2014年の目録

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目次


  各新聞社への通信                           2014/12/27

   ニ行詩と三行詩                                             2014/12/20

   短歌一首                               2014/12/19

    落とした紙入れを拾われし知らせをいただきて多行詩一編と反歌一首    2014/11/28   

   個別的自衛権と集団的自衛権と侵略的自衛権                2015/7/8      

  和歌一首 題 待ちわびて                       2014/10/21

  重要侵略的自衛権                           2014/10/18から12/23

  ありがとうございました。」                      2014/9/23

  素人からみたとき、世にも不思議な物語
   海上交通路(シーレーン)と集団的自衛権               2014/9/17

   憲法第九条について                           2014/9/21~10/14

   2014年7月1日の閣議で決定されたこと

   “「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全
   保障法制の整備について」”についての吟味の結果。          2014/9/10~10/14


   “「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全
   保障法制の整備について」四”今後の国内法整備の進め方        2014/9/8~2015/3/9

   “重要国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全
   保障法制の整備について」三
 憲法第九条の下で許容される自衛の措置”  2014/9/20~2015/3/9

   “「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全
   保障法制の整備について」二 国際社会の平和と安定への一層の貢献”   2014/
9/5~2015/3/9

   “「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全
   保障法制の整備について」一 武力攻撃に至らない侵害への対処”    2014/8/29~2015/3/9

  “「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全
   保障法制の整備について」前文”
                   2014/8/24~2015/3/9

   お願い                               2014/8/24

    積極的平和主義に基ずく集団的自衛権の行使が戦争の抑止力になる     2014/8/20

    集団的自衛権行使の新3要件について、                 2014/8/14~10/27

   平和を願うみなさまにお願いします                   2014/7/19

   自衛隊の活動に関する閣議決定と言いましょう             2014/7/10

   歴代内閣の日本国憲法第九条の解釈は正しかった            2014/7/8

   7月1日に閣議で決定されたのは集団的自衛権ではなかった        2014/7/3

   公明党は集団的自衛権で汚名を残さないで欲しい            2014/6/28

   やはりTPPに参加すべきでない                   2014/6/7

   集団的自衛権の危険性                        2014/4/16

   汲み取り便所付きマンション                     2014/4/12

   中道(中道)                            2014/4/12

   トヨタ世界販売1000万台超 
    ウイルスを創っている人に                     2014/4/11


    エイプリルフール3題                       2014/4/1

   誰でもよかった                           2014/3/4

   高濃度汚染水もれ                          2014/3/1


   七割八割の国民が求めること                     2014/2/23

   善悪偽善偽悪                            2014/2/1

   安倍内閣支持率の上昇と特定秘密保護法                2014/1/20

   ホネクイハナムシ                          2014/1/8

   安倍晋三氏の靖国神社参拝                      2014/1/3

   「頑張ってください」と言うな                    2014/1/2

   サザエさんの洗濯                          2014/1/2

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ここから下は本文になります。


 各新聞社への通信           2014/12/27

拝啓

 再度お便りを差し上げまして申し訳ございません。

選挙は経済を主題に争われましたが、国会では自衛権が重要議題になることは明白です。

 今後の反対運動の仕方は難しいですが、なんとしても、「集団的自衛権」と「新解釈の憲法九条を根拠とする自衛権」との違いを、国民の皆様に知っていただかなければならないと思っています。

 このようにこだわりますのには、もちろん理由があります。「新解釈の憲法九条を根拠とする自衛権」は国内でなく外国で行使しようというものです。憲法という国内法を外国で適用しようというのです。これは、外国の主権を侵害することになります。

このような暴挙は海外から指摘される前に国の中で阻止しなければならないと思います。

そのため、先ず、一人でも多くの人に「新解釈の憲法九条を根拠とする自衛権」が「集団的自衛権」とは全く違う自衛権であることを知っていただくことから始めていただきますようお願いいたします。

先回のメールでお願いいたしました「集団的自衛権」についてのお尋ねに対しましてのご回答はございませんでした。そのため、すべての新聞社は「集団的自衛権」と「新解釈の憲法九条を根拠とする自衛権」とを区別していられないものと解釈いたしました。下に書きましたように政府は「集団的自衛権」と「新解釈の憲法九条を根拠とする自衛権」とは区別しております。

御社でも区別して報道していただきますようお願い申し上げます。

敬具

次に、閣議決定の問題部分を書きますので参考にしてくださいませ。

三 憲法第九条の下で許される自衛の措置

(一)と(二)と(三)は省略します。

(四)わが国による「武力の行使」が国際法を順守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上はあくまでもわが国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。
上のように、閣議の決定文には“国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。”と書かれています。

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   ニ行詩と三行詩      2014/12/20

 敵の敵は味方
  政治家だね

 悔しさをバネに
  できたひとだ

 八紘一宇
  もう聞きたくない

 二行詩
  俳句より短いよ

 三行詩
  季語は要らない
   歳時記も要らない。



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  短歌一首      2014/12/19

  右へ行く左へも行く

     窓の下

   雪のパレット

       積んだ自動車

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  落とせし紙入れを拾われたとの知らせをもらい嬉しさを読める詩  2014/11/28

   遠き地のバングラデッシュで作られた

     刺繍を入れし紙入れを

      さがせしときに知らせあり

   電車とバスを乗り継ぎて

    たどる道すじ白き花

     帰りのおりに求めたる

      休みのときに一口の憩いとならば

        ありがたし


   短歌

  手元から

    落ちし紙入れ 

      いずこにぞ

   知らせいただき

      遠き道行く

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   個別的自衛権と集団的自衛権と侵略的自衛権    2014/11/12 

 前二つの自衛権は皆さんがご存知の呼び名です。国連憲章第51条に書かれております。「ニカラグア事件」の判決に要件が書かれております自衛権であります。
 侵略的自衛権は「自民党と公明党が合作した自衛権ですが名前がありませんので、わたくしが付けた呼び名です。自国の都合で他国の主権を顧みない自衛権のことです。

 個別的自衛権は、いわば、隣の家とのいざこざのような状態のときです。力づくで向かってきたら、力で防ぐ権利です。一般に「正当防衛」と言われる「力の行使」です。

 集団的自衛権は第三の国が加わります。いわば、助っ人です。助っ人になる権利です。助っ人になるかならないかは本人の心ひとつで決まります。ここで、二つの立場が生じます、
 一つの立場は、あくまでも、自分のために争うのではありません。講談や浪曲に出てくる一宿一飯の恩義のために決闘の助っ人に出る浪人のような立場になります。このときの攻撃を受けている国は力が弱く自国の力だけては守りきれないときという条件が付きます。
 もう一つの立場は自国の利益を守るために〔武力の行使〕をする立場です。〔個別的自衛権〕の行使ができるときにだけ〔集団的自衛権〕を行使する立場です。政府が提案している〔集団的自衛権〕の行使の容認がこの立場です。二つの立場は共に〔攻撃を受けている国が援助を要請している〕ことが要件になります。

 侵略的自衛権は、自分のために、口実を作って争いに出かける権利です。有名なのは「アヘン戦争」のときのイギリスの権利がそれに当たります。アヘンを焼かれたのはイギリスにとってはたいへんな損害であったわけです。国家の存立のためとか国民の安全のためとかいう理由で外国で「武力を行使」する権利を認める自衛権です。今回、内閣が閣議決定した権利であります。

 

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       和歌一首   2014/10/21

       題 待ちわびて


     まだ来ない

      もう来ないこないのか

    きっと来る

     万葉の王(きみ)

       宅配の栗

  最初は宅配の品としたのですが、どうも、気に入りません。宅配の飯とすれば、いかにもという感じですがなにか、がつがつしているようでイマイチです。
 万葉の王としたので、人を持ってくると、宅配の君とすればよいのですが、人を待っているようで、怪しい感じがします。万葉繋がりで栗としました。

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侵略的自衛権   2014/10/18


 自国の利益のために武力や経済力を行使して事実上他国の主権を脅かす。こんな、侵略的行為を合法化しようというのが閣議で2014年の7月1日に閣議で決定されたことであります。

 どうして、そんなことが言えるのか。閣議で決定されたことの“三 憲法第九条の上で許される自衛の措置”の“(四) ・・・憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでもわが国の存立を全うし、・・・”とあります。

 この文から考えられることは、「武力の行使」には、国際法上の集団的自衛権を根拠とする場合と、しない場合がある。ということです。

 それでは、なにが根拠になるかと言いますと、それは、新解釈の憲法第九条というのです。他国に対する武力攻撃が発生しなかった場合でも、わが国の存立を全うできないと政府が判断すれば「武力の行使」が可能ということであります。他国の領域内でわが国の憲法を施行するということであります。こんな場合は侵略と言われてもしかたがないでしょう。

 上記の危険な場合が含まれる決定は撤回されなければなりません。人々の行動で撤回させましょう。 

 以上の文はFAXとメールでお知らせしました文とほとんど同じ内容であります。

長くなりますが、検討しました経過を書きます。

 組み合わせ法を使いました。

 一つの要素は『他国に対する武力攻撃』です。もう一つの要素は『武力の行使』です。

組み合わせます。

1、他国に対する武力攻撃ありと武力攻撃をする
2、他国に対する武力攻撃ありと武力攻撃をしない

3、他国に対する武力攻撃なしと武力攻撃をする
4、他国に対する武力攻撃なしと武力攻撃をしない

となります。

1、は、国際法で認められた「集団的自衛権」の行使であります。やむをえない場合でして、望ましいこととは思えません。

2、は、多くの場合はこの組み合わせになります。

3、は、閣議で決定された、新解釈の憲法第九条が認める自衛権の行使であります。

4、は、極めて当然な場合で、無事平和な状態です。

 3、の{『他国に対する武力攻撃なし」と『武力攻撃をする』}は平和に対する深刻な脅威となります。過去にしばしば行われたことでありますが、平和に過ごしている国に「勝手な口実」をつけて武力攻撃をするということであります。

 立場を替えて考えてみます。“ヘイトスピーチ事件”で国連から注意をうけました。仮に、あのヘイトスピーチデモで中国系の商店が襲われ、中国の外交使節が襲われたときに、中国が上記3、と同じ口実で軍隊を送って来たとします。当然のこととして受け入れることができるでしょうか。

 このように、自他を入れ替えて考えても納得できる仕組みを組み立てる必要があると思います。

 この勝手な理屈は付けようと思えば、それこそ、星の数ほどありましょう。

 曰く、国民を犠牲にして豪華な生活をしている。

 曰く、昔は自国領であった。

 曰く、政治体制が自分の国の体制と違う。

 曰く、性差別が激しすぎる。

 曰く、貧富の差が大きすぎる。

 曰く、国民の要求にこたえるため。

 曰く、昔戦争してひどい目にあった。

 曰く、逃げ出した犯罪者をかくまっている。などなど。

 どんな理由をつけても侵略と考えますし、侵略と考えられてもおかしくないでしょう。

 こんなことを法制化する決定は、撤回させなければなりません。

 個別的自衛権でもなく、集団的自衛権でもない、しかも、内閣の判断で侵略もできる、このような自衛権を『侵略的自衛権』と名付けました。

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  ありがとうございました。」        2014/9/23

 愛知県名古屋市緑区に運行している市バスが止まると、乗っていた人が降ります。降りるときに「ありがとうございました。」とか「ありがとう。」という人がいられます。降りる人が皆言うわけではありませんが、・・・

 バスの運転手も「ありがとうございました、」と言う人があります。

 料金を払っているのですから、お礼を言う必要はありません。ですが、運んでもらったことに対する礼ですから理屈ではないのです。

 わたくしが利用する路線は10人程度の乗客が利用する赤字路線ですから、声に出して礼を言いやすいのかも分かりません。

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 素人からみたとき、世にも不思議な物語
 海上交通路(シーレーン)と集団的自衛権   2014/9/17

 確認のために書きますことが二つあります。
一つは、海上交通路(シーレーン)とは日本の経済を維持するために必要な海上交通路のことであります。したがいまして、石油を運搬するための海上交通路も含んでおります。

一つは、わが国以外の国が攻撃を受けているとき、攻撃を受けている国が『攻撃を受けているという表明があり、援助の要請』があったときに要請を受け入れて攻撃を受けている国に加勢をするか、断るかを決定する。この権利がわが国か持ち得る集団的自衛権であります。この点が七月一日以降わが国で言われている集団的自衛権とは違います。

 本論に入ります。海上交通路といいましても、わが国の艦船が攻撃を受けている場所が、わが国の領海内か公海上か他国の領海内なのかによって考えを替えなければならないと思います。

 わが国の領海内で攻撃を受ければ、攻撃をしている者が何者であっても、わが国が防護する義務と権利があるといえます。

 公海上であれば、わが国の法律(1991年4月にペルシャ湾の掃海の命令が出されておりますから法律があるものと思います。)に従うのか当然の処置でありましょう。

 もし、危険物があれば所有者に処分を依頼して処分をしてもらうか、所有者から危険物の処分を頼まれたら始末すればよいでしょう。所有者が分からなければ処分する権利はわが国にあると思います。

 外国の領海内であれば、その国の法律に従うのがあたりまえだと思います。

 三つの場合のどれをとっても、攻撃を受けている他国は存在しません。集団的自衛権の前提すらない事例であります。

 くどいようですが、わが国がその気になって行えばすむことと思います。なのに、七月一日の閣議での決定を受けて「これで、シーレーンの心配はなくなった」と新聞記者に語った財界の偉い人があったようですが、発言は慎重にお願いします。

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参考文献
フリー百科事典ウィキペディア シーレーン
               自衛隊ペレシャ湾派遣

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 憲法第九条について(外務省高級官僚に進呈する文)   2014/9/10

 憲法第九条
一 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

二 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 あえてここに書きましたのは、上記の一項と二項を同等なものと思っていた自分に気が付いたからであります。
一項だけでよいのですが、補助的に二項が書かれている。このように、読むこともできるのだと気が付きました。

 つまり、こうです。『国際紛争を解決する手段としての戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は永久に放棄するのであって、国際紛争を解決する手段でなければ保持する。』という読み方もあるのだと。

 二項で“陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない国の交戦権は、これを認めない。”とありますのも、国際紛争を解決するための陸海空軍であって、国際紛争を解決する手段でなければ保持する。又、国の交戦権は認めるということと理解しました。一項に書かれた条件なしに、ただ、戦力は保持しない、交戦権は認めないということではないと分かりました。とにかく、“前項の目的を達するため”と書いてありますから。

 しかし、国際紛争の中に『攻撃されたときに防護すること』が入るのか入らないのかという問題が残ります。

 集団的自衛権が、国連の安全保障理事会の常任理事国の拒否権の行使に原因があるようですから、安全保障理事会を民主化して、拒否権を停止することが必要と思われます。

 多数決だけが民主的手法でないことは分かります。拒否権の行使が民主主義に反しない場合も理解できますが特権を認めれば、そこから、歪が生まれてくるのは当然なことであります。

