第参回

「新世紀 エヴァンゲリオン」

 

1995年10月から半年間放映されたGAINAX製作の言わずと知れたテレビアニメ。

主題化である「残酷な天使のテーゼ」もとても有名な曲ですな。

<内容>

西暦2015年

突如第3新東京市に襲来した正体・目的不明の謎の敵「使徒」

彼らに対抗するために作られた「汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン」

それを操縦するパイロットに選ばれた

「碇シンジ」「綾波レイ」「惣流・アスカ・ラングレー」

少年少女達の戦いと葛藤、そして心の成長を描くロボットアニメ

と、こんな感じです。

これだけ見るとどこかにありそうなロボットアニメですよね。

こんなに人気があるのはパイロットが美少女とかだからだ!

どーせそーゆーの好きな人が「もえー」とか騒いでるんだろー・・・

実際そーゆー人は多いだろうし自分でもそう思ってました

だから僕は今まで気付かなかったのです。

この作品がアニメというジャンルから解放された作品だという事を。

 

 

監督は「実写版キューティーハニー」「ふしぎの海のナディア」「トップをねらえ!」等の監督も務めた庵野秀明。

今回は彼がこの作品を通して何が言いたかったのか

それを自分なりの答えで書き記していきたいと思っています。

エヴァンゲリオンは放映当初はロボットアニメとして正当なストーリーでした。

初戦で主人公が自分の力でではなくエヴァの暴走で敵を倒すというのは意外でしたけど。

普通のロボットアニメならば主人公が数々の敵を倒して心も力も成長していくものだと思われます。

しかし、エヴァの主人公であるシンジ君は一向に成長しません、いつまでもウジウジしているだけなのです。

(このポイントでもシンジ君の気持ちが分かる、という家にこもりがちな現代の若者の心をつかみました)

そして途中から段々と意味が分からなくなっていき多くの謎が残ったままテレビは放映終了を迎えます。

そして97年、夏。

劇場版「Air/まごころを、君に」。

謎だらけなテレビでの結末の本当の完結を望み、多くの若者が映画館へ足を運びます。

しかしそこに待っていたのは物語の真の完結ではありませんでした。

更に謎は深まったのです。

この映画の最後のシーン。

暗い空間の中でアスカが倒れている。

シンジは彼女にまたがり首を絞めます。

シンジに伸ばした手の力が無くなり息絶えるアスカ。

そして悲しみに暮れ泣きながら自慰行為らしき事を始めるシンジ。

しかしそんな中、突然死んだはずのアスカの目がギョロっと動きシンジに向かって言い放ちます。

「きもちわるい」

終劇

 

それまでの経緯は映画を見ていない自分は分かりませんが

観客はみな呆気にとられこのシーンを見終えた事でしょう。

そんな自分もこれをアニメ夜話で見た日、眠れませんでした。

そして一つの結論に達しました。

 

これはエヴァンゲリオンを見ているオタク達、そしてそれを製作したオタク達への警告だったのではないか。

そう思います。

 

<オタクとは?>

庵野監督が言うには、

内向的でコミュニケーション不全、自分の情報量・知識が自己を支えている、自分だけが正しいので自分以外の意思を排除して物事を考える、会話が一方的、自意識過剰、攻撃されると脆い、ひきこもる等などネガティブイメージの塊なんだそうです。

 

<庵野秀明という男>

監督はエヴァを作っている時からそんなオタクである自分に嫌気が差し始めていたそうです。

そして取り巻くアニメ業界やファンの閉塞感が嫌になり、ついには激しい自己嫌悪に陥った監督はそれをエヴァというもので表現したのではないでしょうか。

庵野監督は2002年、漫画家である安野モヨコさんと結婚しました。

それからはオタクだった自分に非オタク要素が入り込み今までの自分には無かった世界を楽しみになっているようです。

最近では映画や車のコマーシャルにも顔を出している所からも監督がオタクから少し脱した位置にいるのが想像できますね。

 

<まとめ>

エヴァの見所である数々の美少女やロボットバトル、主人公の脆弱なこころはオタクを惹きつける為の囮。

彼らオタクを一斉にオタクから解き放とうとしたのが劇場版の最後のアスカのセリフ「きもちわるい」なのではないか

そう結論しましたが、映画自体見ていない自分がこんな事偉そうに書くのもどーかと思いますハイ。

つーかこの映画見てないからオレはオタクのままか!?

参考文献:

祥伝社「監督不行届」著-安野モヨコ

GAINAXホームページ

 

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