陽  関


漢の武帝が玉門関とともに設置した関所

ある時期には玉門関よりも重視されたといわれるが,後漢になると廃止された。しかし,唐代には西域南道(天山南路)の起点としてふたたび繁栄した。

陽関の遺跡は,烽火台が残るのみであるが,そのそばに陽関博物館が建てられ,当時の様子が再現されている。

面白いのは,この博物館の設立背景。国の文物旅遊景区に指定されている敷地全体は,国家の管理地で,国家文物局が提供している。建物の建築費(4万元)は,館長を務

める紀永元さんが個人で拠出した。結果,これまで無料であった烽火台や陽関遺跡を見るために,参観者は入館料50元を払わねばならくなった。

入館者数は2009年一年で十万人。この収入は国と館長が折半する。資金回収は順調のようである。敦煌市は,この方式で玉門関にも博物館建設を考えているという。

陽関の外(西)はタクラマカン砂漠だ。高校で勉強した王維の送玄二使安西が実感として迫る。

陽関正面 関の役人

復元された陽関正面。城攻めや城を守るための兵器も復元されていた。

関所の役人。「写真を撮らせて」といったらポーズをとってくれた

竹簡 烽火台

竹で作られている帳面(竹簡)。日本では木簡。「冊」という文字の原型。納得!!

タクマラカン砂漠と烽火台。「古城」を思い出した♪〜丘の上 古城よひとり 何偲ぶ〜♪

蒙古軍の基地 城壁を登ってくる敵兵を落とす兵器

城外(関外)に復元されている蒙古軍の基地

城壁を登ってくる敵兵を落とす兵器。楠木正成を思い出した

城攻めの兵器

送玄二使安西(王 維)


渭 城 朝 雨 潤 輕 塵

客 舎 青 青 柳 色 新

勸 君 更 盡 一 杯 酒

西 出 陽 関 無 故 人

エレベーターの原型?日本の城攻めの兵器にはないよね?

唐代の詩人・王維(701?〜761?)が詠んだ有名な詩

城壁の下の杭 遺跡群?

城壁の下には先が尖った杭が…城壁から落とされたら…

砂丘になにやら遺跡みたいなものが…左下はアップした写真

風が通るように工夫された建物 ブドウ畑の一角

ブドウを乾燥させるための倉庫。この辺り(陽関のすぐ横)はブドウの産地。ブドウ畑の一角がレストラン。ここで昼食(15:40頃)を摂った。今回の旅はこの時刻が普通だった。

オアシスの道路 道路脇の水路

砂漠のど真ん中に突然現れるオアシス。左右はブドウ畑。自然の不思議さに感嘆!道路の両脇は水路。結構な水量で,勢いよく流れていた。地下水とのこと


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