2007年バカ親日記
 
(主な登場人物) お父さん(ボク) 44歳 、長男ヒデフミ 15歳、次男アツフミ 12歳

2007.12.30
 ボクがけっこう鉄道好きなので、息子達には電車関係のおもちゃは積極的に買ってやってたのだ。なかでも「プラレール」といえばボクが子供の頃からあったと思うけど、当時はとても買ってもらえるはずはなく、憧れだったのだ。アツフミが生まれた頃、とうとう買い始めてしまって、もちろん息子達も喜んだと思うけど、実はボクが一番喜んでいたってハナシ。レールや車両をどんどん買い足して、いろんなレイアウトを楽しんでたのだけど、そのうちだんだんやらなくなって、とくに息子達が興味をなくしてしまったので、ずーっとしまったままになってしまっていたのだった。ところがこの秋、南知多ビーチランドに併設のおもちゃ王国の企画で、もうすぐ実車が全て引退してしまう名鉄の名車パノラマカーのプラレールが期間限定で買えるってのがあって、出かけて行って手に入れてきたのだった。そうすると不思議なもので息子達もなぜかまたやる気になったらしく、写真のように部屋いっぱいのレイアウトを作り、電車の電池を全て入れ替え、走らせて遊んだのだった。さすがにボクは今回は見てるだけ。ウサギも興味津々なのは笑えるよね。ただし、一通り遊んだあとはまたまた急速に興味を失ってそのままレイアウトは放置されてて、何週間か和室が立ち入り出来ない状態だったけど、片付けさせてプラレールブームは終わったのだった。

 アランプーサンのライブのときは息子たちは夕食を食べに行くってことで付き合ってくれる。からうまスパ、イタリアンスパ、プーサンピザと食べるものは超ワンパターン。飲み物もカルピスソーダが多かったのだけどカナダドライジンジャーエールも飲めるようになっていた。ところがもう一つ別ブランドのジンジャーエールを試してみたアツフミだけど、これは辛くて飲めなかったようだ。そもそもジンジャーって生姜なんだよと説明すると生姜が苦手なアツフミはカナダドライも飲めなくなってしまったのだった。

 ココイチでカレーのメニューを開いたら「ゲソカレー」が目に飛び込んできた。それが「ケツカレー」に見えてしまい、アツフミにそのことを言ったら、ちょうどアツフミにもそう見えてたらしく笑いあったのだけど、店員さんに聞かれて笑われたようで、逆にアツフミは怒ってしまったのだった。恥ずかしネタがもう一つ、このあと、食べ終わって支払いをしようとしたら、なんと現金が100円ほど足りないのだ。クレジットカードは使えないというのでどこかで引き出してくるしかない。で、近くのコンビニにおろしに行く間、息子たちは人質として残しておいたのだった。ヒデフミが「俺たち走れメロス状態だな」と言ったのはナイスな突っ込みだったね。あー恥ずかしい。

 目覚ましが毎朝6時に鳴る。しばらく聞いていて止まる様子がないときはアツフミの部屋に止めに行く。そのうち自分で止めるようになった。だけどそれで起きるわけではない。後で聞いたら無意識とのこと。目覚ましの意味ないよね。ある朝、とうとう起きるのに成功してリビングに現れる。どうして早起きしたのかと思ったら、メープルなんとかというオンラインゲームを始めたのだ。朝早くでも大勢参加してるので感心してしまったのだった。

2007.12.26
 なんとなくクリスマスが終わってしまった。ほんの数年前まですごく大変な行事だった気がするのだけど。今年はツリーも出していない。○ンタッキーに並ぶのが嫌でチキンはア○タで買っちゃったし、ケーキも予約ナシで○座コージで買ったしね。息子達も新しいゲームさえ手に入れば演出には全く関心がないのだった。

 ボクはココイチのカレーが好きで、アツフミも大好き。キャンプの帰りにもわざわざ寄ったりするくらい。最近、ライス300グラムを完食できるようになったし、トッピングもワンパターンではなくなってきたぞ。でもヒデフミはココイチのカレーが苦手なのだ。本人曰く毎年1〜3月に出るグランドマザーカレーを、スプーン欲しさに(くじを引いて当たるともらえる)たくさん食べすぎたのが原因なのだそうだ。つきあわせてたボクが悪いってことね。週末のお昼、何食べに行こうと声をかけるとたいていアツフミはココイチと答える。ヒデフミは反対するのだけど、結局ヒデフミが折れてココイチになることが多い。せめて味を少し変えてみようとスープカレーを注文するヒデフミ。それも季節メニューなので12月になってからは困っているようだ。そしてまたグランドマザーカレーの季節が近づいているのだった。

2007.12.20
 我が家は家族でスポーツというのはあまりしないほうだと思う。いや、普通はしないよね。息子とはキャッチボールやったりするけど、妻も一緒にってのはなかなか機会がないのだ。9月だったか10月だったかのハナシだけど、1泊の家族旅行で泊ったのが職場の関係の施設で、テニスコートがあるのでいい機会だから頑張ってみた。テニスはみんなどシロウト。コートは3面あったけど、ボクたちしか居なかったのでよかった。他の人に見せられるレベルじゃないからね。さらにいいのが真中のコートでやったのだけど、ボールがあらぬ方向に飛んで行くので、横のコート1面分がなければ確実にフェンスオーバーってのが何度も防げたこと。もちろんホームランは何度もあったのだけどね。ま、4人の中ではボクがまだ一番上手でしょう。2番目はヒデフミかと思いきや、ダントツのホームランヒッターだったりしてたぞ。アツフミはけっこう上手い。妻についてはノーコメント。ボクは最近買ったばかりの緑色のマイラケットを使ったのだけど、息子達にはボクと妻が新婚時代に買ったラケットを使わせた。この10年以上も眠っていたラケットはもうグリップのテープがボロボロになっていて、終わったときには息子達の手は真っ黒になってしまっていたのだった。あ、ちなみに妻のはレンタル。続けて、卓球もする。ヒデフミが高校で卓球部に入ったのでどのくらい上達してるか是非見たかったのだ。ボクはそこそこ出来るつもりだけど上手な人とは相手にならないショボイレベル。アツフミはこれまたけっこう上手い。妻についてはノーコメント。そしてヒデフミは確かに小学生のころに見たときよりは上手になってるけど、あまり卓球部らしさは感じられなかったのだ。マイラケットじゃないとだめなのかなあ。あ、そうか、手加減してくれてたんだよね。

2007.12.13
 これはずいぶん前の話だけど、ヒデフミがメガネを作りかえることになった。視力も変わっているみたいだし、イメージチェンジもしたかったらしい。ところがこのイメージチェンジがやっかいで、冒険はためらわれるし、似合うじゃんと思ったら前と同じカンジだったり。なんと1時間近く迷いに迷って、付き合わされたボクはうんざりだったのだ。はじめはいろいろ手に取ってこれどうだなどと言っていたのだけど、30分も過ぎるとなんで決められんのだとちょっと参ってしまったのだった。やっとのことで決めたフレームはすぐ「やっぱりもう少し派手なのにしておけば良かった」ってことになったらしいのだけど、もちろん当分買い替えはしてやるつもりはないのだった。
 
 これもずいぶん前のこと。アツフミが小学校の修学旅行に行って、お土産に七味トウガラシを買ってきてくれたのだ。ひょうたん型というか小さいけど本物のひょうたんの入れ物に入っている七味は、ボクには辛さが物足りないのだけど、アツフミがお父さんへのお土産は何にしようと考えて選んでくれたものだと思うと、泣けてくるほど嬉しいのだ。だから大事に使ってたのでまだ残っている。辛くするだけならいつもの業務用ので十分だからね。京都・奈良への修学旅行はとても楽しかったらしい。ボクは中学校のときの修学旅行で京都・奈良には行っているけど、30年たって、息子が同じようなところをまわったっていうのが不思議な感じなのだった。

2007.11.21
 先日、半袖・半ズボンで頑張ってると書いたばかりなのだが、さすがに寒いらしく、とうとうアツフミは長袖・長ズボンで登校したのだった。仕方ないよね。朝、リビングのガスエアコンも初始動。こたつも出してちょーと言われたのだけど、和室は今プラレールで足の踏み場もない。プラレールについてはまた写真入で詳しく書くことにするね。アツフミは自分の部屋のエアコンも使いたいのだが、夏が過ぎてからも冷房を入れて寝ていたのでボクにリモコンを取り上げられていて、使えないのだ。もう少し寒くなったら返してやろうかな。

