フォークなひと時

フォークソングと共に過ごした青春(団塊親爺のひとりごと)
 1968年寒い日だったと記憶してます、名古屋市公会堂での「労音定例コンサート」で初めて生のフォークソングを聞きました。フォークの神様『岡林信康』の「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」に衝撃を受け、フォークとの長い付き合いが始まりました。フォークに目覚めた若者(私)は以来、ジローズ(初代)、フォーククルセダース、五つの赤い風船、赤い鳥、三上寛、遠藤賢司、あがた森魚など聞きあさりました。さらに1969年8月の中津川・椛の湖での「第1回全日本フォーク・ジャンボリー」ではフォーク熱が更にヒートアップ。1971年は商業的な色合いが濃くなったとか、暴徒?による舞台封鎖などトラブルが多発などの理由で3年で終焉となってしまった、本当に残念でした。3回すべて参加しましたが69年70年のジャンボリーは青春時代の掛けがえのない思い出になっています。
 その時代の印象が強烈過ぎて、その後に登場する吉田拓郎、井上陽水、オフコース(小田和正)、さだまさしなどは軟弱な楽曲として私には長い間受け入れられない時期が有りました。
 1970年代後半からは企業戦士?として多忙、フォークソングをゆっくり聞く時間もなく、あっという間に数十年が過ぎました。ゴール(定年)が間近になり再びフォークソングと向き合う時間(終業後のスナックでのカラオケ?)も出来、岡林も赤い鳥も陽水も千春も中島みゆきも何でも自己満足のまま唄ってました。敬遠していた拓郎・陽水・小田などの楽曲の方がむしろ音楽性が高い事にも気付きました。
 めでたくリタイヤしましたが夜の街をうろつく事もままならず、あの時代のフォークソングを通してみんなでもう一度あの感動が呼び戻せないかとの思いで、志を同じくする仲間にも恵まれフォークソング『歌ごえ広場』のライブを始めました。
記憶が薄らいでいく今日この頃、年代が逆転し・楽曲とシンガーが交錯し、もう一度50年前を整理してみようと、ここに極々私的ではありますが『日本のフォークソングの歩み』を整理してみました。記憶違いはご容赦ください。