2020年の目録

非常識の館へ行きます

総目次がご覧になれます

目次

  思う、する   2020/02/20

  十数人の障害者が犠牲になった事件の裁判について  2020/2/22~3/25

  技能実習生の制度を立法の目的に沿って運用しなければなりません   2020/3/
4

    大相撲は力士を大切に   2020/3/25

  寸法   2020/6/4

  夢の話  2020/6/5
 



  夢の話  2020/6/5


 すばらしい女の人がいます。顔は見えません、わたしはその人に魅せられてしまいました。母親を感じていたのでしょうか、その人の他には頭にありませんでした。
 独身だったわたしに女の人の妹との結婚の話がありましたが、気にも留めませんでした。そのとき妹さんに言われました。「あなたはカンばかりみている」この言葉で夢から醒めました。この言葉は私を打ち据えました。出来上がったものにこだわり、育つものに気を向けないでいたのではないか。と


  寸法   2020/6/4(未完)

 古いタオルが出てきました。ほとんど使ってないピンとしたタオルです。今使っているタオルより大きいのです。日頃、幅が狭い靴下に悩んでいるからでしょう。衣料品の寸法に敏感になっていますので直ぐに気が付きました。試しに測りました。長さは1202cm幅は34cmです。今使っているタオルの長さと幅を測ってみました。                                

                        cm

                 
長さ  79  82  78  76  79  72.5  75 
幅  35  37  35.5  34  33.5  32  32 



大相撲
は力士を大切に   2020/3/25

 スポーツはどれでもですが、真実が感じられます。そこに何とも言えない緊張感があります。特に大相撲は緊張時間が短いので集中できます、最近は見られませんが数年前には制限時間前に立ち合いが始まった取り組みがありました。見合いのときも、見ている者は集中して見ることができました。取組中では外掛けの名人の瞬間の技が見られました。あたかも、技を掛けられた力士が左足を上げたかのように滑らかな技の切れでした。それはさておき
 大相撲には、「心技体」という言葉があります。横綱には横綱にふさわしい「心技体」の状態があり、大関には大関の「心技体」の段階があると言われています。稽古中か場所中に怪我をすると、当たり前のことですが、この力士の「心技体」、特に「体」はその地位にふさわしくないことになります。そのため、地位にふさわしくない取り組みが行われることが予想されます。このような取り組みには感動が無く、むなしさが広がる取り組みになります。
 横綱にふさわしくない「体」の横綱、大関にふさわしくない「体」の大関、小結にふさわしくない「体」の小結に取り組みをさせたことを相撲協会は認めて、力士の「体」がふさわしい「体」に戻るまで医師の診断に従って治療できるようにされ、力士の地位にふさわしい取り組みができるようにされ、各力士が悔いのない取り組みができ、大相撲の愛好家が感動する取り組みができるようにしていただきたい。と願います。

目次に戻ります


技能実習生の制度を立法の目的に沿って運用しなければなりません   2020/3/4
 
 技能実習生の制度は政府の重要な政策の制度だと思います。外国の人に日本の進んだ技能を学んでもらうのが目的のはずであります。
 ところが、日本の進んだ技能を学んでもらうどころか、単純な作業をさせ、人権侵害の疑いもあるそうです。
 中日新聞の2月22日の朝刊の29ぺーじの記事には、ベトナムの人を不法に働かして逮捕された社長のことが載っています。テレビ番組にも技能実習生の制度を利用した、単純労働、低賃金の実態があることが放送されていました。
 技能実習生の制度は、日本と外国との約束だと思います。法律的には、約束とは違うかもしれませんが技能実習生にとっては、日本政府が保証したものと思っているのですから、政府がそんな積りではなかった、と言って、対策を採らないならば、日本に詐欺の疑いが生じます。
 政府は全力を挙げ、実態を調べて適正に戻すべきであります。国会は法律が守られていることを確認するために秘書を動員して全国の実態を調査して、法律違反があったら、政府に改善するように求める必要があります。役所の調査には政府に対する忖度のため調査結果が実態を表していないことが考えられますから、秘書が直接に調べる必要があります。国民には技能実習生の存在を認識し、適正な環境の下で生活していられないときは、しかるべき部署に連絡かできるように周知徹底をしなければならないと考えます。
 技能実習生の制度は日本が全世界の全ての人に約束した制度だと考えます。わが国の誇りをかけて、制度違反を絶滅すべきであります。

