2002年バカ親日記 

(主な登場人物)お父さん=ボク、長男ヒデフミ10歳、次男アツフミ7歳

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2002.12.30
 なぜか毎回最終日の夜にもやってる「冬休みの生活」だが、今年はなんとかお正月前には終えられたようだ。わからないところがあれば、ボクや妻に聞きに来るのだが、この「〜の生活」ってやつ、どうも出来がよくない。答えようのない問題や無意味なページがある。真剣にやればすぐ終わってしまう量だし、なくしてしまってもいいような気がするね。

 学童のヤットコサッカー大会は毎年観に行っていて、特に今年はアツフミが初参加なので是非観たいと思っていたのだが、残念ながらグラウンドコンディションの関係で順延になってしまい、出勤日と重なったために行けなくなってしまったのだった。息子たちの報告は聞いたけど、どこまで本当かはわからないのだった。

 サンタクロースのプレゼントは二人とも希望通りだったようだ。ヒデフミはLEGOブロックスターウォーズの母船のやつ。パーツの数が半端ではないので長期的に取り組んでいるようだ。アツフミはラジコンのベイブレード。嬉しそうだったが、おばあちゃんサンタに買ってもらったゲームキューブのソフトの方が面白いのであまり遊んでいないようだ。そうそう、クリスマスイブといえば、インターネットにサンタ追跡レーダーのサイトがあって、イブの夜寝る前にチェックしたらサンタはニュージーランドにいた。「あと2時間くらいで日本に来るぞ」とボクが言ったら、アツフミはお母さんに「あと2時間で来るんだって!早く寝なきゃ〜オヤスミ〜」と言って布団に入ったのだった。

2002.12.24
 時が経つのが速過ぎるー。もう子供たちは冬休みになっているのだ。通知表も二人とも一学期より頑張った甲斐があって良くなってたようだし、クリスマス、正月ともう毎日お祭り気分なのだった。

 先週の日曜日に、おかざき世界子ども美術博物館に初めて行ってきた。ピーターラビット展をやっているのだ。ウチにかわいいウサギを飼っているからだんだんウサギが好きになってきて、特にピーターラビットの絵はリアルな中にウサギらしい表情や仕草が出ていて、ぜひ原画を見たいと思ったのだった。親はそうでも、息子たちはそんなに行きたがらないと思っていた。はじめ話をしたとき、ヒデフミはカートゥーンのロジャーラビットと間違えて喜んだので、違うと言ったらがっかりしてたくらいだし。でも行ってみたら展示もけっこう見てたしブロックで遊べるところでは何十分も熱中してたし、遊具のある広場ではキリのないほど走りまわっていたのだった。夕焼けも見れたし、良いところだったよ。
 
 朝食にヨーグルトを食べながらヒデフミが「こんなとき兄弟がいて良かったなあ」と言ってたのでなんでかなと思ってたら、食べ終わったカップ容器を洗っていた。工作で天秤を作るの使うらしい。なるほど天秤には2個いるもんね。

 家族でケーキ作りをした。正直言ってボクは手伝う気がなかったのだが、卵をかき混ぜて、とか、チョコの湯煎をやって、とか、焼けたケーキを取り出して、とか妻に次々と言いつけられて、けっこう忙しかったのだった。息子たちもいろいろやらされていたが楽しんでやっていたようだ。出来上がりは大成功で喜んで食べていたし。でもやはりまたやろうねとは言わなかったのだった。

 肩車が消えつつあるそうだ。職場で取ってる某経済新聞に載っていた。ベビーカーが普及してきたとかいろいろ考えられるそうだ。やろうとしてもできない父親もいるそうで、小学校1年になっても時々肩車しているウチはどうやら珍しい存在になっているらしい。まあ、子供が肩車を喜んだり、安心して乗っていられるには、父親への信頼感がないといけないとか書いてあったので、少し嬉しくなったのだった。

 今年(というか近年)は子供を持つ身には悲しいニュースが多いのだが、また一つ。親に叱られた子供が家を飛び出して歩いているうちに交通事故で亡くなったそうだ。ウチではアツフミが以前よく叱られると玄関から出ていったことがあったのを思い出した。アツフミの場合はすぐ近くでうずくまって泣いているところを連れ戻すという感じだったのだが、ニュースのことを話して聞かせて決してそんなことにならないように諭した。アツフミは「小学生になってからは止めたよ」と言っていた。

 さて、今夜はクリスマスイブだ。そういえば今朝アツフミが「もしかしてサンタさんの正体はお父さんだったりして」と言ったのでドキリとしたが、話の前後からはサンタの存在を疑っているわけではないようだ。昨日、先行しておばあさんサンタ(妻のお母さん)が現れて、ヒデフミはTVにつないで遊ぶ射撃ゲーム、アツフミはゲームキューブのソフトをそれぞれ買ってもらっていた。おまけにとうとうDVDデッキを買ったので「少林サッカー」も観れた幸せな息子たち。でも一番喜んだのは「じゃ今日はもう勉強はなし」とお母さんに言われたときだった。

 そうそう、昨日は従妹も遊びに来ていた。二人とも歩くとき手をつないであげたり、紙芝居をしてあげたり、いろいろ楽しませようとしていて偉いのだ。従妹もすごく嬉しそうに息子たちを見ていたので実に微笑ましかったのだった。

2002.12.13
 平日はなかなか息子たちの相手をして遊んでやることもできないので週末はお互い楽しみにしているのだが、先週は出張(?)でまた東京へ行っていたので、まるで週末がなかったようでつまらないのだ。ま、父親がいなくても、子供会の行事に参加したり友達が遊びに来たりで楽しかったようなので、ちょっと寂しいけどよしとするのだ。

 また授業参観に行った。けっこう頻繁にあるものだ。今回は学年によって曜日が違っていたので、月曜日の5年生ヒデフミのほうには妻に行ってもらった。見たかったが仕方がない。で、ボクは水曜日の1年生アツフミのほうへ。今回は「身振りクイズ」がメイン。3人ずつグループを作り、前に出て身振りを披露し、どういう意味かを当てさせるのだ。けっこう笑えたぞ。アツフミもしっかりと「ではみんなでやってみましょう。静かに立ってください」とか言えていた。身振りと言えば、授業の流れには関係ないのでホントはいけないのだが、アツフミがやっていた身振りが最高だった。 「あー緊張して心臓がばっくんばっくんするー」と言いながら、袖から抜いた片手を服の中から前に繰り返し突き出すのだ。これの可笑しさは実際見ないとわからないかもしれないが、抜いたほうの袖には反対の手を突っ込んでて、抜いてるようには見えないのでホントに心臓が飛び出してるように見えるのだった。アツフミのオリジナル芸ではないようだけど(ヒデフミも知ってたから)。そういえば、そんなことをやってるから他のグループの発表を見てなくて手を挙げれないのだった。

2002.12.7
 思い出しつつ書く、東京ツアーの2日目は池袋のサンシャインシティへ。去年の夏、ヒデフミがとても行きたがっていたが行けなかったサンシャイン国際水族館に念願かなって入れる。もっとも当時の目玉展示のミツメトカゲ(だったっけ?)はもういないので、わざわざ行くほどのことはないとボクは思ったのだが、それは大人の考えだ。サンタクロースの格好をした人が水槽に入ってエイにエサをやるのや、シーラカンス(もちろん死んでるの)も見れたし、目いっぱい楽しんでいた息子たちなのだった。
 
 昼食は、なぜか妻がチェックしてたナンジャタウンの餃子横丁。6種類(4軒)をテイクアウトで買って、立って食べたが、さすが名店揃いで美味しい。息子たちもたくさん食べてくれたので、入場料を払って入った甲斐があったのだった。

 こうして終わった息子たちの東京デビュー(?)だが、疲れが取れるにしたがって、行けなかったところや見れなかったものがたくさんあるのが残念らしく、また行こうねと約束させられたのだった。

 ヒデフミは図工が好きで得意だが、家庭科も同じらしく、フェルトで作ったペンケースやハサミケースを見せてもらうと良くできているので驚きなのだ。雪だるまを作ってアイロンで貼り付けたりしてデザインも工夫している。ボタン付けも覚えてくれると楽だなあと思ったりもしたのだった。

 そしてまた週末。とうとう金曜夜ヒデフミが熱を出してしまったが、明け方触ってみたら下がっているようだ。

2002.12.5
 週末に強行スケジュールで東京ディズニーランド+αの家族お出かけに行ってきたのだった。朝やってるTV番組で、いろんな楽しみ方が紹介されていて、ヒデフミもアツフミもすごく行きたくなっていたからね。行程は、金曜夜に夜行バスで出発。土曜朝、開園次第入園し、閉園時間まで遊ぶ。都内のホテルで泊まって、日曜は新幹線で帰る、というもの。いやあ、さすがに疲れるけど、やってみたらこれなら毎週行けるじゃんって感じ。ウソウソ、お金が持ちませんわね。息子たちが楽しんでいたので、ま、年に1回くらいならいいかな。

 夜行バスに乗るのは息子たちは初めてだったが、ちゃんと眠れたようだったのでヤレヤレ。帰りも夜行バスって手もあるから次回は使えるかもしれない。とにかく今回は電車・バスの旅で、迷子にならないように、切符をなくさないように、時間が決まってるものには乗り遅れないようにと、手をつないで引きずりまわしていたのだった。ボクの早足に合わせたので、息子たちの足は棒のようになったことだろう。しっかり歩けたので感心感心。アツフミが肩車をせがんだのはほんの少しだったので助かったのだった。ほんとに成長したものだ。通った自動改札機の数なんと18箇所。切符といえば、我が家では必ず改札を通るとき以外はボクが回収してまとめて持っていることにしている。他のメンバーがすぐ切符をなくしてしまう人達だからだが、これを18回もやるとさすがに面倒なのだった。そうそう、何箇所かの入場券も同じようにボクが持つのでそれも面倒だったなあ。そろそろ息子たちには自分で持つようにさせるべきかもしれない。さらに、券売機での購入も出来るようにしておいたほうがイイよなあ。

 ヒデフミはTVで見たのを覚えていたり、ガイドブックを読みこんだりして、けっこう園内の見たいところを主張できていた。すごい人出だったが、クリスマスのショーも昼のパレードもエレクトリカルパレードも割と良い場所で見れたし、人気アトラクションも体験したいのはほとんどできたので良しとしよう。あ、花火はちょうどビッグサンダ−マウンテンの中で並んでたので、すぐ上で上がってたけど見られなかったのが残念だった。なんせ1日で全部回ろうというのだから無理はある。食事は夕方座って食べた以外はジャンクフード。驚きはアツフミがポップコーンをすごくたくさん食べたこと。大きな入れ物入りが空になったのでお代わりしたのだが、それも空になってしまったのだった。アツフミは少食だが、考えてみるとカレーにはコーンのトッピングだし、コーンスープは残さず飲むし(ヒデフミのを飲んだりも)、焼き(茹で)トウモロコシも好きなのだ。コーンが主食の民族なのだった。

 それにしても風邪をひかなくなったものだ。以前はちょっと無理をするとすぐ熱を出したりもしたのだけどね。翌日もけっこう引きずりまわしたけど無事帰宅できたのだった。 

2002.11.27
 ヒデフミが朝宿題を慌ててやってることが続いたので、前日にやるように厳しく言った。言われてすぐちゃんとやっていたので安心していたら、次の朝、時間割を合わせてたとき「やられた〜これ(算数プリント)裏がある」と叫んだのだ。慌てて裏面をやり始めたヒデフミだった。

2002.11.26
 ヒデフミが育てていたバケツ栽培の稲が見事に実って稲穂を垂れていたのだが、稲刈りを先送りしているうちにスズメに食べられてしまったのだった。ずいぶん前からヒデフミにはそろそろ刈ろうよと言われていたので申し訳無いのだ。ま、スズメには喜ばれたってことで。

2002.11.25
 土曜夜、一泊二日の出張から帰ると二人が順番に飛びついてきてくれる。「お懐かしや〜」などと言いながら。スマン。今回はお土産は買わなかったのだった。
 
 日曜、「ハリーポッター2」を観に行った。すごい人気が予想されて、ボクは混雑や待つのが嫌いなのでほとぼりが冷めるまで行くつもりはなかったのだが、息子たちがものすごく行きたそうにしてるので連れて行ってやることにしたのだ。朝、我家にしては早く支度して、9時半ごろ近郊の大型ショッピングセンターの中のシネコンヘ。ショッピングセンターの開店前なので駐車場にはスムーズに入れたし、10時半開始のチケットをすぐ買えたのでよかった。なーんだ朝早く(そんなに早くもないが)でかけると大丈夫なんだ。映画は面白かった(第1作目より素直に楽しめて見れた)し、途中眠らずに済んだ。ヒデフミは怖いシーンがあったらしく、上着で顔を覆っていたりした。情けな〜。ま、息子たちは話題作を公開三日目に観られて満足だろう。
 
 映画のあと、すぐ下のフロアのレストランで食事。ヒデフミは一人前のビーフシチューオムライスを完食。頼もしくなったものだ。そうそう、ヒデフミはハリーポッターには相変わらず似ているのだが、ラドクリフ君が2作目でずいぶん成長して大人っぽくなってるのに比べるとやはり子供なのだった。アツフミも頑張ってキッズオムライスプレートを食べていた。ま、食べなきゃおもちゃ屋には寄らないからねと脅したからなのだけどね。二人ともクリスマスにサンタさんに頼むおもちゃは決まったそうで、ボクは連絡役として間違えないように欲しいものを覚えさせられたのだった。

 TVで超能力は誰にでもあるとかいって、紙に図形や字を書いたのを丸めてそれに手をかざすと読めるというのをやっていた。さっそく紙にいろいろ書いて実験し始める息子たち。ヒデフミがお母さんに紙を渡して図形を描いてもらっていた。頑張ってたが当然ヒデフミもアツフミもお母さんがどんな図形を描いたのかわからない。そこでボクが貸してごらんといって紙に鉛筆でハートマークを描く。これがずばり正解なので息子たちは大いに驚いていた。ま、39年も生きているといろいろなことがわかるようになるんだよと言ってやった。妻とももう17年くらいの付き合いになるしね。

2002.11.21
 忘れていた話題だったのだが、写真があったので思い出したのだった。アツフミが10月の終わりごろ、初めてインラインのローラースケートをやったのだった。これまではおもちゃといってもいいようなプラスチック製のローラースケートだったのだが、とうとうヒデフミのを借りて滑ってみる気になったらしい。滝の水公園はこういう練習にはもってこいなのだった。

 いつのまにか本当に寒くなって、息子たちも2段ベッドで寝てくれるようになった。ボク(と妻)のベッドに夏からずっと寝ていたのだがさすがに寒くて布団を奪い合うようになると3人寝るのはつらいからね。しかも寝相は最悪ときてるし。寒くなったと言えば居間のガスエアコンは毎日大活躍しているが、なぜかまだ和室のコタツは出してなかったりするのだった。

 ボクは晩酌でサントリーモルツを呑んでるのだが、肉体再生のために途中から発泡酒のDIETに移行することにしている。缶が空くとアツフミが冷蔵庫に走っていって持ってきてくれるのが嬉しい。これまでは「金色のやつ」=モルツ、「銀色のやつ」=DIETで指示していたのだが、早くハリーポッター2作目の映画を見に行きたい息子たちと話してたら、「グリフィンドール」=モルツ、「スリザリン」=DIETと言うことになった。意味はないよね。1作目でハリーたちが入る寮を決めるときの調子で「グリフィンド〜ル」と叫ぶとモルツが出てくる。結構面白くて呑みすぎになるのだった。

 先回散髪に行ったときヒデフミが髪の毛を立ててセットしてもらったのをアツフミが羨ましがっていたので、今回は二人とも立ててくださいと注文した。そしたら店の人もけっこう乗りよくやってくれてベッカムヘアーになった息子たち。ん?写真ではよくわからんか?その後小学校に行ったときアツフミの同級生たちに「あ、ベッカムのお父さんだ」とか言われたので受けてはいたようだ。風呂上りに髪を乾かすときにもできたのでまたリクエストがあればやってやるのだ。

 ヒデフミが足の裏を怪我した。床に広げたままになってたバインダーの金具を踏んだのだ。血を流して泣いていたがこれで片付けの大切さをわかってくれたらよいのだけどね。

 そうそう、この寒いのになぜ息子らは上着を忘れて帰ってくるのだろう。

2002.11.11
 油断してたら日記がまたずいぶんご無沙汰になっちゃって、残念なことにネタも忘却の彼方へ行っちゃったりしてるのだ。

 11月3日は学童の合同運動会があって家族で参加した。アツフミも学童児になって初めての運動会。二人なので出番も多く忙しい。ヤットコ障害競走で、初めてアツフミがヤットコに乗るのを見たが予想以上に上手なのでビックリ。ヒデフミがアンカーで大逆転優勝のカンポックリリレーにも感動した。ヒデフミの高学年リレー、アツフミの縦割りリレーともにチームが一位でゴール。バトンを持ってがんばって走る姿や一位になって喜ぶ姿にまたまた感動したのだった。

 11月4日は森林公園での野外ライブオフ会。息子たちはボール遊びや芝斜面転がりなどでライブなんて聴いちゃいない。ヒデフミには1曲例の歌のとき手伝わせたけど後は児童遊園地に他の子供たちと遊びに行ったりして勝手に遊んでいた。ま、それでいいのだ。

 相変わらず隙だらけのヒデフミは家の鍵をランドセルに入れるのを忘れていたりする。ボクがお迎えに行く日が続いたので鍵がないのに気付いていないのだ。せっかく自宅にたどりついても入れないのでまた学童に戻るのだった。以前はそこで泣いたりしていたのだが、さすがにもうそんな心配はない。アツフミを連れてとにかく歩いてるのだった。

 木・金とボクが出張だった。もう何度も経験してるので大丈夫なのだが、それでも普段の朝のお支度の遅さを思うと心配なのだ。ま、逆にボクがいないときの方が緊張してしっかりやれてるようで、なんとか乗り切ったようなのだった。

 土曜日、ヘブンスそのはらに紅葉を見に行く。ゴンドラ乗り場の辺りは素晴らしい紅葉で、ちょうどいい時期に来たと思ってたら高度を上げるにしたがって紅葉どころではなく雪景色となったので驚き。最上部はマイナス3度ですと。息子たちは雪合戦を楽しめて満足。まだ11月前半だと言うのに今年の冬の寒さを思うと震え上がるのだった。冷えた身体を昼神温泉で温める。アツフミがトイレのドアで指を挟み大泣きしたので大変だったが馬刺しと鹿刺しをお土産にして帰ったのだった。ヒデフミは馬刺しは美味いといって食べたが、鹿は食べなかった。馬鹿にならずに済んだのだった。

