社会派



清張と社会派
 本来、社会派とは「社会問題を採り上げたものや、組織団体などを相手取ったもの」になります。(実際は違ったニュアンスで使われたりもするので少々ややこしい)
 このジャンルを語る上で避けては通れない偉大な作家がいます。それは松本清張。社会派=松本清張と云うくらいに重要な人物です。
 清張の作品をジャンルと云う観点から見れば、勿論社会派に属しています。しかし或る意味それはとても本格であると思うんです。雰囲気の点から見ると(古典的)本格から程遠いのですが、緻密且つ精巧なトリックは本格と呼ぶのに相応しい。清張は誰よりも社会派であり、且つ本格派でもあったと思います。完全に個人的な意見ですけど…。


社会派隆盛期
日本のミステリィを語る上で重要な人物は
 江戸川乱歩→松本清張→島田荘司
と移り変わっていきます。その中でも兎に角、清張は凄過ぎたんですね。
 「清張は売れる」はやがて「社会派は売れる」と拡大解釈され、世の中は社会派で溢れかえりました。そんな中で森村誠一などが優れた作品を著しています。(尤も森村誠一も本格、サスペンス、何でもござれって人ですけど)
 しかし徐々に社会派の意識・認識は変わって行きます。このジャンルに於いて、非常に重要な要素は「動機」です。それを局所的に認識し、動機を重視した物は全て社会派と考え、さらには(大げさに云うと)「動機重視=トリック不要」ってな結論にまで達してしまうのです。
 大きなトリックを考えることが非常に大変なのは容易く想像できます。「一生の内に6作品以上傑作を書くことは不可能」と云う有名な言葉がヴァン・ダインから口をついて出るくらいに…。それに比べると「動機」は(何でも良ければ)容易な面があります。いい加減なトリックは読者の頭に血を上らせますが、動機なら「そんなのもあり」と云えなくもないのです。その結果、安易な動機(またそれに付随する形でささやかなトリックが存在したりしますが)で作られた作品が氾濫し始めます。これらの作品も社会派と呼ばれ続けることになったんですね。
 兎に角「本格」と云う言葉は完全なマイナスイメェジに他ならぬ状況だったのです。


社会派衰退期
 やがて何でもかんでも社会派って状況の中から、トラヴェルミステリィが頭一つ先に出る様になって行きます。「トラヴェル」という要素が、動機・社会問題・トリックなど他の要素全てを統括したこのジャンルは、長い間ミステリィの主流となっていきます。映像化に適したいことも大きな要因です。
 そんな流れ故、トラヴェルミステリィは社会派に含まれて扱われることが多々あります。ここまで来ると、最早何が社会派かさっぱり分からなくなってしまいますね。
 その後新本格ムーヴメントの到来が本来の社会派衰退を決定的なものに。その結果、今度は掌を返した様に(広義の)社会派が世の中から姿を消してしまいました。
 現在では、横山秀夫小杉健二真保裕一宮部みゆきなどが社会派の主流と云えるでしょう。(社会派以外の作品も沢山書いていますよ)



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