でも、その日の夕方、わたしの目の前で、急にチアノーゼ。サチュレーションが44。90を切ったらなるはずの警音が鳴らなかった。
人工呼吸器、また挿管。でも、電源はOFFで様子をみることに。保育器にも逆戻り。
「痰がつまったか、自分で一時的に呼吸を止めてしまったか、一時的なものでしょう。」とのこと。
気持ち的に、少しづつ、少しづつ、坂道登ってきて、やっと、ここまで登ってきたと思ったら、また、
「エイッ!!」って押されて、転げ落ちちゃった気分。
でも、また、少しづつ、少しづつ、坂道を登るように、回復してきた。抜管され、点滴も取れ、でも、また1〜2週間で「エイッ!」容体が悪くなる。その繰り返し。
回復してきた頃、やっと付き添いが許可された。やっと、ずーっと一緒にいられる。
大部屋での付き添いが始まった。3時間おきに1時間くらいかけて、ミルクを注入する。1日に何度も吐く。
洗濯しても洗濯しても汚す。昼、夜中かまわずに泣き通し。夜も寝ない。同室の人に迷惑にならないように、夜中、病院の廊下を行ったり来たり。眠れない。慣れない付き添いで心底疲れてしまった。
ミルクを注入し終わった途端、また吐いてしまった。借りているイルリゲーターを、乳児室に返してから、着替えさせようと思い、返してきて、戻ってきたら、また、顔色が悪い。
先生を呼んだ。重患部屋に移動。挿管はしなかったけど、酸素テント(ベットをテントみたいなので覆いその中に酸素を流す)になってしまった。
重患部屋での付き添い。ある朝、ミルクを注入しようと、胃にもうミルクが残っていないか、胃の内容物をひいた時、うっかり、注射器を床に落としてしまった。慌てて、ベットの横の洗面台で注射器を洗っていた。ベットの柵を上げ忘れた。動けない子だった。でも、転げ落ちてしまった。一瞬、目を離した隙に、わたしの血の気が、さーーーーーーーーっと引いた。ベットに戻して、ナースコール。
「助けて〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ、かほをベットから落としちゃったぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
先生、看護婦さんが飛んできた。かほ、大泣き。「泣いているからだいじょうぶでしょう。」
血圧などを調べてもらう。担当の先生何人かが、順番に診てくれた。かほ、変わりなく、元気そう。
「だいじょうぶでしょう。24時間様子をみて、だいじょうぶなら、だいじょうぶです。」
長い長い24時間だった。この時のことは、今でも、こうして思い出すと鳥肌が立つ。
かほ、ごめんね。ごめんね。ごめんね。ほんとに、ショックだった。精神的にも肉体的にも限界がきていた。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      
「もう少し、容体が落ち着くまで、乳児室でみてもらえないでしょうか?」自分から、そんなこと言い出してしまった。あんなに付き添えるようになったこと、一緒にいられること、楽しみにしてたのに。
くやしくて、くやしくて、自分に腹が立って、ここには書き尽くせないほど、悲しくて。

「4日間ほど、乳児室でみましょう。お母さん、その間、身体を休めて。」
かほが入院してる間、1日も休まなかった面会を4日間休んだ。
4日間、しっかりと休んだ。なるべく、かほのこと考えないように心がけて、また、かほと一緒にいられるように。「さあ、今日から、またがんばろう。」って病院に戻ってきた。
「かほちゃん、やっぱり落ち着いていないから、また、しばらく乳児室でみます。」
人工呼吸器、また挿管されてた。
でも、徐々に回復してきた。
生後131日目、やっと、副腎皮質ホルモンの分泌がなくて、今までのようなショック状態になることがわかった。
副腎皮質ホルモンは、人間の身体が例えば、風邪をひいたり、けがをしたりなどのストレスを感じた時に、それを治そうと分泌されるホルモンで、かほは、その分泌がないため、ちょっとした身体の変化で、今までのように、呼吸が止まるなどのショック状態になる。
「副腎皮質ホルモン」を朝晩服用することで、容体が落ち着いてきた。
それから、付き添いが許可され、生後186日目。念願の退院となった。
夢にまでみた退院。うれしかった、一緒に帰れる、涙涙の退院。
でも、「退院しても、すぐにここに戻ってくるんだろうなぁ。」と思っていた。
当時、病院から、車で1時間、公共交通機関だと、バス1本、電車3本を乗り継いで行かなくてはいけないところに住んでいたが、退院の兆しがみえてきてから、何かあったら、すぐに飛んで来れるように、病院の近くに引っ越して来ていた。
入院中、容体が落ち着いて、付き添えることになって、抱っこしてあげられるようになって、うれしくて、うれしくて、少しでも泣いたら、抱っこばっかりしてた。昼も夜も抱っこして、廊下ウロウロ。
「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「あらいぐまラスカル」の歌を歌いながら。
看護婦さんに「そんなに抱っこばっかりしてたら、家に帰ったら、えらい目(大変な目)にあうよ。」と言われても、「いいよっ、かほ、かわいいから。」と言っていた。
家に帰ってから、ほんとにえらい目にあってしまった。
抱っこせず、少しでも、マットの上やベットの上に寝かせただけで、すごい勢いで泣く。
洗濯するのも、食事の支度も、掃除も、トイレに入る時でさえ、かほのすごい泣き声に追い立てられる。
「ぎゃあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」の泣き声に追い立てられながらいつも、家の中、走ってた。身体も気持ちも。
昼間、それだけなら、まだ、がんばれた。けど、夜もなかなか眠ってくれなかった。
1〜2時間かけて、抱っこして揺らして、眠らせて、もう完全に眠りについたかなと睫毛を触ってみて、完全に眠ったのを確認して、そぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っとベットに寝かせる。ピクッと起きる。慌てて、抱きつく。胸をとんとんとんとん。眠っていく。そぉ〜っと離れる。これで、やっとわたしも眠れる。
わたしが眠りについた途端、「ぎゃあ〜」また、最初からやり直し。
抱っこしていたら、眠っているので一晩中、わたしは座椅子に座って、抱っこして、眠ったりした。
でも、これは、腰が痛くなって、2晩で×。
わたしは、もう2度と、一晩中、ぐっすり眠れる日なんて、一生来ないんだと思った。
24時間中20時間以上抱っこしてたこともある。
もう、ノイローゼの一歩手前だった。
睡眠導入剤を服用するようになった。薬が効いているのか、眠ってくれる夜があるかと思うと、
また、眠らない夜が続く。その繰り返し。
去年から薬が変わって、その薬が効いているみたい。家では、比較的眠ってる。
入院したり、旅行したりして、環境が変わると、眠れない夜がある。