2007.11.17
 ボクはお弁当を作るのは好きで、自分の昼食は基本的には弁当だし、何人か分を毎朝作ってもそんなに苦にはならないのだ。ヒデフミが高校生になってからは毎日弁当なので以前よりも意識して夕食時に弁当のおかずになりそうなものを作ったり、お惣菜を買ったりしている。自分の弁当はそんなに見た目を良くしようとは思わないのだけど、ヒデフミのは色が茶色ばっかりにならないようにとか、おかずが揚げ物ばっかりにならないようにとけっこう気を使っている。写真はある日のヒデフミ弁当。ヒデフミの弁当箱はおかずの仕切りがしっかり入っているので詰め合わせをしやすいのだが、毎回5種類のおかずが必要になるのは大変かも。ごはんにはフリカケ。メインのおかずはこの日は出来あいのナスの肉はさみ揚げ、サブが前夜作った豚の生姜焼き、サラダは出来あいでハンバーグはレトルト、かぼちゃの煮つけは前夜自作。色合いを考慮してブロッコリーの茹でたのとミニトマトも使用。だいたい毎日こんな感じ。ボリュームとしては少し多いのか、ヒデフミは残してくることもある。なぜか何種類かのおかずやごはんを少しずつ残すので、もう一頑張りで食べられるのだからと一応文句を言っておく。文句といえば、帰宅したら弁当箱を軽くゆすいでシンクに置いといてほしいのだがなかなか習慣づかないのでいつも「弁当箱出せー」と言われるハメになるのだ。先日、朝、弁当を作り終えたときに「今日、調理実習だから弁当は軽めにしてね」と言われ、「もう作っちゃったから死に物狂いで食え」と答えた。するとその夜帰宅したらヒデフミが弁当の残りを食べていた。ま、涼しい季節だし責任感があっていいか。そうそう、アツフミは行事のときしか弁当を必要としないのだけど、この間、滝っ子フェスタという学芸会みたいなものがあって、土曜日なのでお弁当がいったらしいのだけど、自分のお芝居は見られたくないから来るなと言われてたし、プリントも見せてくれなかったので弁当のことを知らないままで送り出してしまったのだ。あとでどうしたのか聞いたら、友達のを少しづつ貰って食べたそうで、自業自得だとは思いながらも申し訳ないなあとも思ったのだった。

2007.11.14
 普段はテストの答案など見せてくれることはないアツフミなのだが、先日の塾のテストのだけは嬉しそうに見せてくれた。見ると国語も算数も77点だ。頑張ったねと褒めてやると、見所は別にあって、整理番号が7番だったので777に見えるところなのだった。

 今年も半袖・半ズボンで頑張っているアツフミ。朝夕はさすがに寒いらしいが、年明けまでは続けるのだそうだ。決して身体が丈夫なわけではなくて、しょっちゅう熱を出したり頭が痛いと言っているのだけどね。

2007.11.9
 ヒデフミがボクの身長を追い抜いたのはずいぶん前だし、成長が止まってるボクとは違ってまだまだ伸びるヒデフミとの差は広がるのはわかっているのだ。でもさすが若いなあと思うのは足の長さだ。なんと、ヒデフミは春先に比べて足が5cmも伸びたらしく、まだ半年しかたってないのに制服のスラックスの裾をお直ししたのだった。そういえばぼくの記憶にはスラックスの裾を伸ばすなんてお直しは全くないのだ。美脚スーツなんてのを買っても、スラックスの裾は無残にも切られてしまうのだった。

2007.11.6
 今年のキャンプは9月までで3回やったが、全て雨に降られてしまっている。最後くらいは気持ちよく太陽の下でテントやタープを畳みたいとの願いは10月21日にようやくかなえられたのだった。お天気が重要なので、当日朝まで決行するか否かを決めずにいる。そして当日、天気予報では文句なしの晴れ、これならと、行き先は津具高原グリーンパークと決定し、電話を入れる。夏だと予約がいっぱいってこともあるけど秋なら大丈夫だから。夏とは違うのは、日没が早いので出発も急がなくてはいけないってことだけど、ついいつもの調子で昼ごろの出発になる。アツフミと二人の父と子のキャンプだ。アツフミによるとヒデフミも行けばよかったとか言ってたらしく、強引にでも誘えばよかったかなと少し後悔。ヒデフミとのキャンプはずいぶんご無沙汰だからね。現地着は3時半ごろ。テントとタープを張ってもまだ明るいので間に合ったーってとこだけど、もう既にけっこう寒い。場内を散歩したらもう暗くなってしまった。夕食メニューは父と子のキャンプの定番、味噌煮込みうどんに豆腐や豚肉やキノコなどを入れたお手軽鍋と炭火で焼肉だ。アツフミはもっぱらマシュマロを焼いて食べてたけど。寒いのでとにかく焚き火を続ける。そうそう、ドラゴンズの試合を車のラジオでチェックしたりも。勝ててよかったあ。空は満天の星。マキが尽きたところで早めに寝たのだった。

 翌朝、車のフロントガラスについた夜露が凍っていたのにはビックリ。テントもタープも夜露でぐっしょりだけど大丈夫、この日も完璧な晴天なので日が差してくればどんどん乾くのだ。朝食にはラーメン。写真のラーメンはボクが食べた韓国製のノグリラーメンだ。これは麺が太くて独特の食感で美味しい。ちなみにアツフミは出前一丁。さて、あとはボクは撤収作業、アツフミは楽しみにしていたマス釣りだ。キャンプ場の企画で無料で釣り放題だってので期待していたのだけど、肝心のマスがあまり居なくてサッパリ釣れないのだ。いや、居ることは居るのだけどエサには見向きもしない。それでもプロっぽい人はどんどん釣り上げてたから悔しいけどそのマスが居るポイントには何本も竿が向けられていたからアツフミも頑張ってたけど難しいよね。それでも大きいのと小さいのとで2尾釣り上げてたのはたいしたものなのだった。テントとタープもすっかり乾いて今シーズンご苦労さん。

 昼にキャンプ場を後にして、車で串原の岡村さん宅へ。収穫祭に参加させていただくのだ。釣りで時間をとられて遅刻だったので着いたらもう芋煮が出来ていてまず食べるほうから。アツフミは早速シマヘビを捕まえていたっけ。サトイモとサツマイモ掘りをやって、柿取りもやらせてもらって、たくさんお土産に持たせてくれて幸せなのだった。終日雲ひとつない晴天。最後に串原温泉ささゆりの湯へ。露天風呂から日没と夕焼けを楽しめる。アツフミはあまり興味がないようだけどね。帰りは真っ暗だけど、以前は寝てしまってたアツフミがずっと起きてて話ができるので眠くならずに済んだのだった。

2007.10.30
 朝、洗面台でヒゲを剃っていたら後ろにアツフミが立って話しかけてきた。何気なく鏡に映ったアツフミを見たら何やら手の甲に書いてある。「なんて書いてあるの」と聞いたら、「あっ、絵の具忘れるところだった」と慌てるアツフミ。そういえばよく手にメモしてるよなあ。でも人に言われないと気付かないんじゃ手のメモも意味ないよなあ、と思ったのだった。

2007.9.29
 9月25日は中秋の名月だった。ボクが帰宅した直後にアツフミが息を切らして帰ってきて、手にはお菓子の入った袋を持ってて、嬉しそうに「お月見泥棒してきたよ」と報告する。ボクは言葉では聞いたことがあったけど、現存する行事だとは思っていなかったのでビックリ。職場の人に聴いたら「聞いたこともない」という人がほとんどだったので、この地方ではポピュラーと言うわけではなさそう。新しい家ばかりのウチの学区ではもちろん行われていないけど、アツフミは友達に誘われて隣の学区に行ったそうな。そちらでも新しい家ではやってなくて、古い家で数軒やってるだけだったそうだ。お菓子を貰ってもお礼も言わない子がいるとか、ごっそり持って行ってしまう子がいたりで、今の時代では難しい行事なのは確かだけど、なくなるのは残念だよね。アツフミの目の前でも、残ってるお菓子を全部取った中学生がいたとか。ネットで「お月見泥棒」を調べたらそれなりに現状が見えては来る。そうそう、そのときにわかったというか、今まで知らなかったのは恥ずかしいのだけど、中秋の名月は満月だとは限らないってこと。旧暦で決まってる日なので満月に近いのは確かだけど月齢の15とはずれがあるのだそうだ。確かに25日はすごく綺麗に見えてたけどまだ満月には早かったね。

 肉体再生日記の方にボクが滝の水公園でタヌキを見て、アツフミが羨ましがるだろうって書いたけど、その後、アツフミもタヌキを目撃することができたそうだ。塾の帰りに公園から出て道路を渡ろうとする親子タヌキがいるのに気がついて、親が先に渡って、子供が後から渡ろうとしてたけどアツフミに気付いて隠れてしまったとか。ほら、ホントにいたでしょ。残念なことに、その後ボクが車で通勤途中、同じ場所で車に轢かれて死んでるタヌキを見てしまう。大きさからたぶんお父さんタヌキだ。残された妻子タヌキが心配なのだった。

