2012年以前の目録                総目次がご覧になれます  非常識の館の入口へ参ります



    目次

    原発作業員集まらない                       2012/12/18

    放射性廃棄物の管理料は無限大か               2012/12/16

    命と誇り                                2012/12/15


    活断層対地すべり                          2012/11/18

    復興支援届かない                          2012/10/21

   「学校で」から「警察で」                    2012/10/23

   
想定外                     2012/11/20

   捜査は適正であった               2012/10/11・10/21

   遠隔操作誤認逮捕                2012/10/21


    怒りと悲しみ                   2012/9/16

   足を出した暴れ馬                2012/9/4

   もんじゅ廃炉                  2012/9/14

   核燃料再処理工場                2012/9/3


   トイレなしのマンション             2012/9/3

  こんな言葉はいかがですか             2012/8/7~2014/10/22
    行施(ボランティア)・電子冊子(ウエブサイト)・電冊住所(サイトアドレス)・侵略的自衛権


   公表すると無用の混乱を招く恐れがある      2012/8/1~7


   21メートル津波                2012/7/3


   月とすっぽん                  2012/6/21


     邪馬台国はどこにあるのか            2012/6/8

   民主主義、多数決、小選挙区(未完)       2012/7/14~

    日の丸・君が代                 2012/7/14~8/22

   亀井両氏に拍手                 2012/4/7

   多角形の面積と等しい面積の三角形を描く法   2012/1/22

 
   神ともにいまして                       2011/12/28

     起きて半畳、寝て一畳                        2011/12/28

     放射能汚染の真相  丹羽 允 筆         2011/10/28

     平井憲夫氏の絶筆を読んでください。       2011/9/6

   原発事故よって生じた廃棄物の処理について    2011/10/1

   わたくしが知る管前総理の業績(未完)      2011/9/14

   大連立論は国民の意思に沿っているか          2011/9/5

   原発ゴミ
                    2011/9/2

   ねじれ                    2011/9/2

   電算機計算速度世界一              2011/8/17

   千載一遇の好機を逃した             2011/8/6

   言葉と像                    2011/8/2

   科学実験法と犯罪捜査法について         2010/10/26

   フロッピーディスクの資料書き換えについて    2010/10/23

   尖閣諸島問題について              2010/10/12

   日本国民の連帯感               2010/09/14

   日本文化を守ろう               2010/09/14

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ここから下は本文になります。


      原発作業員集まらない                   2012/12/18


 12月18日中日新聞朝刊 25面に

危険手当なし、給料カット・・・
原発作業員集まらない
「収束」宣言1年待遇悪化 

と言う片山夏子記者の記事が載っている。どうして、あんなに早く「収束宣言」が出されたのか、やっと納得がいった。
「収束宣言」が出れば、事実は危険であっても「危険な作業」ではなくなる。だから、危険手当は出さないですむ。その上、給料も低く押さえられる。作業員は地元で逃げ出さない。労組は自分たちのことで頭が一杯だ。
 こんな理由であったのか。
 納得納得。

 どこかの政党でこの作業員を「危険でないはずの危険な仕事から解放して、他の職種に変わってもらい、長期的に支援することはできませんか。
 原発ゼロを唱えた政党が結集して公約の履行を現実のものとしませんか。

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    放射性廃棄物の管理料は無限大か           2012/12/16 

 この1ぺーじは計算をする前から書き始めました。なぜか、無茶な予想をしたくなりました。
 わたくしの予想は、めったに当たったためしがありませんので、予想が当たりませんように祈るような気持ちがこうさせたのかも分かりません。12/16

 2013/11/7
 ほとんど一年経ってしまいました。とにかく、処理の方法も決まっていないのですから費用の計算もできないままです。放射性廃棄物の処理方法が決まって、実際に工事に入っているのはフインランドの一か所だけのようです。

 フインランドは地盤が固く何万年も安定しているので地下に貯蔵することができるようです。ひるがえって日本はというと安定している地盤はどこにもありません。年間、およそ、六万トンもの放射性廃棄物が出るようですが、どこに保管するのでしょうか。

 保存期間にしても10万年は必要とのことです10万年も引き継いで管理できるのでしょうか。

 なんの根拠もありませんが、何万トンもの放射線廃棄物を一か所に集めて臨界に達したなどということはないのでしょうか。それはともかく、かかる保管費は無限大とは言わなまいまでも、天文学的数字になることは間違いないでしょう。

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     と誇り                           2012/12/15~2013/1/6

 二つの対立する考えを比べるとき、わたくしは、次のようにして判断いたします。
勿論、何時もそうする訳ではありません、確かめるときぐらいです。

 命と誇りについて、あなたなりの考えがおありでしょうが、それは、一先ず置いておいてくださって、わたくしの方法を見てください。
 例えば「命」と「誇り」では、それぞれを二つに分けて、「命を大切にすると命を軽視する」そして「誇りを守ると誇りを傷つける」の四つに分けます。
 そうしますと、{命を大切にして誇りを守る}と{命を大切にして誇りに傷をつける}と{命を軽視して誇りを守る}と{命を軽視して誇りを傷つける}の四つの判断域ができます。この四つの判断域で「命が大切か誇りが大切か」を考えます。

甲 命を大切にして誇りを守るは、もちろん、文句なしの判断です。
乙 命を大切にして誇りに傷をつけるは、検討の余地があります。
  命を軽視して誇りを守るは、検討の余地があります。
  命を軽視して誇りを傷つけるは、もちろん、認められません。

 結局「乙」と「丙」をどう判断するかということで、命と誇りの判断が決まってきます。つまり、命を大切にするか、誇りを大切にするかの判断ができるということです。

 乙の命を大切にして誇りに傷をつけるは、世間一般に見られる現象です。泉鏡花が1907に発表した婦系図には芸者お蔦が恋人の主税に言った言葉が印象的であります。現代語に直しますと「わたしたち芸者は生活のために体を売ると非難されますが、男の人は出世のために心を売るのですか。」と主税の男心を責めます。
 生活のために、後ろめたさを感じながら横領でも詐欺でもなんでもするという態度がこの乙の判断域に含まれます。

 同じ生活のためになんでもするという態度でも、次は違います。生活のために事故原発の炉心に入って作業をする作業員さんが、大勢いられます。確実に命は削られています。しかし、現場担当者としての誇りを貫いていられると思います。この場合は丙の判断域に入ります。経営者と役所はこの方々の命を守るために、高い水準の生活を保障すべきでありましょう。

 多くの非難を受けると思いますが、拡大している「テロで自分を爆弾としている」人々も丙の判断域に入ります、命を捨てて己の誇りのために行動しているのですから、ちょうど、太平洋戦争のときに、多くの若者が命を捨て、誇りを持って自分を爆弾としたのと同じ行動であります。

 時はまさに12月、「雪が止んだ吉良邸を。さくさくさくと雪を蹴立てて四十と七人、表と裏の二つの門を確っかと囲み我こそは」ぱんぱんぱん。旧赤穂藩士が討ち入り、本懐を遂げた月になります。伝え聞くこの話は命を捨て誇りを取った丙の判断領域の事柄になります。

 この判断域で見過ごすことができないことがあります。「軍神だ。神の身近に召される。英雄だ。我々の誇りだ。」このようにして誇りを創り出し利用する恥知らずなことする人たちがいることです。
 「現人神の御ためになる尊いことだ。」、とか、「神に召される立派な行いである。」とか、口先でほめちぎって誇りを持たせて自分たちのために命を捨てさせる人たちがいることです。

 「人間の命は地球より重い。」、この強烈な言葉につられ、戦後間もなくから、わたくしは命こそ大切なものと信じてきました。しかし、この考察の結果、命より誇りの方が大切なものと思えるようになりました。

 ここにいたって、以前にもまして、冤罪の罪の大きさを感じるようになりました。

 努めて、法を守って生きることを誇りとしていた人が、突然、法を破ったとして監禁され、罪を着せられる、そんな、冤罪が許されてはならないと信じます。

 当たり前のように、甲の判断域の検討をしませんでしたが、一応、検討してみます。命を大切にして誇りを守るでした。
 現在の生活をしながら、もしくは、現在の生活より良い生活をしながら、誇りを持って生きるということです。
 もし、満足できる生活をしていて、しかも、誇りを持って盗みをしたり、詐欺をしていたりする。このような場合、甲の判断域に入ります。このようなときは命が大切か誇りが大切かという判断ができません。無理した自己弁護の誇りのように思えますが本人でなければ分かりません。

 丁の判断領域に入る人々が沢山いられると思います。人の思いは計り知れませんが、もしかしたら、朝夕の、満員の交通機関の中にいられるような気がします。
 「このままでは、命が縮む」と思いながら、「何が楽しくてこんなことを続けるのか」と思いながら。 

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   活断層対地すべり             2012/11/18

 2012年11月5日の毎日新聞朝刊第一面に大飯原発下の地層の記事が載っていた。
 「活断層ある」「地滑り否定できず」
大飯地層判断割れ
 7日に再審議

 4日に東京で電子力規制委員会で検討会が開かれ。
 地盤のずれが認められるが活断層であるのか、地すべりであるのか、意見が分かれ結論がでなかった。と、あった。

 ところで、活断層にしても、地すべりにしても、もし、動いたときに、上の施設は被害を受けないのであろうか、活断層が動けばまちがいなく上にある施設は破壊されると思われる。地すべりであれば上の施設は被害を受けないという前提のもとに議論がされているようであるである。

 はたして、この前提が正しいのであろうか。地すべりが起きたとすればどのぐらいの規模になるのであろうか。このことの方が重要ではないだろうか。

 専門家でないわたしたちにとっては、活断層であろうが地すべりであろうが、どちらでもよいのであて、上にある施設が壊されないことが必要なことなのである。もっと突っ込めば法律にどう書いてあるかと言うことでなくて、建てられている施設が壊れないか壊れるかと言うことである。


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   復興支援届かない             2012/10/21

 2112年10月7日の中日新聞朝刊第一面に国民の多くが不審に思ったであろう記事が出ていた。それは、

 復興支援届かないという記事であった。それなのに、2億2450万円の申請額の内1億5400万円もの額が却下されてしまったということである。舞台は中小企業向け補助事業である。

 記事によると、被災地以外の工場の設備投資などに復興予算が充てられているのにかかわらず、被災地への予算が抑えられているということである。

 なーんでか、と考えてみた。2つ理由が見つかった。1つは恐らくこれだろうという理由である。

 今回の災害は平常に起こることで配慮する必要がないという判断が役所内に広がっている。つまり、前例のない災害でないので基準どおりの判断で審査すればよいということである。

 皮肉なことに、この判断の中に、原発は事故を起こすのは当然で過去にも事故を起こしていた。だから、今回がはじめてではないから前例どおりでよい。と言うことが含まれていることになる。

