2006年バカ親日記 

(主な登場人物) お父さん(ボク)43歳、長男ヒデフミ14歳、次男アツフミ11歳

2006.12.17
 今年は例年以上にキャンプをたくさんやったなあ。主に「父と子のキャンプ」と名づけてるアツフミと二人のキャンプで、11月のデーキャンプも大変だったので数に入れるとして、年に10回行ったことになるのだ。それぞれのキャンプについてはバカ親日記で書いてるよね。あと書いてないのは最後の10回目のキャンプ。12月の2日に三重県の青川峡キャンプ場に行ってきた。ここは人気があって、夏や秋にも予約しようとしたのだけどいつも満員で行けなくて、さすがに12月なら空いてるってことで初めて訪れたのだった。コテージは満員だけどオートキャンプしてるのはウチの他は2台のみ。それが納得できるほど寒いのは実感できたね。日が短いので到着したらすぐサイト設営しないと真っ暗になってしまう。なのにアツフミは車の中でマンガを読んでいたかと思うと、雨が降り始めたら芝生広場でサッカーを始めたりと相変わらずのマイペース。風が強かったので得意技の一人タープ張りが出来なくてポールを持っててもらったのだけど、それとテントを張るときにも少し支えてもらっただけなのにたくさん手伝ったつもりになっているのがちょっとね。なんとか雨が本降りになる前にタープとテントを張り終えてヤレヤレだ。暗くなりかけたらあとはひたすら焚き火だ。普段は半袖・半ズボンで通しているアツフミもさすがにこのキャンプでは長袖・長ズボンだ。寒さは半端ではなくて夕方にはもうフルに着込む。夕食は味噌煮込みうどんをベースにサトイモなどを入れた鍋で身体を温め、焚き火が落ち着いたところで焼肉も。庭木を切ったのを大量に持ち込んだので焚き火は盛大に遅くまで続ける。夕方降った雨も止んで星空がきれいだった。寝袋にもぐりこんだらそう寒くはない。よく眠れたーといいたいところだが、夜中から朝までずっと雨音がテントに響く。そして朝起きてみたら山は雪をかぶっていた。こりゃ寒くて当たり前だね。朝からまた焚き火を起こし、ようやく雨が上がってからはキャッチボールをしたりしてボチボチ撤収し、今年最後のキャンプを締めたのだった。今回でずっとなじんできたテントは限界と判断し、処分することにする。穴が開いたりシールがめくれたり水が漏れたりするようになってきたからね。もう10年近く使ったから傷んでもしょうがない。そうそう、撤収作業中にアツフミが「鹿だよ!お父さん!」と叫ぶ。見るとキャンプ場横の山の斜面を立派な角を持ったお尻の白いでっかい鹿が走っていくのだ。そのあとを野性っぽい犬が追いかけて行ったりも。写真が撮れなかったのは残念だったけどアツフミは喜んでいたのだった。

 肉体再生日記に伊勢うどんについて書いてるけど、息子がらみのネタを一つ。ヒデフミの三者面談に出るために昼にいったん帰宅した日。アツフミが体調不良で休んでたので3人分の昼食を作らないといけない。時間がないのですばやく出来てアツフミも食べられるものということで伊勢うどんを作ることに。職場を出るときにアツフミに電話して「昼は伊勢うどんを作るから大き目の鍋にお湯を沸かしておくようにヒデフミに伝えてね」と言っておく。帰ってからお湯を沸かしてたのでは時間がかかっちゃうからね。で、帰宅して台所で見たものは土鍋に沸いてるお湯。あちゃあ、いつも伊勢うどんといえば寄せ鍋に入れて食べてるから鍋といえば土鍋になっちゃうのだった。三人前の伊勢うどんを茹でるには土鍋は適当ではないので多少時間はかかったけど別の鍋にて調理完了し、なんとか三者面談には間に合ったのだった。そうそう、このとき息子たちは初めて本来の伊勢うどんの味である、タレを薄めずにかけてかき混ぜて食べるってのを経験。美味しいといって食べてくれてよかったのだった。

 ヒデフミが調理実習のときに使うエプロンを新しく買ってくれと言ってくる。今まで使ってたのは胸のところに「いらっしゃいませ」という字がプリントされているヤツで、小学校時代ならともかく、中学3年の男子が使うには恥ずかしいのだそうだ。それも急に言うものだから、仕事から帰ってきてからまた出かける羽目になる。いつも行ってるスーパーで探すが、なんとエプロン売り場は女性用の下着コーナーの一角なのだ。ちょうど中学生くらいの女の子が母親とブラを選んでるところで、ボクは落ち着かなかったのだけどヒデフミは自分のエプロンを探すのに必死で気にしていなかったらしい。ま、意識されても困るのだけどね。結局その売り場にはヒデフミが気に入ったものはなくて、ボクはまた別の店にハシゴしなくてはいけないのを覚悟したのだけど、幸い同じ店内にあるファンシーショップでなんとか許容範囲のものを見つけたのでヤレヤレだったのだった。

2006.11.24
 ウチの玄関の鍵をアツフミがいたずらして内側から掛けてしまった。面倒だけど鍵をポケットから出して開ければいいのだけどアツフミはセーフティロックもかけてしまう。ところがこれの開け方をアツフミは知らないので大変なことになったのだった。もちろん外からは開けられないからアツフミに「そこを押して引っ張れ」とか指示するのだけどどうにもうまくいかない。しばらくやっててだめだったので妻を呼んでもらったのだが、ここで妻も開け方を知らないことが判明。もう10年も住んでるのになんでやねん。外を通りかかった人から見ると限りなく怪しく見えたと思うけど、すっごく苦労してなんとか開けることが出来てヤレヤレだったのだった。

 アツフミはけっこう好きキライがあって、ラーメンの具としての刻みネギはよけて食べるし、チャーシューすら嫌がったりする。ところが、麻婆豆腐にはニラやひき肉がたくさん入っていても平気で食べるし、ギョーザもニラが入ってても気にせず食べるのだ。おはぎの粒アンは平気なくせに、赤飯を食べさせるとお茶碗にあずきだけ残したりするのも不思議。普通の牛乳は好きだけどカルシウム強化牛乳はマズいと言って飲まないところを見ると、味覚が鈍感なわけではなくてこだわりが強いだけなのだろうと思う。とはいえ、好きキライはいけないことなので引き続き調査・改善を進めなければいけないのだった。

 アツフミは寝る前にきちんと歯磨きはするのだが、歯磨き粉を使わないせいか、終わった後、うがいをしていないことが多いようなのだ。おまけに磨きながら寝てしまうことも多い。布団を干そうとしたらアツフミ枕元から歯ブラシが6本も発見された。磨きながら寝ると洗面所に歯ブラシが戻らないので次々と新しいのを使うということを繰り返したに違いない。というわけで4人家族の我が家の洗面所には歯ブラシが10本以上溢れているのだった。

 9月のアツフミ学習塾事件のとき、夕方残業中にアツフミから電話が何度かかかってきた。相談したいことがあるとのことで、仕事中なので電話は良くないのだけど、顔を合わせて話すより気持ちを伝えやすいようだったのでちょっと長電話になることもあったのだった。しばらくして電話代の請求書が届いてビックリ。ウチはあまり電話をかけないのでいつもは電話代は2ヶ月で数百円で済んでるのだけど、その月はすごく高いのだ。一回の通話で1030円もかかってるのがあって、これがそのアツフミからボクの携帯への通話だったのだ。ということで、相談したいことがあるときはボクが帰宅してからにしてもらうようあらためて頼んだのだった。

 めずらしく家族で栄に行って地下街を歩いていたときのこと。交通量調査を何箇所かでやっていて、例のカウンターで歩行者の数を椅子に座った人が数えていたのだった。で、いつもちょろちょろしているアツフミがさらにちょろちょろしてるので、何をしてるのかと見ていたら、なんと数えられないように、隠れながらカウントする人のところを突破しようとしていたのだった。

 岐阜県旧串原村の温泉に行ってから1週間ほどたったある日、アツフミのズボンのポケットから温泉の下駄箱の鍵が出てきたのだった。333という番号には見覚えがある。アツフミはいつもそういう番号にこだわって下駄箱を選んでいるからね。そこは珍しく100円を入れなくても使える下駄箱で、どうやら帰りにサンダルを出したあと、無意識に施錠して持ってきてしまったらしい。どうやって返そうかと思案して、片道1時間半かかるけどまた温泉に入りに行くことにする。でも原因を作った張本人のアツフミは付き合ってくれなくて、ボク一人で往復3時間プラス入浴1時間の旅をすることになったのだった。温泉の人はまさか名古屋から返しに来たとは思っていないだろうね。

2006.11.14
 学校へ行くときは半袖・半ズボンというのはアツフミの本気のようだ。9日の日記で結果は明日の日記でと書いてて、遅れちゃったけど報告すると、この翌日は体調不良により欠席となってしまったのだった。もともとずっと風邪気味だったからね。まったく無理するからだと言いたいのだが、一日休んで元気を取り戻したアツフミはまた半袖半ズボンで登校したのだった。

 土曜日、アツフミとキャンプに行く約束をしていたのだが、ボクの体調も悪いし天気も悪いのでキャンセルする。アツフミはすごく不満そうにしていたのだがなんとか諦めてくれたようだ。と思ったら日曜日になってデーキャンプ、デーキャンプとうるさい。二人だけで泊まりのキャンプはたくさんしてるけどデーキャンプってのは初めてだ。で、買出しをしてから大高緑地のデーキャンプ場へ。この日は空は青く晴れ渡り気持ちよかったのだが、とにかくすごい北風で寒いこと寒いこと。でもデーキャンプ場には大勢来てたよなあ。隅っこのほうにテーブルを置いて焚き火台をセットし、いざ炭に点火というところでトラブル発生。頼りにしていたガスバーナーが着火しないのだ。圧電点火装置に問題があるらしく、仕方ないのでガスを出したところにチャッカマンで着火でなんとか出来たけど、チャッカマンのガスもほとんど残ってなくてヤレヤレだったのだった。いやはや強風はすさまじく、寒いだけではなく着火財代わりの牛乳パックは飛びそうだし、一番風下に位置していたボクらのとこにはシートやら新聞紙やらビニール袋やらが飛んできて大変。苦労してやっと炭にも火がついたあとも強風に炭がパチパチはねて肉が炭の粉だらけになったりも。二人きりなのでBBQも本格的には出来ないのだがそれでも食べると美味しい。アツフミも牛肉とソーセージとパンはパクパク食べる。風に牛肉が飛ばされて水で洗って焼いたり、タレが飛ばされて後半は味ナシで食べたりとトラブル続きだったけど、楽しかったね。あとキャッチボールをして温泉に寄って帰ったらもう真っ暗。もし土曜日キャンプに行ってても苦労しただろうなあと思ったのだった。

 11月11日は何の日かとヒデフミに聞かれたので「モヤシの日」と答えた(これホント)ら、「違う、ポッキーの日」だと言う。ま、どっちでもいいんだけど、ヒデフミによると11月11日の11時11分にポッキーを食べると何かいいことがあるらしい。朝から何度かそういう話をしていて、いざ、午前11時11分のときはすっかり油断してて過ぎてしまったのだが、夜にやるからいいんだと。23時11分だよなあと思ったけどリビングに置いてある電波時計は12時間表示なので問題はないそうなのだ。で、夜、買いそびれてたポッキーを10時近くになってからコンビニに買いに行ったりしてるけどやる気あるのかってカンジ。いざその時間も、ボクが何気なく時計を見たら11時10分になってて慌てて息子たちに声をかけたのだった。さすがにデジタルの時計で1が10個並ぶのは見てて嬉しいけど、ヒデフミは11分になった瞬間にポッキーをかじってしまう。急いでもう一本を取りに行ってる間に、11秒が過ぎてしまいヒデフミはガックシ。ボクとアツフミはちゃんとその瞬間に食べたんだけど何かいいことはあるんだろうか。ヒデフミは11分以内に11本食べればOKなどと新ルールを提唱し、悪あがきをしていたのだった。

2006.11.9
 うぅ〜今朝はすごく寒いぞ。朝焼けは例えようのない色で感動的だったけど、昨日までずっと過ごしてきた短パンとTシャツではいられないのだ。アツフミは去年、冬でも半袖半ズボンで過ごすってのを実行してしまい、それはあの大雪の12月も乗り越え1月中旬まで続いたのだったが、実は今シーズンもやるつもりらしい。昨日もそこそこ寒かったので朝着替えを用意するときに長袖のほうがいいか聞いたところ、「なにも言わなければ半袖ってこと」といわれてしまったのだが、今朝のこの寒さに彼はどう反応するか楽しみなのだ。結果は明日の日記で!