2007.9.24
 今年のキャンプは雨にたたられてる。6月のNEWテントデビューも雨の中散々な撤収だったというのに、2回目の9月頭のキャンプでも夜から降り始め、雨の中の撤収になっちゃったもんなぁ。このときのキャンプは毎年恒例の友人たちとのキャンプで行き先は和良川公園オートキャンプ場だった。お気に入りのキャンプ場で、わりと空いてるし、管理人のおじさんたちは気さくなカンジだし、川で遊べるし、魚や昆虫も捕れるのだ。以前はオオサンショウウオにも出会ったし、ウチで飼ってるイモリ5匹のうち3匹のお里でもあるのだった。でもホント雨が多い。子供たちが楽しみにしていたソーメン流しも断念せざるを得なかったっけ。ま、でも夕食も終わってテントに入ってからの雨ならまだいいのだ。撤収も、車の荷室にシートをしいてぐしょぐしょのテントやタープをとにかく放り込むしかなくて、帰宅してから乾かして畳んでってのが面倒だけど、カーッと強烈な日差しの中で汗だくで畳むのも大変だからどっちもどっちってとこ。でも昨日・今日で行ったキャンプは悲惨だった。行き先は雨キャンプのリベンジのつもりでまた和良川公園。今回はアツフミと二人の「父と子のキャンプ」で気楽に行ったのだけど、出発ものんびり13時過ぎに家を出て、昼食とったり買出ししたりしたから現地着は16時過ぎで、早速テントとタープは張ったら、ちょうど終わったときに雨が降り出したのだった。普通の雨ならテントで寝るのはもちろん、タープの下で料理も出来るし焚き火だって出来るのだけど、今回の雨は半端じゃない。まさにバケツをひっくり返したような土砂降りで、風もあるのでタープの中にも吹き込んでくるし、一瞬で全身びしょびしょになる。その上、雷が鳴り始め、かなり近くに落ちてる様子。ここで、ボクのキャンプ歴でも前例のない、キャンプサイトを放置して旅館に避難という決断をする。あのままでは全然楽しくないし、風邪引くし、最悪、雷に打たれるってこともあるかも知れないからね。ワイパー全速でも前がよく見えない雨の中、車で30分ほどの飛騨金山温泉の道の駅に到着、ここで宿泊も出来ればよかったのだけど満室だったから、温泉に入って夕食をとってから金山の町の中の旅館に素泊まりすることにする。いやはや、この決断は正しかったと思う。天気情報を見ると大雨洪水雷注意報が出てたし、旅館の女将さんも今日の雨はすごかったわネエと言ってたくらいだから。温泉は気持ちよかったし、アツフミは飛騨牛焼肉定食を食べて満足だし、旅館ではTVも見れるしビールも飲めるし布団で寝られたのだから。翌朝(今朝)、旅館を出てキャンプ場に戻る。雨は上がっている。驚いたことにけっこうキャンプ場で朝を迎えたキャンパーが居ること。6人くらいでタープを支えてた人たちはあの後どうしたのかと心配だったけどちゃんと朝食とってたし。ボクが張ったテントとタープは、主が居なくなっても風雨に耐えて健在だった。心の中で「置き去りにしてごめんね」と謝る。管理人のおじさんはボクたちが避難したって知ってるので料金を返金しますと言ってくれたのだけど、キャンプした人たちもいたわけだし、ウチも朝食は作って食べたし、バドミントンやったり、魚を捕ったりしたから返金はいいですと答える。気持ちは嬉しいけどね。ホント雨でもいいキャンプ場だぞお。10時過ぎ、テントの底が乾ききらないうちにまた雨が降り始める。なのでテントだけはあとで干しなおしだけどとりあえずそんなわけで雨のキャンプは終了したのだった。

 以前から息子に大型TVにしようよ〜と言われていたのだけど、まだまだ高額なので「40インチで20万円を切ったら買おう」と答えていたのだ。 そしたら、いつのまにか切っちゃってましたね。約束なので(ホントはボクも早く欲しかったのだけど)、思い切って40インチの液晶TVを買っちゃったのだった。初めは、その大きさに感動、そして地デジの映像の美しさに感動。だけど、そんなのにはすぐ慣れちゃうのがカナシイ。和室に移動した旧メインTVの28インチが妙に小さく見えるし。さらに、ウチのHD録画機はハイビジョン対応ではないので、高画質で楽しめるのはほんの一部になってしまうのだった。息子たちも数日たつと40インチで当たり前になってしまってて、安くなったとはいえ、清水の舞台から飛び降りるつもりで買ったボクの決心とあの感動はどこへ行ってしまったのだあと憤るのだった。

2007.9.16
 では、バリ編の続きから。慌しいのはイヤだから今回は事前にオプショナルツアーは申し込んでなかったけど、ずーっとのんびり過ごすだけってのは出来ない性質なので結局3日間とも出かけることになってしまったのだ。息子たちはずーっとホテルのプールとビーチがいいのだろうけどね。

 初日、まずはたっぷり遊ぶ。グランド・ハイアット・バリ・ホテルのビーチは遠浅で、ずーっと沖のほうまで歩いていける。潮溜まりにはヒトデやカニや魚がいて、こういうのはアツフミが大好きなのだ。プールは6つもあるとガイドブックには書いてあったけど実際に遊べるのは2つかな。一番のお気に入りはメインプールのバスケットゴール。ボクも好きだけど息子たちも夢中になって延々とやってたね。アツフミは初めはうまく出来なかったダンクシュートを練習してすごく豪快に決められるようになって嬉しそう。自分たちだけで独占するわけにはいかないからガマンするときもあったけど、たぶん息子たちが一番長く楽しんでいたと思う。外国人の親子とボクらとで3ON2をやったりも。言葉はテキトーだけどちゃんとゲームになるのが面白い。そうそう、ボクはビリーズブートキャンプのノリのエクセサイズに参加させられてプールの中で外国人と手をつないだりしてしまったのだけど、このときは息子たちは他人のフリをしてたっけ。3時にオプショナルツアーに出発するまで昼食も抜きで遊び続けたのだった。

 ツアーは運転手と現地人(日本語は上手)ガイドとうちの家族で大型ワゴン車で回る。このときまで知らなかったのだけどバリ島の道路事情と言うか交通ルールと言うかにはまさにカルチャーショックだったのだ。とにかくバイクが多いし、そのバイクには3人とか4人が乗ってたりするし、そのバイクは右から左から抜いていくし、逆に遅いバイクを車はクラクション鳴らしてギリギリで抜いていくし、道端には人や犬がうろうろしてるのにすごいスピード出すし、対向車が来てても平気で対向車線にはみ出して追い抜きを掛けるし、といった具合。よく事故らんなあと感心して、開き直るとそれも楽しめたのだけど。でも最初のボクのオドロキは、疲れ果てて寝てしまっていた息子たちには伝わらなかったのだ。あとでスグ実感したとは思うけど。タマン・アユン寺院を見学してからタナ・ロット寺院へ。かわいい少女から絵葉書と扇子を売りつけられたボクに息子たちは冷ややかな目。でっかいヘビを首に巻いての記念写真は東山動物園でウチは慣れてるので逆に不思議がられたり。潮の引いた海岸を歩いててアツフミがサンダル擦れで歩けなくなっておんぶしてやるが、その重きに驚いたりも。夕日の名所なのだけどこの日はハズレで残念。ディナーを食べてからホテルに戻る。息子たちが何時に寝たかは知らないのだった。

 2日目は朝からツアー。息子たち(と妻)をたたき起こして朝食を済ませ、今回の最大の目的、キンタマーニ高原を目指す。芸術の村ウブドを車からのウインドーショッピングで通過し、モンキーフォレストで熱帯雨林とサルを見学し、ライステラス(棚田)では土産物売りの攻勢にタジタジとし、子供がバイクの運転をしてるのに感心しながらついにキンタマーニ高原に到着。おぉ、着いたところは外輪山の上で、そこまでの景色とは一変して、火山と大きな湖を見下ろす爽快な眺めが楽しめる。ネーミングはともかく来てよかったーと感動したのだった。景色を楽しみながらのインドネシア料理のバイキングもよかったし。あと、バリ・ヒンドゥー教総本山のブサキ寺院とスマラプラ王宮跡を見学してツアーは終了。ボクと妻はヤレヤレなのだが、息子たちはそれからホテルのプールで遊ぶ。もう暗くなってるのにバスケはやめられないらしい。最後にはプールには息子たちだけしか居なくなってたのだった。
 
 3日目はまたプール三昧。バリニーズプールにも行ってみたけど子供向けではなく、やはりメインプールへ。トップレスの外国人女性もいたが、息子たちはそんなに意識はしてないみたい^m^。休憩は全くなしで遊び続けるので、ときどき声を掛けてペットボトルの水を飲ませる。昼食は憧れのプールサイドデリバリー。ピザとフライドポテトはボリュームたっぷり。この日も夕日がらみのツアーを申し込んだけど、4時前まで遊べたからまぁ満足してくれたと思う。ホントはこの日は最後まで好きなように遊ばせてやろうと思っていたのだけど、初日の夕日が良くなかったので、ボクが一生後悔するくらいならとウルワツ寺院のツアーに申し込んでしまったのだ。ここは野生のサルが危険だと聞いていたのでアツフミは棒切れで武装していたのだけど襲撃されることはなく拍子抜け。ここがよかったのはケチャッダンスがプログラムされていて、夕日の見える観客席にずっと座っていられたのでじっくり夕日が観れたこと。ボクは夕日に専念しようと、あえて家族と離れて座ったのだけど、あとでアツフミの撮った写真を見たらボクが撮ったのより良く撮れてるのもあってビックリ。そうそう、今回アツフミにカメラを持たせたらけっこう味のある写真を残してくれたぞ。この夕日の写真もアツフミ作だし。そして最後の夜は空港の夜景が見えるジンバランビーチでのBBQ。すごい量だったけどみんなたらふく食べたのだった。
 
