしゃったり。ど んどん看護保険の申請をしておいた方がいいんですよ、って勧めてはいるんですけ ど。実際40歳以上なので、私のお友達もたくさん、はい。今度一人お友達を連れて申 請に行くところなんですけれども。

―― 積極的に申請もするし、ヘルパーの仕事をなさっている方もリウマチに対する 理解も大事ですよね。

鎌田 やっぱり、リウマチさんの中でもいろいろな症状の方がいらっしゃるんですけ ど、リウマチとはこういう病気であるということを、もっと広く知って頂けると嬉い な、と思います。

―― 今年は、とにかく鎌田さんの周辺でいろいろあったようなんですが、中でも友 の会の全国大会でお連れ合いと一緒に秋田に行かれた、と。

鎌田 はい。秋田大会に行ってきました。

―― へぇ。いかがでしたか?

鎌田 よかったです、はい。秋田とか、東北の方は初めてだったんですけど、なんか すごく、主人と二人ということもあるんですけど、のんびりと、結婚20周年でもあったものですから…、

―― それはおめでとうございます。

鎌田 ありがとうございます。それで一緒に旅行にいこうか、っていうことで。

―― へぇ。それで、温泉とか、行かれました?

鎌田 温泉は行ったんですけども、結構苦手なんですね。やっぱり浸かってしまえば いいんですけど、その、歩いていく時に滑るんじゃないか、とか、あと温泉のお湯に 入るのが手すりがないとなかなか入れなかったり、あと跨いで入ることが難しかった り…。ですから、温泉は行きたいんですど、その辺考えると、ちょっと億劫になって しまって…。

―― そうですか…。観光旅行で、いろいろなものはご覧になりましたか?

鎌田 はい、もういろいろ。あの、3泊4日でレンタカー1000キロ、走ってきました。

―― わぁあ、そうですかぁ。あのホームページの中に「伝説の美少女たつこさん」 というのに会ったというふうに書いてありましたが、これはどういうものなんですか ?

鎌田 あの、「たつこ像」があるという湖に行ったんですけれども、ちょっと夕暮れ だったんですね、それで観光客の方も少なくって。こう、すうっと駐車場に入れた ら、たつこの像が、こう…輝いていたんです。

―― ほぉう。

鎌田 きんぴかだったんですが、お天気も良くって、湖もすごく青くって、その中 に、光り輝くたつこ像という感じで、ものすごくなんだかズキンときちゃったんです けど。なんか、たつこさんは、きれいになりたくて湖の水を飲み、神様に選ばれて、 その湖の主になるんですって。で、辰になるわけですけど…。

―― ほう、龍になってしまう。「たつ」ですね。

鎌田 はい。それでその湖を守るわけなんですね。でも、たつこさんは本当に神にな りたくて湖の水を飲んでたのかな、って、ちょっと考えてしまったんです。自分は、 本当は、人間のまま幸せになりたかったんじゃないかな、って、ふっと思ったんです ね。そしたら、なんだかかわいそうな感じにになってしまって。だから、主人に、た つこちゃんは幸せだったのかなぁって聞いたら、主人もそうだねえ、って…。でも、 その後で、違う湖から男の神様がやってきて、たつこさんと恋をするんですけど。だ からそのたつこさんの湖は冬でも湖が凍らないそうなんです。

―― ほぉう。

鎌田 でも、男性がこちらにきてしまうので、男性の湖は凍ってしまうんです。(笑)

―― (笑)壮大な伝説ですね。でも、今おっしゃったことの中で、神になりたかっ たのかどうか…、つまり、ありのままの自分はいろいろ悩みを抱えているんだけれど も、皆そうですよね、だけどその悩みを抱えた自分を認められるか認められないかっ ていうことって、幸せのおおもとのところにあるのかもしれませんね。

鎌田 そうですね。本人にしか、わからないことだとは思うんですけど。でも、たつこ さんの像を見て、いろいろ考えちゃったかな、って思って。

―― そうですか。で、そのリウマチ白書が手元にあるんですが、「今したいことは 何ですか」ということを皆さんに伺っているんですね。そうしましたら、「温泉など 旅行に行きたい」というのがやはり74.6%、「観劇や音楽会に行きたい」34.5%、 「おしゃれをしたい」24.8%、「電車・バスに乗って買い物に行きたい」23.5%、 で、「お風呂にゆっくり入りたい」というのが11.3%あるんですね。やっぱり家でも お風呂にゆっくり入りたいというね、普段私たち普通にしていることではあるんです が、そういうこと、とにかくゆっくりしたいなぁという気持ちが、おありなんでしょ うねえ。

