右の図は江戸時代に描かれた「尾張名所図会」の鳴海潟古覧です。
左上に波,右には多数の千鳥が描かれており,古くは海辺であった
ことが判ります。現在でも「潮見が丘」など海に関連した地名が多く
残っています。
更級日記は,高校時代に古典で勉強しましたよねぇ〜念のために…
作者は菅原道真の5世孫にあたる菅原孝標の次女,菅原孝標女。
上総の国府に任官していた父・菅原孝標の任期が終了した1020年
9月京の都へ帰国するところから起筆されていますよね。
※更級日記から一部分,原文を
尾張の国,鳴海の浦を過ぐるに,夕潮ただ満ちに満ちて…以下,略
老婆心ながら…現代語訳…
名古屋市緑区鳴海の浦を過ぎるころ,夕方潮が満ちてきたので…
この記述からは,時間短縮のため,街道を通らず,海岸線沿いに
通行していた旅人が多かったということが判ります。
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