 そして帰国日。まだ暗い時間にたたき起こす。到着時のトラブル以外は時間に遅れることはなかったので褒めてやろう。それにしてもアツフミの荷物は重い。マンガやゲーム機がぎっしり入っている。読み終わったのや使わないのはスーツケースに入れてやると言っても、このギッシリってのがアツフミのこだわりみたいで言うことを聞かない。それでいて、ときどき重いからと持たされてしまったりもして迷惑なのだった。日記には特にヒデフミがどうと書いてないのだけど、彼はマイペースで楽しんでいたと思う。そうそう、妻はプールで遊んでる時間は別行動でマッサージや買い物を楽しんでいたのだった。というわけで、バリ編終わり。

2007.9.15
 もちろんとうの昔に夏休みは終わってて、いろんな出来事が記憶のかなたへ消え去っていってるのだけど、思い出し出し書くのだ。

 えーと久しぶりの日記なのでまずは小ネタから。ナガシマスパーランドにあるジェットコースターのすごいので事故ってしばらく休止してて今年再開したけど怖くてまだ乗ったことのないアレ、なんて名前だったっけ、という問いに、ヒデフミは自信満々「スチームドラゴンじゃねーの」と答えたけど、ん?ビミョーに違ってるよね。蒸気出してどうすんの。そうそう、思い出した「スチールドラゴン」だったね。ヒデフミはマジ間違えて覚えてたみたいで、友達の前で言わなくて良かったーって、バカ親日記に書いちゃったんですけど。

 さて、この夏の我が家の最大のイベントはバリ島への旅行だったのだ。行く前はそれどこにあるのって感じで、インドネシアだとか、ヒンドゥー教寺院だとかピンと来なかったのに、一回行っただけで何でも知ってるような気がしてるのはご愛嬌。ツアーのパンフレットを見て、オプショナルツアーに「キンタマーニ高原」とあるのを見つけて、おぉ、面白そうだ、と、これが行き先を決めた最大の理由だったりする。5日間の日程だけど初日と最終日は飛行機で異動するだけなので正味3日間の旅行なのだ。

 こういう旅行のときは時間に厳しくなくてはいけないのだけど、ウチはいつもギリギリになってしまう。中部国際空港まで行くのにも、平日の朝だという意識がなくて朝の渋滞にはまってしまい、集合時間数分遅れ。ツアーなので迷惑をかけてはいけないと注意してたのだけど、バリ島のデンパサール空港に着いて、入国審査の際に、なんとボクが機内でCAから受け取って記入していた入国カードがインドネシア人用だったので書き直しをさせられて、機内預けの荷物受け取りにも手間取ったためにツアーの他の皆様を待たせてしまったのだった。いやあどうりでガイドブックにある記入例のとは様式が違ってたのね。妻や息子はボクがインドネシア人に見えたのだとボクのせいにしたのだけど、4枚受け取ったのだからあんたたちもその家族に見えてたんでしょうが。

 飛行機に長時間乗るので退屈しないかとの心配は無用だった。キャセイ航空の飛行機にはエコノミーでも各席にTVが付いていて、シュレック3やスパイダーマン3とかが日本語版もありで上映されてたので喜んで観ていたし。そうでなくても、アツフミのバッグにはマンガがたくさん入ってるのだった。なぜか「酒の細道」というボクの喜びそうなマンガだったりするのだけど。なので機内では何の問題もなく楽しい旅行になったのだった。

 そうそう、直行便ではなくて香港で乗り継ぎがあったのだけど、これには苦労したのだった。時間の間がありすぎて、乗り継ぎ便のゲート案内がまだ表示されてなかったのがいけないのだけど、相当うろうろしてしまい、息子たちに「お父さん頼りない〜」と思われてしまったかも。ま、おかげでホントは乗らなくても済んだ空港内地下鉄に乗れたからいいじゃん、とボクは思ったのだけど、息子たちはボクほど鉄道に興味がないようなのだった。保育園児の頃は(特にヒデフミは)電車が好きでビデオもいっぱい買ったし、プラレールなどのおもちゃもたくさんそろえたのになあ〜と思うと、ちょっと残念だね。

 ホテルは4泊するが、ツインなのでボクと妻とで一部屋、息子たちでもう一部屋となる。国内の温泉旅館などだと、和室一部屋だから安心だけど、あいつら別部屋だと何かと心配だ。ま、特にトラブルなく済んだからいいか。冷蔵庫のジュースを飲んだくらいなら許せるからね。電話では話せるのだけど、かけてもほとんど出てくれなかったのは、電話を取ったら英語かインドネシア語で話されたら困るからという理由なのだった。

 このペースで書いてたらキリがないかもと思いつつ、バリ島編は続く。実際に行ったのは8月の終わりごろね。

2007.8.22
 暑いのでエアコンをかけないわけにはいかないよね。電気代の請求書をみると、なぜか前年同月よりもかなり使用量が減ってるのだけど、実感としてはエアコン依存は確実に高まっていると思うのだ。子供部屋にもエアコンはあるのだけど、ボクが居るときはリビングだけエアコンつけて、アツフミもソファーで勉強するのだ。もっとも写真のようにふざけていることが多いのだけど。これでも右手には鉛筆持って「夏の生活」をやっているらしい。左手には斧、顔にはゾンビ(?)マスクをつけてるのだった。ボクも以前使っていたノートパソコンを引っ張り出して、ダイニングテーブルで原稿書き。ネタも暇な時間も多いはずの夏休みに、あまり日記が更新されてないのも気になってたし。そういえばヒデフミは自分の部屋にいることが多いが、きっと勉強をしているのだろう。

 そういえば、すっかり忘れていたが、アツフミが12歳になった。あ、いや誕生日当日に忘れていたわけじゃなくて、この日記に書くのをってことだけど。

 さて、四国の続き。

 2日目、10時に城崎温泉の旅館をチェックアウトし、一路四国を目指す。寄り道をしたわけではないのだけど、途中事故渋滞とかもあって、播但連絡道路、山陽自動車道、瀬戸中央自動車道(瀬戸大橋)、高松自動車道、松山自動車道とひたすら走って4時過ぎにようやく西条市小松町の実家にたどり着いたのだった。実家で夕食をしてから、温泉に入り、姉の家に移動して泊めてもらう。アツフミが楽しみにしていたのは姉の家にいるネコ達。うち一匹が体の毛を刈られてライオンのようになっていたのはおかしかったね。

 翌朝、アツフミは誰よりも早く起きて、ネコの居るリビングでごろごろしていたぞ。他の人が起きてこないのでアツフミと二人でコンビニまで散歩する。近くの神社は蝉時雨。コンビニで買ってきたカップ麺を二人で朝食にしたのだが、そういえばアツフミと朝の散歩ってのも珍しいかも。昼間は従兄弟と一緒に実家のすぐ近くの川で泳いで遊ぶ息子達。あ、写真は4日目の山の中のほうね。先回まではボクも水着になったのだが、今回はヒデフミが監視役ということでボクは開放される。特にどこに出かけるでもないのだけど、キャッチボールをしたり、室内でゲームをしたり、夜は花火をしたりと充実してたね。

 4日目、朝一番でお寺でお盆の供養をしてもらう。お経を読んでもらう間、後ろのほうに座っていたおとなたちがベチャベチャとしゃべっててうるさかったのだけどウチの子供達は3人とも静かにしていたのは偉かったぞ。午後、子供の頃よく行った山の中の川に遊びに行く。もう20年以上行ってなかったけど、山も川もあまり変わってはいないような。人が住まなくなったところはボクの車では行けなくなってしまったのだけど。

 人生でもベストファイブに入るかというくらいの見事な虹を見ながら小松温泉へ。前に来たときは天気が悪かったので眺望もさほどではなかったのだけど、今回は絶景が楽しめる。写真がないのが残念。眼下には自転車で通った高校、その向こうには小学校を見下ろして、遠くは瀬戸内海と浮かぶ島々、そして夏空の雲。知らないおじさんと「こんな絶景温泉はなかなかないですなあ」とお話しする。そうそう、この怖そうなおじさんはアツフミや従兄弟ともなんか話してたぞ。叱られてるかと思って心配してたらそうでもなかったようで一安心。ヒデフミには景色を解説してやったのだった。

 夜にはもう帰路につく。夜行フェリーに乗船だ。さすがにお盆なので乗客が多く、床や通路に毛布を敷いて寝る人でギッシリ。ボクも学生時代はそうだったのだけど、今はいつも寝台を予約するから息子達はその苦労を知らないのだ。

 フェリーは早朝大阪南港に着く。このパターンでは余裕があればUSJに行ったりもしてるのだが、今年は一刻もはやく名古屋に帰りたくて、休憩も取らず名阪国道・東名阪・伊勢湾岸自動車道を車を走らせる。運転手以外はいつのまにか名古屋に帰ってるーってカンジだったろう。これでとりあえずドライブ日記のような四国帰省編はオワリ。早く帰りたかったのは生き物たちが心配だったからなのだけど、みんな生きててよかったぁ。