 遅くなったので、ボクがうりんこ劇場でフォークチャンポリーの打ち合わせに出てる間ファミレスで時間をつぶしていてもらう。そのチェーンではなんと座席に画面タッチ式のゲーム・AV機器が付いていて、7分程度のカートゥーンが100円、ドラえもんのゲームが1回50円などだ。時間つぶしには大変助かる設備なのだった。でもしっかりものの妻が着いていたので食事をしながらだが1時間半以上もいたにもかかわらず飲食代のほかには400円しかかからなかったのだった。

 日曜日、午後からヘビやトカゲ触るためだけに東山動物園へ行く。もう何度も行ってるが飽きないようだ。30分間触れるのだが、始めは黒山の人だかりだがだんだん空いてくる。ウチの息子二人は最後まで触りまくっていたのだった。

2002.11.1
 昨日は授業参観。妻と二人で息子たちの様子を見に行った。両親が来てるのは珍しいようだ。まずはヒデフミの授業。今回はディベートゲームを班に分かれてやってる。ボクらが子供の頃はディベートなんてやったことはないのだが、こういうのは悪くない。ヒデフミは最初の立論を担当してた。ボクは耳元で「大きな声でバーンとやったら勝てるよ」とアドバイスしたのだが効果は?早口すぎて1分の持ち時間が30秒ほどで終わってた。あ、どっかで聞いたことのあるフレーズ?ともろーさんのハンググライダーの歌だ。さて、一応審判の判定ではヒデフミのチームは勝たせてもらえたようで喜んでいた。2回戦は審判役のヒデフミ。ちゃんとシビアに勝敗を宣言してたぞ。
 アツフミは今回運動場で体育だ。縄跳びから始まっていろいろ見せてもらった。それにしてもアツフミは常に受けを狙ってて、変な顔をしてみたり、わざと行き過ぎて戻ったり、フラフープを回しながら手を合わせてお祈りのポーズをとったりと笑わせてくれたのだった。そうそう、家ではフラフープをやってるところを見たことがなかったのだが、ちゃんと上手に回しているので感心した。二人とも小学校生活を楽しんでいるようで安心したのだった。

 夕方、塾から帰ってきたアツフミが上着を着ていない。訳を尋ねると、アツフミがヒデフミに「これ持ってよ」と投げつけ、ヒデフミが「自分で拾えよ」と言ったのだがアツフミは聞かず、そのまま帰ってきたのだそうだ。ボクは「スグ二人で戻って拾って来い」と命じる。行こうとしたところでヒデフミとアツフミがちょっともめて、アツフミが泣いてしまう。けじめをつけるためにそのまま取りに行かせるが、泣いてるし暗くなってるので妻に一緒に行ってもらう。案の定コンビニにも寄って3人は帰ってきた。また別のいざこざでアツフミは泣いていたがボクは今回はちょっと距離を置いて黙って見ていたのだった。

2002.10.27
 学校でのホームページ作りをきっかけに、また家でもパソコンをちょくちょくいじりだしたヒデフミ。ペイントで絵を描いたりしてるので、そのうち久しぶりに作品を「わや一家作品集」のコーナーにUPしよう。せっかく描いた絵の保存に失敗し、消えてしまうという経験もしたようで、パソコン初心者の王道を行っているヒデフミなのだった。キーボード練習をしたいというので、ちと古いが「特打」をインストールしてやったら面白いらしく続けてやっていた。キーの配置やローマ字を覚えるからいいよね。ただし、指はでたらめでやっている。ま、ボクだってブラインドタッチはできないのだけど。

 土曜日お昼前からヒデフミが学童の高学年合宿で出かけていった。学校の行事で3日間居なかったことはあったけど、休日の昼間に居ないのは初めて(?)なのでなんかボクも妻も気が抜けたようになってしまったのだった。アツフミも寂しいし。お兄ちゃんに渡すんだと言ってメガネを持って今玄関にいる。ヒデフミがここ数日なくして困っていたのをアツフミが見つけたのだ。あ、帰ってきた!(日記中断) ちょうど、アツフミが下駄を履いて家の前に出たところにヒデフミ到着。遠くから「あっちゃーん」と声が聞こえた。上り坂を自転車の立ちこぎで登ってきたヒデフミはなんだか一回り大きくなったようだった。アツフミは早速キャッチボールをしようと言ってるがヒデフミはまずジュースで喉を潤して一休み。高学年合宿は何もかも楽しかったようで何よりだった。

 昨日アツフミが突然フェレットを飼いたいと言い出した。以前TVで見てからずっと欲しかったらしい。まず、フェレットを飼うということのイメージがつかめないことにはいいも悪いもないのでペットショップに行ってみる。値段は12,800円と微妙な設定だ。飼うとなるとケージなども揃えなきゃならないが買えないことはない。店の人に「ウチには今ミニウサギを飼ってるんですけど」と聞いたら、フェレットは肉食なのでウサギが襲われたりストレスを受けたりするとの説明。アツフミは黙って聞いていたが、ウチでは飼えないんだと理解したようでしっかり諦められたようだった。「ウサにも長生きしてもらいたいし」ん?そういえば2軒覗いたが、2軒ともウサギのケージとフェレットのケージは並べてあったぞ。店のウサギは大丈夫なのだろうか。

2002.10.25
 先週の日曜は休日出勤だった。息子たちはお出かけがないのが寂しそう。で、妻がアピタに連れて行ってくれることになった。市バスで行くので大変だが、息子たちは昼食にオムライスをしっかり食べ、ベイブレードを買ってもらってご機嫌だったそうだ。帰宅して嬉しそうにベイブレードを組み立てている息子たちを見て、微笑ましかったのだが、少し寂しくもあったのだった。

 ついにゲームキューブソフトの某SMSSの攻略本を手に入れたヒデフミ達。ウチに遊びにきた友達が、ずいぶん先のステージに進んでるとかシャイン(?)をたくさん集めてるのを羨ましがっていたが、少しは追いつけそうだ。ただし、攻略本を読む時間も1日のゲーム時間に含めることにしたのでゆっくり読んでる暇もなさそうだった。ん?こっそり読んでる?

 アツフミに女の子から手紙がきた。ムフフ、詳しく書きたいのだがアツフミにとめられてしまったので書けないのだ。

2002.10.18
 健康保険から療養費として7900円出るとの連絡があった。内容はヒデフミが対象の家族療養費で7月分とある。え?ヒデフミってそんな病気したか?としばらく考えてたが、そうそう、骨折したんだった。すっかり忘れてたのだった。たぶんヒデフミももう忘れてるに違いない。

 ヒデフミが小学校の授業でホームページ作りをすることになったらしい。デジカメが必要だと言うので、ちと古いがボクのを貸して使い方を教えてやる。滝の水公園の植物の写真を撮って紹介するページのようだ。名前のわからない木があって図鑑で調べながら「たぶんこれだと思うけどホームページに間違ったことを載せてはまずいよね」というので、「?」をつけときゃいいんじゃないの、とアドバイスしておいた。

2002.10.16
 ヒデフミが手紙を読んでくれというので開いて見たら「ごめんなさい」と書いてあった。例によって味のあるイラスト付で笑えたのだが、「何で謝ってるのだ」と聞いたら「漢字テストで悪い点を取った」とのこと。そういえばボクも漢字の「書き」は苦手だったなあ。親らしく、「今回の点については何も言わないけど、同じ字を次も間違えないようにしようね」と言ってやった。それにしても「ペコリ」とは、叱る気にもならないのだった。

 仕事中にふと思いついたナゾナゾ。「子供が使うとスグになくなるが、大人が使うと長持ちするものなーんだ」・・・わかるかな?答えは「消しゴム」なのだ。まったく息子たちの筆箱の中は消しゴムのカケラでいっぱい。ま、ボクにも覚えがあるけどね。ボクも大人になったものだ。今使ってるのは、もう何ヶ月も使ってるし、ずいぶん小さくなってるがまだまだ使えそうなのだった。ちなみに、ヒデフミにナゾナゾだぞと言ってこの問題を出したら即答で正解だった。朝のお支度でアツフミの筆箱をチェックしながらだったからかもしれないが、さすがヒデフミだった。

 毎月1〜2回はアランプーサンに行く息子たち。お決まりのメニューはヒデフミの「あつたまカレー」とアツフミの「焼きソバ」だったのだが、アツフミもとうとう「あつたまカレー」を食べられるようになったのだった。鉄板に卵を敷いてちょっと辛口のカレーライスをあつあつで食べるメニュー。それを平気で食べるアツフミはすごいかも。むしろヒデフミのほうが「かれ〜」とか言ってるのだった。そうそう、相変わらずココイチのカレーをよく食べに行くが、ハーフカレーを完食出来るようになったアツフミ。嬉しいのでココイチ頻度が急上昇なのだった。ヒデフミも量の多い「カレーきしめん」も完食できるし、辛い(甘口の設定がない)「ビーフカレー」も食べられたのでさすがお兄ちゃんなのだった。

 連休の家族旅行は「肉体再生日記」に少し書いてるので重複を避けるが、息子たちと一緒に裸で見た水平線に沈む夕日や、室堂でのトレッキングは忘れられない思い出になった。早起きヒデフミとは朝風呂を一緒に入れたし。ケーブルカーは初めてだったかな?地獄谷という白い煙が上がっている硫黄臭いところには驚いていたが、いい天気だあとか、あれが3000mを超える山だよ、とかはどうでもいいようだったのはまだまだつまらんなあ。面白かったエピソードとしては、定番のアツフミ落し物発見ネタ。立山から高原バス・ケーブルカーで降りたらもう真っ暗で、車を駐めた臨時駐車場までは月明かりが頼り。手をつないで歩いていたらアツフミが「ボク何か踏んだみたい」という。「犬のウンチじゃないだろうな」とボクが言うと「違うよ、柔らかいけどフカフカしてて、そうボクの服みたい」・・・えー!そういえば山の上は寒いからと着せたフリースの薄手の上着をボクのウエストバッグに挟んでおいたのがない。「オイオイそれたぶんホントにアツフミの服だぞ」と言ったら、アツフミは「取って来る」といって駆け出した。暗闇の中に消えたアツフミが再び姿を現し、手にしていたのはまぎれもなくアツフミの服だったのだった。

 小学生になって字を読むのが上達したアツフミはこれまでヒデフミが独占していたコロコロコミックを嬉しそうに読んでいる。けっこう隅からスミまで読んでるもので、読者全員サービスの「ベイブレード」の応募ページを見つけ、欲しいので手紙を出してくれと言われる。朝忙しいときにボクが応募用紙を記入し、切手を貼るところまでチェックされた。これでしばらくは帰宅時には郵便受けをチェックするようになるのだ。

 アツフミは国語だけでなく算数も出来るようになった。回転寿司で自分の前に積まれた100円皿3枚と260円皿1枚を見て、560円だね、と言ったのだ。まだ習ってない計算のはずだけどすごいよね。

2002.10.8
 名東区のうりんこ劇場にコンサートを聴きに行った。もちろん息子たちも一緒だったが、コンサートの間、託児サービスがあるので息子たちはそちらへ。おかげでコンサートは妻とのデート状態になった。終わって、息子たちを迎えに行くと何人もの人から「本当にお世話になりました」と言われる。どうやらヒデフミが他の子供達と遊んでやって面倒見が良かったということらしい。さすがヒデフミ。「お父さんは鼻が高いよ」って言ったら、「そりゃピノキオでしょ」ってツっ込まれた。うりんこ劇場へはヒデフミはもう何度も行っているが、ステージには上がったことがあるくせに客席にずっと座っていたことはないのだった。

2002.10.6
 アツフミが学校に持っていってた昆虫ケースを持ち帰ってきた。なぜかカマキリが2匹に増えている。大きなショウリョウバッタも生きているし。いや、また別のを入れたのかもしれない。コオロギが食べられたあとがある。カマキリどうしの喧嘩も見れて面白いことは面白い。翌朝起きてリビングに入るとコオロギの鳴き声がする。ケースの中をよく探してみるとまだ隠れているコオロギがいた。自作曲『20世紀末コオロギ』を思い出す。あのときのコオロギはオスメス一緒で長生きしたのだがこんどのコオロギは彼女も居ないしカマキリと一緒だしでとっても不幸なのだ。がんばって鳴いていたコオロギはその夜食べられてしまったのだった。
 そういえば、先日残業してたらツクツクボウシが鳴いていた。オイオイもう10月だよ。寝坊して地面から出てきたのかもしれないけど、いくら精一杯鳴いてももうメスは居ないに違いないのだった。

 先週の練習の甲斐有って、子ども会のボーリング大会では低学年でアツフミが4位!、高学年でヒデフミが6位!だったそうだ。特にヒデフミはスペアを三つも取れたそうで、本当に嬉しそうだった。

 土曜日またお友達が遊びに来る。そこで事件発生。妻がカメの水槽を洗っている間、ヒデフミと友達が庭に放して遊んでいたら目を放した隙に大きい方のクサガメのガメラが居なくなったのだ。全員総出で探したのだがみつからず、あきらめていたらしい。ボクはその1時間後に仕事から帰ったのだが、しょうがないので伸びすぎたツタを切ったり雑草を抜いたりしながら探す。狭い庭だし遠くに行くはずもないのだが不思議に見つからない。ボクもあきらめかけたそのときどこからかガメラは現れて無事保護されたのだった。以前、猫にさらわれて、奇跡的に側溝で発見されたとき以来のカメの大冒険だったのだった。

2002.10.3
 アツフミが小学校に昆虫を持っていくのだといって学童で大きなカマキリを捕まえてきた。翌日持って行かそうとしたらエサも一緒に持っていかなくてはダメと言う。庭で茶色いバッタを捕まえて、ケースに入れてみたがカマキリはなぜか見向きもしない。どうするのかと心配していたら今度は学童で緑色のショウリョウバッタを捕まえてきた。早速一緒にしたらカマキリがバッタを食べ始めたので慌てて別のケースへ。翌朝やっと学校に持って行くことができてご機嫌のアツフミだった。バッタはみんなが見守るなかで食べられたのだそうだ。

 月曜のアランプーサンでのライブに例によってヒデフミが出演する。『少年ガングリオン隊の歌』はヒデフミのヴォーカル、ボクのハモリとアレンジが固定してきたのだ。次回のためにレパートリーを増やそうと思ったのだった。

 日曜に、先週のリトルワールドに続いて「家族でお出かけ近郊編」その2として南知多ビーチランドへ行ってきたのだ。催事場ではサメ展を開催中で、なんとホオジロザメほか数体の本物のサメを触ることができたりした。ただし、冷凍されていてカチンコチン。息子たちには「触ってるとだんだん解けてきて噛まれるぞ」と脅しといた。ヒデフミはもちろん「死んでるって」とツっこんできたのだった。イルカとアシカのショーは毎回見てるけど、その度に新しいネタがあってすばらしい。今回はアシカが客席にまで挨拶に来て、ボク達家族の足を踏んだり蹴ったりしていったこととか、イルカが鼻でサッカーボールをトスしたあとオーバーヘッドキックをやってボールが場外ホームランになったこととかが面白かったね。ウミガメやミナミゾウアザラシにエサをやったりも。子供はホントーに動物にエサをやるのが好きなのだ。夏に南紀・串本海中公園でウミガメにやったエサは金魚のエサの巨大化したのだったが、ビーチランドのは魚やイカというのが面白い。遊園地はほとんどお客さんが居ない状態で寂しかったが、ボクらは観覧車に乗って海や建設中の中部国際空港を見たりしたのだった。ハイシーズンを除けば全線片側2車線になった知多半島道路は快適で名古屋からもあっという間に着くのでお薦めスポットなのだけどね。

 土曜はボーリング。翌週に子供会のボーリング大会があるので恥をかかないように練習なのだ。アツフミは好調でスプリットなのにスペア取ったりも。1投目のあと機械がピンを置かずに2投目の状態になったので、ピンの無いレーンにボールを転がしただけでスペアになったりも。ラッキー。ま、溝の横のガードレールを上げてるからガーター無しだけどわりといい得点出てたぞ。ただしボールで指を挟み、痛い思いをしたのでご機嫌で終了とはいかなかったのだった。ヒデフミはずいぶん上手になってきたのだがスペアは1つも取れず、スコアもアツフミと同じくらいだったので落ち込んでいた。ちなみに妻は絶好調で2ゲームとも128点をたたきだした。ボクはいつものように150点程度だったのだった。

2002.9.28
 ヒデフミは昨日社会見学でトヨタの工場に行ってきたらしい。ロボットが車体を作っていく様子に感動したようだった。お土産にもらったプラモを苦労して組み立てて、少し遊んで壊れたら色を塗って飾っていた。

 今日はしとしと雨が降っている。せっかくの土曜日なのに外で遊べないのだけど、たぶん息子たちはゲームキューブをやるのだろう。先週、運動会の後、お友達が遊びに来てゲームのコツというか進んだステージを見せてくれたりして、またちょっとブームになっているのだった。そうそう、このとき遊びにきたのが6人で、なんと3人の5年生はヒデフミの同級生で、その弟妹である1年生3人はアツフミの同級生なのである。6クラスもあるのに4兄弟(妹)が上と下で同じクラス同士になるなんてすごいよね。ま、それはともかく、ボクが子供のときはあまり友達が遊びに来る家ではなかったので、賑やかに遊んでいる息子たちが羨ましかったりしたのだった。

2002.9.26
 朝夕はホント冷え込むようになったね。それがハッキリわかるのがアツフミ。アツフミは暑いときはいつも布団を跳ね飛ばして寝ている。気がついたら布団(タオルケット)を掛けてやるのだがスグまた跳ね飛ばす。でもここんとこ跳ね飛ばさなくなった。あーすっかり秋なのだった。

 放映時間帯やチャンネルはよくわからないのだが、「アクビちゃん」とかいうアニメがある。そう、あの「ハクション大魔王」のアクビ娘が主人公なのだが、アクビちゃんが魔王のことを「おとたまぁ」と呼ぶのがすっかり気にいったヒデフミ。この小学校5年生男子が時々ボクに「ネエネエ、おとたまぁ〜」と甘えてくるのだった。もちろんアツフミも真似するわね。