 現在の国連の加盟国の多くは自国の利益を優先しているようであります。こんな国際社会の中にあって憲法第九条の下で働く外交官の官僚のみなさんは四面楚歌の中に閉じ込められたような思いをしていられると思いますが、完全な平和を願う修行僧のように誇りを持って固い信念の下で活動していただきたいと願います。

 憲法第九条は世界のすべての人の幸福のためのものであると思います。百万人といえども我行かん、その後に何億の人がついていると思って頑張ろうではありませんか。
 

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安全保障関連法の説明について(内閣)

この法律を分からなくしている原因は十一本の法律を改正するのに一本の法律で済まそうとしたことにあると思います。しかも、説明は的外れなことが多く、どの法律のどの条文が、議論されているのか分からないことにあります。
 政府筋から出たのですが、抽象的なことでなく具体的事例について討議するということも、条文から遊離した議論になった原因と思われます。この原因をつくった首相が「木を見て森を見ない」というのですから矛盾を絵にかいたような話です。
もともと、二千十四年七月一日の閣議決定の「法制の整備」にありますから、二千十四年七月一日の文と関連付けて検討しようと思います。

 「法制の整備」の発表後の一問一答に沿って参ろうと考えています。
 参考にしましたのは内閣官房編集の全文と一問一答集です。今日は第一問についてです。



「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」の一問一答


 国民の命と平和な暮らしを守ることは政府の最も重要な責務です。我が国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増しています。我が国の安全を確保していくには、日米間の安全保障・防衛協力を強化するとともに、域内外のパートナーとの信頼及び協力関係を深め、その上で、あらゆる事態に切れ目のない対応を可能とする法整備を行うことが必要なのです。これにより、争いを未然に防ぐ力、つまり抑止力を高めることができます。今回の閣議決定は、このような問題意識で、自民、公明の連立与党で濃密な協議を行った結果に基づき、政府として新しい安全保障法制の整備のための基本方針を示したものです。今後、この方針の下、法案作成を行い、国会に十分な審議をお願いしていきます。

 この前書きから検討します。“国民の命と平和な暮らしを守ることは政府の最も重要な責務です。”
憲法には次のように書いてあります。
第13条すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

【問1】 集団的自衛権とは何か?

【答】 集団的自衛権とは、国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利です。しかし、政府としては、憲法がこのような活動の全てを許しているとは考えていません。今回の閣議決定は、あくまでも国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るための必要最小限度の自衛の措置を認めるだけです。他国の防衛それ自体を目的とするものではありません。





   国の存立全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」”についての吟味の結果。

“一 武力攻撃に至らない侵害の対処”、ここに書かれてありますことは『個別的自衛権の行使のための法整備の必要性について』であります。

“二 国際社会の平和と安定への一層の貢献”、ここに書かれてありますのは『国連のPKО活動に参加するための法整備の必要性について』であります。

“三 憲法第九条の下で許容される自衛の措置”ここに書かれてあります法整備は『わが国と密接な関係にある他国の領内でわが国の個別的自衛権の行使のための法整備の必要性』であります。

 この三で大切なことは、わが国と密接な関係にある他国の攻撃を受けたという表明も援助の要請はもちろんのこと、同意の有無についても書かれていないことであります。時と場合によっては、わが国の国益のためならば、他国の要請がなくても、わが国と密接な関係にある国でもわが国と密接な関係にない国でも、その国の領土内で、わが国の自衛権の行使を可能にするという法整備がなされる。しかも、それがわが国の憲法第九条の上でなされる、こんな、信じられないことが行われようとしているのであります。

 極端なことを言いますと、わが国の国益のためなら、他国へ自衛隊を送り込むこともできるように法整備をするということです。

 他国に自衛隊を送り込む場合は二つあると思います。一つは他国の了解をえた上で自衛隊を送る場合であります。この場合は、自国と自国民のための行動ですから、他国の領土で行はれる個別的自衛権の行使になります。

 もう一つは他国の了解がないままに自衛隊を送り込む場合であります。この場合も、自国と自国民のための行動ですから、他国の領土で行はれる個別的自衛権の行使になります。しかし、他国の主権を侵しているのですから、このような行為を
侵略と言うのではないでしょうか。

 恐ろしいことには、このようなことが、国益のため・国民を守るためという名目で行われることであります。

 余談になりますが、 そんなこと考えられないと思われるでしょう、しかし、考えてみてください、日本帝国憲法が制定されたときに日支事変や太平洋戦争を予想した人があったでしょうか、又、予想されていたでしょうか。自国の利益を追求して、利益だけを考え追い求めて行くと理性を無くすことは簡単なことなのであります。

 “黒を白という”こんなことぐらいあたりまえのことになる。それは常に起こり得ることなのです。

 それはさておき 以上のように、内閣が決定した法整備についての全文の中には、集団的自衛権の行使を認めた記述はただ一ヶ所だけであります。それは、“「武力の行使」が国際法を順守して行われることは当然であるが”の一節だけであります。

 皆様方のご参考になりましたら幸いでございます。

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参考文献

駆けつけ警護 コトバンク (駆けつけ警護で検索できます。)

国際法上の自衛権行使における必要性・均衡性原則の意義(1)根本 和幸 上智大学
 2006-07-15
国際法上の自衛権行使における必要性・均衡性原則の意義(2)根本 和幸 上智大学 2006-11-30

国際平和維持隊への参加にあたっての基本方針 外務省 (PKO参加五原則で検索できます。)

対抗措置制度における均衡性原則の意義 岩月 直樹 (均衡性で検索できます。)

Wikipediaに載っている事項

 国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律

 国際紛争  (国際紛争で検索できます。)

 シーレーン (シーレーンで検索できます。)

 宣戦布告     (宣戦布告で検索できます。)

 自衛隊ペルシャ湾派遣(ペルシャ湾で検索できます。)

 集団的自衛権  (集団的自衛権で検索できます。)

 ニカラグア事件  (ニカラグアで検索できます。)

 日本国憲法第九条 (日本国憲法第九条で検索できます。A4で11ページあります。)

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 “「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」
四 今後の国内法整備の進め方”  2014/9/8

 これらの活動を自衛隊が実施するに当たっては、国家安全保障会議における審議等に基づき、内閣として決定を行うこととする。こうした手続きを含めて、実際に自衛隊が活動を実施できるようにするためには、根拠となる国内法が必要となる。政府として、以上のべた基本方針の下、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために、あらゆる事態に切れ目のない対応を可能とする法案の作成作業を開始することとし、十分な検討を行い、準備ができ次第、国会に提出し、国会における御審議を頂くこととする。

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重要  “「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」
三 憲法第九条の下で許容される自衛の措置”について   2014/9/7

 この文は重要と思いますので。そのまま書きます。

 (一)わが国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを守りぬくためには、これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができない恐れがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。したがって、従来の政府見解における憲法九条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くためための論理的な帰結を導く必要がある。

 (ニ)憲法九条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第十三条が「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第九条が、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を取ることを禁じているとはとうてい解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが、憲法第九条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、一九七ニ年十月十四日に参院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法の関係」に明確に示されているところである。
 この基本的な論理は、憲法第九条の下では今後とも維持されなければならない。

 (三)これまで政府は、この基本的な論理の下、「武力の行使」が許容されるのは、わが国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、冒頭で述べたように、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等によりわが国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模態様等によっては、わが国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。

 わが国としては、紛争が生じた場合にはこれを平和的に解決するために最大限の外交努力を尽くすとともに。これまでの憲法解釈に基づいて整備されてきた既存の国内法令による対応や当該憲法解釈の枠内で可能な法整備などあらゆる必要な対応を取ることは当然であるが、それでもなおわが国の存立を全うし、国民を守るために万全を期す必要がある。

 こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、わが国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、わが国の存立を全うし国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するにいたった。

 (四)わが国による「武力の行使」が国際法を順守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするするものが含まれるが、憲法上はあくまでもわが国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである

 (五)また、憲法上「武力の行使」が許容されるとしても、それが国民の命と平和な暮らしを守るためのものである以上、民主的統制の確保が求められることは当然である。政府としては、我が国ではなく他国に対して武力攻撃が発生した場合に、憲法上許容される「武力の行使」を行うために自衛隊に出動を命ずるに際しては、現行法令に規定する防衛出動に関する手続きと同様、原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記することとする。
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(一)について、
わが国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、(中略)これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができない恐れがある”この文の“わが国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し”は安全保障環境がどのように変化しているのか、この説明がありませんから、“これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができない恐れがある”この考えが導かれる理由が分かりません。巷間、聞かれる憲法解釈の変更の主な理由は“金は出すが血は流さない”という欧米諸国からの“いじめ”に対し“平和”憲法の下にある閣僚・外交官としての誇りを失くしたからだということであります。

 “わが国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し”とありますがわが国を取り巻く環境がどの範囲を指してるのか分かりません。多くの人は日本の領海を考えると思います。なのに、なぜ他国の紛争に参加するのか、“わが国を取り巻く”と“他国”との関係を具体的に説明されるように望みます。

(三)“最大限の外交努力を尽くす”とありますが、どのような努力を尽くされたのか報道されていません。
「国連軍を作りましょうと運動されたということは」聞いたことがありません。」また、「国際紛争を外交で解決しましょうという国の集まりを作る努力をされた。」ことも聞こえてきません。「湾岸事変に参加しなかった多くの国をまとめて、湾岸事変の評価を出されたこと」も聞かれません。その気になればできたでありましょう「日本とイラクとの外交交渉」はなされたのでしょうか、これもなさっていないようであります。

(四)について、必要最小限度の実力の行使とは、湾岸事変のときの多国籍軍の武力行使を指しているのでしょうか、はたまた、太平洋戦争の末期に米国が行った程度のことを指しているのでしょうか。最小であって最大の効果をもたらす原爆も考えに入っているのでは?

 “この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするするものが含まれるが”この文も吟味が必要であります。“契機とするするものが含まれるが”とありますから、含まれないこともあるということでしょう、また、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機としない、ということもあるかのようであります。

 整理して考えます。場合は、『他国に対する武力攻撃が発生した場合』と『他国に対する武力攻撃が発生しなかった場合』の二通りになります。後半は『契機とする』と『契機としない』の二通りになります。組み合わせます。
 ア.『他国に対する武力攻撃が発生した場合』と『契機とする』
 イ.『他国に対する武力攻撃が発生した場合』と『契機としない』
 ウ.『他国に対する武力攻撃が発生しなかった場合』と『契機とする』
 エ.『他国に対する武力攻撃が発生しなかった場合』と『契機としない』
の四通りになります。

 ア.はさらに二つに分けられます。
一つ目は他国が攻撃を受けていると表明して、援助を要請している場合であります。この場合は、国際法で認められる集団的自衛権を行使できる場合であります。
二つ目は他国が攻撃を受けている、いないにかかわらず、援助を要請していないときであります。この場合は、集団的自衛権は行使できない場合であります。

 イ.は、わが国と密接な関係にある他国が攻撃を受けたときでも、わが国の存立が脅かされなく、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がない場合でありましょう。

 最近では、ウクライナ内紛の際にロシア軍が攻撃をしたことが報道されました。これが事実でしたら、この例になると思います。わが国としては傍観していられることでした。(この例は、よい例ではありませんが、よい例が見つかりませんでした。お詫びいたします。)

 ウ.は国際法上では個別的自衛権の行使の要件である「必要性」に相当すると思われます。つまり、武力攻撃が発生していなくても、まちがいなく、攻撃があると判断されたときに、契機になるということです。しかし、後に、検討しますように、集団的自衛権の行使の要件にはなりません。

 エ.は当然のことであります。


 上記のウ.が集団的自衛権行使の要件になるためには、『攻撃を受けた他国の攻撃を受けたという表明と援助要請』が必要になります。
 このウ.の場合が法案になるようでしたらこの『表明と要請』を前提にしていただきたいと思います。いや、ウ.の場合だけでなく、集団的自衛権の行使に関わる法案の総てに『表明と要請』と『宣戦布告』の宣言を条件にしてしていただきたいものです。

 それはさておき 以上の吟味の結果“契機とするものが含まれるが”という言葉は、わが国と密接な関係にある他国が攻撃を受けていないときでも、間違いなく攻撃されると判断したときは、攻撃をするであろう国を攻撃する。ということを示しているものと思われます。もし、将来において、このようなことが可能になるような法律が制定されて「武力の行使」が実行されるとしますと国際社会に混乱を生じるものと思われます。

 上記の理由から“契機とするするものが含まれるが”という言い方は極めて不適切な言い方であると言ってよいと思われます。

 むしろ、「武力の行使」は、
国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合と憲法第九条が根拠となる場合とがある。とした方が分かりやすいと思われます。

 まだ、気がかりな言い方があります、それは、(三)の後半には“わが国と密接な関係にある他国”とありますが、(四)では、このような限定がないことであります。ただ“他国”となっています。うがった言い方をしますと、『密接な関係にあってもなくても』憲法九条の上では自衛権の行使が当然のことであると述べていることになります。このことは、攻撃を受けているすべての外国へは自衛隊を派遣する権利があるということです。

 まとめて言いますと、『他国が攻撃を受けていてもいなくても』、『その他国がわが国と密接な関係にあってもなくても』『その他国が援助の要請をしていてもいなくても』政府が必要と判断すれば自衛隊を派遣する権利があるということなのであります。

 このことは、その気になれば侵略することもできるということになります。このような法律を作ることは許されてはなりません。国際法については、全く無知でありますが、自然法としての国際法では認められるとは思われません。

くどいと思われるでしょうが

 集団的自衛権の行使の要件には“攻撃を受けているという表明と援助の要請”の二要件を加えて四つの要件が必要になります。(残りの一要件は、個別的自衛権の要件の均衡性てあります。閣議での決定文では、“必要最小限度”と表現されております。)そして、正々堂々と『宣戦布告』をして、最近はやりの不意打ち的武力行使に警鐘を鳴らして欲しいものです。

 集団的自衛権の行使には≪新三要件≫は必要ありません。ニカラグア事件において国際法廷が下した判決に従えば十分であります。

(五)は国会での事前承認のことが書かれております。当然のように“原則として事前に”と書かれております。

 この文は“憲法上「武力の行使」が許容されるとしても、それが国民の命と平和な暮らしを守るためのものである以上、民主的統制の確保が求められることは当然である。”という文と“政府としては、我が国ではなく他国に対して武力攻撃が発生した場合に、憲法上許容される「武力の行使」を行うために自衛隊に出動を命ずるに際しては、現行法令に規定する防衛出動に関する手続きと同様、原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記することとする。”という文に分けられると思います


