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陳倉の戦い |
諸葛亮は蜀主劉禅に上奏し、出陣の許可を請うた。
| 呉の勝利は私ら蜀にとっても喜ばしき事。 これで魏の軍勢はは対呉戦線に釘付けであります。 時を失ってはなりません。 魏へ出陣することをお許しください。 兵法にも「敵の疲れたところを突け」といいます。 今進んで勝ちを求めようとせず、益州一州のみを持って魏と持久戦を構えようとしてはなりません。 陛下におかれましては、良臣の言葉に耳を傾け、自身を高めていただきますよう。 |
諸葛亮は呉が勝利したためそれに呼応して遠征軍を発し陳倉城を攻した。
陳倉城の城主は赫昭という武将であったが、諸葛亮は赫昭の知人を見つけ出し
赫昭に対して降伏するように説得させた。
| そのような手で私を説得しようなどとは笑止千万。 近いうちに援軍が来るだろう。 それまでには持ちこたえて見せる!! |
説得が不可能と見た諸葛亮は城に攻撃を仕掛けた。
諸葛亮は雲低、衝車などの近代兵器を用いて、城を激しく攻め立てた。
たが赫昭は火矢を射かけたり石を落としたりして兵器を破壊し、
臨機応変にこれに対抗したため諸葛亮は城を落とせずにいた。
蜀の猛将、魏延は諸葛亮に進言した。
| こんな小さい城などいちいち攻めては いつまでたっても長安にたどりつけません。 私に一万の兵をお渡しください。長安にまっすぐ進撃しましょう。 これは韓信のとった侵攻法であり、 これが最も効果的な攻め方であると思われます。 どうか許可していただきますよう。 そして、あなたとは長安付近で合流しましょう。 |
だが、諸葛亮はこの策は危険だとして採用しなかった。
| 戦争には常に危険が伴うものである。 諸葛亮は臆病だからわしの手腕を発揮できない。 |
魏の曹真は諸葛亮が陳倉方面から侵攻してくるのを予測していた。
また張郤は蜀軍の兵糧が尽きるのを予測していたため、
張郤が大軍を率いて陳倉に到着するころには 蜀軍は退却していた。
魏の王双は騎兵を率いて諸葛亮を追撃したが、諸葛亮はこれを迎え撃ちさんざんに撃破して、王双を討ち取った。