2005年バカ親日記 

(主な登場人物) お父さん(ボク)42歳、長男ヒデフミ13歳、次男アツフミ10歳

2005.12.31
 しばらく日記を書いていなかったので、たくさんネタを消失してしまっているのだろうけど、さかのぼって考えてるとまた書けなくなるのでその辺は割り切らなくてはいけないと思う。サンタクロースをめぐるやりとりとか、初めての近親者の死であるおじいちゃんのお葬式の体験とか、ここに書かないままになってしまうけど、毎日新しい一日を生きている息子たちは新しいネタを提供し続けてくれるのだろう。

2005.12.5
 肉体再生日記に書いたようなことでサルの着ぐるみを着ているのだ。この格好は父親の威厳など全くなくて、アツフミにはおもちゃにされてしまうのだった。部屋の中を歩いてるとなんか歩きづらいなと思ったら尻尾にタコ糸が結び付けられていて、アツフミが引っ張っていたりする。そのうち慣れてきたのか家族は何もなかったかのように自然に接してくるのだが、ふと鏡を見たらその間抜けな姿に自分であきれたりしたのだった。

 アツフミはまだ半袖半ズボン。おまけにサンダル履きだ。昼に外食に出るときなどはボクの下駄を履いたりするので相当に変なヤツになっているのだ。さすがに寒くなってきたらしく、車の中ではヒーターを入れて「暖かいちょー」と言っている。プレゼントショップに寄ったとき、アツフミは車の中で待つ。途中心配になって覗きに行ったら、アツフミは後部荷物スペースに座布団をひいたりして自分の部屋を作り、さっき買ったばかりのバナナを食べながらマンガを読んでいたのだ。その、あまりのくつろぎぶりに感心してしまったのだった。

2005.11.30
 ヒデフミの期末試験が始まった。その前夜、仕事が忙しくて帰宅が遅れ、7時過ぎに塾に行くヒデフミは夕食を自分で用意することになった。まあときどきはやってるし、妻特製の筑前煮の作り置があったのでよかったのだが、帰ってみたら自分で目玉焼きも作って食べていた(その痕跡の残ったお皿を見つけた)のだ。将来、一人暮らしをすることになってもきっと彼は大丈夫だろう。でも試験初日の前夜、スマンスマン。いやまてよ、自分だったら勉強ばっかりやってるよりは息抜きに料理なんてかえって嬉しいよなあ。そういえば、アツフミもお腹が空いたといって自分でスクランブルエッグを作って食べていたのだった。

 アツフミの授業参観に行く。毎回ボクが行くわけではないが、妻も仕事を休めない日が多く、ボクが行くことも多いのだ。最近は父親が参観するのも珍しくなくなってるし。でも、今回はアツフミのクラスでは父親はボク一人。だからといってどうということはないのだけど。授業科目は道徳で、けっこうみんな積極的に発言するので面白かった。アツフミもちゃんと手を上げて発言してた。1回だけだけどね。手遊びをするでもなく、先生の話を聞けていたのも一安心だった。そうそう、チェックしてみたが半袖・半ズボンの男の子は他には一人も居なかったぞ。女の子で半袖の子は居たけど。帰りに外に出るときにはほとんどの子が上着を着ていたくらいなのに、アツフミは全く寒そうなそぶりをみせず、学童へと帰っていったのだった。

2005.11.28
 信じられないことに、アツフミはまだ真夏と同じかっこうをしているのだ。Tシャツと短パン。着替えを用意するのもプラストランクスと靴下だけなのでとても楽。 洗濯も楽だし。そうそう、簡単なのでアツフミが自分で着替えを用意するようにもなったくらい。寒くないのかなと思うのだが、さすがに朝などは「寒いチョリー」とかいいながら小さい毛布に包まったりしている。それでも登校するときに、上に何か着て行きなさいと言っても、決して言うことを聞かないのだ。まあ、あの風邪を引きやすかったアツフミがそれだけ丈夫になったということなので、 本人がやめるまではやらせようと思っているのだった。

 庭のバラが見事な大輪の花を咲かせた。終わりかけになったのを一輪切ってきてグラスにさす。落ちた花びらでアツフミは嬉しそうにバラ水を作成。ほんのりピンク色の水をフィルムケースにつめている。問題はできたバラ水を何に使うかなのだ。ボクが食べている刺身に振りかけようとしたり、ビールに入れようとしているので、そこはちゃんと叱っておいたのだった。

 とうとうコタツを出した。金曜日の夜、ふとソファーで寝てしまっていたボクが夜中に目を覚ますとコタツには息子二人が寝ていた。ウサギも入っていた。息子はたたき起こし自分のベッドに行かせ、ウサギは部屋から追い出したのだった。

2005.11.20
 アツフミが土曜の夜いなかった。学童の高学年合宿なのだ。2回目だが、今回は行き帰りが自転車なので少し心配もしたのだが楽しんで帰ってきたぞ。今回は準備のときからノリノリで、着替えなども全部自分で用意したあたりに成長が感じられるのだ。ふざけていて宿泊施設の障子を破ってしまったと報告するアツフミ。弁償せずに済んだらしいけど反省はさせなきゃね。

 季節はずれのような気もするが、先日コクワガタを買ってきたアツフミ。300円と安かったの(ほとんどケース代)で期待していなかったのだが予想以上に元気なようだ。ただし、戦わせる相手がいない。しょうがないので、やはり奇跡的に生き延びてるハナムグリと戦わせている。小さいけどコクワガタは強い。そこでなんと相手に選んだのがザリガニ。異種格闘技も異種過ぎるぞってカンジ。勝負になるのかと思ったら、アツフミによると2勝1敗でコクワガタの勝ちだったのだそうだ。メモ帳に対戦記録を細かい文字で書いていたのも感心してしまったのだった。

 メモといえば、熱心に書いてるのがあったので見てみたら「乳首がずれてるポリスマン」とか書いている。お笑いの番組を録画したのを繰り返し見ながら、コントのネタをメモしていたのだった。ちゃんと覚えて練習までしているが、何のためにやっているのかは不明なのだった。

2005.11.16
 いつだったか、お小遣い帳を買って二人につけさせて、ちゃんとつけとかないと次のお小遣いはあげないよ、と決めたのだが、実際にはかなりいい加減になってしまっている。でも残高チェックだけでも毎月やってたら一応最後のページまでいったようなので、また新しいのを買ってやることになったのだ。今度はちゃんとつけさせるぞー

 平日の朝、アツフミがアーチ橋についてのクイズを考えなきゃいけないと突然言ってきた。だいぶ前からの宿題だったらしいが、ずっと忘れてて、その日やってかないとスゴク怒られるそうなのだ。そこでインターネットで「アーチ橋」、「クイズ」とかで検索したりして何問かひねり出す。お、そりゃいいってネタには素直に喜ぶアツフミだが、それは教科書に書いてあるとか、意味わかんないとかで、ボツになるネタも。なんとか3問作って登校には間に合ったが、ボクは遅刻ギリギリになってしまったのだった。

 学童の緑区合同運動会、アツフミはカンポックリリレーと高学年リレーに出場。あいかわらず、カンポックリはどんな練習してるんだろうと思うくらい速いのだけど、 残念ながらチームは一位になれなくて残念そう。でも高学年リレーは一位でバトンを受け、1周を差を詰められずに走りぬき、チームは一位でゴールして大喜びしていた。自分の出ない種目はまじめに応援していたはずなのだが、実はちょっとサボって遊んでいたらしく、ポケットから米粒が大量に出てきたのだ。これは仮装ムカデパレードの衣装の一つ、ゲゲゲの鬼太郎の子泣き爺の蓑から採ったのだそうだ。本物の藁だからまだ籾が付いてたのだね。うちに帰ってから沖縄(?)土産の「世界一小さい金平糖」のビンを空にして(全部食べて)、それに詰めて非常食とか言ってるアツフミなのだった。

2005.11.6
 アツフミがゴルフクラブを手作りして家の中で遊んでいた。そのうち何か壊しそうだったのでベビーゴルフに連れて行く。大高緑地で18ホール。前にやったときは後半はアツフミが優勝したくらいアツフミはけっこうやるのだ。ヒデフミも誘ったのだが自分には向いていないと断られる。確かに前回ヒデフミは散々だったね。さて、今回アツフミは初めはお父さんに勝てるわけないと言ってたし、差も最大6打差ついたのだが、後半盛り返してきて17番ホール終わったところでわずか1打差に詰め寄られてしまったのだ。こうなると勝ちたくなるアツフミ。ボクは息子相手にわざと負けてやるのはよくないと考えて手を抜かず、最終ホールもバーディーであがる。アツフミはパーで結局2打差でボクの勝ち。アツフミはすごく悔しそうで今にも泣き出しそうになりながらも歯を食いしばって耐えたのだった。

2005.10.16
 相変わらずのアツフミの生き物好きだが、クワガタやカブトの成虫の季節はさすがに終わってしまってるね。ゴホンヅノカブトの幼虫(巨大)を飼いはじめたアツフミだが、小動物への情熱は覚めやらず、例の猫の件もあってもうガマンできなくなったのだ。そこでとうとうハムスターを飼うことになる。ジャンガリアンのメスを2匹。トンネルや回り車付きのケージや巣箱など買い揃えたらけっこうな出費になってしまったが予想以上にハムスターがカワイイのだ。家族みんな夢中になってしまいウサギがどことなくすねている様に見えるのが可笑しい。基本的にはアツフミが世話をすることになる。つけた名前が「カルビ」と「ロース」。女の子なのにナゼってカンジだがコンビ名も「バーベキュー」っていつの間にか決まっていたのだった。黒っぽくてやんちゃなカルビと薄茶色でおとなし目のロース。といっても実はボクは見分けられてるかどうか自信がないのだった。

2005.10.8
 アツフミが買った携帯音楽再生機は黒色だったが、ヒデフミも同じ機種を買うことになって、絶対に銀色のにすると言っていたのだ。ところが、銀色のは設定されていないらしく、代わりに灰色に決めたヒデフミ。で、この灰色のはネット直販でしか買えないのだ。店で買えばすぐに手元に来るのにそこまでこだわるのかいってカンジ。ま、ボクならやはりネット限定の緑色にするけどね。さて、やっと手に入れた灰色だが、イメージとちょっと違っていたらしく「やっぱ銀がいいですう」とか叫んでいるヒデフミ。銀色のマジックペンを手にして塗ってしまおうかと考えていたようなので「それで塗ったらきっと後悔するから」とマジックペンを取り上げてやったのだった。

 アツフミは生き物好きで授業参観でやっていた読書発表のネタにも「ファーブル昆虫記」を選んでいたのだ。で、本屋で見つけた「科学のタマゴ」の付録が「アリの巣観察セット」で、もちろん速攻で購入。アリの巣を作らせる容器や砂のほかに掃除機の原理でアリや小昆虫を捕る器具までセットされている。早速アリを捕って巣を作らせるアツフミ。なぜかエサにするために小さなゴキブリも捕ってたりするのだった。このアリの巣は見事に観察に耐えるできばえだったが、しばらくしたらゴキブリにカビが生えアリも弱ってきたので、今は次回制作に備えて容器を空にして乾かしているようなのだった。