 集団的自衛権を行使する要件につきましては、以前にも書かせていただきました。必要性・均衡性・攻撃を受けている旨の表明・援助要請の四要件と立場を明らかにする宣戦布告が求められます。

 ウィキペディアによりますと、1986年のニカラグア事件に対して国際司法裁判所は判決の中で、上記の四条件が必要であると決定しております

 判決は、個別的自衛権行使の要件として、相手国の攻撃が差し迫ったものであり、他に選択の余地や時間がないという『必要性』と、選択された措置が自衛措置としての限度内のものでなければならないという『均衡性』を定めております。

 そして、集団的自衛権の行使には、個別的自衛権行使の要件の『必要性』と『均衡性』に加えて、『攻撃を受けた国が攻撃を受けた旨の表明』をすること、そして、攻撃を受けた国が、第三国に対して援助要請』をすることが要件になると定めております。

 したがいまして、集団的自衛権の行使としての要件の『必要性』は相手国から攻撃をうけているという表明が要件になります。

国連憲章第51条によれば、集団的自衛権の行使は攻撃を受けた国が国連の加盟国でなければならず、国連の安全保障理事会に通告しなければならず。国連が国際の平和及び安全の維持に必要な措置を取るまでの間に限られることになります。

国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備についての閣議決定の“3憲法第九条の下で許容される自衛の措置”に書かれております事例は攻撃を受けている国の『攻撃を受けているという表明』も『第三国への援助要請』も無視し、つまり、国際法を無視した行為を可能にしょうとする法制の整備を目指しているとしか言いようがありません。

この見方は、わたくしの邪推から出たものでなく、(四)に文章として裏付けされております。“わが国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。”と書かれています。この文が表すことは、『攻撃されていることの表明』と『援助の要請』がないときでも、憲法第九条の新解釈で「武力の行使」をすることの意思表示であります。

 さらに、このようにして派遣された自衛隊の力によって、攻撃を受けている国の実権を握ることも考えられます。妄想をさらに発展させれば、事前に、攻撃をする国と相談して、攻撃をさせて、集団的自衛権を行使すすると称して進入することも考えられるのであります。もちろん、可能性の話でありますが。

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参考資料

自衛権について、過去の内閣の見解
朝日新聞2014/7/2版2面

1972年田中内閣
(1)自国の平和と安全を維持しその独立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。
(2)しかしながら(中略)集団自衛権の行使は、憲法上許されない。

1981年鈴木内閣
9条の下で許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限の範囲にとどまる。集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるもので、憲法上許されない。


日本経済新聞2014/7/2版2面

1946年吉田内閣(国会答弁)
 自衛権の発動としての戦争も交戦権も放棄した。

1950年吉田内閣(国会答弁)
 国家がある以上は、自衛権は存する。

1954年大村清一防衛庁長官(国会答弁)
 自国に武力攻撃が加えられた場合に武力行使することは憲法に違反しない。

1972年政府の国会提出資料
 自衛の措置は国民の権利を守る必要最小限度の範囲にとどまるべきで、集団的自衛権の行使は許されない。

読売新聞2014/7/2版9面
1454年 大村清一防衛庁長官 衆院予算委員会答弁 自衛隊創設
 国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない

1959年 最高裁 砂川事件訴訟判決
 わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない

1960年 岸信介内閣 参院予算委員会
 一切の集団的自衛権を憲法上持たないということは言い過ぎだ

1972年10月 田中角栄内閣 参院決算委員会提出
 憲法は(中略)自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権限が根底からくつがえされるという急迫、不平の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。

1981年5月 鈴木善幸内閣 稲葉誠一衆議員に対する内閣答弁書
 国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。
 我が国が、国際法上このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。
これ以降、政府は集団的自衛権について「保有しているが、行使できない」との説明を繰り返してきた。

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  “「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」   2014/9/5
二 国際社会の平和と安定への一層の貢献”について

 (一)いわゆる後方支援と「武力の行使との一体化」


 ア いわゆる後方支援と言われる支援活動それ自体は、「武力の行使」に当たらない活動である。例えば、国際の平和および安全が脅かされ、国際社会が国連安全保障理事会決議に基づいて一致団結して対応するようなときに、わが国が当該決議に基づき正当な「武力の行使」を行う他国軍隊に対してこうした支援活動を行うことが必要な場合がある。一方、憲法第九条との関係で、わが国による支援活動については、他国の「武力の行使と一体化」することにより、わが国自身が憲法の下で認められない「武力の行使」を行ったとの法的評価を受けることがないよう、これまでの法律においては、活動の地域を「後方地域」や、いわゆる「非戦闘地域」に限定する
などの法律上の枠組みを設定し、「武力の行使との一体化」の問題が生じないようにしてきた。

 イ こうした法律上の枠組みの下でも、自衛隊は、各種の支援活動を着実に積み重ね、わが国に対する期待と信頼は高まっている。安全保障環境がさらに大きく変化する中で、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の立場から、国際社会の平和と安定のために、自衛隊が幅広い支援活動で十分に役割を果たすことができるようにすることが必要である。また、このような活動をこれまで以上に支障なくできるようにすることは、わが国の平和および安全の確保の観点からも極めて重要である。

 ウ 政府としては、いわゆる「武力の行使との一体化」論それ自体は前提とした上で、その議論の積み重ねを踏まえつつ、これまでの自衛隊の活動の実経験、国連の集団安全保障措置の実態等を勘案して、従来の「後方地域」あるいはいわゆる「非戦闘地域」といった自衛隊が活動する範囲をおよそ一体化の問題が生じない地域に一律に区切る枠組みではなく、他国が「現に戦闘行為を行っている現場」ではない場所で実施する補給、輸送などの我が国の支援活動については、当該他国の「武力の行使と一体化」するものではないという認識を基本とした以下の考え方に立って、わが国の安全の確保や国際社会の平和と安定のために活動する他国軍隊に対して、必要な支援活動を実施できるようにするための法整備を進めることとする。

 (ア)わが国の支援対象となる他国軍隊が「現に戦闘行為を行っている現場」では、支援活動は実施しない。

 (イ)仮に、状況変化により、わが国が支援活動を実施している場所が「現に戦闘行為を行っている現場」となる
場合には、直ちにそこで実施している支援活動を休止または中断する。

 (ニ)国際的な平和協力活動に伴う武器使用

 ア わが国は、これまで必要な法整備を行い、過去二十年以上にわたり、国際的な平和協力活動を実施してきた。その中でいわゆる「駆け付け警護」に伴う武器使用や「任務遂行のための武器使用」については、これを「国家または国家に準ずる組織」に対して行った場合には、憲法第九条が禁ずる「武力の行使」に該当する恐れがあることから、国際的な平和協力活動に従事する自衛官の武器使用権限はいわゆる自己保存型と武器等保護に限定してきた。

 イ わが国としては、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の立場から、国際社会の平和と安定のために一層取り組んで必要があり、そのために、国連平和維持活動(PKО)などの国際的な平和協力活動に十分かつ積極的に参加できることが重要ある。また、自国領内に所在する外国人の保護は、国際法上、当該領域国の義務であるが、多くの日本人が海外で活躍し、テロなどの緊急事態に巻き込まれる可能性がある中で、当該領域国の受け入れ同意がある場合には、武器使用を伴う在外邦人の救出についても対応できるようにする必要がある。

 ウ 以上を踏まえ、わが国として、「国家または国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場しないことを確保した上で、PKОなどの「武力の行使」を伴わない国際的な平和協力活動におけるいわゆる「駆け付け警護」に伴う武器使用および「任務遂行のための武器使用」のほか、領域国の同意に基づく邦人救出などの「武力の行使」を伴わない警察的な活動ができるよう、以下の考え方を基本として、法整備を進めることとする。

 (ア) PKО等については、PKО参加五原則の枠組みの下で、「当該活動が行われる地域の属する国の同意」および「紛争当事者の当該活動が行われることについての同意」が必要とされており、受け入れ同意をしている紛争当事者以外の「国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場することは基本的にないと考えられる。このことは、過去二十年以上にわたるわが国のPKО等の経験からも裏付けられる。近年のPKОにおいて重要な任務と位置づけられている住民保護などの治安の維持を任務とする場合を含め、任務の遂行に際して、自己保存および武器等防護を超える武器使用が見込まれる場合には、特に、その活動の性格上、紛争当事者の受け入れ同意が安定的に維持されていることが必要である。

 (イ)自衛隊の部隊が、領域国政府の同意に基づき、当該領域国における邦人救出などの「武力の行使」を伴わない警察的な活動を行う場合には、領域国政府の同意が及ぶ範囲、すなわち、その領域において権力が維持されている範囲で活動することは当然であり、これは、その範囲においては「国家に準ずる組織」は存在していないということを意味する。

 (ウ)受け入れ同意が安定的に維持されているかや領域国政府の同意が及ぶ範囲等については、国家安全保障会議(NSC)における審議等に基づき、内閣として判断する。

 (エ)なお、これらの活動における武器使用については、警察比例の原則に類似した厳格な比例原則が働くという内在的制約がある。
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 この題名を見たとき、後方支援と武力の行使を一体化を目指す内容のように思いましたが、一体化していると見られるのを極力避けることを強調した内容になっています。

 後方支援をする場所について「後方地域」とか「非戦闘地域」とか地域で決めないで、“「現に戦闘行為を行っている現場」でない場所”と表現されているのは一歩前進だと思います。しかし、防衛体制が難しくならないでしょうか。

 (二)国際的な平和協力活動に伴う武器使用
 この(二)はア、イ、ウの3つに分かれウは、さらに、(ア)~(エ)に分かれています。

 “イ わが国としては、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の立場から、国際社会の平和と安定のために一層取り組んでいく必要があり、そのために、国連平和維持活動(PKO)などの国際的な平和協力活動に十分かつ積極的にできることが重要である。”中略“当該領域国の受け入れ同意がある場合には、武器使用を伴う在外邦人の救出についても対応できるようにする必要がある。”

 引用した文の前半は、将来国連軍や国連警察が設立されることを見通しての提言であると考え反対する理由はありません。
 しかし、後半は、かって、列強国が同じ名目で侵略を繰り返したことを考えると、当該領域国の人々に侵略者と受け取られることが考えられますので、あくまでも、当該領域国に任せきるのが良いと思われます。

 古人曰く“李下に冠を正さず。”

この“二 国際社会の平和と安定への一層の貢献”についての部分は自衛権と関係ない事柄と思われます。国連の活動に関係することは、自衛権と別に考えるのが良いと思われます。

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 参考文献

国連平和維持隊への参加にあたっての基本方針(PKO参加5原則 外務省)

1. 紛争当事者の間で停戦合意が成立していること。

2. 該当平和維持隊が活動する地域の属する国を含む紛争当事者が当該平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること。

3. 当該平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。

4. 上記の基本方針のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は、撤収することができること。

5. 武器の使用は、要員の生命の防護のために必要な最小限のものに限られること。


新3要件(朝日新聞7月2日版4面)

(1)我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険ががある場合に、

(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない時に、

(3)必要最小限度の実力を行使すること


駆けつけ警護(朝日新聞掲載『キーワード』の解説 2012/7/19 朝日新聞朝刊4総合)

PKОで活動中の自衛隊が、他国軍や NGOなどの民間人が危険にさらされた場所に駆けつけ、武器を使って助けること。反撃する相手が国に当たる組織となるおそれがあり、政府は憲法解釈で禁じている海外での武力武力行使につながる恐れがあるとする。いまの PKO法の武器使用基準では認められない。

警察比例の原則(けいさつひれいのげんそく)とは、警察権の発動に際し、目的達成のためにいくつかの手段が考えられる場合にも、目的達成の障害の程度と比例する限度においてのみ行使することが妥当である、という原則を言う。実質的には、複数の手段がある場合は、対象(国民)にとって最も穏和で、侵害的でない手段を選択しなければならない、という原則が導かれると考えられる。

 歴史的に警察権は過度の行使に傾きやすく、人権保障の観点から意識されるようになった。目的達成という効果を認めるものの、その効果を達成するための手段としての警察権の行使による弊害を最小限に食い止めようとするものである。警察権を合理的に制限するべく判例学説によって観念されてきた諸原則の1つ。

日本国内法で法文化されたものとしては、警察官職務執行法1条2項がある。

また、日本国憲法では31条以降に刑事手続関する詳細な規定を定めており、間接的に警察・司法作用の濫用を戒めている。


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   “「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」

一 武力攻撃に至らない侵害への対処”について           2014/8/29

 (一)わが国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増していることを考慮すれば、純然たる平時でも有事でもない事態が生じやすく、これによりさらに重大な事態に至りかねないリスクを有している。こうした武力攻撃に至らない侵害に際し、警察機関と自衛隊を含む関係機関が基本的な役割分担を前提として、より緊密に協力し、いかなる不法行為に対しても切れ目のない十分な対応を確保するための態勢を整備することが一層重要な課題となっている。
 (ニ)具体的には、こうしたさまざまな不法行為に対処するため、警察や海上保安庁などの関係機関が、それぞれの任務と権限に応じて緊密に協力して対応するとの基本方針の下、おのおのの対応能力を向上させ、情報共有を含む連携を強化し、具体的な対応要領の検討や整備を行い、命令発出手続きを迅速化するとともに、各種の演習や訓練を充実させるなど、各般の分野における必要な取り組みを一層強化することとする。
 (三)このうち、手続きの迅速化については、離島の周辺地域等において外部から武力攻撃に至らない侵害が発生し、近傍に警察力が存在しない場合や警察機関が直ちに対応できない場合(武装集団の所持する武器のために対応できない場合を含む)の対応において、治安出動や海上における警備行動を発令するための関連規定の適用関係についてあらかじめ十分に検討し、関係機関において共通の認識を確立しておくとともに、手続きを経ている間に、不法行為による被害が拡大することがないよう、状況に応じた早期の下令や手続きの迅速化のための方策について具体的に検討することとする。
 (四)さらに、わが国の防衛に資する活動に現に従事する米軍部隊に対して攻撃が発生し、それが状況によっては武力攻撃にまで拡大していくような事態においても、自衛隊と米軍が緊密に連携して切れ目のない対応をすることが、わが国の安全の確保にとっても重要である。自衛隊と米軍部隊が連携して行う平素からの各種活動に際して、米軍部隊に対して武力攻撃に至らない侵害が発生した場合を想定し、自衛隊法第九五条による武器等保護のための「武器の使用」の考え方を参考にしつつ、自衛隊と連携してわが国の防衛に資する活動(共同訓練を含む)に現に従事している米軍部隊の武器等であれば、米軍の要請または同意があることを前提に、当該武器等を防護するための自衛隊法九五条によるものと同様の極めて受動的かつ限定的な必要最小限の「武器の使用」を自衛隊が行うことができるよう、法整備をすることとする。