2006.11.4
 ありゃりゃ、そして11月。3日の祝日には日記をまとめて書こうと思っていたけど、新曲を作っていたら一日終わってしまったのだ。でもお天気のいい休日にどこにも出ないではたまらないのでアツフミとバッティングセンターへ。初めてではないらしいがあんまり行ったことがないのは確か。それでも初めは空振りが多かったけどだんだん芯に当たるようになって運動神経の良さを見せてくれたぞ。続けてキャッチボール。ボクが座ってキャッチャーをやってアツフミが振りかぶって投げたのだが、コントロールがでたらめで、へとへとになってしまったのだった。ささやかなお出かけの締めくくりは温泉。そしてまた一日が終わるのだ。今日は出勤。

2006.10.30
 ありゃりゃ、もう10月も終わり。9月のネタも書けてなかったりするのに。昨日は久しぶりにアツフミとキャッチボールをした。アツフミが嬉しそうにやるのでボクも嬉しい。公園のフェンスオーバーのホームランは初めてだ。帰ってヒデフミに報告する声も弾んでいたのだった。

2006.10.22
 ボクは料理が好きなのでいろいろ作るのだが、やっぱり作ったものを息子たちが美味しいといって食べてくれるのが嬉しいのだ。ヒデフミが塾の日は7時過ぎに家を出る前に夕食を済まさなくてはいけないので作ってやれなくてスマンということが多いのだけど、ある日、間に合いそうだったので帰宅してネクタイを締めたままブタのヒレカツを作り始める。我ながら手際はよい。キャベツの千切りも添えて出したヒレカツを、ヒデフミは美味いといって食べてくれたぞ。近所のトンカツ屋さんにも負けてないだろと言うと、「それはムリ」との答えはその店が本物の名店なので仕方がないけど。ヒデフミを塾に送り出してしばらくしてアツフミが帰ってきてからヒレカツの続きを揚げ始める。アツフミにも揚げたてを食べてもらいたかったからね。アツフミにもパクパク食べてもらってボクは大満足なのだった。そうそう、この日記には妻があまり出てこないけど、ちゃんとこのとき妻もパクパク食べてくれてたっけ。

 料理ついでにもう一品。お休みの日の朝は各自起きてきたら順番に朝食を食べるのだが、ある土曜日、まずボクが一人でちゃんこラーメンを作って食べてしまっていた。妻が起きてきてトーストを食べているのを見たアツフミは美味しそうだと思ったのか自分でトーストを焼いてバターを塗って食べ始める。そこへヒデフミが起きてきてラーメンが食べたいというので、ボクが生ラーメンを使って見た目ラーメン屋のと同じちゃんとしたのを作ってやる。ゆで卵やチャーシューやモヤシなどの具がバッチリのうえ、丼を湯で温めておいたりの気配りも欠かさずに。それがあまりに美味しそうだったのかアツフミもラーメンが食べたいと言い出す。で、同じ生ラーメンを使って作ってやるが、アツフミのは本人の希望により具はない素ラーメンにする。それでも美味しかったのか、トーストを1枚食べた直後にもかかわらず、ラーメン一杯をぺろりと食べてしまったのだった。

2006.10.19
 アツフミの学習塾事件はようやく決着し、平穏な日々が戻ってきたのだった。最近は学校の宿題と時間割はボクが帰宅する前に終わっているので少し成長が見られるし。再チャレンジにも期待しているのだ。と、これだけ書いたのでは何の事やらかもしれないけど詳しく書くとバカ親的ではなくなってしまいそうで。

 キャンプや野外ライブや芋堀り、海釣りとアツフミとの休日お出かけは好天の秋空の下、活発なのだ。週末でも日記が書けてなかったのはそういうこと。ま、ボチボチ書くつもり。あ、あれ書いとこ。去年の冬の間、ボクの寝巻きとして大活躍したサルの着ぐるみをアツフミが欲しがったので譲る。早速着て嬉しそうに家中をごろごろするアツフミ。まだ昼間に着ると暑いはずだがお構いなし。ボクが読書とかギター弾いたりとかしてるとまとわりついてくるのでシッポを引っ張って応戦。もちろんアツフミは大喜びでウキャウキャさらにからんでくるのだった。床を這い回るので掃除の代わりにはなるかも。ボクはまた別の着ぐるみの購入を検討中なのだ。

2006.10.3
 そういえば先日某牛丼チェーンが牛丼復活セールをやったとき、たまたま通りかかって、時間も午後3時を過ぎていてそんなに混んでなかったので家族で牛丼を食べたのだった。アメリカ産牛肉をボクは積極的に食べる気はないのだけど、そこまでこだわる店のその味はどうなの?とも思ったし。ま、ボクの感想は何でアメリカ産でなきゃいけないのかがまだわからないってとこ。息子たちも大喜びで食べたってわけではないね。別の店の方が美味しいってハッキリ言ってたし。アツフミは「今日のお昼何食べたい?」って聞くとたいてい「(ココイチの)カレー」と答えるのだが、牛丼は割りと好きなようでぺろりと一人前食べたりする。そうそう、夕食のときに親子丼を作ってやろうとすると、レトルトのを食べたいというので食べさせたことがあった。もちろん手作りのほうがいいに決まっているのだけど、親の帰りが遅いときにヒデフミがときどきレトルトのを食べてるのを見てて自分も食べたくなったらしい。食べて「レトルトの味がするちょー」と言っているので味がわからないわけではなさそうで安心したのだった。

2006.10.2
 またちょっと間が空いちゃったね。アツフミの塾通いについていろいろあってまだキリがついてないのだ。遊びにも行ってないし。そうそう、ボクが昔履いてたジーパンでウエストがキツイのをヒデフミに譲ったのだが、ヒデフミは裾が短いといって返してきたのだ。そんなに足の長さが違うの?チックショー

2006.9.18
 先週の日曜日、ボクはライブ出演があったのでアツフミと昼に出かけた。ライブに付き合ってくれるのなら嬉しいのだけど、アツフミの目的はそこからは近い名古屋港海釣り公園なのだ。ライブ終了後、昼食をとってから海釣り公園に向かうが、空がすごいことになっている。真っ黒な雲がけっこうなスピードで流れていて、それはまるで飲み込まれるとタイムスリップしてしまいそうなくらいなのだ。やっと公園に着いたとたん猛烈な雨が降り始める。そのうち小降りにはなったものの次は雷が落ち始めた。いやあ、何十本もの稲妻・稲光を見たのは久しぶり。ボクはそれだけで満足して帰路についたのだが、アツフミは目的の釣りができずがっかりなのだった。

 ハードディスク録画機・DVD再生機として使っていたPSXが壊れてしまった。ずいぶん前からゲームソフトのCDも映画のDVDも読み取ってくれないのが多かったらしいのだけど、電源抜いて静電気を飛ばすとうまくいったりしたのでダマシダマシ使っていたのが、とうとうHDDに録画した映像も表示がおかしくなったのだった。当然ながらPS2のソフトで遊べなくなるので息子たちは買って買ってとうるさい。仕方がないので録画・再生用のデッキとPS2の本体をそれぞれ購入する。このほうが使い勝手がいいし、合計金額もPSXより安かったりする。ただし、新しいデッキはまだ設定が不十分で録画予約は失敗続きだし、使い方もイマイチよくわからないのだった。

2006.9.10
 えーと、この日記はもちろんノンフィクションで、登場人物も実在してるわけだけど、読むときにはあくまでも読み物として読んでもらうとありがたいのだ。本当にやばいことは書けないしね。ま、書いていい事と悪いことの判断は難しくてヒデフミには苦情を言われるのだけど。例えば、ヒデフミが修学旅行で東京に行ったときに、地下鉄の切符を買うために「ユリカ(名古屋市交通局のプリペイドカード)」を使おうとして友達に止められたこととか。これはOKだよね。

 土曜の朝、子ども会の清掃活動が近くの公園であるのでアツフミと参加する。嫌がらずゴミを拾っているのは偉いぞ。この公園はけっこう空き缶などのゴミが落ちてるっていう印象だったけど、今日は意外なほど少なかったので作業は楽だった。そういえば公園で遊ぶってことが最近はほとんどなくなってる。せいぜいアツフミとキャッチボールをするくらいだね。ちょうど10年前に引っ越してきたときは息子は二人とも保育園児だったからここにもしょっちゅう行って滑り台やブランコで遊んだものだったけど。そうかもう10年か、と遠い目。

 先週日曜日にアツフミとナゴヤドームに中日VS読売の試合を観に行ってきた。今年は中日の成績がよく、セリーグ優勝はしそうなので1回くらいは生で観て雰囲気を味わっておこうと思って。3塁側内野席だったので読売ファンもけっこういたけどボクらは青い応援バットを振る。残念ながら試合はドラゴンズのいいところが全くなく完封負け。実はボクがナゴヤドームに行ったときに中日が勝ったことは一度もないのだあ。アツフミにとっても一度もないってことで、負けたのはお前らのせいだと言われても仕方がないくらいなのだった。

 夏休みが終わって1週間。すっかり日に焼けた肌も色落ちしてきた感じ。始業式の日に宿題が全部できていなかったアツフミは土日にも引き続きガンバらなきゃいけなかったのだ。ま、それが無事終わったからナゴヤドームにも行けたんだけどね。ボクは夏の間ずっとアゴヒゲを伸ばしていて、それで夏を実感していたのだけど、アツフミもこの夏は髪を切らずにいたのですごくボウボウになっていたっけ。それも一緒に散髪にいってスッキリおしまい。あっと、まだ日記に続きを書かなきゃいけないのがあったね。

 さて、サイパン島内観光の最後はお決まりの免税店に連れて行かれて解散だったのだが、食事の後、そこで買い物をする妻と別れて息子たちとホテルに戻る。ホテルの前はガイドブックによるとサイパンで一番綺麗なビーチというパオパオビーチだ。確かに水は綺麗だし細長い魚がたくさん泳いでいたけど、海底はナマコだらけでちょっとイメージが違ってたかな。プールのほうがいい感じだったので主にプールで遊んだっけ。アツフミはあまりウォータースライダーは好きではなかったのだけど、ここのは待ち時間はないし、浮き輪を使ってみたら楽しかったらしく繰り返し遊んでいたのだった。

 夕食はホテルでサンセットBBQ。夕焼けを見ながらってのがいいのだけど、飲み放題・食べ放題で飲み食いに忙しいし、焼くのも忙しいので気がつくと真っ暗になっていたりするのだ。ヒデフミは肉も魚もガンガン食べてたけど、アツフミはパンが気に入って炭火で温めたパンをたくさん食べてたので元が取れたかどうかは微妙なのだった。あ、ボクはもちろんビールだけでも十分元を取ってるけど。

 次の日(といっても事実上の最終日だけど)はオプショナルツアーと言うか現地で客引きのようなツアー会社の人に勧められて行くことにしたマニャガハ島へ。サイパンに来たならマニャガハ島に行かないと意味がないとか言われてこりゃ申し込むしかないかなって。息子たちはボクが悪い人にだまされているんじゃないかと思って、ボクがその説明を聞いて申し込み手続きをしている間心配していたのだそうだ。ツアーじゃないので港までは前日の客引きのような人の運転するランクルにウチの家族だけ乗って行く。島まではバナナボートで。これには初めて乗ったけど、結構スリルがあって面白い。アツフミが怖がって「ゆっくりって注文してね」「もう一回ゆっくりって言って」とビビッていたけど、大丈夫だったね。島のビーチは確かにホテル前のビーチとは比較にならないくらい綺麗だ。アツフミの「夏の生活」の思い出に残ったことのページには「水がきれいで魚がいっぱいいて水がきれいで、あっとにかく・・・(後略)」と、書かれているくらいなのだ。メインビーチでは魚の種類は少なかったけど、少し離れたところではシュノーケリングをしている人たちがたくさんいたのでボクらも行ってみたら色とりどりの魚がうじゃうじゃいて感動的。もっともアツフミはそこでも魚を触ることに熱中しててゆっくり鑑賞はしていないようだった。何回か触れたようで喜んでたね。ヒデフミが拾ったソーセージをアツフミも分けてもらって水中でちぎると写真のようにたくさん魚が寄ってくる。とまあここでものんびり横になるヒマもないくらい遊び続けたのだった。午後1時からは調子に乗って申し込んでしまったトローリングだ。外洋に出て大物狙いで釣りをするのだが、めったに体験できないからいいかなと思ったのだけど、これは失敗だったね。肉体再生日記に書いたようにボクは船酔いでダウンしてしまったけど、息子たちは割りと平気そうで感心。釣れないからチャモロフィッシングを代わりにやることになったけど、ここで妻は付き合いきれないと別行動。そりゃそうだ。ボクもやめたかったくらいだけどちょっと休んだらいけそうだったので、またボートに乗ったのだった。ライフジャケットを着てモリで魚を突くのだけど素潜りしなきゃやれない深さだし、息子たちはずっと見てるだけになってしまう。それでもいい経験にはなったわね。2年前にはアツフミはライフジャケットだけでは怖くて水に入れなくて浮き輪を使ってたころからすると成長してるし。大物はいなくて獲れなかったそうなのだが、それでも10〜20cmの魚がたくさん獲れてて、肉体再生日記に書いたようにビーチでチャモロ風刺身とBBQを楽しむことができたのだった。息子たちは最後の最後まで遊ぶのは当然だね。料理が出来るまでの間、砂のお城を作ったり、ヤドカリで遊んだり、サービスで貸してくれたシーカヤックに乗ったりも。特にアツフミは肉が焼けたぞーと呼んでも海からはなかなか上がらないのだった。

