2003年バカ親日記 

(主な登場人物) お父さん(ボク)40歳、長男ヒデフミ11歳、次男アツフミ8歳

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2003.12.31
 ヒデフミが置手紙を置いて居なくなってしまったのだ。といっても心配することは全くなくてこういうことなのだが、相変わらず味のあるイラストを書きよるわい。小さくしたので読みづらいが右下は「ビュン」と走って帰るところ。いい子でしょ。

 ヒデフミがサンタを信じていないと白状したのでクリスマス気分がいまいち盛り上がらない。でもサンタからのプレゼントは欲しいらしい。信じてない子のところには来ないらしいって言ったら慌ててたからね。問題は欲しいものが直前まで決まらないことなのだ。一番欲しかったのは新しいゲームキューブソフトだったのだが、おばあちゃんが来たときに買ってもらっちゃったのだ。それでも何とか第2希望をひねり出しクリスマスイブの夜には間に合ったのだった。アツフミは最近はまっているカードゲームのデッキ。保存用のバインダーも気に入ったようだ。ヒデフミは大きいガンダムプラモ。毎日少しづつ作っている。ま、結局例年通りだったね。

 冬の学童の一大イベント「ヤットコサッカー大会」。二人とも手に豆を作ったりしながらもすごく頑張っていた。本番では強いチームには負けたけど練習の成果は発揮できたんじゃないかな。ヒデフミはチームのキャプテンとして頑張ってたし、アツフミもゴールをたくさん決めてうれしそうだった。途中、チームメイトとけんかをしたので叱りつけたら固まってしまって、1試合はゲームに参加できなかったのはアツフミらしいのだがこれは直して欲しいのだった。

 ハードディスクとDVD録画ができるデッキを買ったらこれがなんとプレイステーション2としても遊べるというもので(知ってたけど)早速ガンダムのゲームを買ってきてはまっている息子たちなのだった。一応、時間だからやめなさいと言ったら素直に片付けてるけど、勉強が一段楽したらまたはじめてる。それにしてもけっこう操作は難しいと思うのだがすぐ覚えてしまってるのがすごいと思う。

2003.12.21
 アツフミが調理自習で鬼饅頭を作って楽し美味しかったらしく、ウチでも作りたいと言う。サツマイモがあったので妻の指導のもと、嬉しそうに作っていた。この地方(中部?)以外の人には馴染みのないお菓子だと思うが、(ボクも大学生のとき大学祭の出店で出てたのを見るまで知らなかった)簡単で美味しくできたぞ。それにしても小学校2年生でもう調理実習かい。ボクは確か4年生でゆで卵を作ったのが最初だったと思う。5年生で青菜の油いため、6年生で粉ふき芋、中学からは家庭科はなくなってしまったのだった。  

2003.12.10
 いよいよ息子たちのお小遣い帳がスタート。まず名前を書かせ、現在残高を数えさせて記入させる。二人とも思ったより少なかったので千円づつ渡し、入金欄に「お父さんからおこづかい」「1000」と書かせ、現在残にも加算させる。早速翌日遊びに行った際におもちゃ屋でカード等を買ったので支出欄に「カードほか」と記入させ、差し引き現在残も記入させる。始めだから二人とも喜んでやっているさ。ま、そのうちサボるようになるのだろうが、時々抜き打ちで監査をするつもりなのだった。

 たまにはウチで作って食べる昼食。安売りしてた外国産のクリームチーズのパスタソースを使う。ところがこれチーズの匂いが強烈。味見したアツフミは吐きそうになったので初めからレトルトカレーに変更しカレースパにする。食べ始めたら妻も「ごめん、これ食べられない」と言ってリタイヤ。カップラーメンに変更。ま、しょうがないと思えるほどの匂い(臭い)だったのだ。もちろんボクは平気で美味しい美味しいと食べたが、ヒデフミもがんばって全部食べたのだった。偉い!

 だんだん家族でお出かけよりも友達と遊ぶことが多くなった息子たち。正直寂しいのだが、これも成長の証し。友達に家に遊びに来てよと誘われたり、弟も連れて来ていいよと言われたりするのはいいことなのだ。ヒデフミとアツフミが並んで自転車で友達の家へ出かけていくのを事故の心配をしながらも見送る父なのであった。ただし、勉強を真面目にやらなかったので友達との約束をキャンセルさせたりもしている厳しい親でもあるのだった。

 スマトラオオヒラタが死んでしまった。夏からなのでよく生きていたと思う。上手く飼えば何年も生きるはずだけどこいつは全て息子に任せてたからね。アトラスオオカブトとの戦いなど楽しませてくれたヒラタに合掌。

 他の家に相当遅れをとったが、家の前のフェンスにイルミネーションをセットする。そしてクリスマスツリーを出すのだ。飾りつけは全て息子たちがやるので以前に比べるとボクはとてもラクなのだった。サンタさんは少なくともヒデフミはもう信じていないし、アツフミも怪しいのでそういう盛り上がり方がないのがちと寂しいね。息子たちもプレゼントに欲しい物を決めるのに苦労しているようだ。贅沢だよね。幼い頃は欲しい物はおもちゃ屋に下見に行ったらいくらでも見つかったのだけど。

2003.12.2
 そうそう、びっくりNEWS。ディズニーシーからの帰り、早朝に名古屋駅前にバスが着いて、名鉄電車で鳴海駅に移動し、あとはタクシーなのだけど、タクシーで鳴海小学校横を通りかかったとき、前をなんとタヌキが横切ったのだ。タクシーの運転手とボクが同時に「あ、タヌキだ」と叫び、見損ねた息子たちは悔しがったのだった。早朝にそこを通ることの多いはずのタクシーの運転手でも「初めて見ました」って言ってたけど、大高緑地ならともかく、住宅地として古くから開けている鳴海小辺りにどうやって住んでいるのか不思議。イヤ見間違いではなく、あれは絶対タヌキだったし。

 また授業参観だ。ヒデフミの日は妻が行ってくれたのだが、アツフミの日は妻は出張で行けないという。ボクも会議があって行けないのでアツフミが寂しがると心配していたのだ。でも大丈夫。今回は平行して「学校開放」というのが行われていて、授業参観の日でなくても授業や給食の様子を自由に見ていいという。なかなか気の利いた企画だよね。仕事を休んだボクはアツフミの給食の食べっぷりから観に行ったのだ。アツフミのクラスでその日来てた親はボクだけだったので目立つ目立つ。「どうしてバンダナしてないの?」と何人もの子供に聞かれたのだが、「目立つと思ってやめといたんだよ」と答える。給食のメニューはごはんとカレーシチューで子供の好きそうなメニューだったのだが、アツフミは少し残していたのだった。掃除は廊下の雑巾がけを担当していたアツフミ。予想通り転がって遊びながらやっていたね。放課はドッジボール。元気で良い。授業は算数で、アツフミはやる気満々で手を挙げていたし、ボクが来てるってことで当ててもらって九九の7の段往復を言っていた。なんとちょうど日直に当たっていて、終わりの会の進行をやったのも見れてラッキーだった。

 そうそう、ヒデフミがついに告白した。サンタは実在せず、プレゼントはお父さんが置いてるってことを、ずいぶん前から知っているというのだ。安心したようなガッカリしたような。信じているフリをするのも大変だったとは思うけどね。じゃ、アツフミはどうなんだろう、というのが課題として残ったのだった。

 アツフミが突然「ワンピースのキャラの中で誰が一番好き?」と聞いてきた。ボクが「ロビンちゃん(ニコ・ロビン)」と即答したら、アツフミが「即答かよ!」とツッコんできたのだった。

 ツッコミといえば、TVでマジックをやっていた。マジックだから必ずタネはあるはずなのだが、ボクはわざと全部信じ込んだように驚いて見せた。その度に「そんなわけないでしょ」とか「イヤイヤあり得ないって」とかのツッコミをヒデフミが入れてくれて、いい練習になったのだった。

2003.11.30
 アツフミのためにポテチを買った。一度に食べ過ぎるといけないので小さいのを4袋。アツフミには4袋買ったことは言わず、1つ食べさせてあとはとりあえず戸棚に隠しておいたのだが、留守中アツフミがポテチを発見してしまったのだ。ボクが帰宅したらアツフミが嬉しそうに「見つけちゃったもんね」と早速1袋は食べたとのこと。「まだあと1つあるのも知ってるもんね」と言われ、つい、「何い?数が合わん。まだ2袋あるはず」と言ってボクが探してしまい、「あ、そこにあるんだね」と、バレてしまったのだった。

 家族で東京ディズニーシーに行く。去年、初めて東京ディズニーランドに行って、大満足した息子たちは当然今度はシーに行きたいと言いつづけていたのだ。ま、往復夜行バスで行けば安いし、土曜日ボクの仕事が休みなら、金曜の夜に出発して日曜の朝には帰って来れるのでウサギも不安はないだろう。往復とも夜行、しかも安いツアーだったのでバスも寝台バスではなく普通の観光バスだったのだけど息子たちには大丈夫だったようだ。ちゃんと眠れたようだし。残念だったのはお天気で、ずっと霧雨が降り続いていたのだ。ヒデフミは行く前からやたら雨を気にしていて「俺は雨男だ-」とか「あんなに照る照る坊主を作ったのにー(実際には4個)」とかうるさかったのだった。今回は自分でガイドブックを読んだり、友達にお薦めポイントを聞いたりしてたのでよけい残念だったのだろうけどね。ま、小雨ながらもやりたいアトラクションは全て回れたし、ファストパスを上手く使えたのでアトラクションの待ち時間はほとんどなしですんだからいいのだ。マーメイドラグーンシアターではハプニング。始まってすぐ音声が途絶えたのだが、人魚(役の女優)が口をパクパクして、くるくる回転をして見せたりしてたのでこれは演出かと思っていたらホントにシステム故障とのことで中止になってしまったのだった。「優先券」をもらったので夕方復旧後のシアターは見れたので良かったけどね。食事はギョーザドックやポップコーンをつまみながら、そういうので最後まですませようとも思ったのだが、雨も降ってるし疲れたので1時間以上並んだけどちゃんとしたレストランに入る。アツフミは席に着くなり寝てしまったが、起こしても起きないので寝かせておくことにしてゆっくり食事することにする。ボクと妻はスパークリングワインをボトルで飲んでコース料理。ヒデフミもサーロインステーキ。寝てるアツフミを横に腹いっぱいになったのだった。2時間もいたのでアツフミが起きてお子様プレートを食べることもできてよかったあ。子供だけで、マーメイドラグーンの中にある水が飛び出てくる遊び場で遊ばせてたら、案の定アツフミがびしょぬれになる。着替えを用意してなかったので土産物屋をずいぶん探し回ってやっと見つけたジャージの上下に着替えさせる。あ、Tシャツもパンツも買ったし。もっともっといろいろ書くことは当然あるはずなのだがここらでボクの力は尽きるのだった。ヒデフミは帰ってきて二度寝をしたし、アツフミはお昼ご飯前から夕方まで寝てしまっている。妻は朝の二度寝と午後の昼寝の両方をしているのだった。

2003.11.24
 もう一週間経ってしまったけど学童運動会のことは書いておこう。学童の行事の中でもこの運動会というヤツは子供と父母と指導員が一つになって盛りあがれるという点ではピカイチの楽しさなのだ。もちろんヒデフミが学童に入ってからこれまで欠かさず参加してきたのだが、実は今回は当初予定の11月9日が総選挙のおかげで翌週の16日に変更になり、16日は出勤予定だったため参加できないことになっていたのだった。残念だが仕事優先は仕方ない。せめて午後の縦割りリレーにはヒデフミ・アツフミともに出場するので駆けつけたいと思っていたのだ。ところが直前になって出勤しなくてもいいことになり一安心。息子たちの勇姿を見られるのは嬉しかったが、準備から盛りあがっていた仮装や応援の踊りには乗れなかったのがちと心残りだったのだった。

 さて、まず二人が登場したのはカンポックリリレー。学童では普通だけど一般には珍しい競技の一つだ。他には竹馬とヤットコがそうだろう。3つを個人メドレーするヤタカン競争というのまである。このカンポックリはヒデフミが得意としていて、昨年のリレーでもアンカーで走って大逆転勝利だったのが記憶に新しい。今回すごかったのは我が滝ノ水学童は7レース全部にエントリーしていて、アツフミは第2レース、ヒデフミは第7レースで走ったのだが、なんと全レース一着となったのだった。我が息子たちも速かったし他の子達も素晴らしかったのだった。実はアツフミがカンポックリをするのを見たのは初めてだったのだが、兄と同様とても上手だったので感心したぞ。
 
 親子大縄とびにも二人とも出場。アツフミのチームは妻に任せる。けっこう上手に飛んでいたぞ。ヒデフミのチームは高学年主体なので縄を回すスピードが速い。ヒデフミたち高学年男子が何人か続けて飛ぶところは見ほれてしまうほどカッコイイのだ。ボクも何とか失敗せずに飛べて良かったのだった。

 そして最後の競技の縦割りリレー。各学年の男女がバトンをつないで行くのだ。アツフミのチームはスタート直後から大混戦でアツフミがバトンをもらうときもうまく渡らなかったのだが、アツフミは走り始めたら前との差を一気に詰めて追いぬきそうなところまでがんばった。距離が短いので抜けなかったのは残念。でも誉めてやったぞ。ヒデフミは見事なバトンパスをして前を行く子に迫ったのだが、抜くには至らず。でも、チームがアンカーで逆転して一着になったので良かったし、何人かの人に速かったねと言われて嬉しかったね。ヒデフミにとっては最後の学童運動会、とにかく見られて良かったのだった。

2003.11.19
 先週末、学童の合同運動会があった。バカ親としては書きたいことだらけなのだけどちょっとまとめるのに時間がかかりそうなので後日のお楽しみとするのだ。

 アツフミはポテチが好き。それもコンソメパンチお気に入りのようだ。買い物に行くときにアツフミに頼まれたのだが、うっかり忘れててアツフミいじけてしまう。言い訳として、ホントはハローヅに行ったのだけどアオキスーパーに行ったら改装中(これはホント)で買えなかったとウソをつく。改装のことはヒデフミが知ってるのでフォローしてくれるかと期待していたが「そうそう改装中だよね」とナイスなフォローを入れてくれたヒデフミはサスガ。でもアツフミには効果なし。やっぱりウソは良くないと反省したのだった。

2003.11.13
 最近息子たちが登校するのをボクだけでなく妻も見送るようになった。以前はバス通勤のため家を出るのが早かったのでできなかったのだけど、運転の練習を兼ねて緑色のマーチで通勤するようになってから、見送ってからでも間に合うようになったからなのだ。いつも支度が遅く集団登校の他の子達を待たせるので「急げ!」「遅い!!」と叱咤されながらの登校になってしまい、毎日にこやかに「行ってきます」とはいかなかったのだが、母親に見送られるのは新鮮で嬉しいらしく、足取りも軽やかに歩いていく。それを見るとボクまで嬉しくなってくる。さすがの母親の存在なのだった。

 基地遊びが好きな息子たち。ときどき和室の隅に座椅子やら座布団やらを並べて基地を作っている。今回は押入れ続きの部屋といった感じにしてて、押入れが開いていたので心配していたら案の定押入れの中にウサギが入っていたのだ。押入れをきちんと閉めておかなかったことを叱って基地は即撤去、ウサギは引っ張り出させたのだった。

 通販で買ったコタツ布団の箱をアツフミが開けようとしていた。面倒なので週末まで置いておこうと思ったのだがハサミで布団が切れてもいけないので開封してやることにする。コタツの上の勉強道具などを片付けさせて、いよぴよコタツのセットだ。新しいコタツ布団は鮮やかな緑色系のデザインでなかなか良い。息子たちは早速コタツ布団にもぐりこんで「うふふ」「きゃはは」と遊んでいる。ウサギももちろんもぐりこむ。ボクが足でウサギを蹴ってコタツから追い出してると、覗き込んでたアツフミが「ウサがこんな風になってた」と実演してくれるのだった。

2003.11.10
 ウチでは毎月いくらというカタチではお小遣いを渡していない。さすがにヒデフミはお友達と出かけることが多くなったし、ゲームセンターで遊ぶことも多くなったので、いくら遣っているかをキチンと把握しなくてはいけないと思ったのだ。そこで、まずお小遣い帳を買ってくる。財布の中身を数えさせて自分で遣ったときは記帳するようにさせようと思う。ま、平日は遣うこともないのでスタートは来週末にするのだ。
 アツフミにお昼ご飯は何がいい?と訊くと「寿司」と答えることが多くなった。近所の回転寿司屋が新装OPENしてるので2週連続で行く。相変わらず「コーン」「海老天」「フライドポテト」「白身魚フライ」くらいしか食べないアツフミなのにナゼ寿司がいいと答えるのか不思議だ。ヒデフミは「生タラバ」があるので新しい店は気に入ったようだった。ボクも「炙りエンガワ」があるので満足なのだった。

 映画「マトリックスなんとか」を観に行く。良く調べずに行ったら今は字幕のしかやってないらしい。でもチケットを買っちゃったので観る。アツフミが字幕読めなくてつまらなーいとなることを心配したが全く問題なかったようだ。だいたい意味はわかるようだし、映像だけでいいような内容だし(台詞がわかったとしてもどういう意味かわからないことが多いからね)、ゲームをやってるおかげなのかパッと出る字を読むチカラは侮りがたしなのだ。もちろんヒデフミもOK。まぁ、DVDを買って観るときには日本語吹き替えで観るのだろうけどね。

 土・日と環境整備で頑張った息子たち。土曜日は子ども会で近くの公園のゴミ拾いをやる。ボクは参加できなかったのだが、妻によるとよその子よりも積極的にやっていたとのことで褒めてやった。日曜は学童の草刈。戦力になってたかは疑問だが草刈バサミは持ちたがってたね。ボクが腰を痛めてしまったので夜は揉んでくれたりもした息子たちだったのだ。

2003.11.6
 そうそう、姫路城観光のときに息子たちとやった新ネタを忘れないうちに。ボク達親子3人の得意技トッポジージョの顔をしながら、「これはトッポジージョ」、姫路城を指差して「あれはヒメジージョ」(笑)

 あと、この姫路遠征に連れて行ったのでヒデフミは学童の高学年合宿に不参加となってしまったのだが、この高学年合宿はただお泊りするだけではなくてキャンドルサービスやスタンツなどの楽しい行事だったのだ。ヒデフミに最後の高学年合宿に出れなくてごめんねと謝ったらいいよいいよと言ってくれたのだが、ちと胸が痛んだのだった。

 実際これまでは息子二人は標準装備でどこに行くにも連れて行ってたのだが、だんだんそれも変わっていくのだ。ゆきネエ主催のライブオフ会にはアツフミだけ連れて行った。ヒデフミは友達と出かける約束をしていたのだ。アツフミも以前のように泣き叫んで一緒に行きたがることはなくなって成長振りを見せてくれるのだが、やっぱり寂しそうなのでついついお菓子やカードを買い与えてしまうのだった。

 ヒデフミはさらにお友達と科学館にスターウォーズ展を観に行ったのだった。電気の科学館や名古屋駅にも行ったらしいし、TV塔では外階段の上り下りまでやったと聞いて感心する。もっとも、帰りにバスを乗り間違えて、ボクが迎えに行ったのは奴ららしいといえるね。