 (一)~(三)は地域の説明がありませんが、わが国の国土内、または、領海内であれば当然わが国が個別的自衛権の行使対象になりますことですので、今まで考えられていなかったのが不思議に思われます。

 (四)“わが国の防衛に資する活動に現に従事する米軍部隊に対して攻撃が発生し、それが状況によっては武力攻撃にまで拡大していくような事態においても、自衛隊と米軍が緊密に連携して切れ目のない対応を、云々”

 わが国の国土の上であったり領海内であったりすれば、わが国に防衛の義務があります。公海上で艦隊を組んでいるのでしたら、わが国の艦隊に対する攻撃と見なされますので、個別的自衛権の行使は可能と思います。

 “米軍部隊に対して攻撃が発生し、それが状況によっては武力攻撃にまで拡大していくような事態”という攻撃とはどのような攻撃を想定されていられるのか分かりませんが、攻撃が発生した時点で、米軍を防護するのはわが国の義務であると思われます。
 公海上であれば、わが国の主権がおよばないことになりますから、法整備などできないと思います。ただし、艦隊を組んでいたのであれば、個別的自衛権の行使はできるでしょう。
 
 “極めて受動的かつ限定的な必要最小限”いかにも控え目な表現のようですが、“極めて受動的”であれば、前の“同意”ということと反することになります。同意を求める行為は能動的行為であります。
 また、“限定的な必要最小限”この表現はその場その場によって変化することを予想してのことでしょうが、どこまで拡大するか分からないのが実情でありましょう。『状況に対して適切な』と同じことでありましょう。

(四)の末尾の“米軍部隊の武器等であれば、米国の要請または同意があることを前提に、当該武器等を防護するための、”中略、“必要最小限の「武器の使用」を自衛隊が行うことができるよう、法整備をすることとする。”

 わが国の主権がおよぶ範囲であれば当然なことと思われます。現在、法律がなければ要整備でしょう。

 “同意があることを前提に”ということは、わが国から提案するということですが、どのような機会に、どのように提案されるのでしょうか、「あなたの部隊の武器が攻撃されそうですから、お守りしてもよろしいでしょか。」とでも提案されるのでしょうか。そうだとすると、切れ目のないということとどう結び付けられるのでしょうか。

一の“武力攻撃に至らない侵害への対処”については、すべて個別的自衛権の範疇に入っているものと思われます。

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   7月1日に閣議で決定された事項“「国の存立を全うし、
   国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」”   2014/8/24


 上記の全文について検討しました。疑問点・賛成点・反対点の意見を書いてみました。

 斜体文字の部分は下の文に取り上げた部分であります。

 前文

 わが国は、戦後一貫して日本国憲法の下で平和国家として歩んできた。専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持しつつ、国民の営々とした努力により経済大国として栄え、安定して豊かな国民生活を築いてきた。また、わが国は平和国家としての立場から、国際連合憲章を遵守しながら、国際社会や国連連合を始めとする国際機関と連携し、それらの活動に積極的に寄与している。こうしたわが国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければならない。

 一方、日本国憲法の施行から六十七年となる今日までの間に、わが国を取り巻く安全保障環境は根本的に変容するとともに、さらに変化し続け、わが国は複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面している。国連憲章が理想として掲げたいわゆる正規の「国連軍」は実現のめどが立っていないことに加え、冷戦終結後の四半世紀だけをとっても、グローバルなパワーバランスの変化、技術革新の急速な進展、大量破壊兵器や弾道ミサイルの開発及び拡散、国際テロなどの脅威により、アジア太平洋地域において問題や緊張が生み出されるとともに、脅威が世界のどの地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっている。さらに、近年では、海洋、宇宙空間、サイバー空間に対する自由なアクセスおよびその活用を妨げるリスクが拡散し深刻化している。もはや、どの国も一国のみで平和を守ることはできず、国際社会もまた、わが国がその国力にふさわしい形で一層積極的な役割を果たすことを期待している。

 政府の最も重要な責務は、わが国の平和と安全を維持し、その存立を全うするとともに、国民の命を守ることである。わが国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、政府としての責務を果たすためには、まず、十分な体制を持って力強い外交を推進することにより、安定しかつ見通しがつきやすい国際環境を創出し、脅威の出現を未然に防ぐとともに、国際法にのっとって行動し、法の支配を重視することにより、紛争の平和的な解決を図らなければならない。

 さらに、わが国自身の防衛力を適切に整備、維持、運用し、同盟国である米国との相互協力を強化するとともに、域内外のパートナーとの信頼および協力関係を深めることが重要である。特に、わが国の安全およびアジア太平洋地域の平和と安定のために、日米安全保障体制の実効性を一層高め、日米同盟の抑止力を向上させことにより、武力紛争を未然に回避し、わが国に脅威が及ぶことを防止することが必要不可欠である。その上で、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを断固として守り抜くとともに、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の下、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するためには、切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備しなければならない。

 五月十五日に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」から報告書が提出され、同日に安倍晋三首相が記者会見で表明した基本的方向性に基づき、これまで与党において協議を重ね、政府としても検討を進めてきた。今般、与党協議の結果に基づき、政府として、以下の基本方針に従って、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために必要な国内法制を速やかに整備することとする。
*****************************************************************


 第二段落の終わりの方
 “さらに、近年では、海洋、宇宙空間、サイバー空間に対する自由なアクセスおよびその活用を妨げるリスクが拡散し深刻化している。”

 この文に対応する法整備が一・二・三のいずれにも書かれていないのはなぜなのでしょう。サイバー攻撃は武力行使の前に行はれるものと思います。
 電子機器を使えなくしてから、武力攻撃をするのは常識になると思います。

 第三段落
 “政府の最も重要な責務は、わが国の平和と安全を維持し、その存立を全うするとともに、国民の命を守ることである。”中略“国際法にのっとって行動し、法の支配を重視することにより、紛争の平和的な解決を図らなければならない。”

 省略した文(後述)を除けば、諸手を挙げて賛成です。

 中略文
わが国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、政府としての責務を果たすためには、まず、十分な体制をもって力強い外交を推進することにより、安定しかつ見通しがつきやすい国際環境を創出し、脅威の出現を未然に防ぐとともに、 

 以上の105字の文を省略したのですが、どこを問題にしたのかと言いますと、“安定しかつ見通しがつきやすい国際環境を創出し”というところです。“わが国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し”と矛盾しているということです。

 “わが国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し”は環境の変化の方に歩み寄るということです。一方、安定しかつ見通しがつきやすい国際環境を創出し”は自分の方に引っ張り込むということです。「さてどちらをよしとし、どちらをだめとするのか」ということですが、なぜ、9条の解釈を変えるのかを考えれば答えが出ると思います。
 安全保障環境は国際環境の一部でありますから、国際環境の変化に対応して9条の解釈を変えるというのは、それなりに筋が通っております。この理屈で閣議で決定されたと考えます。一方、国際環境の創出は、国際環境の変化によって9条の解釈が変わったとしても、替わった9条の解釈に合うような国際環境を創り出そうということでありましょう。

 このように国際環境を自国の都合のよいように創り出そうという考えが国際関係を悪くしていくものと思います。

 国際環境が創り出せるのでしたら、9条の解釈の変更は必要ないはずです。歴代の内閣の解釈が生かされる国際環境を創出すればよいのであります。

第四段落
 “さらに、わが国自身の防衛力を適切に整備、維持、運用し、同盟国である米国との相互協力を強化するとともに、域内外のパートナーとの信頼および協力関係を深めることが重要である。”
 
 突然に出現した“域内外のパートナー”の言葉は何を表しているのでしょうか。いろいろな内容を含んでいる言葉を、さりげなく、入れ込んで後になって役立てようということなのでしょうか。“信頼および協力関係を深めることが重要である。”とありますから、具体的に書かれないと多くの憶測を生む基になると思われます。

 “日米安全保障体制の実効性”・“「国際協調主義」”・“「積極的平和主義」”これらの言葉はどのようなことを表しているのでしょうか。内容がはっきりしない言葉を創り、その言葉が正しいことの根拠であるとして、押し通すやり方は、空虚な論理の積み重ねに過ぎません。言葉を作られたら、その言葉の、説明をすべきであります。

前文の全体に、“国民の命と平和な暮らしを守り抜くために”という文が見られます。この文が本心から出たものであれば、一日を二百円以下で凌ぐ多くの国民や災害にあった人々にとって実利的な国内法を速やかに整備することを実行して欲しいと思わざるをえません。
 “国民の命と平和な暮らしを守り抜くために”という言葉は、街に林立している立て看板の言葉の役目をはたしているのでしょうか。

 これで、前文についての考えは終わりますが、書きながら考えましたことがあります。

 チェルノブイリの原発が爆破した後に、ウクライナはソ連から独立しました。憲法を制定したときに、チェルノブイリの被爆者を守る条文を設け、チェルノブイリ法を作り被爆者を守ることを誓ったということであります。もっとも、ソビエト連邦の解体、経済の不況のため十分な補償はできていないようですが、東日本大震災での原発の爆発による被害にたいして、「国民の命と平和な暮らしを守り抜くために必要な国内法制を速やかに整備することとする」という言葉が聞かれないのはなぜなのでしょうか。どこか間違っているとしか言いようがありません。

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   お願い   2014/8/24

 この文は、国内の報道関係・野党の一部の党にお送りしました文の最終版を載せました。

 この文の一部分を官邸・公明党にもお送りしました。

 民間の平和団体にもお送りしたいと思いまして、インターネットで検索しましたが見つかりませんでしたので、未発信のままであります。

季節のご挨拶を省かせていただきますご無礼をお詫び申し上げます。

 71日の閣議決定で決定された事柄につきまして、報道関係の取り扱いに疑問な点がございましてメールさせていただきました。

 71日の閣議で決定されましたことは、集団的自衛権の行使の容認などでなく、単に自衛隊の行動の方針であると言わざるをえません。

 ご存じだとは存じますが、集団的自衛権の行使には個別的自衛権行使の要件に加え“被害国の攻撃を受けているとの表明”と“援助の要請”が必要な要件とされております。さらに、“宣戦布告”が必要であります。

 宣戦布告がない集団的自衛権の行使は太平洋戦争開戦時の汚名の上塗りをすることになるのを恐れるからであります。

 閣議での決定は、個別的自衛権の行使ですむことを、あえて、集団的自衛権の行使にもっていくのですから、それなりのけじめが必要と思われます。

 国会での質疑につきましても、集団的自衛権の行使いう表現が使われていました。

 集団的自衛権の要件を満たしていない事柄を、要件を満たしているかのように扱うのは内閣の思惑にのるものと思われます。

 今後の報道のときは、集団的自衛権という言葉を使われることなく、「七月一日の閣議で決定されたこと」はと言っていただきたいと、思いまして、つたない文を送らさせていただきました。

 詳しくは、インターネットのはぐれ里非常識の館を見てください。

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   積極的平和主義に基ずく集団的自衛権の行使が戦争の抑止力になる 2014/8/20

 積極的平和主義に基ずく集団的自衛権の行使が戦争の抑止力になる。

 この方程式は正しいのでしょうか。

 先ず、積極的平和主義ですが詳しい定義は分かりません。しかし、字面から推測しますと積極的に平和を求める主義だということですよね。集団的自衛権というのは、煎じ詰めれば戦争をしに出かけるということです。いや、集団的自衛権でなく7月1日に閣議で決定した事項によりますと、「自衛権の行使をさせてください。」と、戦争をする場を探し求めていると思われるような積極性が平和主義とは、とても、思われません。

 我が国が自国の経済的利害のために戦いを求めて行くならば、間違いなく、侵略者と言われかねないでしょう。戦争を抑止するどころか戦争を巻き起こすおそれがあります。


 

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   集団的自衛権行使の新3要件について、          2014/8/14

 7月1日に閣議で決定されました“国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について”閣議決定されました日の記者会見のときに、武力の行使の新3要件は記者の質問に答えるという形で公表されております。

 新3要件は(1)我が国に限らず、密接な関係の他国が攻撃された場合でも、我が国の存続が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある(2)(危険を排除する)ほかの適当な手段がない(3)必要最小限の実力行使にとどまる(朝日新聞7月2日版5頁)

 以上のように報じられております。この3要件はニカラグア事件の国際法廷の判決に示された、“集団的自衛権行使の4要件(ア)必要性(イ)均衡性(ウ)攻撃を受けた旨の表明(エ)援助要請”に対応していると思われます。

 新3要件の(1)と(2)は判決の(ア)に対応しております。同じように(3)は(ウ)の均衡性に対応していると解釈しても、(ウ)の攻撃を受けた旨の表明と(エ)の援助要請の二つの要件に対応する要件が見つかりません。

 この(ウ)攻撃を受けた旨の表明と(エ)援助要請こそが個別的自衛権の行使の要件と集団的自衛権行使のための要件の差なのであります。

 つまり、新3要件は個別的自衛権の要件の(ア)中に、密接な関係の他国をむりやりねじ込んだ要件であることが分かります。

 以上のことから。新3要件は個別的自衛権行使の要件でもなく集団的自衛権行使の要件でもないものであることが分かります。

 2015年6月になって気が付いたのですが、[新3要件は]集団自衛権行使の要件ではなくて、[武力の行使]のための要件でありました。

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   平和を願うみなさまに願いします              2014/7/19

 正義の名の下に行はれた武力闘争で平和をもたらした歴史はありません。

 一方が壊滅させられたか、果てしない戦いのあげく、互いが折れあうことで平和を招き入れたのであります。

 「愛しのきみよ、あなたのためならなんでもします。」

 この立場に立つなら争い事は起きないでしょう。たとえ、下心があったとしても。この立場に立っているかぎりは。

 拳固を振りかざして、「仲良くしましょう。」と言っても仲良くしてもらえないでしょう。

 集団的自衛権という脅し文句を言いふらして、積極的平和主義というお面を被っても信用されないでしょう。

 しかも、集団的自衛権という拳は、個別的自衛権の寄せ集めの上に皮を被せたものですからなをさらです。

 集団的自衛権の行使には、いくつかの要件があります。個別的自衛権の二つの要件“相手国の攻撃が差し迫ったものであり、他に選択の余地や時間がないという「必要性」と、選択された措置が自衛措置としての範囲内のものであるという「均衡性」に加えて、「攻撃を受けた旨の表明」と「援助要請」そして、なによりも大事なことは、相手国に対する「宣戦布告」であります。