 同じく科学のタマゴ、今度のは水棲生物観察セットだ。アルテミアというプランクトンだかなんだか小さいエビのようなのが育つのだそうだ。卵から孵ったばかりのはとても小さいのだが、アツフミは「すごくたくさん元気に泳いでいる」とご機嫌なのだ。残念ながらボクにはいくら目を凝らしても見えないのだが。そのうちボクにも見えるようになってヤレヤレ、たぶんまだ生きているはずなのだった。

 庭の草刈を家族総出でやる。ヒデフミもアツフミも手伝ってくれるので偉い。特にアツフミは積極的だ。蚊に刺されたりして大変だったが、庭はすごくすっきりし、夏の間蚊のせいでほとんど出なかったウッドデッキでビールを飲んでも気分がいいのだ。アツフミもそこで勉強したりもしたぞ。

 野良猫が子供を産んでウチのウッドデッキの下に連れて来たのだ。ニャアニャアミーミー聞こえてくるので気になるアツフミ。アツフミは猫が好きで帰省してボクの姉の家に行ったときには嬉しそうに抱いているのだ。ウチではウサギが居るから飼えないといってはいたがアツフミの気持ちもわからんではない。で、今回、結局子猫は死んでしまったのだが、出会いと別れになったのだった。エピソードを丸ごと10月6日のアランプーサンでのライブでやったので詳しくは「週刊わやソング」で書くことにしよう。

2005.9.23
 夏の忘れ物を片付けたら安心しちゃったのか日記がまたずいぶん飛んでしまったのだった。そうそう、愛知万博も終わっちゃうよね。全期間入場券を買ったのでもっと行くつもりだったし、少なくとも外国館は全部見ておきたかったのだけど、もう諦めたのだ。連日の混雑振りはボクの行列耐久性では耐えられそうにない。それでも、もし息子たちが行きたがってれば頑張るのだろうけど。なぜか二人とも全くその気はないので助かってるけどちょっとつまらないのだった。

 万博ではなく越前海岸に一泊で家族旅行に行った。息子たちが行きたがってたわけではなく、ボクが温泉に浸かったり美味しい魚を食べたかったから付き合わせたカタチなのだ。だから昼に寄った近江長浜の黒壁スクエアでは、はじめは息子たちはつまらなさそうだったね。でも行ってよかったのはオープン間もない海洋堂のフィギア博物館(?)だ。食玩で大ブレイクしたあの小さくて精巧な動物や人形などがずらりとディスプレイされている。アツフミも大喜びだ。ウチには「週刊日本の天然記念物」シリーズが揃ってて、今までは全然大事にしてくれてなかったのだけど、ここでは「あ、これウチにあるね」と盛り上がってくれて嬉しかったのだった。なぜかお土産には何も買わなかったのだけど。夕方、夕日を見ながら立ち寄り温泉「漁火」に入る。残念ながら日本海の水平線への日没は雲が厚くて拝めなかったのだけど、雲の切れ間から何度か真っ赤な夕日が見えたので、ボクはヒデフミに「諦めたらそこで試合終了だよ」と何度も声を掛けたのだった。この台詞は「スラムダンク」の有名台詞なのだがヒデフミにはそのたびに「うぜー」と言われてしまったのだった。宿の夕食は大量の魚料理。ヒデフミは気持ち悪くなるくらい頑張って食べてくれたね。

 朝食も大ボリューム。大皿に山盛りの刺身を食べるのも苦しいのに、アンコウ鍋がでかすぎる。何年か前に同じ宿で食べたときはヒデフミもまだ食が細かったのでほとんどボクと妻が食べるしかなく大量に食べ残してしまったのだが、今回はヒデフミがこれまた頑張ってくれたのだがとうてい食べきれはしなかったのだった。ちなみにアツフミはまだ全く戦力にならないのだ。帰路は、まず宿近くの「かにミュージアム」に入る。越前ガニをたっぷり勉強できたが、息子たちがお気に入りだったのは「タッチプール」だ。やつらはホントにそういう触るのが好きで名古屋港水族館などでも延々と触って遊んでるのだが、ココでは珍しくタコやアナゴが触れたのでよけいに楽しかったようなのだった。他にも寄りたかったのだが食べすぎで苦しかったのでまっすぐ帰ってきたのだった。

 久しぶりにアツフミの授業参観に行く。ここのとこ妻に行ってもらうことが多かったのだ。ボクも休めはしないので、昼休みを長めにというかたちで職場からいったん帰宅してから小学校へ行く。放課にドッジボールをしてるのも見れて良かった。授業では読書発表のポスター作りをやってたが、作業が遅いのでついつい口を出す。ま、今回はそれもアリの授業だったのだけどね。

 今から帰ると電話したらヒデフミが明日の調理実習で使うので玉ネギを買ってきてくれと言う。たくさんあるはずだと言うと「冷蔵庫を見たけど1個もないよ」とヒデフミ。ハイハイ、玉ネギは冷蔵庫ではなく流し台の下にあるのです。また一つ覚えたヒデフミなのだった。それと、前回の調理実習の日に、たまたま熱を出して休んでしまったヒデフミは今回も休んだら通知表に”2”がつくと言って、出ていた微熱を治してしまったのだった。

 携帯用の音楽再生機を急に欲しがった息子たち。ボクも知らなかったのだがスゴク小さいのがずいぶんたくさんの種類出ているのだ。有名なのはI−PODなのだろうけど、いろいろ見比べた結果、まずアツフミがZENというのを買う。聴く分には簡単だし軽いし音質もよく昔のウォークマンのことを思うとすごい進歩なのだが、聴くまでは結構大変だったのだ。まずパソコンに専用ソフトをインストール。次にCDからリッピング。CDは持ってないけど聴きたいって曲を入れるために音源サイトに登録してダウンロードして転送する。さすがにアツフミにはできないので全部ボクがやることになるのだ。まあ、喜んで聴いているからいいけどね。それから少ししてヒデフミも機種選び。結局アツフミと同じZENに決め、ただし欲しい色は店頭では買えず、ネットで直接注文しなくてはいけなくて、またまたボクの作業となってしまったのだった。製品到着後、ヒデフミにはパソコンでの操作を一通り教えてやったのだ。次からはアツフミの分もやってくれよということで。そうそう、欲しいものを簡単に買い与えるのもナンなので購入費用は祖父母からいただいてたお誕生祝いからということになっているのだった。

 太田川駅前でボクが歌うのにアツフミを連れて行く。たまたまそこでザリガニ釣りをやっていてアツフミは見事一匹釣り上げる。で、またウチに生き物が増えたのだった。こいつは毎日水を替えないとすぐ臭くなる。アツフミは上手にやっていて、はさまれることは一度もないのだが、ボクがたまたまやったときにはさまれてしまい、スパッと切れて血が出たので情けなかったのだった。

2005.9.5
 さあ、夏の忘れ物は片付けておこう。

 おととしと去年は夏に海外に行ったのだが、今年は沖縄だったので息子たちは不満そう。じゃあ、ハワイにでも行くか、ということで四国への帰省の途中にハワイに行くことにしたのだった。ハワイといっても鳥取県の羽合温泉なのだけどね。まあ、ハナシのネタになればいいやって感じで。息子たちもそういうノリならOKなのだ。鳥取にはボクも一度も行ったことがなかったのでちょうど良かったし。もっとも、決して鳥取は四国への途中にはなくて、あちこちで渋滞してる高速道路も長かったし、一般道に下りてからは快調に走れたとはいえ、鳥取は遠かったなあもう。ほぼ一日中ずっと車に乗りっぱなしだけどおしゃべり好きな家族なので退屈はしなかったけどね。話の内容は下品すぎてココには書けないのだ。ま、日焼けの肌にも名湯羽合温泉の湯は優しくてボクは大満足。湖の上にあり、橋を渡って入る露天風呂も気持ちよかったね。

 鳥取砂丘では元気に走る息子たち。大きな砂丘を登って越えて日本海の波打ち際にも行ったぞ。ラクダに乗った写真は年賀状に掲載の候補なのだ。エジプトに間違えてくれる人がいたら面白いと思って。アツフミが砂を手でかいたのがヒデフミの目に入ってしまって、わざとじゃないからと謝らなかったのをキツク叱ったらアツフミは固まってしまう。ちょっと後味の悪い砂丘になってしまったのだった。鳥取をお昼に出て愛媛の実家まではまたずっと車に乗りっぱなし。ヒデフミの目は大丈夫だったし、アツフミはちゃんと立ち直れたたのでよし。もちろんお正月以来のおじいちゃん・おばあちゃんは大喜びで迎えてくれた。ヒデフミはおじいちゃんも背で抜かしてしまったね。

 朝のうちに実家近くのお墓参りを済ませる。ここは毎年夏には来てるのだが、10年少し前に亡くなったボクの母方のおばあちゃんのお墓には行ったことがなくて、今年初めて行くことにする。久しぶりに叔父さんや叔母さんにも会えた。お墓の場所はみかん畑の広がる山の斜面の途中。息子達には曾おばあちゃんのお墓参りってことだね。足を伸ばして、四国の西の端の叔母さんにも会いに行く。そこは立派なお寺なのだ。境内でハトコ(従姉妹の息子さんたち)と野球をやって盛り上がってた息子たち。初めて会っても遊べるのはいいよね。その夜はボクの姉の家に泊めてもらう。これまた年に2回会えるだけだけど、すごく仲良しの従兄弟と盛り上がって遊ぶ息子たちなのだった。

 姉の家には猫が何匹か居て、猫好きなアツフミはご機嫌なのだ。朝も誰よりも早く起きて猫を抱いたりしていた。ウチのウサギが死んでしまったら猫を飼うことに勝手に決めているくらい。ウサの前では猫のハナシはしないようにといさめてるけどね。って、もし話してもウサにはわからないジャンってのは定番ネタだね。帰省っていってももうこの日の夜にはフェリーに乗るのでたいしたことはできないのだ。午前中は温泉へ。アツフミと従兄弟は仲良く裸の付き合いをしているが、ヒデフミはとうとう別行動になる。タオルでしっかり前を隠しているし。ま、それが成長なのだろうけど。

 夜行フェリーで四国から大阪まで。これは毎年夏のパターンで、四国行きはずっと運転していくのだけど帰りはフェリーを利用するのだ。で、今年もUSJへ。従兄弟も一緒でアトラクションを楽しみまくり。以前は怖いとかで入れないところもあったのだけど、もう怖いもの無しだね。待ち時間もけっこうあったけど、朝の9時から夜の9時過ぎまで居たのでほぼ体験することができたようだ。そうそう、人気のスパイダーマンは待ち時間が長いので子供たちだけでシングルライドでさっと行ってこいと送り出したのだが、ヒデフミがしっかりしてないものだから普通の列に並んでしまって、すぐに出てくると出口で待ってたボク達親は疲れ果ててしまったのだった。