 一日遊んだからすぐ寝るかというとそうでもないのがすごいエネルギーなのだ。ホテルで買い物をしようとエレベーターに乗ろうとすると、アツフミだけ先に降りていってしまう。夜、子供が一人でいると補導されるぞとヒデフミと妻とボクが話しながら次のエレベーターに乗って降りると、ちょうどホテルの人に声をかけられてアツフミが固まっているところだったので大笑い。アツフミによると英語でペラペラ話しかけられて、ファザーとかマザーとか言ってるみたいだったけどわからないから困ってたとのこと。ただし、こういう事件があってもアツフミの単独行動癖は治らないのだった。

 最終日は早起きして空港に移動して飛行機に乗って帰るだけ。昼には中部国際空港に着いて、夏休み最後のイベントは終わったのだった。自宅では生きもの達が人間の帰りを待っていて、アツフミには宿題も待っていたのだった。

2006.9.6
 今年の夏は海外旅行に行く予定はなかったのだ。ヒデフミが受験生だから四国にもアツフミと二人で行ったくらいだし。なんとか短い日程だったら行ってもいいんじゃないかと思い、8月の最後の土曜の夜出発のツアーの申し込みをしたのは8月中旬だったっけ。もっとも、アツフミの「夏の生活」の思い出に残ったことのページには「今年はスペインに行く予定がなぜかグアムに変わっていて、7月の終わりにはサイパンになっていました。それはいいとして・・・(後略)」と、なぜか書かれていたりする。グアム3日間ってのはもう飛行機が取れなくて、サイパン4日間のツアーに決まったのだけど、サイパンってのんびり出来るとこってイメージだったのに、これがハード。実質2日しか遊べないし、何より息子たちが一緒だからなのだった。

 我が家は全ての時間になぜかギリギリになってしまうのだが、今回も余裕を持って出るはずがボクの腕時計事件(緑色が好き♪を参照)で予定より遅くなって、道が順調だったので早く着くかと思ったら駐車場が満車で集合時間は少し過ぎてしまったし。ちょっと時間があるからとラーメン食べてたら搭乗時間にもギリギリになる。その後もあらゆる場面できわどく時間をこなす我が家なのだった。難しいのは、余裕を持って動いてても、テンションの高すぎるアツフミに、うっかり「テンション下げろ」って言ってしまったら、アツフミが歩くのもゆっくりになってしまったりすること。こうなるとうまいことテンションを上げるように話しかけ続けるか、アツフミのほうから「このモード疲れるからやめていい?」と言ってくるのを待つしかないのだった。

 ヒデフミはさすがに受験生なので勉強道具を持参している。飛行機の中でテキストやったりしてるのは偉い。そうそう、塾や学校の友人にはサイパンのことは内緒だったらしいけど、ゴメンやっぱ書いちゃった。お正月だったか四国に行くときに筆箱の中にハサミが入っていて手荷物検査で引っかかったので今回はそれは直前に回避。それより、なんで筆箱にハサミが入っているのとアツフミにツッコまれるヒデフミなのだった。アツフミの持ち物は退屈対策のマンガと携帯ゲーム機だけ。ただし、これは相当な重さになるうえ、実際に持たされるのはヒデフミとボクだったっけ。

 サイパンには深夜着。ホテルに着いたらもう午前2時近いのにハイになってる息子たちはなかなか寝ない。おかげで初日の午前中は半日島内観光だったけどやっぱり集合時間にはギリギリなのだった。観光はバンザイクリフや日本軍の陣地跡など戦争の歴史を学べるところが中心。息子たちは早くビーチで泳ぎたかったのだろうけど、それなりにガイドさんの話や残っている戦車などに興味をもってくれたようなのだった。写真はウチのツアーのではないけれど、「サイパンダ」のバスと嬉しそうな息子たち。ボクは全然知らなかったのだけど「サイパンダ」は有名なキャラクターらしいのだった。

 午後からいよいよビーチへ。まだまだ続くのだ。

2006.8.25
 アランプーサンの向かいのカフェプー前駐車場で恒例の納涼屋台が開催され、ボクも例年通り「流しソーメン」屋を開店する。ちょっと補足すると、キャンプでやるのは流して楽しむ「ソーメン流し」で、開店するのは流れているソーメンを楽しんで食べてもらう「流しソーメン」屋、という表記はちゃんと使い分けているのだ。儲けが目的ではないのでお値段は格安の食べ放題50円としている。準備はけっこう大変なのだが慣れてるので一人でてきぱきとやる。テーブル・椅子と割り竹2本をセッティング。麺は自宅で茹でて寸胴に一杯にしたのを持ち込む。ツユと薬味と紙コップと割り箸も並べる。お釣り用の硬貨も用意して、流すための水を蛇口付きタンクに汲んだら準備完了。おっと、照明用にランタンも一個使ったね。で、いざ営業なのだが、ココからは一人では大変なのだ。で、流すのはアツフミにお願いする。アツフミは物心ついたときからソーメン流しをやっているので大ベテランだから安心して任せられる。ボクはお金の収受や取りきれなかった麺のメンテなどに専念できるね。1時間半くらい、麺がなくなるまでヒマナシで営業して終了。アツフミおつかれさま。途中ヒデフミも客として来て、ちゃんと50円払って食べて行ったっけ。やってて楽しいからいいのだけど、売り上げは20人弱で1000円もいってない。麺はもらい物(揖保の糸だから高級品だけど)なので原価は赤字にはなってないのだけど、アツフミにアルバイト代として1000円払ったので大赤字になってしまったのだった。ま、アツフミは真面目に(水補給のときはつまみ食いしてたけど)働いていたので社会勉強になるかなってことで。

 コンビニでタマゴボーロを見つけて買ったアツフミ。ただ食べるのではなくて、「一個どうぞ」と差し出して、「ありがとう」と取ろうとすると指先でそのままつぶしてしまう、というタチの悪いイタズラをしてる。嫌な予感がしてたのだが、玄関先やリビングの床でタマゴボーロの粉を発見し、予感的中。アツフミにもうやってはいけないと注意したときには、全て食べてしまってたのだった。

 ヒデフミがオリジナルのネタを思いついたと得意そうに言うのでどんなネタか聞くと「タイタニックに乗った気で(安心して)いなさい」「いや、沈んじゃうからダメじゃん」というようなもの。ボクはヒデフミに、ネットで『タイタニックに乗った気で』という言葉で検索してみるように助言。案の定、同じことを思いついた人はたくさんいたようで、ショックを受けたヒデフミなのだった。

 肉体再生日記に、アツフミがボクのランニングに付き合ってくれたけど後半ガス欠で大変だったことを書いてるけど、このとき、戸笠公園ではさすがアツフミだったのだ。小さな川が流れ込んでいる池があって、そこに小さなエビがいたのでアツフミはエビ捕りを始めたのだが、予定は全くしていなかったので道具も何もない。で、捕るのは素手で、捕れたエビは落ちていたビニール袋に水を入れたのに入れる。ちゃんと3匹ゲットするところがすごい。持ち帰って水槽に入れてみると、熱帯魚ショップで売っているヤマトヌマエビと同じエビで、これも3匹買ったとしたら何百円かだよなあと感心したのだった。

 朝、仕事にいく前に洗濯物をバルコニーで干していたら中学生が何人か制服で歩いていくのを見る。我が家の中学生はというとまだ寝てるので「今日は出校日じゃないのか」と声をかける。「今日じゃねーよ」と寝ぼけた声で返事したヒデフミだったが少しして「間違えてたー」と大慌てで起きてくる。で、とにかく着替えて出て行ったのだがそれでも遅刻にはならなかったところがスゴいのだった。習字の宿題は出来てなかったようだけど。

2006.8.23
 怒涛の四国ツアーから帰って翌日は出勤だけど、一日仕事に行ったらまた週末。19・20日は毎年恒例の友人たちとのキャンプにアツフミと参加する。このキャンプ、18年も続いていて、初めのうちはテニスをしたりもしたし、ずいぶん遠くのキャンプ場にも行ったけど、だんだん子供が増えてきて、ちょっとづつ変わってきてるのだ。今回はこのメンバーでは2回目になる「うるぎ星の森キャンプ場」だ。大人10人、子供8人の大人数だけど気心が知れてるし、子供たちも仲良しなのがいい。もっとも、アツフミは大人には照れて挨拶もちゃんと出来てなかったし、始めのうちは一人で行動していたけどね。いつのまにか一緒に遊んでいるのだった。6年生を筆頭に、ほぼ1学年一人ずつで年中さんまでってのが面白い。年齢差や男女差も問題なく子供たちだけでなんとなくまとまってるし。チェックアウト後も遊具で遊んで大満足だったようだが、時間の関係で恒例のソーメン流しをやらなかったのは子供たちには残念だったらしく、来年はなんとしてもやらなきゃならないと誓うのだった。

 ボクが休みの日。朝食は二人ともラーメンを希望したので作ってやる。昼食は外食が多いのだが、ヒデフミの夏期講習の時間が迫っていたので作ることにして、ヒデフミには親子丼を作ってやる。ちゃんと丼用の手鍋を使ってね。アツフミの希望メニューを聞いたところ、自分で作るのをやりたいとのコトで、まかせてみると、喜んで作り始める。メニューはトーストとスクランブルエッグ。冷蔵庫からパンや卵やバターを出すのはもちろん、トースターへの出し入れやタイマーセット、バターを塗る、片付ける、と全部自分でやるのが嬉しいらしい。スクランブルエッグは作りなれてるので問題ない。「うめー」と言いながら食べてるのは微笑ましいのだった。

 四国で買ってきたクワガタたち。みんな元気で名古屋にやってきたのだが、早速ノコギリクワガタが行方不明になる。幸い、ヒデフミが発見・保護したのだが、今度はミヤマクワガタがケースの蓋を開けて脱走。残念ながら埃まみれで発見はされたけどすぐに死んでしまったのだった。でもアツフミはくじけず、まだおばあちゃんにもらった誕生祝が残っているからとニジイロクワガタの幼虫を買ったのだ。どうやら死んでも標本にできるから、あまり悲しくない、とのこと。だからといってエサやりの手抜きは許さないのだよ。

2006.8.22
 毎年、四国への帰省は夏休みと冬休みの年2回、家族揃っての行事なのだけど、今年はヒデフミが受験生なので塾の夏期講習がほぼ毎日あって、アツフミと二人だけで帰省するjことにしたのだった。妻は仕事もあるしヒデフミを一人にするわけにもいかないからね。

 車にキャンプ道具一式と釣り・海水浴のグッズを積み込んで(実はキャンプ道具はいつも積みっぱなしだけど)出発。ほんの少し渋滞はあったけど伊勢湾岸道・東名阪・伊勢道を通って一路南紀へ。一日目の目的地は尾鷲と熊野市の間にある新鹿海岸だ。以前人から綺麗な海でキャンプも出来ると聞いていたので一度行ってみたいと思っていたのだった。キャンプは砂浜に自由にテントを張るスタイルで、アツフミは荷物運びは手伝ったけどテント張りは手伝いもせずに波打ち際に。ま、いつものコトだけど。例によって特技一人テント張りの見せ所だ。砂の綺麗な海水浴場で気分良く遊べる。波がスゴク高くてダイナミックに遊べたのだけど、アツフミは無傷で済んだものの、ボクは肉体再生日記参照の大ダメージを負ってしまったのだった。波遊びにも飽きたら車でちょっと移動して海釣りに挑戦。アツフミは海での釣りは初めてで、勝手が違ったようだけど、何匹かは釣れてよかったかな。ただし、夕食は疲れて面倒くさくなったので近くの食堂で焼き鳥やうどんを注文して済ませてしまい、キャンプサイトでは食事作りをしなかったので、釣ったのは必ず食べるという主義には反してしまったのだった。写真はアツフミが捕まえたスマイル蟹だけど、これも食べなかったし。

