欲しくて欲しくてできた子だった。                                   
何度も生理が遅れる度、妊娠検査薬で検査して、赤い○出なくて、トイレで悔し泣き。
「なんで、生理遅れるのよぉ〜〜。」って、何本、妊娠検査薬、無駄にしたことか、
だから、生理1週間遅れだけでは、妊娠検査薬、買ったりしなかった。
でも、その日は、1週間遅れてただけなんだけど、なんか胸騒ぎがあった。「調べなきゃ。」って、女の直感。
妊娠検査薬1本入りを買って、調べてみた。やっぱり、赤い○出ない。
「なぁんだ、また無駄にしちゃった。」ってゴミ箱にポイッ。でも、ひょっとしてって、ゴミ箱から、また拾って見てみた。そうしたら、薄〜〜〜い赤い○。
慌てて、もう1本、薬局に走って買いに行っちゃった。再検査!今度は、はっきり赤い○!!
そのまま、トイレで泣いちゃった。うれしくて、うれしくて。
次の日、病院へ。「妊娠しています。」 すぐに夫に電話。うれしかったぁ。ほんとにうれしかったぁ。         
それから、すぐに、つわりが始まった。身体の上に小さい人がいっぱい、いっぱい乗っかってる感じ。
身体が重い。起きられない。お腹はすいて、食べるんだけど、食べた途端、気持ち悪くて、口に指を突っ込んで、吐く。食べては、吐くの繰り返し。「お好み焼きつわり」で、お好み焼きばっかり食べてた。
かほの基礎は、お好み焼きで出来てるかもしれないね。(笑)
「妊娠悪阻」になって入院、点滴。退院しても、5ヶ月の終わり頃まで、続いたなぁ。おかげで体重5kg減。
18週目くらいで、やっと治まってきた。食べられるようにもなってきた。
29週目に急に胃が痛くなって、病院へ。待合室で待ってる時に吐いてしまって、そのまま入院。点滴。
1週間くらいで退院できたけど、今度は33週目に風邪ひいちゃって、38℃の熱、またまた入院。
その後、胎盤機能が低下してたり、逆子だったりで、結局、産むまで入院。
逆子で、胃のすぐ横に赤ちゃんの頭があったから、産むまで、ゲーッゲーッ吐いてたなぁ。
逆子、胎盤機能低下のため、帝王切開で、1995年2月3日、女の子出産。命名「佳穂」
でも、産まれたその日の22時頃、呼吸、一時的に止めてしまって、すぐ、呼吸しだしたんだけど、
「新生児室」から同じ病院の上の階の「小児科」に運ばれちゃった。
かほが、新生児室にいないから、その隣の授乳室で、授乳時間になると、赤ちゃんを抱っこして授乳している
他のお母さんの中で、わたしだけ、かほに吸ってもらえなくて、自分で搾ってた。悲しかった。くやしかった。
ほんとにほんとに辛かったぁ〜。
10日たって、わたしだけ退院。それから、毎日、母乳搾乳して、かほの顔を見に、面会時間に通った。
生後15日目、初めて、かほを抱っこした。うれしかったぁ。
その後も黄疸が強かったり、ミルクの飲みが悪かったりで、入院は続いた。
生後38日目、念願の退院。
もう、実家から戻ってきてたので、かほ、パパ、わたしの3人の生活が始まった。
「かほ、おかえり。ここがかほのお家だよ。」
初めての子育て。心配なことをメモしといて、保健婦さんに来てもらって、いろいろ聞いた。
「吐いたあと、すぐにミルクをあげてもいいのか?」「1日にミルクを飲む量は、これくらいでいいのか?」
「鼻がキューキュー鳴るけど、だいじょうぶか?」「「おなかすいた。」と泣くことがあまりないけど、だいじょうぶか?」など。
体温も低めだった。「検温くん」って赤ちゃん用になったもの、わたしも保健婦さんも測り方がいまいちわかってなくて、「おかしいいわね。こんなに低いってことないわよ。」身体をさわって、「暖かいもの。」
なんにもわかってないわたしは、「だいじょうぶなんだ。」と思ってた。
後になってから、あの時、やっぱり「こんなに低いってことないわよ。」ってぐらい体温低かったんだとわかった。                                     
    
