 | 最初に。今更ながらであるが…莫高窟は敦煌郊外25km
にある石窟遺跡で,洛陽の竜門石窟,大同の雲崗石窟と
合わせ中国の三大石窟と呼ばれている。
莫高窟で真っ先にあげなければいけないのは,やはり
17窟。もともとは16窟を作った洪和尚を祭る御影堂
と言われている。写真の像はその洪和尚。
1900年に王道士がタバコの吸い殻を第16窟のひび
割れ目に差し込んだら煙が入って行くので叩いて見たら
部屋(17窟)が現れたのが,敦煌文書発見の端緒。
17窟から発見された数万点の古文献は,敦煌文書と
いわれている。
大谷探検隊の橘瑞超により日本にも持ち込まれた。
写真は16窟から17窟を撮っている。
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第130窟の南大像に対して北大像と呼ばれている弥勒大仏(高さ34.5m,幅12.5m)。
我々が見学したときは保護のため,上部の扉は開放されておらず,この写真のようにお顔を
ハッキリ拝むことは出来なかった。
日本から用意していったLEDの懐中電灯も34.5mの前では…
荷物になるから,サーチライトを持って行くのは止めたんだ!
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 | 南壁樹下説法図
阿弥陀仏右側(向かって左側)の観音菩薩は,優雅なお姿を
しており,冠や瓔珞は盛り上がって見える技法で描かれてい
る。下の写真は観音菩薩菩薩のアップ。
向かって右側は勢至菩薩。
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この57窟は美人窟とも言われている。
この観音菩薩は顔料も剥落しておらず,当時(初唐)の様子がよく分かる。
化仏冠を戴き,体中に飾られた胸飾り・腕釧・臂釧などの装身具は,きらびやかで華麗である。
やや伏し目のまなざし,腰を軽く曲げた姿勢は,東方美にあふれるしとやかさとあでやかさを
示している。
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第158窟。窟全体が,お棺の形をしている。
正面に釈迦涅槃像( 長さ15.1m,頭部3.5m)が安置され,見る
位置によって,顔の表情が違って見える。
南壁は弟子達の慟哭する姿,北壁には少数民族の人達が悲しみ
の余り,我が身を傷つける様子が,描かれている。(下の写真)
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莫高窟といえば…平山郁夫
第220窟の感動(文化出版局『銀花』127号)という氏の一文から…
今,眼前にある釈迦三尊像の阿弥陀仏と,観音,勢至菩薩は,法隆寺金堂壁画の六号壁や三号,
四号壁と色彩,描線,形体,様式も類似している。これまで仏教伝来の跡を三十数年間追い続け
法隆寺壁画の源流を探し求めていたのである。
ここに見た!思いで感動した。指先の表現や,衣紋,瓔珞の色形は,法隆寺壁画より小振りである
が,原型は同類である。
この220窟は貞観16年(642年)寄進した銘文がある。私は壁画のスケッチをしながら,法隆寺壁
画との関係を想像した。日本から遣唐使節が長安の都を訪ねた時,きっと法隆寺金堂壁画の課題
をもって,画工も使節に加わったことであろう。長安の工房で,それぞれ下図を研究したものが,西
の敦煌へ,東の奈良へと分かれたのだろうと。年代的にも記録上,最も接近しているし,造形の原
理が一致していると思った。
私は興奮しながら,震える手で懸命に壁画と対話しながらスケッチした思い出がある。
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 | 第322窟。初唐様式の典型的な窟。
保存状態が良く,写実的な人物描写が確認できる,少数民族の
影響が強い窟。
写真は薬師仏の向かって右側の脇侍菩薩は辮髪を絡衣にかけ,
裙を穿いている。外側に立つ天王像は口ひげをはやしている。
これらの像は他の窟の像と異なり,写実的である。
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