興慶宮公園
遣唐使,阿倍仲麻呂の記念碑がある。唐代の3大宮殿のひとつである興慶宮跡地に造られた公園。興慶宮は北京の故宮の倍の広さがあったらしい。玄宗皇帝が国務を
処理した場所。また,玄宗と楊貴妃は長年ここで享楽にふけり,李白を呼んで歌を詠ませ,梨園長の李亀年に芝居をさせたという。
西安と奈良が姉妹都市となった5年後の1978年7月,園内で阿倍仲麻呂記念碑の除幕式が盛大に行なわれ,日中友好の象徴となった。
公園の中には,二人が遊んだ沈香帝や,宴会が開かれた花萼相輝楼などが復元されているらしいが,時間がなく(もともと,ここの見学は予定になかった。最少催行人数
2名のメリット。N旅行社に感謝)パス。まじめに阿倍仲麻呂の関連施設を見学した。ここは観光地というよりは西安市民の貴重な緑地で憩いの場所。
陽 陵(漢陽陵地下遺跡博物館)
咸陽には前漢帝の陵墓が9つあり,漢陽陵はそのうちの一つで,第四代景帝の陵墓である。
陵墓の近くにある陪葬坑から多数の兵士俑や侍女俑が発掘された。発掘された坑はガラスで覆われ,地下遺跡博物館として公開されている。
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仲麻呂記念碑。緊張した面持ちで碑の横に立ち,記念写真を撮っている。日本人?
雰囲気から国語か歴史の教員ではないかと推察…
10月6日(水)という日にちからすると,それはないか…
塔の上の部分には桜の花,台座の部分には遣唐船が彫られていた。
仲麻呂の望郷の和歌「天の原ふりさけみれば春日なる/三笠の山に出てし月かも」
の漢訳が刻まれている。
翹 首 望 東 天
神 馳 奈 良 邊
三 笠 山 頂 上
思 又 皎 月 圓
717年,多治比県守が率いる第9次遣唐使に同行して唐の都・長安に留学する。
同期の留学生には吉備真備,眩坊,井真成等がいる。
科挙試験に合格し唐の役人となった。
(関連)2004年,井真成の墓誌が西安市内から発見され,話題となった。
哭晁卿衡(李白) この詩も碑に彫られていた。説明は右下に
日 本 晁 卿 辞 帝 都 征 帆 一 片 遶 蓬 壺
明 月 不 帰 沈 碧 海 白 雲 愁 色 満 蒼 梧
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仲麻呂の書斎と説明されたが…
仲麻呂は唐の朝廷で主に文学畑の役職を務めたことから李白・王維・儲光羲ら数多く
の唐詩人と親交していたらしく,『全唐詩』には彼に関する作品が現存している。
753年,第12次遣唐使が帰国するとき秘書監・衛尉卿を授けられた上で帰国する。
この時王維は「秘書晁監の日本国へ還るを送る」の別離の詩を詠んでいる。
しかし,仲麻呂の乗船した第1船は暴風雨に遭って南方へ流される。このとき李白は
彼が落命したという誤報を伝え聞き,七言絶句「哭晁卿衡」を詠んで(左上に記載)
仲麻呂を悼んだ。実際には仲麻呂は死んでおらず755年には長安に帰着している。
仲麻呂は帰国を断念して唐で再び官途に就き,最後は州大都督(従二品)を贈られて
いる。結局,帰国は叶わず,770年1月に73歳の生涯を閉じた。
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陽 陵
咸陽市の北原に,前漢の皇帝の陵墓が一直線に並んでいる。前漢王朝皇帝は11人だ
が,そのうち,文帝劉垣の覇陵と,宣帝劉諭の杜陵を除く9つの陵墓は,渭水北岸の北
原に東西50kmにわたって並んでいる。
西から武帝の茂陵,昭帝の平陵,成帝の延陵,平帝の康陵,元帝の渭陵,哀帝の義陵
恵帝の安陵,高祖(劉邦)の長陵,景帝の陽陵の順である。このうち,長,安,陽,平,
茂を五陵と呼び,漢代には陵邑(陵を守るための村)を設けていた。
左にある4頭立ての馬車は,記念写真用。もちろん,有料。係りが昼食中でいないのを
いいことに,チャッカリ無料で記念写真を撮っているグループも…
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漢陽陵地下遺跡博物館の入り口までの通路に,上に挙げた9人の皇帝の略歴が書かれ
ていた。
空港道路建設の際に発見され,1990年5月から発掘の作業が開始され1999年9月に
一般開放された。漢陽陵南部の8番目の陪葬坑の文物保護実験工事や,皇帝陵墓南部
決闕門の遺跡,各種陪葬穴から出土した文物約1500点、漢陽陵東南側の陪葬坑の発掘
現場などを見学できる。
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我々が見学したのは,この陽陵の模型でいえば,左下の坑の部分。
今のところ,帝陵の中までは発掘されていないが,従葬坑の発掘はかなり進められて
おり,14の坑が発掘され,大規模な武士裸体俑,糧食倉庫,牛豚鳥犬などの陶質動
物,鉄銅質生活用品などの随葬品が出土されている。
博物館の展示は,出土したままの状態の遺跡の上に厚いガラスを敷き,観光客がの上
の空間を通りながら遺跡の見学を十分楽しめるように設計されていた。
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入館すると,ビニール?多分ポリエチレン製…の袋を渡され,靴をすっぽり覆うように
指示された。上の写真のいすはそのために用意されている。中国もようやく?観光客に
気配りが出来るようになったんだ!って感激。新しい施設だからだろうなぁ…
漢陽陵博物苑は,景帝の陵墓を中心とする陵園と,そこから出土した副葬品や遺構など
を展示した三つの博物館(地下遺址博物館・考古陳列館など)から成る,中国でも最大
面積の博物館だとのことだが,時間の関係で我々が見学したのは地下遺址博物館のみ。
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下の写真は発掘された坑。国慶節で学芸員が休暇中…発掘作業の実際は見ることが出来なかった。秦の始皇帝の兵馬俑に比べると貧弱に見える…
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兵士俑は,上肢と鎧などの装備が木や繊維など有機質で作られてあったので,ほとん
どが腕のない裸体の状態で発掘された。
陶俑の体形は細長く均整がとれている。馬に跨るよう脚を大きく開い た騎馬俑もあっ
た。秦の始皇帝の兵馬俑の兵士俑が実物大・一体々手作りとされているのに対し,こ
この兵士俑は,ひな形を利用して大量生産されており,大きさも5〜60cm程度。
しかも,右の写真のように4つのパーツで構成されている。大きな陶器というのは,
大量生産に向かないからね…
右の写真は本当は載せたくなかったんだけれどね…
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