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猩々「あたらし」 江戸時代 制作年不詳 |
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猩々「ふるばば」
名古屋市緑区鳴海町 江戸時代 制作年不詳 |
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猩々「一銭しゃもじ」 名古屋市緑区鳴海町 作川町内会保存 黒と黄色の縦縞の 綿入れどてら着 裏地 深緑 帯は紺角帯 右は修理後(顔と髪の毛) |
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猩々「ぷーれん」 名古屋市緑区鳴海町 本川町内会保存 黒と薄い赤の縦縞の 綿入れどてら着 裏地 緑 帯は着物と共生地 旧本川町年行司の時代の写真 |
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猩々「じゅうばこ」 名古屋市緑区鳴海町 平部町内会保存 黒と赤の縦縞の綿入れどてら着 裏地 ピンク 帯は赤 三度目の修理後 |
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猩々「キューピー」 名古屋市緑区鳴海町 栄町町内会保存 えんじ色と黄色の縦縞の 綿入れどてら着 キューピーは幾度も 修理をおこなっています 左2007年 中2002年 右1960年代 |
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猩々「からす天狗」 「ニグロ」改 猩々ではないが 見た目インパクトがある。 駕籠は「ニグロ」時代のままで 背負部分に特徴がある 名古屋市緑区鳴海町 相川町内会保存 黒と赤の縦縞の綿入れどてら着 裏地 緑 帯 緑 |
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猩々「あのね」 別名「らっきょ」 低学年の子供がかぶる猩々 髭が特徴 数年前髪を直す かけ声 名古屋市緑区鳴海町 |
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猩々 「サイババ」 「ニセイ」 「ヤマンバ」 名古屋市緑区鳴海町 上汐田町内会保存 一番右側のどてら着物は 平部町から譲受 伊藤勝治氏 制作 |
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猩々 寿老人 (呼称不明) 名古屋市緑区鳴海町 作川町内会保存 |
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猩々「ミートボール」 名古屋市緑区鳴海町 平部町内会保存 黒と赤の縦縞の綿入れどてら着 裏地 ピンク 帯は赤 平部 米初より寄贈 画像右は修理後 |
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猩々「ふうせん」別名「金髪」 名古屋市緑区鳴海町 平部町内会保存 黒と赤の縦縞の綿入れどてら着 裏地 ピンク 帯は赤 伊藤勝治氏 制作 |
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猩々 右写真 「かくべい」 (南区系統) 左写真 「うるし丸」 (豊明前後系統) 衣川建築からの寄贈 諏訪山 諏訪社祭 名古屋市緑区漆山町内会保存 |
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猩々 「茶坊主」(ちゃぼうず) (南区系統) 諏訪山 諏訪社祭 名古屋市緑区鳴海町 四本木町内会保存 (旧御茶屋・坊主山地区) |
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猩々 砦南荘西町内会保存 成海神社(鳴海裏方町) 画像左は先代の猩々 右は改修後の猩々 |
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猩々(画像左) 成海神社(鳴海裏方町) 画像右の左側 平部町のジュウバコと双子猩々 |
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猩々 緑区細根町内会 (画像は大高緑地緑区民まつり) |
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むかしの猩々の姿 | |||||
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昭和30年頃 中嶋町(下組)旧年行司前 「ふるはば」と「あたらし」 相原町 菊屋茂富 蔵 |
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昭和30年頃 平部町年行司前 「じゅうばこ」(改修前) |
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昭和49年 平部 水野 拓 宅前 「じゅうばこ」(改修後) 被り手 小林 國夫 子供 小林 多加志 |
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昭和30年代 栄町「キューピー」 |
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昭和45年ごろ 下中町「ふるばば」 中島橋にて |
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鳴海祭の絵馬 浅間社(浅間堂) 猩々と遊ぶ子供たちと 獅子が描かれている 佐々白凰 描 |
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猩々の関連品 | ||||
通い徳利「猩々」 小林多加志 所有 年代不明 |
猩々発祥の地 看板 平成13年東海道鳴海宿跡の電柱 |
清酒 「浮かれ猩々」 2000年11月 鳴海商工会プロデュース 醸造元 山盛酒造(株) |
猩々の人形 小林多加志 所有 |
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大高町 | |||||
大高 「ええ猩々」 1847年(弘化4年) 2001年(平成13年) 西陣織の衣装を新調 |
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大高町の猩々 | |||||
大高町の猩々 | |||||
大高消防団の猩々 | |||||
有松町 | |||||
緑区有松町 東町の猩々と天狗 昭和10年頃に鳴海の猩々を 真似て作成したそうです。 |
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平成19年(2007)有松イオンの 展示スペースに飾られていた猩々 |
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緑区有松町 中町の猩々と天狗 平成14年(2002)当時の還暦会が、 東町の猩々と天狗をモデルとして、 新たに猩々と天狗を作成して 中町の大人形が復活しました。 |
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緑区外地域の猩々 | |||||
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南区の猩々 戸部神社 七所神社 |
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東海市の猩々 画像右 平成20年(2008) 猩猩サミット in 緑陽 |
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大府市 長草天神社 どぶろく祭りの猩々 |
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猩々山車 猩々人形 岐阜県本巣郡巣南町 美江寺お蚕祭り 平成14年3月3日(日)に見物 |