目次に戻ります


十数人の障害者が犠牲になった事件の裁判について  2020/2/22~3/25

 十数人の障害者が犠牲になった事件に関するテレビ番組の放送を視聴しました。終わり近くになって、検事が死刑を求刑したことが知らされました。この死刑求刑は正当でないと思われます。視聴し終わって、直ぐに、殺してはいけないと思いました。死刑にすると犯人は間違った考えのままに死んでしまうからです。自分は間違っていたと知る機会を奪ってしまうことになるからであります。

 このように思ってからも考えました。そして、やはり死刑にしてはいけないと分かりました。この考えは、死刑制度廃止の考えとは違います。死刑が執行されれば、国が犯人と同じ考え方をしていることになるからであります。
 犯人は、「世の中の役に立たない者は死ぬべき者」と考えているようです。裁判所が犯人に死刑の判決を下し、法務大臣が認めれば、犯人は、国も自分と同じことを考えていると思うのではないでしょうか。「世の中の役に立たない者、犯人であるわたしは死ぬべき者と認められたのだ、わたしの考えを国が認めたのだ」と、犯人の考えは、決して、認められない考えです。裁判所は犯人と同じような考えを否定して、別な方法を示すべきであります。

 三月十六日に横浜地裁は死刑の判決を被告に言い渡しました。この判決は予想されたものでしたが、残念な結果になりました。このまま刑が執行されましたら、犯人は自分の考えは間違っていなかったと満足して死に臨むことになるでしょう。
 
 「わたしは間違っていた、どんな障害者でも生きる価値があるのだ」刑が執行されるまでにこのような考えになるように祈る外ないのでしょうか。

目次に戻ります


思う、する   2020/02/20

 二十年ほど前から「・・・したいと思います」という、言い方が、しばしば、聞かれるようになりました。例えば、テレビで、アナウンサーが「これから、この道を行きたいと思います」という言い方です。以前の言い方は、わたしの記憶では、「この道を行きます」という言い方でした。職場でも、役職者が「・・・と思います」という言い方をするようになりました。

 人は思っただけで行動するのでなく、行動する前には、こうするのだと言う決意をすることがあるはずであります、役職者の言葉もこうして欲しという意思を固めて発言するはずであります。ですから、アナウンサーは「この道を行きます」と言い、上司は「こうこうしてください」と言うのが普通の言い方だったはずです。

 思う、決意する、行動する、この三つの過程を通らないで、思う、行動する、あるいは、思う、行動させる、を習慣化すると、人としての理性の働きを弱めるようにするのではないかと思います。現在の社会に起こっている不都合な事件には、決意する部分が欠けているように思われます。「します」とか「してください」という言い方を避けて「思います」と言えば柔らかく受け取られるので、広まったのでしょうが、聞く人に柔らかく受け取られることは、言う人にも柔らかい言い方をしていると自覚させる効果があると考えられます。悪意を持っていても「思います」と言えば、自分の心を傷めることは小さいでしょう。このような経験を繰り返していけば、「思う、行動する」という行為が当たり前なことになるのではないでしょうか。

 「女性専用車」という車両があることには、兼ねてから納得できない思いを持っています。いや、永い間、男として恥ずかしいことと感じてきました。「女性専用車」が走ることになった理由は分かりますが。女性に触りたいと思って欲望のままに行動してしまうのに対する壁になることは否定しません。しかし、この「女性専用車」のように物理的に壁を作られるときはいいですが、社会には、物理的に壁を作れないときがあります。そのときには、思うと行動するの間に決意するを入れることが求められます。

 報道によりますと、「就活ハラスメント」が問題になっているようであります。会社に入りたい新人が社員に面接を受ける制度があるようであります。その面接の場が密室であったり、時間外の夜間であったり、そのようなことがあるそうであります。社員が男性で入社希望者が女性のときは欲望を抑えられないで脅したり暴力を振るったりすることがあるそうであります。この事例も、「思う、行動する」という行為の一例だと思います。

 役職者が「・・・と思います」という言い方をして部下に同調を求めるのは忖度せよといっているようなものです。「思います」というのですから何かのときの責任は、実行したものにありますから「思った」だけの役職者には責任はないことになります。部下に優しい上司と思わせ、自分の思いのように働かせ、責任は取らないこんなに便利な言葉はないでしょう。

 言葉は人間を作ります。意思が見られないような意思の表明をするのは望ましくありません、自分が行動をするときも、他人に行動を求めるときも、はっきり責任を表明した表現にすることを求めます。

目次に戻ります