 そういえば自転車で出かけたときも帰りに思い切り道に迷って帰宅が遅くなったこともあったっけ。

 自転車といえば、アツフミの自転車が以前パンクしてから乗れなくなっていて、補助輪の頃からの小さい型だしヒデフミのお下がりですでにボロっちいので新しく買うことにした。ちょっとオーバーサイズなのだが嬉しそうにしているアツフミを見るとこれまでお下がりで申し訳なかったなと思ったのだった。緑色を選んだのはエライぞ。

 ヒデフミが散髪のあとちょっと気に入らなかったらしく自分で横髪にハサミを入れたのだがこれが大失敗。仕方がないので散髪屋で目立たないように直してもらう。おかげで後ろと横はかなり上まで刈上げとなり、妙にかっこよくなったヒデフミ。始めは泣きそうだったが、自分でも気に入ったらしく一安心なのだった。やり直しはタダでやってくれたし。

2003.10.29
 姫路遠征に行って来た。ボクが歌うために行くのだが、もちろん息子たちは標準装備なのだ。往復で約600km運転するのは眠くて大変だったけど、これも息子がいないともっと眠くなるはずなのだった。ライブは自然公園の中のコテージで行われたので始まるまでの時間は外でたっぷりあそぶ息子たち。マムシが出ると聞いても怖がりはしないのはよくわかってないからかも知れないけど。さて、ライブではボクは4曲やったが、そのうちの2曲はヒデフミに手伝ってもらう。手伝うというより『そろそろ始めよう』はヒデフミがメインボーカルだったりする。相変わらずそう緊張することなくちゃんと歌えるのでたいしたものだ。ボクのコーラスにもつられることなくデュエットは成功したのだった。いけないのはアツフミで、ライブ中に漫画を読んでいる。それを叱るトークでウケをとったのでまぁよいのだが。実は今回『サのつくサカナの歌』はアツフミもマラカス振って「サカナ」と叫ぶことにしていて練習ではバッチリだったのだが、本番を前にしてアツフミは恥ずかしくなってリタイヤしたのだった。親子3人でのステージ実現はお預けね。そうそう、歌った後司会者にインタビューされたが例によってヒデフミが主役だ。しかし、ヒデフミはいつもツッコミの練習はしているがインタビュー慣れはしていないのでこれはインタビュー練習が必要と痛感したのだった。
 翌日、姫路城を観光する。思った以上に城内は広く、たっぷり歩くのだが、アツフミは葉っぱを拾っては、「ハイ!おんぶ券を使います」と言ってボクに差し出すのだった。しょうのない甘えん坊なのだが、何枚かは「ハイハイ」と付き合ってやった。ときどき「荷物持って券」にもなるのだった。

2003.10.21
 ヒデフミが修学旅行から帰ってきた!というのももうずいぶん前のことになってしまってこんな日記ではイカンと思うのだった。エロ話で盛り上がり、朝方の4時まで起きていたとか。お土産はさすがに日本酒は買ってこなかったとか。アツフミはヒデフミが帰ってきてからベッタリだったとか。

 ペーパードライバーの妻用にマーチを買った。郊外の霊園で練習する。息子たちもはらはらしながら見ていた。ヒデフミが運転したいというのでガラガラの駐車場で少しやらせてみる。ちゃんと足はアクセルやブレーキに届くようになってるのでたいしたものだ。オートマだからゴーカートとそう変わらんよねえ。ドキドキだったけど。

 相変わらずムシキングにはまっている。ヒデフミはもう卒業したかと思っていたらそうでもないようだ。感心したのはよく研究していること。二人ともコンピューター相手のじゃんけんにはほとんど勝ってしまう。相手のムシの動きを読んだりパターンを読んだりしているのだそうだ。難しいモードでやっても勝てるようだ。その場合、子供のキャラやアダーとかいう老人が出てきて台詞を言うのだが、ヒデフミはしっかり覚えてて、ボタンを押して台詞をスキップしながら代わりに自分で台詞を言っているのだった。

 ヒデフミのひざ上にイボがひとつあって気になるというので病院にいく。近所の開業医では処置できないと言われ紹介状を書いてもらって某大学病院に行った。液体窒素で焼くというのだが、大病院でないとできないというのですごい機械でゴゴーンと焼くのだと思っていたら出てきたのがごく普通の水筒。その中から出した割りバシのようなものに脱脂綿を巻いたものにつけた液体窒素をイボにチョンチョンとつけてハイおしまい。なんというか気抜けしてしまったのだった。イボはその後色が白から紫に変わり、数日後ポロリと取れてしまったそうだ。もう一度診せにいかなくてはいけないが、これで治るなら簡単なものなのだった。

 秋の好天の一日、串原村へ行って遊ぶ。中山神社の太鼓祭りは勇壮でボクも太鼓を叩かせてもらったが、息子たちはあまり興味がないようだ。お祭りといえば出店しか頭にない。輪投げやクジですぐ壊れそうなおもちゃをゲットしては喜んでいる。ヒデフミが大きなイカの丸焼きをほとんど一人で食べてしまったのは驚きだった。岡村夫妻の畑でサトイモとサツマイモの収穫をさせてもらえる。息子たちも大喜びで土まみれだ。アツフミは大きなサツマイモを気に入って脇に抱えて走り回っていた。みんなで芋泥棒と呼んだのだった。ブルーベリーや柿をもいで食べる体験ももできて幸せな息子たちだったのだった。

2003.10.9
 ヒデフミが修学旅行に行っている。たった一泊二日とはいえ、居ないと家の中が寂しいのだ。もちろんアツフミが一番寂しがっていて、どことなく元気がない。ヒデフミの出発が7時前だったのでアツフミが朝起きたらもういない。集団登校が頼りなかったね。普段は6年生がヒデフミを入れて3人居るのだが、その3人が抜けると小さい子達ばかりなのだ。玄関先で集合して歩き始めるアツフミたちを見ていたのだが、なんとか歩き出したのでヤレヤレなのだった。

 ヒデフミは前夜から自分で荷物の準備をして、当日もちゃんと早起きして出て行ったのだが、名札を忘れちゃったのだった。あとから気付いて小学校まで走ったのだけどもうバスは出発した後だった。ま、何とかなるだろう。最後まで家族へのお土産を何にしようと悩んでいたヒデフミ。いつもは冗談で「お酒を買ってきてよ」と言うボクだが、あまりに気にしているようなので見送るときには「お酒は要らないからね」と声をかけたくらいなのだった。

 そして事件は夕方起こった。学童から帰ってきてるはずのアツフミがいないのだ。ランドセルがないのでいったん家に入ってからどこかに行ったわけではない。家の前までは来てるはずとのこと。ボクを驚かそうと家の中や庭に隠れているかもしれないので捜すがやはりいない。近所のコンビニや本屋など行きそうなところに行ってみるがいない。コンビニにパトカーが来てたので警官に「何の事件ですか?子供を捜しているのですがそれ系の事件ですか?」などと聞いたりもした。もうパニックになりかけて最悪のシナリオまで考えてしまっていたのだ。家の電話が鳴ってもしかしてと思って出ると車屋さんで土曜日に納車とのことで本当なら嬉しいのだけどそれどころではないのだ。結局、一人で家に居るのが寂しかったアツフミは某所に遊びに行ってたのだが本当に肝を冷やした一時間だったのだった。電話をかけてしまったお宅や走り回ってくれた学童の指導員さん、ごめんなさい。アツフミには心配だから2度と黙ってよそには行かないように話したのだった。叱ってもよかったのだがそんな気にもならないくらいだった。いやまったく。

2003.10.6
 週末に家族旅行に行った。アツフミが途中で早く帰りたいと言い出すのは面白くないのだ。旅行よりもムシキングをやりたいなんてね。でも初日、木曽駒のロープウェーに乗ろうと思ったら往復で7時間と言われ断念して余った時間に信濃大町のジャスコに寄ったらムシキングがあって遊べて満足のアツフミだったのだ。妻がスニーカーを忘れてきてて買いに寄っただけなんだけどね。泊まりは青木湖の職場の研修宿泊施設。といってもここは料理はコースで出るし露天風呂はあるし快適な施設なのだ。食後家族でカラオケをする。普段はあまりやらないので京都オフ会の時なども歌わなかった息子たちだが、家族だけとなるとマイクを持ちたがるよね。すごく盛り上がったぞ。卓球もやりたかったようだがそれは次回にお預けだ。

 二日目は黒部ダムへ行く。息子たちは初めてだ。トロリーバスでトンネルを抜けた黒部峡谷は素晴らしい快晴にも恵まれて別世界。ただしここでも息子たちは戦いごっこが主な楽しみなようで、ボクが山の名前の説明とかをしても聞いちゃいないのだった。ケーブルカーとロープウェーにも乗って大観峰へ。去年は富山側から室堂に来てるので2年越しのアルペンルートなのだ。そうそう、ヒデフミは「登山してぇー」と言ってるので来年夏には四国の石鎚山にでも登ろうかと思っているのだ。始めに書いたようにアツフミは早く帰りたいので帰り道の黒部ダムは走って先に行ってしまったのだった。でもよく見るとまっすぐ走らずフラフラしてる。しばらく観察しててわかったのだが人に自分の影を踏まれないようにしてるのだった。

 3時頃扇沢を出発。一路名古屋へ。たいていはすぐ寝てしまう息子たちだが、今回はあまり寝なかったね。車のナンバーが九九になってるのを見つけようとか、車線変更などのほかの車の動きに台詞をつけたりして遊んだので退屈はしなかったね。割と順調に帰れたので帰宅前にダイエーに寄る。で、またムシキングだ。というわけで小ネタは全て忘れてしまってる旅行記なのだった。

2003.9.30
 快晴が続く。日曜日に久しぶりにリトルワールドへ行った。何度行っても楽しめる素晴らしい施設だ。まず野外ホールでシルクロードサーカス。見たこともない大技が目の前で繰り広げられる。途中ウトウトしてたらヒデフミに「これは見とかなきゃ」と起こされたりも。以前に比べると民族料理を食べられるところが増えたし、民族衣装を着られるところも増えてるのだ。ヒデフミとアツフミは中国の衣装。もちろんカンフー戦いごっこを始めたのだった。ボクと妻もドイツのメルヘン衣装(童話に出てくる王子と王女の服)を着たし。アメリカインディアンのテントでは弓矢体験。的には当たらず残念だったが、続けてやった蹄鉄投げでは二人とも賞品ゲットで大喜び。出かけたのが昼だったのでドイツで時間切れ、ネパールやインドや韓国はまた次回にお預けなのだった。

 最近、夕食で刺身を出すたびに息子に何の魚かを当てさせている。ヒデフミはどんな魚でも食べるくせに答えはいつも「ハマチ」。ずっとハマチと言ってればそのうち当たるだろうという甘い考えなのだ。ただし、めったにハマチは出ないのだけどね。すごいのがアツフミで、刺身は食べないくせにネタを当てるのは得意なのだ。この日も「ボラ」と即答。もちろん正解だったのだ。あ、ヒデフミもカツオはわかるはずだ。あとクジラも。

 我家のメインTVはリビングにあるが、隣の和室にはチャンネル争い回避用兼ゲーム用のTVがある。アツフミにゲームが出たままになってるのを片付けろと言ったら「TV見たいのに〜」と言いながら、「そうだ!」とゲームをつないでるTVをつけて見ながら片付けていた。「動物奇想天外」は見逃すわけにはいかないらしい。

 月曜は運動会の振替休日で朝から学童に行く。弁当を持たせたのだが、この日はカレーとサラダ作りだったそうで弁当要らない日だったのだ。ガーン。ちゃんと案内を見てないバカ親だったのね。でも息子たちは弁当を残さず食べててくれてたのだった。

 ドラマ「さとうきび畑の唄」を見た。第2次世界大戦の沖縄戦での家族を描いたドラマだ。ヒデフミは途中で寝てしまったがアツフミはずっとボクにくっついて一緒に見ていた。ボクは見ながらアツフミにずっと語りかけていたのだった。何度か涙を流しながら。

2003.9.28
 昨日は雲ひとつない絶好の運動会日和。バカ親的には外せないネタだよね。ボクがビデオカメラとデジカメ、妻がフィルムカメラを携え、校旗掲揚台の後ろのグラウンドを見渡せるところに陣取った。とはいっても息子たちが演技する場所はさまざまなのでその都度移動もしなければならないのだ。ま、一眼レフカメラでどーんと望遠レンズをつけている人や脚立持参の人ほどの気合は入ってないのだった。
 なんといっても運動会はかけっこ(3年生以上は全力走)だ。去年(一年生)のときは一番だったアツフミは今回なぜか走る前は自信のなさそうなそぶりだったが、フタを開けてみると左の写真の通り見事一着(アツフミは4人のうち一番左)だったのだ。ガッツポーズで嬉しそうに一着の子が座るところに走っていったアツフミ。一番最初の組だったのですごく目立っていたぞ。
 そして、小学校生活最後の全力走のヒデフミ。去年までは2位とか3位ばかりで悔しい思いをしていたヒデフミだが、陸上部に入ったりして前向きに取り組んだ結果なのか右の写真の通り見事一着(ヒデフミは左から2番目)だったのだ。これまた嬉しそうだったね。写真はビデオから静止画に落としたものだけど、デジカメの同時撮影には無理があって、ヒデフミのお尻しか写ってなかったのが残念だったけど。
 他にアツフミの大玉転がしとヨサコイソーラン節、ヒデフミの組体操や騎馬戦、そしてフォークダンスの親子競技と、二人いるので退屈する間もないハードな運動会だったのだった。
 そうそう、幸い二人とも一着という結果で、頑張ったことに対して思い切り褒めてやったのだけど、慢心はいけないよね。寝る前に「一着になって自慢しまくる子と、一着にはなれなくてもいじけたりせず次は一着になってやるって思える子と、どっちになりたい?」と聴いたらアツフミは後の方がいいと答えてくれたのだった。

2003.9.23
 下の日記を書いたあと、勝坂ライブに息子二人を標準装備で連れて行った。いろいろあったのだが、日記も間があくとかけないのだ。その後の平日も小ネタいっぱいのはずだけどメモをとらなかったのでどんどん忘れてしまっているのだった。おまけにリビングに置いてあるパソコンが調子悪くなって、息子たちも不便なようだし、ボクもちょっと日記を、というのができないのだった。

 妻が車を買うことになって2週続けて週末はディーラーめぐりをした。息子たちももちろん一緒だが、けっこう楽しんでいるのだ。どのディーラーにもキッズプレイコーナーがあるからね。ジュースも出してもらえるし、仲良く遊んでいるのだった。大人は試乗して見積もりもらったらさあ次行こうとなるのだけど息子たちはなかなか出ようとしないのだった。車選びに無関心かというとそうでもなくて、好みもあるようだし、こっちの方がいいと言ったりもするのだ。ま、誰がなんと言おうと、色だけはボクが決めるのだった。妻はボクに運転を教えてもらわなければならないので(ペーパーだから)色は譲ってくれたのだった。もちろん緑系に決定したわね。

 またアツフミにせがまれてオオクワガタのペアーを買った。ま、980円だからいいかと思ったのは何かが麻痺しているからなのだ。スマトラオオヒラタはまだ元気で、アトラスオオカブトが死んでからは戦う相手が居なくて退屈しているようなのだが、ちょっと今回のオオクワガタとはサイズが違いすぎて戦わせるわけにはいかないのだった。で、アツフミはオオクワガタのオスとメスを戦わせてみたのだが、メスは簡単に放り投げられていて、可哀想なのでその後は自粛しているアツフミなのだった。

2003.9.14
 あいかわらずムシキングにはまってる息子たちだが、メダルゲームの面白さも覚えてしまったようで、ゲームセンターに行きたがるのだった。幸い、ボクの知る限り学区内にゲームセンターはないので息子たちが勝手に行くことはないのだけどヒデフミは先週もそうだったように友達と自転車で行ってしまうし、アツフミはお父さんの買い物に付き合えばいいと思っているのだ。おかげでアピタだダイエーだと行き先を指定されてしまうのだった。そうそう、ダイエーのゲームセンターに財布を置き忘れてきたヒデフミ。中身が入ってなかったのが幸いしたのか無事戻ってきて良かったね。

 最近アランプーサンについてこなかった息子たちだが、今週のアコでナイトのときは入店する。相変わらずカウンターに座り、カルピスを注文し、小物で遊びまくるのだ。アツフミはボクの代わりに順番決めのクジをひくのが楽しいようだ。いつのまにかカルピスのお代わりやらポテトチップスやらも注文していて支払額がぎゃふんだったのだった。

 カレーハウスココ壱番屋のメニューが一新されている。ヒデフミのお気に入りだった「カレーきしめん」や「カレードリア」がなくなってるのは残念なのだ。ヒデフミは初めて大人と同じライス300グラムのカレーを注文したのだが、今回は少し残してしまったのだった。アツフミの注文するハーフカレーも以前は細長い皿だったのが丸い皿に代わってて量が心なしか増えているようで、こちらも少し残してしまったのだった。

2003.9.7
 この夏は昆虫ブームの我が家なのだった。元からいたノコギリクワガタ2匹に加え、7月の終わりに比叡山でスマトラオオヒラタをゲット。お盆にはアトラスオオカブトもゲットして戦わせて遊んだのだった。8月の終わりにカブトムシも買ったし、妻がスズムシをもらってきたので鳴き声も楽しんでるし。しかし生身の虫はやはり死んでしまうのは避けられない。ノコギリクワガタはスマトラヒラタに一撃でやられてしまったし、アトラスはいい勝負をしていたがやはり力尽きてしまったのだった。可哀想なのはカブトムシで、ケースに入れるときに首をはさんでしまったらしく、早々に死んでしまったのだった。というわけで9月の今日まで残っているのはスマトラヒラタの雄とカブトムシの雌1匹づつとスズムシ達だけになってしまった。あの「コオロギ」達のようにこのあと生命力を見せて欲しいと願っているのだった。写真は左スマトラオオヒラタ、右アトラスオオカブト。サイズが3MBくらいあるけどよかったら動画も見てね(AVIファイル)

 土曜の朝、走りに行こうと思ってたら、アツフミが6時に起きてくる。じゃ散歩に行こうということになって、まだ寝てたヒデフミに声をかけたら「置いていったら許さん」とつぶやきながらなんとか起きたので3人で散歩に行くことにする。滝ノ水緑地から滝の水公園へ。走るのとは違うがそれでもいい運動にはなるわね。たまにはいつも走り抜けるコースをゆっくり歩くのもいいもんなのだ。アツフミは延々と鳩にパンをやっていたのだった。