退院して7日目の夜、「なんか顔色がさえないかなぁ。」と思った。すごく悪いんじゃなくて、赤ちゃんって赤ら顔なんだけど、大人みたいな顔色。そんな感じだった。その夜は様子を見ることにした。
翌朝、やっぱり顔色がさえない。入院していた病院に電話してみた。
「なんか顔色が悪いみたいなんですけど。」「吐いたりしたんですか?」吐いてはいない。
その日は祝日だった。「今日一日、家で様子をみて、明日の診察時間に来てください。」
でも、やっぱり気になって、近所の小児科に連れて行った。入院していた病院は、家から1時間かかるところにあったから。
近所の小児科で熱を測ったら、33度。何度測っても同じ、33度。
「もうっ!熱はないんでしょっ!診察室に入ってっ!」わたしの測り方が悪いということになってしまった。
病院に着いた時は、顔色もよくなっていた。ずーっと泣かなかったけど、元気に泣き出していた。
「誤嚥しただけでしょう。明日まで、様子をみてもらって、心配なら、かかりつけに連れて行ってください。」
家に戻ると、また、顔色が悪い。
また、入院していた病院に電話した。「そんなに心配なら、連れてきて。」
向かう途中の車の中では、顔色はよくなっていた。
だから、やっぱり、なんでもなくて、「忙しいし、混んでるのに、お母さん心配しすぎっ。」ってなって、すぐに連れて帰るんだと思っていた。

病院に着いて、時間外外来のベットに寝かせた途端、すごいチアノーゼ。全身真っ黒。唇もどす黒い紫。
「お母さん、抱っこしてっ!小児科に上がるよっ!!!」先生が叫んだ。
抱っこして、エレベーターで小児科に上がって、かほは、処置室に入ったまま。
先生や看護婦さんがバタバタしてて、しばらく時間が経った。
その病院では、設備の関係で手に追えず、同じ系列の設備の整った病院に救急車で運ばれた。
そこでも、処置室に入ったまま、何時間も時間が過ぎて、やっと会えた時には、保育器の中にいた。
人相が変わるほど、全身がぱんぱんにむくんで、口には人工呼吸器挿管。手足に点滴。オキシメーター。心電図。
着ていた洋服は脱がされて、おむつだけ。
先生の説明。「ここに着いた時は、呼吸も止まってた。血糖も1になっていた。」
人工呼吸器も1分間に75回動かさないとだめだった。危険な状態。
「死んじゃうかもしれないんですか?」「そうなるかもしれないですね。」
乳児室という、付き添うことが出来ない、24時間体制で、看護婦さんがつきっきりでみてくれる部屋にいた。
泣く泣く置いて帰った。家に戻ると、かほのいない空のベビーベット。かほのにおいがする布団。鼻を押し付けて、クンクン。「かほ、ごめんね。ごめんね。」
毎日毎日、面会に行った。電車3本、バス1本乗り継いで、面会時間ずーっと傍にいた。保育器の丸い窓から手を入れて、ずーっと握ってた。
生まれてから、ずーっと入院してて、やっと家に帰ってきたかと思ったら、また入院。抱っこも出来ない。
たった8日間、一緒に過ごしただけ。わたしのこと、ママだってわからなくならないか心配で、ずーっと握ってた。今でも、手を握ると安心したように落ち着くのは、このためかなぁ。
次の日も次の日も、危険な状態。6日目、人工呼吸器が1分間に60回に減った。一週間目やっと「峠は越えました。今すぐ、死んじゃうってことは乗り越えました。」
その後、日に日に人工呼吸器の回数が減ってきた。1分間に40回。30回。20回。10回。
Mチューブからのミルクの注入も始まった。日に日に、ミルクの1回量もふえてきた。
点滴の量も減ってきた。
13日目、人工呼吸器電源OFF。14日目、抜管。
顔だけ、透明の箱に覆われて、その箱に酸素が流してあった。
15日目、点滴が一箇所になった。
16日目、保育器からベットに移った。目をぱちくりして、機嫌もよかった。