高宗皇帝の百回忌の命日に冥福を祈るために建てられた,薦福寺の境内に立つ塔で,正式名称は,薦福寺小雁塔。
薦福寺はすでにたてられていた献福寺を,武則天が亡夫,高祖のために690年に改修して,『薦福寺』とした。
慈恩寺の大雁塔より小さいので小雁塔と命名された。
小雁塔は,大雁塔と同じように,高僧がインドなどから持ち帰った仏教の経典を納めるための塔で,また薦福寺は,翻訳作業を行った場所である。
ここで仏教の経典を翻訳した義浄は,大雁塔の玄奘と比べると知名度が低いためか,観光客は少なく静かで市民の憩いの場となっているらしい。
また,伽藍が変則的に配置されている。
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西安の朝。昨日のスッキリした青空はない。
中国の大都市はこのようなスモッグに覆われることが多い。
ここもそのうち北京と同じようにナンバープレートの末尾で車を利用でき
る日にちを指定されるようになるかも…
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ホテル(グランドニューワールドホテル西安)の9Fからバス停を見る。
日本では考えられないような状態の路線バスが走っている。
外装とエンジンは別だ!?スモッグが発生するわけだ…
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高さは,現状で13層43mであるが,当初は15層88mあったとされる。
地震などによって崩壊し,現在の姿になっている。
大雁塔が偉丈夫なのに比べて小雁塔は”女性的”といわれる。
小雁塔は,軒と軒の間が狭い密櫓式という構造を持ち,上にいくにしたがっ
て緩やかに弧を描く建築法がそう感じさせるのかな。
大雁塔との違いはもう一つ。見て分かるように各階の4隅は壊れたまま…
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宋代以降,しばしば地震等で被災しており,数次の重修を経て今日の姿と
なっている。
その中でも著名なのは,1555年に記された地震の被害と復旧にまつわる
逸話である。それによれば,地震によって塔が二つに裂けたが,再度の
地震によって元の姿に戻ったという。
「1487年に起こった地震で,塔に反対側が見える程の亀裂が走ったが,
1521年の地震により,ひと晩で塔が復旧した」と塔下層に残る題記に記
されている。
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馬や牛などの家畜を繋ぐ石柱。さまざまな彫刻が施されていて面白い。篤志家が近代化により散佚するのを嘆き,収集したとか…
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願掛けはどこでも同じ!人間は弱い生き物なのだ。考えることを
しなきゃ,ただの「葦」だもんね…
日本の絵馬と違っているのは,形と紙で出来ていることぐらいか…
印刷されていたのは下の二種類
雁 塔 晨 鐘 (日本の漢字にしてあります)
鳴 鐘 祈 福 (同上)
鐘がこの奥にあり,衝くことが出来る(有料)
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境内のいたるところで太極拳など個人・グループで楽しんで(鍛えて?)
いた。
左に写っている碑は寄進者名簿。日本の寺社では,木札に墨書するのが
一般的だが,中国(ここだけ?)では石碑!!
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あるものは何でも利用する。合理的といえば聞こえは良いが…
そういえば広東料理では「飛ぶものは飛行機以外,足のあるものは机
以外,すべてが食材になる」って聞いたことがある。
この,腹筋をしている人に棒を持たせてもらった。結構重い。
この人も,上に写っている人も棒を回転させながら放っていた。腕力の
鍛錬?これを見て,日本へ帰ったら…と思ったんだけれどね…
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