 知る人ぞ知る、ボクと息子たちのナゴヤドーム必敗伝説。なんとこれまでナゴヤドームに野球を観に行って、一度もドラゴンズが勝ったことがないのだ。毎年何回も行くわけじゃないけど一回も勝てないなんて確率の問題ではないと思う。一つ前のセリーグ優勝のときは日本シリーズにも2試合行って、やっぱり負けて、日本一になれなかったのはボクのせいなんて話もあったくらい。ボクはまだナゴヤ球場時代に勝ち試合は何度も観てるし(学生時代はアルバイトをしてたので勝ちも負けも何十試合と観てるけど)、セリーグ優勝の瞬間も観てるからいいけど(いいってわけではないが)、息子たちはとにかくドラゴンズの勝ち試合を一度も観たことがないのは可哀想だよね。今年も優勝に絡んでるので、シーズン終盤に行って、また優勝を逃したのはボクのせいなんてことになってはいけないので夏休み中に一回行こうと思っていたのだけど、コンビニで買おうと思っても、休日のデーゲームを狙ったりするとなかなかチケットが手に入らないのだった。ところが思いもかけず仕事中に職場の人からナゴヤドームのチケットをもらう。こりゃ行くしかないと家に電話して息子たちにボクの職場まで来るように言う。ちょうど仕事が終わるくらいの時間に集合して、一緒にドームに行こうという計画なのだ。これが息子たちには大変な冒険になってしまったのだった。まず、バスを乗り間違えたのが運の尽き。地下鉄の駅に行くどころか途中から逆方向に向かってるのに気付いて慌てて降りたのはいいのだけど、落ち着いて考えたらそこからは別の地下鉄の駅に行くバスにも乗れるはずで、そうすればほとんどタイムロスはなかったはずだし、当初向かってた野並駅に行くバスにも乗れたのだけど、パニックになったヒデフミはとにかく野並まで歩くことにしてしまったのだ。よくアツフミが素直について歩いたなあと思うのだが、それはそれでけっこうやりあったらしい。ま、なんとかボクの職場までたどり着いたのでヤレヤレだったのだけど。ちょうどボクの仕事も長引いて、逆に少し待たせてしまったりもして、ドームに着いたのはもう試合開始後。貰ったチケットが2枚だったのでボクは自分の分をなんとかして手に入れて、席は離れてしまったけど無事試合を観ることができた。試合中、ヒデフミから携帯メールが来る。一つ目はアツフミが操作したらしく、変な内容だ。「試合ちゃんと観ろ」と返信する。ま、そういうやり取りをしてると席が離れてても寂しくないけどね。ヒデフミからの次のメールは「メガネ忘れた」だったので呆れたのだった。試合はちゃんと観てたのだろうか。アツフミはPSPで遊んだりもしていたそうだし。でも、そのプレッシャーのない自然体の観戦態度がよかったのか、なんと試合はドラゴンズの勝ち。ついにジンクス破れる!なのだ。写真は「勝った〜」と思って振り向いて撮ったら、実は空振り三振ではなくてファールチップだったときのもの。試合中はビールも食事もガマンしていたボクが、息子を連れて帰ってようやく美酒に酔えたのは11時を過ぎていたのだった。なにはともあれメデタシメデタシ。これは8月7日のことでしたあ。

2007.8.20
 夏休みもあと10日となってしまった息子たち。メインイベントの旅行が月末に控えているので、それまでに宿題は済ませておけと口うるさく言っているのだけどなかなか集中できないのだ。

 四国に帰省してきた。去年はヒデフミが受験生だったのでボクとアツフミ二人だけでの帰省で、途中はキャンプをしたり、海水浴をしたり、釣りをしたりしたし、四国でもキャンプしたり、テーマパークに遊びに行ったりしたのだけど、今年は家族4人揃ってなので余裕の日程でのんびり過ごすことにする。ちょうどお盆休みなので道路は渋滞を避けられない。それでもルートを工夫して、なんとか予定通りにいけた。

 11日土曜日、9時過ぎに名古屋を出発。都市高速を使って一宮ICまでは順調。名神高速はやはり渋滞していて、事故の情報もあったので思い切って羽島ICで降りる。一般道も羽島大橋は大渋滞で迂回し、長良大橋・揖斐大橋で揖斐川を渡る。ここからは一般道で山越えだ。揖斐川沿いの土手の道は信号もなくスイスイ。揖斐川町からは山に入るが国道303号は工事区間は残るものの木之本へ抜ける峠のトンネルが出来てたりして、午後1時過ぎには琵琶湖畔へ出られる。ここまで高速を使うよりは早かったはず。渋滞のいらいらもないしね。近江今津から再び国道303号で日本海側へ抜ける。この日の目的地は兵庫県の城崎温泉だから普通なら名神・中国道を利用するのだけど、そっちは渋滞必至だから避けたのだ。でも、こっちも油断は出来ない。小浜市内のはるか手前から国道は大渋滞でボクは即迂回ルートをとる。知ってる道ではないのだけど、地図と勘が頼り。これは結果オーライの大成功で無事小浜西ICから舞鶴道へ入ることができたのだった。春日ICから北近畿豊岡自動車道に入り、終点の和田山ICは渋滞の情報が出てたので、一つ手前の山東ICで降りる。あとはそんなに渋滞しないはずと楽観視してたけど、ここではまったのがカーナビの指示ルートがとんでもない山道だったこと。

 そもそも、ボクの車にはカーナビは付けていなかったのだけど、息子の携帯ゲーム機PSPが壊れたから新しいのに買い換えたあと、実はバッテリーが壊れてただけだと気付き、バッテリーを交換して蘇ったPSPをボク用として使うことになって、それにカーナビソフトを入れたのを車に取り付けてるのだ。これがカーナビ専用機ではないから、地図の表示は見にくいし、電源を入れてからGPSが利用できるようになるまでに10分かかったりと使い勝手がイマイチなのだ。ルート検索・案内機能はちゃんと備えてて、女性の声で音声案内もしてくれるのだけど、ときどき変なルートを案内することがあって、このときは知らない土地だからカーナビ通りに走ってみようと思ってたら延々とすれ違いがやっとの細い山道を走ることになってしまったのだった。もっとも、対向車もほとんどなかったのでスムーズに走れたし、あとで地図を見たら確かに距離的には近いような気もするし、信号が1個もなかったのだから結果的に早かったのかもしれないけどね。5時ごろ、ようやく城崎温泉に到着。この日、日本で一番暑かった兵庫県豊岡市なのだった。

 細かく帰省ルートを書いてしまったが、どこがバカ親かと突っ込まれそうね。息子達は車中はゲームをするわけにもいかず、おしゃべりもいいけど、会話ネタが勉強しないと将来困るよ的な話なら寝てるほうがマシかな。温泉がどうだったかは肉体再生日記のほうに書くことにしよう。帰省ネタは続きます。

2007.7.24
 夏休みだ。息子たちは早速夜更かしモードに入ろうとしてるので、朝食のときは普段通り起こすことにする。ヒデフミの弁当を作らなくて済むし、アツフミを分団の集合に間に合うように家を出させるのがないので、ボクは多少は朝楽になるのだ。もっともお盆までは平日は休みがないので夏休み気分にはなれないのだけど。

 高校の個人懇談があったので休みを取った。ヒデフミと二人だけで外食するのは珍しい。あそこ行ってみようかって店が休みだったのがケチの付きはじめ。ヒデフミがカレーはダメだとか、パスタやピザは先週食べたとか、ラーメンは食べたくないとか、中華の気分じゃないとかいうので、なかなかピンと来る店がなくて車を無駄に走らせる。やっと入った店も客層が女性ばかりで居心地が悪そうで出てしまったし。結局、大阪風のお好み焼きに入る。美味しかったからいいけど。そこのお好み焼きは、5分焼いたら裏返してフタをするというやりかた。5分立ったのでフタを取ったらなんとお好み焼きが消えている。手品みたいだとヒデフミと笑いあう。フタの裏側にくっついていただけなのだけどね。そうそう、個人懇談では、もっと集中して勉強しないと不本意な成績が定着しちゃうよという、予想通りの話をされたのだった。

 アツフミが子供たちだけでナゴヤドームへ行く。これまではボクが連れて行ったことしかなかったので友達と行くのは初めてだ。まだドラゴンズの勝ち試合を観たことが一度もないアツフミは、今回ボクがいないのできっと勝つと期待していたようだが、なんとリードしてて岩瀬が打ち込まれるというありえない展開で負けてしまったのだった。長い試合になってしまって、帰宅したのが11時過ぎ。アツフミにとっては野球の内容よりも夜遅くまで友達と遊べたって事のほうがいい体験になったようなのだった。

2007.7.16
 いつのまにかボクは44歳になってるのでタイトル下の主な登場人物の年齢をメンテ。それにしても間が空いちゃったこと。

 アツフミは小学校のプールは寒いとかで休んだりしたくせに、台風一過の日曜日、急にプールに行きたいといい始める。台風は去ったとはいえオープンしてないかも知れないと思いながら午後3時にサンビーチ日光川へ。こんな時間から来る人も珍しいらしい。やっぱりやってないと思った人が多かったのかすごく空いてて嬉しい。でも空いてるわけだ。青空はもう梅雨明けってカンジで眩しいくらいなのだが、台風の名残の強風が寒いくらいに感じる。特に砂遊びをしようとすると風で砂が飛んできてすごく痛い。それでも波の出るプールで楽しく遊び、気がついたら5時で終了の際には最後のお客さんになっていたのだった。