 1つはうがちすぎているが。自民党・公明党を応援することである。復興予算から多額の予算を被災地以外に使えば現政権に対する国民の評価が下がるであろう。その上、天下り範囲が広くなるそんな思惑も入っているのではないだろうか。

 こんなことを考える自分が嫌になって、ここで止めることにした。

 12/23 もう一つ理由が見つかった、これが、“当たり”になると寂しい限りであるが、心の在り方である。復興にかかわる思いやりの心が、被災された人々に向けられるべきだと思う。

 しかし、この思いやりの心が自分、あるいは、自分が所属する役所の欲望に向けられたのが今回の事実上の流用になったものであろう。

 2013/6/3 朝日新聞六月三日付の朝刊一面に
復興予算雇用でも流用
被災地以外に1000億円

  被災地以外でも、被災者を雇用すれば正当な使い方とされる予算であると思はれる。

 記事によれば、「この事業は厚生労働省が担当する事業で、“震災等緊急雇用対応事業”で被災者などの雇用を支援するため、2011年度の復興予算で2000億円が付いた。臨時や短期間の仕事に就いてもらい。生活を支える目的だ。」とある。

 この記事の中に、例のように“震災等・・・”と「等」の字が入っている。そのため、緊急雇用と認められれば誰でも雇用の対象者として認められることになる。つまりは、訴追がおきても“ちゃんと”言い訳ができるようになっているのである。

 この流用まがいの支出を許した政治家の責任は大きいと思われる。 

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      学校で」から「警察で」    2012/10/23

  学生生徒で刑事事件と疑われることがあったとき。関係する学生生徒は学校で調べて終わることが多い。この処置は教育的見地に立ってのことと言われている。ところが、この処置が、学生生徒が刑事犯罪の増加に関わりを持っていると思うのはわたくしだけではないだろう。

 事件が公になると学校長だけでなく、関係する教員の出世にも関わってくると思われていることも事件を学校内で治めようとする力になっているのではないだろうか。警察官にしても手柄にもならないことに関わりたくない気持があるのではないだろうか。

 いじめにしろ、校内暴力にしろ、刑法に抵触することである以上学校より警察が関わるのが筋であると考える。事件が発覚したら先ず警察が対応しどのような罪に当たるかを教えることが必要である。

 悲しいことであるが、人間は相手によって受け取り方が違ってうものである。日ごろ接していない警察官から言われると新鮮な気持ちで受け入れられるのではないだろうか。この段階は法律の講義が主体になるのが良いと考える。

 その後で、学校での指導があるこのようにしてはいかがだろうか。

 もちろん、教員と学生生徒との関係によっては、学校に対する反感を強くすることはあるので一概には言えないのであるが。

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   想定外                        2012/11/20
 
 近年、想定内とか想定外とか言う言葉が聞かれるようになりました。原発の事故のときもそうですし、やたらと、欠陥品の報道が聞かれるのも、この、想定外の考え方が関わっているように思われます。

 数年前に電気機器を買ったのですが、数週間経った頃に鼠の仕業で故障をしてしまいました。電源が入ったままで運転ができなくなっていました。この故障は自分で直せれたのですが、寝たきりの方であれば直すことはできなかったと思われます。

 それで、人身事故になりかねない故障でしたので、製作所に詳しく説明した手紙を出しました。帰ってきた返事は「想定外のことであるから対処しない。」と、いうものでした。3通ほど送りまして、実験してほしいと頼みましたが、一貫して「想定外」という回答だけが帰っきました。

 そこから、考えられることは、「想定内の故障であれば確かめをするが、想定外の故障については、わたしゃ知りません。」
という姿勢に決めていられるということです。

 今年になって家庭電気機械の売れ行きが悪くなり、大幅な赤字を計上しているという報道が聞かれます。その原因の一つに製作者が使用者の声を聞かなくなっているからと言うことが、挙げられています。

 冒頭の例もそうですが、技術者が「想定外」などという技術者としては恥ずかしい言葉を平気で使い、せっかくの機会を無駄にしているからだと思います。守りに入った会社が赤字経営に陥るのは当然のことだと思われます。

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   捜査は適正であった            2012/10/11

 10月8日の中日新聞の朝刊一面の頭に
「爆破」予告逮捕者は無関係とあり、白抜きでパソコン遠隔操作かという題が載っていた。

 ウイリスの製作者はどうやら落ちるところまで落ちてしまったらしい。この人たちも人の業から逃れられないようである。より高い技術、より巧みな技術を求めて日々研鑽するのが才能ある人の業であるとは思うが、その才能を人々の幸せのために使ってほしいと願うばかりである。

 余談はさておき、
 
この記事には関連して、考えようによってははるかに重要なことが、書かれている。

 逮捕された男性は記者に「逮捕はびっくりした。県警から謝罪はなかったが、云々」とあり、県警捜査一課長は「捜査は適正になされたと考えている」と発言した。と書かれている。

 誤認逮捕や冤罪発覚の折にこの「捜査は適正になされたと考えている」という言葉が使われ、その言葉で終わりになるのがあたりまえのようになっている。しかし、適正という言葉はどのような内容を表しているのか疑問である。

 広辞苑第六版電子版によれば、適正とは「よくあてはまって正しいこと」とある。問題点は"なにによくあてはまっているか"ということである。

 犯人でない人を犯人として逮捕する。犯人でない人を罪人として投獄する。この正しくないことを正しいとする"なにか"が警察にあり、その"なにか"を当然のことと受け止める報道関係者があふれているということ。このことこそが、警察官の多くの人を敗戦前の警察官の意識のままにしている原因ではないだろうか。

 我々日本の人々は、子供のときに間違えたら謝るように言われて育ってきた。言い訳をすることは恥ずかしいことだと言われてきた。今でも標語としては「すみません」があり。街の掲示板にも貼ってあり警察の名前も載っていることもある。

 訳の分からない「適正」という言葉で言い訳をするのは、「適切」な態度でないと考える。

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   遠隔操作誤認逮捕         12/10/21

 2012年10月21日の朝刊第一面の最初の記事は意外な記事で飾られていた。
 祭上段に横書きで
 遠隔操作誤認逮捕とあり、その下に白抜きの縦書きで大きく
「2秒間の犯行」疑問放置と書かれ、その左に神奈川県警裏付け捜査せず 

  この記事をよんで、日本の警察も謝ることがあるんだと。歓迎する気持ちよりも、意外と思う気持の方が先に出た。

 しかし、何か、安心した気持になれたのは、ささやかではあるが幸せを感じられた。

 そんなに、単純でないことは分かっているけれども、公害に関係する過去の経過から見て、今後警察が謝罪をする前例になると思はれる。

 過ちをすれば、謝るというあたりまえなことを、警察ができるようになった意義は大きいと思われる。

「冤罪は殺人よりも罪が重い。」
このことを忘れないでいただきたいものである。

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     怒りと悲しみ               2012/9/16・2013/3/11

 昨日、12年9月15日 岩手県陸前高田市の"奇跡の一本松が切られた"そうです。
震災で、自然との関わり方に反省をしたのではなかったのか。
 保存をするということは、大地に根を張った、水を吸い上げ、光合成をし、松ぼっくりを作る。そういう生きた松を守ることであって、見かけは同じであっても、死んだ標本を作ることではないはずだ。
 小さな、自然の一部も知らない人間が、自然を支配しようとする行いに、怒りを感じ、悲しさに覆われた。

 2013年3月になって松は枯れたために保存することが決まったと分かった。理由はともかく早とちりの責は免れない。ほっとしたことは事実であった。

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   を出した暴れ馬             2012/9/4-9/14-9/16
 
 とうとう、暴れ馬が姿を見せ始めました。脱原発と発言した管前総理を政・財・官を使って、寄ってたかって足蹴にさせた黒幕が、ついに、足を見せたのです。

 管前総理の脱原発発言から政界で繰り広げられた動きは異常に感じられました。なんとか党の役職の人物が一日どころか一時間でも早く、管総理が辞めないと、日本は滅亡するかのような表現をして、管総理の退陣を求めていたのです。(のちに、原発をどうするかという国民の意見を聴く会で電力会社の社員の人が言っていた、言い回しとそっくりな言い方でした。)なぜなのか、解せないままでした。

 ずいぶん時間がたってから、サンデーモーニングで原子力基本法の改正案に"我が国の安全保障の確保に資する"という一文が追加され衆議院を通過し参議院に送付されたことを知りました。

 この一文は会議の終了間際に提出されたようです。さながら、真珠湾攻撃さながらに、自民党からの提案であったそうです。自民党は再軍備を目指している党で知られています。

 危険性の高いウラン原発にこだわり、より安全なトリウム原発を無視し続け、脱原発論を提唱した総理を辞任に追いやり、大飯原発を再稼働させた黒幕の意図が明らかになったのだと感じました。

 核燃料再処理工場を保持しプルトニウムを精製し(既に、たんさんのプルトニウムを保持しています。)、後は、一筋道で原子兵器の製造しかありません。

 我が国を核保有国にする勢力の馬脚が見えたのであります。驚くことは、この勢力を支援している国がアメリカで、この勢力の挑発に乗っているのが、北朝鮮・中華人民共和国であることです。
 アメリカとは了解済みのようですが、後の二つの国を操っているのは危険な賭けをしているのではないでしょうか。
  
 我々、日本国民は声を出さなければならないときが来たようです。
 つぶやきでもよいです。メールでもよいです。FAXでもはがきでも、封書でもよいと思います。
 ただ残念なことに、どこへ送ったらよいか分かりません。どなたか教えてください。

 12月26日撮り溜めた番組を見ようと、題名一覧を出しました。一覧の中にNHKのETV特集「核サイクルの変遷」と言う番組がありましたので、もしかしたら、探していた番組はこれではないかと思いまして、再生しました。

 当たりでした。内容が当たったばかりでなく、この一遍に書いた推測が当たっていたのには驚きました。 原子炉の開発の当初はトリウム原発の研究であったこと。それが、アメリカ留学から帰ってきた一研究者の報告からプルトニウムの増殖炉による核サイクルに転換したと言うこと、以後、増殖炉の開発が続いたことが分かりました。

 プルトニウムの増殖炉の特徴はナトリュウムを冷却剤に使うことと、燃料のプルトニウムが増えるということです。
 燃やせば燃やすほど燃料が増えると言う夢のような原子炉であることです。欠点は制御が難しいこと、プルトニウムの半減期が二万三千年と長いことです。

 国はウラン原子炉の研究は民間にまかせて、増殖炉の研究一筋になったということも明らかにされています。
 増殖炉研究の担当者は研究期間は百年の単位で考えなくてはいけないと主張してもいました。

 当たっていたとと言うのはこの後です。 佐藤首相のときに、外務官僚から、「中共(中華人民共和国)が核保有国になったのであるから、対抗して交渉するには、核武装の検討をすべきである。」、と、言う意見が出たとのことです。このような考えは外務官僚ばかりでなく、政治家からも出ており、現在まで続いているようであります。