 さらに、“集団的自衛権の行使”には次の二つの場合のどちらかに該当することが行使の要件となっております。

 曰く、攻撃によって集団的自衛権の行使をしようとする国が実利的利益に対する侵害が生じること。

 曰く、攻撃を受けた国の武力が不十分である場合に国際平和と安全のため。



 攻撃をしている国に対して宣戦を布告しなければならない集団的自衛権の行使は間違いなく憲法違反であります。 

 第九条以外の条文を列記しても九条違反を逃れることはできないのであります。しかも、閣議決定の終わりの方に書かれているように、攻撃をうけた国の要請がないままで、自国の利益のために行動すれば侵略者として非難される可能性が生じます。

 首相の発言にありますように、他国の戦争に巻き込まれる可能性は少なくなるかもしれませんが。戦争をしかける機会が増えることは間違いないでしょう。


 世界に平和を推進しょうとしていられる皆様にお願いがあります。

 安倍首相は承知の上でしていられるのでしょうが、集団的自衛権という言葉を触れ回っていられます。
しかし、「7月1日の閣議で決められた事柄」は宣戦布告に触れていないので、正当な集団的自衛権とは程遠い事柄であります。しかも、個別的自衛権の範囲で行使できる事例までも入れて集団的自衛権の行使の必要性を強調する手法をとっていられます。

 集団的自衛権の行使を求められるならば、どう考えても個別的自衛権で考えられない事例に絞られる必要があると考えます


 “集団的自衛権はまちがいなく憲法第九条違反であります。”このことをご存じない方には、お知らせするために、また、あえて、知らない振りをしていられる方々には、「多くの人が知っているから、知らない振りをする必要はないのだ」と分かっていただくために。

 次のことをしていただきたいのです。

 七月一日の閣議で決定されたことは、宣戦布告の下での集団的自衛権の行使の容認ではないということを確認して、集団的自衛権の行使の反対行動を止めること。

 なぜかと言いますと、新聞紙上に集団的自衛権の行使容認と載っていたり、テレビで集団的自衛権の行使反対の絵が流れますと、海外の人から見ると、日本の人々は閣議で決定された事は、国際法から見ると「正当な集団的自衛権の行使の容認」でないにもかかわらず、正当なことして反対をしていると受け取られるに違いないからであります。


 できるだけ多くの方々に、七月一日の閣議で決定されたことは、正当な集団的自衛権の行使の容認ではないということをお知らせするために、あなた様のメール帳のすべての方に、この文を転送していただくか、簡単に、「7月1日の閣議で決められた事柄は正当な集団的自衛権とは異なる事柄であります。」とお伝えいただきますようお願いいたします。

 詳しいことは電子冊子(ホームペーシ){はぐれ里}→{非常識の館}に書いてあります。とお伝えください。

 そして、追伸としてこのメールをあなた様のメール帳のすべての方に転送してください。と添えてお伝えくださいませ。

 平和な手段で平和を求める国のために。殺戮のないこの世のために。わたしたちの子孫が戦場で殺し合いをしないために。

 どうした訳か気が急かれまして、推敲するのも不十分なまま送信してしまいました。深謝

 暑い日が続きます。水分補給をお忘れなく。
 

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   自衛隊の活動に関する閣議決定と言いましょう(仮称)   2014/7/10

 2014年7月1日に閣議で決定された“安全保障法制の整備についての閣議決定”は世間で言われている“集団的自衛権の容認ではなく、“自衛隊の活動に関する閣議決定”というのが適切な表現であると思います。なぜかと言いますと、既に、述べましたように、集団的自衛権の際には、行使に先立って宣戦布告が必要であるとする国際裁判所の判決があるからです。7月1日の閣議で決定された内容は、日本国憲法第九条の下で活動する自衛隊の活動に関する法整備をする必要があるということ、と、どのような法律を整備したらよいかという目標を決めているに過ぎないからであります。

 例えて言えば、「お化け屋敷にどのような化け物を配置して客をどのように脅かすか。客を脅す方法を決めよう。」ということを決めただけの話のように思われます。

 さらに、この「お化け屋敷」をチンドン屋に扮して、「怪獣ランド」ができました、と宣伝して回っているのが現在の状況のように思います。

 それはさておき、閣議で決定されたことを、国を挙げて「集団的自衛権の行使容認」と言えば、外国の人は宣戦布告をして戦争をすることになったと受け取ると思います。また、国内の人の中には、集団的自衛権の行使が閣議で決定されたと間違われる人が出ることになります。

 宣戦布告をして戦争をすることに反対をする人は7月1日の閣議決定を「集団的自衛権の行使容認」という言いかたでなく別な表現をして反対の意思を明らかにすることが求められます。
 例えば、“自衛隊の活動に関する閣議決定”というように。あるいは、“七月一日に閣議で決められた事項”というように、

 重ねて申します。「7月1日に閣議で決定されたことは、『集団的自衛権の行使容認』ではなく、憲法九条の下で活動する自衛隊の活動について、法整備をどのようにするかという目標を決定したにすぎないのであります。

 7月1日の閣議の決定事項は「集団的自衛権」とは違うといいうことを声を大にして、世界に宣言しなくてはなりません。“邦人を輸送中の米艦の防護”につきましても個別的自衛権で十分に説明できることでありますし、自国民保護を名目にした侵略は、過去に、列強国が何度もしてきたことであります。かって、侵略されてきた国々の人々から誤解されかねないと心配されます。

 反対運動はここから始まるものと確信いたします。

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   歴代内閣の日本国憲法第九条の解釈は正しかった。     2014/7/8

 “個別的自衛権の行使は認められるが集団的自衛権は憲法第九条との関係で行使できない。”というのが安部内閣以前の内閣の立場でした。この立場は、集団的自衛権の行使に先立って宣戦布告が必要であるという国際裁判所の判決にそった決定であります。一方、集団的自衛権を行使することは、すすんで中立国の立場を離れて交戦国となることを宣言して戦闘に加わることであります。このようなことも日本国憲法第九条に違反しないというのが安部首相の見解のようであります。

 攻撃し攻撃されるこのような事態は国際紛争であると思います。現憲法の下ではこのような事態に関わることはできないはずであります。

 自民党は姑息な手段を使わないで、憲法の改正案を作成して、参議院の選挙と同時に衆議院の選挙を実施して国民の真意を聞くべきであります。

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   7月1日に閣議で決定されたのは集団的自衛権ではなかった  2014/7/3

 7月2日に5社の新聞を見ました。見たのは7月の1日に閣議決定された憲法解釈の変更の記事てした。

各社とも関連記事をいくつも載せていました。重要な出来事と認めてのことだと考えてのことなのでしょう。

 読んだのは、閣議決定全文でした。当たり前のことですが。全部同じでした。見出しを並べて書いてみます。

 五十音順

 朝日新聞 
専守防衛覆す解釈改憲
       集団的自衛権 閣議決定
        海外で武力行使容認
          
 中日新聞 
日本の平和主義 転換
       集団的自衛権を閣議決定
        公使容認「戦争の恐れない」
          
 日本経済新聞
      
集団的自衛権の行使容認
       憲法解釈変更を閣議決定
        前後の安保政策転換

 毎日新聞 
集団的自衛権 閣議決定
       9条解釈を変更
        戦後安保の大転換

 読売新聞 
集団的自衛権 限定容認
       安保政策を転換
        憲法解釈 新見解 閣議決定

 五紙ともに「集団的自衛権」という言葉を使っています。しかし、閣議決定の全文を見る限り「集団的自衛権」の行使の決定と受け取れる言葉はありません。もっとも、将来、「集団的自衛権」の行使があるであろうから今からこの言葉を使っておこうというのでしたら別の話ですが、「集団的自衛権」の要件を満たさない行動についても「集団的自衛権」の言葉を使い続けると「集団的自衛権」の行使として認めたことになると思はれます。

 五月十一日のサンデーモーニングでは安倍首相が記者会見の席上で「限定的ではありますが集団的自衛権の行使」と発言されています、しかし、邦人を乗せた米艦の防護の必要性を説いていられることを考えますとき、安部首相も「集団的自衛権」の行使についてあいまいな知識しか持っていられないように思われます。あえて、そのようにしていられるのでしょうが。

 邦人を乗せた米艦の防護について検討をいたします。

 どこかの国で治安が悪くなり、邦人が避難をしたので米艦が乗せて航海をしているとします。その米艦を武装艦が攻撃をしたとします。このとき、それを見ていた自衛艦がなにもできない。そんな状況を想いうかべるのは耐えられない。ということです。それは、おいときまして。

 突然治安が悪くなり、避難を強いられることは考えられることです。避難をした人が母国に帰ろうとして港に集まることもあり得ることです。

 避難をしてきた人を米艦が収容して海上に出ることがあったとします。このような事態は極めてまれなことと思われますが、あったとするのですから、あったことにしましょう。

 その米艦が襲撃を受けて救援を求めたということですから、攻撃をしてきた船はかなり大きな船でしっかり武装をしていることになります。つまり、どこかの国の武装艦なのでしょう。

 避難をした人が住んでいた国は米艦が停泊していたのですから良好な関係にあったのでしょう、治安を乱した人々と米艦を攻撃した武装艦とは同じ傘下にあるものと思われます。つまり、反乱軍ということになります。
 そうであるならば、反乱軍の武装艦は避難民を乗せた米艦を追跡してきたことになります。このようなことから考えられるのは、米艦が攻撃されたのは出て来た港からそんなに離れていない洋上のはずです。

 ところで、米艦を追跡してきた反乱軍の武装艦はどんな目的があったのでしょう。避難民の中に身柄を確保しなければならないような重要な人物がいたのでしょうか、米国の軍艦だからでしょうか。

 いずれにしても、攻撃を受けている想定です。

 国会の質疑の中で軍艦が避難民を運んだことがあったのは確かのようであります。しかし、どのような状況でということまでは回答がありませんでした。それはさておき、避難民が集まってきた港には米国の軍艦しかいなかったのでしょうか、避難民は軍艦を選ぶでしょうか、民間の船を選ぶでしょうか、また、米国以外の軍艦を選ぶことも考えられます。なにを言いたいかと言いますと、避難民が軍艦で運ばれる確率は極めて小さいということです。もっとも、確率が小さいといってもゼロではないわけですから、想定することは必要ではありますが。

 避難民を乗せた米艦は追尾されたのですから出港した港から遠くで攻撃を受けたとは考えられません。港がどこにあったのか予想されていませんが、米艦が攻撃を受ければ、砲撃戦になるはずてす、その結果、米艦が損害を受け救援を求めてから(集団的自衛権行使の必須の条件です。)自衛艦が駆けつけるわけですが間に合うとは思われません。
 安部総理の言葉のように米艦が攻撃されるのを見ていてもなにもできない。(これは、中立国の義務行為です。)
という設定ですと、自衛艦は港から米艦に前後して出港したことになります。自衛艦は避難する邦人を乗せないで、あるいは、避難する邦人が自衛艦でなく米艦を選んで乗ったという想定は自衛隊の最高司令官として考えて欲しくない想定であります。(7/15の参議院予算委員会の質疑で米国国務省の電子冊子の照会がありました。内容は米国軍艦が避難民を乗せることはなく、そのように期待しないようにということでありました。)

 もし、邦人を乗せた米艦が攻撃を受けているのを見た自衛艦は、おそらく、両者の間に入るか攻撃をしている武装艦にぶつかるぐらいのことはすると思います。実現不可能なことですが、米艦が存在するところ自衛艦が存在しなければならなくなるでしょう。(これこそが狙いなのでしょうが)

 閣議で決定された事例は、場所が示されていませんので一概に言えませんが、公海上のことでありますならば、宣戦布告がありませんから、自衛艦が交戦をすれば明らかに中立国義務違反になります。(宣戦布告は集団的自衛権行使の必須の条件です。)どこかの国の領海内でしたらその国の主権の侵害になります。

 さらに、邦人を運んでいるのが米国の軍艦でなく他の国の軍艦であったり、民間船であったら、安部総理は想定外と言ってすますのでしょうか。それとも。見過ごすことなく救援行動をとることを原則とするのでしょうか。

 長々と書きましたが、首相が得意げに回答される邦人乗艦中の米艦の事例に沿って書いたものであります。

 端的に言いますと、国際法廷の判例によれば、集団的自衛権の行使には、攻撃を受けている国の「攻撃を受けている」という表明と救済を表明していることは必須の条件である。ということです。そして、宣戦布告を経て集団的自衛権は正当な権利となるのであります。

 結論としては、2014年の7月1日に閣議で決定したことは集団的自衛権の行使に関することでなく、今後自衛隊がどのような活動をするのが望ましいか研究して法案を作ろうという方針の決定であったはずです。集団的自衛権の行使の容認ではなかったはずてあります。我が国の自衛隊はこのような活動ができるよう努力しますと決定したものと理解いたしました。それが、いつの間にか、集団的自衛権の行使の容認として吹聴され、容認されたと受け取られているのは流れが違うと考えます。あえて言いますと、集団的自衛権の行使の方針が決定されたのでありまして、そのまま認められ実行されるのではないわけであります。

 本筋から外れますが、「集団的自衛権の行使」に固執されるのであれば一言進上

 機雷を除去するのに、いったいどこの国に宣戦を布告するのでしょうか、ミサイルが米国に向かって飛んでいるのかフランスに向かって飛んでいるのかどのようにして区別するのでしょうか。攻撃目的のロケットなのか研究用のロケットなのか、どのようにして識別されるのでしょうか?