 翌朝、アツフミはまた釣りをしたいのでスゴク早起きできる。朝食のカップラーメンもつるりと食べてまた釣り糸を垂らす。残念ながら朝は一匹も釣れなかったけど、またひとしきり波と砂で遊んだアツフミは大満足だったね。いや、ホントはもっと新鹿で遊んでいたかったのだろうけど、我々はこの日のうちに四国に帰り着かなければならないのだった。いやはや紀伊半島は大きいのだ。鵜殿村から新宮市を抜けるのに大渋滞だったこともあり、ようやく和歌山県を抜けたのはもう夕方5時近く。アツフミは半分くらい寝てたからそうでもなかったかもしれないけど、運転は大変だったぞ。予定では深日港から淡路島までフェリーに乗るつもりだったのだけど、行ってみるとなんと港の様子が以前利用したときとすっかり変わってしまっている。知らなかったのだがフェリー航路は廃止になってしまってたそうで、一瞬途方にくれてしまったのだった。大阪方面に向かう国道は激しい渋滞で、今さら大阪・神戸市内を抜けて運転し続ける気力もなかったので、戻ることにはなるが和歌山港から徳島港のフェリーに乗ることにする。この航路の利用は初めてだけど17時30分の便に乗れて、徳島着は19時30分。なんとか四国に渡れるのでやれやれなのだ。ところがアツフミはあくまでもマイペースで、途中の漁港で釣りをしている人がたくさん居るのを見つけて、どうしてもやりたいと言う。しかたがないのでここでは初めてのサビキ釣りに挑戦。残念ながら釣果ナシで、もしもフェリーに乗り遅れたら大変とせかすボクにブツブツ文句を言うアツフミなのだった。フェリーは到着前に海の彼方でやってる花火大会が観れたりして悪くはなかったかな。徳島道・松山道を突っ走ったけれど実家到着は0時をほんの少し過ぎてしまって、起きて待っていてくれたおばあちゃんに頭を下げたのだった。(実はチャングムを観ていたからまだ起きていたらしい)

 翌日は8月15日、親父の初盆でお経を上げにお坊さんが来てくれる。遊べるのは午後だけだから、この日はお出かけはせず、同学年の従兄弟と実家のすぐ側の川で川遊びをする。この川は、台風とかの時には広い川幅一杯に濁流が流れるけど、普段は全く水の流れていない川のはずなのだ。それがボクでも足がつかないくらい深くて、水も澄んでるという絶好のタイミングの日だったのが良かった。二人の川ガキは夕方まで遊び続けて大満足だったのだった。ボクも水着に着替えて少しガキに戻ってたっけ。この夜は松山近郊の姉宅に泊まり。近くの見奈良温泉で遊んだり、姉宅では猫とじゃれたりゲームやカードを従兄弟と遊んだりして、やっぱり充実しきっているアツフミなのだった。

 次の日は、姉親子と香川県のニューレオマワールドに行く。ここは一度潰れたはずなのだがちゃんと復活していて、たっぷり一日遊べる規模ではある。とにかく暑くて遊園地でいろいろアトラクションを体験したが2時間が限度だ。シューティングではアツフミがダントツの得点をあげていた。ボクは以前は息子との勝負はたいてい手加減してやってたのだが、いつのまにか本気でやっても全くかなわないようになってしまっていたりして嬉しいのだった。あまりに暑いのでホテルの中にあるプールへ。狭いプールなのだが、子供たちは1時間半以上も遊び続ける。その間、ボクは水着で入れる温泉や、男女別の裸の温泉とかでのんびり過ごせてヤレヤレ。そしてもう一箇所、昆虫好きのアツフミにジャストフィットの「夢虫館」へ。沖縄の蝶々園と同じオオゴマダラという蝶がたくさん居る小屋では裏技の日焼け止めクリームを塗って蝶がたくさん寄ってきたりを楽しむ。本館の展示は写真やビデオが良く出来てるし、いろんなテーマごとにセットされている標本がたくさんあって感心しながら見て回ったのだった。この日は実家で泊。

 もう曜日の感覚もなくなってきてるけど、次の日は従兄弟と一緒にキャンプだ。瀬戸内海の島々を橋で結び本州までつながっている「しまなみ海道」の中にある生口島のサンセットビーチにテントとタープを張るのだ。従兄弟がキャンプは初めてとのコトなので最初が肝心と設営を手伝わせる。もちろんアツフミも。ま、タープが張れたところで二人は一目散に海に入っていったけどね。真昼間のギラギラした日差しの中ほとんど休まず遊び続けてたよなあ。ボクもテントサイトに一人で居てもつまらんから海には入ったぞ。夕方になって釣りを開始。テントのすぐ横で出来るのは便利だ。アツフミは初めての投げ釣りに挑戦。ちょっと教えただけでけっこう上手に投げている。リール操作もなんかポーズが決まってるので感心する。ただし、釣れなかったのは残念だね。釣り自体初めての従兄弟が、サビキ釣りで15pほどのアジを筆頭に、小さいサバやアジその他計6尾釣り上げたのをアツフミは羨ましがりながらも投げ釣りを止めなかったのだった。せっかくのサンセットもエサを付けたりでボクはゆっくりしていられない。暗くなっても続けてるので夕食の準備もいいかげんになったのだった。そうそうこの夜は久々に暑くて寝苦しいテントを体験。アツフミは夜中に抜け出してベンチで寝てたっけ。

 翌朝、潮が引いてて海水浴はすぐやめて、釣りもアタリが全くなくて早めに撤収することに。帰る途中、今治湯ノ浦温泉のプール+温泉施設でまたひと遊び。スライダーもあったので楽しめたようだ。ボクは例によって箱蒸し風呂とか一通り水着着用ゾーンと全裸ゾーンの温泉を一人マンキツ。あと、実家の近くのクワガタ・カブト専門のお店でミヤマとノコギリと足が一本ないけどでかいギラファ他を買って満足のアツフミ。最後に墓参りをして四国での休日は終わったのだった。夜、東予港から大阪南港へのフェリーも楽しみにしていたアツフミだったけど、寝台に入ったらすぐ爆睡してたね。あれだけ遊んでたら当然。ボクもビール500mlで寝てしまったくらいなのだった。

 さて、最終日、大阪南港からはまっすぐ名古屋へ。実は和歌山の昆虫博開催中のポルトヨーロッパに行く予定だったのだけど、夢虫館とゲットしたギラファ他で満足したようなので勘弁してくれたのだった。久しぶりに帰宅した我が家ではヒデフミがお出迎えしてくれる。この間、ヒデフミは二泊三日の塾の夏期合宿をこなしていて、朝早くから夜遅くまで勉強漬けの、それはそれは厳しい合宿だったそうで、少し生まれ変わったらしいのだった。一皮剥けたのは、その前のナガシマのプールの際の日焼けによるとのオチもついてたけど。

2006.8.18
 アツフミと二人旅をしてきた。たくさん書くことがあるので詳しくは後日ゆっくりとになるのだ。1週間TVゲームをやってなかったアツフミは、今朝すごく早起きしてゲームをしていたようだ。ようだ、というのはボクが朝食後に見たらゲームやりながら爆睡していたから詳しく聞いていないのだった。

2006.8.11
 夏休みだがヒデフミはほぼ毎日塾に通っているのだ。しかも日曜日だというのに試験があって朝早くから出かけることも。体調管理が大事なのだが、朝早起きとか朝食をしっかり食べるってのが出来てなくて、試験の日も朝は果物のナシしか食べられなくて、試験中に、貧血になって、腹痛がして、トイレに行きたくなって、また腹が痛くなって、ついには鼻血が出たとのこと。本番ではそんなことではいけないので、いい勉強になったな、と言ったあとで気付いたのだが、もしかしたら、あんまりできなかった言い訳の伏線の疑いがあるのだった。

 帰宅したら、ちょうどアツフミがスクランブルエッグを作っているところだった。少し焦げてしまったと言ってたがなかなかどうして見事なもんだ。ちょっとつまみ食いしたけど美味しかったし。ヒデフミもその前に作って食べてしまったらしい。嫌な予感がして冷蔵庫を開けたら、たくさんあったはずの卵が一個もない。もう一度買い物に出るのが面倒だったので息子たちに買いに行かせる。アイスクリームも切れてたので、ついでに買って来いと1000円渡したら、喜んでコンビニに行ってきた。卵のほかにアイスやいろいろ欲しいものを買ったら1200円かかったらしく、お釣りで潤うどころか持ち出しになってがっくりしているヒデフミなのだった。

 アピタで生き物縁日をやっていてアツフミは大喜び。珍しいのがモロコやハゼ、ドジョウなど、普通なら金魚すくいとなるところ、雑魚すくいが出来るところだ。アツフミは最初は簡単なエビをすくっていたのだが、後半はドジョウにチャレンジ。ところがこれはとても難しい。長時間頑張ったが結局すくえなかったけど、サービスでドジョウをゲットする。残念ながら、持ち帰ってすぐ一番大きなタモロコと珍しいシマドジョウは死んでしまったのだが、死体をザリガニやクロゲンゴロウたちが奪い合って食べる様をグローいと言いながら興味津々観察しているアツフミなのだった。

 年に一回のオフ会に参加。京都鴨川の床料理を愉しむ会なのだ。今年もアツフミと二人で出かける。いつもは新幹線で行くのだが、今回は車で行く。アツフミが床にもカラオケにも興味がないのに付いて来るわけは、比叡山の中腹でカブトムシの森ってのをやってるからなのだ。ここはとにかくたくさんカブトムシが居て、自由に戦わせて遊べるからアツフミはお気に入りなのだ。名古屋から何回も行ってるのはウチくらいに違いなのだけど。気の済むまで遊んでザリガニ釣りもやって、夕方ギリギリでオフ会の集合には間に合った。携帯ゲーム機を持っていくのは禁止していたのだけど、その代わりオフ会の間ずっとアツフミは漫画を読み続ける。なんというかマイペース過ぎる連れに苦笑いするしかないのだった。

 オフ会の翌日、アツフミはまた昆虫関係のところに行きたいという希望だ。当てはなかったのだがとにかく名古屋に近づくように車を走らせていると、たまたま「滋賀農業公園ブルーメの丘」というテーマパークを見つけて入場する。アツフミはどんなところか分からなくて入るのを渋っていたけど結果的にここは大当たりだったのだ。まずはパターゴルフ。大高緑地などでけっこう経験してるけどここのは一味違う。延び放題になってるけど芝生のコースなのだ。いつもは舗装されてて枠がついてるからね。自然のコースって感じで気持ちいい。お次は変形自転車。いわゆるオモシロ自転車ってやつでいろんな形の自転車に乗れるのだ。ここではアツフミがたくましくなってるのに感動。一輪車を二台くっつけたのに一緒に乗ったのだが、ペダルと地面の間に足を挟んでしまい、下手すると骨折してしまうくらい痛かったはずなのだが泣かなかったもんね。金魚(!)釣りでは、はじめなかなか成功しなかったけど、粘って粘って何匹か釣り上げていたのにも感心したのだった。アーチェリーも的に10本中3本命中させビックリ。あとゴーカートに乗ったり、脱力したけど昆虫の展示を見たりと、たっぷり遊んでいけたのだった。お土産に買ったカブトムシのオス2匹とメス1匹もいきなり交尾を始めたりして愉しませてくれたぞ。

 TVのニュースで公務員の怠慢が原因の事件をやっていた。アツフミが「公務員も負けたら大変だね」と言うので、ボクは???だったのだが、どうやら「怠慢」→「タイマン」と思っていて、1対1で戦うところを想像しているようなのだった。

 ヒデフミの塾がない日にボクが休めたので息子たちと3人でナガシマスパーランドへ行く。海水浴でも良かったのだけど行き帰りの時間や更衣室やトイレのことを考えたら、ナガシマのジャンボ海水プールがいいかなって思って。もしかしたら息子たちはもちろん、ボクもここのプールは初めてだ。流れるプールや波の出る海水プール、スライダーも何種類か楽しんで、強烈な日差しの中、遊び続けたボク達は日焼けで苦しむことになるのだった。

 野球の朝練に参加。珍しくアツフミがついてくる。ところが公園に着いたとたん居なくなるアツフミ。ボクはてっきり先に帰ったものだと思っていたのだが、野球を終えて帰ろうとしたとき、さっき見かけたよと聞く。探したら居ました居ました。危うく置いて帰るところだった。アツフミは素手でセミを捕まえようとしていて、そうかそれなら退屈せずに居られたのだろうと思っていたら、ボクが2打席凡退したところとかをしっかり見ていたようで、しまったあと思ったのだった。

