日本は何時から日本?


中学校で勉強したのは,西暦57年に漢の光武帝から日本の王が
金印(下図)を授かった。その印には「漢委奴国王」と彫られている。

金印「漢委奴国王印」 「漢委奴国王印」印影
金印「漢委奴国王印」漢委奴国王印
印面一辺の平均23mm,鈕(ちゅう)を除く印台の高さ平均89mm,総高22mm,重さ19g


「日本」という国名の使用が定着していない時期

478年 

王」武(雄略天皇),宋の皇帝順帝に上表文を奉っている

701年 

に制定された「大宝律令」に「御字日本天皇詔旨」の記述あり

707年 

文武天皇崩御。諡名「根子豊祖父天皇」

720年に完成した日本書紀に「604年国で銀が発見された」の記述
あり。基本的には「日本」という国名で書かれているが,数カ所,例外
的に国,,大などの国名が使用されている。

「日本」は「にほん」?

上記,701年 

の「御字日本天皇詔旨」は次のように読みます

あめのした しらす やまとのすめらおが おおみこと らま」

「日本」が「にほん」「にっぽん」と読まれるのはいつ頃からか?
という疑問は,チョット脇に置いておいて…為政者が「倭」の国号を
廃止しようと考えたのは天武天皇が「律令制定」を命じた681年頃
…学問的にも,ハッキリしていないらしい。

なぜ「倭」を嫌い,「日本」に?

よく言われているのは「倭」は「矮」と同系統の文字で,「矮」には
「背が低い」という意味があり,「倭」には「従うさま」の意味がある。
日本人が,漢字を習熟し,漢字の意味が分かってきたので,「倭」
を嫌った…もっともらしい意見ですなぁ…次の見解もあります。

日出ずる処の天子,書を日没する処の天子に致す。恙無きや

有名な第2回遣隋使が隋の皇帝煬帝に奉った有名な国書(上表文)
です。また,天皇は太陽神である「天照大神」子孫であり,その霊威
を直接受け継いでいる「日の御子」であるから,この国は「日」の「本」
であり,「日本」という国号が一番ふさわしい…


「日本」がいつから「日本」になったか分からないし…「日本」という国
号の由来も分からない…つくづく「日本」という国は不思議な国だ…


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