 明らかに、個別的自衛権の行使で処理できる事例を示して、あえて、集団的自衛権の行使を目指すのはなぜでしょうか。なぜ、個別的自衛権の行使ですますように努力されないのでしょうか。なぜ、宣戦附告までして戦争をすることを望まれるのでしょうか。

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   公明党は集団的自衛権で汚名を残さないで欲しい   2014/6/28

 報道によりますと近々閣議が開かれて“集団的自衛権”について閣議決定がなされるとのことであります。

 事例が15項目ありますが、実際にはもっと多くのことが起こってくるもの思われます。ですから、とりあえず15事例について協議決定されることになるのだと思われます。しかし、15事例のうちいくつかわ個別的自衛権に属する事例のように思われますので、その点について考えてまいりたいと思います。

 その前に、集団的自衛権の定義を明らかにしておきます。

 ウィキペディアによりますと、“‘集団的自衛権とは、他の国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である。’と日本国内の一部の法学者や政治家が主張している権利である。その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処するというところにある。なお、第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり、宣戦布告を行わないまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反となる。”とあります。
 このウィキペディアの定義によりますと、宣戦布告が必須の条件になります。自民党が求めている集団的自衛権はこの定義に当てはまらない集団的自衛権であるようです。紛らわしさを取り除くために別の言葉を使うことが求められます。

 用語としての集団的自衛権は国連憲章第51条に見られますが定義的なことは載っていないようであります。

 国際裁判所の判例には1986年のニカラグア事件判決があります。判決によりますと、攻撃を受けた国がその旨を表明すること、攻撃を受けた国が第三国に対して援助要請をすることが国際慣習法上必要とされる。としています。

 以上のように、集団的自衛権の定義は確立されておりませんので自民党流集団的自衛権ということになるようであります。そこで、自民党流集団的自衛権の定義を、国会の討議から導きますと次のようになるとおもいます。

 同盟国の軍隊が攻撃を受けたときに、同盟国の攻撃を受けたという表明があり、援助の要請があったとき同盟国の軍隊を防護する権利

 このようになると思います。もちろん、“国際裁判所の判例を無視すれば、同盟国の攻撃を受けたという表明があり、援助の要請があったとき”ということは切り取られることになります。

 ここでは、この最も簡単な定義にもとずき15の事例を検討していきます。

 第1事例 “離島における不法行為への対処”と“第2事例の公海上で訓練などを実施中の自衛艦が遭遇した不法行為への対処”、この2事例は同盟国が関係しません。ので、明らかに集団的自衛権の範囲から外れております。

 第3事例 “弾道ミサイル発射警戒時の米艦防護”この事例は米艦が攻撃されているのかそうでないのか分かりません。攻撃を受けたときという条件を満足していません。ということで、集団的自衛権に当てはまりません。

 第4事例 “侵略行為に対抗するための国際協力としての支援”この事例には同盟国という限定がありませんからこの事例も集団的自衛権の範囲外の事例であります。

 第5事例 “駆けつけ警護” 条件があいまい過ぎます。事例などという範疇に入りません。

 第6事例 “任務遂行のための武器使用” だれが、どのような任務であるか明記すべきです。なんでもありということのようです。集団的自衛権に当てはまりません。

 第7事例 “領域国の同意に基づく邦人救出” この事例も同盟国不在です。集団的自衛権の範囲に入りません。それに、領域国とはどんな国なのでしょう定義が必要です。

 第8事例 “邦人輸送中の米輸送艦の防護” この事例は徳川時代の大名行列を思わせる事例のようです。攻撃を受けてからどのようにして防護するのでしょうか。集団的自衛権の定義には当てはまりますが実際に効果があるのでしょうか。特に、なぜ、邦人輸送中なのでしょうか。単に攻撃を受けている米国艦船とすればよいのではないでしょうか、邦人を輸送中の艦船が米国の艦船でなく米国以外の艦船のときはなにもしないということでしょうか。

 後に第9事例がありますから、この事例の邦人輸送中の米輸送艦の防護は邦人保護が目的でしょうから、個別的自衛権の範疇に入るでしょう。

 第9事例 “武力攻撃を受けている米艦の防護” この事例は集団的自衛権の範囲に入ると思われます。しかし、米艦を攻撃している相手がどこの国かを特定して、宣戦布告をしてからになります。さもないと、中立国義務違反ということで国際裁判所に提訴され損害賠償の請求を受けることになります。

 第10事例 “強制的な停戦検査” どのようなときに、いつ、だれが、だれにこれらがすべて不明です。具体的に述べる必要があります。この表現では論外です。自衛権の範囲を外れています。

 第11事例 “米国に向け我が国上空を横切る弾道ミサイル迎撃” 米国に向かっているのか向かっていないのかどのようにして判断するのでしょうか、我が国上空を横切ると分かったときに迎撃できるのでしょうか、弾道ミサイルなのかそうでないのか、有人衛星を迎撃したらどうするのでしょうか。確定不可能なことが多すぎます。

 第12事例 “弾道ミサイル発射警戒時の米艦防護” 集団的自衛権は同盟国が攻撃を受けた後で発効する権利であります。警戒時では権利を行使する準備をするに止まると思います。
 弾道ミサイルはどこを標的にしているのでしょうか、単なる実験ということもあります。

 第13事例 “米本土が武力攻撃を受け、わが国近隣で作戦を行うときの米艦防護” 自民党のみなさんは本気で米本土が攻撃を受けると思っているのでしょうか、我が国の近隣で作戦を行う米艦を防護するということは、米国本土を攻撃している国は我が国の近隣の国ということなのでしょう、その国が米本土を攻撃するとしたら原水爆以外にないでしょう。原水爆攻撃は我が国の近隣にある米艦隊にも加えられるでしょう。空論を出してなにを狙っているのでしょうか。

 第14事例 “国際的な機雷掃海活動” もし集団的自衛権で機雷の掃海活動をするのならば、その機雷が米国艦船を狙っていて米国艦船が攻撃を受けてからになると思います。
 以前のことですが、機雷の掃海活動をされていたと記憶しています。自民党の政権のときだったと思います。
 自衛権の範囲を外れています。

 第15事例 “民間船舶の国際共同護衛” この事例も護衛は集団的自衛権の要件を満たしていません。米国の船舶が攻撃をうけていれば要件を満たすと思います。

 以上15の事例を調べました。空論と思はれる事例を入れても自民党流集団的自衛権の要件を満たしている事例は、わたくしが見ますところ3事例に過ぎません。

 目立つのは防護という言葉です。そして、米艦という言葉です。米艦を防護するには、我が国の自衛艦が米艦と共に航行していなければなりません。安部首相の狙いは、自民党の狙いはここにあるのではないでしょうか。米国の軍隊と行動を共にすることによって、我が国の国際的価値を高めるのが狙いであれば、この判断は正しくないと思います。我が国は我が国の特徴で国際貢献をするのが筋と思います。

 虎の威を借る狐にはなりたくありません。

 見当外れの論文になっていれば幸いです。

 公明党のみなさん自民党の筋の通らない考えに同調して、汚名を末代まで返上できないことがないように熟慮してくださいませ。

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やはりTPPに参加すべきでない          2014/6/7

 多くの国が1つの決まりで貿易をして、その決まりに参加する国の全てが利益を得ることなどありえないことである。しかも、この決まりを始めようとする国が国益のためなら何でもありという国であることを考えたとき、その国がうった網にかかりに行くのは止めるべきである。

 参加する国にはそれぞれの事情があり一様ではない。国の体制も様々である、たいへん大きな格差を当然のこととし貧しい国民を増やしながら国益を追求する国もあれば、貧しきを憂えず等しからざるを憂える国もあるからである。

 商売は売る側と買う側の間で行はれるものであって、第三者がとやかく言うことでない。

 多くの分野で生産力かある国が農業を主体としている国から利益を得ようと計画したことに便乗して甘い汁を吸うことを考えた企業にそそのかされて、前後の見境もなく、国の仕組みも変えられる条約に参加することにした政治家の責任は大きいものと知るべきである。

 TPPは貿易ばかりでなく、医療・通信の分野にも及んでいると聞いている。永年培ってきた国の体制を崩すことまで求められる条約、しかも、この条約によって利益を得る国の思惑に乗る危険性を知らねばならない。

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   集団的自衛権の危険性               2014/4/16・5/31

 集団的自衛権を力説していられる自民党の本当の意図はどんなことかを考えてみました。内容は分かりませんが十いくつかの事例を挙げられているようです。もっとも重要なことは同盟国の軍隊が第三国から攻撃を受けたときに直ちに自衛隊が第三国を攻撃できるようにしたい。それを可能にするには自衛隊が同盟国の軍隊と行動を共にできるようにしたいということだと思います。これは、同盟国が戦争をしに出かけるときは自衛隊も一緒に出かけることを意味します。状況によれば、自衛隊が主力になって戦争をするようなことに繋がると思います。
 そんなことは考えていないと言われても、自衛隊が同盟国の思惑のために戦争をする羽目に陥ることはあきらかであります。

 遠隔地でも集団的自衛権を行使できる。テレビで見ました。石破自民党幹事長が語った言葉です。自民党は結党のときから再軍備を目指していましたが、いよいよ、具体化しようとしているようです。しかし、集団的自衛権は自民党の綱領から外れた結果をもたらすもののようです。

 以前参議院の委員会での答弁の中で、安倍首相は「近海で同盟国の軍艦が攻撃をされているとき、同盟国の一員として黙って見ていられますか?そんなとき助けたいと思うのがあたりまえのことであります。」と応えていられました。

 この答弁をされていられる首相の脳裏には、原子力空母を中心にして周りをたくさんの護衛艦が配置されていてその中に数隻の日本の護衛艦がいる、こんな景色が映っていたのではないでしょうか。

 あるいは、護衛艦隊に並航している日本の自衛艦隊の絵があったとも思われます。

 ところで、攻撃を受けているという状況はどのように受け取ればよいのでしょうか。

 日本の同盟国の艦隊を攻撃しているのはどのようなものなどでしょうか、考えてみました。(1)空軍機(2)潜水艦(3)艦隊(4)ミサイル(5)(1)~(5)までのいくつかの複合

 (1)の空軍機はかなり成功率が低いようです、1度に数10機を投入しなければ中心部に到達することもできないでしょう。

 一度に百機近くの飛行機を失うことを覚悟した国があったとしても、交戦時間は長くはないものと思われます。

 戦略をかえ周辺の護衛艦から攻撃するとすれば、九十機からの反撃を受けることになります。

 なによりも、百機もの大編隊が察知されずに襲撃できるとは思われません。

 (2)の潜水艦による攻撃ですが可能性はかなりあると思われます。しかし、潜水艦による攻撃を受けたとしても離れた海域から行って間に合う訳はありません。

 (3)の艦隊戦ですが、航空機の航続距離が長くなっている現在、探知力が高くなっている現在とても考えられません。

 (4)のミサイルによる攻撃です。この攻撃が最も可能性があると思われます。ミサイルによる攻撃は分単位で終わるでしょう。とても、助けに行く時間はないでしょう。たとえ、行動を共にしていてもミサイルを撃ち落とす能力はないと思います。


 首相の発言のような攻撃がどのように行われるのか確かめる必要があります。

 首相はまちがいなく、常に同盟国の船と日本の自衛艦とが並んで航行していることを想定しての発言のようであります。


 次に石破幹事長の発言です。四月六日の中日新聞によれば“石破幹事長は民放の番組で「地球の裏側まで行くことは普通は考えられないが、日本に対して非常に重大な影響を与える事態と評価されれば、完全に排除はしない。」と述べた。”とあります。この石破幹事長の発言は漠然としていますが、日本に対して非常に重大な影響を与える事態と評価されればというこは、考えようによっては評価は何とでもてきます、条件など、どうとでもなるということだと思います。

 それにしても、地球の裏側で同盟国が攻撃を受けたときに、地球を半周して助けに行って間に合うとは思われません。このような論理を“机上の空論”と言うのでしょう。

 石破幹事長が意図して省略したのであれば、集団的自衛権ではなくて、自衛権の範囲の話になってまいります。以前に中東の石油コンビナートで日本の会社の社員が人質になったことがあります。このようなときに自衛隊を派遣することもありえるということも含まれているということであります。むしろ、あのようなことが起こったときに直ちに対応するために、自衛隊を派遣しておくということなのでしょうか。

 地球の裏側で日本の同盟国が攻撃を受けたときにという条件の下での話としましても、日本の同盟国の軍隊が第三国に入って行って攻撃を受ければ日本に対して重大な影響を与えると評価して、その第三国に自衛隊を派遣することはありうるということなのでしょう。

 そんなことはないと思われるかも知れませんが、わたくしは十分に有り得ることだと言えます。なぜなら、あの湾岸戦争のとき、貢献をした国の中に日本がなかったことを恥ずかしく思った人が報道関係者や議員の中に圧倒的に多かったのですから。

 あの戦争に自衛隊を送らなかったのは、平和を願う憲法を持っている我が国として当然のことと声を大にして言っていいこととと信じています。

 地球の一部の国から評価されないことでも、断固として平和的に実行する勇気がより多くの国から支持されることにつながると信じます。自国の利益を求めて戦争をする国でなく、共栄を願って手を取り合う国であることを願います。

 それはさておき、安倍首相と石破幹事長が考えていられるのは、日本の同盟国が攻撃されたとき直ちに援護できる態勢を作りたいということのようです。発元の内容では、いつも同盟国の軍隊と行動を共にしていることを前提としての発言であるようです。

 このことは、日本の同盟国の軍隊と日本の自衛隊とが同じ行動を取るということです。「見ていて手を出せないのは」という言葉がそのことを表しています。日本の同盟国の軍隊が第三国に入って第三国の政治に干渉しようとしているとき、日本の自衛隊も同じ行動を取ることを前提にしているとしか思えません。なぜなら、「見ていて」ということは行動を共にしているということですから。

 イラクやアフガニスタンへの進攻は西欧諸国がアジアを侵略したときと同じだと思います。口実を設けて進行して、かいらい政権をつくって経済的に支配する。このような行動を自ら進んでしようとすならば、憲法を替えるしかないと思います。

 日本も内政干渉をしてはいけないと主張してきました。ならば、内政干渉を疑われる軍事行動に参加してはいけないでしょう。

 第三国に入って行って内政に干渉すれば攻撃されるのは当然考えられることであります。こんな間違った行動に同調することは正義に反すると信じます。六月十四日与党協議の15の事例の一部が分かった。地方新聞では掲載されているのに全国紙に見かけなかったのは、わたくしの不注意の所為のようである。

下の資料はイワッチの徒然日記と朝日新聞デジタル版から写した。

安保法制の課題事例

武力攻撃には至らない侵害(グレーゾーン)
 1 離島等における不法行為への対処
 2 公海上で訓練などを実施中の自衛隊が遭遇した不法行為への対処
 3 (平時の)弾道ミサイル発射警戒時の米艦防護
 (参考事例)領海内で潜没航行する外国の軍用潜水艦への対処

国連平和維持活動(PKО)を含む国際協力など
 4 侵略行為に対抗するための国際協力としての支援
 5 駆けつけ警護
 6 任務遂行のための武器使用
 7 領域国の同意に基ずく邦人救出

「武力の行使」に当たり得る活動 
 8 法人輸送中の米輸送艦の防護
 9 武装攻撃を受けている米艦の防護
10 強制的な停船検査
11 米国に向け我が国上空を横切る弾道ミサイル迎撃
12 (有事の)弾道ミサイル発射警戒時の米艦防護
13 米本土が武力攻撃を受け、我が国近隣で作戦を行う時の米艦防護
14 国際的な国際機雷掃海活動への参加
15 民間船舶の国際共同護衛

  1の“等”は最初の提案にはなかったが、次の機会に入れられた。しかし、公明党の抗議によって 削除されたとのことである。
  3と12のカッコはイワッチの挿入によるもののようで朝日新聞デジタル版にはない。

 さて、この与党協議案について考えてみる。記憶にある情報が極めて少ないのであるが、14の国際的な国際機雷掃海活動への参加は既に実行したことがあるように覚えているが。
  

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   汲み取り便所付きマンション            2014/4/12