 憲法を替えて武装して、核保有国に対抗するには、核兵器を保有する以外ないと言う考えのように思われます。国民がそれを望めば仕方がないでしょう。けれども、核兵器を持てば核攻撃を受ける覚悟をしなければならないでしょう。

 かって、日本は真珠湾で先制攻撃をした国であります。日本を先制攻撃する根拠にされるのは明らかであります。

 日本の佐藤内閣で原爆研究の動きがあることを察知したCIAは、核兵器保有を目指す最も危険な国として日本に注目していたと言うことです。

 佐藤栄作氏がノーベル平和賞を受賞されたのはこの頃のことであります。
 ノーベル平和賞は、日本の核兵器研究の抑えとして利用されたのではないでしょうか。

 プルトニウム原爆はウラン原爆より安価で造り易いと言われています。しかも、プルトニウムは数十トンも貯まっています、もし、増殖炉が完成したら、現在より大量のプルトニウムが貯蔵されることになります。


参考文献 ウィキベデア 非核三原則 原子爆弾
 
     NHK教育テレビ ETV特集「核燃料サイクル迷走の軌跡」 2012/6/17放送


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     もんじゅ廃炉       12/9/14

 本日付けの中日新聞の第一面に、白抜きで

もんじゅ廃炉方針伝達

 福井県に「30年代原発ゼロ」
   経産副大臣
 

と、いう見出しが出ていました。

要点は「経産副大臣が福井県庁で福井県知事と会談して、核燃料サイクル政策の見直し後にもんじゅを廃炉にする方針を初めて公式に伝えた。福井県知事はもんじゅの安全に努力してきた福井県には迷惑千万な話」、のようであつた。

この記事を見て、何か、違和感を感じた「はてなんだろう。」。いつもの、当たらない感が動いた。「これはおかしい。」この文を書きながら考えた。「核燃料サイクル政策の見直し後にもんじゅを廃炉にする。ということは、政策の見直しをしたら、その結論が何であっても、廃炉にする。ということになる。いわゆる、結論ありきの話ではないか。何が言いたかったのか。」。
 まさか、選挙対策の一環なのか。

 12月の30日になって、自分の無知に気が付いた、核燃料サイクル政策はプルトニウムの増殖炉の研究政策であることが分かったのである。したがって、当然の決論であると分かった。 

この記事にはまだ、疑問がある。「もんじゅの安全に努力してきた。」と福井県知事は言いました。どのような努力をしたのか、その事実が書かれていないことだ。当然のことであるが、知事の発言がそのときだけの思いつきの発言なのか、努力してきた事実があるのか、この裏付けが書かれていないことである。 

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     燃料再処理工場             2012/9/3

  2012年5月14日の中日新聞の一面に"維持費だけで年1100億円"という見出しがありました。
 なんでも、使用済みの核燃料を処理して、核燃料を再利用するための工場のことだそうです。
この工場は現在試験稼働中なのですが、再処理をしないで、地中に埋めるのが最も安上がりのようです。しかし、再処理推進派との折り合いがつかず、判断を先送りするようです。
 そうしますと、工場は試験稼働が続くことになります。そのために要する費用が年間1100億円だということです。
 この費用は税金で支払われることになります。消費税が10%になるから良いではないか、などと、言わないでほしいものです。

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   トイレなしのマンション          2012/9/3

 原発のことをトイレなしのマンションと言うそうです。廃棄物の処理を考えていない施設ということのようです。
 ということは、現在の電気料金は下水処理に要する金額を含んでいないということになります。
 トイレなしのマンションの下水料金はいくらになるのですか。知っていられる方は教えてください。
もしかしたら、原発の電気料金は水力や火力より高くなるのではないかと思っています。
 
 電気料金の算定の資料を公表してほしいものです。 

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   こんな言葉はいかがですか         2012/8/7~

行施

 一番最初の言葉は、ボランティヤの日本語はどうしたらよいか。ということが話題になった頃に作ったのが「行施」です。まだ昭和の御世のことです。
 お経や法話で人の心を安らかにするのを法施と言います。お金を差し上げて人の心を安らかにするのを財施と言います。同じように行いで人の心を安らかにするのですから「行施」と言えば良いと思いました。正式には「行布施」となります。


電子冊子・電冊住所

 今年になって、ホームページという言葉を何回も使っているうちに、いくつものファイルが入ってるのにページと書くことに違和感を覚えるようになりました。
そこで、作ったのが「電子冊子」です、略して「電冊」はいかがですか。ご存じのようにホームページアドレスは「電子冊子住所」、略して「電冊住所」。少し長いようですが、メールアドレスがありますので、「電住所」はいけないようです。4字ですから四字熟語の仲間入りをさせてもらえないか、と思っています。

 2014年になって、ホームページと言っていたのは本当は「ウエブ・サイト」と言うことが分かりました。
ホームページアドレスは「サイト・アドレス」言うのが正しいようです。お詫びして訂正いたします。


侵略的自衛権

 
2014年集団的自衛権と言う言葉が流行語のように使われ始めました。原因は安部総理が言い始めたからであります。2014年7月1日に閣議を開いて自衛権行使のための法律を整備する必要性があるということを決定しました。
 題して「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」という長い題名の文章です。言ってみれば今後の内閣の行動方針を決めたということです。

 全文・一 武力攻撃に至らない侵害への対処・二 国際社会の平和と安定への一層の貢献・三 憲法九条の下で許容される自衛の措置・四 今後の国内法整備の進め方の5つの文からできています。

 この中の三 憲法九条の下で許容される自衛の措置が安倍首相が自称する集団的自衛権なのであります。しかし、この文章のどこを見ても集団的自衛権行使のための必要要件が書かれていないにせの集団的自衛権なのであります。

 それどころか、考えようによっては、他国が要請をしていないのにその国に行って武力を行使することができるように法律を作るという、侵略も認めるようにするというものであります。

 そこで、「侵略的自衛権」の名前を贈ることにしました。

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   公表すると無用の混乱を招く恐れがある   2012/8/1~7

 この言葉は役所の調査機関が情報を隠すときの言葉のようです。
ですから、この言葉が出たら大事なことが隠されていると思ってよいようです。

   12/7/28の中日新聞の1面トップ

SPEEDI非公表
  文科省理由示さず
    最終報告被ばく責任回避
 

という見出しの記事がありました。この記事の中にも上記の言葉が書かれています。
会議の席上このような発言ができたのは、会議の出席者の多くの人がこのような考えを持っているからでしよう。
 以下、推測ですが、そんな、推測で考えることをしてはいけないことは、百も承知をしていますが。
 
「公表すると無用の混乱を招く恐れがある。」と考えている人は国民を信用していないのではないかと思います。確かに、国民、いや人間には信用できないところがあります。
 流行の鞄・流行の服・流行の電子機器、それに、トイレットペーパー事件、等々。
 それに、「公表すると無用の混乱を招く恐れがある。」と事実を公表しないですませると、国民の不信を招くことになる、このことに気が付いていないのであろうか。
 国民に何も知らせないで、国民を12歳のままにしておいて、「こどもには知らせない。けれども、なついているようにしよう。」というのは、徳川時代の治世論理の再来だと思います。
 けしの粒ほどの隠し事がない中で、混乱をしながら学んでいく国民の一人として考える、自分も国民の一人だと考える、そんな人になって欲しいと願わずにおれません。

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   21メートル津波             2012/7/31


 12/4/17の中日新聞の1面記事トップ見出しに

浜岡停止中は「安全」
     中電、保安院に報告 

 という記事が目につきました。その瞬間おかしいと思いました。
 保安院という役所はどんな仕事をする役所なのかということでした。
 資料の提出を求めるのはしかたがないとしましても、結論まで求めるのであれば保安院としての責任を果たしていないと感じました。
 2面の解説を見ても分らないことがありました、それは、中電の報告は保安院から検討を求められて報告をしたのか、そうでないか、と、いうことです。
 有識者会議が推定した津波の高さが確定したものであろうとなかろうと、保安院は浜岡原発の津波対策の実態の調査報告を求めればよいのであって、保安院はこの調査報告から、安全性を評価するするのが筋だと思います。

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   とすっぽん               2012/6/21

 月とすっぽん。このぐらいおかしな諺はないのでは、と思うのはわたしだけであろうか、金子武雄著"日本のことわざ"大修館書店発行には、すっぽんは朱盆がなまったものであろうという中野吉平氏の俚諺大辞典の説が書かれている。

 わたしは、水盤、または、水盆がなまったものと思う。

 この考えはいかがだろうか。水盤、または、水盆には月が映る。

 天空の月と水盤の月、全く同じように見える、けれども、似て非なるものである。
 

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     邪馬台国はどこにあるのか                  2012/6/8

 8日の夜にNHKのBS2の録画を見ていました。邪馬台国はどこにあるかということが話し合われていました。九州説の論者と近畿説の論者、それに、加えて考古学の専門家と司会の四人からなる番組でした。

 番組の中で言われた言葉の中で見過ごしてはならないことが3つありました。
 「この本は倭国のための歴史書ではなくて魏のための歴史書である。」と言うことでした。それに、金印が贈られた国は2つあって1つは蜀の南西の国であると言うこと、もう1つが倭国であると言うことでした。
 3つ目の大事なことは倭人伝に書いてあるとおりであれば、倭国、つまり、邪馬台国は宋の南東のジャワ島あたりになると言うことでした。

 これで、謎が解けたように思いました。蜀の南西の国は実在する国であります。宋の南東に仮想の国を創れば蜀と宋に与える脅威は計り知れません。

 魏志倭人伝に書かれている倭国の位置は中国得意の"遠交近計"の策の産物であったのであります。金印を贈ったと言うことがその証でありましょう。

 邪馬台国の位置を決めるのであれば考古学の方法に頼るほかないでしょう。

  
  

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     民主主義、多数決、小選挙区        2012/7/14~

 現在の日本は民主主義が最高の基準であるようです。民主主義を保っていくのには、多数決による決定が不可欠であり、逆に、多数決による決定は民主主義による決定である。このように考えている人が少なくありません。
 前半の民主主義の決定は多数決でなくても可能であります。後半の正しくないことは昭和十年代日本の帝国議会での決定やソ連の最高議会での決定、ナチス時代のドイツ国会での決定は、全て、多数決で決定されています。しかし、民主主義とは無縁な決定であることは明らかであります。

 科学では、"逆は真ならず"という考えは当たり前な考えであります。科学者ても間違えている人がいますから、科学に関心がない方々の多くが間違えても仕方がないでしょう。
 "逆は真ならず"という言葉は"真のこともあるし真でないこともある"という言葉です。

 多くの人の考えは"多数決での決定は、民主主義の手続きに合った方法による決定であるので、民主主義での決定であると言ってよい。"ということであります。
 例えば、バナナは黄色の果物である。に対してその逆は、黄色の果物はバナナである。となりますが、黄色の果物はバナナ以外にいくつかありますから、この場合、逆は真ではないことになります。