2002.9.24
 3連休の最終日も家族揃ってのお出かけだ。いつも車だったのだが、今回はボクがビールを飲みたいので電車・バスで。行き先は1日世界旅行ができる「リトルワールド」だ。息子たちも電車は久しぶり〜と喜んでいた。いつのまにかアツフミも小児運賃を払うようになってるのだった。ウチからは、まず名鉄バスに乗り、鳴海駅から急行電車に乗り、神宮前駅で座席指定特急に乗り換え、犬山駅で降りてバスで「リトルワールド」までという行程だ。乗り継ぎがスムーズにいって車でいくのと大差なく着いたぞ。鳴海駅では、売店でガムを買って欲しかったアツフミが、包み紙が付いてないから他のにしなさいと言われ、すぐに決めればいいのにガムにこだわってて、電車が入ってきてからボンタン飴を手にするもんだから、大慌てで飴を売店に戻し、引きずって電車に乗ったのだった。ボンタン飴は帰りの犬山駅売店で買えてご機嫌になっていたアツフミだった。さてリトルワールドには年に2回ペースで行ってたのだが、ここ1年行ってなくてヒデフミは妙に懐かしがる。園内バスが新車になってたほかはあまり変わっていなかった。ボクの目的はビールなのでドイツに直行。息子たちはどこに行っても戦いごっこをしたりして同じように遊ぶのだった。今回は妻がアフリカのンデベレ族とインドの民族衣装を着て写真を撮ったが、息子たちのポーズが決まってて出来上がりが楽しみなのだ。デジカメでなかったのでフィルムが終わるまで当分お預けだけど。ウクライナサーカスは割と前の方の席で見れて面白かったぞ。コミカルな芸が息子たちには受けていたのだった。

2002.9.23
 3連休の中日は家族揃ってのお出かけだ。といっても出たのは昼過ぎ。息子たちは午前中勉強をやってたのだが、集中できなくて途中遊んだりダラダラしたりしてたのでなかなか終わらせてもらえなかったのだった。さて、行ったのは車で2時間半ほどの昼神温泉。ここのリフレッショインひるがみの森という施設で温水プールで泳ぎ、温泉に浸かる。プールには85mのスライダーもあり、監視がいないので身長が足りないアツフミでも滑れたのだった。他の家族の子供たちは頭から滑ったり2・3人が絡まって滑ったりと、他では考えられない遊び方をしていたくらい。アツフミは息継ぎはまだ上手に出来ないものの、熱心に練習していて、かっこよく泳げるようになるのも間近だな。プールでは気の済むまで遊んで、冷えた体を温泉でじんわりと温めたのだった。
 
 先週2回も行ってるのに今週もココイチのカレーに寄る。アツフミは定番のハーフポーク+コーンをきれいに完食。ヒデフミは最近きしめんとかドリアとかの変化球勝負が多かったのだが、今回はハーフビーフカレーに挑戦。何が挑戦かって言うと、ココイチのカレーは普通の辛さでもけっこう辛いのだが、ポークカレーソースには甘口があって、子供たちは必ず今までは甘口にしていたのだが、ビーフカレーソースには甘口がないのである。ヒデフミははじめは楽勝と言ってたのだが、だんだん辛くなってきたようで、しまいには頭から火を吹きながら(そういう仕草をしながら)なんとか完食したのだった。ちなみにボクはいつもと同じビーフの8辛。ヒデフミに、毎年1辛づつ鍛えていけば大学生になる頃にはお父さんと同じになれると話したのだが、妻にはバカなこと言ってんじゃないよと叱られてしまったのだった。

 チャレンジ精神旺盛なヒデフミは、夜、信州土産にとボクが買ってきた馬刺しにも箸をつける。美味しいと言って食べてるのが偉いね。

 さてさて、今日はいい天気だあ。リトルワールドに出かける予定なのだあ。もうすぐ8時。ヒデフミは少し前に起きてたけどアツフミはまだピクリとも動かない。涼しくなってきて子供部屋の2段ベッドで寝るようになったのだが、昨夜はなぜかボクと一緒に寝てたのだった。たぶん今姿の見えない妻は息子に占領されてて仕方なく2段ベッドで寝たんでしょうね。

2002.9.22
21日は運動会だったのだ。今年は二人とも小学生なので1回で済むし、出番も倍になるので忙しいくらいなのだった。2人とも全力走(かけっこ)では目標は1位と豪語していたのだが、実際に走りっぷりはかっこよかったぞ。アツフミは宣言どおりぶっちぎりで1位ゴール。ダイナミックなフォームに感心してしまったくらい。ゴール後も何度もガッツポーズをしているのが微笑ましかったね。ヒデフミも頑張ったのだが惜しくもほんのわずかの差で2位。悔しそうにしていたが、昨年はもっと順位が後だったことからすると、本当によくやったと褒めてやりたい。1000人を超える児童数なので、息子の姿をとらえるのにはいつも大変苦労するのだが、アツフミのスタートは撮りそこねたし、さらに今回痛恨のミスで、ちょうどヒデフミがスタートするときにビデオカメラのバッテリーが切れてしまい、交換にも失敗して走ってるところを撮ることができなかったのだ。スマンヒデフミ。写真はごらんの通り、お母さんがちゃんと写してくれました。

 運動会の前日、残業してから帰宅すると妻が息子の小学校の子が2人交通事故で死んだという。もうビックリ。現場はウチからも近いボクのランニングコースの途中で、校外学習からの帰りに信号の変わり目で車に轢かれたのだそうだ。これは実は誤報(というより、妻と息子たちの勘違い)で、2人の子供は死んだりはしてなく、念のため入院したとのことだったので一安心なのだが、死んでないというのを知ったのが翌朝の朝刊で、一晩中もやもやしていたのだった。息子たちには「絶対に交通事故で死ぬな。お父さんより先に死ぬな」と言い聞かせたのだった。

 先週の続き。浜松の中田島砂丘に友人家族と一緒に行く。ウチの息子たちは海となると必ず波と戯れて、しまいにはびしょ濡れというのはパターンなのだが、今回もやってくれました。写真を撮ったので、漫画風に仕上げてみました。「波に負けるもんか」

 あと、友人が砂丘手前の運動場でサッカーの試合に出てるので応援する。子供たちは持ってきたボールで遊ぶ。友人の息子さん(1歳半)もやる気満々になったよ。これも漫画風に「サッカーやろみゃあ」

 その夜は春野町勝坂の音楽の森コンサート。ヒデフミは『少年ガングリオン隊の歌』で出演。いつも完璧なヒデフミだったが、今回は歌詞を間違えてご愛嬌。初めからやり直しとかしてしまったのだった。コンサートの途中で寝てしまった息子たちだが、打ち上げの会場に移動するとなぜか元気になり、遅くまで起きていたのだった。高橋忠史さんの家に泊めていただけたので良かったのだが、始めはコンサート会場の廃校になった小学校の講堂で寝るつもりで、花子さんが出るのではとビビっていた息子たちだった。

2002.9.18
 週末のたびに息子を連れて外出している。それがキャンプだったりライブだったりなので妻はお留守番が続いていて、父と息子のお出かけばかりになっているのだった。一応妻には申し訳なく思っているのである。この週末は、まず土曜の夕方、浜松の友人宅に遊びに行った。1歳半のお子さんが居て、おもちゃもいっぱいあったのだが、ウチの息子たちときたら1歳児用のおもちゃで大喜びで遊んでいたのだ。翌日は海にも行って、そうそうおもしろい写真も撮ったのだった。じゃ続きはまた後日写真入りで。

2002.9.10
 またまたキャンプに行ってきました。今回は「そろりん夏の名残キャンプ」ではあるけれど、実際には竹内ともろーさん親子との「父と子のキャンプ×2」でした。場所は8月にも行っている「和良川公園オートキャンプ場」で、ウチの息子達はもう自分の庭のようです。アツフミが「このキャンプ場のトイレには入ったことがない」と言ってたのは聞き流しておきましょう。わやNEWSに写真つきで報告しているように、なんと言っても天然記念物のオオサンショウウオを見れて触れてというのが貴重な体験となりました。特にヒデフミは、以前学童のキャンプでオオサンショウウオが見つかったとき、ハイキングに行っていて見られなかったのをずっと悔しがっていたのでやっと晴ればれってとこでした。川遊びもたっぷり出来て、帰りには温泉にも寄れて、前夜に大雨だったことなど忘れてしまいそうないいキャンプでした。

 学童発行の「自転車運転免許証」を、またうっかり洗濯してしまったヒデフミ。先回は完全に真っ白な紙切れになってしまったのでしたが、今回はうっすらと記載事項が読める程度に残っています。写真も印刷ではなく貼り付けだったおかげで残っているのが救いでしたね。イヤイヤ、やっぱまずいでしょう。この「免許証」は、公共の図書館で借り出しカードを作るときに、なんと身分証明書として通用するのです。いやはや、その図書館帰りの日に油断してて洗濯してしまったのでした。

2002.9.7
 小学校の授業のプールもヒデフミは最終回を終え、アツフミもあと1回だ。もうすっかり秋となり、その後は運動会一色となる。また例によってマンモス校ゆえの我が子の数少ない出番をチェックすることになるよね。あ、今年はアツフミも小学生なので出番は倍になってけっこう忙しいかも。去年、全力走で順位が伸びなかったヒデフミはこの夏、陸上部に入って頑張ったのだった。ただし、前半は骨折で全く参加できなかったし、後半何日か参加したからといって劇的に速くなるわけでもないだろう。91メートル(?)のタイムを計ったとか言ってたけど速くなってるのかどうか。本番が楽しみなのだ。

 夏休みが終わって最初の週末。疲れがたまっているのか、アツフミはまだ起きない(8:26現在)。ヒデフミはさっき起きてきたね。夏の間はけっこう余裕もあったのだけど、毎日、小学校へ行って、学童へ行って、帰宅したら夕食や入浴でほとんど遊ぶ時間もない(テレビを見てるからだあ)子供たちは大変だね。週末は週末で毎週お父さんに連れまわされている息子たち。さあ、今日もキャンプに行こう。

2002.9.3
 夏休みが終わって、また朝のお支度のドタバタが始まった。初日から連絡帳を忘れたりしてたので2日目はしっかりやらせるつもりだったのだが、アツフミの名札が新しくなって台布に縫い付けなきゃならなかったり、お道具箱を持たせるのに中をチェックしたらゴミやら干からびたノリやらでぐちゃぐちゃだったりで出るのが遅くなり、分団のリーダーに呼び鈴を鳴らされてしまったのだった。明日からはもっと厳しくやるぞと心に誓った父なのだった。

2002.9.1
 おお、とうとう9月になってしまいました。アツフミの宿題は終わってるようですが、ヒデフミはまだ少し残してるようで、今日が勝負なのです。早起きはしたのですが、とりあえずは日曜朝のアニメや特撮を見ることになってるようです。

 24・25日にもキャンプしてきました。毎年恒例の前の会社の友人たちとのキャンプです。ずっと続けてますが、今回は初めて(?)参加者全員所帯持ちでしたね。そうそう、ウチの妻も参加しました。子供の人数も増えて賑やかです。川遊びができるキャンプ場(和良川公園オートキャンプ場)だったので息子たちは大喜びでした。おそらく今期最後になるソウメン流しも楽しみました。普通、一泊二日だと二日目の午前中は撤収で終わっちゃうのですが、管理人さんがいい人で、OKをもらったので午後2時過ぎまでゆっくり遊ぶことが出来ました。帰りに寄った温泉では、ボディーシャワーやサウナを楽しんでいた息子たちでした。

 夏休みといっても、平日は朝から学童なので生活のリズムはそう変わりません。ま、夏休みボケしなくていいのですが、最後の1週間は子ども会のラジオ体操があったので朝はけっこう大変でした。いつも7時〜7時半に起きる息子たちですがラジオ体操に出るためには6時15分に起きなければならないのです。ヒデフミはいいのですがアツフミがもう全然起きなくて苦労しました。最終日はボクが出張で居なかったりもしてさらに大変だったようですが、なんとか皆勤賞を取れたようです。もっとも、ボクが子供の頃はラジオ体操は夏休みの間中やってたから今は楽だよなあ。あ、これは地域によって違うのでしょうけどね。そういえば、ヒデフミが1年生のときはボクも毎朝つきあって出席してたっけ。
 
 学童のキックベース大会があったのですが、今年は出張のためボクは観戦できませんでした。その代わり、練習試合を観たのですが、ヒデフミは打順を飛ばされたり(自分でわかってないのがイカンのですが)してて、観ててヤキモキしました。そうそう、以前、ケーブルテレビがキックベースの練習を取材にきて、ヒデフミも映ったと言うので、ニュースを楽しみにして観たら、見事にカットされていて怒っていたっけ。アツフミは今年は応援だったようですが来年は選手になると張り切っていました。

 相変わらず怖い話が苦手なヒデフミはテレビでやってた雪女のドラマを見ることができず、ソファーに隠れていました。情けないのですが、ビデオに撮ったのをもう一度観たら(・・・そうまでしても見せようとする母親って)観れないこともなかったようです。アツフミは全然平気で観てましたけどね。

 たった二泊三日の出張なのに、学童に迎えに行ったらヒデフミが「おーお父さん、お懐かしや〜」などと言って抱きついてくるので嬉しくもあり恥ずかしくもあり。

2002.8.21
 毎年恒例の「父と息子キャンプ」、今年は郡上八幡リバーウッドオートキャンプ場です。台風の様子見で、日程・場所ともに直前まで決めていませんでした。月・火の一泊二日で平日なので当日電話でも大丈夫でしたけどね。 
今回のメイン行事はサイクリング。キャンプ場近くのサイクリングターミナルでボクとヒデフミの分を借りて出発。アツフミのは小さいので車に積んでいったのです。そういえば前の車(エスクードノマド)のときは屋根にMTBキャリアをつけてましたが、今のはワンボックスなので上に積むのは辛いし、バックドアも上に跳ね上げ式なので積むのを躊躇しています。ま、借りればいいもんね。息子とのサイクリングはボクの人生の大きな夢の一つなので、嬉しかったなあ。 まだ長距離や峠をこなすのは無理なのでタラタラですがまずは第一歩ということ。キャンプ場すぐそばのコケコッコ村ではいろんな鶏や卵を見たりウサギにエサをやったりできました。
 友人たちと一緒のキャンプでは料理や遊びに頑張っちゃうのですが、息子と3人だけのときはのんびりやります。タープとテントを張ったり、テーブルや椅子をセットするのも手伝わせてと。夕食のメニューは息子はレトルトカレーとインスタントのコーンスープ。ボクはビールとおつまみ。コケコッコ村でゲットした温泉卵もサイドメニューで。暗くなってきたら息子がお待ちかねの焚き火を始めます。ヒデフミが木を組んで、アツフミがチャッカマンで新聞紙に点火したらなんと一発で火起こし成功。ボクは見てるだけ。楽だったあ。焚き火があれば花火も勝手にやってくれるし。星空とスゴク明るい月を見ることもできました。
 翌朝、ボクはたいてい早起きで、誰もまだ起きてこないキャンプサイトで散歩したり片付けしたりボーっとするのが好きなのですが、このときは息子と惰眠を貪ったのです。そーいうのもいいね。朝食もカップめんという手抜きでしたがダラダラしてたら撤収の時間。息子たちにも手伝わせながら11時頃に完了。
 そうそう、今回の昆虫、アツフミがコカブトムシを見つけてきました。これは珍しい。ボクは初めて見ました。カブトムシのオスなんだけどちっちゃいのです。あと、やたら人懐っこい白い大きな蛾も居ましたね。
  チェックアウト後、アツフミの強い希望でもう一回サイクリングへ。ボクとヒデフミはランニング。ヒデフミは頑張っていたけどやはりアツフミの自転車のペースにはついていけなかったのでした。川上方面へしばらくいって折り返し。途中先行していたアツフミが止まっているので近づいてみるとなんと鼻血。アスファルトに「事件か?」と思わせる血痕を残し、アツフミはまだこぎ続けるのでした。ヒデフミがばてたので、歩いてたらアツフミだけ先に行ってしまって見えなくなり、心配してボクが走って追いかけたのですが、キャンプ場まで戻ってもアツフミが居ない。すわ、行方不明大事件ではないですか。あせりつつ、車で探そうとしたところにアツフミが泣きながら登場。どうやら自転車で快調に走るうち、キャンプ場への入り口を通り過ぎ、知らないところまで行ってしまったらしいのです。んー無事再会できてよかったー。あ、これバカ親日記には書くなって言われてたんですけどね。
 キャンプ場を後にして帰宅途中、郡上鍾乳洞に立ち寄りました。あのへんで有名な大鍾乳洞とは別のところ。ま、冷んやり洞窟散歩は楽しかったなあ。翌週のキャンプの現地視察や立ち寄り温泉でくつろいだりして、父と息子のキャンプは終わったのでした。 

2002.8.18
 土曜に妻の実家に泊まってきた。花火やったり、従妹と遊んだり、翌朝はおじいちゃんとザリガニ捕りをしたりして楽しんだ。息子たちは四国にも里帰りできるし、県内だけど自然がいっぱいの犬山にも里帰りできて幸せなのだ。
 
 帰宅する途中、映画館に寄って「猫の恩返し」を観た。主人公のハルが気持ちのいい性格で、見終わった後も爽やかな気分になれた映画だった。力まず観れる良作だとボクは思ったけど、息子たちには物足りなかったかもしれない。前にも書いたけど、最近映画を見に行くことが多くなって、それは観たい、と思う映画が多くなってるってことでもあるのだけど何か違うような気もするのだ。そうそう、今回息子たちは「アイスエイジ」を観たかったのだけど時間が合わなくて第2希望にしたのだった。
 
 ヒデフミの夏休みの宿題に読書感想文があるらしい。小学校の図書館で借りている「ねこむし」という漫画の感想を書くつもりだったのだが、お母さんに却下され、「五体不満足」を読まされている。ボクは高校のときに「機動戦士ガンダム」で読書感想文を書いたことがあるので「ねこむし」も有りだと思ったのだけどね。ヒデフミに「両手両足だったら四体不満足じゃないの?」と聞かれたので、「その発想は面白い。それを取っ掛かりにして書くといいんじゃないか」とアドバイスしておいた。さて、どんな感想文になるでしょうか。その前に、ちゃんと読み終わるのか、という話もあるか。

2002.8.17
 もうそろそろ小学校の夏休みも終わりが見えてきたのだ。「夏の生活」は一通り終わったようだが、なぜか毎年最終日には大騒ぎをしているので油断は禁物である。