 土曜の午後、ヒデフミがお友だちと自転車でアピタに行くといって出かける。アツフミは聞き分けよくお留守番、と思ったら、キックボードを持ち出してヒデフミの後を追おうとしたのだ。やっぱり寂しかったのだね。追いかけて止めたら大粒の涙を流すアツフミ。仕方がないので、まずアツフミの自転車を直す。ここのところパンクしてて乗れなかったのだ。見てみたら虫ゴムが劣化してたので交換。どうやらパンク穴はないようなので空気を入れたら出発。ボクはアツフミの自転車のスピードに合わせて走ることにする。できるだけ安全なルートを取り、滝ノ水川沿いに下り、扇川との合流点からは扇川沿いに上る。アツフミはカメだトンボだと道草するので遅いペースだがボクのランニングにもいいペースになった。順調にアピタに近づいていたのだが、アツフミの自転車が突然パンク。たぶん虫ゴム劣化で空気が抜けていたときにも乗ってたのでチューブが痛んでて、バーストしたのだろう。もう3分の2以上いってたので、あとはアツフミと歩いてアピタにたどり着く。なぜかヒデフミ達とほぼ同時にゲームコーナーに着いたらしく、すぐ会える。そう、例によってムシキングをするのだ。ボクはヒデフミにアツフミの面倒をみるよう依頼してから自宅に走って戻る。アツフミを連れて帰るのと自転車を回収するために車で再出動するのだ。倒れそうに暑かったが、アピタでアツフミが待っているからと頑張って走り続けたのだった。そう、「走れメロス」のように。最近走りこんでなかった割には往復走って車を運転する余力はあったので安心したのだった。お、久しぶりに「肉体再生日記」とネタ共有ワザをつかってしまったのね。

2003.9.2
 夏休みが終わってしまってたりするのだ。毎日毎日がネタの宝庫だったのに、落ち着いてパソコンに向かう時間がなく、日記が書けないでいたのだった。

 この間、我が家族は初めての海外旅行を経験してきたのだった。ボクと妻は新婚旅行でヨーロッパに行ったきり10年以上たつし、息子たちは全くの初めてなので、みんなまっさらのパスポートなのだ。行き先はハワイ。初心者にも安心だと思って。テロや戦争や病気のせいで、空いてるんじゃないかという不謹慎な動機もあったし、ヒデフミが11歳で、子供料金(今回のツアーは大人の半額、あとOPツアーや食事が無料だったりのメリットも)の適用は最後のチャンスだというのもあったし。ま、行く前から楽しみにして盛り上がっててくれたし、途中で帰りたいとかは言い出さなかったので、良かったのだった。

 飛行機は長時間ではあったけど、特に問題なし。着いたのは、日本時間では夜中の2時頃、現地は朝、でも誰も時差ボケはしなかったのだった。あ、でも、OPツアーのバスではみんな寝てたけどね。空港からホテルまでは憧れのリムジン。気分が盛り上がるよね。ホテルの現地ツアーデスクをはじめ、みんな日本人の日本語なので楽だったのは良し。そうそう、ヒデフミが夏休みの宿題の何かに、お父さんとお母さんは英語ペラペラで尊敬しました、というようなことを書いたらしいのだが、実際のボクは、チェックアウトの際にホテルの部屋番号を言うのも、どもってしまった程度なのだった。

 ホテルはワイキキの浜の目の前だったので部屋から水着で泳ぎにいけた。さすがに水がすばらしく綺麗というわけではないけど、息子たちは大満足で、波遊びなどをしたのだった。波にターミネーター3のアクションのように吹っ飛ばされるのを楽しんだり、波乗りもどきをしたり。ホテルのプールでも泳いだけどちょっと寒かったかな。

 泳ぐほかはいくつかのOPツアーに参加。潜水艦アトランティス号ではアツフミが大喜びで写真を撮りまくり。タンタラスの丘からのホノルルの夜景は素晴らしかったが、雨が降ってきてすぐ退散。ポリネシア文化センターでは、元気な若い女性ガイドに案内してもらい、槍投げや火起こし、釣りなどを体験できたのが楽しかったし、男の人がみんなマッチョだったのもよろこんでいた。

 ホテルのTVでアニメをやってるのを喜んで観る息子たち。日本のCATVのカートゥーンネットワークと同じようなのだが、こちらはもちろん英語だけ。意味がわかるのかなと思ったが、全く問題なしで大笑いしてる。さらに、ヒデフミが無茶苦茶な同時通訳をつけたりもして、それが余計面白いようだった。

 妻がショッピングを楽しむのは当然なのだが、アツフミも首飾りに夢中になる。ドクロや十字架のついたネックレスを真剣に選んでいる。気に入ったのがあったようで、買ってもらって大喜び。ヒデフミも同じようなのを買って二人で嬉しそう。ただし、帰国してからはつけようとはしてないのだった。もうひとつ、サメの歯の首飾りが欲しかったアツフミ。空港へ出るリムジンの集合時間が迫ってて、必ず後で買うからと約束したのだが、なぜか、市内のABCストアならどこにでもあったものが、空港の売店には置いてないのだ。結局見つからず、キーホルダーで我慢させたのだった。

 ヒデフミがホテルや飛行機内で日記をつけていた。ちらっと読んだがこれが面白いのだ。どうせなら絵日記にしてくれたら喜んでスキャナーで取り込むのにね。不思議なのは、こういうのが得意なヒデフミなのに、なぜか宿題で作文が出ててもなかなか書けないし、読書感想文も苦手なのだった。

 夏休み最後の平日の4日間、子ども会のラジオ体操があった。朝6時半から近くの公園で。おかげで早起きの習慣がついたのは助かっているのだ。面白いのは、息子たちがはまっているゲーム「どうぶつの森+」を朝6時半過ぎにやってみたら、森の住人たちがラジオ体操をやってたこと。このゲームは時間や季節が現実と同じになっているらしく、8月末まではこの時間はラジオ体操をやっているらしい。そんなに朝早くからゲームをしたことがなかったのでこれまで気付かなかったのだが、もうゲームの中では出席カードはもらえないらしく、自分のキャラは体操をしている住人の間を動き回ることはできても、体操をすることはできなくて、残念がっていたのだった。

 相変わらず、「ムシキング」にはまっている息子たち。とうとう近くのダイエーに一台設置してあるのを発見してしまった。屋上の駐車場から売り場への入口は3箇所あって、いつもはゲームコーナーから一番遠い入り口しか利用しないので気付かなかったのだが、その日、土砂降りの夕立で、たまたま屋根のあるところから近い入口から入ったら目の前に「ムシキング」があったのだった。幸いこの店は空いてるので待ち時間が少ないのがよかったのだけど。

 虫といえば、買ったばかりのアトラスオオカブト。7月に買ったスマトラオオヒラタと闘わせるといい勝負をするのだ。ヒラタのほうがだいたい勝つのだが、その技がすごい。まるで「ムシキング」のように持ち上げて放り投げるとかひっくり返すとか派手なアクションなのだ。がっぷり組んだときはミシミシ音も出るし。新しいデジカメで動画撮影をして、見たら、まるで「ムシキング」を観ているようだったのだった。

 学童のキックベース大会があった。ボクは親族に不幸があって単身四国に帰っていたが、息子たちのプレイを見たくて名古屋空港から会場の大高緑地に直行。ヒデフミの1試合目は見れなかったが、アツフミの1試合目にはなんとか間に合った。アツフミは低学年中心のフレンドリーリーグだが、ホームランをかっ飛ばしたり(蹴っ飛ばし?)、好走塁を見せてくれたりした。あの小さかったアツフミが・・・と感動も。ヒデフミはボクの前でのプレイは少し不本意だったようで悔しがっていたが、ほほえましく見せてもらった。

 お母さんの厳しい宿題チェックも終え、無事夏休み最後のイベントのキャンプに行った。この夏は例年よりはキャンプに行く回数が少なかったのが残念だったが、他で遊んでるんだからしかたないよね。毎年恒例の友人たちとのキャンプで、場所は初めての「うるぎ星の森」。キャンプ場のロケーションは素晴らしかったが、今回は残念ながら天気が悪くて、夕食までは持ったのだけど、一晩中強風でヒヤヒヤしたうえ、翌朝は雨。せっかく大接近中の火星も見えなかったし。アツフミはカブト虫やクワガタを捕まえたいと張り切っていたがこちらも空振りだった。長いローラー滑り台も体験できなくて、一緒に参加の友人の子供たちともども、また来年のお楽しみに、なのだった。それでも子供たちは焚き火の火の番をして楽しんでたし、朝はそうめん流しもできたのだった。ヒデフミには設営・撤収をかなり手伝ってもらえたのでけっこう楽だったのだった。

2003.8.21
 ヒデフミが夏休みの宿題の習字にとりかかった。この「習字」ってのは以前は鬼門で、筆の使い方がなってないために、妻が提出OKを出せるものがなかなか書けず、何時間もいや〜な雰囲気でやってたものだったのだ。ところがなんと、今年は1枚目でイキナリOK。短い期間とはいえ、習字の塾に通わせた効果があったのだろうか。それが写真右の「生活」なのだ。それを見てたアツフミがなぜか無性に習字をやりたくなったらしく、ヒデフミの道具を借りて自由課題に取り組む。それが写真左の「うさ」。これまたうまいうまい。ネタもいいよね。宿題は硬筆なのでこの習字は学校にはもっていかないのだが、もったいないのでここで公開するのだった。あ、そういえば、下の日記にもある「アツフミ写真館」の中の「畳の部屋で勉強するお兄ちゃん」の写真にも二人の作品が写ってるのだ。掛け軸になってるのだった。

 突然、卓球に夢中になったアツフミ。おもちゃの片付けをしたらラケットとピンポン玉が出てきたらしい。ネットは以前ウサギにかじられて使えなくなっているのでビデオテープを3本並べて代用。長方形のコタツで打ち合うとけっこうラリーもできて楽しい。自分が失敗すると「ごめん」と言うようになったのもスゴイ進歩。ラリーはボクとアツフミで30回もできたのだった。次回のアランプーサンの卓球大会には是非エントリーせねば。一人でコンコンと玉をラケットでつくのもやったが、はじめ32回が最高だったアツフミ。ヒデフミが100回できるのを見て悔しくて練習して少しづつ記録を伸ばし、60回できるまでになった。ご立派。ちなみにボクはソファーに座ったままで酔っ払っていたが193回はできたのだった。それを、嬉しそうに「お父さんスゴイ」と言って見ているアツフミもまた成長したのだとしみじみ思ったのだった。

2003.8.18
 アツフミが写真撮影に凝っている。ボクがデジカメを買い換えて、前に使ってたのを当分自由に使っていいよと言ったら、あっという間に使い方を覚えて、某林家なんとかさんのように撮りまくっているのだ。何時の間にかボクの新しいデジカメも使ってたりして、撮った覚えのない画像が記録されてたりもする。何枚かを「わや一家ギャラリー」の「アツフミワールド」に掲載するのだ。

 二人とも通信教材をやらせてるのだが、普段は何かと忙しく、学校や公文の宿題で手一杯で、高い教材費がもったいないのだ。で、夏休みにこそ取り戻そうと集中してやらせる。ここ3日頑張ったおかげで、4月号から7月号の添削問題をやり終えた。一気に提出するので赤ペン先生もあきれるかもね。

 おもちゃ部屋が足の踏み場もない。もともと子供部屋として2部屋あるのだが、2段ベッドと机2台は1部屋に納めてるのでもう一部屋は空いていて、伝統的におもちゃ置き場となっているのだ。とにかくハンパな数じゃないからね。室内で洗濯物を干すときにも使う部屋なのでときどき片付けさせるのだ。今回はけっこう思い切って捨てるものが多いようで、不燃ゴミの袋3つ分になっている。ただし、昨日は途中で中断したらしく、今は見た目はすごいことになっているのだった。ヒデフミが「これ要らない」と言って捨てたものを、アツフミが「これ要るー」と拾い出したりしてるからなかなか終わらないのだった。

 アツフミの乳歯が抜けた。下の前歯で、これが2本目。感心するのが、1本目をちゃんと入れ物に入れて保管してたのを持ってきて、白いほうが前の歯で、ちょっと赤いのが付いてるほうが今抜けたほうだよと、見せてくれたことなのだった。写真は抜ける直前の様子。

 土曜日、妻の実家、息子たちの祖父母の家に行く。ボクの実家は四国なので遠いのだが妻のは犬山なので近いものだ。なぜかアツフミは「どっちが遠い?」と聞いてくるのだが。今回はみんなで焼肉屋に行く。息子たちがたくさん食べるので祖父母も嬉しそう。こういう帰省もいいものだ。雨が降っていたが車庫で花火をして、息子たちを撮ったビデオを観てもらった。翌朝、息子たちはおじいちゃんが釣りに連れて行ってくれるのを楽しみにして、5時に起きて張り切っていたのだが、残念ながら雨が降っていたので次回にお預けとなってしまったのだった。ヒデフミの塾の夏期講習が8時10分スタートなので朝食もそこそこに実家を後にする。約35分で塾へヒデフミを送り届け、帰宅したのだった。

 アツフミは「ムシキング」に夢中。だが、ゲームコーナーがあれば必ず置いてあるかというとそうでもない。何箇所か空振りで我慢していたアツフミ。ありがたいことに、ときどき行く近くのアピタにあったのだった。ボクが買い物をしている間、兄弟で何度か楽しめたようだ。よかったよかった。でもしばらくはそこに連れて行けとうるさくなるのだろうなあ。

2003.8.14
 8月7日から8月13日までの日記はまとめて書いたのだけど、時系列的に書いたのでこれまでの書き方とは違ってその日その日の日記のようになっている。7日からまとめて読まないといけないのだった。

 あ、ちなみにとうとう今日はお出かけはナシ。買い物くらいはいくかもね。午前中は休憩をはさみながらしっかり勉強できた息子たちだったのだった。

2003.8.13
 午前中はお勉強タイム。ただし、ちょっと目を離すと遊んでる息子たち。質問に答えたり発破をかけたりしながら、ボクは日記を書いたり家事をしたりで忙しいのだ。勉強ばっかではいけないので昼からはお出かけ。映画「ターミネーター3」を観る。時間がなかったので昼食はポップコーンやホットドックになってしまった。映画は面白かった。ボクと息子2人の3人だけど席が2と1に分かれてしまって、1人の方は端っこだったので観にくいからと、ボクがそっちに座ろうとしたのだが、アツフミがボクと離れるのをなぜか泣いて嫌がるのだ。でヒデフミには申し訳なかったが、端っこの一人ぼっちで我慢してもらった。アツフミには次回からはそんな甘えたことは許さないよと言い聞かせて一応わかってくれたようだった。

 映画の後、ゲームセンターに寄ったら案の定ここにも「ムシキング」発見。1回づつはやらせてやる。息子たちは、また四国に行かないと出来ないとはじめは思っていたようだったが、名古屋港にも三好にもあったので安心したようだ。きっと緑区のアピタとかイトーヨーカ堂とかにもあるんだろうな。いつ飽きるのかと考えてしまったのだった。

 帰宅前に近所のスーパー銭湯に寄る。気持ち良い〜。残念ながらここの休憩コーナーにはムシキングはなくてちょっとがっかりの息子たち。それにしても子供ってなぜサウナに入ってないのにあんな冷たい水風呂に入れるのだろう。 夕食の前後にもまた勉強タイム。ずっと続いたお祭りのしわ寄せはけっこう大きいのだった。

2003.8.12
 妻は仕事なのでボクが車で送っていくが、まだお祭りは続くのだった。借りてきたビデオで朝から「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ大人帝国の逆襲」を観る。息子たちも何度か観てるし、ナオキくんは10回は観てるらしいのにそれでも熱心に観てるのだった。そうそう、近所の古本屋がレンタルビデオを始めたので昨夜焼肉屋の帰りに寄って借りたのだが、これからは自制しないと借りまくりになりそうなのだった。(妻はこの夜5本借りてきてた)

 お出かけは東山動物園へ。我が家お薦めの自然動物館は夜行性動物や爬虫類・両生類が楽しめる。ヘビとかを触れたらよかったのだけどあれは日曜だけだしね。何とか亀がムシキングのワザのように他のカメに体当たりを繰り返していたのとか、大量のカエルがふわふわしているのがお気に入りな子供たちだった。この日は天気が悪かったせいか人はガラガラ。おかげでじっくり観れたけど。昼食はスカイタワーの上のレストランでバイキング。もっとも途中でナオキくんが遊園地を発見して、またジェットコースターに乗りたくて落ち着いて食べられなかったけどね。展望室からの景色もゆっくりは見ていないのだった。メダカ館もアメリカ大陸の動物も気もそぞろで遊園地へ。またジェットコースターに何度も乗って満足はしたようだった。

 長いお祭りもとうとうおしまいのとき。名古屋空港から姉たちは松山へ帰っていくのだ。見送りをしてから帰宅。そしてさっそく夕食前と後に久しぶりのお勉強をやる息子たちなのだった。

2003.8.11
 フェリーは5:50には大阪南港に着くが息子達はまだねてるので船内待機。以前はこの待機が出来なくて、着くとすぐ下船しなければならなかったのでけっこう大変だったのだが楽になったものだ。それでもアツフミはたたき起こさなければいけなかったけど。7時半頃に下船。阪神高速から西名阪・名阪国道・東名阪と一気に名古屋を目指す。さすがに道中は子供たちは(ボク以外の大人も)寝てたわね。

 姉親子が名古屋に遊びに来るのは久しぶり。どこを案内しようかと考えてたのだけど、ジェットコースターに乗りたいというナオキくんのリクエストにお応えして、途中長島のSAで足湯に浸かって休憩した後、ナガシマスパーランドに寄る。ここは絶叫マシーンが多いのだが、子供向けのもあるのだ。ジャンボ海水プールで遊ぶ人たちを横目にしながら、まっすぐジェットコースターへ。ヒデフミは泳ぎたがったようだけどね。スライダーがたくさん並んでいるのだけど、並んで待っている人もすごく多くて、あんなに待つスライダーなんかやりたくないや、と合理化するヒデフミなのだった。さて、まずはチルドレンコースターへ。実はナオキくんはジェットコースターは初めてとのことだったのだが、全く怖がる様子もなく思い切り楽しんでたのでよかったー。次はコークスクリュー。いきなりヒネリの入る本格的なやつだがこれも怖がることなくクリヤー。ただし、もう一回乗りたいとも言わなかったけどね。3つ目はトレインコースター。これは楽勝。この他は身長制限があるのでパス。ヒデフミだけならスチールドラゴン2000にも乗れるのだがまだその気にはなれないらしい。チルドレンコースターにもう1回乗ってナガシマスパーランドを後にする。あ、昼食はジャズドリームで「江南」のラーメンでした。

 引き続き名古屋港水族館へ。けっこうな人出で、離れ離れになるなと叱られながら全館見て回る。イルカのショーもいい席で楽しめたね。隣接するシートレインランドで「ムシキング」を発見した子供たちは「名古屋にもあってよかったあ」と叫びながら楽しんでいたのだった。アイスワールドやサラマンダー伝説というアトラクションもやれたね。大阪からの移動もありながらこんだけ遊んだらもうバテバテ。・・・なのは大人だけだったのだった。

 夕食はボクんちの近くの焼肉屋へ。そうそう、焼肉屋へ行きたいというリクエストもあったのだった。もう何でもアリの1日でした。

2003.8.10
 この日は去年も行ってる「愛媛県総合博物館」に行く。ときどき動く大きな恐竜の模型がお目当てだ。だから特別展示のエネルギー何とかは駆け足で通り過ぎる。恐竜は動くといっても15分に1回、目と口が少し動くのと、1時間に1回、身体も動くだけなので、待っている時間が長い。不幸にも動くのを待っている間にちょっとしたことで喧嘩になって、叱られて自分の殻にこもってしまったアツフミはしっかり見られなかったのだった。バイキング形式の昼食を食べている間に機嫌は直ってゴメンナサイも言えて、また仲良く遊びはじめられたので一安心。