 今の日本は議会制民主主義を制度として取り入れています。そのためか、議員が議員でない人より権力を持っていて当り前、市民・町民より市議員・町議員の方が決定権を持っているのだと考える人が多いようです。

 この考えに従えば、議員主義、または、議会主義であって民主主義ではないことになります。この考え違いは今の日本の制度が完全な民主主義の制度になっていないことを現わしています。

 地域住民の投票の結果がその地域の最高の意思決定でなければならないはずです。ところが、現在は、住民投票の結果は議会の参考意見にすぎないのです。

小選挙区
 現在実施されている小選挙区は自民党の力が弱くなってきたころ、自民党が自党の勢力を保つのを目的として提唱し始めた選挙制度であったはずです。自民党は政権交代が容易になると主張し、その主張を野党が受け入れ1996年から実施された制度であります。考えてもみてください。政権を持っている政党が政権交代が容易になるような制度を、野党に示すことなど考えられないことことであります。

 もともと、選挙制度は民意を反映した議員数を決める制度でなければならないはずであります。この目的にあった選挙制度は政治家が決めることでなく、統計学者に任せるのが良いと思っています。
 いわゆる、死に票が極力少なくなるように工夫された選挙制度を考えて欲しいと願っています。

 12月16日の選挙の結果を見ますと、小選挙区では、自民党の得票率は43.01%、比例区では27.62%でした。
 この割合で議席数を求めますと、小選挙区の自民党の議席数=300×43.01≒129 比例区の議席数=180×27.62≒50 となります。合計すれば179議席となります。獲得議席数は294ですから115議席多かったことになります。

 こんな簡単なことで議席数が決まるわけではありません。地域別に決まりますし、小選挙区と比例区との兼ね合いで決まることもありますので、わたくしができる範囲で調べてみました。

 資料は中日新聞の衆院選データーブックの値をお借りしました。

 上の結果から見ましても小選挙区は民主的な制度であるといえません。多数決で決めれば民主的だと言えない例であります。
 新聞社が世論調査で用いる方法を参考にして選挙制度を決める必要があります。

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   日の丸・君が代              2012/7/14~8/22

 この内容の随筆は、いつであったか、忘れるぐらい以前に書いたものを思い出しながら書きました。ここにきて、日の丸を国旗とし、君が代を国歌にするとしたのは、文部省だったことを思い出しました。それがいつであったか、調べようとしたらとんでもないことが、分かりました。なんと、君が代には二番があったのです。

ところで明治14年発行の「小学唱歌集初編」に掲載された君が代は…

 1 君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで
   うごきなく常盤かきはにかぎりもあらじ
 2 君が代は千尋の底のさざれ石の鵜のゐる磯とあらはるゝまで
   かぎりなき御世の栄をほぎたてまつる

1番が長いどころか2番まである。2番の前半は源頼政の和歌、1番と2番の後半は歌集(教科書)編纂に参加した東京師範学校教員、稲垣千頴の創作とされている。

 この長い「君が代」は結局普及しなかった。

 上の文はインターネットで見つけました。

 それはさておきまして、国会の審議を必要とする事柄を一省庁が国旗国歌と決定して命令として出すことの是非に対する疑問はありますが。本論に戻ります。

 日の丸を国旗とし、君が代を国歌にすることに反対する人々は、日の丸を押し立てて、君が代の追い風を受けて、自国民他国民を迫害したあの戦争の思い出があるからではないでしょうか。

 一説には六千万の人に被害をもたらした悪行の象徴など教育現場にふさわしくないということだと思います。

 わたしはこのように考えます。残念なことは、国会の議決を受けて文部省が動くという、当然な、道を踏まなかったことです。

 先ず、政令を出して義務教育で国旗・国歌として広め、時期を見て国会で決定する。こんなやりかたでつくりだされることはなんなのでありましょうか。

それはそれとして。考えてください。

 古代から、今なお続く侵略戦争の一時期に、日の丸を振り君が代を歌って他国に迷惑なことをした、それも、国を挙げて行った。この事実を決して忘れないようにする。そして、日の丸・君が代を先頭にして他国民と自国民に悲しい思いをさせた、そんなことを言い伝えていく。その象徴として日の丸と君が代はあるのだ、と、こう考え、その考えに沿った行動をして、その行動を継続して行くことが必要ではないでしょうか。

 「臭いものに蓋をしない。臭いものに蓋をさせない。」この活動を地道に長く続けるこのことこそ大切と思います。

 報道によりますと、学校の式のときに君が代を歌っているかどうか近くによって調べることが実施されているようです。これは、明らかに道義に背くことではないでしょうか。そして、ここにも、憲法無視の体質が現われていると思います。

 こんなことを指示している人たちは、君が代に恥じねばならないでしょう。

 すべての国民が誇りを持って国歌を歌えるそんな国になっていると思っていられるとしたら実情を知らなさすぎる、そんな、無知さ加減を知って欲しいものです。

 君が代を歌いたくない人があったら、権力を持っている人は、なぜかと、自らに問いただす余裕を持って欲しいものです。

 日の丸・君が代が悪いわけではないのです。

 日の丸を掲げ君が代を歌って自国民だけでなく他国民に迷惑を掛けた事実を明らかにして、道義にもとったことを懺悔する勇気を示し、再びこのような行いをしないという決意を表明する必要があります。

 国民は是を是とし、非を非とする国に対して、誇りを持つことができると思います。

 祝祭日に日の丸を掲げる家庭がどれだけあるか知りませんが、あったとしても極めて少ないと思います。

 今心配なのは、善くないことに利用しょうといふ人々の集まりが大きくなり始めていることです。

 集団のためにと称して自分の欲望のために個人の人権を無視しようとする人々が多くなり始めているように思われることです。

 このような人々は法律を作り強制をするようですが、法律は道義に沿ったものでなければならないことを忘れているようです。   

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     亀井両氏に拍手              2012/4/7

  消費税の増税案が決定されて、亀井 静香氏が国民新党の連立政権からの離脱を宣言した。

 しかし、同党の議員の8名の内6名は連立を継続すると宣言し、後日、代表の亀井 静香氏を、政調会長の亀井 亜紀子氏を解任した。

 6日には記者団の取材に応じて、代表が招集しない会の決定は無効だと発言していた。

 しかし、7日には、一転、党を混乱に導いたという理由で、代表のまま離党を発表した。

 6日には、泥試合になるかと思いました。ところが、7日の新聞で離党ということを知りました。久しく見れなかった政治家の判断を見られた思いでした。

 両亀井氏に拍手を送ります。

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◎ 副鼻腔

 いつのことであるのか、左の鼻が詰まるような気がしていた、思い切って耳鼻科に行って症状を伝えると副鼻腔炎でしょうということでレントケン写真を2枚写してくださった。右は異状がないから真黒に写っているが左は白く濁っているので炎症があるようです漢方薬を出しておきましょう。ということで診察が終わり。アナライザーを3分間受けて診察室からおさらばをした。

6/12 耳鼻科3日目
 調子が良いようですので、薬を止めてみますか。いや、もう少し続けてくださいと言うことでまた10日分の処方箋を受け取った。

12/16
 内科の症状が続いたので、耳鼻科に行くことができなかった。

3/15 頻繁に鼻水がでるようになったので、また鼻耳科に行くことにした。以前と違う医院に行ったら、鼻の骨が曲がっていて左の鼻の穴が狭いので詰まるように感じるのだと言われた。鼻の皮膚が乾いているので夜にスプレーをするようにと言われた。

 スプレーをもらって帰った。 

3/21 毎晩スプレーを続けたら鼻水の出方が少なくなった。もっとも、スブレーをすると同じ日から室内に蒸気を出してきたので、スブレーが効いたのか湿気が効いたのか分からない。

2015/2/13 スプレーは今も必要であります。

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◎ 腸炎

7/10
 寝不足・脱水症?・食当たり?

  ゲームをしていて、気が付いたら2時近くになっていた。3時過ぎに用を済ませて寝たが、なぜか、眠れなかった。5時頃起きて、洗濯機を回し、朝食抜きで6時17分発のバスに乗るために、6時に家を出た。

 7時前に久屋大通駅についた。ただちに調査開始。10時半ごろ朝食。11時ごろ調査終了。ぜんざいを食べて地下鉄に乗った。

 帰宅後、出しっぱなしになっていた野菜の煮物で、3時過ぎに夕食。

 5時過ぎ下痢が始まった。

7/11 
 一日寝ていれば治ると思い寝ていた。夕食におじやを食べたか、食べなかったか忘れたが夕方にまた下痢をした。

7/12
 朝、快調これで治ったと感じたが念のために"○○○小児科医院"を訪れる。
 薬をもらって帰る。二回飲んだ。

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◎ ウイルス性腸炎

9/9 
 夜先ず手が震え腕が震え、すぐに全身が震えた。とにかく、寒いのですぐに寝る。一回下痢をした。

9/10 
 ○○○小児科へ行き診てもらう腸が鳴っているとのことであった。軟便一回。
 食欲なく、ほとんどなにも食べていない。血液検査のため採血があった。

11/24
 みんなにうるさく言われて、血液検査をお願いしにいった。


◎ 肝臓
11/26
 朝医者から電話があって、血液検査の結果から薬を追加したいから来院するようにとのことであった。
 医者からウイルス性の肝炎の疑いがあるので、薬を飲むようにということで、処方箋をもらった。
 毎食後1錠であった。

12/11
 薬の効果を見ていただくために血液検査のお願いに伺った。
 薬の効果ははっきり出ていないようであったが、値は平常値の方に向かっているとのことであった。

 話の中で急な坂を10mほど上がると息ができなくなると伝えると、胸のレントゲン写真と心電図を撮ってレントゲン写真が白く霞のようになっているから、○○大学病院を受診するようにと言われ予約を取ってくださった。

 

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初登場二病

◎ 狭心症 心臓冠動脈カテーテル検査

1/25 手術前診察

1/28~1/30 カテーテル検査

1/29 手術室は寒かった、風邪を引くかと思ったが、そんなこともなくすんだ。脱衣籠もない部屋で羽毛の上着は看護師さんが、病室へ持って帰ってくれた。なぜ、脱衣籠がないかは看護師さんも知らないようであった。

2/13~2/16 一次カテーテル手術。薬を四種類もらった。ハイアスピリン錠100㎎・プラビックス錠75㎎・リバロ錠2㎎・ネキシウムカプセル20㎎である。薬がいらなくなるのはいつのことになるのであろうか。

2/14 手術室は寒く、脱衣籠もなかった。退院後、要望書を出した。

3/27~3/30 二次カテーテル手術

3/28 この日の手術室は寒くなかった。手術中枕になっていたバスタオルが肩の骨の中程まであり、耐え難いほど痛くなり上に上げてもらったが、充分でなく、軽くなったとはいえ大変痛いままであった。看護師の配慮が足りないと思った。