 ヒデフミと二人で昼に外食をする。最近改装して越前料理屋になった店へ。アツフミはあまり喜ばなさそうだからこういうチャンスに行っておこう。メニューに「こどもビール」ってのを見つけ面白そうなので注文する。これは中身はアップルジュースなのだが、ビンはビールのデザインで、注ぐと泡が残るので見た目はホントにビール。ヒデフミはよろこんでのんでたが、中学校の知り合いが通りかかって見られたらしく、ビール飲んでたと先生にチクられたらどうしようなどと心配してたのだった。

 相変わらずの昆虫好きのアツフミ。近所の空き地でカマキリを捕ってくる。小さいのは翌日見事に脱皮したりいろいろ楽しめる。大きいのはバッタや他のカマキリを次々に食べてしまい虫かごの中は食べ残しの足が散乱するすごい状態になる。この大きいのはメスだそうで、アツフミがちょっと小さめのオスを入れたら交尾する前に食べられてしまったのだった。

 妻の実家にもプチ帰省する。一泊して手持ち花火するくらいだけど。翌朝実家から近い名古屋空港の駐車場に車を置いてシャトルバスで4回目の愛知万博へ。息子たちは学校で行ってるので5回目。相変わらず企業パビリオンは入る気がしないくらいの待ち時間。で、また外国館めぐりで食事とビールを楽しむパターン。アツフミは早く帰りたがってしまうのだった。そうそう、あともう1回くらい行って、せめて外国館は全館制覇したかったのだけど、9月最初の土日の混雑は半端じゃないようだ。キャンプに行くとき通った東海環状自動車道の藤岡IC出口は4Kmの渋滞で、前にボクが利用したときはガラガラだったことを思うと、もう行けないかな。

 夏休みは終わったけど、9月3・4日にキャンプをする。ボクの古い友人達との恒例キャンプ。ついにヒデフミが参加してくれない年になってしまった。生まれた翌年からずーっと参加してたはずなので寂しいのだ。メンバーの中では最初の子供だったので友人たちにもずいぶん面倒見てもらったし、だんだん子供が増えてくるとお兄ちゃんとして面倒見てやったりしてたのだ。ま、ヒデフミが居なくても、5年生の女の子を筆頭に男の子4人女の子3人の賑やかな子連れキャンプは楽しかったのだった。アツフミはまず川で魚や貝を獲り、バッタやセミを捕り、さらに驚くことにコウモリを捕まえていたのだ(写真参照)。ボクもコウモリの生きてるのを触ったのは初めてかも。お持ち帰りはトカゲ1匹。アツフミはバドミントンもけっこう上手で楽しんでたキャンプだったね。 

2005.8.27
 ボクが久しぶりに出勤する朝、ヒデフミはボクより後に家を出るということだったので、 念のために家の鍵を確認させる。最後の一人が出かけるときに鍵がないと困るからね。 いや、そういうことがけっこうあるのだウチの場合。多いのは先に出た人が鍵を持たずに出てて、帰ってきても家に入れないってパターンだけど。さて、自信たっぷりに鍵はあるよとボクに見せてくれたのはよかったのだが、それをいろんな鍵を入れている引き出しに置いたのが間違いのモトだったのだ。ボクは安心して出勤して仕事してさあ帰ろうというとき、ふと気づいたら持ってきた鍵はなんとヒデフミのだったのだ。ボクのには倉庫の鍵やセカンドキーもついてるしキーホルダーはぜんぜん違うのになぜ間違えたんだろう。で、当然ヒデフミはどうやって施錠したのか心配になったので家に電話する。もう帰宅していたヒデフミが出たので、どうしたのか聞くと、やはりあるはずの鍵がないので大慌てで探して、自分のではないけど家の鍵が見つかったので(それたぶんボクの)それで施錠してでかけたのだそうだ。乗るはずの市バスはもう見えてたとのことで遅刻寸前だったらしい。いやあ、ヒデフミには何度も謝っておいたのだった。

 沖縄で書き忘れてたのがあった。最終日、万座毛のあと琉球村へ行ったのだった。歌謡ショーも観たけどメインはハブとマングースの対決ショー。もっとも動物愛護の観点から何年か前に対決は禁止されたってことだけどCGによる3Dシアターで続けてるのだ。ま、久々の脱力観光って感じ。おじさんのセールストークは上手なのでハブ粉とハブ油を買ってしまう。前者は二日酔いに効くからで後者は猛烈に苦しんでいた日焼けに効くとのこと。もったいないことにほとんど使用せず、行方不明になってるのだった。ここの池には鯉がたくさん居て、もちろん息子たちは大喜びでエサを撒き散らしてたのだった。

2005.8.20
 気がつけばもう8月も半分過ぎている。息子たちにとっても夏休みはもうあと10日間。大きな行事は済んでしまったのであとは行く夏を惜しむ日々なのだった。それより旅行続きでなかなか日常に戻れてないのをなんとかしなくちゃね。

 さて、8月の最初の週末は3泊4日の家族沖縄旅行に行ってきたのだ。ボクは出張で一回行ったことがあるのだが、妻子は初めて。旅行会社のツアーとはいえレンタカープランなのでフリーの旅行と一緒で気楽だったけど、欲張りにあちこちまわったのでせわしくリゾート気分のない旅行だったのだった。少し割り増しを払ったおかげで午前中の便になり、朝はバタバタしたがなんとか遅れることなく中部国際空港から出発し、昼には那覇空港に着。2時間のフライトはさすがに海外旅行よりはずいぶん楽だ。もっともこの日は台風が先島諸島に最接近中で、那覇行きも引き返すか福岡空港に行き先変更になる恐れがありますとアナウンスされてたので無事着けてヤレヤレだったのだった。天気が悪いので初日は戦跡巡り。ひめゆりの塔では記念館で熱心に展示を見る息子たち。いつもはヒデフミにちょっかい掛けて走り回るアツフミだが、神妙な顔をして写真を見たり説明文を読んだりしていた。摩文仁の平和祈念公園にも立ち寄った。あとは高速道路を飛ばして今帰仁村のホテルへ。初日は泳がない予定だったけど、ビーチが目の前に広がってるので夕食前に一泳ぎ。天気が悪く人も少なく寂しかったけど水も砂も綺麗な天然ビーチで悪くはなかったぞ。車の中でぐっすりだった息子たちは夜遅くまではしゃいでいて、運転疲れのボクが最初に眠りについたのだった。

 二日目は水納島海水浴ツアーの予定だったけど台風の影響が残ってて連絡船が欠航になっちゃったので、三日目に予定していた蝶々園と美ら海水族館に行くことにする。出発前に台風が心配だったから旅行会社にOPツアーの日程変更を申し入れたときはできませんとのことだったのだが、現地ではあっさりOKだったぞ。午前中はホテル前のビーチとプールで泳いでから昼からレンタカーで出る。そうそう、ボクのマイカーにはカーナビはついていないのだがレンタカーには装備されてて初めて使ってみた。縮尺を変える方法に気付くのに時間かかったり、目的地設定を間違って変な方向に誘導されたりしたが、まあ悪くはないね。アツフミも助手席でけっこう操作を覚えてしまったし。ゲーム機よりははるかに簡単だろうから直感的に操作してたぞ。さて、まず行った蝶々園。ここのチョウがすごい。オオゴマダラっていうけっこう大きいチョウがうじゃうじゃいる。しかも人間を怖れないとかで寄ってくること。赤い色の帽子には何10頭ととまっていて、帽子をかぶって花束を持ったりするとチョウまみれになれるのだった。アツフミはここでクワガタ捕りをするのをすごく楽しみにしていたのだが数も種類も少なくてちょっとがっかりしてた。とはいえ、他の子がお持ち帰りの1匹をすぐ選んで出て行くのにアツフミは延々と少しでも大きいのをと頑張っていて長時間滞在となったのだった。やっと決めて帰り際、他の子が持ってたクワガタと自分のをこっそり大きさを比べガッツポーズ。アツフミのが大きかったので嬉しかったのだろうけど、その子のお母さんにガッツポーズを見られててボクは恥ずかしかったのだが笑ってくれたのでよしとするか。で、どっちかっていうと普通はこっちがメインのはずの美ら海水族館へ。さすがに3匹のジンベエザメとたくさんのマンタは見ごたえあるね。ただし、魚たちより、その前に土産物屋で買った握ると変な風に膨らむゴムボールの印象が強くて参ったのだった。このボールは赤いのだが黒いネットで包まれてて握るとネットの間から膨らんではみ出てきて、それが緑色なのでとても気持ち悪いのでアツフミが気に入ってしまったのだった。ちなみにこのゴムボールは10日後に破れてしまって捨てることになるのだが、まるで「もののけ姫」のシシ神の首を切った後のようだったぞ。この夜はOPで家族で1kgステーキに挑戦したのだがペロッと軽く食べてしまったのだった。

 三日目はメインの水納島。高速船で渡り、現地滞在は5時間くらい。水はさすがに綺麗で気持ちよく泳げる。バナナボートとかいろいろ楽しんでも良かったのだけど何も申し込まずシンプルにビーチでのんびりした。ヒデフミは浮き輪で横になってプカプカ浮いてるのが好きで、アツフミは潮溜まりでエビ・カニ・ヤドカリ・小魚を採るのがお気に入りだ。天気も申し分ない。それで失敗したのが日焼け。100円ショップで買ったクリームが日焼け止めではなくて日焼け促進剤だったのか、本土の4倍という紫外線の力なのか、たった1日で真っ黒になってしまったのだった。いや真っ黒ならいいのだがもうヤケド状態なので、ボクは早速一部水泡ができてズル剥けてしまったし、ヒデフミも痛くてたまらんくらい。アツフミは普段から外で遊んでるのが良かったのかうまく焼けたようだったが、翌日以降は同じように苦しむことになったのだった。この日の夜は今帰仁村のお祭りにでかけ、出店で焼きそばとか焼き鳥を買って帰ってホテルで食べる。お祭りでは金魚すくいやダーツやクジなどを楽しんだ息子たちだったのだった。日焼けでよく眠れなかった夜。そうそう、アツフミは症状が出るのが遅かったので夕方ホテルのビーチやプールでもうひと泳ぎ。あまりのタフさに脱帽したのだった。

 四日目、さすがにもう誰も泳ごうとは言い出さない。チェックアウトし、レンタカードライブの一日となる。スーパーレイトフライトだから夕方まで沖縄に滞在できるのだ。万座毛はとてもよい眺めでよかったのだが、日焼けが痛いとしか息子たちは言わなくなっていたのだった。米軍の嘉手納基地を見渡せる道の駅ではちょっと社会勉強も。ちょうど戦闘機の訓練飛行なども観られた。海中道路はボクはドライブするのを楽しみにしていたのだが、ちょうど干潮時で道の両側は干潟状態。あまり海の中を走るという感じではなかったのが残念だった。最後に寄ったのは首里城。いやボクとアツフミはレンタカーを返して空港に戻ってから少し時間があったので「ゆいレール」に乗る。軌道系交通の駅としては那覇空港駅が日本最西端、そして隣の赤嶺駅が日本最南端の駅となるので記念写真を撮っておいたぞ。帰路のフライトは窓の外に素晴らしい夕焼けをずーっと眺めることができてボクは大喜び。でもなぜかそういうものには全く興味のない息子たちにはがっかりだぞ。こうして沖縄旅行は終わったのだが、日焼けはずーっと引きずることになったのだった。ちなみに妻はちゃんとした日焼け止めを塗っていたし、ほとんどパラソルの下に居たので問題なしだったね。