 そろりんキャンプに息子2人と参加。今回は大人17人、子供11人の大所帯だった。ボクは幹事役みたいなものだし、調理担当でもあるのでずっと息子にかまってやれはしなかったのだが、遊んでくれる大人もいるし、子供同士で虫取りやボール遊び、フリスビーなど、退屈せずすごせたようだった。ヒデフミは子供たちの中では一応最年長だったのだが、リーダーシップをとってたわけではないようだった。一番の思い出はセミの羽化の観察だろう。まだ羽化していないセミの幼虫を子供たちが見つけてきたのでタープポールにつけといたら、いつのまにか羽化していて、羽や体がだんだんしっかりしてくる様子をみることができた。わやNEWSのキャンプ報告に写真を載せといたのでご参照あれ。残念ながら、枝をポールにくっつけるためのガムテープに羽が片方取られてしまい、無事に飛び立つことはできなかったのだけど間近で見た生命のドキュメントは子供たちに感動を与えていたのだった。あと、コクワガタ2匹やカミキリムシも見つけてきて遊んだり観察していたりした。もちろん、スイカ割りやソウメン流しなど恒例の企画は子供たちにも喜ばれていたのだった。トランプ遊びも盛り上がったようだった。テント張りを息子に任せようと思っていたのだが、これは期待はずれ。まだまだだったのだった。

 キャンプを昼に解散してから、ボクと息子たちは近くの浜名湖パルパルへ。下見のときはヒデフミが骨折してたので入れなかったプールがお目当てだ。流れるプールを楽しんだぞ。残念ながらアツフミが身長足りなくてスライダーができなかったのだが、アツフミはこういうときなぜか潔いので助かる。仮面ライダー龍騎ショーも見れて良かったねが、とにかく暑かったのだった。
 
 キャンプ疲れか、ただ暑いからか、その後2日はわりとだらだらすごす。大府の愛知健康の森に行ったりもしたが暑くて1時間も遊べば十分。帰りにスーパー銭湯に寄って汗を流したのは気持ちよかった。
 
 金曜夜、花火の音が聞こえたので外を見るとけっこう近くで花火大会をやっている。滝の水公園からなら良く見えるだろうと散歩がてら出てみたが、花火は終わってしまっていた。で、アツフミと近所を散歩。ヒデフミはお母さんと留守番のはずだった。ところがボクらが帰ったら家にいない。ははぁ〜ん、コンビニにでも行ったな、と思いボクとアツフミもコンビニへ。ところが居ないぞ。でも少ししたらヒデフミとお母さんが入ってきたのだ。実はヒデフミたちもすぐ後を追って散歩に出たのだけど、ボクらが行かなかった滝の水公園まで行ったのだって。そこはアベックだらけで、ヒデフミはテレながら社会勉強をしたらしい。お母さんが嬉しそうに報告してくれたのだった。コンビニにはお母さんが行こうと誘い、そこでたまたま一緒になったのだが、ヒデフミは「お父さんたちがもう帰ってて心配してるかも」とか「ボクだけ買ってもらったらアッちゃんが羨ましがるからいい」とか言って断ろうとしたらしく、ヒデフミらしいので笑ってしまったのだった。あまり夜は出歩かない我家だが、この夜は楽しかったぞ。

 ヒデフミは最近乳歯抜けラッシュだ。虫歯がどんどんなくなるので、歯が綺麗になってるような気がする。ちゃんと上の歯が抜けたときは「早く生えてこーい」と言いながら2階の窓から下に向けて抜けた歯を投げていた。ん?縁の下に投げるんじゃなかったっけ?

2002.8.12
 ヒデフミがたくましくなって帰ってきた。3泊4日のキャンプは相当ハードだったようで疲れてはいるのだが、楽しかった思い出話は止まらないのだった。土曜の夕方、栄テレビ塔に迎えに行く。アツフミも一緒。バスはけっこう予定通り着いてしまったので、ボクがバス遅れを予想して予定しておいたアツフミとのテレビ塔観光はほんの数分で終わる。しかし、解散式も終わり、さあ帰ろうと思ったが、我が学童の子供たちはキャンプカウンセラーとの別れを惜しみ、バンダナにサインしてもらったりで数十分。気がついたら何百人もいた参加者の子供たちはみんな帰って、うちらだけになっていたのだった。ま、それだけ濃い思い出だったってことだね。ボクの車中でも話は尽きない。ヒデフミにはお小遣い1,000円を渡しておいたのだが、お土産でちょうど使い切ってきた。そういうのも嬉しいんだよね。アツフミは家に着くのを待ちきれずにキャラメルを開けて食べていたのでヒデフミに怒られていた。

 日曜朝、まだキャンプ中の早起き感覚が残っているのかヒデフミが早起き。久しぶりにボクと2人で滝ノ水緑地へ散歩に行く。途中ずっとキャンプの話。肝だめしとか。そうそう、すれ違うウォーキングや犬の散歩の人には必ず「おはようございます」と挨拶をするのだが、ヒデフミもきちんと言える。「早起き偉いねえ」と声をかけてもらったりもしたのだった。

 日曜日、家族で海水浴に行こうかと計画していたのだが、ヒデフミがお疲れのようなので映画「SWエピソード2」を見に行く。通常は全席指定の映画館なのだが、10時からの部は自由席だった。で、我家には珍しく早く行動できたにもかかわらず、残り4席で、当然バラバラに座ることになる。幸いヒデフミとアツフミは並んで座れたのだが、後から聞いたらアツフミがトイレに行きたくなって出口がわからなくてウロウロしたらしい。始まる前に行かせておいたのだけどね。映画はボクには「エピソード3」へのつなぎとしか思えなくていまいちだった。息子たちもライトセーバーの2刀流のシーンがすぐ終わっちゃったのが不満だったようだし、後から映画の話をほとんどしなかったのでそういうことだったのかも。「少林サッカー」はいまだに話題になるのに比べるとね。

 少し前にビデオに録画しておいた「アニメソングBEST100」というのを観る。ボクはもちろん大好きなのでここ数年の新しいのを除けばほとんど知ってる歌だし、ランキングには不満もあるが楽しめた。息子たちもけっこう歌えるので、さすが!アニメソングって感じ。今度、久しぶりにMYランキングも更新しようかな。

2002.8.10
 ヒデフミがいない間、アツフミと二人でキャンプに行こうと思ってたのだが、天気予報で夜雨が降りそうだったのと、ボクの仕事が片付いてなくて家でやらなきゃいけなかったのとで中止する。その分、近くの公園で野球をしたり、プールに行ったりしてアツフミは喜んでいる。プールは近く(歩くには遠い)に公共の緑スポーツセンターがあって、アツフミが学童で行ったときゴーグルを忘れてきたようなので取りに行くついでに泳いでくる。アツフミはまだ息継ぎができないのだが全然水を怖がらないし積極的に練習しているのできっとそのうち泳げるようになるのだろう。

 金曜夜アツフミを連れてアランプーサンへ。ほとんど毎月行ってるが、ここんとこ途中で寝てしまって自宅に抱っこして連れて帰ることが多い。今回は昼寝をしてたので寝付くのが遅く、ライブ終了後まで起きていた。結局ギターケースの中で寝てしまったので、そのまま背中に背負って(れいさん写真ください)連れて帰る。ボクはまた店に戻って飲んだりしゃべったりしてたのだが、なんとアツフミ再登場。妻の話によると、アツフミは突然起きてボクが居ないことに気付き、泣きながら家を飛び出してプーサンに走っていったのだそうだ。妻は追いかけたが、店に入っていったのであきらめたのだって。ボクも他のお客さんもビックリでした。

2002.8.8
 ヒデフミが今、家に居ない。名古屋市のおんたけキャンプに学童の何人かの子供達と一緒に申しこんで行っているのだ。親元を離れて2泊以上ってのは小学校行事の中津川野外学習が最初でこれが2回目。ま、ヒデフミは大丈夫、楽しんでくると思うけど、その間アツフミが寂しがるだろうなのだ。昨日朝、学童に集合した同じ日程で申し込んだ子供達を、ボクの車でバスの集合場所まで送って行く。名古屋栄TV塔下に7時50分。そのあと自宅に戻って、アツフミを学童に連れて行ってから出勤ってのはけっこう大変だったぞ。

 先週は、夏休み最大の(というか連続日数では最長の)イベント「四国帰省ツアー」だった。ボクの実家(愛媛県小松町)の息子達の祖父母に顔を見せに行くのと、アツフミと同学年の従兄弟と遊ぶのとだ。毎年、夏と正月は欠かしていない。正月は飛行機で夏は自家用車と言うのもパターン化している。 さて、今年のルートは紀伊半島南端経由、キャンプではなく温泉旅館泊とした。実はこのルートは時間がかかるので11年前、まだヒデフミが妻の胎内で着床したばかりの頃(計算上)、通ったきりなのでずいぶん久しぶりで、当然、息子達には未知の体験ばかりなのだ(まあ、どこに行ってもたいていそうなのだが)。
 
 7月31日スタート。道中(車中)は、息子達にはいささか退屈だが、たっぷり会話を楽しんでいた。前を走ってるトラックの荷台の積荷(=仮設トイレ)がカーブのたびに右へ左へずれてるのを見ながら中身は入ってるのだろうとかで大騒ぎだったり。高速を降りてからが長かったものの、順調に2時前に紀伊勝浦に着く。早速、紀の松島の観光船に乗り込む。家族で貸切状態でくつろげる。景色を楽しんで、そのまま太地くじら浜で下船。まず、炎天下、ゴーカートを楽しむ。アツフミは一人乗りを運転したのは初めてだったのだ。ラッコの給餌を見た後、入江を利用した自然なイルカプールでシャチとイルカに対面。イルカに触れるというので息子達はライフジャケットを着てボートに乗る。なんと、タッチや握手ばかりでなく、息子達が手で合図するとイルカが鳴いたりジャンプしたりなんてことまでできたのだ。スゴイ体験ですよね。よくイルカショーを見に行って、触りたい人手を挙げて、ってときにはまず指名されたりしないので悔しい思いをするのだが、ここは至れり尽せりだった。決して行列ができるような人気施設ではないし、存続も心配なくらいだが、ズバリお薦めスポット。船で勝浦港に戻ってから那智の滝へ。日本一の滝ってのを近くに来ていながら見ておかないのは損だからね。しかしアツフミは熟睡中で見ていなかったし、実は宿からも(ほんの小さくだが)見えたのだった。ヒデフミは滝よりもその下流での川遊びが本命のようで、アツフミを起こし、フルチンで着替えて川に飛び込んでいた。さて、泊まりは公共の宿だが、夕日が沈むのが見える海に面した広い角部屋だったし、料理は美味しかったし、家族貸切露天風呂にも入れたので言うこと無し。波の音を聞き、星を見ながらの貸切露天風呂はサイコー。混浴だし。家族だけだけど。長距離の移動にもかかわらず息子達は寝るまで元気。初日から密度濃すぎ。

 8月1日。朝、ボクとヒデフミは早起きし、海からの日の出を拝む。アツフミを起こして近くの海水浴場へ。ボクとアツフミは車で行ったが、ヒデフミは岸壁を走って行った。早朝の海水浴場は誰もいないので貸切状態。水も砂も綺麗で、気持ちよく遊べる。宿に戻って温泉に入っても朝飯前。普段からこれくらい早起きしてくれたらどんなに楽だろうと思ったりもしたのだった。この日は四国への移動日で、1日目ほどのメニューはないが、この時点で海水浴は終わってるのもスゴイね。橋杭岩は息子達は寝てしまってたので写真だけ。串本海中公園ではさすがに起こす。船の下がガラス張りになっていて珊瑚や魚を見れる船に乗る。朝泳いだ海水浴場とは岬の東から西に移っただけで波の高さがまるで違う。こっち側は黒潮が直接ぶつかっているのか大荒れなのだ。甲板にいる分には平気だったが船室に入ったら船酔いが来てボクはぐったり。息子達は平気なのがうらやましい。ヒデフミはそれでも少し気分悪くなったようだが、三半規管未発達(?)のアツフミはガラスに顔をこすりつけるようにしてずっと見ていたのだった。この後、夕方7時すぎに実家の愛媛県小松町に着くまではずっと車中。息子達は退屈して「あと何分?」を連発。「あと270分だよ」とかテキトーに答える。ETCのおかげで快調だったものの、阪和道から阪神高速湾岸線、中国道、瀬戸大橋、松山自動車道と走りつづけたのはハードだったのだ。ついてスグにボクは買い物に出たのだが、ヒデフミはおしゃべり上手なので、ずっとおじいちゃんに話をしていたそうだ。

 8月2日(3日目)、車で30分弱のところに住むボクの姉宅へ。従兄弟と再会し、大喜びの息子達。年に2回しか会わないが、スゴク仲良しなのだ。もちろん喧嘩になることもあるが、成長するにつれて盛り上がり方が大きくなってきたようだ。お土産にもしたベイブレードを早速組み立てて勝負してる。息子達はずっとそれでもよかったみたいだが、せっかくなので愛媛総合科学博物館というところに行く。ボクが子供の頃にはもちろんなかった施設だが、ずいぶん立派なものができたのだとビックリ。大きな恐竜のロボットが動くのに子供達は大はしゃぎだった。プラネタリウムも見たガ、ボクは熟睡してしまってた。子供達は見ていたらしい。この日は姉宅に泊まり。

 8月3日(4日目)、川遊びをする。よくもまあ毎日毎日元気だこと。
ネコのてんちゃんへのお土産にと「ネコじゃらし」を1本持って帰る息子達。姉宅にはネコが4匹いて、そのなかでも新顔の子猫「てんちゃん」が息子達のお気に入りだったのだ。子猫でないと遊んでくれないからね。でっかいゴールデンレトリーバー犬もいるがでかすぎて息子達には手におえないのだ。この日はお別れなのだが、川遊びで疲れて寝てしまってて、てんちゃんに最後会えなかったのが息子達は残念だったのだった。次に会うときには、もう子猫ではなくなっているので遊んでくれないのだ。夜、実家で花火したりしてから、帰路に発つ。東予港から大阪南港まで一晩フェリーの旅だ。奮発して特等船室にしたら和室(ベッドは別)だったしTVもあったしくつろげたね。WOWWOWで「ガンダム逆襲のシャア」も見られてよかったのだった。
 8月4日(5日目)、フェリーは5時50分には着いてしまうのだが8時まで船内に居る。以前は車だけは下船しなきゃならなかったのだが、サービス向上で、車ごと残っていられるようになったので楽だー。朝風呂にも入れたし。さて、名古屋への帰路途中、伊賀上野に寄る。忍者屋敷がメイン。伊賀上野城やだんじり会館なども見て回ったのでけっこう疲れたのだった。やっと夕方、自宅に着き、ハードな四国ツアーは終わったのだった。一息つく間もなく、夜は学区盆踊り大会。踊って出店で買い物してスーパーボールすくいをしてと、息子達の元気は続いていたのにはもうついていけません。光る棒でのチャンバラもやってたなー。
 
 ま、5日間、病気もせずにずっと元気だったのは何よりだ。ヒデフミは食欲もすごく、トンカツ定食やハンバーグ定食といった大人メニューを平らげていたのだった。ホント骨治っててよかったね。 

2002.7.30
 夏休み(子供の)に入って2回の週末が過ぎた。何かの付録についていた夏休み期間用の縦に細長いカレンダーも確実に上のほうは済になっているのだ。最初の週末から学童キャンプという一大イベントだったが、第2週も土曜日は花火で日曜日は海水浴と夏休みらしく過ごすことができたぞ。もう絵日記ネタはOKだね。

 27日はアツフミの7歳の誕生日。そして、ヒデフミの骨折が治った記念すべき日が重なったのだった。で、近所のおもちゃ屋にプレゼントを買いに行く。アツフミはゲームキューブの新作ソフト。ヒデフミは半額セールだったレゴブロックのスターウォーズシリーズ。甘やかしてるようだが、これでクリスマスまでおもちゃは買わないことにしてるのだ。さて、守れるのでしょうか。
 
 アツフミは買ったソフトにすごくハマッてしまってるので「我が家のゲーム3原則」を再確認しておかねばなるまい。
1.片づけすべし。遊んだ後のゲーム機器はもちろん、遊ぶ前にそれまで使っていたものをまず片付ける。
2.時間を決めてやるべし。原則1日に30分まで。
3.喧嘩はご法度。ヒデフミとは譲り合うべし。
ま、誕生日当日を含む二日間は時間の延長は認めてやりましたけどね。
 
 ヒデフミはレゴブロックにじっくり取り組んでいる。よくもまあ細かなパーツから大きい作品を根気良く作るものだ。感心感心。何はともあれアツフミの7歳もめでたいし、ヒデフミの骨折完治もめでたいのだった。

 妻が花火を見に行きたいと言い、息子達も見たいというので車で出かける。この地方では岐阜・長良川の花火が有名だ。岐阜に向かったのだが一宮辺りで既に道路が大渋滞。電車で行けばいいのだが岐阜は駅から相当歩くので車で行けるところまでと思ったのだけどね。ボクは渋滞が大嫌いで高速に乗っていても次のICで降りることが多いのだ。たまたまラジオを聞いていたら桑名でも花火があるというので、急遽方針を変更し、超遠回りにはなってしまったが桑名へ向かう。打ち上げ場所の揖斐・長良川の対岸から見ることができてよかったー。息子達も意味もわからず「たまやー」と盛り上がっていたぞ。花火といえば、緑区滝ノ水に引っ越したら、何箇所かの花火を自宅に居ながら見ることができて、もちろん遠いので小さくしか見えないのだけど、けっこう満足していたのだった。それと数年前に名古屋港の花火を見に行ったとき大混雑だったのに嫌気が差して、それ以来の花火大会ご無沙汰だったのでしたね。桑名、穴場です。

 日曜日は海水浴に行く。でも混雑が嫌いなボクは正午過ぎてから出発。目指すは日本海、敦賀のちょっと西に行ったところの海岸だ。3時には到着。反対側車線は既に大渋滞だが順調順調。駐車場も空いてるし、料金とる係りの人も居ないのでタダ。遅くに行くといいことばかりだね。海水浴といっても波に打ち上げられて遊んだり浮き輪でその辺をパチャパチャやるだけだけどね。1時間半も遊んだらもう満足だ。もっとゆっくりしていけば帰りの渋滞もないのだけど5時過ぎなのでまだ渋滞中。敦賀ICまでは裏道でスイスイっと抜けて北陸道もいいペース。ところが関ヶ原〜一宮が渋滞との情報に、つい関ヶ原ICで降りてしまう。養老方面経由して東名阪道桑名東ICまで下道を走るが、ま、かえって遅くなったかもしれないけどいいじゃん。アツフミは早く帰ってゲームしたかったようだが途中で寝てしまったのだった。起きてたら「遅い」とかうるさいのだ。