 以前はよく親子で映画を観に行っていたのだ。ディズニーとか日本の特撮やアニメが多かったかな。最近はあんまり観たい映画も行きたい気持ちもなかったのだ。込むのも並ぶのもイヤだし。ネットで座席指定まで出来るようになってるのを思い出し、「ゲド戦記」と「日本沈没」を観に行った。「ゲド」は歌が素晴らしく歌集CD(サントラではなく)を買ってしまったくらいなのだが、ストーリーの密度が薄いのが気になった。黒いドロドロは相変わらずだし。「日本沈没」は何度か涙が出てしまうくらい演出にはハマったけど、最後は自己犠牲のヒーローが沈没を食い止めるなんて違和感が残ったのだ。旧作はたぶんボクが映画館で観た初めての映画かもしれないのだがまた観たくなったのだった。ここでは簡単にしか書いてないけど、見終わった後は息子たちには熱く語り続けたので、少しうんざりされてしまったっけ。

2006.8.1
 月曜の朝、いつもなら妻は6時半過ぎには出勤してるし、息子たちは8時にアツフミ、その後ヒデフミと送り出してから、ボクが最後に家を出るのだけど、この日は息子たちが夏休みで、妻は小学校の個人懇談のために休みを取ったので、ボクだけが家を出ることになったのだった。で、嬉しいことに「いってらっしゃい」と見送りをしてもらえたのだ。特に、まだ寝ていると思っていたアツフミが2階の階段の上から身を乗り出して言ってくれたのが良い。玄関を吹き抜けにしておいてよかったと実感できたし。とはいえ、ヒデフミはまだ寝てたし、よく考えたら、毎週土曜日は同じ様に見送ってもらえてもいいはずだということに気づいて感動もそこまでなのだった。

 朝、新聞取りに出たらカミキリムシを見つけたので捕って虫かごに入れておく。アツフミに伝えずに出勤してしまってそのまま忘れていたのだが、帰宅したらちゃんとカミキリムシはペットの仲間入りをしていた。アツフミは発見したとき動かなかったカミキリムシを心臓マッサージして甦らせたそうなのだった。

2006.7.29
 アツフミは無事帰ってきた。アツフミの居ない間、PSPが見つからなかったのでヒデフミが「あいつ中津川に持って行ってるんじゃないか」と言っていて、ボクは見つかって叱られてっていうストーリーを思い浮かべて心配していたのだが、今朝、2階のトイレで発見されたらしい。一安心。いつの間にかヒデフミがスパイダーマン2の映画ソフトを買っていて、ああ、それを見たかったんだなと納得、って、待てよヒデフミってお金持ちだなあ。

 朝食にラーメンが食べたいというのでアツフミには普通のラーメンだがヒデフミにはボクがいつも食べている韓国製の「辛」を作ってやる。大丈夫かと思ったがヒデフミには辛いようで、「一口目からくるー」とか「あとからじわじわくるー」とか矛盾したことを言いながらなんとか食べきったようなのだった。

2006.7.28
 夏休みだがヒデフミは受験生らしく遊びに行くのを自粛して家で勉強をしている。昼間はすごく暑くなるのでクーラーを効かせた部屋でやってるんだと思っていたら「ホラ見て腕のこっち側だけ日焼けしたんだよ」と左腕を見せるヒデフミ。なぜかウッドデッキで勉強をしていたそうだ。「午前中はずっと太陽がこっちがわでさあ」と呑気に言うのはヒデフミらしいのだ。蚊は居なかったのかと聞くとやっぱり刺されたそうで、ムヒを塗ったらしい。このムヒが消費期限が4年前に切れていたと文句を言うヒデフミ。大丈夫だろうと言うと「4年なんてワールドカップ1回分だぜ」という変な例えを持ち出すのだった。

 妻が出張、アツフミが野外学習でヒデフミと二人の夜。友人が出演するのでアランプーサンへ行くのだが、ヒデフミも夕食を食べに久しぶりに一緒に行く。以前は必ず一緒に行っていたし出演もしてくれたのだけどね。アツフミと二人だと食べ残しが期待できるのだが、さすがはヒデフミ、イタリアンスパをぺろりと食べ、プーサンピザも全クリの勢い。「父さんが欲しそうにしてるから残してやったよ」とカルピスソーダに続いてカルピスのお代わりを飲み干したヒデフミは言う。ボクはヒデフミの気が変わらないうちにタバスコをしこたまかけておいたのだった。

 そうそう、アツフミの11歳の誕生日が過ぎてしまった。当日は前述の野外学習で家に居ないのでケーキとプレゼントは日曜日に済ませてあったのだけど。アツフミの居ない2回の夜と朝は、平穏だけどやっぱり寂しいのだった。

2006.7.22
 アツフミは小学校の部活動で野球部に入っている。何人ぐらいいて、どういうレベルなのかはわからないのだが、アツフミがユニフォームをもらってきた。大会があって、そのベンチ入りの15人に入ったらしいのだ。6年生が中心だし、5年生の中にも4年のときからやってる子もいるそうなので、5年生ではじめたばかりのアツフミなかなかやるじゃんと思ったのだ。大会は中日新聞が主催なのか、参加チームと選手の一覧が号外で出てた。ちゃんとアツフミの名前が載っている。ヒデフミが羨ましがっていたぞ。さて、実は今日がその大会の試合の日だったのだが、どうやら雨続きなので延期になったらしい。背番号は14番でアツフミ曰く試合には出れないと思うとのことだけど 、ユニフォーム姿は見たいよなあ。

 アツフミとの父と子のキャンプ、今年4回目はフォークキャンプリーだ。昨年まで学童のキャンプと日程が重なっていたので、ボクは学童キャンプのファイヤーが終わった後、車で片道2時間弱を移動して深夜に出演するだけの参加形態だったのだが、今年はアツフミが学童を休所中なので、アツフミと二人でフォークキャンプリーに行くことになったのだった。会場は山の上の小学校の廃校跡で走りまわったり昆虫採集したり出来るのでアツフミは一人でも退屈しないはずだったのだが、あいにくの雨のお天気。3時ごろ現地入りしてコンサート会場の設営を手伝ったりしてほとんどアツフミを構えなかったのだけど、不本意ながら役に立ったのが携帯ゲーム機だったのだ。たいして教えてもいないのにマージャンのルールを覚えたらしく楽しんでいるようなのだった。役はまだよくわからないみたいだけど。雨なのでタープは張ったもののテントを張る気にならず、車の中で寝ることにする。アツフミはこういう空間が大好きなので喜んでいたね。夕食は生ラーメンを作ってやる。先回、屋台のラーメン屋がキャンプ場に現れて食べたのだが、自分で作ったラーメンも本格的でしょ。コンサートには興味がなかったようだけど、ボクの出演のときだけはステージ前に来てたのだ。もっとも、手にはしっかりゲーム機を持っていたので、トークネタにしちゃったのだった。

2006.7.16
 自家用車を車検に出すのでディーラーに預けに行く。あがるまで普通は代車だけど、ウチには一応妻用のセカンドカーがあるので代車は断る。で、家まで帰るのにどうするかというと積んでいった自転車に乗って帰るのだ。ランニングでってのも何度もやってるけど、今回はアツフミが付き合ってくれるので2台積んでいって、二人でサイクリングを楽しむことにする。日曜日の夕方、遠回りにはなるけど、扇川沿いの遊歩道は快適だ。アツフミも快調。手放し運転が上手になっている。最後、自宅前の上り坂も楽々クリヤーしたのだった。1週間経って、今度は車を取りにいくので、先週のルートを逆にまた二人でサイクリングする。ところが今回はお昼近く、日差しは強烈でうだるような暑さなのだ。扇川ではカメやヘビやナマズ(?)を見れたりして楽しいこともあったのだが、途中でアツフミはガス欠になる。自販機でスポーツドリンクを買って飲んでなんとか立ち直ったけどペースは上がらなかったのだった。

 ようやくDS-LITEをゲット。店には相当のサービス(値引きとかオマケとか)を期待したのだけど、買取時の200円UP券を多めにくれただけで嬉しくない。ま、ごねるのも大人気ないし。誕生日の近いアツフミが買ったソフトがサバイバルキッズというやつで、無人島で自分(少年)と少女が生き延びていくというゲームなのだが、水や食べ物がなくなると死んでしまうのだ。もちろん簡単にリセットできるのだが、こういうのが生命について現実とゲームの区別がつかなくなってるとか、最近続発している少年犯罪の背景だとか言われていることなのだと思ったのだった。さらにえぐいのが食べ物はあっても少女にはあげずに自分だけ食べてると当然少女が先に死んでしまうのだが、わざとそれをやったりするのはちょっとやめて欲しいのだった。それにしても新しいソフトでもイキナリ何の違和感もなく操作しているのには感心する。木の皮と棒を拾っておいて、道具を作って火起こしをしたり、槍を作って魚を突いたり。対応する息子もすごいがソフトもよく出来てて、例えば火起こしのとき、途中から息を吹きかけるのだが、これは実際に息をゲームに向けて吹きかけなくてはいけないのだ。マイクで息を拾うようになっているらしい。ニンジンを見つけて掘るときも画面を指でこすったりとやたらリアルで、これまた感心するのだった。あ、ボクもついでに麻雀のソフトを買っちゃいマシタ。

2006.7.9
 6月18日にDS−LITEがまだ手に入らないって書いてるけど、これがとんでもない間抜けなことになっていて、また予約した店にまだ入らないのかと聞きに行ったところ、5月18日に入荷したけど電話をしたら通じなかったので電話番号マチガイとしてそのまま放置していたとのこと。オイオイ。ボクが書いた電話番号は間違ってないので、その場で店員に電話をかけさせて確認させる。まったく謝ってもらってもね。次回入荷の分をお渡ししますってことだけど、予約してからもう5ヶ月近く、怒る気にもならないくらいなのだった。

 アツフミと大高緑地のベビーゴルフで勝負する。何度かのインチキを大目に見てやってたら、2打差で負けてしまった。そうそう、ゴルフクラブが手に入ったので庭でベビーゴルフを出来るようにしようとボールも買ってきたのだが、アツフミが早速思い切り打ったりしたので禁止状態になってるのだった。草刈とかも面倒だし。

 アツフミとまた滝の水公園に行く。たいていボクがランニングでアツフミは自転車だ。公園に登るには三箇所の階段と一箇所の坂がある。坂の入り口のゲートは狭いカーブになっていて、アツフミはそこを自転車で乗ったままで通れなかったのだが、今回の帰りについに成功した。ちなみにボクはこういうのは得意なので見本を見せてやったりしていたのだけどね。

 日曜日の早朝、ワールドカップの3位決定戦ドイツVSポルトガルを観る。アツフミは目覚ましをセットしていたのだが、それでは起きられなくてボクがたたき起こしてやったのだ。平日だとその後が怖くてムリヤリ起こせないのだけど。頑張ってたけど残念ながら得点シーンになる前に寝てしまったアツフミなのだった。

2006.7.3
 今年3度目の父と子のキャンプに行った。アツフミと二人のスタイルにも慣れたかな。梅雨の最中なのでお天気は出たとこ勝負ってカンジだけど。今回は日曜日にフォークキャンプリーのステージ作りがあったので、その近くの設楽オートキャンプ場へ。土曜日昼まで仕事をしてからなのでスケジュール的にはキツイのだ。それでも現地着は4時ごろで暗くなるまでに遊ぶ時間はある。空いていたのでテントサイトは自分で選べてよかった。いつものようにボク一人でテントとタープを張る。ホントはアツフミに手伝わせたいのだけど遊ぶ時間も欲しいだろうから。早速カワトンボとカエルを捕まえてきてた。釣堀があったのでマスを釣る。食べきれないといけないので3尾だけね。入れ食い状態なので長く楽しもうとアツフミはエサをつけずに釣る。それでもけっこうかかるので面白い。バドミントンなどを暗くなるまでやって、暗くなったら焚き火の始まり。火が落ち着いたらバーベキューの始まりだ。マスと肉を焼くが、肉の脂が多すぎてほとんど食べられなかったぞ。主食はスパゲティだったのだが、これもワンパターンなのでアツフミは飽きてしまったのか食が進まない。と、そこへなんとチャルメラの音。キャンプ場にラーメン屋台がやってきたのだ。アツフミがトンコツを食べたいというので食べる。そうか、次回はボクが生ラーメンを作ってやろう。他のキャンパーもぞろぞろと買いに行ってたので繁盛してたのだった。心配してた雨は全く降らず、翌朝ものんびりできる。また釣りをして、今度は持ち帰るからと8尾ゲット。これまた入れ食いなのでわざと釣らないようにして長時間楽しむアツフミなのだった。撤収して近くのフォークキャンプリーの会場に移動中にすごい雨になる。間一髪で悲惨な撤収になるところだった。ステージつくりの間はアツフミはサッカーなどで一人遊び。昼にご無礼して豪雨のなか帰路につく。道路が冠水してるところを走り抜けるのは楽しかったようだ。初めて寄った足助の岩神の湯は大衆的な雰囲気で、湯上りに食事もしたけど、カラオケやってるしもう一回寄ることはないかな。ホントはまっすぐ帰りたかったのだけどアツフミが遊び足りないとのことで鞍が池公園に寄る。昔はホワイトタイガーが居たはずの動物園は入場無料にビックリしたが入ってみて納得。植物園も入場無料だけど、こっちはけっこう珍しい植物がいっぱいでボクはいいかなと思ったけどアツフミは昆虫がいないので興味なしだった。帰宅前にいつものペットショップに寄ったらコーカサスオオカブトのオスが1980円。すごくでかいのにこの値段なので買ってしまうよね。帰ってさっそくセアカフタマタクワガタなどと戦わせていたがコーカサスは無敵の強さだったようだ。さて、道具を片付けたりゴミを片付けたりとキャンプは帰ってからもけっこう大変。ボクの週末はこれで終わってしまうのだった。あ、ブラジル負けたんだね。