 旅行中はウサギを某ペットショップに預けておいた。今回は2日置いて四国への帰省もあるので12日間もの長期滞在となってしまった。元気に帰ってきたので良しなのだが実は不安は一杯だったのだ。なんせこの店、以前店員の女の子が腰に生きているヘビを巻いていたってことは書いたことがあるような気がするが、他にも巨大な陸ガメが店の中を歩いていたり、カゴ無しでフクロウが枝にとまっていたり、犬が走り回っていたりするのだ。今回もウサギのケージを一時的に置いたところが犬と猫のケージの前だったので犬も猫も大騒ぎ。ウサギはショックで死ぬこともあるらしいのだが、ウチのメイはなぜか平気な顔をしていたのだ。ま、あまり顔には出ないやつなんだけどね。

 息子たちとスターウォーズEP3を観に行った。ボクは少し寝てしまった。観終わった後の息子のコメントも特になくて、これなら宇宙戦争を観ればよかったかなと思ったのだった。

 ヒデフミが朝ごはんにカップヌードルを食べていた。それを見たアツフミはどうしても同じのを食べたいと言って聞かない。甘やかせるのは良くないのだが、かえって朝の貴重な時間が失われそうだったので急いでコンビニに行って買ってきた甘い親父なのだった。

 アツフミが乳歯を一本抜く。虫歯を金属をかぶせて治療してあったところに永久歯が横から生えてきたので歯並びが悪くならないうちにと歯医者へ。面白いもので、乳歯を抜くと横に飛び出ていた永久歯がだんだん中に寄ってくるのだ。これで今のところ要治療の歯はない。最近は仕上げ磨きをサボることが多いのでちょっとダメ親なのだった。

 またカメが卵を産んでいた。なんと5個も。いつまで続くのだろうって感じ。

 さて、まだまだ続きがあるのだがとりあえずUPしておこう。

2005.8.3
 息子たちがとうとう「スラムダンク」を読んでしまった。アニメにもなったので知ってる人も多いと思うけど、少年ジャンプに連載されててコミックス全31巻は1996年10月に完結している高校バスケのマンガなのだ。アニメしか知らない人には一言、マンガは次元が違いますから。息子たちに読ませると本が傷むのでこれまでボクの書斎のガラス戸つきの書棚に入れておいたのだが(隠しておいたともいう)、ボクのいない間に入り込んでこっそり読み始めたことをヒデフミが白状したのだった。もちろん読むと面白いので次から次へと読破、アツフミもはまってしまって短期間で二人とも読みきってしまったのだった。ま、共通の話題が広がってボクとしても嬉しいのだが、一つ困ったことがあって、主人公の桜木花道がカントク(太っている)のアゴの肉を触るのを息子たちが真似してボクのアゴに手を出してくるのがとってもうっとおしいのだった。

 2年ぶりに、♪FUMIHIKO♪さん(ふみくん)主催の京都川床オフにアツフミと二人で参加した。前回は妻もヒデフミも一緒だったのだが、ヒデフミは付き合いが悪くなってしまったしね。余談だが、妻はヒデフミとお留守番のはずだったのだが、なんと花火が観たいと一人で岐阜長良川まで行ったそうなのだった。さて、名鉄バス、名鉄電車、新幹線と乗り継いで京都へ。新幹線はあっという間なのだが、京都地下鉄にも乗り継いでホテルに着いたのは集合時間ギリギリなのだった。以前、家族で東京に行ったときも感じたのだが、こういう旅行ではやたら自動改札を通るという印象がある。さて、久々のいわゆるオフ会だったが、初対面の方も含めて良い方ばかりなので楽しく飲み食い語れる。ただし、アツフミはマイペースでマンガを読んだり一人遊びをしたりして親としては恥ずかしいのだ。なぜか来年も行ってもいいよと言うのだが。カラオケでもアツフミは歌わなかったのだが、つまらなさそうにするでもなく、帰りたがるわけでもなくおとなしくしているから不思議なのだった。泊まりのホテルではちょうど「エンタの神様」をやっててアツフミはTVの時間。ボクは3次会に行かせてもらえたのだった。翌日は、ホテルでゆっくり朝食を食べてオフ会のメンバーとは別れてアツフミと二人で比叡山を目指す。前回来たときにたまたま寄った「カブトムシの村」が印象強かったらしく、また行きたいのだ。事前の調査が不十分で、観光案内所で調べてもらったりしてたのでタイムロスはずいぶんあったのだが、地下鉄、JR奈良線、京阪電車、バスと乗り継いで13時ごろようやく現地に到着する。2度目だがなぜか懐かしい感じのする施設だ。さすがにカブトムシはたくさん居てアツフミは元気そうなのを集めてきてはロープの上で戦わせたりしてたっぷり遊んだのだった。時間的に長かったのはもう一つのイベント「ザリガニ釣り」。これが全く食いつかないのだがアツフミは粘り強く延々とやっている。他の親子連れがどんどん入れ替わっていく中、1時間以上も一匹も釣れないのに楽しんでるのだった。アツフミとの二人の旅行はこんな感じだが楽しかったぞ。

2005.7.24
 うわあ、前代未聞の空白期間。ネタはメモっておいたのもあれば失われたものも。油断するとこうなってしまうのね。ただし、息子のチェックの厳しさも増していて難しいものもあるのだった。

 ヒデフミはけっこう自分で味噌煮込みうどんを作ったりスクランブルエッグを作って食べたりしてたのだけど、アツフミはまだだと思っていたら作っちゃいましたスクランブルエッグを。味付けは薄かったのだけど見た目はきれいにできていてケチャップをつけて嬉しそうに食べているアツフミだったのだ。学童では包丁を持ったりもしてるので、どんどんやらせようと思うのだった。

 あまり音楽鑑賞の習慣のない我が家。妻が音楽番組をTVで観るほかはCDを買ってもほとんど車でしか聴かないのだった。でもだんだん興味が出てきたのか、いつの間にかCDをお小遣いで買って聴いていたのだ。ヒデフミの部屋にはCDデッキはあるが、アツフミは持ってなかったので、あまり使っていなかったCDラジカセをプレゼント。さっそく、ケツメイシやオレンジレンジを嬉しそうに繰り返し聴いているのだった。

 アツフミの昆虫熱は相変わらずだが、3匹いたアンタエウスオオクワガタのうち2匹が死んでしまったので、戦わせる相手としてアルキデスオオクワガタを買ってきた。980円は大変お値打ちだったが見かけより弱く、アンタエウスに負けてたし数日後に死んでしまったのだ。お小遣いの入った財布を握り締めて迷った挙句に選んだ個体だったのでアツフミはがっかり。やっぱり1980円のにしておけばよかったと後悔しきりなのだった。

 ここんとこずっと覚めてたレゴブロックに急に凝りはじめた息子たち。ヒデフミはすごくセンスのあるオリジナルの宇宙船のようなものを作るのが得意だったのだが、アツフミも成長してて、ヒデフミのに遜色のないものを作っている。その代わり和室は足の踏み場もなくなってしまい、数日後ボクにカミナリを落とされることになるのだった。

 突然カキ氷をアツフミが作る。そういえばウチにはカキ氷マシーン(手動)があるのだった。シロップの代わりにカルピスをかけて大満足のアツフミ。それを横目に塾に行ったヒデフミは、帰ってきていそいそとカキ氷を作る。ところがカルピスはなくなってしまっていたのだ。仕方がないのでヤクルト(もどき)をかけたヒデフミ。でもこれは失敗。美味しくない。そこで砂糖水を追加でかけることにする。「スイ」は通の味らしいけど、これは結局美味しくはならなかったのだった。

 冷蔵庫にあったサーモンの切り身でボクの得意料理ムニエルもどきをつくる。みんな美味しいといってくれたのだがヒデフミは複雑な表情。なぜかというと前日熱を出して中学校を休んだのだが、その日は調理実習があって、そのためにわざわざ買いに行ったサーモンだったからなのだった。ちなみにその日、ボクはヒデフミを残して出勤し、上司にワケを話し、少し仕事を片付けた後、帰宅してヒデフミに昼食を作ってやり、様子をみてから午後再び出勤し、夕方まで会議というスケジュールになったのだった。

 もうすぐアツフミの10歳の誕生日だ。プレゼントは事前にゲームソフトをゲット。これがプロ野球をリアル映像で楽しめるゲームなのだ。以前サッカーのゲームでも思ったのだがホントすごい進歩なのだ。もっとも、ゲームの進歩もすごいがアツフミの進歩もすごく、最近までプロ野球には興味はなかったはずなのに、いつのまにか12球団を知ってるし選手の名前もけっこう知ってるのだった。そしてボクにはとうていついていけない複雑なコントローラー操作をすぐ習熟して楽しんでいるのはさすがなのだった。

 もう夏休みに入っている。直前に終わった学童キャンプでははじめてのトーチトワリングを見事にこなしたアツフミ。自分の息子だけでなくほかの子供たちも一緒に演技する様は涙が出るくらい感動的なのだった。ウチではあまりしゃべらないので毎日どれだけ練習してたのかはわからないのだが、壁にぶち当たり苦しむこともあっただろうし、できなかったことができるようになる喜びもたっぷり味わえたことだろう。指導員さんには感謝感謝なのだった。

 そうそう、カメがまたまた卵を産んだそうだ。今回はなんとなんと4個。発見者の妻は即捨ててしまったのだった。

2005.6.28
 カメがまた卵を産んだ。今回はなんと2個。もうどうしたらいいかわからないのだ。とりあえず前の1個と同じ水槽に移そうと思ったらその水槽がいつの間にかなくなっている。アツフミも知らないって。後で判明したのが妻が誤ってひっくり返して、そのまま気持ち悪いので捨てたのだそうだ。あれま。

 そうそうカメの卵と同じときの日記に書いてるセアカフタマタクワガタだが、お亡くなりになってしまった。去年からずっと生きてるオオクワガタより強いと思ったのに。で、タイミングよく前回書いてる昆虫の雑誌に標本の作り方が載っていて、結構面倒なのだがアツフミは頑張って標本にしたのだった。針をいっぱい刺してカタチを整えた本格的なやつ。

 バイク(2輪車)のラジコンに久しぶりに興味を示したアツフミ。充電器の発見や、バッテリーの取り外し方法などに一苦労した後、庭で走らせようとしたが狭いのでうまく走らずストレスを溜め込む。ようやく土曜日になって、天気もいいので滝の水公園へ。ランニングを兼ねてボクが付き合う。コントロールにはちょっとコツがいるが、すぐになれて快調にラジコンバイクを走らせるアツフミ。ボクもやってみたが、こりゃ面白い。草むらでもけっこう走り抜けるし。スピードが、がんばって走れば追いつけるくらいしか出ないので、一緒に走るのも面白い。あ、肉体再生日記にも書けたよなあこのネタ。

