曲尺手は「かねんて」と読みます。
曲尺手は,直角に曲げられた道のことで,軍事的な意味を持ちます。
一番上の写真は江戸方面から,真ん中の写真は京都方面から撮っ
たものです。「鳴海あれこれ 4.江戸時代の鳴海」の図会では,★
印になります。
「軍事的な意味」とは…
戦国の山城から近世の城郭を中心として城下町がつくられるようにな
ると,城の設計者は城下町も城の防備の一貫として考えるようになり
ました。
敵の攻撃を直接防ぐのは土塁や堀ですが敵が,大人数で列をなして
進攻出来ないように道幅を狭くしたり,道路を屈曲させるカギ型の道
路にしたり丁字路をつくって行き止まりにしたりしています。
鳴海では「曲尺手」と読んでいますが,田の地域では同じ構造の道路
ですが,「鍵の手」とか「食い違い」等とも呼ばれています。
最下段の写真は中島橋付近から撮ったものです。
図会では直線的に描かれていますが,写真でお判りのように,進行
方向が判らない程度に緩くカーブしています。
写真にはありませんが,鳴海宿の西出口近くに,ほぼ直角に曲がっ
ている場所があります。鳴海宿の東海道をボンヤリ(失礼)歩いて
いる限り,城下町という雰囲気は伝わってきませんが,安土桃山時
代にはシッカリと城下町だったことが判ります。
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