 お墓参りや買い物をして夕食を食べたら実家を後にすることになる。祖父母も息子たちがうるさく遊ぶのを見るのが嬉しいだろうし、あまり長居しても疲れるのでこの二泊三日程度の帰省がちょうどいいのだ。一回、息子たちだけで帰省させてみたいのだけど実現はしそうにないなあ。もしやるとしても、ボクはビデオカメラをもって尾行するつもりなのだった。

 さて、夜行のフェリーで大阪まで。ボクら家族4人と姉とナオキくんが同じ船室。お風呂にも入れるし、2段ベッドにカーテンという設備に盛り上がりなかなか寝ない息子たちだったのだった。

2003.8.9
 夜の間に台風のピークは過ぎ、翌朝は虫取りで遊ぶ息子たち。高野山で捕まえたカミキリムシ(クロベンジョゴキブリカミキリムシと勝手に命名)の入ってる虫かごには、さらにクマゼミ、トンボ、チョウトンボなどがぎっしり入れられたのだった。あとで全部逃がしたけどね。

 昼に姉と従兄弟のナオキくんと合流し、近くの石鎚山ハイウェイオアシスに行く。ナオキくんはアツフミと同学年で、年に2回しか会っていないけれど、すごく会って一緒に遊ぶのをお互いに楽しみにしているのだ。ハイウェイオアシスで遊んだ後、ボクと姉の母校の小松高校を見学したりしてから昼食。この日は姉の家に泊めてもらうのだ。まず立ち寄り温泉でさっぱりする。大盛り上がりの男の子を3人連れて広い露天風呂で1時間。目が回りそうだった。その後、夕食材料を買いに隣接のショッピングセンターへ。 おっとその前にゲームセンターに寄るが、そこで息子たちは「ムシキング」と出会ってしまったのだった。このゲームは100円でカード(ムシカードか技カード)が1枚もらえて、持っているカードをスキャンさせることで自分のムシやワザを決定し、お友だちかコンピューターとじゃんけんで対戦するというものなのだ。こう書くとなんかとろくさいと思われるかもしれないが、もともと男の子は虫が好きだし、じゃんけんはヒントが出てけっこう勝てるし、カードを集める楽しみもあるし、ムシが画面の中で繰り出す必殺技が派手なアクションと効果音で盛り上がるし、で、はまるのはわかるのだった。空いていたので3人が4回づつくらいやる。ナオキくんは以前からすっかりはまっていて、カードを何十枚も持っている。羨ましがる息子達なのだった。

 久しぶりに会う従兄弟同士だが、会うたびにメインの遊びが変わってるので親も大変だ。ゲームキューブのソフトも半年毎に変わってるし、ベイブレードに夢中だったこともあったよな。ま、なんにしても仲良く遊べればよいのだけどね。

2003.8.8
 朝、6時過ぎから本堂でお勤めがあり、ボクとヒデフミが参加。お坊さんたちのまるでコーラスつきの歌のようなお経を聴くのだ。ボクは途中耐え切れず正座を崩してしまったのだが、ヒデフミは最後まできちんと正座していた。朝食後は金剛峰寺、根本大塔などを見て回ってから高野山を後にする。

 この日は大型で強い勢力の台風10号が接近中で、四国に渡るにはできるだけ早くとあせっていたのだった。雨風は阪神高速湾岸線に入るまではたいしたことはなかったが、そこからは断続的に猛烈な風雨になる。四国に車で渡るには3本の橋のルートといくつかのフェリーがあるが、フェリーは論外。橋も通行止めになる恐れがあるので冷や冷やもの。渋滞しがちな近畿道・中国道経由を避けて阪神高速から明石海峡大橋・淡路島・鳴門大橋経由ルートをとる。息子たちがお腹が空いたと言っても、とにかく四国に渡るまでは一気に車を走らせる。鳴門大橋では後ろを走っていたトラックが1車線分横ロールするのをバックミラーで見て恐怖。ハンドルを取られそうになりながらもなんとか四国に入ることができたのだった。後からだが瀬戸大橋が通行止めになったし、明石・鳴門も翌朝は通行止めになってたのでヤレヤレって感じ。やっと食べられた讃岐うどんは美味しかったぞ。息子たちは雨風を楽しんでいたようだったけどね。夕方愛媛県小松町の実家に到着。久しぶりの祖父母に元気な顔を見せて喜ばれた息子たちだった。

2003.8.7
 この日からボクの実家のある四国へ帰省だ。御岳キャンプから前日帰ってきたばかりのヒデフミにはハードなスケジュール。さらに、出かけるまえに陸上部にも行ったりも。ソフトボール投げが35メートルと調子良かったらしく元気に帰ってきたが、行く前はお腹の調子が悪いから休もうかと言ってたくらいだったのだ。さすが1学期は皆勤賞だった丈夫なヒデフミだったのだった。
 
 さて、四国へ帰省といってもまっすぐ帰るわけではなく、毎年のことだが途中どこかで一泊するのだ。キャンプが多いのだが、今回は戻るときにボクの姉と姉の息子(ヒデアツの従兄弟)が一緒に名古屋に来るのでキャンプ道具は積まずに行く。先日、京都に行った際に比叡山延暦寺を訪れて、最澄と空海の交流を読んだりして、こりゃ高野山にも行っとかなきゃと思いついたので、高野山に寄ることにしたのだった。寄る、といっても四国へのルートからはけっこう外れてるけどね。東名阪・名阪国道・西名阪と走り藤井寺ICで一般道に下りる。ドライブは息子は退屈するのだが、この日は母親との会話などで盛り上がり、寝てしまうこともなく4時前には高野山に着いたのだった。山の上に大きな町があるのでみんなで驚く。奥の院を歩くが、豊臣家の墓など歴史上の人物のお墓があったり、UCCの会社のお墓にはコーヒーカップがあったりとけっこう見所が多い。もっとも、息子たちはずっと戦いごっこをしながら歩いていたのだった。
 
 泊まりは一乗院という宿坊。立派な襖絵などがある大きなお寺で、精進料理を食べる。ヒデフミは大人とほぼ同じメニューをちゃんと食べてたが、アツフミはお子様ランチにしておいて正解だったのだった。

2003.8.5
 日曜の朝、ヒデフミは御岳キャンプに出発。初対面の子供やキャンプカウンセラーの人達の中で、また成長してくるのだろう。今回は荷物は全て自分で用意したし不安のカケラもなかったのだった。寂しいのは残ったアツフミ、そしてボクと妻。アツフミは起きてリビングに下りてきて「お兄ちゃんは行っちゃった?」と第一声。でもケナゲに我慢しようとしてるのがわかるのだった。どことなく元気がなく、誕生祝に買った「動物の森+」で遊んでる。一人遊びができるソフトなのでちょうどよかったのだ。お兄ちゃんが居なくてもゲームの遊び方はわかるのもすごい。釣竿をゲットしたといって、集めてた虫を全部逃がして、新たに釣り上げた魚のコレクションを始めていた。そうそう、ゲームの中のヒデフミの家を見せてくれたりもした。

 相変わらず食は細いが、それでも幅は広がってきた。お昼に外食しようと車を走らせてたら牛丼屋があって、アツフミが食べたいというので入る。店員の数が少なくて、すぐ出るのが売りのはずの牛丼だがスゴク待たされてしまった。結局アツフミが注文したのはお子様カレーだったし。なぜか妻がまた行こうと行っていた。牛丼屋の独特の雰囲気は女性には入りづらいらしく、あまり入ったことがなかったからなのだそうだ。

 土曜日は学区の盆踊り大会。ボクは朝から櫓を組む手伝いに行ったり、夕方からは学童で出す出店の準備で大忙し。特に担当の水風船釣りは大盛況で休む間もビールを飲む暇もない。ま、息子たちは自分の財布を持って、勝手に出店めぐりを楽しんでいた。盆踊り大会の出店といえば、延々とくじをやり続け、出店の売上に貢献することで有名な息子たちだが、今年はくじがなかったのか、はずれの恐竜のゴムおもちゃの大量持ち帰りはなかったようだ。

 夜は寝苦しい暑さだし、ヒデフミがいなくて寂しいと思って、久々にアツフミを挟んで川の字で寝る。うーむ、アツフミも大きくなったものだ。ベッドからはみ出しそうになったのだった。

2003.8.1
 アツフミの動物好き・虫好きも相当なもの。最近ではすぐ図鑑を出して名前を調べたりもしてるのだ。クワガタムシのオス2匹は写真のようにしょっちゅう戦わさせられていた。おかげで留守の間に1匹(写真の右)は死んでしまってたのだった。でもアツフミは今回はそんなに残念がらなかった。というのはオフ会で京都に行って翌日比叡山に行ったのだが、そこでカブトムシの家というイベントをやっていて、そこのお土産に83mmもあるスマトラオオヒラタクワガタを買ったからなのだった。ま、アツフミの誕生日だったから気前よくね。こいつはハサミが以上にでかくて気性も荒いとのことで危険なのだが、イキナリ生き残ってる方のクワガタ(写真の左)と同じケージに入れたらガブリ(?)とやっちゃって、やられた方は足を一本失ってしまったのだった。

 そうそう、このカブトムシの家ってのは思ってたよりもすごくて、ヘラクレスオオカブトムシなどの珍しいのを触れたりするだけでなく、カブトムシが(普通のだけど)大量に森の中(網で囲われている)に居て、ロープのうえで喧嘩をさせたりして延々と遊ぶことができたのだった。しまいにゃ飛ぶし。比叡山では延暦寺のいろんなお堂でお参りをしたり、国宝殿を観たり、大きな鐘を撞いたりもしたし、叡山電車・ケーブルカー・ロープウェイと乗り物も楽しめたので良かったのだった。

 そうそう、なんで京都に行ったかというと、♪FUMIHIKO♪さん主催の川床オフというのに初参加したからなのだった。標準装備の息子たちとオプションで妻も連れて。以前京都に行ったとき、川床料理を食べたくて電話してみたことがあるのだが、子連れだというとお子様には危険だからと断られたことがあったのだ。確かに川床から落ちたらいかんわね。で、今回息子たちには大人しくしてしてろと言ってたのだが、だんだん調子に乗ってきて、しまいには川床でプロレスごっこまでやりだしたのだった。あちゃあ。2次会のカラオケにも連れて行ったのだが、息子たちはカラオケ慣れしていないので自分では一曲も歌わなかったのは残念。他の人の歌に突っ込みいれたりして退屈はしていないようだったのだけどね。

 散髪をした。息子たちは二人同じようにカットしてもらってるのだが、髪質の違いのせいか仕上がりの髪型が全然違って見える。ヒデフミは固めの直毛なのでスポーツ刈りっぽく、アツフミは柔らかくややウェーブがあるのでオードリーヘップバーン(?)のようになっているのだった。

2003.7.30
 ずいぶん間が空いてしまったのだ。決して思い出すことのないネタもあったかと思うと残念無念なのだった。

 行事的には、まず7/19・20・21に学童キャンプがあった。ヒデフミは6年生なので今年は6回目の、そして最後の学童キャンプなのだった。何と言ってもトーチサービス。昨年は骨折してたこともあって本人は不本意なトーチだったようだが、今年はいつ練習したの?というくらい完成度の高い技を披露してくれた。他の子達ともピッタリ合っていて、本番ではボクはビデオ係だったので撮影しながらだったのだが、涙がつーと出るくらい感動したのだった。あ、アツフミもキャンプの間、親に頼らずしっかりやっていた。ボクがついつい声や手を出してしまうときがあって反省すべきはそっちなのだった。そういえばアツフミも保育園児の頃から必ず同行してるのでもう実は6回目なのだよなあ。

 そうそう、通知表は今回も二人とも捨てたり隠したりせず持ち帰ってきていた。多少の凹凸はあるけれど、親として文句の言いようのない通知表なのだった。(え?これ何で○じゃないの?というノリはあるが)

 台所でアリを発見したアツフミ。ボクが「輪ゴムを置くとアリは方向がわからなくなって来れなくなるよ」と言ったらアツフミは「なるほど」と思ったらしく、あとで気付いたら壁に沿って輪ゴムを30個くらい並べていたのだった。あ、アリは殺虫剤で蹴散らしときました。

 夏休みになって毎日ボクが作るお弁当を食べている息子たち。アツフミが残さなくなったのが嬉しい。そういえば、アツフミの分のご飯は必ずオニギリにしていたのだが、今日のはたまたまウナギを載せてたのでオニギリではなかったのだ。すると意外にもアツフミはオニギリ飽きたとのことなので、保育園時代から続いていた「アツフミのお弁当ご飯はオニギリ」というけっこ面倒なルールが改正されたのだった。
 
 7月27日でアツフミは8歳になった。どんどんたくましくなっている次男なのだ。九九の練習も始めたししっかりしてきてるのだ。もちろんまだまだ叱られることも多いのだけどね。そうそう、これまで子供に喜ばれるメニューとしてシチューとかオムライスとかがあって、オムライスにシチューをかけたものなんかは大人気メニューだったのだ。ところが8歳になったアツフミはオムライスはいらないといい、白いご飯と韓国海苔を要求して焼き魚などをおかずにして食べたりしたのだった。子持ちシシャモなら頭から尻尾まで全部食べてしまえるくらいにね。

2003.7.18
 今日はいよいよ終業式らしい。ここのところ毎日大量のプリントやら教材を持ち帰っていて、ああもうすぐ夏休みなんだなと思っていたところなのだ。アツフミが学校で育てていたミニトマトの鉢は妻が持ち帰ってくれたのだが、色付く前のが何個かなっていて楽しみなのだ。明日からいきなり学童キャンプなので準備が大変なのだがボクは今日東京に日帰り出張だったりする。息子たちのお弁当も作らなければいけないしまだキャンプの荷物はほとんどできてないよお。日記つけてる場合じゃないかも。

 昨夜、久しぶりにギョーザを作った。息子たちは上手に包むのだ。そして食べること食べること。アツフミも以前は食べなかったのだが最近は好きになったらしくニラもニンニクも気にせず大量に食べていたのだった。あ、ニンニク臭うかも。

2003.7.14
 子ども会の企画のマジックショーに行く。妻が今年役員をやっているので働き振りを観るためにね。最初の挨拶とかマジックの手伝いをそつなくこなしていて感心したのだった。息子たちはマジックに乗りのり。子ども会の運営も大変だけどああいうのならいいよね。

 怒涛の夏休みがすぐソコまで迫っている。来週からはハードにお出かけが続くので先週・今週とたいしたお出かけはせず、家で過ごす。寝苦しい夜にはエアコンの吹き出し口に近い2段ベッドの上で一緒に寝ている息子たちだったのだった。

2003.7.6
 パスポートを申請に行ったのだった。ボクと妻は新婚旅行で一回行っただけでとっくに期限切れで、息子たちは新規取得なのだ。写真は近所の写真屋さんで撮ったものを使う。受付の係りの人がアツフミの写真を爪でチョンチョンしていてなんだろうと思ったら、鼻の下にあるのはホクロですかと聞かれたのだ。そうだ、と答える。そして妻の写真のときも同じことを聞かれる。そうなのだ。アツフミには妻の遺伝子の働きでほぼ同じ位置にホクロがあるのだった。

 あいかわらず生物に興味津々の息子たち。とうとうクワガタムシを買わされたぞ。去年は幼虫から育てて体長70mmの大物になったのだけどけっこう大変だったので今年は手を抜いてるのだ。初めのうちだけかも知れないが、アツフミが熱心にエサを取り替えたり観察したりしている。イモリ2匹は健在なのだけど、こちらはエサやりから水換えまでボクの担当になってしまっているのだった。

2003.7.3
 裏技紹介のTV番組で「手についた油性マジックをきれいに落とす裏技」というのをやっていた。「あるものを使うと簡単に落ちます」というのを聞くより早くアツフミは自分の手にマジックで線を書いていたのだ。「オイオイ、あるものってのがウチになかったらどうするんだ」とツッコむボク。結局、その「あるもの」とはマッチのことだったので、一つ目の心配は解消されたのだが、これまたすばやくマッチ棒を手にしていたアツフミ。「オイオイ、どうしてマッチ棒のある場所を知ってるんだ」とまたツッコむ。裏技のほうは、水をつけてマッチでこするとあら不思議、きれいに落ちたのでみんなで感心したのだった。

 日曜日、串原村の岡村さん宅に遊びに行く。まず、竹を切ってそうめん流し用の樋を作る。これは大人の仕事なので息子たちはひたすら虫取りだ。節を抜くのを少し手伝ってたか。カッターナイフで竹のお箸を作ったがアツフミもけっこう上手に削っていたので感心。メイン行事はジャガイモ堀りで、ホラホラこんな風にたくさん芋がなってるぞ、とか声掛けしながら掘ってたのだが、子供たちはミミズしか目に入らなかったのだった。

 そうめん流しは麺を流して取って食べるのはもちろん楽しいのだけど、串原流はそうめん以外を流すのが楽しい。昨年枝豆などを流して楽しかったので今回はグレードアップしてブルーベリーやウズラの卵が流れている。アツフミは取ったそうめんをボクの器に移して延々とブルーベリーを狙っていた。この竹は今シーズン他でも活躍するのだ。

 バッタとかチョウとかを捕って虫かごに入れていた子供たち。最大の獲物はなんとオニヤンマ。ゲットしたアツフミは大得意。まさかオニヤンマが捕れるとは思わなかったので、ちょっと違うんじゃないのと言ってしまったのだが、帰って調べたら大きさといい黄色と黒の模様といい、まさにオニヤンマだったのだった。

 そうそう、昨日は念願かなってやっとプールに入れたアツフミ。嬉しい梅雨の晴れ間だったのだった。

2003.7.2
 梅雨だねー。小学校のプールは始まってるのだが、予定日に雨というのが続いてアツフミはまだ一度もプールに入れていない。昨日も朝は降ってなかったけど8時過ぎにパラパラし始めて結局お流れだったそうだ。あ、でも今日は出来そう。喜ぶ顔が目に浮かぶね。

 ヒデフミは塾に行くのがいつもギリギリになる。ボクが車で帰宅する道沿いにその塾はあるのだが、いつも一番手前にヒデフミの自転車があるのを確認している。昨日は自転車が一台だけ置いてあった。それもそのはず、雨がザーザー振ってたからね。その一台がヒデフミのなのだ。アツフミに聞いたら時間を見てなくて遅刻しそうになって慌てて自転車で行ったのだそうだ。いつか事故るぞと心配なのだった。

 アツフミが何時の間にかいちにち、ににち・・ではなく、ついたち、ふつか、みっか・・・と言えるようになってるので感心。そういえば漢字もたくさん読めるようになってるし。

 和室の扇風機をウサが倒してしまった。その扇風機が虫かごを直撃。アツフミのバッタやカマキリが逃げ出したので慌てて捕まえる。全て回収できたのだろうか。その後、ボクは会合で出かけてたのだが、またウサが扇風機を倒したらしい。で、これまた虫かごを直撃し、草が飛び出たそうだ。ウサはその草を食べてたので、ヒデフミは「ウサはその草を食べたかったからわざと倒したんだろう」と言っていたのだそうだ。

