京極夏彦


<妖怪シリーズ>
文庫版 塗仏の宴 (講談社文庫)
文庫版 百鬼夜行 陰 (講談社文庫)

<多々良先生行状記シリーズ>
今昔続百鬼−雲 (講談社文庫)

<ノンシリーズ>
どすこい。 (集英社文庫)

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文庫版 塗仏の宴 (宴の支度・宴の始末)
ストーリィ
戸人村、戦前にあったその村。果たして本当に存在していたのか。さらには怪しい宗教集団・団体も現れる。彼らの目的は何なのか。いつも以上に腰の重い京極堂だが…。これまでシリーズに関わった人々の多くが登場する、オールスター的な作品。
感想
何故これ程までに長いのか。何故これ程までに人が登場するのか。流石に完全なる収拾を付けられなかった様にも感じます。それでも無限に広がる京極夏彦の世界。文字は集まり文章となり、何らかのストーリィを生み出します。ところが誰よりも多くの文字で形成されている筈の妖怪シリーズは、意外なことにストーリィ性が低いことが多い様です。何故なら無理に「ストーリィ」を整え様としておらず、ただただ「世界」を綴ろうとしているから、なのではないでしょうか。これ程までに広がったとは雖も、一つの作品としての纏まりはしっかり存在しています。登場人物はその世界の中で躍動感を持ち、生きています。あまり好きではない幕引きでしたが、やっぱり凄いと云うのが実感です。「石橋を叩いて渡らない○○、石橋を叩いて落ちる○○、石橋を叩き壊す○○、石橋何ぞ叩きもしないで飛び越える○○」、最高ですね。榎木津ファンが泣いて喜びそうなシーンも多いです。
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文庫版 百鬼夜行 陰
ストーリィ
シリーズの外伝集。

 「小袖の手」:首を絞めた、手。あるのかないのか、分からぬ手に悩まされる。
 「文車妖妃」:幼い頃から病で寝たきりだった姉と、健康的な妹
 「目目蓮」:常に感じる視線。視線。視線…。
 「鬼一口」:鬼、それは一体、何なのか。
 「煙々羅」:煙に魅せられて、そこから離れられない男
 「倩兮女」:笑いを忘れた女教師
 「火間虫入道」:警部補の心の悩みを聞く少年
 「襟立衣」:おじい様の教主としての能力に惹かれた孫
 「毛倡妓」:娼婦の取り締まりに強い姿勢で臨む警官
 「川赤子」:体調が優れぬ一人の作家
感想
外伝としてよりも、一つの妖しげなストーリィとして、とても面白い作品集です。しかし、シリーズの中の1冊として読むと、少々物足りない感じを受けます。あの人も、あの人も、あの人も出てこない。面白くないのではなく、物足りない、のです。これは寧ろ、シリーズ作品とせずに仕上げた方が良かったのではないでしょうか。「文庫妖妃」や「川赤子」くらい露骨でないと、シリーズ作品としては受け入れにくいと思います。
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今昔続百鬼−雲
ストーリィ
妖怪求めて日本全国津々浦々。超マイペースの多々良先生と、それに従う俺・沼上蓮次の旅物語、第1弾。

 「岸崖小僧」:多々良先生と再会した俺たちが、村木老人と富美さんに出会った
 「泥田坊」:遭難した二人がたどり着いた村の門戸は閉ざされていた
 「手の目」:村の男たちは夜な夜などこかへ出掛けているらしい
 「古庫裏婆」:相部屋の宿に泊まった俺たちを襲った悲劇
感想
妖怪シリーズよりも遙かに妖怪的世界が存在しています。多々良先生はとにかく変人で、沼上君(やっぱりクンでしょ)も変。変人同士が仲良く喧嘩して(トムとジェリー?)、旅をしながら妖怪探して事件に巻き込まれ、どたばたどたばた。こんな展開を守りつつ、作品毎に個性を持たせるシリーズのようです。パターン化されている様で、個々の作品がしっかり別の物であるところが京極氏の力です。 
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どすこい。
ストーリィ
関取47人が討ち入りを果たす「四十七人の力士」をはじめとする、パロディ作品。「パラサイト・デブ」、「脂鬼」、「理油(意味不明)」、「ウロボロスの基礎代謝」などが収録されています。
感想
話題になった本作。さてどんな作品か、と思ったら、なんじゃこりゃ…。私にパロディ的センスが欠如しているせいでしょうか。話題になったってことは、世間一般では或る程度受け入れられているってことだと思いますが、どうも受け入れ難い。これまで京極氏に抱いてきたイメージとは180度異なる方向の作品で、或る意味ショックです。が、幅の広さは流石の一言。ここまで書けると云うのは、或る意味凄いです。
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