 先シーズンの最後で愛用のテントは力尽き、今シーズンは新しいテントでスタート。10回行った去年ほどはできないかもしれないけど今年もキャンプを楽しむのだ。最初のキャンプは入梅したけど天気予報では晴れの週末。急遽行くことに決定し、土曜日、昼まで仕事してから、午後大急ぎで準備してアツフミと出かける。行き先は椛の湖オートキャンプ場。ここはアツフミにとっては川に落ちて怪我をして病院にいったところ。あんまり覚えてなかったようだけどね。アツフミの希望は水棲昆虫とか魚が捕れるキャンプ場なのだけどココは綺麗過ぎるのだ。それでもカエルを捕まえてたけどね。焚き火してマシュマロを焼いたりしてのんびり過ごせたいい夜だったのだ。ところが夜から雨が降り始める。なんてこと。天気予報はいつの間にか雨に変わっていたらしい。朝はいったん止んでて朝焼けが見られるくらいだったけどだんだん本格的に降り始めて撤収時にはザーザー。テントとタープは後日乾かさなきゃならない羽目になったのだった。あとで考えたらもっと早く撤収しておけばよかったのだけど、アツフミが持ってきたDSライトで麻雀をやってたらこれがけっこう楽しくてついハマっちゃったのだった。そうそう、アツフミはいつのまにか麻雀を覚えてて、さらにDS2台で通信機能を使って対戦なんてこともやれるのだ。まだ1対1ならボクのほうが強いのだけどね。

 アツフミが小学校の社会見学で鶴舞公園に行ったらしい。どんなポイントを見て回るのかプリントを見せてもらったら、奏楽堂、普選壇、市公会堂などだ。お父さんはココでもココでもココでも歌ったことあるよと言ったら驚いていて、でも感心してくれるんじゃなくて、ちょうど見学の日に歌ってたら困るなあという感想だったのだった。

2007.6.4
 保育園や小学校低学年の時ほどではないが、息子が風邪を引いたりして体調を崩し、学校を休むことがときどきある。病院に連れて行くまでもないなというときは、ボクは仕事に行って、昼休みに昼食を食べさせるのと様子を診るのとで一時帰宅するパターンですませている。でもそうでないときは仕事を休むしかないのだ。ヒデフミが久しぶりに熱を出した。割とガマンしてしまうタイプなので悪化したのかもしれないけど、いきなり39度5分もある。病院に行っても待合室の椅子に座っていられないくらい。結局、点滴を打ってもらうほどの重症だったし。ま、おかげで久々に日記を書けてるのだけど。

 先日、久々にリトルワールドに行ったのだが、家族全員揃ってではなく、ヒデフミは留守番だったのだ。中間テストを控えていて自粛したのだけど、本当はヒデフミが一番行きたがっていたのだった。溶かしたチーズをたっぷりとパンにかけて食べるやつ。あれをドイツで食べるのを楽しみにしていたと後で聞いてありゃりゃってカンジ。そういや食べたよなあ。

 で、リトルワールドにはあまり乗り気でなかったアツフミが行きたかったのはラグーナ蒲郡だったのだ。しょうがないから次の週に行くことにする。試験が終わったヒデフミも一緒。ただし、家族揃ってというわけではなく、妻はショッピングモールで別行動だったりする。ここはオープン5周年とのコト。あれっ?まだそんだけしか経ってなかったっけ。けっこう何度か来てるけどね。アツフミは身長制限は楽々クリヤし全部乗れるのがうれしいだろう。例の事故以来、ジェットコースター系のアトラクションに初めて乗ったけど、幸い事故は起こらず。もっともボクは気持ち悪くなって続けては乗れなかったのだった。シューティングはアツフミがダントツの得点。ボクも本気でやったんだけどね。ヒデフミはメガネをかけていなかったからと言い訳。そうそう、せっかくゲットした高得点が印字されたカードは、ズボンのポケットに入れたまま洗濯してしまって、特に乾燥機がいけなかったのだと思うのだけど、真っ黒になって読めなくなってしまったのだった。

 休みの日の朝、朝食にラーメンをリクエストしたアツフミ。銘柄を聞かれて「出前一丁」と答えたのに、お母さんが作ったのが「うまいっしょ」だったので、自分で「出前一丁」を作って食べていた。「うまいっしょ」はどうしたのか聞いたら、ヒデフミが強制的に食べさされたらしいのだった。

 映画は家族で観に行くものだったのだが、成長した息子たちは、もはや親と一緒ではなく、友達と行くのだ。ヒデフミはもう何度かそれで行ってたのだけど、とうとうアツフミも映画は友達とになってしまった。市バス・地下鉄を乗り継いで行くのは立派だけど、どこの映画館に行ったのかはうまく説明できなくて謎のままだったのだった。

 あんなに一緒に行きまくったアツフミとの温泉なのだが、最近はノリが悪い。ラグーナの湯は家族で一緒だったけど、ちょっと楽の湯に行こうって誘っても乗ってこないのだ。ライブにはなぜか着いてきてくれるのだけど。ずっとゲームをしてるようでいて、ボクの出番のときはそれなりに聴いてるのがえらいのだった。と、書くと「聴いてないよ」と言われるかもしれないけど。

 滝の水公園には何箇所か入り口があるのだが、北東側からのルートは坂道なので自転車で登れるのだ。ここのゲートは公園管理用車両専用でいつも閉まっているのだけど、脇の狭いところを自転車に乗ったまま通り抜けられるのはボクの自慢なのだ。アツフミも挑戦するが、なかなかうまくいかない。カーブの途中で引っ掛かったり、足を着いてしまったり。それでも何度もチャレンジして、ついに成功させる。この集中力と根気はちゃんと褒めてやるのだった。

 しばらく日記書いてなかったからずいぶん前の話題になっちゃうのだけど、「いきもの日記」に登場するヒラメを採ったときはけっこう大変な一日だったのだ。5日はアツフミが5月3日の山菜天ぷらの会のときにPSPを忘れてきてしまい、それを取りに串原に行くのがスタート。そもそも潮干狩りや釣りに行く予定はなく、もう少し行くと長野県というくらいの山の中まで行ったのに、アツフミは磯遊びをしたいと言いはじめる。検討した結果、ほとんど一旦家に帰るくらいのUターンをし、さらに知多半島の先端近くまでのドライブになったのだった。ま、釣果はなかったけど、ヒラメ3尾ほか、アサリなど食べられるのもゲットできたのでよかったのだった。

 そういえば、今年はとうとう鯉のぼりを出さなかったね。息子たちはそういうのにあまりこだわっていないようなのだ。それでもクリスマスにはツリーは出すのだろうけど。5月人形は出したわけではなく、床の間に常時出ているのだった。

2007.5.5
 子供たちが小さいころはいつも休みの日は揃ってお出かけしてたし、GWも混むのがイヤだとか言いながらもあちこち行ってたのだった。さすがに息子も高校生になると友達と出かけるほうがいいのは当たり前。それぞれの休日となった5月3日はボクとアツフミ二人で山菜天ぷらの会へ。もっともアツフミは山菜やタケノコは苦手なので食べてなかったけど。付き合ってくれるのは、自然いっぱいの中で遊べるからかな。今回はヘビにも出会わなかったし、カナヘビは取り逃がしたし、田んぼは田植えをしてたから入れなくて、水棲昆虫やオタマジャクシも捕まえなかった。その代わり、トモローさんの息子さんたちと野球やバドミントンをして健康的に遊んでいたっけ。ボクやヒデフミと野球するときはスゴクわがままなアツフミだけど、こういうときは相手に合わせてやってるので感心したのだった。そういえば、カエルを捕まえて、置物のタヌキの唇にぶら下がらせて遊んでいたぞ。これはアツフミらしい。

 ボクが譲ったサルの着ぐるみのことをすっかり忘れていたアツフミ。布団の間に挟まっているのを発見して着てみたのだが、既に、暑い季節になってしまってるので、寝ているあいだにまるで脱皮したかのように脱いでたのだった。

2007.5.3
 ありゃりゃ、一ヶ月ぶりの日記だあ。相変わらず書くことはいっぱいあるのだけど以前にも増して息子たちの「書くなよ」チェックが厳しくなっているのだ。あとで書こうと思ってネタだけメモしといても、旬を過ぎたネタは自分で書いてても面白くないのだった。

 5月1日は小学校の遠足だったけど、残念ながら雨で翌日に延期。土・日・月の3連休に続けて遠足気分だったアツフミは雨の中、小学校への足取りは重いのだ。遠足はなくてもお弁当は必要で、卵焼きを焼いたりして頑張って作って持たせる。そうそう、ヒデフミが高校生になって毎日お弁当を持っていくようになって、さらに妻が転勤で前は朝出るのが早すぎたから作ってなかったのがなんとか作れる時間に変わったので妻の分も作るようになって、ボクもお弁当なので毎朝のお弁当作りは大変なのだ。卵焼きはアツフミのお弁当がいるときだけ作るのだけど。さて、遠足は2日は行けたのだが、前日弁当箱を忘れて帰ったアツフミは使いたくないと言っていたキャラクターものを使うことになる。いつものと違う弁当箱に詰めるのはけっこう違和感あるのだ。実は朝のうち雨が残っていて遠足と授業の両方の用意をするのでけっこう大変だった。そんなときの連絡は、昔は電話での連絡網だったけど、イマドキ、連絡は電子メールで来るのだった。