2003.6.29
 そういえば、ヒデフミの血液型がわからなくて血液型占いができないとこぼしていることを以前書いたけど、最近小学校で何かの書類を書くときに血液型の欄があってヒデフミはわからないので適当に書いたというのを聞いて不憫に思った妻が近所の病院に連れて行って検査をしたのだった。もっと早くそうすればよかったのだね。費用も1,000円かからなかったし。で、肝心の血液型だが、ヒデフミはA型と判明。ボクと同じだ。妻のB型、アツフミのAB型と合わせ、ヒデフミがO型ならみんなバラバラで面白いと思っていたけどそうはならなかったね。ヒデフミはA型に不満はないようだが、妻はボクに負けたと残念がっているようだった。

 映画「マトリックスリローデッド」を観に行く。ボクは前作はしっかり観てないのだが今回のは面白かったと思う。それにしてもどうやって撮影したのだろうという場面のオンパレードで、ただひたすら感心する。息子たちは早速アクションを真似ていたのだった。そうそう、この映画にも、そしてちょうどTVで2夜連続でやってた「タイタニック」にもちょこっとあったけど、エロチックなシーンは苦手な息子たちなのだ。ウチはそういうシーンは見せないとか隠すとかはせずに、どうしてそういう気持ちになったのかとか、なぜそこでそういうシーンが入るのかなどを解説してやることにしてるのだった。恥ずかしがる息子の反応を楽しんでるというのもあるけど。

2003.6.27
 木曜日は塾に二つ行かなきゃならないヒデフミ。学童を早く出て時間をきちんと見ながら行動しなくてはいけないのだが、けっこう毎週しっかりやれてて偉いのだ。ところが今週は帰宅して一休みしたところでアツフミが寝てしまったそうだ。置いていくわけにもいかず、起こしても起きないってんでヒデフミは困っちゃったことだろう。でもなんとかアツフミが目を覚ましてから一緒に一つ目の塾に行き、アツフミを預け、後でまた来るからと話をしてから自分は二つ目の塾に行ったそうで、感心したのだった。

 小学校で「滝っ子フェスタ」をやったそうだ。父母参加行事ではないのが残念だが文化祭のようなもので、ヒデフミのクラスはお化け屋敷を、アツフミのクラスはゲームをやったそうだ。アツフミはヒデフミのクラスのお化け屋敷に行くのを楽しみにしていたのだが、一緒に行動するお友達が怖がってしまって行けなかったと残念そうに話していた。ヒデフミはいつもの調子で武勇伝をたくさん聞かせてくれたのだった。

 夕食時、観たいようなTV番組がないねということで「もののけ姫」のビデオを観始める。ついつい最後まで観ちゃうんだよなあ。それにしてもアシタカはかっこいいよなあ。

2003.6.24
 YUMEYAでのボクのライブに息子たちを連れて行く。1時間半を一人で歌う本格的なライブなのだ。でもやっぱりボクが歌ってるときもマンガを読んでいた息子たち。ちょっと寂しいのだった。そうそう、ヒデフミに「今日お父さんのライブだけどちゃんと聴けよ」と言ったら、「俺も歌うの?」と聞いてくる。「今日は聴くだけ」と言ったらつまらなさそうにしていたのだった。次は一緒にやろうね。

 土曜日は授業参観だった。まずアツフミのクラス。算数の授業で、筆算をビンゴやパズル風にやっている。アツフミは前回までは照れくさがって決して手を挙げなかったのだが、今回は積極的に手を挙げて、ちゃんとわかっていたようなので安心したのだった。当ててくれーという気持ちが伝わってきたぞ。ヒデフミの方は図画工作の発表会だ。ヒデフミは図工が得意なだけあって見栄えのする作品を作っていた。発表もしっかりできてたよ。

 日曜日、アツフミのリクエストで温水プールに行って泳ぐ。アツフミは体育の授業での水泳が今シーズン全て雨で中止になっているので気合が違う。いつのまにか平泳ぎをやってたり、息継ぎもやってるので感心する。浮き輪が不要になった画期的なプールだったのだった。ヒデフミもずいぶん上達してて安心して見ていられたし。アツフミがスライダーをやりたがらないのだけは謎なのだった。何回か行ってるプールだが、これまでは寒い季節で、屋外の流れるプールは初めてだったがこれまた楽しかったね。

 ゲームセンターのレーシングゲームを息子たちがやる。アツフミはアクセルにかろうじて足が届くぐらいなのでハンドル操作も大変だ。通信システムで二人が同じステージでレース開始。相手の車が自分の画面で見れるので楽しい。面白いことに、始めはじわじわと差を広げていたヒデフミだったが、そんなに余裕があるわけではなく、クラッシュした隙に慣れてきたアツフミに追いつかれて逆転されたりも。抜きつ抜かれつで盛り上がりながらゴールへ。なんとゴール直前でアツフミがヒデフミをかわし勝利!はじめ30秒くらいだったラップタイムも18秒台が出るまでになってたからね。こんなゲームならまたやらせてやりたいと思ったのだった。

2003.6.20
 ヒデフミが早起きなのだ。今朝はなんと5時に起きてた。何をしてるかというとマンガの「風の谷のナウシカ」を読んでいるのだ。さっき最終巻の7巻を書斎に返しにきたが、まだ読んでいるようなので様子を見に行ったら、最初の方の話や登場人物がよくわからないからと2巻を読み返していた。そうそう、このマンガはルビを振ってない漢字が多いので難しいはずだけどアツフミも読んでいたなぁ。

2003.6.18
 おもちゃのサングラスとお母さんの黒いコートでマトリックスごっこを楽しむ息子たち。両手、ポケットに銃を持ってたりアクションも上手。課題は片付けなのだった。

 ちてん(地転?)をやれると得意げなヒデフミ。体育館のマットでは出来るのだそうだ。ベッドの上でやって見せてくれるが成功率は低そうだ。首を折らないか心配なのだった。

 日曜に初めて(少なくとも息子たちは)潮干狩りに行く。予想通りすごく楽しそうな息子たち。もっとも、アサリを掘るよりヤドカリやカニを捕る方が楽しいらしい。しまいには全身びしょ濡れになりながら遊んだのだった。着替えは用意したはずが忘れてきてて、素っ裸で毛布に包まり車に乗って帰る。電車でなくてよかったあ。

 さて、持って帰ったアサリは思ったより大量で、食べきるのは大変だったのだが、その他の生物も大量だった。ヤドカリなんて何十匹も捕ってるし。人工海水の元とか敷き砂を買ってきて水槽に入れるがとにかくうじゃうじゃ。アツフミは熱心に観察している。ところが、量が多すぎたのか翌日にはほとんど死んでしまう。水を替えて生きてるのだけ残したのだが、その後ヤドカリはどうやら全滅してしまったようだ。小さな命を粗末に扱ったと反省。巻貝は丈夫で複数生き残っているのだけど。

 生き物といえばアツフミは庭で見つけたカマキリの赤ちゃんも気に入ったようだ。お椀にラップをかけて穴をあけて4匹ほど入れたのを持ち歩いている。共食いなどでこれも全滅してしまうのだが、散髪や買い物に行くときも、一福に行くときも持ち歩いているのだった。

2003.6.10
 夜、見たいTV番組がないというので昔TV録画した「風の谷のナウシカ」を観る。ボクも久しぶりだが、ヒデフミは内容をかなり覚えてるのでサスガだ。もっとも、主要な台詞をほとんど覚えてるボクにはかなわないけどね。蟲を愛する心とか自然を汚す人間とか話をしながら観れたのも良かった。映画は原作のマンガとはラストが違ってて、マンガのほうはこのあともずっと続くのだと話したら、ヒデフミが読みたい〜というのでボクの書斎のガラス戸書棚に並べてある「風の谷のナウシカ」全7巻を公開する。しばらくはまる予感がする。あ、いやビデオの方もナウシカの後に「ルパン三世カリオストロの城」が入ってて、昨夜ちらっと始まっちゃったものだから今夜はそれ見たいとなるような予感も。

 塾で受けた学力到達度テストの結果が返ってきた。二人ともよく頑張っている。アツフミの算数は満点だったりもする。集中力のムラさえなくなれば言うことはないのだけどね。頑張った結果は思い切り褒めてやったのだった。

2003.6.9
 アツフミは本当に小さい動物が好きだ。公園にキャッチボールをしに行くはずなのに、すぐ立ち止まってはアリをクモの巣につけてクモがアリを糸でぐるぐる巻きにするのを観察したり、イモムシやテントウムシをアリの巣穴の入り口に置いてアリが群がる様子をずーっと観ている。帽子でチョウを捕ろうとしたりもね。家に帰ってきても玄関先でずっと同じようにやってるものだからボクは先に家に入ってしまうのだった。

 アツフミがキャッチボールに凝っている。確かに前より上達したのでやってて楽しいのだろう。捕る方も上手くなったし、投げるのは体育の授業のスポーツテストでボール投げがクラスで一番になった(事実かどうかは未確認)というだけあってけっこうスピードボールを投げるのだった。

2003.6.2
 近所のおもちゃ屋が閉店セールをやっている。歩いていけるのでよく買いに行ってただけに閉店は残念だ。8割引きとかやってるので土曜日に行ってみたら商品はほとんどなくなりかけていた。それでもブロックやラジコン(デジキューブ)、パーティグッズなど、1万円以上のお買い物をしてしまう。つけ髭やカツラなどの変装グッズはアツフミが気に入って早速遊んでいる。何かのパーティーで使おうと思っていた赤ちゃん変身セットも開封して着てみてるし。写真を撮ろうとしたのだがそれはアツフミに拒否されてしまったのだった。

 日曜日、学童キャンプの下見に行く。ヒデフミは子供の実行委員なので同行するがアツフミはお留守番なのだ。以前はこういうときは一緒に行きたいとぐずったり泣いてしまったりしていたアツフミだが、成長してて今回は笑顔で見送ってくれたのが嬉しい。下見では火起こしやパン作りの実習も頑張ったヒデフミ。父と子のキャンプでも今年は火を任せてみようと思ったのだった。行き帰りは車3台に分乗していったのだが、ボクの車(ひでパパ号)には男の子の実行委員6人が乗る。もううるさいくらい盛り上がる。行きは下品なネタに走りがちなマジカルバナナなどの言葉遊びが中心だったが、帰りはリクエストで「ガングリオン主題歌集」CDをかけて、みんなで大合唱することになる。学童でガングリオンブームだというのが実感できてとても嬉しかったのだった(ヒデフミは歌っていなかったが)

 アツフミはビワの種を植えたプランターを毎日チェックしているが、まだ芽を出す気配はない。

2003.5.31
 ずっと観たがっていた映画「ピンポン」をようやく観た。早速家にあるラケットとボールを持ち出して練習を始める息子たち。おもちゃだけど卓球のネットもあったはずなので、片付けてテーブルでやるように言うと、ネットはウサギにかじられて使用不能なのだそうだ。ビリヤード台も使えなくなってるし(わやプロフィールページ参照)我家には中途半端なおもちゃが散乱してるのだった。誰のせいだろう。

 間違いなく雨が降るはずなので傘を持たせたのだが、結局夜まで降らなかった金曜日。案の定、傘を忘れて帰ってきた息子たちなのだった。

2003.5.30
 残念ながらイモリが一匹死んでしまったのだった。早速お墓を作る息子たち。考えてみれば庭はけっこう墓だらけになっているはず。小動物霊園なのだ。オカメツタが繁っているし、どこに何の墓を作ったかは覚えていないのだけどね。イモリのお墓はなぜか中途半端な位置に作られてしまったので後日移設が必要と思われるのだった。

 和室が足の踏み場もない。アツフミが座布団やクッションなどを敷き詰めて自分の基地にしているのだ。そこに座ってマンガを読むのが楽しいらしい。ゲームもやらないくらいだ。ただし、そういうところはウサギも好きらしいので入らないように襖を閉めてたりする。そろそろ片付けさせようと思うのだった。

 子供の成長は早い。靴のサイズもどんどんUPしていく。アツフミは19センチだったのが20センチになった。水曜日、夕食の時間になってアツフミが「今日靴を買いに行くと思って楽しみにしてたのに」と言い出す。仕方がないので歩いて近所の靴屋へ行く。ものすごく迷ったが気に入った靴が見つかったようで大喜びだった。翌朝は新しい靴を履いていくんだと早起きしてるアツフミなのだった。

2003.5.26
 先日アツフミが小さなカタツムリを見つけてきて飼い始めたのだが、もっと小さなカタツムリがまた仲間入りした。その見つけ方がすごくて、和室から庭を見ていたアツフミが、シイタケの原木(5mくらい離れてる)に何かついてると気付いて行ってみたらカタツムリだったというのだ。オイオイたった数mmのカタツムリだぞ〜。感心するしかない。

 串原村でのライブ&山菜天ぷらの会に息子連れで参加する。会場の岡村邸には、お邪魔するたびにその辺で延々と遊びまわる息子たち。先回はヘビだったが、今回はミミズとカエルなのでまあおとなしいほうだ。犬を預かってずっと一緒に居た息子たち。ウチにはウサギがいるから飼えないんだと納得しているのだが、見てるとあぁ犬を飼うのもいいなあと思ってしまった。ヒデフミは『僕んちのウサギ』でライブ出演もしたのだった。

 串原村からつれて帰ったカエルだが、残酷な最後が待っていた。アツフミがカメの水槽に入れたのだ。哀れカメに食べられてしまったのだった。先日のバッタに続き、カメにはご馳走だったかもしれないが・・・

2003.5.24
 アツフミの乳歯が初めて抜けた。真ん中の下の歯だ。もう後ろに永久歯が生えてきてて、歯並びが心配だったが、ま、これからどんどん抜けるだろう。抜けた歯は虫歯がまったくない健康的な歯で感心。ヒデフミのときは、上の歯は軒下に(っていってもコンクリート基礎ぐるりだからウッドデッキの下にだけど)、下の歯は屋根の上に(といっても庭のどこかに落ちてるんだろうけど)投げたものだった。すぐにいい大人の歯が生えてきますようにというおまじないなのだよね。ところが、どこで聞いてきたのかアツフミは枕の下に入れて寝るという。ふーん、そういうおまじないもあるんだと思ってたら、翌朝起きたアツフミは「なんだお金になってないじゃん」と残念そうに言ったのだった。え?そういうお話があるの?

2003.5.23
 夕方、帰宅して着替えてたら玄関から誰か出て行く気配。出てみたらアツフミが蜘蛛の巣にアリをセットしていた。エサをやっているつもりらしい。ま、まだ蚊もいないし(妻はもう刺されたらしいが)明るいのでしばしアツフミと庭談義。ナメクジも見つけたし、でかい毛虫も。そして尺取虫。そうそう、アツフミが小学校の野外学習で公園に行ったときに捕まえたという小さなバッタはカメの水槽に入れられて、やがて食べられてしまったのだった。生命の濃い季節。先日アツフミと20個ほど植えたビワの種は、いくつ芽を出してくれるだろう。

 最近ヒデフミが早起きなのだ。以前は7時半頃に起こしてたのが、いつのまにか自分で起きるようになり、時間もだんだん早くなって、とうとう6時半頃に起きるようになったのだった。ま、起きても漫画読んだり、オハスタ(TV)を観てたりしてるだけなのだけどね。支度もそれなりに早くはなったけど、問題はアツフミで、ギリギリになってからトイレに行ってしゃがんだりしているものだから、分団登校の他の子達を結局待たせてしまうのだった。そしてボクは毎朝「急げー」と叫んでいるのだった。

 塾や家庭学習で最近集中できていないと心配していたアツフミだが、少しづつ話したのをわかってくれたのか、ここ2・3日は上手くいっている。塾の先生がすごく親身になって根気よく接してくれたのがありがたいのだ。良い子のときのアツフミは思い切り誉めてやるのだ。アツフミも嬉しそうだし、大人もみんなとても嬉しいのだった。

2003.5.20
 アツフミが珍しく焼肉を食べたいと言い出した。ちょうど翌日が学童の新歓バーベキュー。ちょうど良かったね。やっぱり焼肉は大勢で炭火でってのが美味しいから。ウチでホットプレートでやるときにはあまり食べないアツフミもそこそこ食べていたようでよかったのだった。ちなみに新歓では家族自己紹介をやったが、アツフミも自分の名前は言えるようになってたのだった。

 そうそう、左の写真はちょっと前のネタだけど息子たちがヘビを持ってる写真を紹介。写真だとヘビかどうかもよくわかんないけどね。

 大体においてヒデフミのほうが年上だけあってしっかりしているのだが、アツフミのほうがしっかりしているぞというのが着替えで脱いだズボンのポケットの中身の片付けなのだ。ヒデフミはどうしてもハンカチを出すということが出来なくてせっかく乾いたズボンに丸まって湿ったままのハンカチが入っていたりする。ところがなぜかアツフミはきちんとしていてティッシュもハンカチもちゃんと出してくれるのだ。ハンカチならまだいいが、ティッシュを一緒に洗濯してしまうと哀しい結果になるのでこれには助かっている。たまに遠足だからとヒデフミがティッシュを持っていってた日は要注意なのだった。

 アツフミがプチ反抗期のようで最近叱らなければいけないことが多い。ヒデフミのときはどうだったかということさえよく覚えて居なかったりして、バカ親は苦労しているのだった。

2003.5.16
 アツフミがどこからか小さなカタツムリを見つけてきた。何日か玄関先の植木鉢に置いておいたのだがまた部屋の中で飼うことにした。小さいので可愛い。熱帯魚の水槽にイモリの水槽とカタツムリのケースが並んでいるのでアツフミはしばらく飽きずに眺めていたのだった。

 DVDでスターウォーズEP2を観る。ヒデフミは戦闘シーンを見たいからその他のシーンは早送りしようとする。ボクはアニーとパドメのやりとりを見たいのでそこは再生させる。すると結局ほとんど通しで見ることになってしまったのだった。

2003.5.14
(この辺日曜の午前中に記述)
 土曜日の朝から日曜の昼までヒデフミがいない。学童の高学年合宿に行っているのだ。ボクも妻もなんか寂しい。そしてアツフミがホントに寂しそうなのだ。割とおとなしく一人でガンダムフィギアで遊んだりゲームをしたりしているがなんとなく元気がない。妻が「土曜日は一度も叱らなかったわ」と言ってたくらい。ボクもゲームを少し付き合ってやったが長続きはしないからなあ。早く帰ってこーいヒデフミ〜。

 おぉ日記を書いてたら帰ってきたぞ。とても元気で楽しかったぁって感じで。さっそくお茶をのんで座り込んだ。疲れてるようだね。あ、関係ないけどウサギの水入れが空になってるのに気付いてスマンスマンと言いながら入れてやったらすごい勢いで飲み始めた。さっきからチョッカイかけてきてたのはこれだったのね。

 天気予報では降水確率40%で確かに空はどんより曇っている。一応息子には傘を持たせる。結局雨は降らず夕方は晴れてきたりも。こんな日は100%傘を忘れてくる息子たち。もういちいち叱ったりもしないよね。・・・翌日・・また忘れてきてる。

 イモリはまだ元気。カメのえさである小さな干し海老をやってみてたらアツフミにこれは食べないんじゃないかと指摘される。小動物をチェックするのが好きなアツフミだった。さらに植物にも興味があるらしく、ビワの種を取っておいてくれと頼まれる。そういえばボクも子供の頃ビワを植えたことがあるわ。小さな木にはなったけど引越しとかなにかでその後どうなったかは忘れてしまったけど。