2005.6.23
 土・日にお出かけできないのが続いている。行事やライブや塾などで泊まりのお出かけはおろか日帰りすらできてない。息子たちも家の中ばかりではよろしくないので久しぶりにアツフミと滝の水公園へ行く。ボクはランニング、アツフミは自転車。アツフミの目的はハトにパンをやること。ハトは朝はたくさん居るが夕方は見かけないので心配だったが、4羽だけいて、アツフミは大喜びでパンをやっていた。少しすると警戒心の強いスズメも近づいてくる。アツフミはちょっとはなれたところのスズメにもパンを投げてやる。あと、ムクドリがいっぱいいるのだがこいつらは人間には寄ってこない。きっと虫しか食べないんだよとアツフミに説明してたら中にはスズメと同じくらいまで寄ってくるのも居て、おこぼれのパンをしっかり食べてたので前言撤回したのだった。そうそう、ハトは手のひらに載せたのまで食べてしまうぞ。

 ボクは週刊何とかという刊行物に弱くて、これまでも鉄道とか百名山とか天然記念物とか買い揃えてしまったのだが、大変なのがまた始まってしまったのだ。ズバリ「昆虫」で、立派なフィギアが付いている。お値段も高いのだが、アツフミが喜ぶに決まっているので飼うことにじゃなくて買うことにしたのだった。創刊号はニジイロクワガタ、第2号はヘラクレスオオカブト、そして第3号はミヤマクワガタ。怖いのは何号まで続くのかがわからないことなのだった。そうそう、アツフミはちゃんと本誌も読んでいて、たとえばこの中に本物のスズメバチは1匹だけで、後は擬態です、なんてのも、これはこうだああだと説明してくれて、ますます昆虫博士になってるのだった。

2005.6.12
 我が家のゲームの掟はしっかり守られていなかったのだ。1日に30分までとか兄弟げんかはしないなど、守ってるような守ってないような状態だったのだが、はっきりダメだったのが遊んだ後はきちんと片付けるってこと。また後でやろうと思ってゲーム機の周りを折りたたみ座椅子でガードしたりしてるから失敗するのだ。そう、ウサギにコードをかじられたのだね。何度やられりゃ覚えるのだろう。もちろんウサギには「コードは咬んじゃダメ」って言い聞かせてるのだけど。

 土曜日、アツフミは学童の高学年合宿でお泊りのお出かけだ。ヒデフミも夕方から塾へ。息子たちが居ないと寂しいねと、ボクと妻は語り合い、とりあえず酔っ払うことにしたのだった。

2005.6.7
 せっかくの日曜日だけどヒデフミはなんとか模試があるからと朝から出かけるのだ。地下鉄の駅までボクをアッシー君にするのはまあいいけどね。なのでいい天気なのにお出かけはできないのだった。午前中は茂りまくっているオカメツタをカットしたりしてつぶれる。あ、手にできたマメもつぶれたっけ。ヒデフミはお昼を食べて帰ると言っていたのでボク・妻・アツフミの三人で外食しようと思ったのだがぐずぐずしているうちに2時近くになって、なんとヒデフミが帰ってきてしまったのだ。でも鍵を持って行ってなかったそうで、ちょっと早く支度ができてたらヒデフミはカナシイことになるところだったのだった。せっかく揃ったので名古屋港イタリア村に行くことにする。けっこう道も混んでて駐車場もいっぱいで村内も人であふれていたが、レストランに3時滑り込みセーフで入ることができた。ランチコースは3時までなのだ。フンパツして肉料理コースを頼んだのだがヒデフミはさっきマックを食べたばかりだからとドリンクだけにする。大好きなビーフステーキなのにー。代わりにスパゲティを注文したはずのアツフミがパクパク食べていたけど。ところが、あとベネチアングラス美術館見学をした後、小腹が空いたのかピザを買って食べているヒデフミ。焼きたてのならともかくフードコートの固くなってるよーなピザを食べているのはとても可哀想だったのだった。本人はけっこうウマイって言ってたけど。ちなみにアツフミもフライドポテトのふにょふにょのを買って食べてたし。

2005.6.4
 6月になるとクワガタが成虫になると図鑑でチェックしたアツフミ。にわかにまたまた昆虫ブームになってしまっている。冬を越したアンタエウスオオクワガタ3匹はまだ元気だが、新しいのを欲しいとエルエルへ。自分のお小遣いでセアカフタマタクワガタを買う。こいつがでかくて強いのだ。背中が茶色いしアゴが大きくて長いのでかっこいい。アツフミはいい買い物ができたと大喜びなのだった。さっそく戦わせて遊んでいる。アンタ達が束になってもセアカはものともせず持ち上げたり投げ飛ばしたりしてすごい戦いを見せてくれたのだった。

 またまた飼っているカメが卵を産んだ。ちょうど1年前にもこのバカ親日記でとりあげてるよね。先回は水槽を洗っていて気付いて、既に割れていたので捨てたのだが、今回のは今のところ無傷。アツフミはカメが踏んで割ってしまわないようそっと別の場所へ移動させる。さてこの卵どうなるのだろう。

2005.5.28
 先日、学童の新入生家族歓迎のBBQのときのこと、アツフミに2回ほろりとさせられたのだった。まずは自己紹介のとき、マイクを向けたらちゃんと自分でしゃべれたこと。これまではくねくねして照れっぱなしで声を出せなかったからね。成長してるのだ。もう一つはお父さん思いだってことで、この日はスペシャルイベントで長老(父母の一人)が釣ってきた大きなハマチ2尾と鯛を梅さん(父母の一人)が豪快にすばやくおろして刺身にしてくれたのだが、アツフミはボクが刺身を好きなのを知っているので行列ができてるところに並んで刺身を取ってきてくれたのだった。醤油はないかなと言うと醤油も確保してくれて、お代わりも持ってきてくれて嬉しかったなあ。アツフミは自宅でも刺身のツマについている菊の花をお母さんにあげるのだが、喜んでもらえるのが好きというのはとてもいいことなのだった。

2005.5.27
 アツフミがすごく自然に英語を使っていたので驚いたのだった。時間割を合わせながら「コク オン リー」と歌うようにアツフミが唱えていたので「今日は国語と音楽と理科なんだね」とボクが言ったら「違うよ国語だけ」とアツフミ。「なるほどオンリーはonlyで英語だったのか」とボクが感心したら、アツフミは「やっぱ国語と音楽と理科だった」と言って2階に教科書を取りに行ったのだった。

2005.5.25
 昨日はすごく久しぶりにアツフミの発熱により仕事を休んでしまったのだった。去年はヒデフミもアツフミも皆勤賞で全くそういう休みを取らずにすんだのだがそういえば以前はけっこうあったよなあ。何日も続くときには妻と毎日どちらが休むか相談したし、妻の実家のお母さんに頼んだことも。成長につれて丈夫になってくれて何よりなのだが、有給休暇の消化率がすごく下がってしまっているのは労働者としていかがなものかなんてね。今年の4月から妻が通勤時間のかかるところに転勤になったので今回のように急に発熱なんてときにはボクが休むしかないのだ。妻はとっくに出勤しちゃってるからね。さて、その発熱だが、土日の疲れと、月曜日に雨で濡れたのとで出てしまったようで一日寝ていたら良くなったようだ。昼に作ったチャーハンが我ながらスゴク美味しくてアツフミはぺろりと食べてくれたし、夜も焼きうどんをぺろり。食欲があるのは何よりなのだった。ボクはおかげで家の中の雑用をずいぶんできたのでそれもよしか。そうそう、アツフミは退屈しのぎに昔からのアルバムを見ていて、これはとても面白かったようで、ボクも覗き込んで大笑いしたりもできたのだった。

2005.5.24
 土曜日はアツフミの小学校の運動会だった。普通は秋の大運動会ってイメージだけど去年から5月に変わったのだ。天気がやたらよくって、暑いし日差しが強い。ヒデフミも小学生だった頃はずっと定位置に椅子やシートを持ち込んで観戦(?)していたのだが、一人になると出番に空きがでるので、家が近いのをいいことにいったん家に帰るという作戦をとる。こうするとお弁当は朝早くから作らなくても、ごはんを炊いておいて、タタロチカを踊ったらおかずを作りに帰って、大玉送りと台風の目を観たらオニギリを作りに帰ってという風にできるのだった。完成したお弁当は昼に持ち込みなので痛む心配もないし。さて、昼食後もまた帰宅したりしたけどメインの全力走にはヒデフミもかけつける。ゴール間近で観戦したが今年はアツフミは苦戦したね。アツフミは小柄なのでいつも最初くらいの組で走るのだが、小柄同士の組だといつも一番だったのだ。ところがなぜか今回は事前に計ったタイムで組を分けたらしく、なんと、クラスで一番大柄な子も一緒の組だったのだ。負けてしまったけど、アツフミは以外にサバサバしていて、成長したものだと喜んだのだった。

 よくセールスの電話がかかってくるが、ボクが出たときは辛口に撃退することにしている。それを聴いてるヒデフミはセールスの電話はボクに取り次いではいけないと思っていて、「お母さんはいますか」という主に家庭教師とか学習教材の電話には、ボクは「父親ではいけませんか」と出るつもりなのに、ヒデフミは替わってくれないのだった。

2005.5.19
 ヒデフミが3日間家に居なかった。稲武の名古屋市野外教育センターに行っていたのだ。この、名古屋市の中学生はもう何十年も前からみんな行っているという一大イベント。ヒデフミもすごく楽しみにしてて、出発当日朝は5時過ぎに起きてしまったほどなのだった。残されたアツフミはやっぱり寂しいのだろう。なるべく仕事を切り上げて早く帰るようにはしたのだけどね。いよいよ今日の夕方ヒデフミが帰ってくるという朝、アツフミは登校前に急いでヒデフミが留守中に買ったマンガを隠していた。イタズラ心なのだ。ボクはどこに隠したかをアツフミの登校後にチェックしておき、夕方ヒデフミが帰宅したころを見計らって電話してやる。もし見つからなかったらヒデフミが怒っちゃうかもと思ったのだが、電話したときにはもうヒデフミは探して見つけていた。きっとアツフミが隠したのだとちゃーんとわかってるのが面白い。アツフミも見つけられても悔しいということはなく、お兄ちゃんは苦労して見つけたようだと喜んでいたのだった。

 先日、TV番組で夫の浮気チェックを携帯電話でやるというようなことをやっていたらしく、それを見た妻子はボクの携帯を弄り回してアドレス帳に女性の名前がないかとか、発信記録や着信記録に女性の名前がないかとか、怪しい文面のメールはないかとかをチェックしていたのだった。もちろんボクにやましいところはないので好きにさせておいたのだが、その過程で誤って何箇所かに電話が発信されてしまったようで、ご迷惑をかけた方にはお詫びするしかないのだ。まったく。