 手術後の血止めのバンドに着いている器具の面取りが少なく、手首に食い込んでずいぶん痛かった。その器具は針が入った場所より静脈側の方を強く抑えていた。

7/8 薬はまだ一週間分残っていたが、診察に伺った。左の乳頭の周りにしこりができ痛みを伴っていたからである。医師は乳癌ではなく薬の副作用であろうと言って。胃薬のネキシウムカプセル20㎎をセフタックカプセル50に替えてくれた。



10/18 手術前診察

11/6~11/9 7日カテーテル検査ステントにはつまりがなく血液は順調に流れているとのことであった。3月28日のときと比べて血液の通りが悪くなっている血管が2ヶ所あるとのことであった。しかし、手術するほどのことはない25%のつまりであると説明があった。

 次回の予約はなかった。

2014/4/12 止血器具でできたあざはようやく薄くなり分からなくなった、しかし、入浴するとあざがあざやかになる。


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◎ 左膝骨折

2013/4/18
 有松第三自転車置場は自転車の多い置場である。入口を入って直ぐのところで片側スタンドが浮いているのに気が付かなかった。右足のズボンの裾が絡まり左側に倒れた。体を回転して倒れることができず、膝をついてしまった。

 皿の左下の骨を打った。痛いと感じたのは僅かな時間であった。なぜか、しばらく起き上がれなかった。

 皿の内側少し上の太い筋肉が腫れて痛いことに気が付いた。そのまま、買い物に行った。家まで歩いて帰ろうと思ったが、気が弱くなっていたので、名鉄で帰ることにした。

 痛みが強くなってきたので置き薬のシップを貼った。

  薬草入り新パップ剤 ワイズダムパップ
   成分 100g中
      オウバク末・・・・・1.0g      l-メントール・・・・・0.3g
      サンシシ末・・・・・0.5g      dl-カンフル ・・・・・0.2g
      サリチル酸グリコール0.5g      ハッカ油   ・・・・・0.2g

4/19 痛みで眠れなかった。○○○整形外科医院へ行って診てもらう。膝がパンパンに腫れていた。血を抜いてもらったら腫れが引き痛みが小さくなった。骨折のようでキブスを当ててもらった、今後の治療について考えを聞かれた。

 MRIを受けれればよいのであるが、ステントを入れているので、MRIで診ることはできないということであった。

 「このままで、治療を続けるか、手術をするかのどちらかを選びなさい。手術をするのであれば設備がないので手術ができる病院を紹介する。」ということであった。歯医者のことが頭をよぎったが、手術をしてもらうことにして、処方箋をもらって、松葉杖を貸してもらって、車椅子に乗せてもらって帰る。坂が多いので申し訳ないがしかたがない。

4/20 ギブスの具合いを診てもらうために出かける。
 腫れがひいたので、もう一度診断を受けた。

4/22 予約をしてもらった○○大学病院へ行った。

 詳しいことはMRIで診なければ分からないということであった。◎◎整形外科にあるMRIはステントが入っていても差支えないということで紹介状をもらって帰る。
 
午後に◎◎整形外科に行ってMRIで画像を撮ってもらった。

 オープン式MRIでステントがあっても撮影できた。

4/25 大学病院二日目 先ずギブスを着けてもらう。次にレントゲン撮影をしてもらい、診察を受ける。
 膝関節の前から後ろに繋がる靭帯がうしろ側の骨についている骨、その骨が折れているとのことであった。5月13日の予約をもらって帰る。

 三日ほどしたら、腫れが引いたためかギブスに遊びができ、ギブスを足首まで下げれるようになった。遊びができたためか膝の皿といわれる骨の突起部がギブスの布で擦れて赤く腫れ痛くなり、皮が剥けそうになったので絆創膏を貼った。大学病院に連絡したら五月二日に来てくださいということになった。

5/2 ギブスを取り換えてもらい、レントゲン撮影をして、診断を受ける。このとき、膝は少し曲げて固定しなければいけないことを教えてもらった。五月三十一日にギブスを外すか続けるかを決めましょうということで、5月31日の予約をもらって帰った。

5/7 ふくらはぎの上の方に皮膚がめくれたところができたようで、ギブスに着いて痛くなった。試しにギブスを下げてみたら少しきつかったが下がったので指を差し入れてテラマイシンを塗った。

5/9 八日にテラマイシンを塗った傷に触ったらかさぶた状になっているようであった。それから、ギブスの遊びが気になったので、大学病院の医師に手紙を書いて送った。

5/14 大学病院の医師から電話があり五月十七日に来院するようにとのことであった。

5/17 今日は最初にレントゲン撮影をしてからギブスを切ってもらい、それからふくらはぎの傷を診てもらった。薬を山ほど着けて包帯をまかれた。ギブスの下に包帯を巻いても良いことは初めて知った。ついでに、膝の皿に出来たギブスとのすれに絆創膏を貼ってもらった。その後、ギブスを巻き直してもらった。

 次回は五月三十一日でおそらく、ギブスが取れるのではないかということで終わった。

5/31 ギブスが取れて、サポーターに替わった。動ける範囲が大きくなった。

6/8 サポーターの生地が肌に合わないのか触れている範囲に赤く湿疹ができた。全体が痒くなった。

6/10 100円ショップへ行って膝用の継ぎ目なし包帯を買ってきてサポーターの下に着けた。

6/12 膝用の継ぎ目なし包帯は効果があった。赤くなっていたのが薄い色になつた。痒みはまだ残っている。けれども、サポーターを固定するバンドの1本が締められなくなった。

6/28 検診に行った。サポーターを着けるのは外出のときだけでいいと言われた。次回の予約は、8月23日になった。

8/23 
左膝のレントゲンを撮ってもらい、診察を受けた、触診がありこの位ならいいでしょうということで、治療終了となった。たくさんの方のおかげをいただき、治療終了となったことありがたいと感謝、感謝

9/26 左足は十分に曲げることができない。踵の位置で右足と5cm程差ができている。左足の管節は今もって硬さが残っている。

11/30 左膝はまだ完全ではない。正座の形をしたとき膝の背面が痛み強い反発があり、手で支える必要がある。

12/15 高枝鋏でメタセコイヤの剪定をしていてバランスを崩して2歩三歩後ろに下がってこらえきれず尻もちをついてしまった。余計なところに力が入り左膝が痛くなった。


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頭皮の痒み  5/20

5/23 一月ほど前から頭の皮が痒くなり出しました。五月二十三日医者に行きまして診てもらいましたところ皮膚が乾燥しているので痒いのだと言われました。汗をかくのも良くないと言われました。

 頭を洗った後てローションを塗るように言われました。

 五日ほどしたらまたくるようにとのことでした。そのとき、ほっておくとかびが出るかもしれないとのことでした。てっきり、かびが原因と思っていましたので、まだかびが付いていないようで安心しました。

 ローションはリンデロン-VGローション10mlです。ステロイド系の薬だそうです。


足の爪の水虫


   多角形の面積と等しい面積の三角形を描く法   2012/1/22

 1)、四角形の面積と等しい面積の三角形を描く法
   四角形ABCDにおいて
   頂点Dを通り対角線ACに平行な直線引く、辺BCの延長線との交点をEとする。
   
AとEを結ぶ。△ABEは四角形ABCDの面積に等しい面積の三角形である。

                        

  証明

 △AEDと△CEDにおいて
   DE=DE
   AC並行DE
したがって
  △AED=△CED
 四角形ABCD=四角形ABED-△CED
△AED=△CEDだから
 四角形ABCD=四角形ABED-△AED
         =△ABE
 したがって
     △ABE=四角形ABCD

凹四角形についても、同じように作図することがてき、証明できる。

  証明 
△AECと△ADCにおいて
   AC=AC
   AC並行DE
したがって
  △AEC=△ADC
 四角形ABCD=△ABC-△ADC
△AEC=△ADCだから
 四角形ABCD=△ABC-△AEC
         =△ABE
したがって
     △ABE=四角形ABCD


2)、五角形の面積と等しい面積の三角形を描く法

  五角形ABCDEにおいて
頂点Bを通り対角線ACに平行な直線引く、
辺CDの延長線との交点をFとする。
頂点Eを通り対角線ADに平行な直線引く、
辺CDの延長線との交点をGとする。
三角形AFGの面積は五角形ABCDEの面積
に等しい面積の三角形である。
 

証明は省略

3)、N多角形の面積と等しい面積の三角形を描く法

N多角形A1A2A3・・・Ap-2Ap-1ApAp+1・・・Anにおいて

  頂点Apを通り、頂点Apの両となりの頂点、頂点Ap-1
頂点Ap+1を結ぶ対角線に平行な直線を引く。
半直線Ap-2Ap-1との交点をQとする。頂点Ap+1と点Q
とを結ぶ。
頂点Apは 半直線Ap-2Ap-1上の点に移動するため、
角数が一つ少なくなるが面積は変化しない。
同様な操作をN-3回行うことによりN多角形の面積と
等しい面積の三角形を描くことができる。
 

証明は省略


以下はこれまでの知識の応用です

三角形の面積に等しい面積の長方形を描く法  2012/2/3

  頂点Aを通り辺BCに平行な直線を引く。
頂点Bから辺BCの垂線を引き、頂点Aを
通り辺BCに平行な直線との交点をDとする。
頂点CとDを結ぶ。
頂点Cから辺BCの垂線を引く。
線分BDの垂直二等分線を引き、BDとの
交点をE、CDとの交点をF、頂点Cを通るBC
の垂線との交点をGとする。 

長方形BCGEは三角形ABCの面積に等しい
長方形である。

証明は省略しますが、△EFD≡△GFCです。


この次の用器画はわたくしが青年学校で学んだものです。

長方形の面積に等しい面積の正方形を描く法


円弧が描けれませんので見にくくなりました

  辺ADを延長し頂点Dを中心として、
CDを半径とした円弧を描き延長
線との交点をEとする。

 AEの中点をFとし、Fを中心とし
てFEを半径とする円弧を描きCDの
延長線との交点をGとする。
DGは求める正方形の一辺である。
   
証明
a=AD,b=CDとする。
△GFDにおいて
DG2=FG2-FD2
DE=1/2AE,DE=CDだから
DF=1/2(a+b)-b
 =1/2(a+b-2b)
 =1/2(a-b)
FG=EFだから
 =1/2(a+b)
したがって
DG2=1/4(a+b)2-1/4(a-b)2
  =1/4(a2+2ab+b2-1/4(a2-2ab+b2)
  =1/4(a2+2ab+b2-a2+2ab-b2)
  =1/4×4ab
  =ab  

始めから最後まで通しますと
"多角形の面積に等しい面積の正方形を描く法"
となります。

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         神ともにいまして      2011/12/28