2003.5.8
 5日は子供の日。キャンプからの帰りは意外に高速道路が空いていて昼過ぎに帰宅できる。で、疲れもなんのショッピングセンターへ。子供の日だからなのか縁日コーナーがあって、そこでイモリすくいをやる。大勢見ていたがイモリを持って帰ってどうやって飼うんだって感じで実際にすくってたのはウチの息子たちだけ。ヒデフミは器用に2匹すくっておしまい。2匹までって決まっているのだ。アツフミも1匹は成功した。店のおじさんが気前よくサカナ2匹とヤゴ(トンボの幼虫)もくれる。アツフミがこのヤゴをすごく気に入って帰宅するなり図鑑で調べたりしてる。あまりの熱心さに感心してしまったのだった。ところが残念ながら翌朝見たらヤゴは死んでしまっていた。哀しそうなアツフミだったがイモリは3匹とも元気なのですぐ立ち直ったのだった。

 帰宅したヒデフミが細長い草の葉を持っている。草笛だそうだ。少し鳴らせるようで得意げなのだった。お母さんに自慢して見せてたのだが、当然お母さんの反応は「犬のオシッコがかかってるかもしれないよ」だったのだった。

2003.5.7
 4日は予定通り朝の滝の水公園へ息子と行く。アツフミは前日と同じようにパンを持っていったのだが、ただ鳩にやるだけではなくて、スズメに食べさせようと頑張っている。でも鳩がいるとスズメは逃げてしまうのでなかなか食べてもらえず苦労していたようだ。ヒデフミは1周だけボクと一緒に走ってくれた。今度どこかの市民マラソン大会に出ようかと言ったら簡単に「いいよー」との返事。最初は2kmくらいの距離からだなと言うと「そんなの楽勝!10kmくらいかと思ってた」と言う。オイオイそんなに簡単じゃないぞ。ブランコの立ちこぎをしている息子たちを見ていたら、滝の水に引越してくる前に滝の水公園に来た時の事を思い出して写真を探し出す。左のがそれだが、ブランコに乗っているアツフミはまだ1歳になってなかったんだなと気付く。いやあ成長は早いものだ。

 4・5日の一泊二日で静岡県春野町にキャンプに出かける。ライブがメインの企画だが、息子たちにとっては100%キャンプだ。東名高速は何箇所か渋滞はあったものの順調に現地到着。早起きのおかげで車中ではほとんど寝ていて楽だった息子たち。ワープしたような感覚だろう。ワープといえば、現地はかなりの山の中でずっと天竜川の支流の気田川をさかのぼって行くのだが途中車1台分の幅しかないトンネルがあって、真ん中にすれ違える場所はあるのだがスリルいっぱいなのだ。ボクらはそこをワープトンネルと呼んでいて、「全員対ショック用意、ワープ!」とか「もうすぐワープから出るぞ!ガガーン!ワープアウト!!」とか叫びながら通過することにしているのだった。

 キャンプ場に着くなりターザンごっこで遊ぶ息子たち。イキナリ、アツフミが転んで足をすりむいて大泣き。しばらく痛い痛いと言ってたが、すぐ横には川があるし、けろっと泣き止んで遊びに復帰したアツフミだった。ターザンごっこも上手になってよかった良かった。他にも一本橋や吊橋やブランコなどが手作りされていてライブの途中もずっと遊び続けていた息子たちだった。他の家族の子供たちとすっかり仲良くなって一緒にサッカーをしたり走り回ったりもしていたのだった。夜はヒデフミがすぐ寝てしまったのだがアツフミは12時頃まで起きていて、海老の天ぷらを揚げるのを手伝ってくれたり焚き火を見ていたりしていた。

 翌日もたっぷり遊べた息子たち。何度声かけをしても蝶を追いかけ続けるアツフミ。まだ帰りたくないって感じが子供らしいね。しっかり蝶を3匹も捕まえていたっけ。そういえば逃がしてやったがカニやおたまじゃくしも捕っていたのだった。

2003.5.4
 散髪した。息子2人はボクと一緒に近所の安い床屋に行っている。さっぱりしたぞー。小学校入学前はボクが切ってて、素人ながら「あら、お父さんが切ってるの?お上手ねー」などといわれたものだが、やはりプロとの仕上がりの違いは大きいのだ。昔、ボクが子供の頃も親父に毎回連れて行ってもらってたけど、小学校6年のときに一人で行くようになった。理由は親父の行く店にはマンガが置いてなかったからだった。今回ヒデフミがマンガの種類が少ないとこぼしていた。別行動になる日も近いのかもしれない。ちょっと寂しい。

 3日の朝、久しぶりに息子2人と滝の水公園へ行く。ボクはランニングをするために。ヒデフミはローラースケート、アツフミは鳩にエサをやるためだ。アツフミは手持ちのパンがなくなった後もエサをやるフリをして鳩を集め続けていた。

 衣替えをしたのはつい先日なのにすっかり暑くなって既にTシャツと短パンという真夏と同じ格好になっている。半そでのボタンシャツとか薄手の上着とかのように今シーズンも着損ねたって服がけっこうあるよなー。もったいない話だ。ヒデフミのときに買った服は着損ねてもアツフミに着せればいいのだけどね。ただし140cm弱のヒデフミと120cm弱のアツフミとの間にはどちらにも着せられない中途半端なサイズがあって、引き出しの奥に忘れ去られてたりするので要チェックだ。こういうのを「ヒデに短し、アツには長し」というのだ。

 さて、GWらしくないGWもあと今日と明日だけ。今朝も滝の水公園に息子と行く約束をしている。そして今シーズン初キャンプとなる春野町勝坂のライブ&キャンプに出かけるのだ。そうそう、だから昨日はがんばって勉強していたのだった。

2003.5.1
 そういえば、先日家族で登山したとき、さすがヒデフミ!と思ったのは、すれ違う人に「こんにちわー」と挨拶しながら、アツフミに「オマエも挨拶しろよ、登山マナーなんだぞ」と言ってたこと。我が息子ながら感心してしまったのだった。昨年の名古屋市御岳キャンプで教えられたのか、ボクに付き合って朝の散歩で滝の水公園とか滝ノ水緑地を歩いてるときボクが挨拶するのを見てるからか、たぶん両方なのだろう。

 月曜朝にテレビでやってるアニメの「しまじろう」。今週はしまじろうのお父さんが太ってしまってズボンが入らなくなるというお話だった。その履いてみたら履けない〜というシーンで、ヒデフミ・アツフミそして妻の3人が同時にボクのほうを見たのだ。・・・何が言いたいんじゃあ・・・って感じ。ここ2年はサイズUPの買い替えはしていないのだぞプンプン。

 実はボクは指を鳴らすのがけっこう得意だ。息子たちは全く鳴らせないので「お父さんってスゴイ」という目で見てくれる。おまけに口笛を吹けるのでさらに尊敬を集めてるのだ。アツフミが突然ピューピュー鳴らしてるのでビックリしたが、遠足のおやつ用に買ってきてた「ふえヨーグルト」を口にくわえてたのだった。ちなみに指は練習すれば誰でも鳴るようになる(はず)なのだ。

 飛び石連休なので泊りがけのお出かけは後でレポート予定のキャンプだけなのだ。その代わり休みの日はさあ今日はどこへ出かけようかなということになる。みどりの日(素晴らしいネーミング!)は昼前からヒデフミのリクエストで東海北陸自動車道の川島PAにある河川環境楽園に行く。久しぶりだが、ここのフィッシュONチップスというレストランがヒデフミのお気に入りなのだ。壁面にサカナが泳ぐCG映像が流れてるし、各テーブルにはタッチパネル式の魚図鑑やゲームやクイズが楽しめる機械が付いている。おかげで昼食に2時間近くかかったのだった。前に来たときにはまだレストランのほかには何もなかったけど、今では公園として広く整備されていて、サッカーをしたり舟に乗ったり滝を見たりと、たっぷり長時間楽しめたのだった。何より楽しんでたのはランダムに飛び出してくる噴水だ。その上を歩けるようになってるので、息子たちはもちろんそこで歩くだけでなく踊ったりしながら噴水と戯れている。で、必然的に全身びしょぬれってことになるのだ。感心すべきは、そのスグ横で上下セットの着替えを売ってること。考えてるよね。助かったけど。我が家はいいお客だったし、さらに通行人全ての視線を集める遊び方だったので、着替えの宣伝やってたようなものだった。

 小学校の遠足があるらしい。おやつは300円までと決まってて、二人とも熱心に迷って選んでいた。ところがアツフミはせっかくそろえたおやつなのに前々夜に一つ食べてしまう。当日朝になってから、おやつが足りないとぐずられても困るので、ボクが適当に買い足しておいてやる。アツフミは「イェイ、俺の好きなものばかりだぜ」と言って喜んでくれたのだった。もっともこの追加分も一部がすぐ食べられてしまったのだけどね。

 で、現在遠足当日朝6時半だ。いい天気になったのでよかったね。5時半ごろに足音が聞こえたので後で行ってみると居間のソファーでアツフミが寝てる。もう遠足が楽しみで寝てられなかったのだね。玄関にはリュックと帽子をきちんと置いてあるし。ではお弁当をつくってやるとするか。

2003.4.28
 アツフミの熱は1日で下がり、週末は何事もなかったかのように遊べてたのだった。公園でキャッチボールをしたが、二人とも好調で楽しくやれた。ヒデフミによると朝は眠くて調子が出ないので下手なキャッチになるが午後なら大丈夫なのだそうだ。

 名画「シェーン」を観た。派手な撃ち合いのシーンはラストにしかない淡々とした西部劇だが、それでも観終った息子たちは早速おもちゃの銃で遊んでいた。途中で眠ってしまってたボクに撃ち合いのシーンの説明を実演してくれるのだった。

 日曜は親子で山登り。山といっても2〜30分で登れる小さな山だが、名古屋市内では一番標高が高い(198m)守山区の東谷山に登る。これを手始めにこれから近場の山に息子と登りたいと思っている。階段が延々と続く思ったよりハードな登りだったが息子たちは全く苦にしない。へばったのは妻で、もう次からは同行しないと宣言されてしまった。展望台からの眺めはなかなかで気分良かったのだが、アツフミがカメラで写真を撮ろうとしててふざけすぎたのできつく叱ったらすねてしまって山頂では気まずいひと時になってしまったのだった。

2003.4.25
 アツフミが熱を出してしまった。夕食時にソファーに横になって寒そうにしていたので熱を測るとなんと38.9℃。けなげにお茶漬けをがんばって食べてるアツフミ。熱を出すのは久しぶりだ。なんといっても小学校1年生の1年間は皆勤賞だったのだから。居間の隣の和室に布団を敷いて寝かせる。リンゴを美味しそうに食べてくれたので安心だが一晩中ボクが添い寝することにする。朝になっても熱は下がっていなかったので小学校はお休みしなくちゃ。妻は今週授業参観で1日半休んでるし今日は出張とのことで、ボクが仕事を休むことにする。アツフミは元気なときはけっこうわがままだが、弱ってるときはけなげなのが泣かせるのだ。朝もリンゴをしっかり食べたので、とにかく冷えピタを貼って寝て治すのだ。

 帰宅してヒデフミを見たらなんか違和感がある。しばらくしてシャツのボタンを掛け違えてることに気付いた。今日は体育でもあったのかと聞いたが、ないというので、じゃあ朝からずっと掛け違えてたのだ。本人が気付かないのも情けないが誰も気付かなかったのだろうかと不思議に思ったのだった。

 夕食にエビの天ぷらを大量に作ったとき。息子たちは好物なのでたくさん食べる。で、お約束なのだが尻尾はボクのお皿に入れる。そう、ボクはエビ天の尻尾が好きなのでもらって食べるのだ。見ると息子たちがかじったエビの尻尾にはまだたくさん身がついている。上手に引っ張りながら食べると尻尾の中の身も取れるよと言ってやったら、お父さんのために多めに残してるのだと答えられたのだった。

 近所の病院にアツフミを連れて行く。扁桃腺がかなり腫れていたようだが吸入を嫌がってしまう。注射も歯医者も我慢できるアツフミだけどこれは苦手なようだ。ところが午後、なぜか熱は下がり元気になったアツフミ。素晴らしい生命力なのだった。

2003.4.23
 新しい学年になって初めての授業参観WEEKだけどボクは仕事が忙しく行けないのだ。ほとんど参加してきたボクとしては寂しいのだが、幸い妻が両方行ってくれるので助かる。月曜は6年生で、ヒデフミはちゃんと手を挙げていたそうだ。今日は2年生、あーアツフミ見たい〜。また親に見られてるのを意識して面白いことをやってくれるだろうに。

 最近ヒデフミが早起きだ。起こさなくても7時前後に一人で起きて、さらに体操のようなことをしている。そういえば寝る前もなんか運動をやってたなー。自分からオヤスミ〜と言ってるし。成長ぶりが頼もしい。そうそう、今までボクのことを「お父さん」と呼んでいたヒデフミだが、これからは「父さん」と呼ぶよと宣言してた。「お」が取れちゃうのね。悪い気はしない。それを聞いていたアツフミは「じゃあっちゃんは『おとたまぁ』と呼ぶね」と言っていた。・・・面白いけどね。

2003.4.21
 週末。ホントはどこかの温泉に一泊と思ってたのだが、天気もイマイチだし、日帰りレジャーに変更。土曜、妻がお支度する間、滝ノ水川公園で野球をする。バットを買ってやったときからちょっとご無沙汰してたが親子で野球はいいもんだ。ただし、息子たちはあまり上達しているとはいえず、もっと相手してやらなきゃいかんかも。さて、この日の行き先は初めての伊賀モクモクファーム。豚がそのへんを歩き回っているのが面白い。息子たちも付いて歩いてた。お昼は焼肉。アツフミはトングで肉を鉄板に乗せたりひっくり返すのをやりたがる。ただし、ほとんど食べなかったけどね。食後はソーセージ作り体験をする。ひき肉に片栗粉やスパイスを入れて混ぜる。氷を入れるとは知りませんでした。息子たちも楽しんでやってる。コラコラ手を服で拭くな。道具を使って羊腸に詰めていくのが面白い。少し空気が入ったりもしたようだけど、チャ〜ンと完成したのだった。すぐ15分くらい茹でて早速試食。ムーン、ジューシー。やはり体験は楽しいので次回はパン作りとかやりたいねって思う。あと、野天風呂に入る。草木の中の道を裸で駆け上がっていく息子達は原始人みたいで面白かったのだった。

 日曜はヒデフミが臨時に塾に行ったので遊びに出るのは午後になる。昼食はココイチのカレー。もうアツフミはお子様カレーを卒業してハーフポークカレーにコーンをトッピングしたのをペロリ。ヒデフミは甘口ではなく普通の辛さのカレーきしめんを苦労しながらもほぼ完食。二人とも成長したもんだ。この日の行き先は南知多ビーチランド。猛烈な雨が降ってたのだがここなら大丈夫。入場したのも2時半過ぎと遅すぎではあったのだが、閉演までたっぷり楽しめたぞ。まず、イルカショーを水槽の下(裏)から見る。見事な演技なのだろうが、水中ではフンをしながらのイルカたちだった。そのあとアイボショー。約50体のアイボがステージに並んでて人間のお芝居に合わせて動いたり踊ったりしていた。抽選で5人にアイボが当たるというので申し込む。息子たちは当たった気でいる。ボールプールでは全身で遊び続ける息子たち。そしてダルメシアンと遊ぼうで犬を触って喜ぶ。アシカとイルカのショーは最前列で楽しんでいた。帰りには雨も止んでいて、駐車場でサッカーもできたのだった。あー疲れたー。

 もうすっかり暖かくなったので衣替え。アツフミの110cmのトレーナーなどはもう次の秋には着れないだろうから資源回収に出すことにする。けっこう大量だがこれも成長の証。

2003.4.17
 また塾に行くのを忘れていて気付いたときには大遅刻だったので結局行かずに済ませたヒデフミ。ボクが帰宅したら、なぜか料理をしていた。メニューはスクランブルエッグと目玉焼きと野菜炒め。アツフミは横で見学してる。息子が料理をやるのは大賛成なので叱りはしなかったのだが、火を使うのは親が居るときにしてくれと話す。けっこうきれいに出来上がっていて味も悪くない。傑作なのが、塾をサボって申し訳ないという気持ちをスクランブルエッグにケチャップで「ごめんね」と書いて表していたこと。ボクがよくオムライスを作るときにいろんな言葉を書くのを真似したのだね。




 

2003.4.16
 今月のアコースティックでナイトで「生まれてくる子の子守唄」を歌う。先月のヒデフミの誕生日のときに家で歌って、ヒデフミに「毎年歌ってね」と言われたので気をよくしての選曲。そういえば最近子育てシリーズはあまり歌っていないからね。ただし、ヒデフミはこの夜はマンガを描くのに集中。完結してないのに公開してしまった「チビトラマン」の続きを描いていたからちゃんと聴いていたのやらしら。そもそも入店してすぐカウンターに陣取り、マスターに「社長!」と言われてもすっかりその気の息子たち。いつもは小食のくせにヒデフミはイタリアンスパ、アツフミは熱玉カレー、カルピスは二人ともおかわり、さらにチーズバゲットとポテトチップスを追加してる。いつもそのくらい食ってくれと言いたくなったくらい。もっとも、そんなシチュエーションからマンガ「チビトラマン」は生まれてるのだ。そして息子たちの成長を感じるエピソードとして、ライブの途中で息子たちだけ帰宅するとき、これまではボクが連れて帰って、また店に戻るというパターンだったのだけど、今や息子たちだけで帰ることができるのだった。この場合、後から携帯で自宅に電話入れて無事帰宅したことを確認しないと不安なのだった。

 ボクの土曜昼の外食のイメージといえば、ココイチのカレーか回転寿司なのだが、妻とヒデフミが好きなので先週末はハンバーグがメインのレストランに行く。オドロキは、これまで子供用のメニューしか頼まなかったヒデフミが、大人用のハンバーグディッシュを完食したこと。野菜の付け合せも食べてるし。すごく頼もしいのだった。そういえば他の食事でもめっきりたくさん食べられるようになったヒデフミ。問題はアツフミ以下の食欲の朝をなんとかせねばならないのだった。

 日曜日は自然が一杯の串原村の岡村邸での花見に家族でおじゃまする。息子たちはもう花なんて見てないわね。遊びにつきあってくれるおじさんもいるし、ずっと田んぼのあぜ道や用水路で遊んでいるのだった。ボクが子供の頃でも捕まえた記憶なんてないタガメを捕ってきたり、エサにするつもりで大量のおたまじゃくしを捕ってきたりして、料理のお皿が並んでるところに置いてたりするので他の参加者を驚かせていた。でも一番驚かれてたのはヘビだよね。一匹目は息子がヘビがいるというのでボクが行って頭の後ろをつかんでやってあとヒデフミに持たせる。冬眠明けなのか動きが遅かったから簡単だ。見るからに毒もないシマヘビだったし。東山動物園でしょっちゅう触ってるのでヘビを掴むことに何の抵抗もない息子たち。そのうちに毒蛇に手を出すかもしれないのでそこは教えとかなきゃいけないけどね。あとからもう一匹別のヘビも捕獲。これまた掴んでは他の参加者に見せて回っていた息子達なのだった。

