山の中で船まつり?




穂高神社・御船祭り



上の写真は穂高神社(安曇野)の祭日(9/27)に船(全長12m・高さ6m)が繰り出しお互いにぶつけあう様子。

“天智元年に水軍を率いて百済救援に向かった様子を表したものが始まりである”と伝えられている。

「安曇野」といったら,下の写真のようなイメージを思い浮かべますよねぇ?

桜と道祖~

この写真(桜と道祖~)は安曇野市のHPから拝借…

そもそも「安曇野」とは?

★谷川健一『日本の地名』によると…

「アヅミは、阿曇、安曇、厚見、厚海、渥美、阿積などと表記され,その足跡は瀬戸内海を経由して阿波,淡路,

播磨,摂津,河内,近江にもおよび,琵琶湖の西側には安曇川の地名を残している」

★海人族・安曇氏が何故山に?…

大和朝廷の任を受け,先住部族を制圧し,稲作を教え「年貢を納めさせる」ために定住したと考えられている。

★関東農政局 【「農」と歴史】によると…

中信平(ちゅうしんだいら)の標高は500〜800m。/参考:中信平

この山中の盆地を開発したのが古代日本を代表する海人族(あまぞく)・安曇氏。安曇氏の本拠地は北九州の志賀島一帯。

白村江の戦いを指揮した安曇比羅夫(あずみのひらふ)など水軍の指揮官を勤め,大和朝廷では高い地位にあった。



関東農政局 【「農」と歴史】

穂高神社・御船祭り

海から見た日本列島

阿曇氏・安曇氏(海人の國・日本(海人族から日本人のルーツを探る)


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