  神ともにいまして 行く道をまもり
 天の御糧もて 力を与えませ
 また会う日まで また会う日まで 
 神の守り 汝が身を離れざれ


 
この歌は讃美歌の一曲であります。
どういう訳かこの歌が好きであります。 
  あの四国巡礼の"同行二人"のキリスト教版のような気がして身近に感じられるからなのでしょうか、
 26日の明け方、目が覚めましたら、眠られなくなりました。そして、この歌が口に出ました。そして、やがて、気がつきました日本の人にとっての神は山も神、川も神、草も木も鮭も犬も神であります。森羅万象ことごとくが神であります。 
  神を自然と言い換えてみたらどうかなと思いました。
 自画自賛けっこうつじつまが合ったように思えました。 自然が一緒にいてくれたら将来も安心していられる。自然の産物で力をつけてください。
 また会う日まで、また会う日まで、自然の恩恵があなたから離れないように。

 

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起きて半畳、寝て一畳    2011/12/28

 日本には、"起きて半畳、寝て一畳"とか"一日四合の玄米を食べ"という言葉か一般の人に歓迎される言葉になっています。"只足るを知る"もそうですが、このような言葉にひかれるような心が日本の人々の伝統のなかにありま
す。
 これに対し、囲い込みの哲学を背景にしたアメリカは正義の名の下に先住民を追い出し、今は世界の富を集めよう
  としています。 もちろん、日本においても 囲い込みを正義とするアメリカ的な考えを持っている人たちがいま
す。この人たちが日本の政治を動かしているのが実情のようです。
 経済成長率を高めることを限りなく進めていくとどのようなことになるのかだれも知りません世界を囲い込んで、世界の富を取り込んだとしても富を求める心はは止まるこ
  となく働き続けるでありましょう。世界の各地の経済的に弱い国の人々は富を奪われ土地を奪われ滅せられることになるのではないでしょうか。

 この囲い込み取り込みの心は、国家の中でも活躍するでしょう。生活する糧を奪われる人が増えていくことになるでしょう。
 このような状況をどこまで続ければ考え方を変えるので

しょうか。
 数年前からグローバルという言葉が遣われています。
 地球規模ということでしょうか。
 現実は地球規模の市場から利益を得たのはアメリカの富裕層であったと思います。
 グローバル戦略が行き詰
まって、今度は後進国と組んでTPPとなったと思いま
す。

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         放射能汚染の真相     2011/10/28   丹羽 允 筆

 
福島原発事故による食品の放射能汚染は経済誌も特集を組むくらい大問題になっている。しかし東電、保安院、政府による情報隠し、情報操作によってその真相は国民の目に隠されており、マスコミに散発的に出る情報では、過敏、無知の両極端に陥りやすい。例えば、文部科学省のSPEEDIシステムは詳細な放射能分布のデーターをIAEAには報告しても国民には一部しか発表していない。
 最初の爆発からメルトダウンは明らかなのに2ヶ月も隠し、
海水中放出、ventによる大気中放出の放射能総量は広島原爆20発分(核種が違うから厳密でないが)と言われても一般市民にはよくわからない。

 福島事故はチェルノブイリに匹敵する大事故であり、人口密度からいえば、それ以上の放射能被害を及ぼすことは確かである。ここでは特に食品の放射能汚染について考察したい。

 1)東北産食品の汚染度測定値にはむらがある。基準値以下で安全かと思うと局地的に高度汚染米が出たりする。国の食品安全基準穀類、野菜500Bq/Kgはアメリカの3倍、チェルノブイリの13.5倍で安易に過ぎる。

 2)
土壌から植物→食品。までの放射能取り込み過程は土壌や植物の生長速度などで異なり、例えば、土壌5000Bq/Kg→籾1000Bq/Kg→玄米250Bq/Kg→精米50Bq/Kgという移行度も一般化はできず、いろいろな試算がある。茸類は成長早く汚染度高い。

 3)土壌の汚染地図(科学、vol 81,№9,Sept.2011)を見ると、距離に反比例とは限らず、原発から200Km以上離れた千葉北部、神奈川西部、群馬西部などに散発的に50000Bq/㎡という高汚染地域が見られる。測定地点を増せばもっと多くの高汚染地点が見つかるであろう。千葉産茶の葉に高度汚染が見られたのも不思議でない。

 4)肉牛は全頭検査できるが、米や野菜はもれなく全量検査できるか?

2000Bq/Kgの牛肉100gをたまに食べても健康被害がすぐ出るわけではないが、米、ミルクのように毎日摂取するものは危険、私の試算では、200Bq/Kgの白米500g(約3合)を毎日食べると365日で被曝量は0.495mSvに達する。自然放射能は1.5mSv/年、土地、大気からの被曝量を考えると、すぐ2mSvを超すであろう。

児童の被曝限度20mSv/年という規定は非常識極まり、抗議声明が出ている。

 5)こういう不安を反映して、食品メーカー、生協(例えばコープこうべ)などで放射能自主測定の動きも出ている。信じたくないが、産地偽装の動きさえあるというのに、消費者はなにを信じたらよいのか?風評被害という言葉を隠れ蓑にしてはならない。

 6)セシュウム137(半減期30年)の生体内吸収排泄は、体液、筋肉に吸収されてから比較的早く汗、尿に排泄されることは確かだが、その体内残留、長期的影響はまだ解明されていない問題がある。セシウムはⅠ族、アルカリ金属(Na,K,の類)であるが、原子量高く、たんぱく
質と結合すると、腎臓糸毬体、膀胱粘膜などに貯蔵して、長期間たってから腎癌、膀胱癌をおこす可能性は否定できない。今後の監視、研究が必要である。

 食品の放射能汚染問題は、チェルノブイリ、のように今後長期間跡を引くであろうが、正しい知識に基づいて。「恐れず、侮らず」慎重に対処しなくてはならない。

 いたずらにパニックを起こすことも、無関心、不用心も、どちらにも偏らない冷静な態度が市民に求められる。
何より政府、自治体、生産者などの情報全面公開を要望すべきである。

(2011年9月記)

 食品放射能汚染問題、情報操作に負けないよう書いてみました。過敏も鈍感もだめ。

冷静に対処すべきです。遠慮なく批判してください。糠にはセシュウム多く糠漬毎日食べる人は要注意でしょう。

 土→→→米へのセシュウムの移行はもっと高い例もあります。完



 これ以下はわたくしが調べたことです。参考にしていただければ幸いです。


 参考資料(ウィキペディア)

1. Bqはベクレルの単位: 1Bqは1秒間に1つの原子核が崩壊して放射線を放つ放射能の量

2. Svはシーベルトの単位:生体の被曝による生物学的影響の大きさの単位

  正しくは、吸収線量(放射線から受けるエネルギー)に、法令で定められた係数(放射線

  種類ごとに定められた人体の渉外の受けやすさ)を掛けた値

   1Sv=1000mSv=1000000μSv , 1mSv=1000μSv

   短時間(1時間)に全身被曝した場合の致死量線量: 5%致死量線量は2Sv

                           50%致死量線量は4Sv

                           100%致死量線量は7Sv

   200/1000Sv以下では急性の臨床的症状は認められない

   年間自然被曝線量:2.4mSv=24/1000Sv=0.0024Sv

   航空機に搭乗して受ける被曝線量は(800~900)間の搭乗員で年間3mSvになる

   900時間とすると3.3μSv/時となる。

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2011年9月6日
緊急のお願いです。
平井憲夫氏の絶筆を読んでください

平井憲夫と入力して検索すれば文が出ます。

インターネットに接続していれば、パソコンはもちろんスマートホンなら携帯電話でも見られます。

平井憲夫氏は複数の原発の建設工事に現場監督として働いた技術者であります、

平井憲夫氏の絶筆は原発の建設工事の実態を経験を基にして書いてあります。

この文の中に放射性廃棄物のことが書いてあります。

ほとんどの人が知らない重大なことが書かれています。

ぜひ読んでくださいませ。

読んだら、複数の方に教えてあげてくださいませ。

そのとき、複数の方に伝えてくださるようにお願いしてくださいませ。

このようにして、国民のための情報が、国民の全ての方に伝わることになります。

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     原発事故よって生じた廃棄物の処理について   2011/10/1


十月一日 NHKの深読みニユースを見ていて、「そうなんだ。」と気付きました。

 自分に恥ました。"原発ゴミ"で書いたわたくしの考えは表面的な考えであると気付きました。

 福島の方々は、過去のことについては、もう、充分に報いを受けているのであります。もう、福島の方々が未来においても、せめを負うことはない、と思ったのであります。

 原発を認め、原発の恩恵を受けてきたのは電気を使っていた国民全体であります。ですから、処理は国民全体で責任を持たなければならないと思いました。

 そうなんです、今回の原発事故によって汚染された土や瓦礫などの処分については、国民全体で分かち持つのを原則として考える必要があると気がつきました。

 この意味からすると、沖縄を除く(なぜ沖縄を除くかと言いますと、基地など厄介なことは沖縄に押し付けてきましたからです。)すべての都道府県で分担して処理することにすればよいでしょう。

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   わたくしが知る管前総理の業績   2011/9/14~2012/


 新聞に書かれない、放送もされない、そんな、管前総理の業績は、わたくしが知るよすがもありません。しかし、わたくしが、これこそ、管前総理の業績であり、おそらく、他の総理ではなしえなかったであろうことを書くことにします。

 2011年6月29日の朝日新聞の朝刊の一面にB型肝炎和解合意という見出しが出ていました。

  2006年6月に5人の原告に対して最高裁の判決があったにもかかわらず、

同じ被害をこうむった多くの国民(推計140万人)になにもしてこなかった国の方針を改め、被害者救済の基本合意に至ったとあります。

 新聞によりますと、この合意書の中に「最高裁判決が、全てを解決する一般的基準にはならないと考えた」という文が入っているとあります。

 それはさておき、国の施策による被害者と国との救済の合意や謝罪は過去にもあったことでありますが、今回はその規模の大きさから合意の成立は難しいと思っていました。

 脱原発を大きく取り上げたのも管前総理だと思います。まもなく、管前総理は経済界や政界から袋叩きにあいました。

 なぜだろう?。一日でもとどまっていたら日本が駄目になるとさえ発言した政治家がいました。

 なぜだろう? なぜだろう? なぜだろう? 長い間分かりませんでした。次々と原発が運転停止になりました。東京電力が値上げは権利だと言いました。

 原発の再稼働を望む声がマスコミに出始めました。

 そんな頃になってようやく分かりました。

 総理の肩書を持った人が脱原発を訴え続けていること、これ以上、脱原発の発言をされては困る人々が総理降ろしを目論んでのでしょう。そのための大合唱であったのだと分かりました。