2005.5.15
 珍しくアランプーサンのアコースティックでナイトでボクの歌を息子たちが聴いてくれたのだった。最近ライブ関係は付き合いが悪く、プーサンに付いて来ることがあっても、それは食事をしにいくためなのだ。今回は出演順が2番手と早かったのでまだ息子たちは残ってたし、選曲が久々の子育てソング『次男』と『長男』だったから自分たちネタが歌われてるーと聴いていたようなのだった。アツフミが「オラをネタにしたな〜」と言うのも成長が感じられて嬉しい。というのも少し前だと、自分が笑いものにされたと怒ってしまうことがあったからね。ビールのつまみには息子たちの残したのを当てにしていたのだが、ヒデフミはイタリアンスパとプーサンピザの両方を食べてしまい、アツフミはからうまスクランブルスパをほとんど食べてしまったのでボクはダイエットすることができたのだった。

 土曜日の昼、外食した後すぐ向かいにバッティングセンターがあるので行ってみる。ボクは時々(といっても年に1・2回)やってるけど、なんと息子たちはバッティングセンター初(はつ)体験なのだ。ヒデフミは中2なのに今まで一度もやってなかったとはちょっとスマンって思ったのだった。ボクは104km/hをやったが不調。いろいろ言い訳はあるのだけどね。さて、バッティングセンターデビューは80km/hのボールで。ヒデフミは数回イイ当たりをしたが空振りが多い。もっとも、ヒデフミは片目は近視でもう一方が遠視になっちゃってて、このときはメガネを掛けていなかったから仕方がないのだ。心配だったのはアツフミで、まったくバットに当たらなかったら怒っちゃうかすねちゃうかするのではないかと思っていたのだが、けっこうミートした打球があって、空振りも多いのだが、当たったときは嬉しそうだったので安心したのだった。またときどき連れて行こうと思ったのだった。

2005.5.13
 最近、朝食をしっかり食べるようになったヒデフミが、ついに「今朝は何を食べる?」という質問に「カレー」と答える日が来たのだ。「朝のカレーライス」の仲間ができて嬉しいのだ。そういえば「朝食にはラーメン」はずいぶん前から息子たちも大好物だし、アツフミも仲間なので、この、朝に「カレー」と「ラーメン」の間にはけっこう大きな違いがあるのだと思ったのだった。

2005.5.5
 子供の日だ。GWは頑張ってあちこちお出かけしたので最終日は家でのんびりしたいとの希望に応えてやるのだ。いい天気なのでウズウズするのだけどね。そうそう、万博で撮った写真を一枚くらい載せておこう。外国館(どこだったっけ)で仮面をかぶる息子たちを後追いUP。

 5月1日はジブリ美術館へ行く。前から行きたかったのだけど、ローソンでチケットを取ろうとしたらまったくダメで諦めてて、転売目的のヤツとか業者が大量にゲットしてるのだろうと腹を立ててたんだよね。そのボクがやっちゃいました。旅行会社の企画「ジブリ美術館日帰りバスツアー」ってのに申し込んじゃったのだ。いやあGW中でも行けるもんだ。ただし、超強行スケジュール。6時に起きて名古屋駅に7時集合で片道6時間かけて中央道で東京へ。車窓からは新緑や山桜などを楽しめはするけど息子たちは退屈だったわね。映画「ハリーポッター(1作目)」のビデオを観て午後1時半過ぎにやっと到着。昼食は弁当を車中にて。そういえば吉祥寺の駅前は大渋滞で何かと思ったらメーデーのデモ行列だった。息子たちに「憲法9条は守らなきゃね」と話しかけるがそりゃ唐突ってもんだ。さて、目的地のジブリ美術館での滞在時間は2時間。屋上のロボット兵や屋内の展示物はまあ楽しめたけどね。風の谷のビールってのも楽しめたが、おっとここはバカ親のほうだった。アツフミにはネコバスで遊べよと言ったのだが、もうヒデフミは中学生になってて入れないので一人で遊ぶのはイヤなのか入らずじまい。そんなら2時間ありゃ十分なのだった。帰りもやはり6時間。「ルパン3世カリオストロの城」と「ファインディング・ニモ」のビデオを観ながら。1日に3本の映画を観るのもめったにないことだ。どれも初めてじゃないし(カリ城はたぶん20回以上)。高速道路の渋滞がなかったのは救いだったのだった。

 3日は「そろりんキャンプ」に息子たちを付き合わせる。ここ何回か中止だったので久しぶりだったし、メンバーが学生時代からの友人ばかりだったのでのんびりキャンプになった。参加者はUHYOさんと奥さんとお子様たち、のぶくん、こいけくん、そしてボクと息子たち。昼をココイチで食べてから買出ししてキャンプ場へ。夜もカレーの予定なのにまたココイチってのが相変わらずなのだ。入鹿池でブルーギルでも釣ってと思っていたのだが、まだ水温が低くて釣れないそうで、楽しみにしていたアツフミはがっかり。グジグジしなかったのは成長の証か。キャンプ場へはUHYOさんが会社のBBQで先入りしていてあとのメンバーはテキトーに集合だったのだが、なんとキャンプ場手前の狭い道ですれ違い渋滞になったときにボクとこいけとのぶくんの3台が偶然一緒になり大笑い。さて、オートキャンプサイトでまずは設営。この人数ならタープ一つでOK。息子たちにはホントは手伝わせたいのだが勝手に遊びにいったりするので特技の一人設営となる。まだ川で泳ぐわけにはいかないし(翌日飛び込んでる人はいたが)、虫もいないので息子たちはどうするかと思ったがアリをいじめたりして楽しんでいたようだった。夜の子供メニューのカレーは学童でカレーテストにも合格している息子たちに作らせようと思ったのだがあまり役には立たなかったね。ま、炭火おこしはヒデフミがやってくれたし、肉を焼くのはアツフミもやってくれたので助かったけどね。我が家から壊れたタンスをばらしたのを持ち込んでいたので焚き火は豪快に。それにしても思った以上の冷え込みで震えながらだが、たくさん飲み語り合ったキャンプになったのだった。翌日はアツフミが寝坊して朝食にありつけなかったりも。撤収はヒデフミには手伝ってもらったのだがアツフミはダメだったね。というわけで今年最初のキャンプは終了だったのだった。

2005.5.1
 アツフミは成長著しくこれまで手を出さなかったプラモデルも作れるようになったのだ。マーチのラジコンが1500円とお値打ちで、買ってみたらこれがプラモで、シャーシにモーターをはめたりけっこう細かい部品がいっぱいだったのだ。どうりで安いわけだと納得しボクかヒデフミが作ろうとしたのだがアツフミが自分で作ると言い出した。そして見事に完成させたのだった。ちゃんと前後左右に無線操作で走っている。アツフミは大喜びだったのだった。で、ただ作って走らせるだけでないところがアツフミらしいところで、マンガを片付けさせようとしたらラジコンカーの上にマンガを載せて運搬してるので大笑いしたのだった。

 アツフミらしいといえば、電流の回路を学ぶ学習教材にも夢中になっていて、電気でファンを回して、軽い玉が空中に浮くのだが、本来は回路をいろいろ組みかえることによって電流の強さが変わって、玉の上がる高さが変わるというような実験をするのだろうけど、アツフミが興味を示したのは、その玉にいろいろな角度や本数で爪楊枝を指して、浮き上がり方が変わることなのだった。実際、玉がくるくる回ったりフラフラ揺れたりするので見ていて面白く、感心してしまったのだった。

 子供の日も近いので鯉のぼりを出した。マンションのベランダ用の小さいヤツだが息子たちも鯉のぼりがないと寂しいらしい。とはいっても年々興味はなくなってるようで、出すだけ出して後は目もくれないのでがっかりなのだった。

 家族で2回目の愛知万博へ行った。ヒデフミは中学校からも行ってるので3回目か。中学校で行ったときは3時間しかなくて、しかもヒデフミのグループは回り方が下手だったようでほとんど何も見ずに終わったらしいのだった。今回は昼に家を出る。これは大成功。駐車場からのシャトルバスは空いてるどころか我が家族で貸切になったのだった。今回は中南米から北米の外国館を回った後、けっこう並んだけど長久手日本館と大地の塔を見る。アツフミがしっかり歩いてくれたので楽だった。といってもヒデフミとちょっかいの掛け合いで他の人の迷惑になるので何度も叱ってやったのだけどね。そういえばいつからかアツフミを肩車したりおんぶしたりしなくてもすむようになってるよなあ。以前は自分で歩きたがらないので大変だった。もっと遡ればベビーカーに乗せてたりミルクやオムツの用意をしなきゃならなかった頃もあったし。いやはやホントに楽になったと実感。忘れてしまった感覚なのだけどね。

2005.4.22
 久しぶりにヒデフミと腕相撲をした。まだまだ負ける気はしない。身長では今年度中に抜かれるかもしれないけどパワーではずっと挑戦を跳ね返していくつもりなのだった。

 ヒデフミの朝食にご飯と味噌汁が続いている。今朝はシュークリームや大福があったのでそれにするかと提案したのだが、いや、やっぱご飯と味噌汁との注文で、急遽インスタント味噌汁を作ったのだった。

2005.4.20
 我が家の朝食はいいかげんで、ボクはラーメン食べたりカレーライス食べたりしてるけど、息子たちは主に菓子パンとかヨーグルトとかたまに卵ご飯とかなのだが、ヒデフミがとうとう「まともな朝食」宣言をしたのだ。菓子パンとかだと中学校のスクールランチまでにお腹が空いてしまってグーグー鳴ったりもして恥ずかしいのだそうだ。ボクは「その言葉を待っていたぜ」とヒデフミと握手を交わし、早速翌朝は改善メニュー「ご飯と納豆、味噌汁(豆腐とワカメ)」を作る。ボクも同じメニューにするので肉体再生的にも良いよね。今朝はシャケも焼こう。そうそう、やっと新学期再開したスクールランチだが、あいかわらずよろしくないそうだ。

 日曜日、ついに愛知万博に行ってきた。すごい人だと思ったけどあれでも8万4千人ほどで平均期待入場者数程度だそうだ。人気パビリオンは整理券をもらうためにならぶことさえやる気にならないくらい混んでいる。もっとも、外国館はそれほど待たなくても入れて、しかもビールやワインも飲めていうことなし。全期間入場券を買ったのでまた来ればいいやと思えば腹もたたないし。

2005.4.16
 いつのまにか春休みは終わり、ヒデフミは中学2年生、アツフミは小学4年生になっている。以前にも増してバカ親日記ネタに対するチェックが厳しくなって日記からも遠ざかってしまっているのだ。いつまで続くのか自分でもわからないのだけど。

 春休みと、新学期が始まって給食が始まるまでの間、アツフミにお弁当を作ってやっていた。昼は学童で食べるのだ。ボクが食べる弁当ならテキトーに作ってもいいのだけど、アツフミのはそれなりに気を使っているのだ。だから普段のとアツフミのとではいくつかの違いがある。まず、必ず卵焼きを入れる。手間がかかるので普通は作らないのだけどなぜかアツフミの弁当には欠かせない一品なのだ。そしておかず同士の仕切りにはレタスなどを使わず紙カップできちんと分ける。弁当箱を揺らしたりすると食べるときにおかずが混ざってたりすることがあってそれがイヤなのだそうだ。わがままなのだが、最近は全部きれいに食べてくれるので作り甲斐はあるのだった。