鎌田 そうですね。足の悪い方とかはお風呂に入るのが大変なんですね、やっぱりあ の一人で入って一人でのんびりしたいと思うんでしょうが、介護して頂いている方達 はやっぱりやって頂くわけですからのんびりもできないだろうし。お友達は、お風呂 に入ることができないので、機械を使って湯船に入るらしいんですね、やっぱり前の ようにゆっくり入りたいなぁと思うんじゃないかな、と思いますけど。

―― すごいなぁと思ったことは、今したいことの中に、21.4%なんですが、「人の ために尽くしたい」ということがあるんですね。

鎌田 そうですね。

―― つまり、普段人にいろんなことをして頂いている側かもしれないんですが、人 のために尽くしたいというのは21%の方がいらして、あぁすごいなあと思いました ね、どうですか?

鎌田 やはりいつもやって頂く立場ですから、何かお返ししたいなと思っていらっ しゃる方がいっぱいみえて、何か、私でも何かできるんじゃないかなってものを、す ごくみんな見つけたいと思っていらっしゃるんですね。ですから、ちょっとでも外に 出ることができたなら、何かお返しができるんじゃないかなって思ってます。外と いっても、その、靴を履いて外に出るんでなくても、インターネットでもそうですけ れども、内に篭もらず外に向かって。この間の掲示板でも、「私も皆さんを助けるた めに何か書きたい」、とおっしゃる方が見えて、どんどん書いて、書いて下さい、お しゃべりして下さい、っていってるんですけど。そういう気持ちだと思います。

―― なるほどねぇ。実は鎌田さんのホームページ、正式には、『私のリウマチ白書 :Stay Gold(ステイ・ゴールド)』というタイトルがついているんですね、「Stay Gold」って、これは、お好きなお言葉なんですか?

鎌田 はい、好きです。これは、あの、本当の訳ではないと思うんですけども、私流に 「輝いていたい」っていう感じに訳させて頂いています。ですから、いつもどこでも 輝いていたいな、と。どんなに変形がきても、足が痛くても、でも心の中は輝いてい たいなって、思っています。

―― これから皆さん、ホームページを通じていろんな出会いがあるかもしれません し、そういうことで、こういうことが理解が深まっていくといいですよね。

鎌田 そうですよね。もっともっと、リウマチはこういう病気だよ、っていうことを 皆さんに理解して頂きたいって、そう思っています。

―― そうですか。今日はどうもありがとうございました。

鎌田 どうもありがとうございました。

「わたしの新幸福論」 
―― 愛知県名古屋市にお住まいの鎌田真澄さんに、『にこさんのリウマチ日記』と題してお話をお伺い致しました。鎌田さんはいつも微笑みの絶えない方で、その両側に、大学生の息子さんと中学生のお嬢さんが荷物を持って寄り添っている姿がとても頼もしくて、普段の家庭での暮らしぶりが偲ばれました。鎌田さんのホームページには「お助けグッズを紹介します」というところもありまして、爪切りですとか、落した物を拾う道具ですとか、缶の蓋を開けるオープナーですとか、便利な商品がいろいろと紹介されています。それに関連しまして、「第29回国際福祉機器展」というのが今日、9月10日火曜日から12日木曜日まで3日間、東京江東区有明にあります東京国際展示場、東京ビックサイトで開かれています。ここでは、福祉機器として、移動するための道具ですとか、ベットの関連商品ですとか、トイレ、おむつ、それからコミュニケーション機器として障害者用のワープロやコンピューター、点字プリンターなどがさまざま展示されるということです。健康な人も病気の人も使えるといいましょうか、病気の人にやさしいものは健康な人にももちろんやさしいのだというのが、この展示のポリシーのようです。
  ―― 「シルバーコア」という言葉がありますけれども、お年寄りにやさしい街は誰にもやさしい街とだということをいいますが、そんな世の中になるといいな、と…鎌田さんのお話を伺いながら、思いました。                   

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以上がNHKラジオ深夜便「私の新幸福論」全文です。
こうして文字にすると恥ずかしいような、それでいて形に残すという事がうれしいような...

私の一言一言を文字にして下さった方に感謝します。
そして、ラジオを聞いて下さった多くの方に「ありがとう」

これからもリウマチと二人三脚、一緒に歩いていきましょうね(^-^)