2002.7.27
 ヒデフミは実に慎重なヤツなのだ。医者からは骨折後4週間を過ぎた27日までギブスをしておくように言われているのだが、ボクだったらもうそろそろいいやと、自分で勝手に判断して外してしまうのだが、ヒデフミは火・水と学校のプールに入れる日があったのに自粛したのだった。直前まで悩んでいたので、ボクは「大丈夫だよ、やればいいじゃん」と言ってやったのだが、もしまた折れたら夏休みが全部パァだというのが不安らしく、泳がないことにしたらしい。ま、いいのだが、じゃ先週のキャンプの時の川遊びは何?と突っ込むのはかわいそうですね。
 そして今日、ヒデフミはさっき一回目を覚まして「なんて素晴らしい日なんだ。ついに骨が治る日だ。しかもアッちゃんの誕生日」と言ってたぞ。そうそう、アツフミ7歳。嬉しい1日になりそうです。

2002.7.24
 そして夏休み。息子たちがもらってきた通知表は頑張ったり手を抜いてたりが結果に現れていてけっこうわかりやすいのだ。ヒデフミは◎が増えたとか△があるとか気にしてたけど、気になるならまた頑張るだろう。そういえば今回から絶対評価に変わったはずだが、ヒデフミのをみても変わったことはわからないぞ。
 
 学童キャンプ、ヒデフミが5年生なので5回目だ。アツフミもいつも連れて行っていたのでベテランだが、今回は小学生になって初めてなので注目してたら、指導員はじめ多くの人に成長ぶりを指摘され、親としては嬉しいというか安心というか。キャンプファイヤーのスタンツで上級生に混じって走ったり踊ったりしてるのを見ると確かに感慨深いものがあったのだ。
 ヒデフミのトーチサービスには泣かされたね。他の子達もみんなすごく頑張って練習してて、舞う火は、それはそれは美しくて感動したが、特に、左手にギブスをはめたヒデフミが右手だけで同じプログラムをやってるのを見ると涙が出そうになったのだった。

 そのギブスだが、川遊びのときはもちろん邪魔になるので外させる。たぶん3週間たってるので大丈夫だろうという素人判断なのだが、川遊びができない学童キャンプなんて残酷すぎるからね。ヒデフミは大喜びで泳いだり流されたりしていたのだ。ときどき「オイ、ギブスはどうしたんだ?」とボクがボケかましたり、「ギブスを右手につけとくと受けるよ」とか振ったりしたが、ヒデフミはそれどころではなく楽しんでいたのだった。

 夏休み生活は、朝から学童に行く生活だ。昼は仕出し弁当を注文してる。午前中にはお勉強タイム、午後は低学年はお昼寝タイムがある。今のところ体調もよく、お楽しみはさらに、といった感じなのだった。

2002.7.19
 もうすぐ夏休み。小学生の息子達にとっては毎日極楽生活だろう。楽しみでしょうがないようだが、子供なのでそれでよいのだ。
 夏休み前最後の日曜日は浜名湖パルパルへおでかけ。そろりんキャンプの下見ついでにね。そうそう、浜名湖パルパルのことを「はらぺこパルパル」と言って一人盛り上がっていたアツフミだけど昼食はあまり食べなかったぞー。どこがハラペコじゃ。ギブスが半分になって軽くなり三角巾を忘れてたヒデフミは骨折を忘れさせるほど元気に走りまわっていたけど、ゴーカートだけは、あの重いハンドルを回せないので断念。かわいそー。プールも空いてたけど入れないもんね。
 で、今週末は学童キャンプ。昨日実際に火をつけてトーチの予行演習をしたのを見たがヒデフミは片手ながらリズム感良く、まわし方も去年より上手になっているので感心。

2002.7.14
 ヒデフミの骨折治癒状況ですが、2週間が過ぎ、ほぼ治ったらしいのですが、まだあと2週間ギブスを半分にしたものを添えておかなくてはいけないということで、学童キャンプでの川遊びがいよいよピンチなのです。キャンプファイヤーでのトーチサービスは片手で頑張って練習してるので本番でも感動させてくれると思いますが、けっこうヒデフミがっくりきたようです。アランプーサンのアコデナイトでは片手でマラカス振りながら元気にデュエットしてくれました。ファイトヒデフミ。学校で陸上部に入ったのですがこれも治るまでは練習に参加できないとのことで毎回見学してるのでした。
切る前のギブス。お友達の寄せ書きもある。
 そうそう、ギブスを切る道具がすごかった。見た目は小さめの電動丸ノコなのですが、皮膚に当てても切れないのです。理屈はよくわかりません。でも切れないとわかってても、硬いギブスはスパスパ切れてるわけだし緊張の切断式でした。昔ボクが骨折してギブスしたときは看護婦である母が包丁で切ってくれたものでしたが。もちろん包丁だと皮膚も(骨も)切れてしまいますね。

 ヒデフミに「今日はいい天気だったな」と話しかけたところ「どっちでもイイ」との返事。なんじゃそりゃと追求したら、テレビを見てて、ボクの声をよく聞いていなかったので、たぶん夕食はカレーがいいかシチューがいいかというような質問だと思ってそのように答えたのだそうだ。実にいいかげんなやつなのだが憎めないのでした。

 アツフミが急に靴を買って欲しいと言い出した。お友達が履いてるようなやつがどうしても欲しいらしい。じゃ明日ねと答えたら、さっそくボールペンで自分の手に「くつをかいにいく」と大きく書いているではないか。そして案の定土曜の朝は目覚めて第一声が「今日靴買いに行く」だったのでした。憎めないよね。午前中は子ども会の企画があってそっちに参加したので午後買いに出かけましたが2軒目でようやく気に入ったのがあってさっそく履いて喜んでいるアツフミでした。
 
 飼っていた(放置していた)カタツムリが死んでいるのに気付いたその日、アツフミがまだ小さなカタツムリを見つけてきました。これは成長が楽しみです。

2002.7.11
 日曜日、愛車キタキツネ号にETCがついた記念にお出かけ。ETC取り付けについては「肉体再生日記」に雑文を載せたのでご参照あれ。行先は何週か前に恐竜展を見に行ったらまだ始まってなくてプラネタリウムだけ見て帰ってきた四日市市立博物館とする。先回は伊勢湾岸道を通ったが、なぜかこの道にはETCが未設置なので、今回は東名阪自動車道で行く。ボクもワクワクだが息子達も料金所のETC専用レーンを通過するのが楽しみで大いに盛り上がる。名古屋西ICでいよいよ進入。一般レーンには数台から十数台並んでいたが専用レーンはもちろんガラガラ。そして減速しつつ接近するとピッと車載器が反応し、ゲートもパーンと跳ね上がる。気持ちイイー。思わずガッツポーズ。息子達も歓声を上げる。でも、そんなところを一般車の方々に見られてたのだ。ハズカシー。四日市東ICで出るときはさらに快適。「料金は800円です」と車載器がしゃべって教えてくれる。ホント全くのノンストップ。喜びすぎ?恐竜展はまあまあ楽しめて、帰りは息子達は寝てしまってたので、料金所ではボクだけ喜んでたのだった。

 毎週火曜日の夜8時からはテレビで「学校に行こう」を見ている。ラップのコーナーが面白いのだ。ヒデフミはすっかり気にいってしまい、絵本を読むときもラップ調で読んでいた。アツフミはおとなしく聴いているのがほほえましい。世界の川の長さ比べのページでは「さあいいかい、長い川をみていくよ、みんな着いてきてね、・・・、日本は信濃川、ずいぶん短いね」などと全て即興で(ネタ的にはパクリだが)歌っているので感心してしまったのだった。

 我が家ではとても暑い夜またはとても寒い夜は一部屋に集まってエアコンを効かせて寝る。ところが月曜の夜、寝室のエアコンが壊れてしまったらしく、一向に冷えない。仕方なく扇風機2台を回しながら寝る。よく考えたら、どうせ扇風機だったら一部屋に集まる必要はないし、そういえば1階の和室ならエアコンもあるし、ザコ寝もできたのだと後から気付いたのだった。

2002.7.7
 ヒデフミがレントゲンで見た骨折写真を絵に描いた。・・・


 アツフミはプールが大好きなので小学校のプールもとても楽しみにしている。雨で2回流れて、まだ1回しかやれてないのだが、なんと2回目のとき連絡帳に「プールのようい」と書き忘れたために水着などを忘れ、見学になってしまったのだ。さぞかし無念だったろう。泣いたんじゃないかと想像する。ボクも予定表をしっかりチェックしてやらなかったことを悔やむのだ。でも帰宅後のアツフミは淡々としていたので成長したのだなあとも思ったのだった。

 ヒデフミが電話をかけられるようになった。電話を取るのはずっと前からできてるけど、あ、もっともボクが家に電話したら「もしもしカメよカメさんよ」とか「ホイホイ、あ、お父さん?」とか言って出るのでちょっと問題はある。ま、かける方は用事がないからね。それが、先日、職場にかけてきたのだ。もっとも最初交換の人が出たら間違えたと思って切ってしまったそうで、2回目は名前を言って部署につないでもらったものの、係長が出たのをボクと思ってイキナリ話し始めたようで、迷惑をかけてしまったのだった。内容は「今日は学童にお迎えに来るのか?」ということだったので、次からは携帯にかけなさいと言っておいたら、翌日、「あっちゃんが調子悪い」と携帯にかかってきたのだった。塾を休んでいいよと言ったら治ってしまったのだが。

 アピタで買い物中、ヒデフミがアイスクリームの試食をした。とても美味しかったと言ってたのでアツフミも試食コーナーへ。ところが売り子さんはアツフミに「君さっき食べたよね、美味しかった?」と話し掛けてきたのだそうだ。確かにお揃いのTシャツを着せてはいたけど、身長だって違うし、ヒデフミはメガネかけてるし、ギブスだってしてるぞ。アツフミもなんとかもらって食べれたので良かったけどね。

2002.7.4
 骨折で不自由しているヒデフミだが、「歌は歌えるし、マラカスもできるよ」と言ったのには涙が出ました。
 
 日曜日、映画「少林サッカー」を息子と観に行く。いかにもB級香港映画って作りだけど、とても面白かった。先日「スパイダーマン」を観たばかりなのに、いつからこんなに映画に行くようになったのだろう。もしかして息子達は「スパイダーマン」を観たことをもう忘れているんじゃないだろうか。

 ヒデフミは5年生になって家庭科の授業が始まった。そして初めての調理実習だ。サラダを作るのだそうで、材料を持たせてやる。エプロンも必要だというので新しいのを買う。でも子供用のはハム太郎とかおじゃ魔女とかしかない。女の子っぽくないやつ、と厳しく言われてたのでそれではマズイ。たまたま青い無地のエプロンで胸に「いらっしゃいませ」と白抜き文字で入っているのを見つけそれを買う。ヒデフミにも面白いと気に入ってもらえたので、教室でも受けるだろうと期待していたが、残念ながらちょうど骨折した左手を支える三角巾が隠してしまってたそうだ。

 アツフミが立派なナスを「ボクのナスだよ」といって見せてくれた。学校で作ったのだそうだ。どうやって料理するかというので居酒屋メニューで恐縮だが「なすピー」にする。みんな「美味しいおいしい」と食べていた。そうそう、ナスって生でかじるとリンゴの味がするのだ。だまされたと思って試してみよう。アツフミもほんの少しかじって「ホントだ〜」と言っていたよ。

2002.6.30
 長男骨折。これは今年の十大ニュース上位に当確の大事件でした。ま、左手首という部位的には不幸中の幸いなので、面白がってるところもあるのです。
 木曜日夕方、ボクが出張から帰って学童に息子たちを迎えに行き、いったん帰宅してから公文式教室に送り出したあとがそのときでした。教室まではウチから300mほどですがアツフミは自転車、ヒデフミはキックボードで行くことに。ボクは買い物に出るついでに信号交差点を無事に二人が渡り終えるのを本屋の駐車場から見ていたのですが、車の陰でよく見えないながらヒデフミが転んだのに気がつきました。なかなか立ち上がらないので心配になって交差点まで走っていくと、ヒデフミが立ち上がって歩いていたので「大丈夫か」と声をかけたら「だいじょうぶー」とのことで、まさか骨折とは思わなかったのでそのまま息子たちは公文へボクは買い物へと行ったのでした。ところが帰宅してみると留守電に公文の先生から「病院に連れて来ています」とのメッセージが入っていて慌てて駆けつけました。そこは、ヒデフミが以前頭を怪我して縫ってもらったり、ボクが救急車で連れて行ってもらったりした病院で、またまた時間外にお世話になったのでした。ヒデフミはボクに叱られるのではないかと心配していたふうでしたが、ボクはこれも経験だといろいろ語り聞かせてやったのでした。
 そうそう、その話の一つに、ボクも同じ小学校5年生のときに右手首を骨折してて、まさか遺伝したのかもねなんて言ってたのですが、なんと妻・ヒデフミのママも小学校5年生のときに骨折していたのだそうで、偶然とは思えないのでした。それを聞いたアツフミは自分も5年生になったら骨を折ってしまうのかと暗い表情になっていました。
 さて、レントゲンで撮った自分の骨をみて感動していたヒデフミでしたが、その写真には素人目にもわかる折れた線が入っていたのでした。全治3週間。幸い夏休み前には直りそうですが、プールやサッカーが当分できないことにヒデフミはがっかりしていました。ま、利き手の右手は何ともないので、いくらでも勉強できるぞと励まし(?)てやったのですが嬉しくはないようでした。まずは添え木、そして翌日ギブスをはめることになりました。曲がってた手首を医者が力ずくでまっすぐにしたときはすごく痛かったはずですがヒデフミは泣かずにがんばりました。
 そういえば、たまたまなのですが、出張の浜松土産はウナギの骨をカラッと揚げてある「うなぎボーン」だったので早速息子たちはぼりぼり食べていました。
 病院の待合室に七夕の笹があったので、願い事を短冊に書くことにしました。もちろん「早く骨が治りますように」と書いたのですが、小さい短冊には書きづらかったようで、ボクが「片手だと書くのにも骨が折れるな」と言ったのですが、ここは当然「もう折れてるって」とツッコムところ。すぐ返せなかったヒデフミにボクが指導してやったのでこの後は定番ネタになったのでした。
 学童キャンプのトーチサービスは絶望的と思ったのですが、指導員は片手でやらせてみるとのことで一安心。ま、終わってみると3週間なんてあっという間だと思います。今、大変なのは痒いこと。「アオ〜」とか叫びながら痒がっています。「お父さんが痒みを止めてやる」と言ってワッと驚かすと「それはシャックリの止め方でしょ」と突っ込めたのはさすがですな。 

2002.6.25
 ようやく手元にETCカードが届いた。そう、高速道路の料金所でノンストップで行けるやつ。とろくさいシステムだと始めは怒っていたのだが、どうせつけるならまだつけてる人が少ない今のうちだと思ったのです。たまたま一般レーンで順番待ちをしていたところ専用レーンを通り抜けてく車を見て羨ましくなったからね。その後は、入るときに止まらずに券を上手に取る「なんちゃってETC」ごっこをする。息子たちには受けたね。次回からはホントのETCができるのだった。

 幼虫から育てているオオクワガタ。4匹のうち2匹が生き残り、そしてとうとう成虫になった。両方ともオス。しかも75mm。相当の値段がつくものになったが、大事に飼い続けるつもりなのだった。アツフミは朝晩観察している。名前はまだない。

 金曜の夜、夕食も食べずに寝てしまったヒデフミ。そのせいか土曜の朝はスゴク早起きしてしまい時間を持て余していた。で、久しぶりにボクと一緒に散歩に行く。相変わらずよくしゃべる親子なのだった。

 土曜日は家族授業参観。今年から完全週休二日になってるけど、平日は仕事を休めない親にも来て欲しいとのことで土曜日なんだろうね。給食がないのでお弁当持参、そして月曜は振替で休みというのは息子達には好評のようです。さすがにお父さんもたくさん来てる。先日の中津川野外生活の説明会では男親はボク一人(!)だったことを思うとちと考えさせられはしますがね。
 アツフミは2時間目、国語の授業。初めて見るアツフミの小学生としての姿は、なんというか実にアツフミらしかったのだった。ほとんど例のアツフミの持ちネタだと思うのだけど、どんなだったかというと、
 1.先生に「さあ答えを書きましょう」と言われても書かずに変な表情(寄り目とか)をしてるが、先生が通りかかるとサッと書き始める。
 2.何を書くのかわからないはずはないのに隣や前の子の書いたのを覗き込んで、あ、なるほど、というようなポーズをとる。
 3.他の子が手を挙げているときは、手をひざの上においてるけど、先生が一人指名してみんなが手をおろしたとたん手を挙げる。
と、まあ実に楽しんで授業を受けているようだった。多分授業参観でなくても同じように遊んでるんだと思うぞ。妻は特に3番に受けて涙を出して笑っていたのだった。ん?少し心配したほうがいい?
 ヒデフミは4時間目。中津川野外生活の発表会でヒデフミの出番は少なかったが、みんな芸達者なので楽しめた。TVドラマに出てる子役たちに見えてくるくらい。「アーブラハムに〜は7人の子・・・」では踊り狂っていたぞ。

 土曜の夕方、串原村の岡村さんのお宅に息子連れで行く。ホタル鑑賞会だったが残念ながらホタルの乱舞は見られなかったけど、盛りだくさんの内容でたっぷり楽しめたのだった。自然がいっぱいなのでカエル・トカゲ・バッタを捕まえたりヘビを見つけたり、何もなくても楽しんでる子供たち。テントを一緒に張って寝たのでキャンプ気分も味わえたね。ヒデフミとの「少年ガングリオン隊の歌」デュエットの初公開もした。竹の切り出し、竹箸作り、ジャガイモ堀り、畑の草取り、ウメ取りと体験できて息子たちには贅沢な週末でした。最後はそうめん流し。相変わらず息子たちは流したがる。今回は枝豆流し(転がし?)もやって大騒ぎでした。もう疲れ果てているはずなのに帰りに川遊びをする。ちゃんと水着を持参してたのだ。本格的に泳いでたぞ。もちろんあとは車の中で熟睡なのだった。