 同じ時期、ヒデフミは家で一人で昼食を食べていた。ラーメンを作ったりはできるし、おかずを残しておけばレンジで温めて食べていたようだ。ヒデフミはあまりこだわらないので楽なのだった。それにしても食べる量は増えた。夜寝る前にお腹がすいたといって冷凍のライスバーガーをぺろりと食べたりも。身長もそろそろ追い抜かれる日までのカウントダウンが始まったというところなのだった。

2005.3.30
 以前、回転寿司に行ったときのこと、アツフミがコーン(軍艦巻き)を「一口で食べます」と言うので注目してたら、右手に持ってた軍艦ではなく左手に持ってたコーン一粒をぱくっと食べたのだった。いたずら好きなのだ。微笑ましいけどね。海老天を頼んだら海老はアツフミが食べ、シャリはヒデフミが食べていた。あ、ちなみに海老の尻尾はボクが食べたのだった。

 ヒデフミが13歳になった。奮発して飛騨牛のステーキを焼いてやった。デコレーションケーキも食べたが、プレゼントは前倒しで買ったゲームだったのか国語辞典だったのかウヤムヤになっているのだった。

2005.3.23
 先日、ボクが残業から帰宅後すぐアランプーサンのアコデナイトに行った日、妻子の姿がなかったのは3人で焼肉屋に行っていたからなのだ。アツフミがどうしても焼肉が食べたいと言ったらしい。小食のアツフミが、と思うと嬉しくなるよね。あいかわらずムラはあるけど着実に成長してきているのだった。そうそう、アツフミは食べたいものがあるときはとてもわがままなのだ。休日昼の外食でもなかなか自分の意見を譲らないし。もっとも最近はココイチのカレーがお気に入りでボクも望むところなので困ってはいないのだった。

 それにしてもグランドマザーカレーのスプーンは当たらない。初めて食べたときにイキナリ当たったので当たりやすいのかと思ったらその後は全くだもんなあ。アツフミはハーフカレーなので別だが、妻とヒデフミには協力してもらっていつも3枚のカードをゲットしてるのにいつも全滅なのだ。まあ、ハズレでも楽しめるように、ボクはいきなり削ったりせず、食べながら息子に「まだハズレだな」「おっ、だんだん当たりになってきたような気がする」「今だあ」「あ、お父さんのは惜しいなあ」などとくだらないことを言ってるのだった。もちろん息子たちはツッコみまくり。あータイムリミット(3月末)近し。

2005.3.16
 ヒデフミが3色ボールペンはないかと聞いてきた。ボクもよく使うのだが、肝心なときに見つからず、探すことも多いのだ。ウチにはたぶん5〜6本はあるはずなのにね。結局今回も見つからず、どうしようかと思っていたら、なんだあるじゃない。浜名湖パルパルでお土産に買った10色ボールペンが。ヒデフミが試してみたらうまく書けないとクレームをつけてきたけど、ボクが試し書きをしたらちゃんと書けるようになったのだ。感謝せよ。ということで、10色ボールペンを持っていくヒデフミはきっとクラスの人気者になるはずなのだった。

2005.3.13
 ヒデフミが土曜の夜に塾に行っているので、以前ほど家族旅行に行かなくなっているのだ。だけど、たまには塾を休ませることもある。おばあちゃんの還暦祝いとなると優先度は塾より上だよね。ボクは宿の手配とか運転手とかで大変だけど、温泉に入れるし、上げ膳据え膳だし、皆さんに喜ばれるので、こういう旅行は好きなのだ。ヒデフミはさすがに成長しただけあって宴会料理は大人と同じものを全部食べる。カニには少してこずってたかな。アツフミは子供用のメニューなのだが、大人料理にしかついていないカニを自分の前に置きたがる。もっとも、カニは遊ぶだけ遊んで後始末はボクの役目だ。カラオケをやったが、ヒデフミはもう完璧に声変わりしていてアツフミと一緒に歌うとまるで違ってて面白い。あいかわらず温泉ではタオルを持たないアツフミとタオルでしっかり隠すヒデフミとの違いも、成長を感じられて面白いのだった。

2005.3.7
 前にも書いたけど、息子たちの成長につれて、面白いと思ってもココに書いてはいけないネタばかりなのだ。例えば、あくまでも例えばだけど、ヒデフミがアツフミが楽しみにしていたポテトチップスを一人で全部食べちゃって、証拠隠滅を図るために空の袋を本来資源ごみの箱に入れなきゃならないのを不燃ごみの中に隠して、それがボクにばれたとかいうことがあったとする、面白い話だけど面白くはないよね。

 そうそう、アトラスはやっぱり死んでしまったのだった。死んですぐは体が柔らかいのであちこち動かして観察する。造形は見事と言うしかない。羽を広げてみたらこれまた見事。中の薄い羽はぴっちり折りたたまれていて広げると透き通っていて。たぶん生きてる間には一度も広げたことのない羽だったのだろう。合掌。

2005.2.23
 夏にアツフミが熱中していてけっこうな数になっていたカブト・クワガタ達だが、生き残っていたのはクワガタ2匹。冬になってからはほとんどアツフミはクワガタの世話はしていなかったので、ボクがエサのゼリーを取り替えたりしていたのだが、たまたま気が向いたアツフミが久しぶりに飼育ケースを開けたところ、なんと1匹が見当たらないのだ。ボクが蓋をしっかり閉めなかったせいで逃げ出したと思われるが、いつ逃げたかもわからず、付近を捜索したが見つからなかったので絶望視していたのだった。
 となると、1匹しかいないということになって、戦わせて遊ぶことができないからなのだろう、アツフミはどうしてもまた買うのだと自分の財布をしっかり持ってお店に連れて行ってくれとボクに頼むのだった。冬でもちゃんと成虫を売っている店があるところがすごいよね。クワガタを1匹と、なぜか熱帯魚も4尾、自分のお小遣いで買ってご機嫌のアツフミ。早速、帰宅してから戦わせて遊んでいたのだった。
 それで満足しないのがまたアツフミらしいのだが、クワガタを買ったときにアトラスオオカブトも売っているのに気付いていて、そいつも欲しくなっていたのだった。クワガタは生命力が強く、冬も越せるのだが、普通カブトムシは夏が終われば死んでしまうはず。実際、お店で買うときに店員さんに聞いたら「よく生きてますよね」「来年新しいのが入ってから買ったほうがいいですよ」と言われたのだが、アツフミのお小遣いだから好きにさせたのだった。そして三つ巴で戦わせて、またご機嫌のアツフミなのだった。

 中部国際空港・セントレアが開港して連日大賑わいだとニュースでやってて、あんな混雑したところには行きたくないと思っていたのだが、日曜の午後、昼食を食べたあと天気がいいのでお出かけをしたくなって、ふと、意外と今日は空いているのではと思い車で行ってみたのだった。知多半島道路・知多半島横断道路を経由してウチからだと40分くらい。渋滞もなく料金所ではETCアタックをかけてスイスイ通過し、空港島へ。駐車場には列が出来ていたが臨時駐車場へ回ってみるとほとんど待たずに入れて、シャトルバスでターミナルビルまで。やっぱ新しいのはいいよなと見学して回る。さすがに人気のスカイタウンへのエレベーター手前ではつづら折の行列に並ぶことになったが、ほとんど立ち止まらず歩き続けての入場でいい運動になったのだった。息子たちが楽しんでいたかどうかは?だが、ショッピングの好きな妻は大喜びで、油断するとすぐ姿が見えなくなってしまう。アツフミが何度か妻を捜索してくれて、終いには妻を後ろからチェックしてくれたりもしたのだった。「お母さんあの店に入って行ったよ」「・・・ありがとう」 展望デッキは風が強く寒かったせいもあるが、息子たちは飛行機が離陸する瞬間などには余り関心を示さないので少しがっかりだったのだった。おみやげに天むすを10個買う。アツフミがすごく気に入って4個食べる。少食のはずだけどすごいよね。ちなみにヒデフミは3個、妻は2個で、ボクは1個しか食べられなかったのだった。

 先に書いたクワガタが逃げ出した話。なんと1週間たってから発見されたのだった。台所の冷蔵庫の近くで埃まみれなのをボクが見つける。なぜかすごく元気で、早速戦いの輪に入れられてたが、どいつよりも強かったのだった。いなくなった動物が発見されたといえば、以前、たぶんネコにさらわれたクサガメを、やはり1週間くらいたってから、家の近くの側溝で見つけたことを思い出したのだった。

2005.2.17
 息子二人はさすがに保育園の頃からコマ回しを始めてるし、学童で鍛えてるだけあってすごく上手なのだ。あまり家ではやらないのでわからなかったのだが先日その業を見せてくれた。積み木の箱を狙って入れるのも難しいと思うけどほとんど失敗しないし、二人のコマが激しくぶつかり合っても長時間回り続けている。ひもを使って手のひらに載せるのもできてるし、ヒデフミには他の人はできないという「うなぎ」という手の甲に乗せるワザもあるそうで、見せてくれたけど、難しいというより痛いので誰もやらないのだときいて笑ってしまったのだった。一時期ベイブレードというシューターを使ってまわすコマがはやったけど、ひもでまわすコマのほうがやっぱ奥が深いよなと思ったのだった。ちなみにボクもまわせるのだが、これはなんとか回ってるってだけで息子とのレベルの違いは明らかなのだった。

 毎朝7時半ごろTVで星座占いをやってて、息子たちはチェックしてるのだった。ヒデフミはおひつじ座、アツフミはしし座で、自分のが何位に入るか気になる様子。ある日、ヒデフミのおひつじ座は一位か二位だったのだが、ラッキーアイテムが「ワイン」だったので「飲めないからだめじゃん」と手放しでは喜べないみたいだったね。

 最近アツフミは夕食時のご飯を必ずオニギリにして食べている。お茶碗一杯分を1個の大きなオニギリに自分で作るのだ。具なしの塩オニギリでカタチは上手に三角形。焼き海苔をまいて完成。本当はお茶碗を左手に持って、おかず、ごはん、おかず、ごはんと交互に食べるようにさせたいのだが、小食で食べるのが遅いアツフミが喜んで食べてると思うと当分は続くなこりゃ。

2005.2.10
 アツフミはココアが好きで自分で作って飲んでいる。ちょうどココアがなくなってボクに買ってきて欲しいと言うので「忘れちゃうといけないからメモして渡して」と言ったら、ご機嫌で買い物メモを作り始めた。妻に「他にも欲しいものがあったら書きなさい」と言われ、@ココアAポテトチップス(うす塩)と書いたアツフミ。さらにお父さんがいつも買ってるものも書いておこうと思ったのかBさしみCビールDとうふ、ときて、あとは思いつくままにEパイナップルFにせものヤクルト、ヒデフミのためにGバナナ、そしてHファンタ(グレープ味)Iアロエヨーグルトと書いて買い物メモは完成したのだった。仕事帰りにいつものダ○エーに寄ってメモを見ながら買い物をする。なんだか嬉しくて一人ニコニコしながらレジへ向かう怪しいオヤジなのだった。

