在宅介護について(R2/1/3)
2017年(平成29年)のゴールデンウィークから2年7ヶ月間、両親の介護のため、名古屋市の東南部にある自宅から北名古屋市にある両親の実家に夫婦で住み、両親と同居することとなった。その在宅介護の同居生活も昨年末(令和元年12月30日)で終了したので、現在の心境をまとめてみたい。競馬とは何も関係ないが、ほとんど訪問者もなくなりつつあるので、ここに備忘録的に記載することをお許し願いたい。
まず、両親の介護認定であるが、父が認知症で要介護1、母が腰椎骨折の後遺症で要介護4である。
父は認知症で直前で話したことをすぐに忘れてしまい、同じことを何度も繰り返す。また時間の見当識がなくなり、自分の日程管理や薬の管理ができない。また、同居して耐えられなかったのが妄想で、事実としてないことをあたかもあったように話をし、時として自分の妄想が原因で怒り出すことが多々あったことである。
母は軽い認知症もあったが、食事やトイレでのパッド交換、おやつの時以外(一日の4分の3)は寝たきりであった。母は忍耐強く、不平不満はほとんど言わなかったが、おむつのパッドを交換しなければならない。
このような状況の中、私は昨年3月に定年退職したが仕事を続けることとなり、引き続き妻が私の両親の面倒を見た。妻が基本一日3回食事を作り、朝一番と夜最後の母のおむつパッドの交換だけは、基本的に私が受け持った。
時間が経つにつれて父の認知症の妄想は、メマリーという薬のおかげで少し緩和されたものの、この半年は頻度が増し、妻のストレスも最高潮に達することとなった。妻はもともと甲状腺の持病があり、その悪化も次第に現実のものとなった。
昨年11月下旬の早朝に父が妄想から突然怒り出し、「出て行ってくれ」と言われたので、私と妻、それに寝たきりの母も連れて名古屋市の自分の家に帰ることにした。父と母を切り離したことで、ある意味父と母も現状をわかってくれたようで、妻の病気の進行と自分の仕事の継続を理由に父と母には実家の近くの介護付き有料老人ホームへの入所を勧め、特に父による数度の翻意があったものの最終的には二人とも同意してくれた。
父は認知症のため昼夜を問わず母に厳しい言葉を浴びせることが多くなり、母もへきへきとしていたため、離れることに同意した。しかし、反面父も母も共依存の関係にあり、再び老人ホーム(同一施設だが別部屋)で生活することには抵抗がなかったようである。
母が昨年12月23日、父が12月30日に老人ホームに入所した。私としては、妻を長年のストレスから解放した喜びが7割。一方で父と母の在宅介護を放棄し、施設に入所させた罪悪感が3割ある。しかし、夜は父のトイレに起こされることもなくよく眠れるし、妻も日に日に体調も良くなっていることがわかる。今は両親が老人ホームで幸せに仲良くやってくれることを祈りつつ、自分のささやかな日常を取り戻す中で、「老い」とは、「介護」とは何かを自問する毎日である。
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