2003.4.9
 とうとう春休みも終わり、ヒデフミは6年生に、アツフミは2年生になった。春休み中は朝から学童で、小学校への集団登校の時間よりは少し遅く出れたから、起こしたり朝ごはんを食べさせたりはいつもより少し楽だったのだが、お弁当を作らなきゃならなかったのは大変だったのだ。前にも書いたが、特にアツフミは、ご飯はおにぎりにしなきゃならないし、おかずにも気を使わなけりゃならないからね。新学期になっても少しの間は給食がないので大変なのは変わらないのだった。

 入学式の準備に行かなきゃならなかったヒデフミ。ところが、その案内プリントがどこかに行ってたりしてて、ヒデフミもボーっとしてたし親も真剣に考えてなかったので、なんとヒデフミは準備の日にサボってしまったのだった。ヒデフミは根は真面目なのでスゴク後悔してて可哀想に思ったのだが休んでしまったものはしかたがない。次回からそんなことにならないように言い聞かせたのだった。いやはやバカ親でした。

 日曜日はいい天気だったので花見兼野外遊びをする。場所は大府市の愛知健康の森だ。保育園の親子遠足で行って以来、何度か行ってるが、家族全員で行ったのは初めてのような気もする。花見の名所というわけではないので、穴場ではないかと思うのだが、けっこう桜はあって、池に面した桜の下でお弁当を食べることが出来た。タンポポもオオイヌノフグリも咲いていていい雰囲気なのだった。この公園はとにかく広くて子供が遊べる遊具もたくさんあって長時間たっぷり楽しめるのだ。まず大芝生広場で、持参したボールを使って延々とサッカーをした後、子供の森へ向かう。その途中クローバーがいっぱいの広場でついゴロゴロしたら四葉のクローバー探しが始まったのだ。ビックリはアツフミで、さすが、普段から地面を見ながら歩く習慣があるだけあって、あっという間に4つ5つと発見。これはスゴイよ。ボクもけっこう真剣に探したけど1つしか見つからなかったもん。ヒデフミはスゴク苦労して、何十分か後にやっと2つ見つけたのだった。それにしてもアツフミって才能あるよね。その後、子供の森を遊び倒すなど、結局、延べ5時間近く遊び続けた息子たちだった。恐るべし愛知健康の森なのだった。

 始業式、新しいクラスと担任とクラスメート。また楽しく小学校生活を送れますように。

 夕食に揚げ物を作ろうとしてたらアツフミが興味津々。トンカツの小麦粉まぶし、卵からませ、パン粉まぶしを手伝わせる。大喜びで手伝うアツフミ。ホントはあまり好きでないトンカツも、自分が作ったのだから、と、食べたりしてたのは偉いと思う。

2003.4.2
 春休みの息子たちはやはり幸せそうだ。小学校には毎日嬉しそうに通ってたのだが、学童に一日居られるとか、宿題がないとかの春休み生活を満喫しているようだ。親も多少は楽。朝、忘れ物はないかとか、時間割はちゃんと合わせてるのかとか気にしなくていいからね。

 ヒデフミは学習塾の春期講座に4日ほど朝通ってた。これがスゴク楽しい授業らしく毎回、こんなことをやったんだよと嬉しそうに身振り手振りで説明してくれる。学習塾やるじゃんと思ったのだった。その代わり同じ日の夕方の通常授業に行くのを忘れてたりするのがヒデフミらしいのだった。

 土曜日の午後、息子二人とサイクリングをする。夏、キャンプに行ったときにやって以来だが、自宅から出発は初めてで、そんなことが出来るようになったのが何より嬉しいのだ。滝ノ水川沿いはソメイヨシノより一足先に満開の桜並木で快調に走る。ヒデフミが先頭でアツフミが続きボクが後ろから見守りつつ走る。目的地は豊明市二村台。途中道を間違えたりもしたが、中京競馬場の脇を抜けて45分ほどで到着。アツフミには前代未聞の長距離だが自力で走りとおしたのだった。今回の目的地はライブオフ会でお知り合いのせいちゃんまこちゃん夫妻のお店。オープン以来初めてお邪魔できたのもよかったのだった。さらにお店の向かいは花見の出来る公園。ささやかながら花見もできたし。帰りもアツフミは休み休みしながらも完走。先頭を走るのが嬉しそう。いいサイクリングになったのだった。

 天気のいい日曜日。家族でお墓参りに行く。妻の祖父が眠る八事霊園に花見がてらのお出かけなのだ。まず花を買って草刈・掃除道具を借りて歩く。息子たちはけっこう真面目に掃除やお参りが出来るので偉い。ただしアツフミはお参りが気に入ってるのであちらこちらのよそのお宅のお墓にもお参りしてるのだった。桜の花の下でお弁当を食べるのもいい。墓場なので他に人は居なくて静かな花見が出来たのだった。

 花見・墓参りついでに新しくできた都市高速を通って都心の電気の科学館へ。暗闇迷路とか鏡マジックとか感電体験とか、入場料無料の割には楽しめる施設に息子たちは大喜びだったのだった。

 息子たち二人とも通信教材をやってるのだが、いままでは執着していなかったシールを集めてもらえるプレゼントになぜか二人とも燃えはじめる。熱心にカタログをみて、今何点あるからこれとこれとか、あと何回提出したらこれももらえるとか。アツフミはあと一回で欲しいものが揃うとわかったのですごい集中力でまた1枚やり終えたのだった。ヒデフミはあまり熱心に提出してこなかったので、ポイントは少ないのだがそれでもやる気になってるので感心したのだった。

2003.3.27
 なんかパソコンに向かえなくて日記がご無沙汰になってしまってるのだ。あぁっすごく面白いネタがあったような気がするが思い出せなくてクヤシー。

 久々にTVドラマを見て泣いてしまった。「僕の生きる道」の最終回だ。ボクが涙を流してたら息子が二人とも寄ってきて一緒にウルウルしてくれた。親より先に死んだらいかんと言い聞かせたのだった。

 小学校の卒業式があった。ヒデフミは5年生なので一応出席だがアツフミはお休み。ボクが子供のときは全校生徒が参加してたけどね。地方によっても違うのかな。来年にはきっとヒデフミが泣かせてくれるだろう。

 春休みとその前後は給食がないので学童で食べるお弁当を作ることになる。アツフミに出来上がりをチェックさせたら肉団子が入っていないと指摘され、今日は鶏モモの照り焼きで肉団子は明日だと答えたら、なんか嫌そうな顔。残されるよりはマシなので、照り焼きはボクの弁当に無理やり移動させ、肉団子へ入れ替えてやった。甘い?ごはんもおにぎりにしないといけなかったりもする。面倒だが、残さず食べてくれた弁当箱を見ると嬉しいのだった。

 帰宅したら居るはずの息子たちがいない。たぶん近所の古本屋とかコンビニだろうと思ったのだが、これまではなかったことなので心配になって探しにいく。読みは当たっていたのだが、行き違いになったようで、戻ってみたら息子達はもう帰っていた。ガチャガチャを買いに行ってたらしい。なぜか怒る気にならなかったので、静かな口調で、明るいうちに帰りなさいとか置手紙くらいしなさいと言っておいた。定期的にお小遣いは渡していないのだが、小銭でもらったお年玉とかがあって財布はパンパン。自分達だけで買い物したい気持ちもわかるのだった。

 3月21〜23日は妻と息子は3連休だが、ボクは22日出勤なのでつまらない。去年はここの土日でSKIに行ったのだが今年はすっかり暖かくてそんな気にならなかったので、まず21日に蒲郡のラグナシアに行った。ここは初めてだ。小ぢんまりとはしているが、新しいし、アトラクションもそれほど待たずにできたので楽しかった。息子たちはFIRE&FIREというシューティングライドがお気に入り。得点が印字されたモンスターキャラクターカードがもらえるので喜んでいた。ボクはというと、待つ間見られる遊び方ガイドのテレビに出てたガイド役の女の子がとてもかわいかったので、何度も付き合わされたが気にならなかったのだった。

 23日は休園後リニューアルオープンしてる恵那峡ワンダーランドに行った。どこをリニューアルしたのだろうという印象だったのだが、息子たちはそれでも喜んでいた。なぜか家族4人分の入場料(乗り物券セット)を比べるとラグナシアより高くついたのはいただけなかったけどね。

 27日はヒデフミの11歳の誕生日。当日は木曜日で塾があって時間がないといけないから前日に誕生祝いをする。プレゼントも買う。選んだのがゲームソフトなのは仕方ないよね。食後ケーキにロウソクを立てて歌を歌う。久しぶりにヒデフミが胎児のときに作った「生まれてくる子の子守唄」を歌ったらヒデフミが感動してくれて「毎年誕生日には歌ってね」と泣かせることを言ってくれたのだった。

2003.3.16
 変な夢を見た。なぜか息子が3人いる夢だ。ヒデフミとアツフミの他にもう一人、一番上の兄ちゃんがいるのだ。で、ボクと妻が困ったのがその子の名前をどうしても思い出せないのだ。いろいろ持ち物に書いてある名前を見たりするのだが消えかかってたり書いてなかったり。いかにも夢って感じ。目が覚めて一安心だったのだった。

 いつもより早く公文に行かせた日、2時間ほど残業になったので家に電話する。ところがいつもならワンコールで出る息子たちだが電話に出ない。まだ帰ってないのかもとも思い何度か時間を置きながら電話するがやはり出ない。こういうときは心配になるのだ。交通事故か、誘拐か、強盗か・・・。でもそんな事件はめったに起こらないから結果は予想した通り、和室で大音量でゲームに熱中していたのだ。ボクはスグにゲームをやめさせ、電話に出れないような遊び方をするなとキツク叱る。隠しキャラがセーブできなかったかもしれないがケジメはつけさせるのだった。

 そういえば、少しづつ暖かくなってきたような気もするけどまだまだ朝夕は冷えるよね。リビングのガスエアコンは朝一番でスイッチオンするのだが、アツフミは吹き出し口に近いソファーの上にボクのハンテンを敷いて丸まってるし、ヒデフミはソファーの背もたれと飾り棚の上に片足ずつ登って吹き出し口のまん前に陣取るのだった。甘やかしすぎと言われるかもしれないが、実は靴下も吹き出し口の下で温めてたりする。されに足が冷たいといってベッドから降りないアツフミを「お父さんバス発車しまーす」などと言って、おんぶして階段を降りてソファーまで運んだりもするのだった。激甘。

2003.3.13
 ヒデフミが社会の授業で都道府県名の2回目のテストがあると相談してきた。前回は20県ぐらいしか正解できなかったのだ。ボクは地理が好きなのでこういうのは得意で、いろいろ覚えるコツを交えて教えてやる。とりあえず全部言えるようになったのでよしか。寝てる間に忘れてるといけないので、翌朝は「おはよー。香川県と瀬戸内海をはさんで向かい合ってる県は?」で起こす。ちゃんと「岡山」と答えられたので一安心。なぜか一番最後まで覚えられなかったのが「岡山」だったのだった。「群馬」と「栃木」は間違えないのに不思議だよねー。で、そのテストの結果、42県以上は合格で、何とか合格は出来たのだそうだが、全県制覇できなかったのを悔やんでいた。「山口」を三つ書いたとか。ちゃんと見直さないからなのだ。

2003.3.11
 3月にもなってようやく息子たちのお年玉を貯金する。預かってたまま(使いこんでたともいう)だったのだ。定額貯金の通帳と印鑑を持ち出すのが面倒でついつい先延ばしにしてたのだね。もっとも息子たちは貯金の概念もよくわかってないし、残高にもまるで関心が無い。かといって将来チェックされて「この年のお年玉が入金されてない」って文句言われたくはないし。あ、3月になっちゃったのはばれるわな。ま、超低金利だからよしってことで。

 日曜は学童祭りだった。子供たちもお店を出したり野外遊び指導をしたりして学童児以外の子供たちに楽しんでいってもらえるように頑張っていた。ヒデフミはバンダナとエプロンをしてクレープなどを売っていた。ホントは作るほうをやりたかったらしいのだが、練習に参加できなかったから売り子役ね。早々に売り切れてたので良かったねー。アツフミはヤットコ教室の貸しヤットコ係り。サイズ別に並べてあるヤットコをお客さんに渡して案内してた。実に一生懸命やってるので感動してナミダがでそうになったのだった。お腹がすいたり、クジをやりたかったりというのを我慢してるのも偉かったねー。ビンゴ大会では景品に手作りビーズの指輪をもらったアツフミ。この指輪はお母さんへのプレゼントで、もらったお母さんはもちろんすごく嬉しそうだったのだった。

2003.3.7
 久しぶりに息子たちの成長ビデオを見た。アツフミが生まれたところから。もうかわいくてかわいくてものすごく楽しめた。1時間分を見終わってまだ続きが見たくなる。アツフミ誕生後でも12本あるので全部見るとなると大変だなこりゃ。見てると優しい気持ちになって、息子たちに甘くなったりもしたのだった。

2003.3.5
 いやまったく、先週末は映画「ワンピース」に振り回されたのだった。ヒデフミがなんと初めて友だちと(だけで)映画に行きたいという。市バス・地下鉄で行くというので一日券を買っておいてやった。心配だったのはアツフミが一緒に行きたいということだったが、アツフミは前夜は少しぐずったのだが、なんとか納得して、当日朝には早起きしてお兄ちゃんを見送ることが出来たのだった。偉い!もちろん何もなしで納得したわけではなくて、お父さんと一緒に見に行くことにしたからなのだが、これが実に大変だったのだ。土曜日昼仕事から帰ってからすぐに郊外(三好町)のショッピングセンターに行く。ところが雨の土曜日、映画公開初日の午後は満員で入れない。アツフミがお父さんならなんとかしてくれるという目でボクを見るので、思い切って、車で40分くらいかかったが他の町(東浦町)のシネコンがあるショッピングセンターへ移動する。なんでここまでするかなーと思ったのだけど、アツフミの期待には応えたかったからね。だがしかしこちらも満員で結局この日は断念することになってしまう。以前のアツフミならここで爆発してしまうところだが、アツフミなりに成長していて、また翌日にトライするということで納得してくれたのだった。

 翌日、午前中はお父さんの駅伝の応援に付き合ってもらって、午後は家族で映画に行くことになる。前日にもう見てるヒデフミとあまりこの映画には興味のないお母さんも一緒。でも家族で揃ってってのはいいね。この日は15時40分からの席が取れて(前から2列目だったが)やっと見れたアツフミは大満足なのだった。映画は面白かったよ。エンディングの歌もけっこうよかった。そうそう、お友だちと行ったヒデフミはそれなりの大冒険が出来たようで、それもいい体験だったのだと思うのだった。けっこう心配したりもしたのだけどね。よかったよかった。遠足でもないのに持っていくお金は3000円に決まってるからといって、余分のお金を財布から出したりするヒデフミなのだった。

 昨年につづき、緑区の学区対抗駅伝にボクが出るので息子たちに応援させる。今回はアンカーのボク。タスキリレー直後とゴール直前で写真を撮るように指示する。練習不足なので距離は短いとはいえ苦しかったのだが、息子たちを見ると元気が出て、一人抜くことができたのだった。ゴールしてアツフミに預けてあったタオルを受け取る。すると、痛っ!!・・・なんとイガグリをアツフミが仕込んでたのだ。なぜか怒る気にもならなかったのだけどね。

 ヒデフミが学習塾に通うことになった。入塾テストってのを力試しに受けさせてみたら、本人すごくやる気になっちゃって、きっと合格するし、通いたいっていうのだ。やる気は尊重したいので学童・公文式との両立は大変だろうけど、やらせてみることにしたのだった。一週間のスケジュール表を作ってみる。小学生だけど忙しいよね。不安もあったが、学習塾の初日はスゴク楽しかったらしく、学習塾に通ったことのないボクと妻は驚いてしまったのだった。

 ヒデフミが小学校の家庭科で調理実習をした。前々からメニュー・レシピは研究してて、ボクのアドバイスも入れて「ウィンナー入りのカレー風味野菜炒め」を作ることにしてたらしい。ところがそれを前日の夜11時に言うもんだから、冷蔵庫にはウィンナーはなく、変更を余儀なくされたのだった。コンビニに買いにいっても良かったのだが、これはちゃんと夕方までに言っておかなかったヒデフミに反省させるためにあえてフォローしない。その代わり、ウィンナーではなく、たまたま冷蔵庫にあった鶏肉の照り焼きのレトルトを持たせることにする。結果、ヒデフミの料理はけっこう受けたらしく、親として一安心なのだった。

2003.2.27 
 ドラマの主題歌にもなってるSMAPの歌「世界に一つだけの花」を息子たちが小学校で手話をしながら歌うのを覚えてきた。卒業生を送る会で歌うらしいのだが、二人で揃ってやって見せてくれたが、こんなにいい歌だったのかと感動した。手話もすごく上手にやるので感心。二人とも手つきがいいし、特にアツフミが説明しながらやって見せてくれるのはホントに上手だったよ。

 先週末は家族でSKIに行ってきた。ヒデフミがもう行きたくて仕方がない様子だったからね。でもウチは早起きが苦手なのでちょっと近場で滑るだけでもイキナリ温泉に泊まることになるのだった。温水プール付きの宿にしたのは結果オーライか。土曜の夕方は到着後まずたっぷり泳ぐ。残念ながら雨だったが屋外ジャグジーにも入ったし楽しめたね。ヒデフミはもう息継ぎも上手になって安心してみていられた。アツフミももう大きいプールでも足が付くようになったので嬉しそうだった。で、翌日はみんなでSKI・・・のはずだったのだが、ここで問題発生。アツフミがどうしてもまた温水プールで泳ぎたいと言い出したのだ。ヒデフミがそれでもいいならそうしようと思ったのだが、ヒデフミはSKIをしたいと譲らない。小学校の授業でやったディベートの要領で「SKIをやるべきだ」の立論を展開する。第一の論点は「そもそもSKIをやりに来たのだからSKIをやるべきだ」。第二の論点は「車にはSKIの道具を積み込んできてるが、やらなかったらそれが無駄になる」。第三の論点は「今日はSKIだと思ったから昨日はプールを目一杯楽しんだのだ」。そして「天気が悪い」という反論に反駁するために「行ってみなければわからない」と主張したのである。アツフミの説得は難しいので解決策としてボクが提案したのが「アツフミはお母さんと二人でプール遊び。ヒデフミとお父さんはSKIに行って、2時ごろ合流して帰る」というもの。幸いお母さんも承諾してくれてアツフミもOKでもちろんヒデフミはSKIができればいいのでそういうことになったのだった。

 宿からSKI場までは恵那山トンネルを抜けて30分くらい。霧がスゴクて視界は全く利かなかったがヒデフミと二人たっぷり滑った。いやあ、ヒデフミはすっかり上手になってて、中級コースを転ばずにどんどん滑っていく。別行動のおかげでハイペースで滑れて大満足だったのだった。2時半ごろ宿(温泉・温水プール併設)に戻ってアツフミ達を探す。見つからないのでとりあえずヒデフミと温泉に入る。気持ちイー。湯上りにようやく合流できる。すぐ会えなかったのはお母さんとアツフミは女湯に入っていたからなのだった。アツフミは普段テレビでちょっとHなシーンがあっても「気持ち悪い」と言って顔を伏せるくらいなので女湯は大変だったと思ったら中ではずっとおとなしかったそうだ。ま、そのうち入りたくても入れなくなるんだからいい経験だよね。ウチはいつもお出かけはボクが一緒なのでそういえば女湯は初めてだったかも。そんなわけでいろんなことがあった家族SKIだったのだった。

