上の図は『尾張名所圖會』(尾張名所図会、おわりめいしょずえ)の巻5に掲載されています。
この図会は,江戸時代末期から明治時代初期にかけて刊行された尾張国の地誌です。
尾張藩士で学者の岡田文園と,枇杷島橋の橋守役を務めていた野口梅居とが著し,尾張藩士で画家の小田切春江や
春江の師に当たる森高雅が挿絵を描いたもの。
尾張国八郡の名所が描かれた。全13巻。天保9年(1838年)から天保12年まで約3年をかけて執筆され,天保15年
(1844年)2月に前編7巻が刊行された。
城下町道路の特徴である「食い違い」がキチンと描かれていますよね。
判りにくくて申し訳ありませんが,この図に1から7までの数字を入れました。元の図に施設名が記入されていない
ところもありますが,順番に施設名をご紹介します。
1.平部常夜灯。鳴海宿の入り口。
3.瑞泉寺…愛知県文化財・沖縄使節団との関わり
4.中島砦跡。5.善照寺砦跡。…織田信長との関わり
6.成海神社…日本武尊との関わり
7.誓願寺…松尾芭蕉との関わり
この1〜7の施設については別のページで多少,詳しく説明します。
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