 原子力発電所のことをトイレのないマンションと呼ばれています。

 わたくしも、以前にそう言いました。こんな言い方をしたって何の効果もなく、そう呼ぶ人の品性の低さを表しているようで自分でも情けないと思っています。しかし、原発の最大の弱点と言いますか欠点といいますか欠陥を言い表している言葉だと思っていました。けれど、今日、突然気が付きました、この言葉は間違っていると。

 用済みの燃料は溜まっているからトイレは有るのだと、ただ溜まっているだけだと。そこで、改めて、愛称を送ることにしました。“汲み取り便所付きマンシヨン”と。

 捨て場のない使用済み燃料棒が貯蔵池を満たすのは何年あとでしょうか。原発推進派の皆様方はこのことを真剣に考えていられるのでしょうか。

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   中道                       2014/4/12

 中道といいますと、たして2で割るという考えがあります。釈迦が言った中道はそんなことでなく、適切な道ということであったと分かりました。弓道では矢が的に当たったときに的中といいます。中道とは問題を解決するのに最も良い方法だというこということでした。

 釈迦は中道を得るのには八つの正しい方法があると説いているようです。

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   トヨタ世界販売1000万台超           2014/4/11

 四月九日の中日新聞一面トップに白抜きの大見出しで

  トヨタ世界販売1000万台超

   13年度、業界初の達成


 という記事が載っていました。“2013年度1年間でトヨタ単独で九百万台を突破。さらにダイハツと日野の販売数を加えると一千十万台に届く公算が大きい。”ということです。さらに、記事は最後に“復調を果たした。”とあります。

 この記事だけですとたいそう喜ばしいのですが、翌日の朝刊一面にトヨタ639万台リコールの記事が出ました。八面の関連記事によりますと“2013年度のリコールは、輸入車も含め計約七百九十七万八千台に上り、”トヨタ自動車がその半数を占めているているとのことです。

 2013年度のリコール台数七百九十七万八千台の半数三百九十八万九千台に今回のリコール台数六百三十九万台を加えますと千三百三十七万台がリコール台数になります。

 これが、日本のトップ企業の製品の品質ということです。一年間に生産した台数に相当する台数のリコール台数があったということです。

 過去に日本車は故障しないという評判を取ってきたはずであります。それが、一年間の生産台数より多くのリコール台数をもたらしているのです。

 この責任は製造をした側にあることは間違いないのですが、購入する側にもあると思います。原因の一つに“安全神話”があると思います。「経験からすると、あの会社の製品は故障をしない。」と思い込むことです。そのほかには、「些細な故障や不具合を集約し公表する組織がないことです。」

 そこで、一つお願いがあるのですが、プログラムのウイルスを作っている方の中で世の中の役に立ってみようという方がありましたら次のようなサイトを立ち上げてくれませんか。

 それは、一つの分野に限ってもいいですし複数の分野にわてってもいいのですが、故障や具合を集約分類し公開する。こういうサイトです。または、小さい業者でも素晴らしい物を創り出している業者と製品を公開する。サイトです。

 ウイルスを創るより何倍も難しいことと思いますが挑戦してみませんか。

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   エイプリルフール3題               2014/4/1

その1

 今日は暖かい日になりました。一年四ヶ月ぶりに屋根に上がりカラー鉄板の状態を見ました。といは落ち葉で埋まり、ペンキは剥げて反り返り、積もった花弁と埃りの層は広がっていました。といを埋めていた落ち葉を落としし、剥げたペンキと花弁の層は掃きとって捨てました。途中、休むこと三回、ここで、見つけたことは最後まで済ませて休むのでなく、終りの少し前に休んで仕上げをするのがよい。ということです。

 二時間近く作業をして降りて新聞を見ました。中日新聞の一面に“南極海捕鯨日本に中止命令”と書いた記事に目が止まりました。“国際司法裁「科学調査でない」と続いています。

 参考資料として調査捕鯨の判決骨子と調査捕鯨の解説が載っていました。

 調査捕鯨の判決骨子
○日本が認めている南極海での現在の調査捕鯨は、科学的研究目的定めた国際捕鯨取締条約の規定に合致しない。

○日本は同条約に基づき認めている現行の許可などを全て取り消さなければならず、今後も付与すべきでない。

○現在のクジラの捕獲枠は調査計画の目的に照らして合理的でない。

○日本は調査捕鯨を実施してきた期間、商業捕鯨のモラトリアム(一時停止)を定めた同条約に違反

 調査捕鯨
 国際捕鯨取締条約で認められた科学的研究を目的とした捕鯨。

 日本は国際捕鯨のモラトリアムを導入して以後、商業捕鯨再開に向けて1987年から南極海で、94年から北西太平洋で実施している。主な対象はミンククジラ。調査で得た鯨肉は国内で販売されている。

 南極海では2005年以降、反捕鯨団体シー・シェバードが妨害行為を繰り返し、11年には妨害を受けて捕鯨船の活動が途中で打ち切られた。

 記事はさらに続きます。判決は、第一期のミンククジラの捕獲枠が約三百~四百頭だったのに、第二期で約九百頭になったことに着目、調査目的がほとんど変わらないのに捕鯨枠が大幅に増えていることから、厳密に科学検討に基づくものか疑義を生じさせると指摘した。また(1)実際の捕獲数が捕獲枠より少ない(2)調査が無期限で実施されている(3)調査に基づく科学的業績が少ない。などの点も問題視された。後略、とあります。


 国際捕鯨取締条約が締結されたときに調査捕鯨などという名目で捕鯨を続けるのは良くないと思いました。

 調査をした後で肉は捨てるのだろうかと思ったこともはっきりと思い出しました。もし、肉を捨てていたら、環境汚染で非難されていたかもしれませんが。このような恥ずかしい判決を受けなくてもよかったのにと残念でなりません。

 東日本大震災の復興を名目に沖縄の道路工事をする考えと同じ発想から出たと思われる今回の恥ずかしい行いを正していかないと、世界に誇れる国になれないと思います。


その2

 上記と同じ紙面に、袴田さん再審決定に不服静岡地検が即時抗告と題した記事が出ています。テレビ報道ですと、事件発覚後一年二ヶ月も経って犯行時に加害者が着ていた5点の衣類が発見されということです。これは、起訴されてから11ヶ月も後のことでした。

 ウィキペディアによりますと、袴田氏は1966年7月頃から勾留され1966年9月勾留期限三日前に自白、9日に起訴されたということです。

 再審決定の判決文の中に検察の証拠捏造の疑いを書かれていたので。即時抗告となったのではないでしょうか。


その3

 四月一日から消費税が8%になりました。郵便はがきが50円から52円になりました。ずい分前からお知らせがきました。そのとき、概算しておかしいなと思いました。

 四月一日になってきちんと計算してみました。

 先ず、本体価格を出しました。

 5%のときの本体価格は50÷1.05=47.61

 円単位にしますと47円か48円になります

 験算しますと

 47×1.05=49.35
 48×1.05=50.4

 となります。販売価格は50円でしたから、49.35のはずはありませんので、本体価格は48円のはずてす。

 本体48円のはがきの販売価格は

 48×1.08=51.84

 税金は端数切り捨てですから51円になります。はがきだけでなく切手でも同じことであります。

 ちなみに、80円切手の方は82円が適正値段でした。

 はがきの本体価格の値上がりのためという理由でしたら、52切手の方はどんな理由があるのでしょうか。

 回答をいただけるとありがたいです。

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   誰でもよかった                  2014/3/4

 猟銃を持って野山を歩き鳥や獣を撃つ、こんな趣味を楽しむことはある種、“かっこいいこと”と思います。

 数年前から自動車を運転して歩道を走り、たまたま、出会った人をはねて死亡させたり、怪我させたりする人が続いて出ています。

 このニュースを聞く度に、人でなしの行いだと思います。誰でもいいからということがかっこいいことだとは、とっても思えません。

 “人という字は”等と言う気はありませんが、自分を人でない生き物と思い込もうとしているのが、“人でなし”の言葉で現わすのがぴったりとしていると思います。

 「誰でもよかった。」と言ったあなた、自動車で歩道を走って通行人をはねたときの自分の顔を想像してみてください。

 どんな顔が頭に浮かびますか?

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   高濃度汚染水もれ                 2014/3/1

 「二度あることは三度ある。」と言います。「三度あることは四度ある。」「四度あることはしばしばある。」と言うか言わないか。この命題は東電では真のようであります。

 もう何回目になるでしょうか、二月の二十日と二十一日にかけて福島第一原発のタンクで百トンもの高濃度の汚染水が漏れたことが報じられました。

 中日新聞二月二十一日2面の右上に次の記事がありました。

 高濃度汚染水漏れ 甘い管理、現場に負担

  東京電力福島第一原発のタンクで、またも大量の処理水漏れ事故が起きた。漏れた水約百トンには、一リットル当たり二億四千万ベクトルもの超高濃度の放射性ストロンチウムなどが含まれていた。

と書いてありました。

 記事には、“東電の対応に三つの疑問”(1)なぜタンクに水がこないのに確認しない? (2)なぜ手動の弁が開いているのに気がつかない? (3)なぜ警報が鳴ったのに直接見ない? と三つの疑問が書いてありました。

 わたくしは、別な疑問があります。それは、“漏れた水約百トンには、一リットル当たり二億四千万ベクトルもの超高濃度の放射性ストロンチウムなどが含まれていた。”のことであります。つまり、漏れた水約百トンには、一リットル当たり二億四千万ベクトルもの超高濃度の汚染水であるのか、一リットル当たり二億四千万ベクトルもの超高濃度の放射性ストロンチウム。なのかということであります。

 汚染水の濃度でありますとタンクの周辺はとてつもない、危険な場所でありましょう。人が行ける場所ではないと思います。

 ストロンチゥムが一リットル当たり二億四千万ベクトルだということでしたら、ストロンチウムの量がわずかであれば問題は小さいと思われます。

 弁が手動ということですからタンクの周辺は比較的安全な場所と考えられます。

 そうであれば、関連した主だった場所に係を配置してから、水を送る。各場所で異常がないことを確認する。特に汚染した水であればなおさらであります。以前に何回も汚染水漏れを起こしているのですから。

 しかし、今回は、超高濃度でありますから人の配置はしなかったとすれば。それほど、危険な場所であるのでしょう。社員を危険な場所に配置することはできませんから、いわば当然な処置であったのでしょう。しかし、現実は高濃度の汚染水が漏れ出てしまったのであります。弁が開いていれば考えられることであったはずです。危険な場所に長時間いて汚染土を撤去しなければならなくなったわけであります。

 汚染土の処理は社員でなく下請けの人間だからかまわない等と考えたのではないと思いますがいかがでしょうか。

 この新聞記事からははっきりとは分かりませが、三つの疑問の(1)に確認しない?(3)に直接見ない?とありますから、二億四千万ベクトルというのはストロンチウムのことだと推測はできますが、やはり、推測にすぎません。

 この推測にもとずきまして、流失した汚染水の危険度が問題になります。記事には、“東電は今後、汚染土壌を掘り起こして取り除く予定だが”とありますから。危険度は低いものと思われます。いや、そうあってほしいと願います。

 疑問を、もう一つ書きます。ぎりぎりまで汚染水が入っていたタンク(タンクAとします)の下の方にある弁が開いていたとあります。

 別のタンク(タンクBとします)に送ろうとしてタンクBに汚染水を送る弁を開くいてタンクAに汚染水が送られたのですから、タンクAとタンクBは同じ管で繋がっていることになります。もしそうであれば、タンクAの弁を調べなければいけないことになります。

タンクAとタンクBが繋がっていないとすれば、タンクBに送ろうとしてタンクAに送ったのであれば、タンクBに汚染水を送るつもりでタンクAへ汚染水を送る操作をしたことになります。明らかな誤操作であったことになります。

 蚊帳の外から見ると、東電は核分裂反応を使って発電するのでなく、他の方法で発電するのが分相応な会社だと思います。まちがっても放射性物質を取り扱うのは止めて欲しいものです。

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   七割八割の国民が求めること            2014/2/23

 「七割八割の国民が求めることを三分の一の議員の反対で発議できないことは間違いである。」予算委員会で安倍首相が進んで答えた言葉です。質問者は二の矢を継ぎませんでした。

 なんか分かるようで分からない言葉です。

 いくつかの納得のいかないことがあります。

 その一 七割八割の国民が求めることとはどんなことなのでしょう。現行憲法の条文のどれがこの条件を満たしているのでしょうか。

 その二 現行の小選挙区の選挙法であれば、七割八割の国民が求める政策を掲げる政党は議席の八割から九割の議席を占めるはずです、現行憲法で十分に議会の発議ができるのです。とにかく、50パーセントに満たない得票数で70パーセント近くの議席を得ているのですから。

 その三 以前は少数の議員数であった政党が選挙によって多数の議員を持つたとしても、急いで憲法を改定しようとするのはどうかと思います。再軍備を目指すのが党の願いであるにしても、両院共に三分の二以上の議席を確保する努力をすべきだと思います。

 その四 憲法を改定することを前提にした選挙をしていれば、国民の意向が明らかになるのであって、経済を主題とした選挙の結果から憲法を云々することは、憲法の位置を低く見ていると思います。

 その五 目的達成のためにまともでない論を主張することは感心できない。         

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   善悪偽善偽悪                   2014/2/1

 この主題は以前から書こうと思っていました主題であります。

 偽善という言葉は、最近は聞かれなくなりました。偽悪は以前から使われなかった言葉ですが何年か前に新聞で一度見たことがあります。そのとき以外聞いたことも見たこともありません。

 さて、この文を書く真意を言いますと“偽善の勧め”であります。

 世間では、偽善はしてはいけないこと、として、考えられているようであります。

 年上の人を尊敬する、弱い人を助ける、悪い心を起こさないで良いことをする、このような人は偽善者と言われ、ときには非難の対象になります。いじめの対象にされることもあります。

 しかし、よく考えてみてください。自分が持つ悪い本心を押さえて、善いことをしたとしましても、その行いを受けて迷惑を感じる人は少ないと思います。

 例え悪意からであっても、善意からであっても弱い人の手助けをするならば、助けられた人がどのように思ったとしても善だと思います。

 たとえ、なにかを期待して行われた偽善行でも、なにも期待しないで行はれた善行となんら変わりはありません。

 変わりがあるのは偽善行をした人の心の中の動きであります。しかし、心の動きは周囲から非難されるものではないと思います。むしろ、非難してはいけないと思います。なぜなら、善意からなされたことか偽善意からなされたことか、本人以外の人からは分からないからであります。