 2012年4月15日の中日新聞の一面に大飯原発再稼動についての管前総理の発言が載っております。
 大きい字の見出しは、

 管前首相再稼働に警鐘
  
電力不足は供給側の理屈
      将来のエネルギー議論必要

とあります。(記事の表現を替えてあります。)
 記事中、管前首相は「原発の再稼働は将来のエネルギー政策をどうするのかといった大きな方向性の中で考えていくべき問題だ。」と指摘。「政府の対応は電力不足を懸念する電力業界や電力会社に融資している銀行への影響など、再稼働自体が目的というか、短期的で、部分的な議論をしている。」と語っている。

 三面にも管前首相に対する会見の詳報が書かれてあり、一面と三面に書かれていることには、役所からの資料の提出に対する不満が述べられています。一面では「役所は大事なデータを隠して説明する。筋書きを書き、それに沿う資料しか出してこない。」。
 三面では「昨年夏の電力需給の説明でも供給力を少なく予想した資料を持ってきた。それで判断したら大変ですよ。そこで、当時、国家戦略室で私を支えるチームが情報開示を文書で命令して、ようやくかなりのところまで資料が出てきた。一国の総理がそこまでしないと正しい情報が入らない。」、と、あります。この一文は業績ではありませんが。国民にとって大事な情報であると考えます。

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    大連立論は国民の意思に沿っているか  2011/9/5


  政治の課題となっている大連立論は国民の意思に沿っているのでしょうか。

 国民は大連立論を求めて投票したとは思えないのであります。公約は環境の変化によって変更

されのはかまいませんが、政治家の話し合いで、国民の意思を変えるのは良いとは思えません。

選挙によって出来上がった枠組みで政治を進めるべきであります。衆議院も参議員も与党が多数

の枠組みで進めてきた手法で、参議院野党多数の枠組みで通用するわけがないと思います。

 今、政治家がすべきことは国民の意思によってつくらた枠組みの中で進めることができる議会

運営のありかたを考えだす好機ではないでしょうか。

 ねじれの今ここそ民主政治の在り方を探る必要があると思います。

 もともと、二大政党論は、自民党が言い出したものです、民主党がそれに
乗っかった思惑は分

かりませんが、現在政権についていられるから、成功したのでしょう。

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     原発ゴミ         2011/9/2

  朝日新聞の八月二十八日の朝刊の1面に管首相が福島県知事と会談して、原発事故によって生

じた汚染土やがれきの中間処理場を福島県内につくるように要請したとあります。

 この要請に対して、同じ新聞の35面には、「非常に困惑している。震災から6カ月間、猛烈

に苦しんでいる福島県には極めて重い問題です。」と怒りを殺して答えたとあります。

 福島県知事はこうなることは覚悟していたと思います。最終処分場も県内になることも考えて

いたのではないかと思います。ひどいようですが、こうなること以外考えようがないでしょう。

 原発の建設に同意したのは福島県であります。他のどの都道府県ではありません。税金を払っ

てもらい、その恩恵を受けていたのは福島県であり福島県の住民です。当然、県議会員選挙があ

り県議会は多数で原発設置を可決したはずです。ですから、住民の多数が原発の建設を認めたこ

とになります。重ねて言います。冷たいようですが、他のどの都道府県民ではありません。

 いいことは自分に嫌なことは他の人にと言うのでは信義にもとると思います。

 職を辞する直前になって、何もしないで辞めることもできたはずです。

 だれもが嫌がることをした。

 管首相に敬意を捧げます。

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     ねじれ                 2011/9/2

  与党と野党の議員数の多少によって、国民の意向の是非が判断されています。

  与党の議員数が衆参ともに過半数の状態が望ましい状態であり、そうなるように投票した国民

の意向は正しい意向であった。

 これに対して、参議院の議席数が野党の方が多くなった場合は正常な状態でなく、国民の意向

は正しくない意向であったという考えが常識となっているようであります。

 政治評論家と言われる方々やコメンテーターとしての発言を伺っていますと。例外なくこの論

調であります。

  これらの考えは、大げさに言えば民主主義を一部否定している考えであると思います。

 国民は選挙の度に、自らの生活が豊かになり自らが幸せになりたいと願って投票していると思

います。この国民の意向を否定する考えでなく、国民の意向によって作られた政治体制の枠の範

囲で政治をする。政治家の仕事はそういう仕事だと思います。

 望むらくは、世に言う"ねじれの状態は"望ましくない状態と考えないで、こういう状態も当然

ありうる状態であり、対処しなければならない状態であるとして、その対処法を探し求めていた

だきたいと思います。

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     電算機計算速度世界一     2011/8/17

 何か月か前に、電算機の計算速度を競う会がありました。その会で、日本の電算機が計算速度

世界一に返り咲いた。という報道がありました。

 そのとき報道関係者から感想を求められた蓮舫補佐官はお祝いの言葉を返されたとのことです。

このお祝いの言葉は、しごく当然なことで、なんら、問題になることではないと思います。

ここで、問題があると思われることが、いくつかあります。

 その一つは、感想を求めた報道関係者の意図であります。なぜ、談話を求めたのが首相や文部

科学省大臣でなく蓮舫補佐官だったのでしょう。

 もともと、民主党が始めた予算の要求額の検討会について、反対であった、ということなんで

しょうか。検討会が始まった当時には歓迎されていたように受け取っていますが、民主党の支持

率の低下によって検討会に対する評価が変わったとすれば、報道関係者の資質が問われます。

 その二つ目は、日本の電算機が計算速度世界一に返り咲いたことにたいする祝辞に対して「お

まえだけにはいわれたくない。」という発言があったということが、報道されました。この発言

がどんな地位にいられる方の言葉かは報道されていないと思います。この発言も、取り扱った報

道関係者もその資質を問わなければなりません。なぜなら、真摯に仕事に取り組んだ人に対する

悪意が感じられるからであります。

 その人が取り組んだ仕事は「小さく産んで大きく育てる。」仕事と反対に(だから悪意を持た

れたのでしょう) 国家の支出を少なくしようとするする仕事であったからです。

 その三つ目は、予算の要求額の検討会て電算機関係の額がとれほど減額されたのかされなかっ

たのか、分かりませんが、減額されていたのならば、不必要な金額を請求した関係者が追及され

てしかるべき事がらと思います。

 要求額から減額された額はいかほどか分かりませんが、要求額どおりの額が通っていたら、減

額分はどのように使われたのでしょうか。返還されるのでしょうか。

 減額されても頑張った技術者の方には大いなる讃辞を差し上げさせていただきます。

追記 電算機の計算速度が世界一になったので商談が成立して、その、経済効果は云々であった

ということが新聞に書かれていた、ああそうですか。といった感が強い。

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     千載一遇の好機を逃した    2011/8/6-17

 テレビでの報道の話です。詳しいことは今日の朝刊に載ると思います。

 震災復興のための補正予算を組むために特例公債法案の成立が必要になっています。しかし、

参議院で否決されることは目に見えています。そこで、おそらく、民主党から働きかけたの

でしょう、民主・自民・公明の3党ので幹事長会談が開かれました。

 その場で協議されたのは、特例公債法案でなく、民主党の公約の一つである"こども手当"の

取り扱いであったのです。"こども手当"と現在実施されている"児童手当"とは理念が違うので

民主党と自民・公明の両党とは譲り合えないのだそうです。

 今、政治がしなければならないことは、資金を確保して、災害の復興に力を集中することで

あると思うのですが、理念とか言って綺麗ごとにしていますが、ようするに、政党の面目のこ

とであると思います。大惨事に直面している今、そんなことを言っている時ではないのでは・・

 ギブアンドテイクは政治の大切な技術てしょう。しかし、考えてみてください。与えるのは

 政権を持っている民主党が己を捨てて、礼をもって接したならば、野党の皆様も応じたので

はないでしょうか。国民も災害対策のため自党の政策を捨てた民主党を称賛すればこそ、非難

をすることはなかったと思います。

 政権を持っている者が我欲を出して臨めば、野党も、東電も官僚も、一般市民も我欲を出す

のは分かっている話だと思います。

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    言葉と像     2011/8/2

 万葉時代の人々は、「ことば」は「たましい」のあらわれである、と思っていたようだ。

これは、万葉時代の文献から推測される定説であります。わたくしもそのとおりだと思います。

 この一葉はこの立場に立っております、

 人は自分の心の中で考え、考えた一部を言葉にしていると思います。ですから、言葉は言葉

を発した人の心のすべてではありませんが、心の一部ではあると思います。

 言葉は、ちょうど、鏡に映った顔の像のようなものでしょう。顔はその中身も心もありますが、鏡に映る像はそのすべてを映していません。

 顔はその人の心をあらわしますが、すべてでないように、言葉も、その言葉を発した人の心のすべてをあらわしてはいません。

 このように長いふりを付けましたのは、テレビのある番組で流された国会の審議場面を見聞きしたからであります。質疑の中で、ある議員がある大臣を追及している場面が、正確に言いますと、追及されている大臣の映像が映っていました。

 その映像を見て、最初に感じたことは、おきのどくにということでした。

 ある議員の質問はその議員とっては大事なことであったでしょう。しかし、審議中の議案の内容に対する質疑ではなかったと思います。

 もしそうなら、審議中の議案の可否を先にして、国民のために(この言葉は、議員の皆さんが錦の御旗のように使われる言葉です。)急いで結論を出していただきたいと強くお願いいたします。


 わたくしは感じます。ある議員が追及された言葉がなんであったか知りません、しかし、感じます。別に狙いがあって発言されていられると。そうでなければ、国民が待ち望んでいる、災害の対策を引き延ばしてまで、質疑に名を借りて、追及をされるはずがないと思うからであります。

 ある議員にお願いします。質疑の時間に追求した真意を国民に知らせてくださいませ。これは、貴重な時間を費やした貴議員がしなければならないことです。

 そして、国民の皆さんに、特にインターネットを使っていられて、たくさんの人と連絡ができる方は、さそいあって、各自の意見や知り合いの方々の考えを、インターネットで表わしてください。

 こうすることによって、議員のための国会を国民のための国会にすることができると確信いたします。

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 科学実験法と犯罪捜査法について   2010/10/26

 科学実験法は、仮説を立てて実験して仮説が正しいか正しくないかを調べる方法です。正しくなかったら、仮説を変更して実験する。これを繰り返えして、成果を得ます。装置と人手があれば、仮説は複数立てられます。