2006.6.26
 おっ、アツフミが勉強している。偉いぞ。と、そういうことならこの日記に写真入で取り上げるわけはないのだ。よく見ると机の形が変でしょ。そう、それはアイロン台なのだ。新聞とチラシをストックする箱の上に置いている。で、向こう側にはシュラフの入った袋や資源ゴミの袋が見える。そして背中の後ろにあるのはスキー板だ。そう、ここは決して勉強部屋ではなくて階段下の納戸なのだった。ときどきアツフミは和室に座椅子などで基地のような空間を作ったり、以前この日記でも取り上げたけどカエルの形の物入れの中に入ってゲームをしたりと、自分の居場所つくりが趣味なのだが、この勉強部屋は納戸の戸を閉めるとアツフミ行方不明事件になりそうで怖いのだった。基本的には狭いところが好きなようだね。幸いなことに翌日が新聞・チラシの回収日で、作業をしたのと、アツフミがスグに飽きたらしいのとで部屋は一日限りで現状復帰したのだった。電気スタンドもヒデフミのを勝手に持ってきてたのを返したしね。

 久しぶりにアツフミと滝の水公園に行く。買い物に行ったらアピタの駐車場から見えた夕日がけっこう良さそうだったから。公園ではボクは例によってジョギング。アツフミはハトにパンをやる予定だったけどハトは現れず断念。その代わり、芝生養生中でずっと使えなかった新しい遊具で遊び始める。これがまあ長時間になってしまう。日没を見てからだんだん暗くなって景色も完全な夜景になってしまうのにアツフミは遊び続ける。ボクは何度も「よし帰るぞ」と声をかけるのだがアツフミはブランコで回転して遊んだりウンテイの上を渡ったりしてキリがないのだった

2006.6.22
 自分の部屋で寝ていたはずのアツフミが、朝、リビングのソファーで寝ていた。ワールドカップのイングランドVSスウェーデンを観ていたらしい。午前4時に起きたというのには感心する。でも、朝食のクリームパンを食べながら寝てしまって、床にパンを落としてしまったりも。昼間、小学校は大丈夫なのかと心配したけど居眠りはしなかったと言う。関係ないけど、今流行っているのは「ポコペン」らしい。どんなルールだったっけ。

 コンビニの駐車場でアツフミが「鳥の死体だ」と言うので見たらフライドチキンの骨が2本転がっていた。うーむ確かに鳥の死体といってもマチガイではないなあ。それは残飯だとツッコムのも忘れ感心してしまったのだった。その少し前に大高緑地で車に轢かれたカメの死体を見ていたからかも。

2006.6.18
 そういえば、先週キャンプに行ったときに買出しに寄ったユーストアで「DS-LITE在庫あります」というのを見つけたのだ。2月26日の日記に書いたように発売前にウチは予約してるのだが実はいまだに手に入ってないのだ。よほどその場で買ってしまおうと思ったのだが、アツフミがスグ欲しいってカンジではなかったので、ま、予約をキャンセルすることもないかなって思って。それにしても少し前に痺れを切らして予約した店にまだ入らないのかと聞きに行ったときには、まだウチの前に5人待っている状態だったのだが、生産・流通体制はどうなっているのだねニンテンドーさん。

 そうそう、さすがにずっと禁止していた携帯ゲームだけど、今年の2月にDSを買って、どうなったかというと最近はあまり遊んでいるところを見ないくらいなのだ。お昼の外食時に持って行くことはあるけど、特に注意しなくてもキャンプには持って行かなかったところが偉いのだった。

2006.6.17
 今年はヒデフミが受験生だからキャンプなどの遊びに付き合わせるのは自粛しているのだ。ま、それ以前に中学3年ともなると父親と遊びに行くことも減って当然だけどね。やがてアツフミもそうなるのだろうけど、今は喜んで付き合ってくれるので、二人でできるだけたくさん遊ぼうと思っているのだった。

 久々に土曜日に休めたので先週は今年2回目のキャンプに行った。GWに三重県のキャンプ場に行ったときは渋滞で大変だったけど今回は楽勝。同じ方面だけど距離的にも近いグリーンランドあさけキャンプ場までは、出発までに宿題をやってないとかゴタゴタしても、多少道を間違えても、スイスイなのだ。さて、理想的には、キャンプ場に着いたらアツフミと協力してテントやタープを張って、食事も一緒に作ってといきたいところなのだが、アツフミはさっそく虫網を持ってその辺を探検に行くのでテントもタープもボク一人で張ることになる。一人で張るのはコツがいるのだが、アツフミが非協力的なので上手になってしまっているのがやや複雑なキモチなのだった。ヒデフミが居れば二人で遊んでるのだが、一人だとさすがにつまらなくなるようで、サイトの設営が終わったら遊び相手になるのだ。バドミントン、キャッチボールなど次から次へと遊び倒す。マス釣りももちろんやる。暗くなるまでひたすら遊ぶのだった。暗くなってきたら焚き火の開始だ。ウチから持参した庭木剪定後にできた大量のマキを使って延々と。その火で料理もし、花火もし、焚き火そのものも楽しみながら寝るまで続けるのだった。朝、テントをたたく雨の音。小雨だったし、撤収時にはほとんどやんでいたから、帰宅後にタープとテントを畳み直すだけですんだけどね。やはり手ぶらでは帰らないアツフミはカエルをゲットしていたのだった。家に帰る前にもうひと遊び、前週に続き愛知健康の森でザリガニとオタマジャクシ捕り。そうだ、いきもの日記も更新しなくちゃ。

2006.6.12
 一ヶ月以上空いちゃったあ(>_<)
 ヒデフミは受験生で遊んでくれなくなってるので、アツフミと二人で遊びに行くことが多くなった。だからヒデフミネタは1ヶ月でもそんなにないのだがひとつだけ書いておこう。心配性のヒデフミはTVでやってる「本当は怖い家庭の医学」とかいう番組に影響されてか、ほっぺたにしこりがあるのが気になって病院に行きたいという。ボクは様子をみても大丈夫だと思ったのだがヒデフミは真剣なのだ。受付で何科にかかればいいのだろうと話してたらヒデフミ「ガイカじゃねーの?」と一言。そりゃ外科のことかい。ボクは別の意味でヒデフミを心配したのだった。案の定ほっぺたのしこりは医者には相手にされず、それでもそこそこの診察料を払っていい勉強をしたのだった。

 アツフミはとにかく生き物にハマっている。ブルーギル釣りに行ったり、学校でオタマジャクシを捕ってきたり、近所でカマキリを捕ってきたり、キャンプでメダカや水棲昆虫を捕ってきたり、公園でザリガニを捕ってきたり、店でカブトムシヤクワガタムシを買ってきたり。飼育用のプラケースはもう置く場所もないくらいなのだ。あ、アゲハの幼虫もまだちいさな黒い毛虫のころに捕って来たのが、立派な緑色の幼虫に成長しているし。「生きもの日記」もホントはもっともっと更新できてるんだけどなあ。なるべく小さいエピソードを拾って日記に残したいと思っているのだった。

 オタマジャクシは大量に居たのがどんどんカエルになっていって、このままだとエサが食べられなくてみんな死んでしまうからと公園に放しに行く。でもやはりそれだけではすまなくて、メダカ(?)を素手で捕ったり、ケースの蓋で捕ったりして、それでも満足できなくて一旦自宅に戻ってから出直して網で捕ったりして、結局プラケースは片付かないのだった。

 アツフミが自転車でこけて2針縫う怪我をする。残業してたらヒデフミから「あっちゃんがやばいよ」という電話が入って急いで帰ってみたら唇をざっくりと切っているのだ。ボクも唇というか鼻の下を2回たくさん縫うケガをしてるので、これも父の遺伝なのだと冷やかす。運動会がすぐに迫っていたので棄権するしかないと思っていたら、雨で2回延期になって、平日なので見に行けなかったのだが、全力走一位になったそうで、それはよかったのだった。

2006.5.6
 そういえばせっかくのGWなのにキャンプの計画を全く立ててなかったので、これはイカンとアツフミに行きたいかと聞くと「行きたいに決まってるジャン」という嬉しい答えで、急遽3日の一泊で行くことにする。渋滞が心配だったので近場でもと思ったのだが、釣りができて行ったことがないところにしようと思うと何箇所かは満員で断られ、決まったのが三重県の美杉村のヒストリーパーク塚原というキャンプ場だった。10時ごろアツフミと二人で出発。ある程度の渋滞は覚悟していたが湾岸道を西に走ってると四日市JCを頭に7kmの渋滞、しかも事故の第一報との情報。事故渋滞は下手すると全く動かなくなるし、仮に抜けてもこの先の東名阪道は亀山で大渋滞が予想されたので、みえ川越ICで一般道に下りる決断をする。そこからはガマンの23号線だ。決してスムーズではないが動かない渋滞よりマシ。アツフミと楽しく会話しながらだからそう苦にはならなかったぞ。途中ラーメン屋で昼食。大人気の店も覗いてみたのだがだいぶ待たされそうでパスし、適当に入った店だった。入った瞬間外したかと思ったけど、出てきたラーメンはまあまあで、壁には雑誌に掲載されましたと切抜きが張ってあったりしたのでよしとしよう。その後、中勢バイパス経由、津ICから久居ICまでは伊勢道を走りキャンプ場へは2時半過ぎにようやく到着。さすがに途中アツフミは寝てしまってたね。食事や買出しを挟んだとはいえ5時間近いドライブは疲れる。帰りはすごく順調で9時半過ぎに現地を出て、途中温泉に寄っても12時過ぎには帰宅できたので、そう遠いキャンプ場というわけではないのだけど。
 さて、キャンプ場は林間の傾斜地で、杉林を切り開いて作ったようだ。最近できたばかりなのだが、整地された区画は満員で、一番端っこの杉の木が残っているところを指定される。地面はでこぼこでふかふかで枯れ枝や落ち葉だらけで決して快適ではない。しかし、アツフミはここをものすごく気に入ったのだった。なぜかというと、サイトのすぐ横に直径15mほどの浅い池があって、ここが水棲昆虫やオタマジャクシの宝庫だったからなのだ。設営の手伝いはタープを立てるときにポールを持っててもらっただけであとはボクが一人でやって、アツフミはひたすら池に網を入れていた。で、さすがアツフミ。メダカ5匹、ヤゴ数匹、ガムシ数匹、クロゲンゴロウ1匹、オタマジャクシ大量をゲット。こいつらは水草や藻と一緒に持ち帰ることになるのだった。
 釣堀でのマス釣りはそう難しくなく、3尾釣ったところでやめ。もちろんこれは夕食に。あとはバドミントンやったり遊具で遊んだり。暗くなってからはひたすら焚き火だ。途中花火も。夕食は手抜きの焼きうどんがメインだが、炭火で焼いたマスやハムは美味しかったね。夜はカエルの鳴き声がすごくやかましかったけどアツフミは熟睡できたようなのだった。翌朝も早速網を持って池の周りをうろうろするアツフミ。「また来たい。ここ最高」と言うのだった。
 さて、持って帰った生き物はアツフミが世話をするのだ。メダカ(たぶん違う魚だけど)がいるのでエアーポンプ付きの水槽を新たに購入。ここにはオタマジャクシの大きいのも入る。浅い水槽には陸地も作ってやって、水棲昆虫と足の生えてるオタマジャクシを入れる。いきもの日記ネタにもしようと思ってるけど、水槽の数は熱帯魚・ザリガニ・カメ・イモリのと合わせて6個にもなってしまったのだった。アツフミは本で飼い方を調べながら「オタマジャクシはパンくずを食べるんだちょー」とか言いながら嬉しそうにしてるのだった。

