今日の一言(H17/04/24) | |
お宝競馬テレカ〜中京盃、磨墨 | |
![]() 柏原芳恵の画像があればなお良かった ![]() 先陣争いでは磨墨は池月に敗れる |
今回は趣味で集めている競馬テレカの中から管理人が勝手に逸品だと思っているテレカを2枚ご紹介したいと思います。 まず1枚目は、中京公営中京盃のコマテレカです。中京盃のコマテレカ自体がこれ以外見たことがないのですが、さらに付加価値を高めているのは「柏原芳恵」スプリングコンサートの文字が印刷されていることです (^_^; 柏原芳恵を知らない方はいないと思いますが、代表的なヒットは81年秋に発売された「ハロー・グッバイ」でしょう。その後もたくさんのアイドル歌手がこの曲をレコーディングしています。 なお、中京盃は東海地区2歳チャンピオンを決めるレースで、例年秋に実施するのですが、この第26回は1985年秋に何らかの理由で同レースが実施ではなかったため、翌年春に振り替え開催されたもので、3歳戦のため距離も芝1800メートルになっています。 この第26回中京盃の勝馬はスズカエンペラー(父アレツ、母スズカエンプレス)で、このレースのあと中央入りしたようですが900万下を3戦して未勝利に終わっています。 蛇足ですが翌1987年秋第28回中京盃の勝馬はオグリキャップ(安藤勝巳騎乗)です。 2枚目は、笠松けいば「磨墨(するすみ)」のテレカです。 「磨墨」は、源頼朝の愛馬で後に梶原景季に下賜された名馬です。頼朝と義仲が戦った「宇治川の戦い(1184年)」で「磨墨」に乗った梶原景季と「池月(いけづき)」に乗った佐々木高綱の先陣争いはあまりにも有名です。 「磨墨」は画像にもあるように墨を塗ったような漆黒の馬でとても従順な馬だったそうですが、一方の「池月」は手に負えない暴れ馬だったそうです。 「磨墨」の終焉の地は、愛知県犬山市とされており、その関係でこのようなコマテレカを制作したのでしょうか。 またネットで各地に伝えられている磨墨、池月の伝承を読んでいると、古来から馬がいかに大切にされていたかを知ることができ、とても楽しいですよ。 |
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