研究者の経験とカンが頼りです。各研究者の判断が尊重されていると思います。

 一方、犯罪捜査はたいぶ様子が違うようです。テレビで見る捜査が事実に近ければですが。事実をご存知の方は教えてください。

 それはさておき、犯罪捜査の方は一番階級の高い人の仮説が絶対視されるようです。各捜査員は意見を出せるようですが、最終的には仮説は一つになるようです。

 仮説が正しければ問題ありませんが、正しくなかったら、真犯人を逮捕することが難しくなるでしょう。何人かの容疑者は出るでしょうが。

 ここからが、科学と捜査の違いが出てきます。科学の方は事実を直視して仮説を変更します。しかし、捜査の方は、いろいろな思惑が出てくるに違いありません。

 最高階級の面目があります。簡単に仮説が正しくなかったとは言えないでしょうから、容疑者を犯人に仕立てることになります。

 こんなことは、犯罪であるばかりでなく、人の道に反したことでありますが、心の下に封じ込めてしまうのでしょう。

 階級の低い人も、検察・警察の階級社会の掟に従って行動することに馴らされていくことによって、正しい判断をする心を封じ込めることになると思います。

 この社会におおらかな人間性を求めることはできないでしょう。

 正しくない仮説を正しい仮説にするためには、証拠に手を加えたり、証拠を隠したり、証拠を創ったり、脅かし、拷問し、拷問に近いことをし、なだめ、すかし、あらゆる手を使うことには、正当な行いと認識されているのではないでしょうか。

 特に、注意しなければならないことは、勾留期間の延長があります。理由は証拠隠滅の防止でありますが、実際は、容疑者に与える苦痛期間を長くして、自白に追い込みやすくするのが目的のようであります。コロンボ刑事の爪の垢でも煎じて飲んで欲しいものです。

 本題に戻りまして、この勾留期間の延長は判事の許可が必要であります。見ようによっては、判事も拷問と紛いの行為の片棒を担いでいることになるわけです。このことを自覚している判事さんはいられるのでしょうか。

 さて、いろいろ書きましたが、事情の詳しい人であれば、もっと多くのことをご存知と思います。それらの方

が声を高くして人の道の尊さを叫んでいただきたいと懇願いたします。

、捜査方法も一つの仮説でなく、複数の仮説に基ずいて捜査されるようにお願いいたします。長になられた方はそのいくつかの仮説に基づく捜査の調整に専念していただきたいと思います。評価は調整力の良し悪しで行われればよいでしょうし、仮説を持って捜査をした人には仮説の確かさ、捜査の手法などで評価されればよいと思います。有罪になる人を多くすることでなく。

 十人の犯人を逃がしても、一人の冤罪者を創らないこと。

 人の道の上では、冤罪は殺人以上の罪であると思って捜査にあたっていただきたいと思います。

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 フロッピーディスクの資料書き換えについて 2010/10/23

 大阪特捜部で証拠品のフロッピーディスクに入っている証拠資料が書き換えられました。このことは、いくつかの問題を含んでいると考えられます。考えられる問題点を並べて見ます。

1、裁判で判断の基になる証拠が゜検察で創られることです。このことは、たとえ、容疑が間違いであるという証拠があったとしても、容疑が正しいという証拠に替えられてしまうということです。

 たとえアリバイがあったとしても、アリバイ崩しの証拠が創られるということです。容疑をかけられた人は100%有罪にされるということです。

 さらに、恐ろしいことは、容疑を受けた人を、創られた証拠で有罪にすることが、しばしば、おこなわれているたらしいこと、むしろ、そうすることが、自慢することと、なっていたらしいことであります。新聞の報道を信用する限り、このように思われます。こんなこと、邪推だとよいのですが。

2、前特捜部長と前特捜副部長が起訴されました。二人は否認しています。証拠は言った言わないということで物的証拠はないようです。二人を起訴して世論の矛先を逸らそうとしているに相違ありません。元検事が自白したようですがえたとか、ほのめかしたとかいうことです。二人は聞いていないと答えているそうです。真実は一つではなく、二つあることもあるのです、検事が伝えたということも真実であり、二人の聞いていないということも真実である可能性もあります。

伝えたつもりだったが、伝わっていなかった、ただそれだけのことだと思います。どちらか一方に決めることは真実を明らかにすることではないと思います。

 前検事が伝えたということは書類があれば、それが、証拠になります。また、伝えたときの録音でもあれば、証拠になります。

 
警察・検察的考えからいいますと、証拠に手を加えるような人が本当のことを言うとは思われないという、考えを考慮されねばならないでしょう。

 
「疑わしきは罰せず。」の原則はどのような場合でも守られなければならないと思います。

 前特捜部長と前特捜副部長は行政処分を受けてもしかたないでしょうが、起訴されるのは不当のように思います。

 一昔前、捜査協力費を横領して、幹部の栄転の送別会の費用にしたり、選別にしたりしたのは周知のことであります。

 このときの、犯罪事実は私文書偽造行使・横領でしょう。そして、それらの犯罪を強要したり、従わない部下を処分した幹部はなぜ処分され起訴されないのでしょう。「法の下の平等」を貫き不起訴にして、世論の総反発をうけ、検察・警察の犯罪体質から脱皮する機会として欲しいと思います。

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      尖閣諸島問題について 2010/10/12

 尖閣諸島の事件はほぼ終わったようです。しかし、報道された範囲で考える限り、

なぜたろうと思うことがあります。

先ず、わたしが記憶しています、事件の経過は次のようです。

 1 中国の漁船が日本の巡視船と衝突した。

 2 漁船の船長が逮捕された。

 3 中国の政府が船長の逮捕に抗議をした。同時に中国の領海内である

  と主張。

 4 朝日新聞が協議中のガス田て発掘の動きがあると報道した。

 5 中国の政府が希少金属の輸出の禁止を発表。

 6 船長が釈放された。

 7 中国政府が政府専用機を使って、船長を帰国させた。

 8 船長は帰国後歓迎された。

 9 朝日新聞は南の諸国と中国との間で領海を巡る問題が起きていると報道
  する。

 10 中国政府は希少金属の輸出禁止を解いた。

 おおよそのところ以上です。違っていたら教えてください。

 さて、おかしいなと思うことを挙げてみます。

 船長の逮捕に前後してガス田に動きが見られた。

 船長の帰国が中国の政府専用機であった。

 船長の逮捕から数日をたたすに、希少金属の輸出禁止になり、釈放後間もなく輸
出が解禁になる。

 この、おかしなことをつづって一つの筋書きをつくりました。

 「どうたい。ガス田の調査を進めたいのだか、このままでは難しい。そこでだ、日本

の領海で漁をして、逮捕されてくれないか。」

 「ただ逃げてはだめだ、ぶつからないと、だめだぞ。」

 「しかし、捕まるのは嫌ですよ。」

 「心配ない。政府が守ってやる。その間にガス田の調査を進めれば、おそらく、その

後も抗議はこないだろう。英雄にしてやるから、やってくれ。誰かが逮捕されると計画

どおりに進むのだ。釈放が遅くなったら、希少金属の輸出を止めてやる。日本の財界

は日本のことより自分たちの利益のほうが大切だし、報道機関も企業の利益を優先

する傾向があるから、我々の都合のよいように記事を書くに違いない。心配するな。

 「政府が守ってくれるなら。やりましょう。」

 こんなことはないでしょうが。

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          日本文化を守ろう 2010/09/14

  「言葉は文化だ。」こんな言葉を聞いたことはありませんか。

 最後の授業の話を聞いたことはありませんか。かっての帝国日本は占領地の住民に対して現地語を禁止して、日本語を使うように強制しました。占領地を日本の文化圏に入れるのが目的でした。

 現在の日本ではカタカナコトバが広がっています。

日本文化を守らなければならないはずの文部省(当時はそう言っていました)が多くの唱歌を教材から外してしまいました。

 その理由が笑っちゃうようなものです。

「出てくる言葉が生徒・児童に難しいから。」というものです。日本の文化を教え伝えていくのが教育の任務の一つだと思っていますがいかがでしょうか。
 
 一世代前の言葉を難しいからと言って、教えようとも思わない日本文化の推進者達、あなたたちはどこの国の役人なのでしょうか。なんちゃって。

 古いことですが、省庁が出す白書の中で英語を一番多く使っていたのは、文部省でした。近頃、外国語が頻繁に使われています。くどいようですが、「言葉は文化だ。」と信じています。だから、日本の文化が壊されていくのに我慢ができません。

 テレビは日本語になっています。テレビジョンに代わる言葉が創られる前にテレビが普及してしまったからだと思います。自称文化人の責任は否めません。

 地下鉄・電動機・昇降機・複写機など翻訳された言葉はたくさんあります。それに対して、最近は日本語にある言葉をわざわざ、外国語で言い表すことが、特に、文化人の間に、流行しているように思われます。


 一時、ボランティヤに替わる日本語はなにかと言われたことがありました。その頃は、外来語を日本語風に翻訳して使うように努力が払われていました。

 わたしは「布施」がいいと思っています。正確に言いますと「行施」です。ご存知のように「布施」は相手の心を安らかにする行いのことです。

 金銭や物で相手の心を安らかにするのが「財施」ですし、法で相手の心を安らかにするのが「法施」ですから行いで相手の心を安らかにするボランティヤは「行施」が適切な言葉だと思っています。

 それはさておき、所謂文化人や政治家までも外国語を使います。わたくしには何を言っていられるのか分かりませんが、恐らく日本語でも言えることではないかと思います。


 日本文化の担い手としてNHKも一役かっています。ここがまた外国語を使うのに熱心です。日本文化を守り育てなければいけない協会がです。半強制的に視聴料を集めて、結果として日本文化を外国の文化に変えようとするかのようです。日本文化を伝えようとする番組もいくつかあります。これらの番組は「羊頭」なのでしょうか。

 文化省やNHKや知識人は日本の文化を壊して、どこの文化に同化しょうと企んでいるのでしょうか。(これが邪推なら幸いですが。)


 個性は尊重されなければならないでしょう、同じように、民族の文化の独自性も尊重されなければならないと思います。捕鯨を止めても日本文化に影響は少ないでしょう。しかし、自分の感情を現すのに日本語で考えるより外国語で考えた方がよいとなれば、日本文化の危機だと思います。

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       日本国民の連帯感  2010/09/14

 鳩山元首相が首相を辞された理由は知る由もありません。しかし、あのときの国民のありかたは日本の国民にとって良かったとは思われないのです。

 鹿児島県でのありかた、首長会議のありかた、そして、有識者の発言すべてが、日本国民の為という立場が見られないのです。

 沖縄の米軍の基地周辺の住民のことなど大事なことでなく、安保こそが大事なこと、日本と米国の友好こそが大事なこと、本当はそういう考えなんだ、と思われてなりません。

 米軍基地から遠く離れて生活しており、外国の軍人にも出会わない生活をしているわたしは、沖縄の人々の心は分かりません。しかし、沖縄の心と結ばれた心でいたいと思います。

 わたしの知る限りですが、自分の近くに基地が来るのは反対という声ばかりです。首長会にしてもどうまとめたら良いか分からなかったようです。

    基地が自分の近くに来るのは反対。同じように沖縄にあるのも反対。

 国民が、こんな気持になれる国にならなければいけない。願いは夢でしょうか。

 はるか昔ではありますが一億玉砕の声に鞭打たれた日本です。一億三千万が死ぬ気になれば日本民族を守れると思います。いや、鞭打たれたから、日本民族を守る気になれないのかも知れませんが。

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