 GW前半の中日、実に久しぶりに家族でドライブする。ヒデフミが受験生だったのでアツフミと温泉に行くくらいしかお出かけしてなかったからなあ。天気がいいので伊吹山へ。ヒデフミはメガネを忘れててせっかくの眺望が楽しめない。ま、おしゃべりしながら歩くのは楽しい。アツフミが靴のかかとを踏んでるので注意したら、いきなりハイペースで先行する。なんでカカト踏んでてあんなに速いの。だらだらされるよりは順調に歩けたので良かったけど。そういえば以前は歩きたがらないアツフミをおんぶとか肩車することが多くて、お出かけは大変だったなあと思い出す。ベビーカーが必要だったころ、さらに授乳の用意が必要だったころを思うと、今のお出かけはホントーに楽なのだった。

 ヒデフミは高校で卓球部に入ったらしい。「らしい」じゃなくて間違いなく入ってるのだけど、ヒデフミが卓球やってるところなんて見たことないから実感が湧かないのだ。そうそう、小学校卒業のとき学童で行った旅行でやった卓球のイメージしかないし。とりあえずラケットは買ったのだが、なんと福原愛モデル。なぜシェイクハンドを選択したのかは聞いてないけど。毎日、登校時は荷物が多くて大変そうだ。近いからいいけどね。いいといえば、イキナリ弁当を持っていくのを忘れてボクが出勤前に届けたこともあったっけ。近くてよかったあを実感したのだった。

 アツフミは小学校で野球部に入ったらしい。去年に引き続きだね。去年は夏休み前の大会になんやかんやで参加できなかったから今年はぜひユニフォーム姿で野球をやるところを観たいのだけど。放課後、近くの公園で友達と野球をやることも多いようで、ゲームばかりじゃないので安心したのだった。

 今年の花見はじっくり座ってビールを飲んでってのは結局できなかったなあ。満開のときに大高緑地に行ったけど雨が降ってしまったし。もっとも、雨でもアツフミは遊び続けてて桜の木の下で雨宿りできたのはわるくなかったけどね。

 ヒデフミは高校が始まる前に、一人旅をしようと思ったらしいのだ。ただし、持ってるユリカで行ける範囲で、日帰りってんだから旅とはいえないよなあ。行き先は名古屋港だったそうで、一人で観覧車に乗ったりしてスゴクむなしかったそうで、いい経験したねと笑ったのだった。そうそう、ユリカっていっても、今のは名鉄にも乗れるんだからもっと遠出できたぞって言ったら、修学旅行のとき東京でユリカを使おうとして恥をかいたのがトラウマになってるそうで安全策をとったのだそう。大丈夫か。

2007.4.3
 ヒデフミは無事高校生になった。あ、入学式までまだちょっとあるか。春休みの息子たちのエピソードはまたボチボチ書くかも。昨夜、もう寝る時間を過ぎてたくらいなのだが、アツフミがボクの楽器コーナーの本に興味を示したので、手に取った高石ともやさんの本をめくりながら弾き語りをする。アツフミは歯を磨きながらずっと聴いていてくれたのでボクも嬉しくてついついたくさん歌う。笠木透さんの本も語っちゃったなあ。そうそう、ヒデフミは15歳になってる。誕生日当日は失礼しましたm(__)m

2007.3.19
 ヒデフミの高校受験が終わった。まだ公立の発表が出てないのでそのへんはおいといて、最後の面接が終わった日のヒデフミは本当に嬉しそうだった。よく頑張ったもん名あ。使わずに置いといたお年玉で早速ゲームを買っても許されるよね。土曜日の夕方、息子二人とボクとで野球をする。三角キャッチボールとフリーバッティングだ。実は3年前に中学入学祝に買ったグローブをヒデフミはこの日初めて使ったのだ。三年間キャッチボールもしていなかったのだね。ま、そのブランクを埋めて余るほどやったのでへとへと。続けたがったのはアツフミで、やはり兄とのキャッチボールが嬉しかったのだろう。

 日曜日は外出も控えてたヒデフミを誘って温水プールに行く。中津川のクアハウス湯舟沢までちょっとした旅行みたいで妙に楽しい。そうそう、アツフミとの温泉ブームの続きでもあるのだ。先週は遠出できず、みどり楽の湯だったからどこかへ行っときたかったってのもある。ボクも水着を着て少しはプールに顔を出したけどほとんど風呂のほうで露天風呂に浸かって、ベンチで身体を冷やしてってのを繰り返す。その間、息子たちは延々とプールで遊んでいたのだ。ここはスライダーもあるからね。あ、ヒデフミはサウナにも入ったって言ってたっけ。雲ひとつない青空の一日で、行きには御嶽山や中央アルプスが綺麗に見えたし、帰りは夕焼けの色を楽しみながらのドライブだったので言うことナシの休日だったのだった。

 卒業式は夫婦で観に行ったけど、卒業証書授与は代表者だけで他の子は名前を呼ばれて返事をするだけだったし、泣いてしまうような式ではなかったなあ。それにしても中学校の三年間ってのはあっという間だ。いつのまにかボクより大きくなった息子をまぶしく見つめたのだった。式の後、校門から出てくるのを待ち構えるが親がいては恥ずかしいらしい。ムリヤリ母親とのツーショット写真を撮ったけど、小学校のときのようにお友達と写ったり先生と写ったり延々と校門近くにいるってことはなかったのだった。

2007.3.7
 今日はヒデフミの中学校の卒業式だ。3年間なんてあっという間だね。自分の中学校の卒業式の記憶が全くないので息子の卒業式もイメージ沸かないけど。入学式のときに比べたら身体は大きくなったなー。あと声変わりもした。そうそう、身長は抜かされているしね。今日はヒデフミの成長した背中を観に行くのだ。このあと、スグ。

2007.3.5
 アツフミとの温泉めぐりは今週も続くのだ。土曜朝、起きて第一声が「今日は温泉どこ行くの?」だったし。で、今回は岐阜県土岐市のバーデンパーク曽木というところに行く。温泉だけではなく、水着着用の温水プールがあるのだ。アツフミはもちろんそっちのほうが嬉しい。で、3時ごろに着いたのだけど、ボクが温泉に出たり入ったり、リラックスチェアーで寝たりしてるあいだ、アツフミはずっと一人で遊び続けて、なんと7時まで滞在したのだった。もう皮膚はふやけてシワシワだし。背泳ぎが上手になってるアツフミなのだった。

 で、すっかり温水プールの楽しさにはまったアツフミは、日曜日も温水プールに行きたいと言うのだがそこまで付き合いきれないのだ。で、また次回にということでとりあえず日曜は近場のみどり楽の湯を提案したのだが、これには乗ってこなくて、ボク一人で行く羽目になってしまったのだった。

2007.2.27
 そして、25日の日曜日もやっぱり温泉に行ったのだった。今回は岐阜県可児市の天然温泉三峰へ。建物の雰囲気はとても良い。露天風呂に面した山の斜面が動物園のカモシカなどのコーナーに極似していて、最後までその雰囲気から抜け出せなかったけど。アツフミの温泉の楽しみ方はやはり個性的で、露天風呂や壺湯に入るのも好きなのだが、洗い場でシャワーで遊ぶのが一番のようだ。隣の人の石鹸の泡を押し返したりとかで延々と遊んでいる。それは、サウナに入ったり、露天風呂に何度も出たり入ったりしているボクもとても待ちきれないほど長時間に及ぶのだった。

2007.2.25
 で、続きなのだ。この日はお天気は良かったので眺めの良いところへと、初めての南濃温泉水晶の湯に決定。ここは駐車場からシャトルバスで山を登るのだけど、麓の道の駅から歩いて20分と案内があったのでアツフミと二人で頑張って歩いて登ることに。かなり険しい階段もあったけど10分くらいで着いて、いい運動になった。温泉は確かに眺めはよくて、うっすら御嶽山も見えたし、名古屋駅の高層ビル群も見えた。脱衣所が狭いのがマイナスかな。帰るころには夜景になっていて眺めはまた楽しめたけど帰り道は暗くて危なかったなあ。
 と、土日連続温泉通いになったのだが、翌週、温泉好きは続いていて、土曜の昼、当たり前のようにアツフミは温泉に行こうと言う。で、今回は長島温泉湯あみの島へ。ここはとにかく規模がでかい。駐車場が遊園地とショッピングモールの大駐車場なのがマイナス。温泉だけの人用の駐車場があるいといいよね。入浴料も2100円と高いのだけど、15時過ぎは1500円なので許容範囲。温泉に入る前にアツフミが大変だったのは虫歯の痛み。かなりひどい虫歯で歯医者に行って抜いてもらわなきゃならないくらいなのだが、爪楊枝で食べかすを取って、購入した歯ブラシで歯を磨いてナントカ痛みを鎮めてやっと温泉に入る。巨大な岩や植物で渓谷の景観を再現しているなか、4つの露天風呂をハシゴする。湯船に浸かって温まり、出ては風で身体を冷やすの繰り返し。夕焼けを見逃すほどの長湯をしてしまったのだった。さて、この温泉通い、いつまで続くのか。

