縣の森・縣社


最初に

体験マップ(2015年4月13版)に”境内にある県社で「顔は人,体は白蛇」というご神体も拝観できる”とあり,県社に興味を持ち,出かけた。
その前に…

「縣・あがた」とは?

(1)大和時代の諸地方にあった地方行政組織。畿内周辺では直轄地的性格が強い。
(2)地方官の任国。 (3)いなか。 以上,広辞苑 第六版

佐久島の「縣の森」が皇室の直轄領だったかどうか,分からないが,西港近くの宗運寺が後鳥羽上皇の子,青蓮院によって1192年に建立されている。

次の写真をご覧あれ

縣社入り口 縣社の境内 社殿右の石柱

左上の写真は縣社の入り口…草・笹が生い茂っていて到底入り口とはいえない状態。案内の看板も立っていない。体験マップに表示されている以上,看
板ぐらいはほしい!中央の写真は衣類に一杯くっつく泥棒草にもめげず,入っていった縣社の境内。右上の写真は社殿右の石柱のアップ。「縣神」とある。

縣神とは?

佐久島の公式ウェブサイトでチェックすると…次の一文にヒットした。曰く

その昔、畑の一角に狸の化け物が住む「あがた」という場所があった。ある夜、里帰り途 中の娘を化け物が襲い、娘になりすまして 里に帰ったが、娘に
しっぽがあるのを見て 正体に気付いた母親は、すぐに父親や娘の だんな様に知らせた。男たちはあがたにとんでいき、娘を救出して化け物をこらしめ、
森の奥深くに閉じ込めたという


これによれば,県(あがた)と言う地名は確かに存在したようだが,「縣神」「縣社」については何の情報もない…「縣社」の情報は…意外な?所から明らかになった。
別件で弁天サロンに出かけ,2階の展示物を見ていくと…ありました!!「縣の森」という展示が…以下,原文のまま…

大山の南に縣の森と言われる大きな森がありました。今は小さな森ですが,昔はそれはそれは大きな森だったそうです。
この森には鵜萱津草葺不合尊,豊玉姫,玉依姫の三人の神様が祭ってありました。
或る時,島の人々がもっと畑を広くする為,開墾をしようとこの森を毀して畑にしたのですが,時を同じくして島内で疫病が流行り,次々と死人が出るでは
ありませんか。『このままでは島の人間は全てしんでしまう。これは縣の神の祟りに違いない』と島民はふるえあがり,島じゅうの人でばらばらにしてしま
った縣の石や土を拾い集めたのですが元々有った縣の森の大きさにもどす事は出来ませんでした。それでもと,小さいけれども出来る限りの森に社を建
て,島中の人々によって神にお詫びの儀式をしたのです。するとどうした事かその日を境に疫病が消えてしまいました。
おそらく島中の人がお詫びをした事で縣の神がお許しになったのでしょう。それからというもの,島の人々は二度と縣の森に手をつける事なく祭り続けたと
いいます。

石柱の「縣神」はこの三柱の神らしい。そんな畏れ多い神様なのに…お社の荒れ方は何だ!?
現在,島で執行されている神事は1月・八日講,7月・天王祭,9月・白山十五夜祭,10月・八劔神社大祭で,縣社の名前はどこにも見あたらない…
…喉元過ぎれば熱さを忘れる…縣社に祀られている三神はお怒りにならないのだろうか…

いやいや,キチンとお祀りされていました!下の写真をご覧くださいな。

宗運寺本殿 閉じられている厨子 ご神体アップ
左上の写真は宗運寺本殿右翼。弘法さんが主役。右が縣社のご神体。普段は中央の写真のように,ご神体の厨子は閉じられている。右の写真は厨子内のご神体のアップ画像。

神様がお寺に?

縣社が荒れているのを島の人に聞いたら,「平成の一桁くらいまでは,初詣,七五三など,何かにつけ良くお参りした」「宗運寺さんにご神体を移した」など
の情報を得たので,宗運寺へ行き,住職さんにお願いをしたら,縣社から移したといわれる「ご神体」を拝見させて頂けた。

しかし…普通,「ご神体」は神職ですら,拝見(?)することはない…で,いくつか質問をしてみました…

「一般的に,神様を合祀するのは,神社だと思うのですが,何故,宗運寺さんで縣の神様をお祀りすることになったのですか」「縣の神様は三柱なのに,
厨子の中のご神体は一柱なのですか」…住職さんから返ってきたのは…「 知 ら な い ! 」

合祀の情報を寄せてくださった島の人に報告したら,「面倒くさいから,知らないと言ったんじぁ?」…アポなしのよそ者ということでしょうかねぇ…
弁天サロン2階の展示物には「三社の森」の説明もあった。三柱の神を説明しているので,「縣の森」の別名か?謎は深まる一方だ…佐久島は面白い〜


縣社に祀られている(いた)三神

鵜萱津草葺不合尊

うがやふきあえずのみこと

鵜萱津草葺不合尊の詳細

豊玉姫

とよたまびめ

豊玉姫の詳細

玉依姫

たまよりびめ

玉依姫の詳細


佐久島の公式ウェブサイトによる「あがた」の説明文


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