2002.6.21
 ヒデフミが1年生のときはあまり宿題も出てなかったし、出たとしても学童でやってしまうってことはなかなかなかったのだが、アツフミ達今年の1年生は違うようだ。まず、新教育課程で時間数が減ったことに先生達が危機感を感じているのか、宿題が毎日出るのだ。国語の音読と算数のプリント。で、驚くことに1年生達は学童に帰ったらすぐにみんな算数のプリントをやり始めるのだそうだ。確かに、家では夕食・入浴で忙しく、宿題まではやってられないので親は助かるよね。(音読のほうはウチでは朝やってる)
 さて、学童の指導員が嬉しそうに報告してくれたのだが、アツフミは算数のプリントを始めるときには靴下を脱ぐのだそうだ。で、終わったら履く。指導員が「なんで?」と聞いたら、アツフミ曰く「足の指で数えてるんだ」とのこと。指導員には大受けだったようだが、ボクは「きっとそれアツフミのネタでしょう」と答えたのだった。その話をしているちょうどそのとき、アツフミが靴を履かずにプレハブを出て帰ろうとした。「あっちゃん靴履いてないよ」と声を掛けられたアツフミは「あ、いけね」とか言いながら靴を履いてるのだった。ホラ、これもネタなんだ。

2002.6.20
 ヒデフミが偽造した連絡帳だが、同級生が届けてくれたお手紙に「先生が連絡帳見やすいって言ってたよ」と書いてあったので大成功だったのだ。反省してこれからは毎日丁寧に書くようになるか、また雑になっていくか、さてどっちだ。

 日が長い季節なので息子達は学童から帰ってもまだ近くの公園で遊びたいのだ。以前いつまでたっても帰ってこないことがあって、そのとき「遊びに行くときは何時に帰るか決めておく」と約束したのだった。ヒデフミは自分の腕時計を持って行こうとしたが、見ると電池切れで止まっている。ヒデフミの入学祝に買ったモノなのでもう4年以上経ってるからしょうがないね。公園に立っている時計を見ながら遊んだようで、ちゃんと時間どおりに帰ってきたので合格だったのだ。

2002.6.18
 ここ数年、映画を映画館に観に行くことが多くなった。子供が行きたがるからというのが主な理由だろう。学校や学童で話題になってたりするとそりゃ行きたくなるよね。ま、作品も面白けりゃ言うことないし、映画館にも買い物ついでの感覚で気軽に行けるのでいいのだ。最近よく行くのは郊外にできた巨大ショッピングセンターに入ってるシネコン。座席指定なので券さえ買えれば席取りしなくていいし、時間つぶしはショッピングでいいし、車なら割りと近いし。で日曜に観たのは「スパイダーマン」。珍しくボクが一睡もしなかった。(SWエピソード1でも寝るボクがこれは珍しい。たまたまかも)終わった後、息子達は手首から糸を出す練習をしていたぞ。

 野外学習センターでの二泊三日がハードだったのかヒデフミが熱を出した。体調悪いながらも土日お出かけしたりしたもんだから、月曜は小学校をお休みだ。妻が仕事を休んでくれた。どうせなら火曜日に休んでもらえば日本VSトルコが見られるのにと残念がりながら。たいした熱ではなかったようですが、朝は大騒ぎ。連絡帳を出さなければいけないのだが、ヒデフミは普段あまりにも雑な字で書いてるので担任の先生に見られたくないと言って、新しいノートに転記する作戦に出たが、なにせ時間がない。ヒデフミは持てる限りの美しい字で最近の数日分を書いたが、あとから見るといかにも偽造しましたってカンジ。

2002.6.16
 ヒデフミは無事帰ってきました。もう全てが楽しくて話も尽きないってカンジでした。「寂しくなかったか」と聞いても「それどころではなく忙しかった」だそうです。疲れは溜まったらしく、金曜夜のアランプーサンではデュエット発表予定でしたが欠場しました。また来月。アツフミはヒデフミにべったりでした。

 土曜日、どこへ出かけようかと決めかねていたところにラジオから四日市市立博物館で恐竜展を開催との声が聞こえたので行ってみることにしました。伊勢湾岸道路が揖斐川を渡り川越まで開通してるので近いもんです。ところが着いてみると恐竜展は来週から。ぎゃふん。プラネタリウムを見て帰ってきました。この博物館の土産物屋には面白いものがいっぱいあって、ヒデフミが買ったのが手作りスライム。砂鉄も混ぜると以前TVで見たペットスライムになり、磁石を近くに置くとスーッと寄ってきてパッと捕まえ飲み込んでいくのです。ボクの子供の頃にはなかったよなあ。そうそう、途中寄った長島のSAには足湯があってこれがまた気持ちいい。全身温泉に浸かりたくなるのがあれですけどね。

2002.6.13
 昨日から2泊3日でヒデフミが小学校の野外学習に行って家にいない。ヒデフミはものすごく楽しみにしてて、ボクの大きなリュックに荷物を満載して出かけていったが、寂しいのはアツフミなのだ。いや、ボクや妻ももちろん寂しいのだけどね。で、昨夜は珍しく夕食後家族でトランプをした。ババ抜き、七並べ、そして神経衰弱。ボクは本気を出したのだがトップはアツフミ。いやあ子供の記憶力はスゴイです。そうそう、ゲームも一人でやってたけど、2人用ゲームで片方のコントローラーのケーブルを抜いたら対戦相手がコンピューターになって一人でも遊べるのだそうだ。よく知ってるねー。で、相手を倒すうちに初めて見る敵キャラが現れたそうで、ヒデフミが帰ってきたら自慢するつもりらしい。早く帰って来ーいヒデフミ〜。

2002.6.12
 そういえばアツフミの財布、スーパーの人には「ポケモンの絵が付いています」と言ったのだが、見つかったのを見てみると「デジモン」だった。

2002.6.11
 日曜日、大高南学童のフリーマーケットに行く。ボクがゲスト(?)で歌うので家族で乗り込んだのだ。もちろん息子たちはおもちゃ狙い。もちろん中古だし壊れてるのもあるけど「買い」だと思ったものは買ってもいいよと言ってやると自分の財布から大きな変形ロボットやアメリカ版ゴジラを買っていた。また家におもちゃが増えるが、ヒデフミが「これスゴイ、ほら・・・」と嬉しそうに説明してくれて、しかも「これで300円安いー」と言うのは微笑ましいのだった。ボクの歌も受けたし、アツフミもコマ回しとかで楽しめたようでフリマも悪くないのだ。
 
 もうすぐプール開きなので新しい水着を買いに行った。帰ってきたらアツフミが「財布がない」という。その辺や車の中などを探したが見つからない。月曜に、きっと水着を買ったスーパーで落としたのだと思い、職場から落し物が届いてないか電話する。応対があまり熱心に探すように感じられなかったので帰りに寄って自分でも探すことにする。でも見つからない。夕食時、その話をしていたら妻が「私がここに片付けたよ」だと。ぎゃふん。ま、なくなってなくて良かったけどね。
 
 ヒデフミはもうすぐ小学校の企画で2泊3日のお出かけだ。たったそれだけでも居ないと寂しいだろうなあ。月曜夜の恒例のウッドデッキでの歓談はアツフミがもう寝てしまってたのでヒデフミと2人だったが蚊も居なかったし長時間盛り上がったのだった。
 
 ヒデフミとのデュエットは大変受けが良い。そこでレパートリーを増やすべく練習したりもする。ボクがハモリをつけても、ヒデフミはつられずちゃんと歌えるので偉い。発表の日を楽しみにしてて頂戴。

2002.6.9
 またヒデフミに謝ったことがあったのだ。台所で夕食の用意をしていたところ、ヒデフミが「お父さん、フキン」と言ってきたので、つい「何をこぼしたんだ」と叱ってしまったのだが、ヒデフミは食卓を片付けてフキンで拭こうとしていたのだった。お手伝いなので逆に誉めねば!す、スマンヒデフミー。

我家の2階のバルコニーから庭に張ったテントをみたところ。息子就寝中。
 息子だけでテントを張れるように練習のつもりで庭にテントを張る。ヒデフミは頑張っていたがアツフミは遊んでいた。ま、ボクも少し手伝った程度で張れたので今度からの家族キャンプは楽でしょう。息子たちはもうすっかりキャンプ気分で夕食はバーベキューを希望。炭火を起こすのが面倒だったので手抜きでホットプレートで焼肉にする。アツフミは風呂上り力尽きて寝てしまってたのだが、テントの中に連れて行ったらなぜかすっかり目を覚まし、しばらくヒデフミと騒いでいたのだった。ボクも付き合ってテントで寝る。悪くはないね。誤算だったのが鍵を1箇所開けておいたのに妻にいつのまにか戸締りをされてしまい、朝になってもトイレにも行けないので呼び鈴を押して開けてもらったことでした。 

2002.6.6
 サッカー・W杯の日本VSベルギー戦は我が家でも大変な盛り上がりを見せました。夕食は後まわしにして(ボクはビールを飲みながら)TV観戦開始。チャンス・ピンチに一喜一憂し、日本に不利な審判のフエには猛烈に抗議し、大騒ぎしながら見てました。後半、稲本選手の幻の3点目の判定にカリカリしていたボクは、横で音を出しているヒデフミに思わず「うるさい!」と言ってしまったのですが、ヒデフミは口にはカズー、手には鈴とカスタネットで応援していただけなのでした。スマンヒデフミー。ボクは反省しヒデフミに謝ったのでした。
 
 風呂上り、ウッドデッキに出て息子達と語り合う。風がすずしい。蚊に誰かが刺されるまで歓談は続くのであった。この夜の被害者はボクでした。
 
 先日買った一輪車に乗ってみた。以前は何かにつかまらなくてもスっと乗れたし、小さなターンもできたのだが、さすがにそこまでの感覚は戻ってないものの、なんとか乗れたので安心した。ヒデフミもコツをつかみかけているので二人で乗ってれば上達も速いだろう。それにしても豊かな時代になったものだ。ウチには自転車・一輪車・キックボード・ローラースケートが親用と子供用と両方揃っている。スキー板もそうだね。問題は、土日にはお出かけが多くて、乗っている暇が無いことなのだった。

2002.6.4
 土曜日は堀川祭りでボクの出演があったのでもちろん息子達を標準装備で連れて行った。あいかわらず、お小遣いは定期的には与えていないし、普段は財布も持ち歩かなせてはいないのだが、今回二人ともある程度貯まっている(なぜ貯まる?)らしく、喜んで財布を持参していた。で、ボクとUHYOさんの出演もそっちのけで出店でいろいろ買い物をして楽しんでいた。ボクは全く一緒に居てやらなかったのだが、二人とも十分楽しんだようだった。学童の出店と違い、「くじ」がなかったようで、お金は使い切りはしなかったようです。
 日曜日は高橋忠史さんの音楽の森ライブにも標準装備で連れて行く。道中は長いが、眠ってれば着くので子供は楽だよな。会場は廃校になった小学校で、息子達はライブの前とか退屈したときは運動場でサッカーなどをして遊んでいた。当日イキナリだが、ヒデフミも出演させることにしが、ヒデフミはいやがらないので全く偉い奴だ。お決まりの『偉い人』だけでなく、『サのつくサカナの唄』と『サのつくダジャレの唄』もパーカッションや合いの手で入ってもらう。お客さんにも誉められるしボクはとても嬉しいのだった。ヒデフミは照れくさそうではあるが堂々としていて末がますます楽しみだ。アツフミもおとなしく聴いていてくれたので誉めてやった。いつもお兄ちゃんのやることは何でもやりたがるのだが、ライブ出演だけはなぜか羨ましがらないのだ。でも「今度はアツフミも一緒に出ような。練習しような」と言うと「ウン」と言ってくれたのだった。

2002.5.29
 肉体再生日記に書いたように、ボク用の一輪車を買った。ヒデフミには以前買ってやってたのだが、あまり練習しないせいか、未だに乗れるようになっていないので、見本を見せてやろう、刺激になってやろうという作戦なのだった。そういえば、アツフミのキックボードは後輪が2つある幼児用のものなのだが、普通のも実は上手に乗れるようなので、また買ってやらなきゃいかんなあと思っているのだった。そうそう、行方不明になってたサッカーボールとドッジボールに見切りをつけ、こちらも新しいのを購入した。さあスポーツやりまくろうなのだ。

2002.5.28
 土・日と白馬方面へ家族でドライブ旅行してきました。ドライブはどちらかといえば退屈で、「あと何分?」が口癖の息子達だけど、「逃げ水」を覚えたのでずっと前方を見つめては「あったー」「見えたー」「逃げたー」と楽しんでいる。雪の残る山の景色や、見事な虹も見えたりしたので運転するボクも楽しめたのだった。脇見〜(>_<)
 泊まりはいつもの民宿・旅館・公共の宿といった雰囲気とは違う洋風施設だったが、息子たちもフランス料理(風)の夕食やベッドの部屋に大はしゃぎだった。ま、賑やかではあるが、今回は厳しく叱るほど騒がなかったので良い子達だった。なぜか朝ごはんは和食で納豆までついていたが息子たちはまだ食べられないのでボクが3人分食べることになる。納豆に挑戦はしたのだが、ヒデフミは納豆の壁のおかげでご飯が減らずリタイヤ、アツフミははじめから混ぜるだけのつもりだし。糸が伸びるのは楽しんでいた。ま、ボチボチとね。
 朝は早起きして6時から朝風呂に一緒に入った後、宿のすぐ前のスキー場のゲレンデを散歩する。アツフミは石がゴロゴロのゲレンデをサンダルで駆け下りるのでビックリだった。
 白馬のオリンピックで有名なジャンプ台に登った。息子たちは高いところは怖がらないのだ。ラージヒルはさすがに高く、とてもここから人が飛ぶとは信じられないのだが、あとからノーマルヒルに行ってみると、これなら何とかなるかと思ってしまう。ヒデフミに「こっちなら飛べそうだな」と言ったら「飛べないって」と返された。あたりまえか。
 ゴンドラとロープウェイの空中散歩で行った栂池自然園はまだ積雪1メートル。2箇所雪解けした池に水芭蕉がたくさん咲いていたのには感動したが、息子たちは花より雪合戦だった。コースを外れると雪の下が空洞になっていたりするから危ないぞと注意してもその辺を歩き回っているのだった。もっとも2度ほどズボっとはまったのはボクだったのだが(体重のせい?)

 月曜日の朝、なんと二人とも6時半頃起きてきた。旅行で早起きグセがついたのだろうか。さすがに朝のお支度が楽だったわ。で、今は火曜の朝7時前。今日は起きる気配なし。

2002.5.25
 6月になったらプールが始まるよとお母さんから聞いたアツフミ。リビングのトトロの月めくりカレンダーを見ながらあと何日でプールだとはしゃいでいる。そうだ、新しい水着を買ってやろう。
 
 土曜朝、眩しいくらいの日差しだがまだ5時過ぎなのだ。ヒデフミが起きてきたので一緒に滝の水公園に散歩に行く。いつものようにおしゃべりしながら。ハトやスズメにパンをやったりした。週末はいい天気になりそうなので嬉しいのだ。

2002.5.23
 日曜日、息子たちはボクに付き合ってライブオフ会に参加。でも息子達は歌は聴いちゃいない。自転車を車に積んでいったので2人でずっと乗りまわしている。あと霧状の噴水(?)があって、その中でキャーキャーやってる。これ、ちょっと入っただけでもシャワーみたいなものでびしょぬれになるのだが、濡れては自転車で遊んで乾かし、乾いたらまた濡れるを繰り返したあげく、帰る頃には日が弱くなってたのでもう乾かないのだった。絶対風邪ひくぞと思ったが、なんとか大丈夫だったようだ。

 ずいぶん日が長くなってきたのだ。火曜日、定時で仕事が終わったので息子達を学童に迎えに行き、滝の水公園に一緒に行く。ボクはランニング、ヒデフミはキックボード、アツフミは自転車で、公園周回路を走る。アツフミは自転車が上達したので速い速い。ボクがけっこうハイペースで走っても追いつけないくらいなのだ。また乗れるのが楽しくて何周もするもんだから疲れちゃった。でも息子と一緒に走れるっていいもんだ。真っ赤な夕日が沈むのも見れて良かったのだった。

2002.5.19
 平日に仕事を休んで自宅にいるとセールスの電話が必ずと言って良いほどかかってくる。当然お断りして切るのだが、中には立腹するものも多いのだ。16日にかかってきた電話は腹が立つほどではないが典型的なやりとりだった。
「アツシくんのお母様はいらっしゃいますか?」
「ウチにはアツフミというのはいますがアツシはいません」
「アツフミくんは1年生ですよね」
「そうですが、なぜウチに1年生がいるというのをご存知なんですか?」
「お母様はいらっしゃいますか?」
「こちらの質問に答えてください」
「名簿業者から買いました」
「ふーん。とりあえず母親は居ないんですがどういったご用で?」
「学習教材を・・(なんとかかんとか)」
「電話でのセールスは嫌いですので失礼します」
あ、「父親じゃダメなんですか?」って言うの忘れてた。 

2002.5.12
 また朝食ネタ。金曜朝、アツフミは本人の強い希望により「カップ焼きソバ」。さすがに希望しただけあっていい食べっぷりで、ほぼ完食。ヒデフミはまた「目玉焼」を希望したので今回は「目玉焼丼」にした。完食はしたのだがペースが遅く、一口食べては着替え、口に入れては時間割を合わせ、モグモグしながらトイレに行き、最後の一口は玄関にまでお茶碗を持って行って靴を履きながら頬張ったのだった。

 ヒデフミが腕相撲の勝負を挑んできた。もちろんボクにかなうわけは無いのである。両手でやってもボクの勝ち。でも挑戦してくるその気概がよいではないか。いつかボクが負かされる日が楽しみなのである。まだまだですがね。あ、ちなみにボクの父(ヒデフミのおじいちゃん)はやたら腕っ節が強く、ボクは大人になっても勝てなかったのであった。

 ヒデフミったら寝ようと2階に上がるとき「さよなら」って言うので笑ってしまったのだった。よほど眠かったのだ。今(日曜朝7時半)起きてトイレに行ったようだが、また寝たらしい。夜更かししたからもっと寝ておかなくちゃね。