2005.2.9
 ボクに似たのか息子たちはマンガを読むのが大好き。ま、読むなとは言わないのだが、最近目に余ってきたのが、その辺にマンガが放置されていること、勉強中でもさっとマンガに手が伸びること、表紙が取れたりなくなったり破れたりしているのがあること、などなど、もう我慢ができないのでボクが管理することにしたのだ。
 階段上の2階の廊下(ボクのギターなども置いているユーティリティースペース)の飾り棚をマンガの書庫とし、キレイに並べてみる。すると、ダブって買っているのもあったり、いつのまにこんなに揃えたのだというのもあったり、なんで1冊だけ抜けてるんだというのもあって、もっと早くから管理しておけばよかったと思ったのだった。
 で、これを「マンガ図書館『お父さん』」と命名。利用ルールを以下に定める。
1.お父さんが認めないときは持ち出せない(その都度許可を得る必要はない)
2.持ち出しは1回3冊まで
3.ベッドへの持込は1冊だけ
4.読んだらすぐ元の場所へ返すこと
5.違反したらお許しが出るまで利用禁止
6.自分のお小遣いで買ったマンガも図書館の蔵書とする
7.週刊誌・月刊誌は2冊まで保管し、3冊目を買ったら古いのを破棄する
 さっそく昨夜帰宅したらソファーに放置されたマンガ1冊を発見。ヒデフミが塾にいく前に読んでいたそうで、こりゃ利用禁止だなと話してたら、アツフミが「お兄ちゃんが読めなくなると可哀想」と言って、代わりに片付けてくれたのだった。これには感動して思い切りアツフミを褒めてやったのだった。
 実は、これとは別にボクが書斎に並べてあるマンガもたくさんあるが、それは基本的には子供には読ませてないのだ。表紙が破れたりしたらとんでもないからね。ただし、今回この中から開放してマンガ図書館に移動したのが手塚治虫の「ブッダ」と「アドルフに告ぐ」だ。そろそろヒデフミにも読んで欲しいし面白さがわかるかと思って。そうそう、このマンガ図書館は「エースを狙え」や「キャンディキャンディ」や「はいからさんが通る」のように貸本の営業もやってるのだった。

2005.2.6
 先週、学童の交流会でボーリングをして楽しかったらしくまたやりたいアツフミなのだ。ボクは手が痛くなるので息子たちだけやらせて親は見てることにする。今回はなんと二人とも自己最高を更新で大喜び。ヒデフミは125点、アツフミが111点。ガーター無しレーンとはいえ見事なものだ。2ゲームで満足してきっちりやめるところもえらいのだった。

2005.2.5
 節分には豆まきをしなくちゃ、なのだが、ついついやりそびれちゃうのだ。学童の豆まきも雪のせいで延期になったらしいし、ま、少々日にちがずれてもOKだということで今日(ついさっき)やっておいた。以前は家の中にも「福は内〜」と言いながらまいてたものだが、これやるとけっこう掃除が大変なので、ウッドデッキから庭にまくだけにする。ちょうど野良猫の家族が来てくつろいでいたのを追い出すカタチになってしまった。さらに「鬼は外〜」と豆をまくとどうしても猫をいじめてるように見えるよね。もう来なくなるかもしれないと思いながらもついつい猫を狙ってしまうのだった。すこしずつまくアツフミに対してヒデフミは大量にまいてスグおしまい。こんなところにも性格が出るのが面白いね。

2005.1.26
 風呂上りに、腕立て伏せと腹筋をするくらいのことは続けているのだ。で、一人でやるより息子と一緒のほうが楽しい。割と息子たちもノリよくやってくれる。まずは腕立て伏せを50回。けっこうハイペースでボクが数をコールしながらやる。途中から腕が曲がってなくて腰だけを上下させているのはご愛嬌。そして腹筋は20回。笑ってしまうとパワーの出ないヒデフミなのだった。アツフミは身体を左右に振りながら腹筋する余裕。トレーニングついでにボクが中学の頃に買ったエキスパンダーにも挑戦。バネが4本だととても伸ばせない息子たち。アツフミはバネを2本にすればなんとかクリヤ。そのうちに3本、4本とできるようになっていくのだ。楽しみ〜。このネタ「肉体再生日記」でもいけるね。

2005.1.23
 気付くとバカ親日記ももう6年目。ずいぶん息子たちも成長してきたのだ。それは嬉しいことでもあり、寂しいことでもある。スタートした頃にはPS2やGCはなかったし、休みの日にはずいぶん出かけてて、それも公園で走り回って遊ぶってのがけっこう多かったんだよなあ。ヒデフミが土曜の夜に塾に行くので泊まりの家族旅行にも最近行ってないのでそれも寂しいし、SKIにも今シーズンは一度も行けないような気がする。ゲームとマンガと勉強で休日を過ごす息子たち。ボクもダラダラしてしまう。でも、昨日ボクが天気がいいからどこか行きたいねって言ったら、珍しくアツフミがキャッチボールをしようと言ってくれて、近くの川公園で二人ですることになった。久しぶりだ。アツフミは少しずつ上達していて、前のようにうまくいかなかったら怒ってしまうということもなく、二人でたくさんしゃべりながらボールと思いを投げて受け止めたのだった。やっぱ父と子はこうでなくちゃね。そうそう、今回アツフミが使ってたグローブはヒデフミ用に買ったもの。着実にサイズアップしている。バットもヒデフミ用だったし。そういえば年末にヒデフミ用のグローブは新しく買ったのだがまだ出番がないのだった。

2005.1.8
 また新しい年の始まりなのだ。けっこう長かったんじゃないかなと思えた冬休みも終わり、昨日は始業式、でもまた3連休でラッキーな息子たち。そうそう、時間の感じ方って大人になるほど早くなるのは確かだけど、冬休みは息子のほうが短く感じたってのが面白いね。

 年末年始は恒例の四国への帰省。大晦日に名古屋空港からプロペラ機で松山空港へ飛ぶ。いつの間にか他社でジェット機便が就航してるのを知らなかったのでプロペラ機なのだがこれが揺れること揺れること。なぜか息子たちは平気だったりするのだが。それより家を出る前から降り始めた雪が大変だった。スキー手袋がいるとアツフミが言うので時間がないのに探して結局見つからなくてとかやってるうちに雪は激しくなってきて、ウサギを犬山の妻の実家に預けに行ってる間に道路にも積もり始めてて、無事フライトしたときにはヤレヤレだったのだった。幸い松山空港は雪がなかったが、同じ頃、広島空港や高松空港は一時閉鎖になってたそうだから危機一髪だったのだ。一応用意した手袋は無駄になってしまったのだった。

 大晦日はボクの姉の家に泊めてもらう。従弟と仲良く遊ぶ息子たち。温泉にも行ったがそこでもずっと一緒に楽しんでいた。ただし、ヒデフミは前をタオルで隠す年頃になったのでちょっと引いていたようっだったけど。姉の家には猫が3匹いてそのうちの一番若い「くうちゃん」がアツフミに懐いてくれる。ヒデフミだとするりと逃げてしまうけどアツフミが抱くとずっと居心地よさそうに寝てるし、自分から飛び乗ってきたりもするのだ。ヒデフミは他の猫にも「目を合わせようともしない」と不満を漏らしていた。ところで、今はウサギを飼っているので猫や犬を飼うわけにはいかないのだが、アフターウサの話題は頻繁に出ていて、アツフミは猫派、ヒデフミはどちらかといえば犬、でも散歩は面倒だなって感じだったのだけど、今回のくうちゃんの愛らしさで一気に猫に決定という情勢になったようだ。ただし、ウサに早く死んで欲しいように聞こえるので決してウサの前ではその話はしないようにボクが釘を刺す。すかさず「人間の言葉はわからないから大丈夫」とヒデフミがツッコむ。いやそうかもしれないけど気持ちの問題でね。

 元旦はボクの実家に移動。さっそくすぐ近くの川に遊びに行く子供たち。この川は川幅は広いが雨が降った後以外はほとんど水のない川なのだ。夏には台風で決壊して(?してないかもしれない)実家にも避難勧告が出たというのが信じられないくらい。この日は少し水があったらしく、靴と靴下をぐしょぐしょに濡らして帰ってきた子供たちなのだった。靴の替えなんて持ってきてないのでどこにも出かけられなくなって、お隣に年始に行くにもアツフミはボクにおんぶされたのだった。

 2日の午後には慌しくまた飛行機で名古屋空港に戻り、夜は妻の実家へ。ここでも従妹と仲良く遊ぶ息子たちなのだった。翌3日には入鹿池でワカサギ釣りをする。ワカサギ釣りというと氷に穴を開けてってイメージだけど、ここは凍ってないのでボートで釣るのだ。行ってみたら池にはボートがいっぱい出てて、貸しボートもちょうどオシマイってとこだったのでその賑わいにビックリ。祖父とヒデフミ、ボクとアツフミの組み合わせでボート2艘を出す。夏に同じところでやったブルーギル釣りは、ブルーギルが食いつくところが見えてて、簡単に釣れたのだけど、ワカサギは湖底近くにいるので難しい。仕掛けには針が7本も付いてるし、針は小さいし、餌の赤虫も小さいし、湖底まで仕掛けを下ろすのも上げるのもたくさんリールを巻くのでたいへんだ。しかも魚体が小さいので当たりも小さい。周りを見渡しても釣れてそうな気配がなかったのでどうしようかと思ったが、これが当たりが来始めるとけっこう休めなくなった。アツフミの分もエサ付けするのでボクはもうその係り専任でないといけないくらい続けて釣れる。結局、アツフミ12尾、ボク2尾、祖父4尾、ヒデフミ2尾の計20尾を釣り上げたのだった。アツフミは大喜びだった。夜、天ぷらにして食べる。もちろん美味しい。

 ヒデフミが真面目な顔をして、「どうしてウンチは臭いのか」と聞いてきたので、てっきり理科か何かの宿題だと思ってボクも真面目に「ウンチの臭いが人間にとって嫌な臭いなのは、人間が食べてはいけないものの臭いだからそう感じるようになっているのだ」などと真面目に答えてたら、「なにキタナイ話を嬉しそうにしてるんだよ」とヒデフミ。やられた、そういういたずらですか。

 この冬はけっこう暖かいし、いい天気の日が多いような気がする。冬休みはもっと外で遊んで欲しかったのだけど、ゲームのない実家は別として、どうしてもゲームで遊んでしまう。特に、クリスマスに祖母に買ってもらったのとサンタにもらったのとお年玉で買ったの、かける2人の6個もの新しいゲームソフトがあるからなおさらだ。見てると、マリオテニスの妙にリアルなところとか、スパイダーマンの糸を飛ばしてビルの間を進んでいくところなどはすごいなあと思うのだけどボクはやらないのだ。いややってもできないだろうけど。なぜかすぐに操作完璧になる息子たちはすでに新人類なのだった。