03 好敵手《ライバル》
街外れを伝う大河の畔《ほとり》。なだらかな丘陵を縫うように流れる川は、まるで溢
れ出す深い悲しみを代弁するかのように轟々と音を立てていた。
河岸の大岩には一人の少女が膝を抱え、その水の流れを眺めている。透き通るような色
白な肌に、少し大きめの古木褐色《オールドブラウン》の瞳。可愛らしさと美しさが半分
ずつ分け与えられた整った顔立ちに、双子馬尾《ツインテール》の美しい金髪が風に靡く
その姿は、異性を恋に落とすには十分過ぎる美貌といえた。
だが、その表情は物憂げで、晴れない。
それもそのはず。少女はたった今、大好きだった父親と大喧嘩の末、家を飛び出してき
たのだから。
「お父さんのバカ。いつまでも私を子供扱いするんだから」
少女の名はクラリス。先の大戦で功績を挙げた一人、勇者ヨシュアを父に持つ未来の勇
者候補の筆頭である。それは、単純に親の七光りというわけではない。収穫祭に行われる
武道大会の未成年部門《UNDER18》では、若干14歳で優勝を手にするという王国
始まって以来の快挙を成し遂げている。決して身体に恵まれたわけではないが、その華奢
な腕から繰り出される太刀筋は、鞭のようにしなやかで、なにより正確に相手の隙を貫く
ことができた。同期の少年剣士達に比べて、力の使い方が断然に巧いのである。少年達は
生半可に力があるため、その力を制御し一定に保つのは難しく、動きに斑《ムラ》ができ
てしまう。反面、彼女は繊細な力加減を以って、切っ先に一分のズレさえ与えない。一切
のバランスを崩さずに戦えるということは、攻守において最も重要なことであり、既に決
闘の極意を会得している少女が、勇者候補の筆頭と呼ばれるのになんら不思議はない。
しかし、天賦《てんぷ》の才は、必ずしも誰もが認め、誉め称えるものではない。実際、
ライバルにあたる武官の子女らは、それを妬んで、未だ戦地に赴いたことのないクラリス
を偽勇者《ブレイブフェイク》と罵ったり、陰口を叩いていたりする。
だからこそ、少女は自立した力を示したかったのだろう。
「大体、救護班の護衛なんて、大した危険もないのに」
実際、彼女の選択は慎重そのものだった。
彼女が選び取った依頼は、武勲を上げられる討伐や鎮圧といった華やかな依頼ではなく、
『先に冒険者が発見した魔法石の鉱脈らしきものを調査するために、この度派遣される調
査団を支える救護班の護衛』であった。
一度は、冒険者が踏み入れた地を、王国自ら調査するために組まれた調査団には、勿論
屈強な傭兵や兵士が同行している。しかし、万が一を考えてそれらをバックアップできる
ように救護班が調査団よりも後方で待機している。その救護班の護衛をして欲しいという
依頼であるから、云わば後衛の護衛ということになる。それは、最悪の事態になったとき
にようやく意味を成す部署であることから、危険は極めて低い安全な依頼と言えるだろう。
そして、少女を一番安心させたのは、調査団長に見知った名前を発見したからだ。
依頼文下には、トルバーズ卿のサインが画かれている。
現王国には数少ない騎士《ナイト》の称号を持つ一人だ。先の大戦にて多くの騎士達が
命を落としたことで、やはり多くの氏族が潰えることになった。そのため、王国に現存し
ている騎士の家は貴重な存在であると共に、大戦を生き残った勇猛な騎士であることから、
王国の市民に勇気を与える存在でもある。
「どうした? やけに御機嫌斜めじゃないか」
突然聞こえてきた声に、クラリスはハッとなって辺りを見回した。
「普段の能天気なまでの笑みはどうしたんだ、クラリス?」
「リーゼ?! いつからそこに?」
声を追って視線を彷徨《さまよ》わせると、河畔《かはん》の際に座す大岩の陰から、
腰に修練用の剣を佩《は》いた少女が現れていた。
少女は水氷色《アイスブルー》の瞳を不敵に細めながら、腰に差した剣を一閃のもとに
薙ぎ払った。腰まで届こうかという銀糸の混じった明茶色《ライトブラウン》の髪が、勢
いに乗って虚空に舞う。水面《みなも》の弾いた陽光を浴びた髪は、まるで彼女が持つ意
思の強さを物語っているかのように凛とした輝きを増していた。
「貴様が来る前から、私は日課の修練をしていた。その程度の気配も探ることが出来ない
とは、天才と煽《おだて》てられ天狗になったか?」
「え?! ち、違ッ! 私、そんなんじゃ──!!」
「問答無用! その腐った性根、叩き直してくれるッ!」
慌てて訂正しようとするも、クラリスを罵った少女は、言葉を発する暇さえ与えない速
度で、一太刀の間合いに飛び込んできた。
「破《ハ》ァッ!」
気合一閃。刃のない修練剣とはいえ、逡巡《しゅんじゅん》なく振るわれた切っ先は鋭
い。無防備に一撃を受ければ、少女の細腕など難なくへし折られてしまうだろう。
しかし、不意打ちとはいえ、仮にも勇者の娘。クラリスは左手を軸に反転し、その場を
飛び退《すさ》る。空間を切り裂かれ行き場を失った空気が、轟と押し寄せてくるが、そ
んな咄嗟に目を覆いたくなるような風圧すらも、彼女は距離を離す手段に利用しただけだ。
既に体勢は持ち直し、いつでも抜ける構えだ。
「ふっ。相変わらず、恐ろしいほど正確な体捌きだ」
「リーゼもさらに剣速を上げたのね。もう一瞬躊躇《ためら》っていたら、躱せなかった
」
各々にお互いの技量を讃え、空気が張り詰める次の瞬間こそ決着の合図──かに思えた
が、二人はどちらともなく緊張を解き、同時に破顔していた。
そう、こんなギリギリの鍔迫り合いも、お互いの強さを知っているからこそできる戦い
だった。それは、陰口を叩いたり罵ったりする武官の子らとは訳が違う。クラリスが依頼
を決める最後の後押しとなったのが、親友であり好敵手《ライバル》でもある、リーゼ・
トルバーズの存在だったのだ。
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