2002.5.10
 ボクは朝食にラーメンとかカレーライスを食べることが多いのだが、息子達はパン食が多い。ところがヒデフミが突然「こんなのではなくちゃんとしたのが食べたい」と言い出した。「どういうのだ?具体的に言ってみよ」と尋ねたら、「目玉焼だ」と即答。そこで木曜日の朝は久しぶりに「ごはん」と「味噌汁」にする。ボクと妻はおかずに「納豆」と「キムチ」、ヒデフミは希望どおり「目玉焼」、アツフミは「味付海苔」。ちなみに「味噌汁」の具は豆腐とワカメだ。ヒデフミがごはんと味噌汁だけ食べて目玉焼に箸を付けないでいたので「ご希望どおりのはずでは?」と責めたら、「好きなものは最後」と答え、ちゃんと残さず食べたのでまあよい。アツフミは味噌汁の中にダシ用のイリコを発見し、「変なものが」と言うので「それは魚だ。おまえ好きだろう」と言ってやったら、しばらく掻き回していたが結局全部テーブルの上に並べてしまった。2人ともその調子なので時間がなくなり大慌てのお支度になってしまったので、だから菓子パンの方が・・・と思ったのだった。

2002.5.9
 GW後半は温泉旅行なのだ。渋滞が嫌なので一般道で行ける三河山中の某温泉に一泊する。ヒデフミは付き合いの良い奴で、いつもはボクに付き合って散歩したりするのだが、温泉ではおじいちゃんに付き合って散歩していた。朝5時起きで温泉に浸かってからの散歩は大変だっただろう。
 1日目は雨だったので遊べなかったけど、2日目はいい天気になったので足助に行った。三州足助屋敷に入ったが、有料施設なのに入り口近くに置いてあったコマとかで延々と遊んでて、ほとんど中を見て回っていないのがヤツららしい。マス釣りもできたので喜んでやっていたが釣果はさっぱり。トカゲを見つけて捕まえてたのがアツフミらしい。このトカゲ、帰りの道中、車の中で袋から脱出しどうなることかと思ったが無事御用となったようだ。2匹持ち帰り庭に放す。はたして生き延びることができるか。
 
 家の和室の畳も5年半を過ぎてボロボロだったので表替えをした。息子たちがクレヨンで落書きしちゃったりした跡もなくなった。新しいいい香りのする畳の上で、ヒデフミは早速逆上がりの練習をしていた。なんかまたすぐ傷みそうである。  

2002.5.4
 GW初日の28日、家族で名古屋港水族館に行った。イルカショーの拡張工事が終わったからは初めて。アツフミだけは保育園の遠足で一度来ているので「案内してよ」と言ったら喜んで道案内とかイルカショーのプログラムの説明とかしてくれたのだった。相変わらずヤドカリやナマコを触れるコーナーが一番のお気に入りで、飽きもせず延々と触っている兄弟なのだった。
 
 ボクが風邪で寝込んでいた4/29。リビングに隣接する和室に布団を敷いて寝ていたらソファーの向こうに顔面血だらけの人が!びっくりして飛び起きたら鼻血を出したアツフミでした。公園で遊んでいて鼻を強打したらしい。ヒデフミによるとアツフミがどこを通ったか血の跡でわかるくらいだったというので相当大量に出たらしい。ま、たいしたことはなかったのですがね。ヒデフミに濡れタオルを持たせて公園の遊具に着いた血を拭き取りに行ってもらった。知らない人が見たら、ここで事件が?ってことになりそうだからね。でもキョロキョロ人目を気にしながら血を拭き取ってるヒデフミも怪しいのだった。
 
 5/1は小学校の遠足。前夜、息子たちはテルテル坊主を作る。その甲斐有って雨は上がったのに、なぜか中止になっちゃったのだと。アツフミはクラスで自分だけ勉強の道具を持って来なかったといって怒っていた。
たくさん〜。全部表情が違うのだ。
 5/2.3と椛の湖のウッディハウスでそろりんキャンプ。息子たちがはしゃぐのは当然だが最後にアツフミが川で転んで(実は1.5mほど落ちたらしい)額から流血。みなさんを驚かせてしまいました。傷は残るかもしれないけどたいしたことはありません。ヒデフミも全く同じ場所に傷跡を残しているので医者が笑っていました。 

2002.4.28
 先日ヒデフミの今学年最初の授業参観に行った。新しいクラスなので自己紹介スピーチなのだが、感心したのはみんなけっこう面白く話すのだ。よその子のスピーチにも受けまくっていたボクでした。ヒデフミは最後に登場したのだが、なんとお父さんはいつもバンダナをしています、とやったもんだから、子供たちやお母さんたちが一斉にボクのほうを見たので照れちゃいました。もちろんこの日はバンダナはしていなかったのですがね。

 ヒデフミはメガネをかけているが、朝は支度がいつもバタバタしていて忘れていきそうになることが多い。で、ボクが探し出して「綺麗な布で拭いてやる」といいながら着ているシャツでゴシゴシとすると、ヒデフミが「綺麗な布ってそれかオイ」というのが、我家の朝の定番ネタなのであった。
 
 アツフミが空っぽのランドセルで帰宅。全部教室に忘れてきたらしい。軽くて良かったねと言ってやったが、翌日先生に怒られたといって落ち込んでいたアツフミだった。ぜんぜんOKだぞ。忘れ物といえば、生活の教科書を忘れてるのに気づいてボクが届けに教室へ。アツフミは教室に入ってきたボクを見て少し恥ずかしそうに嬉しそうにしていたのだった。

 息子達にはできるだけおそろいの服を着せるようにしている。近頃は、おそろいのTシャツにおそろいの長袖Tシャツを重ね着させているのだが、暑がりのヒデフミはすぐTシャツ一枚になってしまい、寒がりのアツフミは長袖のままなので結局おそろいにはなっていないのだった。

 土曜日は子供達はお休みだが(毎週!)ボクは出勤することが多い。金曜の夜、アツフミに「早く寝ないと明日の朝アツフミが起きたときにはお父さんは居なくなってるよ」と言っておいたら土曜の朝6時半ごろ(いつもより早い!)、「起きれた〜」と目をこすりながらアツフミが起きてきた。ボクがまだ居て安心したのかママの横にもぐりこんでまた寝たのだった。泣かせるネエ。寝てる間に鼻血を出したらしく顔に乾いた血がついていたのも泣けるのだった。
  
 日曜日6時頃ヒデフミが起きてきたので一緒に散歩に行く。滝の水公園と滝ノ水緑地をおしゃべりしながら。話題はカラスがなんか怖いとかタバコの吸殻落ちてるとかツツジが咲いとるとか。ヒデフミは合わせてしゃべってくれるので会話が楽しい。歩く速さも合わせてくれてるのだった。

2002.4.21
 我が家の姓はありふれていて全国どこでもみかけるものだ。昔読んだ資料には26番目に多い姓だとあった。でも実際に自分の小学校から大学までを振り返ってみると、せいぜい1学年に1人か2人で、同じクラスに同じ姓が居たことはなかった。それは、5年生になるヒデフミも同じなのだが、なんとアツフミはいきなり同じクラスに同姓の女の子がいるのだ。男女混合の50音順なので名簿では並んでいる。6クラスあって2人しか居ないのになぜ?とちらっと想う。
 さらに、アツフミという下の名前なのだが、実はいままで「アツフミ」と読む名前の人は知っている限り一人もいなかったのだ。同じ漢字表記の人は多いが、まず「アツシ」と読むことがほとんどだろう。それが同じクラスに漢字は違うけど「アツフミ」くんが居るのだ。これまた珍しいね。
 前置きが長くなったが、同姓や同名が同じクラスに居ても別にかまわないのだが、文具などに名前を書くとき、今までのように姓だけ(ヒデフミのお下がりがアツフミにも使えそうなものはこれ)とか、「アツフミ」とだけ書いたのではまずいな、という、それだけのことなのであった。ちなみに妻の旧姓は超レアな姓なので、結婚するときみんなに「もったいない」と言われていたっけ。

2002.4.17
 小学校の給食がヒデフミだけ始まった。アツフミはまだ来週まで給食がないので、午前中で学校が終わったら学童に帰宅してお弁当を食べるのだ。アツフミは少食なのでお弁当にも気を使う。保育園のときは遠足など特別なときだけのお弁当だったので、かならずご飯はオニギリにしていたのだが、今は毎日なので手抜きしてフリカケご飯にしておいたら、「前はオニギリにしてくれてたのに」と恨みがましく言うので今週からは毎日オニギリ作ってるのである。そういえば、タコさんウィンナーは必須だと思って入れてたのに、無理して食べてるんだよなどと言われ、それ以来ぷっつりと入れなくなっていたりもするのだ。

 朝、TVで恵那峡ランドのリニューアルオープンのCMをやっていた。実は先々週末に家族で花見をしようと恵那峡に行ってきたのだ。名古屋では散り果てていたソメイヨシノも恵那峡までいくとけっこう残っていた。初めて遊覧ジェット船の乗ったが30分の船旅はけっこう楽しめたぞ。息子達は鵜(たぶん)が水に潜ったりするのを見つけて「ネッシーだあ」と大騒ぎをしていた。お土産物屋に恵那峡ランドのポスターが貼ってあって、ヒデフミが「恐竜展がある、行きたいー」と言ったので「あそこはもうつぶれちゃったんだよ」とボクは言い返したのだが、よく見ると復活するらしい。すまんヒデフミ。よかったね息子達。

 先週の日曜は岐阜県恵那郡串原村の岡村さんのお宅で開催された花(葉菜)見の会&ミニライブ会に家族で参加させていただいた。妻は山菜の天ぷらや手巻き寿司などを堪能し、ボクは気持ちよく歌えて幸せだった。で、息子達は、というと、大きな穴があるといっては飛んで行き、筍を掘らせてもらい、トカゲやゲンゴロウをつかまえ、泥だらけになって遊んだのだった。土曜のモンキーパークと合わせ、充実の週末で泥のように眠る息子達であった。

 曲がりなりにも、毎朝アツフミは分団登校をしているのだ。曲がりなりにも、といった訳は、ウチの兄弟が集合場所(ウチから30メートルくらいのところ)に着くか着かないかのうちに全員が歩き出す、つまりいつも遅刻しているからなのだ。保育園時代よりは早く起こすようにしているのだが、食べるのも着替えるのも実にのんびりしているからね。ランドセルはアツフミにはやはり大きく、カワイイのだが大変だろうなあ。今のところ、姿が見えなくなるまでずっと玄関で見送っている父なのだった。

2002.4.13
 そういえばアツフミの入学式の感想などを書いていなかったのだ。ま、式そのものはアツフミが全然見えなかったので何ということはなかったのだけど、教室で座っているところを見たときはしみじみ成長ぶりを嬉しく思ったのだった。校舎をバックにしたりして写真をたくさん撮ったぞ。一張羅のスーツ・ネクタイ姿が凛々しいのだ。ヒデフミのお下がりだけどね。近所の写真屋さんでもちゃんとした写真も撮ってもらったのだった。祖父母に送ると喜ばれるのだ。

 久々にボクが土曜日お休みだったので犬山の日本モンキーパークに行ってきました。途中お天気雨がパラパラしてきたものの行楽日和。でもなぜか空いていて仮面ライダーの催事や乗り物をたっぷり楽しんだのだった。息子たちはモンキーパークでは初めて乗り物フリーパスを買った。身長130cmのヒデフミはもう何でも乗れるし、アツフミも110cmで乗れないのはほんの一部となったのだ。どれも待ち時間などはないので繰り返し乗りまくったのだった。ボクは回るやつは気分が悪くなってダメなのでカメラ係に専念。八重桜が満開で花見も楽しめたよ。

 犬山は妻の実家があるのでついでに息子たちの祖父母と夕食に出る。なんとヒデフミはトンカツ定食+αを完食。みんなで驚くやら感心するやら心配するやらでした。あ、アツフミはモンキーパークでポップコーンをたくさん食べたのでお子様ランチをたくさん残してしまいましたが。

2002.4.12
 夕食後、ヒデフミが食べていたイチゴをアツフミが飲んでいた牛乳のコップの中に落とした。アツフミは文句を言ったが、ボクが「イチゴに牛乳をかけて食べるのは普通だからいいんじゃないの」と言ったら、2人は味見をして、「いちご牛乳みたいだ」と喜んで、他のイチゴも牛乳につけて食べ始めたのだった。

 小学校の名札は地の革が学年毎に色が決まっていて、毎年プラスチックの名札を付けかえるのだ。ヒデフミは5年生で緑色。ところがせっかくママが付けてくれた名札を始業式の日に忘れて行ってしまった。翌日は絶対忘れないようにとヒデフミが考えた作戦は、玄関のドアに名札を貼り付け、さらにその周りに「忘れるな」とか「怒られるぞ」とか書いた紙を貼り付けることだった。実は名札は夜のうちに落ちてしまってたのだがボクが貼りなおしてやっておいたのだった。

 息子達は2段ベッドで寝る。何につけても兄弟で奪い合う息子達だが、なぜか2段ベッドの上下だけはすんなり決まっている。ヒデフミが上でアツフミが下なのだが、そのわけを聞いてみると、アツフミはお父さんに添い寝してもらいたいのだが、お父さんが上に乗るとミシミシ鳴って怖いから、だそうだ。実際に以前降りようとしたら手すりが壊れて落ちたことがある。壊れた手すりはベッドを180度回して壁につけたから問題無いのだった。
 
 アツフミの入学式の日、親として恥ずかしいのだが、上履きを買っておくのを忘れていたのに気付いたのだった。みんなが履いてるのは普通のバレーシューズではなくて横に青いラインが入ってるもの。アツフミは人に笑われるのが嫌いなので、もし「君のシューズみんなと違う」とか「保育園のを履いてる」とか言われたら泣いてしまうのではないかとスゴク心配したのだ。すぐ買いに走ったのだが、扱ってる近所の店が休みで、とりあえず保育園のときに履いてたのを持たせる。翌日仕事を途中で切り上げて夜7時頃店に行ったらまた閉まっている。夜8時までと張り紙はあるのにどういうことだと怒る。あせりつつ車で30分ほどの間、少し離れた商店街に探しに行ったりもしたが売っているような店は見つからない。最後は小学校に行って残業している先生に事情を話し、扱い店の電話番号の載っている紙をもらう。その紙によると朝8時からやってるようなので、翌朝、慌ただしく出勤途中に購入。やれやれ。その夜、アツフミに「すまんかったなあ、ほら明日から誰のよりも新しいシューズを履いてね」と言って見せたら、「まだ前のほうが足にピッタリだからキツクなったらそっちを履くね」と言われたのだった。

 ヒデフミの乳歯がまた1本抜けた。もうすっかり永久歯が横から出てたので歯並びを心配していたのだがなんとかなりそうだ。人間の体ってホントよくできてるなあ。

2002.4.7
 4月からいよいよアツフミが学童っ子になりました。行事や送り迎えなどで慣れてるのと、保育園のおなじ組のお友達がたくさんいるのですんなり入っていけてるようで安心しています。新学期が始まるまでの間は朝から夕方までたっぷり学童で走り回っているので、食欲もあるしたくましくなったようです。毎日お弁当を作るのは大変ですが残さず食べてくれると嬉しいのです。ちなみにお気に入りのおかずは子供らしく「肉団子」「卵焼き」「タコさんウィンナー」ですが、「塩サバ」「焼肉」「豚シャブ」なども食べてくれましたよ。いよいよ明日が入学式。楽しみです。
 
 ヒデフミが転んで足にスゴイあざを作ってきた。だんだん色が変わってくから面白いよと言ってやったらホントに観察して楽しんでいる。1週間は楽しめるぞー。そうそう、ボクはかさぶたを取るのが好きなんだけど、息子たちはやらないなぁ。

2002.3.30
 昨日1日、初めて息子たちだけでお留守番をさせた。朝から夜までの長時間は不安だったがなんとか無事でしたね。職場から何度も電話を入れて様子を聞いたりしたボクはやっぱバカ親でしょうかね。お昼はお弁当を作っておいたのですが、アツフミによると「お兄ちゃんがまだ食べちゃだめ」とか仕切っていたらしく、ほほえましいのです。ウチではママがいないときなどは「男のお祭り」といって盛り上がることがあるのですが、昨日は「子供の祭り」ということで楽しんでたようでした。ただし、お勉強はやらなかったようで、これまたアツフミによると「ボクはしようって言ったんだけどお兄ちゃんがやろうって言わなかったから」だそうです。残業になってたのですが電話したら「いいよ食パンをかじるから」と泣かせるようなことを言うのでお先に失礼してしまったのでした。
 
 そうそう、東京出張のついでに、御茶ノ水の楽器さんでミニギターを買いました。ヒデフミの10歳のお誕生祝いとして。練習して一緒にセッションできるといいね。ちなみに色は青です。

2002.3.28
 あぁ日記さぼりがち。小ネタはこまめにメモしとかないと忘れちゃうね。先週末は家族でスキーに行った。我家は早朝出発はできないので土曜の夜スキー場近くまで行ってお泊り。息子たちはホテルや旅館にお泊りだというと必ずおもちゃを袋に詰め合わせて持っていく。ウルトラマンシリーズの怪獣とかが多く、荷物になるがけっこうそれで遊んでいるのだ。ヒデフミはマンガも何冊か持っていくようになったな。さてスキーだが、さすがにシーズンも終わりがけ、スキーヤーズオンリーのきそふくしまスキー場はとっても空いていた。アツフミは1日券を無駄にしてキッズコーナーで主にそり遊びをしていた。ヒデフミは先回学童でいったときにだいぶ鍛えられたので今回は中級コースも難なく滑っていたのだ。ボクもけっこう滑れたのでよかった。アツフミに付き添ったママも1日券は無駄にしたのだった。
 
 月曜日はアツフミの保育園卒園式。ヒデフミから数えると9年間続いた保育園への送迎生活も終わりのときが来た。大変だったけど、もう保育園に来ることもないと思うとこみ上げてくるものがあるのだ。予想に反してボクは(妻も)泣かなかったのだが、アツフミは先生が泣いているのに触発されたのか号泣状態。でもしばらくするとけろっとしてるのが子供らしいのだった。
 
 昨日はヒデフミの10歳の誕生日。アツフミが保育園にも学童にも預かってもらえないので妻のお母さんに仕事を休んでいただいて子守りにきてもらってたのでいっしょに誕生祝ができた。ボクも妻も帰りが遅くヒデフミには申し訳ないのだが、妻の妹さんとその娘さんも来てくれていてにぎやかになってよかったのだった。