 仮に、こんなことはありえないことですが、世の中のすべての人が、自分以外の人に思いやりを持ち、親切なことをすればこの世はどんなにか住み良くなることかと思います。

 ひるがえって、偽悪は周りからほめられたり、歓迎さえされるようです。テレビでも人を悪く言ったり、いじめをしたりすることで人気を得ている人もあります。

 自分がしたかった悪行を、「代わってしてくれた。」という気持ちがあるからなのでしょうか。

 けれども、偽悪行を受けた人は、たいへん迷惑に感じるでしょう。それが、自分であったらどんなに悲しむことになるか分かりません。典型的な例が“いじめ”でしょう。

 もし、自分が偽りの悪行を受けたとしたらどんなに嫌な気持ちになるか考えてみてください。

 世のため、人のため、偽悪行を歓迎する以上に偽善行をほめそやすようにしていただきたいと思います。

 理屈の上では、悪意を持って善をすることや善意を持って悪をすることも考えられますが、それでも、善をしてほしいものです。  

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   安倍内閣支持率の上昇と特定秘密保護法       2014/1/20

 一月十九日にテレビ放送の報道で内閣の支持率が大きくなったことを知った、放送によれば秘密保護法の成立が貢献したとのことでである。特定秘密保護法を肯定しているのは45バーセントを超えており、秘密保護法を成立させた内閣の支持率が上がったということであった。この根拠はアンケートをした局の推測であって、内閣を支持すると答えた人の、内閣支持の理由と言い切ることはできないと思われる。

 仮に、推測が当たっているとしても、内閣を支持すると答えた人が特定秘密保護法(以下、特秘法と言う。)を理解していたと言えるだろうか。ただ、“決められる内閣”に支持をしているのではないかと、そう推測することもできるであろう。

 アンケートがどのような内容であったのか、どのような方法でアンケートをしたのが分からないから何とも言えない。

 特秘法案の全文を入手した。概要を記載する。ご参考にしていただければ幸いである。

 特定秘密保護法

 第一章 総則

 (目的)

 第一条 前略・中略 特定秘密の漏えいの防止を図り、我が国及び国民の安全に資することを目的とする。

 (定義)

 第二条 行政機関の定義 一~六


 第二章 特定秘密の指定等

 (特定秘密の指定)

 第三条 秘密指定をする者と指定の措置 ~3

     特定の表示・取扱者への通知 一~二

 (指定の有効期間及び解除)

 第四条 2~4 

 (特定秘密の保護措置)

 第五条 2~6

 第三章 特定秘密の提供

 (我が国の安全保障上の必要による特定秘密の提供)

 第六条~第九条

 (その他公益上の必要による特定秘密の提供)

 第十条 一 イ ロ  二 三 四

 2 警察本部長は、第七条第三項の規定による求めに応じて警察庁に提供する場合いのほか、前項第一号に掲げる場合(当該警察本部長が提供しようとする特定秘密が同号ロに掲げる業務において利用するものとして提供を受けたものである場合以外の場合にあっては、同号に規定する我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めることについて、警察庁長官の同意を得た場合に限る。)、同項第二号に掲げる場合又は都道府県の保有する情報の公開を請求する住民等の権利について定める当該都道府県の条例(当該条例の規定による諮問に応じて審議を行う都道府県の機関の設置について定める都道府県の条例を含む。)の規定で情報公開・個人情報保護審査会設置法第九条第一項の規定に相当するものにより当該機関に提示する場合に限り、特定秘密を提供することができる。

 3

 第四章 特定秘密の取扱者の制限

 第十一条 一~七

 第五章 適正評価

 (行政機関の長による適性評価の実施)

 第十二条 特定秘密の取り扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないことについての評価

 一~三 2 一~七 3 一~三 4 

 (適性評価の結果等の通知)

 第十三条 2~4

 (行政機関の長に対する苦情の申出等)

 第十四条 2~3

 (警察本部長による適性評価の実施等)

 第十五条 一~三 2

 (適性評価に関する個人情報の利用及び提供の制限)

 第十六条 2

 (特定又は事務の委任)

 第十七条

 第六章 雑則

 (特定秘密の指定等の運用基準)

 第十八条 2

 (関係行政機関の協力)

 第十九条

 (政令への委任)

 第二十条

 (この法律の解釈適用)

 第二十一条 2

 第七章 罰則

 第二十二条

  特定秘密の取り扱いの業務に従事する者がその業務により知得した特定秘密を漏らしたときは、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。特定秘密の取り扱いの業務に従事しなくなった後においても、同様とする。

 2 第四条第三項後段、第九条又は第十条の規定により提供された特定秘密について、当該提供の目的である業務により当該特定秘密を知得した者がこれを漏らしたときは、五年以下の懲役に処し、又は情状により五年以下の懲役及び五百万円以下の罰金に処する。同条第一項第一号ロに規定する場合において提示された特定秘密について、当該特定秘密の提示を受けた者がこれを漏らしたときも、同様とする。

 3 前二項の罪の未遂は、罰する。

 4 過失により第一項の罪を犯した者は、二年以下の懲役及び五十万円以下の罰金に処する。

 5 過失により第二項の罪を犯した者は、一年以下の懲役及び三十万円以下の罰金に処する。

 第二十三条 人を欺き、人に暴行を加え、若しくは人を脅迫する行為により、又は財物の窃取若しくは損壊、施設への侵入、有線電気通信の傍受、不正アクセス行為(不正アクセス行為の禁止等に関する法律(平成十一年法律第百二十八号)第二条第四項に規定する不正アクセス行為をいう。)その他の特定秘密を保有する者の管理を害する行為により、特定秘密を取得した者は、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。

 2 前項の罪の未遂は、罰する。

 3 前二項の規定は、刑法(明治四十年法律第四十五号)その他の罰則の適用を妨げない。

 第二十四条 第二十二条第一項又は前条第一項に規定する行為の遂行を共謀し、教唆し、又は煽動した者は、五年以下の懲役に処する。

 2 第二十二条第二項に規定する行為の遂行を共謀し、教唆し、又は煽動した者は、三年以下の懲役に処する。

 第二十五条 第二十二条第三項若しくは第二十三条第二項の罪を犯した者又は前条の罪を犯した者のうち第二十二条第一項若しくは第二項若しくは第二十三条第一項に規定する行為の遂行を共謀したものが自首したときは、その刑を軽減し、又は免除する。

 第二十六条 第二十二条の罪は、日本国外において同条の罪を犯した者にも適用する。

 2 第二十三条及び第二十四条の罪は、刑法第二条の例に従う。

 附則

 (施行期日)

 第一条 

 (経過処置)

 第二条

 (自衛隊法の一部改正)

 第三条

 (自衛隊法の一部改正に伴う経過措置)

 第四条~第七条

 別表(第三条、第五条―第九条関係)

 一 防衛に関する事項

 イ 自衛隊の運用又はこれに関する見積り若しくは計画若しくは研究

 ロ 防衛に関し収集した電波情報、画像情報その他の重要な情報

 ハ ロに揚げる情報の収集整理又はその能力

 ニ 防衛力の整備に関する見積り若しくは計画又は研究

 ホ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物(船舶を含む。チ及びりにおいて同じ。)の種類又は数量

 へ 防衛の用に供する通信網の構成又は通信の方法

 ト 防衛の用に供する暗号

 チ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物又はこれらの物の研究開発段階のものの仕様、性能又は使用方法

 リ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物又はこれらの物の研究開発段階のものの製作、検査、修理又は試験の方法

 ヌ 防衛の用に供する施設の設計、性能又は内部の用途(ヘに揚げるものを除く。)

 二 外交に関する事項

 イ 外国の政府又は国際機関との交渉又は協力の方針又は内容のうち、国民の生命及び身体の保護、領域の保全その他の安全保障に関する重要なもの

 ロ 安全保障のために我が国が実施する貨物の輸出の禁止その他の処置又はその方針(第一号イ若しくはニ、第三号イ又は第四号イに揚げるものを除く。)

 ハ 安全保障に関し収集した条約その他の国際約束に基づき保護することが必要な情報その他の重要な情報(第一号ロ、第三号ロ又は第四号ロに揚げるものを除く。)

 ニ ハに揚げる情報の収集整理又はその能力

 ホ 外務省本省と在外公館との間の通信その他の外交の用に供する暗号

 三 特定有害活動の防止に関する事項

 イ 特定有害活動による被害の発生若しくは拡大の防止(以下この号において「特定有害活動の防止」という。)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究

 ロ 特定有害活動の防止に関し収集した外国の政府又は国際機関からの情報その他の重要な情報

 ハ ロに掲げる情報の収集整理又はその能力

 ニ 特定有害活動の防止の用に供する暗号

 四 テロリズムの防止に関する事項

 イ テロリズムによる被害の発生若しくは拡大の防止(以下この号において「テロリズムの防止」という。)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究

 ロ テロリズムの防止に関し収集した外国の政府又は国際機関からの情報その他の重要な情報

 ハ ロに掲げる情報の収集整理又はその能力

 ニ テロリズムの防止の用に供する暗号

 理由

 以上 東京新聞:特定秘密保護法案全文(TOKYO Web)

 成立した法律は修正案であるので、上記の案とは異なっている。

 一見何ら問題がないように思はれるが、よく考えてみると問題があるようである。これが特定秘密だと知らされている人は良いのであるが知らされていない人は、知らず知らずに特保法に抵触することがあるわけである。

 例えて言うと、覆われた信号機のようなものである。青か赤か黄色か分からないで道をわたった人が今は赤だと罰せられるようなものである。

 もっとも、信号をわたらなければよいのであるが。わたらなければならなくなったときはこのような信号は「けしからん」と思うにちがいない。

 網を張って網にかかるのを待つような法律はまともな法律でないと思われる。

 このような法律を強制採決までして成立させた政府を支持しますか。

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   ホネクイハナムシ                 2014/1/8

 骨食いなどというおぞましいことばと花虫という可愛い言葉を揃えて名前にした動物がいるそうです。NHKТVサイエンスゼロ(2013/12/29)で知りました、深海に沈んでいる鯨の骨に住んでいる動物だそうです。所謂寄生生物ですから鯨の骨を食い尽くしてしまうと、ホネクイハナムシも死んでしまいます。考えようでは、動物はすべて寄生生物ですから食べ物を食べつくすと生きていけないわけです。

 ホネクイハナムシは一億年前に発生したと考えられるそうです。鯨は五千万年前だそうです。ホネクイハナムシが発生したときは何を食糧としたのか研究中だそうです。 

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   安倍晋三氏の靖国神社参拝             2014/1/3

 2013年12月26日安倍晋三氏が靖国神社に参拝しました。首相でなく個人の資格でということです。それで、あえて、安倍晋三氏としました。

 ところで、なぜ、縁も所縁もない個人の安倍氏の靖国参拝を知ることになったのでしょう。

 最初は30日のサンデーモーニングの録画を見たときでした。それまで、新聞も見ていなかったのです。

 ところで、安部氏は公用車で護衛を連れて、奥殿まで行って参拝したのでしょうが。個人だとしたら、誰にも知らせずに、拝殿の前でさい銭箱へ玉串料を入れて、拝んで帰れば何の問題もなかったはずです。例え護衛が付いていたとしても誰も知らないですんだはずです。

 口で個人と言って公人として行動する。こういう行いを世間は何と言うのでしょう。

 報道関係者にしても、個人の行いとして無視すればよいのではないでしょうか

 正月3日の新聞には新藤氏も靖国参拝をしてダメ押しをしたようです。彼も個人だそうです。

 中国も韓国も全く無視して野党を相手に外交を展開してはいかがでしょうか、外国を敵視することを続けていくとどのようなことが起きるか予想ができません。

 中国には、大先輩の孫子の兵法があるではありませんか。

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   サザエさんの洗濯                 2014/1/2

 この一遍も以前から書こうと思っていてその都度書きそこなったものであります。非常識の館にふさわしい主題だと思っております。残念なことに詳しいことは忘れてしまいました。

 サザエさんが洗濯機で洗濯をしています。洗い終えて干す段階でポケットに財布かハンカチが入っているのを見つけて家の人に注意をします。そこで、洗濯をする前に調べるのだと逆に注意される、こんな筋の話です。

 洗濯をする前にポケットを調べるのは当然の常識です。しかし、それとともに、洗い物を出す人が先ず調べるのが当たり前のことと思います。自分のことは先ず自分が責任を持って調べるのが当然のことと思います。洗濯をする人が調べるのは念のために調べるのです。

 このような家事の分担はいかがでしょうか。することを決めるもよし、決めないのもよし。今、はやりの場の空気を読むのとは違う、その場に必要な家事を手分けしてやる。家事にたいしては金銭抜きで、しとげたことが喜びである。

 こんな家庭は結婚当時から作り続けなければできないと思います。夫婦共に間直に死を迎えた家庭であっても思い立ったが吉日、今日からでも遅くないと思います。

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   「頑張ってください」と言うな              2014/1/2

 阪神淡路大震災のときに聞いた話です。ずーと、どう書こうか考えてきました。ようやく、まとまりそうなので書くことにしました。

 阪神淡路大震災のとき、あるボランティアの人がある被災者に「頑張ってください。」と言いました。そのとき、ある被災者は「こんなに頑張っているのに、まだ頑張れと言うのか。」と声を荒げたということです。

 この話の趣旨は「頑張ってください」というのは控えた方がよいということでありました。

 そんなこともあるのかと思いましたが、なにか不思議なことを聞いたように思えてしかたありませんでした。

 筋が通っているようで、「違う」という思いがあったのでした。

 もし、「頑張ってください。」といった人がボランティアでなく県知事だったら、「ありがとうございます。頑張ります。」と答えたと思います。このように答えるのが普通だと思うからであります。

 極限まで頑張っている人に励ましの言葉を言うとすると「頑張って。」という以外にどんな言葉があるというのでしょう。

 疲れ過ぎ、頑張りすぎて今にも死にそうな人に「あなたによりそっております。」とか「あなたを見守っています。」とか、そんな言葉が励ましの言葉になるとは思われません。ましてや、「顔晴れ。」にいたっては“顔で笑って、心で泣いて”
を連想されて、不愉快ささえ感じられます。

 「頑張ってください。」この言葉は願いのことばであり。祈りの言葉であると思います。「こんなに頑張っているのに、まだ頑張れと言うのか。」と言われた人は傷ついたと思います。やりばのない思いを他人に話したにちがいありません。その話を聞いた人は、「何人ものボランティアが来て皆が言うので少し煩く感じたのでしょう。そう思って許してあげてください。」とでも言ってあげたらよかったのにと思いました。しかし、この話をボランティアの会合のときに話したのでしょう。話に羽根が生えテレビに流れたに違いないでしょう。

 「こんなに頑張っているのに、まだ頑張れと言うのか。」と言った人は、言った後で後悔したと思います。恐らく、何年たっても折にふれて思い出して背中に冷や汗をかく思いをするのではないでしょうか。

 思いやりの心から出たことに、その心を汲み取れない。そんな自分を見るような話でありました。

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