 アツフミは昆虫も忘れていない。子供の日におばあちゃんにお小遣いを貰ったので早速パリーオオクワガタとスマトラヒラタクワガタを購入。戦わせて遊んでいるのだ。もっとも、こいつらの決着はすぐに付いたようで、再戦はないらしい。そうそう、小型のラクタールとかいうクワガタとコクワガタも少し前に買ってきてて戦わせようとしたのだが、こっちはなぜか仲良く一緒に暮らしているのだそうだ。他にもったいないので戦わせないメタリフェスホソアカクワガタとかいうのもいる。ギラファノコギリクワガタの幼虫も順調に成長しているのだった。

2006.4.30
 先週、久しぶりに名古屋港水族館にアツフミと二人で行った。たまたま昆虫のナントカの大画面映像企画をやっていて、時間がイルカのショーと重なっていたのだがアツフミは昆虫を選択。ホントに昆虫好きなのだ。もちろん魚もたっぷり見たけれど、お土産に買ったのもオニヤンマのヤゴとコクワガタの成虫オスだったりする。

 そう、最近は休みの日でも家族でお出かけしてなかったのだ。GWだけど今年は何も計画してなくて寂しい限り。なので無理やり初日に東山動物園に行く。ここも久しぶり。せっかくだから一通り見て回るが、あまり気乗りしていなかった息子たちも結構楽しんでいるようで、お出かけしてよかったーと思ったのだった。スカイタワーも上ったし。ヒデフミは日曜日にお出かけすると帰宅してから片付けや掃除や翌日はまた学校だとかそんな雰囲気がイヤなのだそうで、今回の土曜のお出かけは嬉しかったようなのだった。

 実はアツフミがここのところ学童に行っていない。成長過程でいろいろ思うところもあるだろうから気長にまた行きたくなるのを待つって感じで接している。親としては学童を是非6年間続けて、感動的に卒所してもらいたいので、折に触れて学童の話をするのだけど。放課後、暇かというと、野球部に入って何度か練習があったようで、それは楽しんでいるらしい。もう一つ、今熱中しているのが先回書いたオタマジャクシやヤゴの世話なのだ。すごく小さいオタマジャクシなのだが、ちゃんと手足が生えてきてカエル泳ぎをしているので熱帯魚の水槽から小さな水槽に移す。尻尾が取れたら陸地を作ってやらなきゃいけないからとか。ヤゴもまだ元気にしているようで、なんと脱皮をした皮が水槽のフタに置いてあった。さていつまで続くのだろう。

 我が家の庭の雑草が繁茂し始めたので家族総出で草抜きをする。ヒデフミもアツフミもこんなときはけっこう頑張って手伝ってくれるのだ。勉強しろと言われるよりいいみたい。もっとも一段落したころからはホースで水をまいて遊んだりし始めて、結局「いつまで遊んどるんだ。はよ勉強せい。」と言われることになるのだった。

2006.4.22
 先週の串原での花見ライブにはアツフミと二人で参加。行き帰りの車の中ではずっとおしゃべりをする。もっとも現地ではアツフミはトモローさんの息子さんたちと田んぼやあぜ道でずっと遊んでいた。これまでもヘビやイモリやミズカマキリなどを採集してきたアツフミの今回の獲物はタガメだ。家に持って帰って飼いはじめたのだが、けっこう大変なことになったのだった。まず、小さな水槽にタガメだけ入れて、餌は買ってきた冷凍赤虫をやってみる。ところがタガメは生きている餌しか食べないらしく、この赤虫はカメやイモリや熱帯魚に回されたらしい。生きている餌なんて難しいと思ってたら、アツフミが学校のビオトープから流れ出た水溜りからオタマジャクシを捕ってきて与えたのだ。これがなんとちゃんと体液を吸うらしい。アツフミは大喜びで毎日オタマジャクシを捕って帰ってくるのだった。で、水槽が小さいと思ったからなのか熱帯魚の水槽にタガメとオタマジャクシを入れてしまったのだ。ついでに捕ってきたらしいヤゴも一緒だ。この熱帯魚の水槽では、オタマジャクシやタガメが泳ぎまわり、ヤゴが魚を食べる様子が観察できるのだった。

 ヒデフミが1ヶ月以上かけてとうとうガンプラ・ストライクフリーダムガンダムを完成させた。これは大きいし部品は細かいし、関節は全て可動だし、配線内蔵で全身光るし、炭入れ・塗装もしているし、たいした出来栄えなのだった。ヒデフミも達成感・満足感が大きいようで、作ってよかったねと言いたいのだ。そういえばアツフミのνガンダムはどうなったんだっけ。

2006.4.16
 いつのまにか春休みは終わって、ヒデフミは中学3年に、アツフミは小学5年になってるのだった。ヒデフミは高校受験がいよいよ迫ってきたってことで受験生らしく・・・ならなくてはいけないのだが、ガンプラ作りは着々と進行しているようなので勉強してるのかあとチェックされまくりの日々だったりする。アツフミにとってのこの一年はいつ骨折するかハラハラドキドキの一年なのだ。というのは、ボクが小学校5年生のときローラースケートで転んで右腕の手首を骨折してて、妻も同じく5年生のときに手を骨折したらしく、さらにヒデフミも5年生の夏に左手の手首を骨折してるのだ。これはもはや偶然ではなく、我が家の家族はみんな5年生で骨折することになっているということなのだ。もちろんこのことはアツフミも知っているのだった。

 毎年家族でささやかな花見をするのだが、今年はお天気やスケジュールの関係でできなかった代わりに、先週、アツフミと二人で夜桜を観に行ったのだ。自転車で滝の水公園に行って少し花を見た後、ほら貝池公園まで。ここは池の周りが全部桜の木で、一部は提灯でライトアップされているのだ。桜の花も綺麗だが、アツフミと二人でサイクリングで来たのが嬉しかったのだった。

2006.3.29
 とんでもない失敗をしてしまったのだ。ヒデフミの誕生日をすっかり忘れていて、残業して帰宅したらケーキを買ってこなかったと責められたのだった。スマンスマン。最近、忙しいのでケーキは前倒しで日曜日に食べようと思っていたら塾の春季講座でダメだったり、プレゼントをフライングして買ったりしてたので、当日の感覚がなかったのだね。なにはともあれめでたいのだが、本人も午後3時までは忘れていたそうで、「しまったぁ、午前中に勉強しちゃった」とか言ってるのはオイオイそれは違うんじゃないのって感じ。ケーキは翌日買って帰ったのでよしとする。ちなみにヒデフミは13歳のうちにボクの身長を追い抜くことはできなかったのだった。

 ガンプラは二人とも少しずつ作っている。ヒデフミは炭入れしたりもしながら自力でやってるし、アツフミも今のところボクへのヘルプは固くて締まらないネジくらいなのだった。さて、春休み中に完成するのか。

 また3人で散髪に行った。いつも車で行くのだが、近いし、天気もいいので今回は自転車で。終わった後、ついでに軽くサイクリングだ。ヒデフミは付き合ってくれなかったけどね。アツフミと、満開近い滝ノ水川沿いのヒガンザクラを鑑賞しながら。悪くないねえ。来週にはソメイヨシノが満開になるはずなので遠出して扇川沿いを走ってアピタまで行こうと約束したのだった。

2006.3.22
 アツフミがキャッチボールをしたいというので近くの公園で付き合ってやる。定期的にやるほどの野球親子ではないのだけど、WBCで日本が優勝したのをTVで観たばかりなのでノリはいいのだ。アツフミはまた少し上手くなっていて安心してキャッチボールできる。ボクの腕が痛くなったので短時間で切り上げたのだけど、もっとやりたいと駄々をこねることもないところにも成長を感じたのだった。

 ウォークインクローゼットの中にあったカエルの衣装入れ(?)をアツフミが気に入ってしまい、入っていた妻の衣類を出して自分のものにしてしまったのだった。以前から、押入れの中に基地のような空間を作ってみたり、座椅子を並べて自分の部屋を作ったりしてたので、その延長なのだろう。共通してて面白いのが下にムートンの敷物を敷いて快適に座れるようにしているところ。このカエルの優れているところは持ち運びが出来るってトコ。2階に運んでは中で勉強したり(!)マンガを読んだり。リビングでは、中でゲームをしたり、顔だけ出してTVを観たり。面白いのでたいていのことは飽きるまでやらせようとは思うのだが、入ったまま食事をすることだけは許していないのだった。

 アツフミがお年玉で買った100分の1スケールのνガンダムのプラモはやはり難しすぎて放置されているのだった。15歳以上となってたから仕方ないか。代わりにお前作ってやれよとヒデフミに言ったが、自分のものになるのでなければやりたくないのだそうだ。アツフミは、徐々にステップアップってことで、144分の1スケールのストライクフリーダムガンダムに先に取り組むことにする。すると驚き。あっという間に作ってしまったのだった。ヒデフミに、アツフミがすごいよと言ったら、あれは簡単だから当たり前と言う。アツフミも作ってしまったら物足りなかったらしい。ちょうどいいのはないのかねえ。そうこうしてたら、ヒデフミが友人たちと約束したと言って出かけていって、ストライクフリーダムガンダムのなんと60分の1スケールの定価9000円くらいのを買ってきたのだ。あ、安くなってて7000円以下で買えたらしいけど、サイズもさることながら、光ったりするらしいので作るのは大変そうなのだ。もちろん15歳以上って書いてある。ありゃ、ヒデフミってまだ13歳じゃん。あと数日で14歳になるとはいえ、大丈夫なのだろうか。ま、一番心配なのは勉強時間との調整なのだけどね。

2006.3.6
 チケットを貰ったのでJリーグ名古屋グランパスの開幕戦を観戦しに瑞穂陸上競技場にアツフミと一緒に行った。ボクもアツフミもサッカー観戦は始めてだ。プロ野球のナゴヤドームと比べてしまうのだけど、昼間・野外・ビール飲まずということで、健康的なカンジなのだった。TVで観るのと違って、あまり知識のないボクたちは選手が誰が誰だかわからなくて応援も点が入ったときに拍手するくらいしかできないのだけど、緑のピッチ全体を見渡せるのは面白かったぞ。アツフミも結構楽しんでいたようで、ボクに付き合ってやってるって感じもするのだけどよかったよね。ボクが現地にいるとナゴヤドームではドラゴンズが1勝もできていないのだけど、この日のグランパスは見事勝利してくれたぞ。3−2でセレッソ大阪に快勝。計5点のゴールシーンも見逃さなかったのはラッキーだったし。さらに、帰りに寄った植田トロン温泉天の湯では脱衣所で同試合の録画中継をやってて、ゴールシーンを再確認できてよかったのだっだ。

2006.2.26
 日曜の昼食はたいてい外食だ。あるショッピングセンターの中のラーメン屋はけっこう美味しい。そのラーメン屋のレジのところに1本30円のアイスクリームが置いてあって、何度か食べたことがあるのだが、息子たちはだんだん慣れてきたのか、そこではアイスクリームを買わず、近くの31種類のアイスクリーム屋に行って選び始める。もちろん出費額には大きな開きがある。まだボクがいいともなんとも言ってないのにしたたかな奴らなのだった。

 アツフミの昆虫コレクションにまた動きがあって、現在はアトラスオオカブトの成虫が2匹いるのだ。アツフミに一人で留守番をさせてしまった日に、お土産のつもりで買って帰ったらスゴク喜んで、さっそくザリガニと戦わせたりしていたのだ。しばらくして、やはり同種で戦わせたくなったらしく、自分のお小遣いでもう1匹のアトラスオオカブトを買ったのだった。今は季節はずれだからなのか安いのでまあいいかってとこ。でも戦わせたのは1回限り。大きさはほぼ同じなのに力の差が相当あったのか、片方が足を1本もがれてしまい、戦えなくなってしまったのだった。

 ヒデフミがあいかわらずスクールランチの申し込みを忘れることがある。当日の朝、登校間際に弁当がいるというので大変迷惑なのだ。たまたま、ボク用の弁当を作っていたので持たせることにするが、カバンに入れるのを忘れて出て行くので、ボクに玄関から大声で呼ばれて、登校中のほかの中学生に聞かれて恥ずかしい思いをするのだった。

 1月末にニンテンドーDSがやっと手に入った。ソフトだけ買ってお預けだったのでとても喜ぶ息子たち。ところがそれからそんなに日も置かず、より小型化・高機能化した新製品LITEが発売されるとのニュースを見る。やられた、品不足だったのはそのせいか、とも思ったが後の祭り。悔しいので新製品の予約もしてしまったのだった。ま、息子は二人居るってことで。

 家族でトランプはずっとやってなかったのだけど、アツフミがスピードが強いというので相手をしてやる。おやまあいつの間にって感じで、ボクは本気を出したにもかかわらず、アツフミに連敗してしまったのだった。あと、大富豪をヒデフミも入って3人でやる。8切りとか10捨てといったボクにはなじみのないルールがあったせいではなく、アツフミが一番強い。ボクも革命を起こしたりして何度か富豪にはなれたけどね。ヒデフミは案の定弱いのを抱えたまま作戦ミスだあと自滅してしまったりで、性格がでていて面白かったのだった。