2002.3.18
 日曜日に家族で明治村に行く。ヒデフミが以前行ったことを覚えていなかったくらい久しぶりやね。以前に比べて明治村も遊べるものが増えてるので子連れにもお薦めです。もちろん文化財的にも貴重な真面目なテーマパークだし。蒸気機関車、市電、園内バス、馬車、前輪が大きくてペダルがチェーン無しで付いてる自転車と、乗り物に乗りに行ったようなものだけどね。
 そうそう、ちょうど園内の教会で結婚式をやっていた。教会から出てきた新郎新婦は馬車に乗って園内を回って、どうやら披露宴も同じ園内の帝国ホテル(中央玄関)で行うようだ。息子達はとても興味深げに見ていたので、「お前達も結婚式はここでやってもいいよ」と言っておいた。その昔、ボクが結婚した頃は、結婚式をできないことはなかったのだが、いろいろ面倒で断念した記憶がある。いまでは年間150組がここ明治村で結婚式を挙げているそうだ。アツフミが「お兄ちゃんのほうが先だよ」と言うのが何ともほほえましいではないか。

2002.3.15
 最近、TVで温泉の特集番組が多いけど、けっこう好きで見ることも多い。不満なのはレポーターの芸能人が浴槽にタオルを入れてること。実際に温泉に行ったときなど、それをいけないことだと思っていない人が居るのはこういう番組のせいなのではないかと思う。でもタオルがないとモザイクになっちゃうか、などと息子と楽しく話しながら、今度家族で温泉だとまとまる。
 温泉旅館では料理も楽しみ。「ウサギ鍋」がとりあげられてて美味しそうだったので我が家のペットウサのメイちゃんに聞こえるように「うまそーなウサギだなあ」とボクが言ったら、優しいヒデフミは「違う、あれはウナギ鍋だ」と反論。確かに「サ」と「ナ」は似てるが、どうみてもあの肉はウサギ。ちなみにボクはウサギ鍋を食べたことがあったりする。ウチのウサは片耳だけ立てて丸まっていたのだった。

2002.3.13
 前にも書いたと思うけど、ウチでは息子達にお小遣いは渡していないのです。休日は親と一緒に出かけるのだし、平日は放課後学童だから使うときがないのよね。その代わり、お祭りのときは財布(一応自分用のは持っている)を持たせて出店での買い物は自由にさせているのだ。日曜日は我が滝ノ水学童の学童祭りでまたまた散財したようだ。収益に貢献しているのは間違い無く、反省会のときもウチの名前が出るくらいだったのだった。
 
 水曜日はアツフミの保育園のお別れ遠足だ。アツフミは先週からずっと楽しみにしていたのだ。前日はおやつ(100円まで)を自分で選んで買って、夜も早く寝たのだった。当日朝も寝ぼけながら「お弁当〜」と言ってたらしく、いつもより早起きして弁当を作っているところを覗きこみにきて「シューマイは1個」とか「ウインナ―はタコのとカニのと両方」とか「そこにミニトマト」などと指示を出したりもしていたのだった。お着替えもすばやかったぞ。いつもこうならボクは遅刻せずに済むのだけどね。

2002.3.4
 まるまる1週間保育園を休んだアツフミであったが、週明けの月曜日は久しぶりに登園することができた。実は37.1℃なのだがこれくらいはいいだろう。日曜の夜には38.4℃になってたりもしたくらいなので心配してたのだ。なんで熱がこんなに続くのかわからない。 ま、熱の割には元気なのでいいのだ(たぶん)。
 実際、日曜日には、ボクが学区対抗駅伝大会に出るので応援させるため大高緑地に連れて行ったりもしたのだ。おまけにウォーミングアップで1周軽く走っておこうと思ったら、アツフミが離れないので、一緒に1周回ったりまで。半分以上は肩車したのでボクはヘトヘトになったが、アツフミも自力でけっこう走ってたぞ。
 さらに、日曜の午後は家族でボーリングをする。レーンの脇にガーター防止のバーを上げたとはいえ、アツフミはアベレージ80を超えたのだった。落ち込んだのはヒデフミで、豪快な投げ方の割にはスコアが伸びず、2ゲームともアツフミに負けたのだった。

2002.2.28
 ヒデフミがボクの書斎の本棚に並べてある「美味しんぼ」に気付いて、読みたいというので1巻から順に読ませることにした。ボクの学生時代からの作品だからもう81巻まで出てるしヒデフミには大仕事になるだろう。ちなみにウチにある第1巻は昭和60年1月1日の初版第1刷なのだ。また語り合うネタが増えたのは嬉しいことである。ヒデフミは第2話のアンコウのさばき方とか、第3話の寿司の心にずいぶん感銘を受けたようだったのだ。そうそう、某100円寿司のことを「スーパーのパックのスシのほうがよっぽど美味いぜ」とか言ってたし。

 土曜夜から日曜朝にかけてアツフミが腹痛で病院に連れて行ったりして大変だったのだが、これがまた長引くことになってしまうのだ。保育園を休むと共働きの我が家はどちらかが仕事を休まなければならないのだが、月曜は妻のお母さんが来てくれてとても助かった。さらに火曜日もアツフミの熱が下がらず、おまけにヒデフミの調子まで悪くなってしまってお母さんには二日続きでお世話になってしまったのだった。水曜日はヒデフミは回復したがアツフミはまだダメで妻が休む。まーそろそろいいだろうとは思うけど木曜はボクが休む覚悟ではいるのである。ボクも先週調子悪くなったりしたけど、病気のアツフミと毎晩くっついて寝てる割にはなんとか持っているのだった。前も書いたような気がするが、ヒデフミは病気になると二重まぶたになってとてもカワイイ。アツフミはというと、得意の耳ギョーザができやすくなって、できると必ず見せてくれるのだった。

 携帯ミニゲームの「テトリス」を発掘した息子たちがけっこうはまっている。でもどこかに置いたまま見つけられないようで、急速にブームは去ったようだ。そういえばゲームキューブはどうなったんだろう。ここんとこやってないよな。パソコンで「ピンボール」をやってたのもつかの間だったね。で、実は懐かしの「ゲームウォッチ」も発掘されているのだった。これはボクが大学受験で初めて名古屋に来たとき、帰りの電車やフェリーで退屈しないよう、栄の三越で(さすがにもうオリエンタル中村ではなかった)清水の舞台から飛び降りる思いで買ったものだ。・・と書いてるうちに今まさに電池を入れ替え「ゲームウォッチ」は甦ったようだ。もちろん早速息子たちははまっているのだった。

2002.2.25
 今年は病気をしていないと書いたばかりだが、アツフミが倒れてしまった。土曜日の生活発表会は歌にハーモニカにお芝居に気合が十分入ってたところを見ることができて、保育園最後ということもあって感動したのだったが、夜、吐いた上に腹痛を訴えて苦しんだのだった。夜中の2時過ぎだったが、繰り返し強烈な痛みが来るのでサスガに心配になり、電話をしたうえで、某大学病院へ連れていったのだった。おそらく胃腸風邪だということで、ほんのり明るくなった頃、連れて帰れてヤレヤレですわ。ほとんど一睡もしないで迎えた日曜日、お出かけは当然できずである。ヒデフミは元気なので残念がってたので滝の水公園に2回一緒に行ったのだった。ヒデフミを「少年ガングリオン隊」の隊員に任じることにした。アツフミはその後高熱を出し、継続療養中。

2002.2.22
 テレビ局が我が家にロケに来るという話で、一番楽しみにしていたのはアツフミだったのだ。始めに電話があったときもアツフミは電話してるボクの横に来て「断らないで〜」と言っていたし、ドタキャンされた後もずいぶん落ち込んでいたのだった。ヒデフミは逆にあまり気にしていない様子なのが面白いのだった。
 
 学童フェスティバルに息子2人と行った。ボクが弾き語りをやるのが主目的なのだが、息子達は、わたがしなどを出店で買って食べたり、バケツビンゴで遊んだり、手品や大道芸のパフォーマンスに夢中になっていたのだった。特にバルーンアートはお気に入りで、アツフミはできたのをもらおうと頑張って手を上げていたが結局ヒデフミがジャグリングのお手伝いをしたときにバルーンをもらえたので大喜びだった。ん?ボクの弾き語りの影が薄いゾ。

 ボクは宝くじは買ったことがないのでよく知らないのだが、売り場に「この売り場から1等1億円がでました」って掲示されてたりするんですよね。保育園にも似たような掲示があって、「ぞう組からおたふく風邪がでました」とか、「ぱんだ組からはしかがでました」というのをよく見るのだ。昨日とうとう「ぞう組からインフルエンザがでました」が登場した。幸いウチの息子達は今のところ元気である。毎年冬には何度か発熱し、仕事を休まなければならないのだが今年はなぜか一度も(だったか?)ない。代わりにボクにまた胃腸風邪の症状が出ていてつらいのだった。

 ヒデフミが学童の指導員に「ツッコミが上手いね」と誉められたそうだ。いつも練習している甲斐があった。朝、支度が遅いと叱り飛ばしたら、元気なく登校しようとしてたのでヒデフミに声をかける。「車に気をつけて」「ハイ」「変な人にもな」「ハーイ」「オオカミにも」「居ないって」で、笑顔で駆け出すヒデフミなのだった。

2002.2.17
 お風呂はたいていボクと息子2人が一緒に入る。ボクは温泉の素を入れるのが好きなのだが、息子たちは泡の出る入浴剤がお気に入り。おもいっきりバシャバシャ泡立てて入るのは楽しい。必ずヒゲとかビールとかのネタは出るのだった。

 2月の連休の最終日、学童の数家族にご一緒させてもらい、SKIに行った。ヒデフミは上手なお友だちについていくことで1日でスゴク上達した(らしい)。ボクはというと、アツフミに付きっきりでヒデフミの滑りは見ていないのだった。アツフミはリフトに乗ってると寒くなるのでご機嫌斜め。誰よりも早く昼食休憩し、ストーブの前に座るのだった。午後は緩斜面で積極的に滑る。なぜか左にパラレルで曲がるのだった。

 アツフミの学習机が配達された。キチンと測ってはいなかったが予定しておいた場所にピッタリ治まる。数センチの余裕もないのが冷や汗ものだ。ところが業者が帰ってしばらくしてから、椅子がセットになってるはずなのに、ないのに気がついた。実は注文したのとちょっと色が違うような気がしてたのだが、まあそんなものかと思って流してたのだが、業者がよその家の机と間違えて置いていったのだった。妻は気が付いてたようだったが、けっこうボクの記憶はいいかげんなものだったのだった。同時に緑色のカラーランドセルも届いた。ヒデフミが「これいいなあ」と言っていた。

2002.2.5
 先日、ヒデフミが初めてビッグマックを一人で完食した。もともと小柄で少食だったヒデフミなので、この成長振りには相当感慨深いものがあるのだ。そういえばボクはビッグマックは食べたことがないかも。

 名古屋市金山にあるボストン美術館で開催されているエジプト展に息子たちと行った。「遊戯王」に出てくる象形文字や神の名前があるので息子たちは驚いていた。

 ママがイタズラしてキャンスケ(犬のぬいぐるみ)に毛皮座布団を巻いてライオンの変装をさせた。これがお見事って感じで皆で大受け。ついでにウサでやってみたらヒツジに見えないこともなかったのだった。そのうち写真公開しよう。
 
 パソコンを一人でできるようになった(いつの間に?)ヒデフミが、今度はWINDOWS付属のペイントブラシでお皿くんを描いた。あまりに見事なので、久しぶりに「わや一家ギャラリー」にUPするのだ。そのうち。

 アツフミは4月から小学1年生。祖父母からお祝いもいただいていることだし、学習机とランドセルを購入(配達の注文)をしてきた。机はお兄ちゃんと同じタイプ。実は今4年生のヒデフミは、お世辞にも勉強机を活用しているとは言えないのだが、自分の城は必要だろうと思って、買い与えるのだった。ランドセルは、一見黒だがよく見ると緑色というカラーランドセルにしておいた。

 腹筋を1回もできなかったアツフミだが、毎晩やってるうちに5回できるようになった。すごいでしょ。

2002.1.26
 ゲームキューブは今のところ問題なく家庭に入っている。一度、約束の1時間を超えて遊んだことがあったので、厳しくした。遊ぶ時間をリンゴに例えて言い聞かせたらよく分かってくれたようだ。「毎日1個づつリンゴを食べるとする。今日と明日で何個?そう2個だよね。それを今日2個食べちゃったら、明日は何個食べられる?そう、0個だよね。ゲームも同じ。毎日1時間って決めてて、今日2時間やっちゃったら明日は何時間できる?0時間・・・」。アツフミに自分で「0時間」と言わせるところがミソなのだ。

 個人情報が名簿化されて流通しているのは問題なのだ。もうすぐ小学生になるアツフミ宛にランドセルや学習机のDMがたくさん入ってきたりする。さらにこんど5年生のヒデフミをターゲットに英語教材のDMも多いのだ。その中に、体験用にCD−ROMが付いてるのがあった。ところがこのCDがよくできててけっこう遊べるのだった。ボクはなにもしていないのに、ヒデフミが勝手にパソコンの電源を入れてCDを入れて体験版のゲームや教材をやっている。ただただ感心してしまったのだ。

 肉体再生日記にも出てくるネタだが、寝る前に腕立て伏せと腹筋を始めた。息子も一緒。ヒデフミははじめは腕立て伏せを1回もできなかったのに、なぜか25回もできるようになった。アツフミも腕立て伏せは得意ですごいスピードで20回以上やるのだった。ヒデフミは腹筋も頑張っている。アツフミが腹筋を1回もできないのは謎なのだ。

 アツフミの保育園で公開保育があった。最終日にボクも見学に行く。前夜から「お父さんが見に来る」と盛り上がっていたアツフミは、いつもはグズグズするお支度や着替え朝ごはんを猛スピードでこなし、「まだ〜?」とボクをせかすのだった。園でもお支度は1番早く、体操のときも誰よりも早く上半身裸になって、乾布摩擦用のタオルをもって園庭に出てきたのだった。主活動は外遊びで、最初、縄跳びで誰が一番長く飛べるかってのをやった。アツフミはボクの予想以上に頑張ってて、結局チャンピオンになった子には負けてしまったがすごく頑張って飛んでたので見ていたボクも嬉しくなったのだった。お友だちに応援されていたのも嬉しかった。その後の自由遊びになってからのコマ回しでは、なんとアツフミが何度も一番になって、本当に感心したし、得意げな様子にボクもこれまた嬉しくなったのだった。

2002.1.15
 さてさて、ご無沙汰というか、もう止めてしまったのかと思われたかもしれないくらい間が空いてしまったバカ親日記ですが、2002年版のスタートです。

 年末年始と小学校も保育園もボクの仕事もお休みだったわけで、1日中一緒に居て、それこそ書くネタは山ほどあったのですが、ここは涙を飲んで思い出せるだけ、書き表せるだけ、となってしまいます。

 さて、2001年の締めとしてヒデフミの言ったこと。「僕には優しいお父さんとお母さんが居るし、クリスマスもお正月も楽しめる。ホント幸せだ。こんなに幸せだとこの先不幸が待ってるようで不安になるよ。たとえば口内炎になっちゃうとか」・・・これは実話で、口内炎になりやすい体質(ママからの遺伝か?)のヒデフミとしては一番の心配事らしいのでした。

 大晦日と元旦と二日はボクの里の四国で過ごしました。飛行機に乗るのはもうベテランの息子たちでした。姉の家に泊めてもらい、従兄弟と遊ぶ息子たち。年に2回だけ一緒に遊べるのですが、お互い成長してきてるので、喧嘩もあまりせず、ほほえましく見ていられる遊びぶりでした。少子化で兄弟姉妹や従姉妹従兄弟といった人間関係が希薄になりがちですが、息子たちはラッキーでした。妻方には従姉妹もいて、息子たちは幸せものだと思います。ちなみにボクの母は13人兄弟姉妹だったりしたこともあって、ボクにはいとこが30人以上います。

 二日の夜は妻の実家にお年始でした。お祖父ちゃんとトランプをして遊んだのは初めてでした。ちょうど、ウチでもやってて息子たちもやり方を覚えてたので楽しめたようです。その夜、記録的な雪が降って、ヒデフミは夜なのに雪遊びをしたいとうるさかったのですが、ボクが絶対朝にはもっと積もってるからと言って寝かせました。なぜかボクは朝雪が全部解けてしまっている夢を(初夢!)見て、ドキドキしながら雨戸を開けたら一面銀世界でした。名古屋では積雪17cmとニュースでは言ってたけど、妻の実家の犬山では20cmはありましたね。朝食前におじいちゃんとボクと息子二人で近くの公園まで雪遊びに行きました。アツフミは雪ダルマを作りながら歩いて行ったので時間はかかりましたが、自分の体ほどもある雪玉を力いっぱい押していました。雪ダルマは素晴らしい出来栄えでした。こういうときのアツフミの根性はスゴイのです。

 アツフミには年賀状が何枚か来ていて、それがみんな女の子から!ヒデフミには羨ましがられるし、ママには冷やかされるしで、テレテレのアツフミでした。

 お年玉は二人ともたくさんもらったのですが、なんせ我が家では子供にお祭りのとき以外は財布を持たせていないので全部貯金することになります。郵便局に一緒に行って窓口には自分で通帳を出させたのですが、貯金の概念が分かっていないようで(兄も?!)残高も何も全然気にしていない様子でした。

 1月6日のフォークチャンポリーにボクと一緒にヒデフミも出演しました。唯一のレパートリーの「偉い人」を歌いました。いろんな方に誉められて、父として嬉しかったですね。余談ですがヒデフミの夢は「お父さんの歌を全部歌えるようになること」と「サラリーマンになること」だそうです。

 この冬は薄着で頑張っているアツフミ。さすがに年明けてからはタイツを履いて保育園に行っています。タイツというやつは履かせるのが面倒なので、朝はますます時間に追われるようになってしまったのでした。

 たっぷりの休みだったはずなのに、ヒデフミは「冬の生活」を前日の夜11時半までやってました。気が気でないお父さんでしたが、前述のフォークチャンポリーの打ち上げにつきあわせてしまっていたのでした。

 そして、休み明けの1週間がようやくすぎて、連休となった週末。日曜日にはスキーに行きました。11時過ぎての出発ですが、ちょうど帰る人も多くなる時間で、駐車場にはスムーズに入れるのでいいのです。なんとヒデフミは緩斜面では転ばなくなり、余裕の滑り。さらに、アツフミはプラスティック製のおもちゃのスキー板にもかかわらず、ちゃんと滑っているので驚き。これからが楽しみですな。

 書き残したことが山ほどあるようなバカ親日記。最近ヒデフミが面白いことを言ったりしたりすると「バカ親日記に書こうっと」というのがボクの口癖になっています。