1.愛は惜しみなく与うトルストイ (ロシアの小説家・思想家)『愛の表現は惜しみなく与えるだろう。しかし,愛の本体は惜しみなく奪うものだ』 |
2.来た,見た,勝った「来た,見た,勝った」(羅: Veni, vidi, vici)は,共和政ローマの将軍・政治家のガイウス・ユリウス・カエサルが ,紀元前47年のゼラの戦いの勝利をローマにいるガイウス・マティウスに知らせた言葉とされる。 |
3.自然に帰れジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712年6月28日〜1778年7月2日)は,スイス生まれの哲学者・政治哲学者・教育思想家・ 作家・作曲家。ルソーは「自然状態に帰る」というスローガンで不平等や不合理を打ち倒そうとした。他の啓蒙主義思想家たちは,文明や文化を進歩させることでアンシャンレジュームの不平等不合理を打ち倒そうとしたが,ルソーは違っていた。そんなエピソードから,「自然に帰れ」がルソーの言葉として伝えられている。彼は素朴な友愛感情に基づいて生き,自分の能力と欲求とが一致している状態を取り戻そうとしたのである。 「人間は自由なものとして生まれた。しかしいたるところで鉄鎖につながれている」…とルソーは『人間不平等起源論』の中で述べている。 この論文で学問の世界や社交界で時の人となり,その後も代表作『人間不平等起源論』,『学問芸術論』,『経済政治論』を著した。ルソーは上昇志向が強く,俗に言う「目立ちたがりや」で他人からの高い評価を求めた人だったと言われているが,自分の主張を完全に受け入れられないと許せないという性格から,しばしば友人とも絶交状態となり,孤独を深めてしまう。 なお日本でおなじみになっている童謡「むすんでひらいて」は,ルソーの作品であるオペラ「村の占者」の一節が,「ルソーの新しいロマンス」と 言うタイトルで歌詞が付けられ,その旋律がヨーロッパ各国へ広まったものである。 |
4.天災は忘れた頃に来る「天災は忘れた頃に来る」という言葉を言い出したのは寺田寅彦であるといわれています。防災に関する文章などによく用いられる有名な警句です。寺田寅彦が言い出したといわれていますが,手紙や手帳なども含めて本人が書いたものの中には見当たらないそうです。 今村明恒著『地震の国』(1929年発行)によると, 「天災は忘れた時分に来る。故寺田寅彦博士が,大正の関東大震災後,何かの雑誌に書いた警句であったと記憶している。」 とあります。 |
5.地球は青かったユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン(Юрий Алексеевич Гагарин,ラテン文字転写:Yuri Alekseyevich Gagarin, 1934年3月9日〜1968年3月27日)は,ソビエト連邦の軍人,パイロット,宇宙飛行士。最終階級は大佐。1961年に世界初の宇宙飛行を成功させている。帰還後に語った「地球は青かった」の言葉は有名。 ロシア語の原文を見ると,「地球は優しく光る淡い水色だった」という言葉でした。 青い地球(郡山市ふれあい科学館 スペースパーク) |
6.去る者は追わず『春秋・公羊伝』に「来たる者は拒むなかれ,去る者は追うなかれ」とあり,『孟子・尽心下』に「往く者は追わず,来たる者は拒まず」とある。普通下に「来たる者は拒まず」と続けて言う。 |
7.沈黙は金英国の思想家カーライルの「衣装哲学」にみえる言葉。雄弁は銀沈黙は金 《 Speech is silver, silence is golden. 》雄弁は大事だが,沈黙すべきときを心得ていることはもっと大事だということ。 イギリスの思想家・歴史家,トーマス・カーライルの「衣装哲学」という著書の中にある。 これがカーライル自身の言葉か,あるいは引用かについては不明。 話としてはその方が面白いが…「昔の西洋では金より銀の方が貴重で高価だったので,雄弁を沈黙より高く評価した言葉だ」との解釈は誤りのようだ。 旧約聖書のソロモンの言葉(黙っていれば愚か者でもかしこく見える)や,1960年代の名曲「Silence is golden」などから, 広く言われている 「雄弁は大事であるが,時には沈黙が雄弁よりも効果的な場合もある。」 の方が正しい意味であると思われる。 |
8.悪法も法なりラテン語で "Dura lex, sed lex"("The law is harsh, but it is the law":「法は過酷であるが,それも法である」)。ソクラテスが裁判にかけられ,死刑になった時に言ったと,一般的に言われている言葉。「悪法もまた法なり」と言うことも。 悪法であっても,法である以上は従わなければいけない。という哲学的な意味がある。 ソクラテスの時代のギリシャでは,死刑囚てあったとしても賄賂さえ渡せば簡単に脱獄できた。実際にプラトンらも逃亡を進言したが,ソクラテスは敢えて死を選んだ。 一般にはソクラテスが言ったとされているが,ソクラテスの言行を記録したとされる文献には直接の記載がないようだ。 ちなみに『クリトン』中では,「アテナの法に不満があるならいつでも国外へ出ていって構わないと,アテナの法自体が認めていた」にもかかわらず,あえて国内に留まり 続けたのだから,それはつまり「法が自分に都合の良い時だけはそれを享受し,都合が悪くなったら無視する」ということであり,それは不正義かつ不名誉なこととして, ソクラテスは無実の罪による判決を受け入れた旨の記述がある。 |
9.過去を忘れよ内閣総理大臣を務め,明治15年10月に東京専門学校(現早稲田大学)を創立した大隈重は下記のような内容の言葉を残している。1.怒るな
大隈重信は,肥前国(後の佐賀県と対馬市と壱岐市を除く長崎県)出身の武士・政治家・教育者。主に明治維新後の活躍で知られる人物であり,
『伊藤博文』や『井上馨』といった若手官僚や『木戸孝允』などと共に近代国家の早期建設を推進し,第8・17代内閣総理大臣を務めた。
その他,参議兼大蔵卿,外務大臣,農商務大臣,内務大臣,貴族院議員などを歴任。早稲田大学の創設者でもある。 |
10.初心忘るべからず現代では「修行や学業仕事など,物事を始める時に立てた目標や志,その時の思いの様を忘れてはいけない」という意味にとられているが,そもそもの意味はまったく違う。ここにある「初心」を「初志」と同じ意味と捉えたこれは間違った解釈である。 「初心忘れるべからず」にある「初心」とは「初心者」の「初心」とまったく同じである。 つまり,まだ物事を始めたばかりで未熟で慣れない状態のことを指す。 この格言の意味は「物事を始めた頃の未熟で失敗ばかりであった時の記憶…その時に味わった屈辱や悔しさ,そこを切りぬけるために要した様々な努力など,を忘れてはならない」という意味である。 これはある程度その道を辿ったものが自らの中弛み,慣れによって生まれる慢心を戒めるために使うのが正しい。 そもそもこれは世阿弥の晩年の著書「花鏡」にある言葉である。 彼はいう。 是非とも初心忘るべからず 時々の初心忘るべからず 老後の初心忘るべからず 修行を始めた頃の初心を忘れてはならない。 修行の各段階ごとに,各々の時期の初心を忘れてはならない。 老境に入った時もその老境の初心を忘れてはならない。 |