 23日のライブでトークネタにしたのがアツフミの「食が細くなっていく」ネタ。2月の初めに熱を出して4日連続学校を休んだのだが、そのときの昼食のハナシ。1日目は伊勢うどんを作ってやる。多少熱があっても好物だからぺろりと食べる。この極太の麺をスタートとして、2日目は普通の焼きうどん。少し細くなったよね。そうそう、この焼きうどんはしょうゆ味で、具を入れなかったので見かけは伊勢うどんに似ていたなあ。そして3日目はラーメン。さらに細くなってきたぞ。これまた生ラーメンだけど具ナシで。最後、4日目はとうとう冷やしソーメン。もうこれ以上は細くならないでしょ。というわけで、文字通り食が細くなっていったアツフミの闘病生活。ちょうどインフルエンザで学級閉鎖とかがあった時期なので自宅療養できてよかったかも。

2007.2.20
 もともとボクは温泉が好きで、ホントは泊りがけでゆっくりするのがベストなのだが、そうもいかないので日帰り温泉に時々行くことになるのだ。ここのところ、アツフミに付き合ってもらうことが多いのだが、アツフミはそう温泉が好きなわけではない。熱い湯は苦手だし、どちらかというと先に上がって休憩所でゲームをしたいパターンだったのだ。ところが急に温泉が好きになったのか金曜日に週末は温泉に行きたいと言い出した。あまり本気にしていなかったのだが、土曜日の昼に「今日温泉行くんじゃないの?」というので4時くらいから二人で出かけることになる。あいにくの雨模様。いつも行ってる楽の湯では面白くないし(先週行ったばかりだし)ちょっと足を伸ばして刈谷温泉に行くことにする。ここは高速のSAに併設されていて、高速で出かけた帰りに寄ったことはあるのだけど 一般道から行くのは初めてなのだった。大きな観覧車があるけど上手にレイアウトしていて露天風呂からは見えない。ま、逆から見えたらまずいからね。以前、雨の日の温泉は雨粒に打たれるのが気持ちイイと書いたことがあるけど、冬の雨はさすがに冷たくて気持ちいいとは思えなかったなあ。アツフミはそれでもずーっと露天風呂にいたけど。これで満足かと思ったら、翌日日曜日に、また温泉行きたいと言い出した。よっしゃあ付き合ってやるかと即決し、養老の水晶の湯へ。続く。

2007.2.14
 ヒデフミの自転車はマウンテンバイク型だったのだが、フレームが曲がってしまい、修理不可能のようなので、高校生になったら買ってやろうと思ってたけど一足先に新車にしたのだ。面白いことに、今度のはママチャリ型が希望。ボクには理解できないが、ヒデフミは前からママチャリが良かったらしい。確かに友達が乗ってるのはたいていママチャリだ。ま、本人が好きなほうで。

 お正月に帰省したときのハナシ。小食のアツフミが帰省中の昼食時に入った食堂で豚の生姜焼き定食を注文。いつもはカレーやラーメンといった一品料理ばかりなのだが、同い年の従兄弟と一緒だったのでその気になったのだろう。芋の煮物や漬物は残したけどメインの生姜焼きと付け合せのポテトサラダやスパゲティ、味噌汁もほぼ完食、ご飯もきれいに食べてしまったので感心した。ヒデフミも小食だったのが外食時にトンカツ定食を完食したあたりからもりもり食べるようになったのでアツフミもこれを機会に一皮剥けてもらいたいと思ったのだった。

2007.2.6
 ボクが4泊5日の出張に出た。普段の生活では、朝はボクが起こさないと息子たちは自力では起きてこないし、時間だぞと言わないと分団の集合時間を過ぎても家を出て行かないし、いい加減に寝ろと言わないと夜更かしはキリがないのだが、それは、できないのではなくて、甘えてるだけなのだ。出張先からモーニングコールをするとヒデフミが出て、うっとおしそうに、「心配しなくても大丈夫だ」と答えるのだった。ハイハイ、ちゃんとできてるのは立派だね。お父さんがいるときも是非その調子でお願いしたいのだった。

 アカシャ海老ってのがわりと安く売ってたので買ってくる。まだ動いているやつもいる。こういうのはアツフミが喜ぶのだ。下手すると飼うとか言い出すし。ただし、今回のは海水につけたら一回は元気に跳ねたけどすぐに動かなくなってしまったので、全部刺身と茹で海老と天ぷらになってしまったのだった。

 アツフミがコンビニで「ウカール」という名前のお菓子を買ってきた。「カール」の受験生応援バージョンパッケージらしい。アツフミはヒデフミに向かって受験生にとっての禁句をよくわざと口にするのだけど、今回はお兄ちゃん想いの美談なのだ。チーズ味のは「受かるかも」と書いてあってあまりよくないので、「ウカレー」と書いてあるカレー味にしたそうだ。ええ話や。ただし、ヒデフミは何か裏がありそうだと警戒を解かなかったのだった。

2007.1.29
 土曜に続き日曜の昼もココイチのグランドマザーカレー。妻が付き合ってくれるが、2つともハズレ。新しいスプーンはお預けなのだ。昨日の日記で今年のグラマの肉は4切れと書いたのだが、今回のには肉が3切れ。あれ?決まってるわけじゃないのね。昨日のヒデフミとの話は何だったんだろう。ちなみにアツフミはパリパリチキンの甘口ライス200。

2007.1.28
 また今年もココイチのグランドマザーカレーの季節がやってきた。ヒデフミは去年、グラマをたくさん食べ過ぎた反動でココイチのカレーが苦手になってしまってたのだが、だいぶ間が空いたのでしばらくは大丈夫そうだ。グラマにはニンニクが効いた豚バラの焼肉が入っているのだが、最初の年はそれが2枚入ってて、2年目の去年は3枚。で、今年のには4枚入ってる。だんだん増えてるなんていいハナシやなあ。で、肉の枚数をチェックしてるボクは卑しいかなと思ってたら、ヒデフミも「今年は4枚だね」としっかりチェックしてたので、似たもの親子だなあと思ったのだった。グラマは普通のポークカレーソースより少し辛いらしく、店員に心配されたヒデフミだったが、何のことはなく完食。だんだん鍛えてやがてはボクの様に10辛を食べられるようになってもらいたいものだ。ちなみにアツフミはスプーン狙いのグラマに協力はしてくれなくて、最近のお決まりのソーセージカレー甘口ライス200グラムだったっけ。これもアツフミの成長をあらわしてるのだけど、ちょっと前までハーフカレーだったのがライス200を余裕で完食できるようになっているのだった。

2007.1.27
 今年のお正月の四国への帰省はアツフミと二人。ヒデフミは受験生で塾があるし、妻は仕事始めが4日と早いからね。冬はいつも渋滞や雪が心配だから車ではなくて飛行機か新幹線だけど、今回は車で帰ることにする。二日の午後3時半に家を出て、伊勢湾岸道、東名阪道、名阪国道を経由して一路西へ。アツフミは最近車に乗ってもずっと起きていて話をしてくれるので眠くならないのだ。心配した渋滞もほとんどなく順調。名阪針IC近くで4台玉突きの事故があって少し渋滞してたけど、事故直後だったのかたいした渋滞ではなくて助かった。西名阪道から大阪市内へ。通天閣がきれいに見えた。大阪南港へ着いたのは7時ごろ。これ、実は着くのが早すぎるのだ。フェリーの時間は10時40分なので時間はたっぷりある。なので、予定はしていなかったけどWTCコスモタワー55階に上ることにする。アツフミは高いところは苦手だと言っていたけど上ってみるとそうでもなくちょろちょろしている。ボクは高いところ好きなので夜景を見られて嬉しかった。アツフミはそれよりもATCのショッピングセンター内のガチャガチャ大集合のコーナーが気に入ったようで、目を輝かせながらどのガチャガチャを買おうかと見て回っている。残念ながら狙ったのは出なかったようだけど。フェリーは2等寝台。乗船してすぐ風呂に入る。あとボクはビールを飲んですぐに寝たがアツフミは漫画を読んだりゲームをしたりして夜更かしをしたらしい。東予港着は午前6時10分でまだ真っ暗。6時半には実家に着いて、長旅ではあるけれど、たまにはこういう帰省もいいのかな。

2006.1.26
 大晦日の夜、ヒデフミに「今年はお年玉をもらった?」と訊いたら、自信たっぷりに「もらってない」と言うので、「もしもらってたら来年のお年玉はナシにするぞ」と言うと、「いいよ」との答え。これはもちろん引っ掛けで、年明け前なので、今年のお年玉はほぼ1年前にもうもらってるのは確かなのだ。あまりにも簡単に引っ掛かるのでかえって心配になるくらい。おまけに、午前0時を過ぎてからまた「今年はもうお年玉をもらった?」と訊いたら、なんと「もらってるよ」と答えてしまったヒデフミなのだった。

2006.1.24
 そんなに面倒な作業でもないのだけど、この日記の年度更新をサボってて一ヶ月以上も日記の更新が出来てなかったのだった。
一応、ネタは別に書き溜めておいたのでこれから小出しにしていきます。って、もはや日記ではない。