 アツフミが突然ガンプラ(ガンダムのプラモデル)を欲しいといって、逆襲のシャアに出てきたν(ニュー)ガンダムの1/100スケールを買う。これがパーツの細かいこと。それもそのはず、15歳以上と書いてある。アツフミはそれでも取り組み始めたのだが、最初のパーツでもうボクにヘルプ。ヒデフミは受験生(?)なので手伝い禁止だからボクがやるしかないのだ。やはりアツフミには難しすぎたのか、その後1週間が過ぎたが、どうやら放置されてしまっているのだった。そうそう、ガンダムは安彦良和さんのマンガの単行本を買っているので、息子たちもファーストガンダムのストーリーが分かるようになって、話が合うので嬉しい。モビルスーツの名前は逆にゲームで覚えた息子たちのほうが詳しいくらい。いやはや40過ぎてガンダムとは、高校生当時は想像も出来なかったよなあ。あ、下の社長机の左上に以前ヒデフミが作ったストライクガンダムのプラモが写っているね。これはアツフミが買ったνガンダムと同じスケールだけどもっと簡単だったそうなのだった。あと、ヒデフミはΖ(ゼータ)ガンダムも買ってるけど、これは友達に組み立てを依頼したらそのままになってるとか。二人に一言、自分で作りなさいって。ボクが子どものころは塗装までやったって。

2006.2.20
 散髪に行こうと息子たちを誘う。息子たちは前髪が目にかかってたり寝癖が直しにくくなってたりで早く切らなきゃならないのだけど、ちょうどバレンタインデーの前の週末だったのでヒデフミが「髪を切る→張り切っている」と思われるのがイヤだと言って行きたがらない。結局同行したのだが、髪のせいかどうかは分からないけどチョコはもらえなかったようなのだった。

 写真を参照していただきたい。我が家の2階の真ん中の部屋は実は「社長室」だったのだ。この札は近くのホームセンターで見つけたのだが、そこに実際に会社が買いに来るなんてことは想像できないのだが、けっこうたくさん並んでいたのだった。同行してたアツフミが面白がって買わなきゃいけないハメに。525円もする高い冗談になってしまったのだった。さらにアツフミが笑わせてくれたのが社長室のドアを開けて入ったらこっちを向いてる社長のデスクなのだ。可動式の引き出しにネームプレートを置いて椅子をこっちに向けているだけなのだが、妙に社長室らしくなってて、感心したのだった。アツフミが社長室の机は入り口に向いているというイメージを持っているのも面白いのだが、ネームプレートの他の面には「社長ざんすよ」、「沢田くぅ〜ん」と書いてあって、さらに笑わせてくれたのだった。

 ヒデフミのベッドが新しくなった。というより、新しいベッドを買ってやったのだ。今までのは2段ベッドの片方で、ヒデフミによるともう小さくて足を伸ばして寝れないのだそうだ。ボクは高校3年までずっと2段ベッドの片割れで寝ていたし、ヒデフミはまだボクを追い抜けていないのに生意気だなあ、なんて意地悪はいわず、買ってやったのだ。アツフミが「ボクも新しいのがいい」と言い出すのを警戒していたのだが、それはなくて一安心。ヒデフミはスプリングの効いたマットレスに満足しているようだ。ま、当然のことながら、アツフミはヒデフミの隙を突いてベッドで飛び跳ねて遊んでいるし、ヒデフミの掛け布団は朝になると落ちてしまっているのだった。

 今、まさにトリノオリンピック真っ最中。いろんなメディアで情報は溢れているのだ。なのにヒデフミにトリノはどこの国だと念のために聞いてみたら、首をかしげながら「確かカナダだったよなあ」という回答。何〜と呆れかえったところにアツフミがイタリアとツッ込む。ヒデフミは何かの映像でカナダの国旗が映っていてそれが印象深かったからと言い訳するが、手遅れで、バカ親日記ネタになってしまったのだった。

 ヒデフミが学習スケジュール表を作っていて、「塾」という漢字が分からないからと聞いてくる。ボクが「ナベブタ、クチ、子供の子、マル、下にツチ」と教えてやったのだが、こんな感じ?と見せてくれた文字はなんとなく似てるけどぜんぜん違う字になっていたのだった。

 「トリビアの種」で「クイズ王はレストランなどになるボタンを見ると押したくなる」というのをやっていた。カレーを食べに行ったとき、それを思い出して、アレンジして「早食い王」決定戦のようにカレーを食べ終わったらボタンを押したくなるかなと話してたら、アツフミが食べ終わったとたんボタンを押してしまって、早速駆けつけてきた店員にボクは平謝りすることになったのだった。

 我が家の七不思議のひとつに、洗濯物ネタがある。不思議なことに大量の汚れものを洗ったときでも、その中にヒデフミの衣類が全く入ってないことがあるのだ。ま、原因はわかっていて、洗濯が必要かどうかの判断はヒデフミに任せているのだが、通常は脱ぎ散らかす一方で、部屋がやばいことになってきたときにまとめて出すからなのだった。

 ヒデフミが朝食に「目玉焼き丼」をリクエストする。日替わりでいろいろ注文が入るので結構面倒なのだ。もちろん、「喜んで〜」と注文には応え、熱々にこだわった「目玉焼き丼」を作ってやるのだ。注文が「トースト」なら簡単なのだけどね。いやまて、「ラピュタのトースト」なんて日もあって、これはトーストの上に目玉焼きを乗せるものなのだった。

 いつも家の鍵を持っているはずの息子たち。ある日、残業してたらヒデフミから電話。ヒデフミもアツフミも家の鍵を忘れたのだそうだ。塾に行って電話を借りてボクの携帯に電話してきたのは立派なのだが、その後、しばらくの間、朝出かけるときに「鍵は持ったか」と必ず言われ、うっとおしいけど反論できないヒデフミなのだった。

 中学校はスクールランチなのだ。だが、これの注文がわかりにくいのかやりにくいのか、イキナリ、今日は弁当を頼むと言われることがあるのだった。とにかくシステムに欠陥はありそうなのだが、それにしてもヒデフミがボーッとしているのが一番の原因のようで、それも当日の朝に言われるものだから、たまたま作っていたボクの弁当をそのまま渡すことになるのだった。

2006.2.6
 週刊とか隔週刊の雑誌が出るとついつい創刊号は買ってしまうよね。創刊号だけはすごく安かったりするし。先週も「青春のうた」ってのを買ったばかり。CDが付いてて390円だから「買い」でしょう。自分でフォークソングやってるくせに、70年代フォークのことは知らないことが多いので勉強にもなるのでこれはしばらく買ってみようかな。その前に買ったミニカー付きの「国産名車」は創刊号だけでオシマイ。週刊「四国八十八カ所遍路の旅」なんてのは、実家の近くのお寺が取り上げられてるところだけ買った。読み返してみたら、なんと親父のお葬式のときお経をあげてくれた香園寺の住職さんが写真入で載ってるのを発見したり。アツフミのために買っている「世界の昆虫」はフィギィアが付いてて高いのだけど、まだ当分買い続けなければいけないようで。そんな中、出た「日本の100人」の創刊号は190円。買おうかどうしようか迷ってたのだが、たまたま側に居たヒデフミに、「創刊号は織田信長だけど、第2号は誰だと思う」と聞いたら「徳川家康、いや豊臣秀吉かな」という答え。ボクは勘を働かせ「坂本龍馬だ」と言ってからめくってみるとズバリボクの正解だったのだ。ヒデフミには「サスガ父さん」と思ってもらえたかな。もっともヒデフミがあげた「家康」は第3号、「秀吉」は第5号なので惜しかったのだけどね。これもしばらく買ってしまいそうな予感がするのだった。妻が買ってた「源氏物語」やCDが70枚近く残ったクラシック音楽のなど、いっぺん整理して別項で取り上げてみるとおもしろそうだなあ。そうだ、久しぶりに「わやプロフィール」のページの新コンテンツにしてみよう。

 飛行機に乗るときは金属探知機で検査されるよね。前にも書いたかもしれないけど、ボクはこれによく引っかかるので、知らないうちに宇宙人に改造されてるとか、身体に何か埋め込まれてるとかをネタにしたり、刺身ばっかり食べてるから水銀が蓄積してるんだとか言われたりしてたんだけど、お正月に帰省したときにヒデフミがやってしまいました。いや、身体で鳴ったんじゃなくて機内持込の手荷物検査のほうで。なんとハサミを持ち込もうとしたのだね。ヒデフミがなんでそんな凶器を持ち込もうとしたのかというと、お正月でも暇があれば勉強しなさいといわれたヒデフミは問題集といつも使ってる筆箱(ペンケース)をカバンに入れていたのだ。おかげで、そういうのは一筆書いて別に運んでもらえることとか、ちゃんと検査で発見されるんだということがわかって、ネタにも出来てよかったのだった。

 そうそう、お正月に久しぶりにカルタをやったら大ショック。息子たちが小さい頃はボクが勝つに決まってるから手加減してやってたのだけど、何時の間にか全力でやってもアツフミには勝てなくなってしまっているのだ。のんびりしているしているヒデフミには勝てるのだけど。これも成長が嬉しくもあり寂しくもありということなのだった。

 なぜか「人生ゲーム」をやりたいアツフミ。しょうがないから一回だけ付き合ってやる。アツフミは銀行役もやりながら大盛り上がりで遊ぶ。フリーターでいいやというヒデフミにリアルな心配もしたのだった。

2006.1.23
 先週、久しぶりに家族で映画を観に行った。「ハリーポッター」の新作だ。近郊の大きなショッピングモールの一角にあるその映画館は、座席指定なのはいいのだけど、チケットを買うのに行列しなくちゃならないのがイヤだったのだが、ネットで事前購入すると楽だという事に気付いて、もっと早くから試してみればよかったと後悔したのだった。そうそう、映画はボクにしては非常に珍しく、一睡もしなかったのだった。

 今年、初めてお年玉を全額自分で管理している息子たち。これまではボクが郵便局に連れて行って、ほとんどを貯金させてたのだが、だんだん欲しいものが高額になってきたので(といってもほとんどゲームソフトだけど)仕方ないかなってとこ。でも、せっかくのお年玉なのにゲームソフトだけではつまんないと思っていたら、ラジコンカーを買うことになったのだ。どうせならレースをして楽しもうとボクが提案して、レーシングカーを2台買った。ボクも少し混ぜてもらおうと、電池代はボクが負担する。子供の頃欲しかったけど買ってもらうことなんて思いもしなかったものだから。だけど残念なことにボクは楽しめそうにないのだ。なぜかというと、ボクは思い通りに操作できず、ぶつけてはバックしてとかになるのだけど、息子たちはなぜかイキナリスイスイ走らせているのだもの。寂しくもあるのだけど、とりあえず息子たちの才能に感心してしまったのだった。

2006.1.9
 この冬は二人とも風邪をひいたりせずずっと元気だったのは何よりなのだ。特にアツフミはまだ半袖・半ズボンを続けていて四国に帰省したときもその姿だったので周りの人みんなを驚かせていたのだった。感心するほど寒い日でも半袖でいたのだが母親が「見てるほうが寒くなる」という理由でフリースの上着を着せたところ、半袖の上に羽織るだけならOKとアツフミは決めたらしく、やっと安心してみていられる程度にはなったのだった。(かまくらの写真では半袖!)

 12月23日の大雪の日に息子たちは家の庭に「かまくら」を作ったのだった。ヒデフミははじめできるわけはないと思ったそうなのだが、アツフミは自信満々で、本当に作り上げてしまったのだった。家の庭の雪だけでは足りないので、道路や歩道や植木に積もった雪もかき集めてきて。ちょっと泥や草で汚れてはいるけれど立派なかまくらなのだ。ただし、さすがに中には入れるのはアツフミだけ。ヒデフミは自分は入れないのに手伝っていたのは立派なのだった。このかまくらは、もちろん少しづつ解けていくのだが、何と年明けて1月の9日まで痕跡を残していたのだった。

 ウチにはTVにつなぐゲーム機はあるが、携帯ゲーム機はずっと禁止してきたのだ。わりと息子たちは素直に従ってて、これまでそんなに欲しいとも言わなかったのだが、気がつくとお友だちはみんな持ってるし従兄弟・従姉妹もみんな持ってるということに気付いて無性に欲しくなった息子たちなのだった。で、親が認めないときはやらないし、管理も親にしてもらうって約束したので、じゃ買ってもいいか(ただし、自分たちのお年玉で)ということになったのだが、タイミングが悪く、N社のDSというゲーム機はどこの店でも品切れになってしまっていて、ゲームソフトは買ったけど、今のところ本体がなくて遊べないという状況なのだった。