 今週は今年度最後の授業参観があった。アツフミのは行けなかったがヒデフミのには仕事を休んで行く。授業といっても学芸会のようなもので、ヒデフミ達はお芝居を見せてくれた。今の子供たちはホントすごい。たくさん笑わせてくれたのだった。

2003.2.18
 土曜日午後、ヒデフミのお友達が大勢遊びにきた。和室でずっとゲームをしてる。たまにはいいか。お菓子を出したら出しただけあっという間に空にしてしまうパワフルな子供たち。エアコンはつけてなかったのだが、ふすまを開けたらムッとした熱気が流れ出てきた。そうそう、ヒデフミはお友達が来るのを許してもらうために朝7時に起きてイキナリ勉強を始めていたのだった。

 ギャラリーに掲載したヒデフミのマンガ「チビトラマン」面白いでしょ。あーいうのをビックリするほどササッと描いてしまうのだ。金曜日にアランプーサンに連れて行ったらライブの間に第2話を2枚(24コマ)描いていた。またUPしようと思うが、その前に大長編の「まるぼうくんの冒険」を連載しなければいけないのだ。で、とうとうまたホームページ容量が足りなくなったのでギャラリーを別サーバーに分けることにした。なので広告が入るようになってしまったのだった。

 今年はまだ一度もスキーに行っていないので、そろそろヒデフミがうるさくなってきた。そこでサイズチェックをすると、着るものはなんとか今シーズンは大丈夫そうだったが、ヒデフミのスキー靴がきついらしい。早速スポーツ店に行って買ってきた。問題はいつ、どこへ行くかなのだった。

2003.2.15
 先週末、家族で温泉旅行へ行った。旅行といっても車で行って夕方着いて泊まって翌日も朝出発してまっすぐ帰る行程だったので息子たちには不満だったかも。車に乗ってばかりだと退屈だからね。せっかく伊勢まで行ったのだからどこかに寄って遊びたかっただろう。あ、でもおじいちゃんおばあちゃん(妻方)も一緒で喜んでもらえたし、いろいろ楽しんでたからいいのか。温泉にはおじいちゃんと一緒に入ってた息子たちなのだ。夕食には名物イセエビの残酷焼をした。生きたまま炭火の上で焼かれもだえるイセエビをしっかり観察できたのだった。カラオケもしたっけ。

 伊勢ではどこへも寄らなかったが、そのまま帰宅ではつまらないので名古屋に戻ってから東山動物園に行く。もう飽きるほど行ってるのだが、また自然動物館でヘビやトカゲを触る。動物園では他に何も見なかったがそれでも満足の息子たちだったのだ。

 11日にボクはカフェプーで開催されたうたごえ喫茶のお手伝いをした。息子たちにも来てほしかったのだが勉強で忙しかったようだ。アツフミは応援に来てくれたらしいのだけど、カフェプーではなくてアランプーサンだと思ってて、ドアが開かないからべそをかいて帰ったのだそうだ。そのときのアツフミの気持ちを思うと胸が痛い。せめて打ち上げはお父さんと一緒に行きたいというので連れて行ったのだが、あまり食べないし、言う事を聞かないので叱り飛ばしてやったら大泣きしてしまったアツフミだった。

 仕事から帰ったら息子たちの姿が見えない。妻がさっき和室にいたはずだ、というので「ははぁん、かくれんぼのつもりだな」と思い、「ここかぁ!」とか「ホラ見つけた」とか叫びながらダイニングテーブルの下とかカーテンの裏とか押入れの中を探したが見つからない。コタツの中にはウサギしか居ないし。まさか2階か・・・面倒だなと思って階段を上がりかけたらサングラスをかけておもちゃのピストルを持ったちびっこギャングが二人「手を挙げろー」と階段の踊場から飛び出してきたのだ。あービックリした。さっき探してるところは我ながら間抜けだったなあと思ったのだった。

2003.2.7
 ヒデフミが数日前に持って帰った90点の漢字テストを探していた。間違ったところを直して提出するのが宿題なのだそうだ。ボクには心当たりがなかったので「いつ持って帰ったんだ?」など聞いたがハッキリしない。ちょうど今週初めに古紙回収があったばかりなので「もうないからあきらめな」と冷たく言い放ってやった。それでもヒデフミは探しつづけていたのでボクはちょっと怒りながら「さっさと頭を切り替えて他のことをやりな」と言ったのだが、なんとダイニングテーブルの上を片付けてたらそれが見つかったのだ。ボクは反省し、ヒデフミに謝ったのだが、ヒデフミは「お父さんそんなに謝らなくてもいいよ」と言ってくれたのだった。

2003.2.6
 ボクは子供をよく叱るほうだが(?)、子供が叱られることを納得できないのはマズイと思うので、叱ってもしょうがないとき(悪気はなく、結果も大したことがないとき)は叱らないようにしている(努力目標ともいう)。子供には、叱られたら必ず「ごめんなさい」と言わせるようにしているが、子供は納得しないと絶対ごめんと言わないからね。先日、朝食にシュークリームを食べていたアツフミが情けなさそうな顔をして固まっていたので、見ると、床の絨毯にクリームがついていた。「ははあん落としたんだな」と思って「落としたのはしょうがない。拭いてやるから早く残りを食べな」と言ってやった。そう、こんなことでは叱らないのだ。ところが拭いたあとしばらくしてもアツフミは固まったままだったので「もういいから早く食べなさい」と言ったら「この落としたシュークリームを食べろって言うの?」と怒るので「ああ、そういうことね」と思いながら「早く言わんか!お前が怒るな!代わりのを持ってくるからとにかく早く食べろ!」と、思いきり叱り飛ばしてやったのだった。

2003.2.5
 土曜午後、近くの公園で野球をする。新しい木のバットが嬉しくて二人が交代でノックをする。オイオイ守備はボク一人かよ。ま、キャッチボールもまた少し上達したみたいだし、楽しくやれたのだ。ところが公園に来ていたもう一組の親子がちょっと違う雰囲気で、父親がやたら厳しくて怒鳴り散らしていて、しまいには息子の方が泣き出してしまったのだ。見てはいないが父親が手を(足かも)出してしまったようだ。さてどうしたものかと思っていたら、ちょうどボクの投げたボールがアツフミの胸に当たって、これまた泣き出してしまったのだ。こっちは違うんです〜と心の中で叫びながら退散することにしたのだった。

 ゆきネエ主催の新年会に息子も連れて行く。息子は標準装備といいながら最近はアランプーサンにもついて来ないことが多く、寂しく思っていたからちょっと嬉しかったのだった。

 日曜、家族でボーリングをする。先週学童でやって、調子良かったアツフミだったが今回は思ったように点が出ず、ご機嫌ナナメになってしまったのだった。その代わりヒデフミがまあまあで、そろそろノーガーターのバーを上げなくてもやれそうだね。

 近日公開予定なのだが、ヒデフミの大長編マンガ「まるぼう君の冒険」というのがある。「まるぼう君」とは、「マル暴」ではなく、○+<というようなキャラなのだ。原稿が20枚くらいあるのだが、整理してたら順番がわからなくなってヒデフミに助けを求める。で、またストーリーや演出の解説を聞かされたのだった。

2003.1.31
 ヒデフミが宿題だといってマンガを描いていた。先生との交換日記のようなものだけど、マンガでもアリなのだそうだ。これが読んでみるとスッゴク面白い。先生も大爆笑だろうと思ったのだが、翌日先生のコメントを読んでみたら割りとフツーだったのだった。

 天気予報で愛知県は平野部でも積雪15センチだったものだから、期待しまくって眠りについた息子たち。翌朝、緑区では積雪は全くなく、落胆した息子たちなのだった。 

2003.1.30
 また授業参観があった。残念ながらボクは仕事を休めなかったので、妻に行ってもらう。ヒデフミが手を挙げていた、とか、アツフミと凧を作ったとか聞かされ羨ましい限り。

 火曜夜、集まりがあったので帰宅が遅くなった。家に電話を入れたらヒデフミが出て国語のノートと漢字練習帳を買わなくてはならないというので引き受ける。ところが寄ってみた文具屋が店じまいセールをやってて在庫がほとんどない状態なのだ。実は職場から集まりのある店まで地下鉄一駅分(八事ーいりなか)を歩いて行ってて、もうほとんど目的地に着いていたのだが、他にノートを買える店は職場の近くにしか心当たりがなかったのでまた歩いて戻ることにした。100円のノートを買うだけのために地下鉄一駅分を一往復半したのだが、ヒデフミが喜んでくれたのでまあよしとするのだった。そうそう、ヒデフミも近所の100円均一の店に一人でノートを買いに行ったそうだ。でも指定のものがなかったので、僕の出番となったわけなのだが、ヒデフミはついでに古本屋に寄ってマンガを買って帰ってきてたのだ。ヒデフミにしては珍しい行動だが、子供らしいのでなんだか一安心したりもしたのだった。

2003.1.28
 日曜、学童の企画でボーリングをする。アツフミは150人くらい参加した中で、なんと16位!ハンデが1ゲーム60点あるとはいえ、すごいよね。ちなみにボクはハンデなしで98位。ヒデフミは107位だった。ヒデフミはそれなりに落ち込んでいたがスペアもとっていたし、よくやっていたと思う。アツフミはガーターなしなので有利だしね。感心するのは、ボクなど、大人はもう2ゲームやれば十分で筋肉痛になったりするのだが、子供は全く残らずに遊べてるってことなのだった。

 土曜はボクが仕事だったので新しい木のバットを使っての野球は息子たちだけでやったのだが、木のバットはそれまでのプラスティックのよりもよく飛ぶらしく、嬉しそうに報告してくれたのだった。玄関に置いてあるのを見てほほえましかったのは、グローブにバットを突っ込んでたこと。そうやって背中に担いで持つのがカッコイイのだとか言ったような気がする。来週は一緒にやろうと思ったのだった。

2003.1.26
 完全週休二日になってる子供たち。金曜日の夜はついつい夜更かししてしまう。親のほうもまーいいかという気になってしまうからね。油断してこちらも夜更かしだ。ただし、子供たちや妻と違ってボクは土曜日も出勤なのだ。土曜の朝、誰も起きてないのに一人身支度をして玄関を出るのは寂しいものなのだけど、今週はヒデフミが起きてきて見送ってくれたので感謝したのだった。

2003.1.24
 ウチの近所は異常に学習塾が多いような気がする。まだこれからも増えそうな勢いだし。ボクは子供の頃に学習塾に行った経験がないのだが、昔の田舎のことなので、学習塾の必要性については正直言ってわからないのだ。ただ、実際今のヒデフミの生活に新たに学習塾の時間を加えることはできないので、行かせるとしても中学校からにしようと思う。その代わりと言ってはなんだが、今やらせてる通信教材も見るとけっこう間違えてるので、その通信教材や、小学校の宿題をみてやるのを「おや塾」ということにしたのだ。場所は自宅(当たり前)、先生はチチ先生とハハ先生(当たり前)、要はネーミングだけ、どうせ自宅学習やるなら楽しんでやろうということだが、親が子供の勉強を見てやるのは当たり前なのだった。もちろんアツフミも一緒に入れるのだ。入塾テストは国語の教科書の音読で二人とも合格。ついでに国語の宿題も完了。算数の図形の問題など、ヒントを与えて、「あ、わかったー」というのは先生としては嬉しいものなのだった。

 残業で遅く帰ったときは、居間に入ると息子たちが「おかえりー」と飛びついてくるのが嬉しいものなのだ。もっとも、もう食事が終わってゲームをしてたりすると、帰ったことに気付きもしないという寂しいこともある。そういうときは、玄関にランドセルや鍵が散乱してるのをとがめて、イキナリ叱ることにしてるのだった。先日、帰宅したら居間から廊下へ飛び出てきて「お父さんおかえりー」と、飛びついてこようとした二人だったが、玄関にランドセルや鍵がそのままなのに気付き、ボクをすり抜けてあわてて片付け始めたのだ。その、すり抜けのアクションがわざとらしく(ちょっとスローモーションで)笑わせてくれたのだった。

2003.1.19
 オモチャだけど卓球のラケットとかネットのセットを買った。息子たちははじめスゴク熱中していたので、アランプーサンでの次回卓球大会にエントリーできるくらいになるかと期待したけど、他にもゲームやマンガ(もちろん勉強も)で忙しいので先は長そうなのだった。

 YAHOO BBのADSL無料体験中で、居間に置いてあるパソコンでもインターネットができるようになっているのだが、ヒデフミはあまり興味がないようだ。完全にお絵かきマシーンと思っている。小学校の授業でホームページ作りをしてたくらいだから、その気になればいろいろ出来そうだけどね。そうそう、以前ヒデフミがペイントブラシでインフルエンザの絵を描いてたのを思い出してトップに表示してみたのだ。けっこうはやってるそうだけど、我家ではまだ誰もかかっていないのだった。

 親子で野球をやるときはプラスチック製のバットを使っていたのだが、もうベコベコになってしまったので木製バットを買った。昨日は雨が降ってできなかったので今日は出来るといいなとここまで書いて8:48、やっとヒデフミが起きたようだ。昨夜は学童の新年会に親子4人で参加。居酒屋のお座敷では子供たちと大人たちがそれぞれ盛り上がっていたのだった。寝るのも遅くなったのでみんながまだ起きてこないのは当たり前だね。もっともボクは7時前に起きてラーメンを食べてるのだった。

2003.1.13
 お正月に妻の実家へ行ってるが、あまりにもバタバタしてたのでまた泊まりに行った。息子成長記録ビデオを見せる。運動会での勇姿など誇らしげに祖父母に自慢しつつ楽しく見れたのだった。一応連休だったのだが、ウチには珍しく他にはお出かけ無し。その代わり近所の公園で野球をして遊んだ。アツフミに先日新しいグローブを買ってやってたのだ。二人とも以前よりは多少上達していて、そこそこキャッチボールを楽しめたので良かったのだった。

2003.1.10
 四国への帰省の続き。帰省で息子たちが一番楽しみにしているのは従弟(ボクの姉の息子)と遊ぶことなのだ。従弟のほうもスゴク楽しみにしていてくれて、会うなり仲良くなってるのだった。年に2回とはいえ毎年のことだからね。以前は喧嘩になることもあったのだが、今ではほとんどないのだ。

 オモチャ屋でガンダムシリーズのアクションフィギアを1体ずつ買ってもらい大喜びの子供たち。アツフミは初代ガンダムRX-78、従弟はZZガンダムで、それぞれスゴク気にいってたが、ヒデフミはもう選択の余地がなく、とりあえずシャア専用ザクにしたのだが、ビームサーベルがないので文句タラタラ。もっとも、だんだん愛着が沸いたようではあるが、後日別の店でヤクト・ドーガを手に入れていた。それにしてもボクが高校生の頃に始まったガンダムが世代を超えて続いているのはスゴイのだ。またこのフィギアが良くできていて、関節はフル稼働するのはもちろん、手を曲げて背中のビームサーベルを抜くポーズまでとれるのだ(ガイーンガンダムというらしい)。ボクも自分用のが欲しくなったくらい。ちなみにボクと息子たちのお気に入りはZガンダムと百式(金色のヤツ)で、百式は後日買ってしまったのだった。もっとも、今放映中のガンダムSEEDシリーズに至るまで種類はメチャメチャ多いので、初期の頃のしか知らないのだけどね。

 実家の隣は叔母さんと従兄姉の家で、とにかく料理が美味いのだ。挨拶に行ったら、まず黒豆が出た。これが絶品。もちろん買ってくるのではなく、自分で煮たのだ。これをアツフミが一皿ペロリと平らげる。少食のアツフミがめずらしいこと。数分もしないうちに茹でたてのウィンナーも出てきて子供たちは争うように食べたのだった。さらに実家でもご馳走を食べなければいけないし、従弟の誕生日がお正月なのでケーキまであったのだが、けっこう食欲のある日で良かったのだった。

 二日目は姉の家に泊めてもらうが、その前に近くに出来た温泉に行く。そこは露天風呂がやたら広くて、普通は中にあるような打たせ湯や泡の出るのも露天なのだ。子供たちは手すりがついてて流れる歩行湯がお気に入り。そこなら泳いでもOKみたいなとこで、ぬるいのもあってずっとそこで遊んでいた。ボクは隣接する洞窟風呂から溺れはしないかと見ていたのだった。

 四国から帰ったらもう冬休みもあとわずか。5日はふぉーくちゃんぽりーだった。ヒデフミが昨年に続いて出演するので午前中のリハーサルから同行する。それにしてもヒデフミはステージに上がっても緊張しないようなのですごいのだ。もっともリハーサルのときから「ねえ、今、本番?」とか聞いてくるので周りは見えていないのだきっと。本番では「ボクんちのウサギ」のボーカルを間違えずにこなし、ボクのハモリにもつられなかったのは偉いぞ。レパートリーをどんどん増やさなきゃと思うのだった。

 ジャッキーチェンの「酔拳」をBS2で観る。字幕スーパーだったが息子たちは読めない字があっても全く問題ないようで楽しんで観ていた。翌日は「酔拳2」。おかげでゲームをする時間がなくなるのだが、それでもしっかり見ていたのだった。もっとも見ながらアクションを真似するので晩酌中のボクとしては多少うっとおしいのだった。

 分団登校の集合時間が早くなった。初日はいきなりギリギリになって、置いて行かれそうになったので、これからはランドセルは持って出るだけにできるよう、前日夜に支度させることにした。なんで今までやってなかったの?ってくらい当たり前のことなのだけどね。支度しないとゲームさせないと厳しく言ったので、2日目の朝は時間割とか持ち物で慌てることはなかったのだが、起きるのも早くした割には結局着替えはギリギリになってしまい、慌ただしく家を出ることになったのだった。

2003.1.9
 毎年お正月明けはバタバタして日記どころではなくなるのだった。

 元旦から息子たちも年賀状の返事書きで忙しい。月刊コロコロコミック連載のデンジャラスじいさんのイラストを描いてたようだ。夜は犬山の妻の実家に年始に行ってスキヤキを食べて泊まる。祖父母といっしょにトランプをして遊んで盛り上がった。みんながルールを知ってるのは七並べとババ抜きだけなので、それしかできないのだが、楽しいからいいのだ。

 2日はハードスケジュール。朝食後、いったん自宅に戻ってから、名鉄バス、名鉄電車、新幹線と乗り継ぎ、岡山からは久しぶりの在来線特急しおかぜに乗り換えて四国へ。ボクの実家へ帰省なのだ。ここのところ冬は飛行機が多かったのだけど、たまには電車もよかろうと。指定席を取ってあるので混雑も気にならないのだ。

 アツフミが珍しくサンドイッチを食べたいというので、お値段は張るが、新幹線車内販売で買う。けっこうしっかり食べてくれたのでよかった。ヒデフミは幕ノ内弁当だ。TVで「世にも奇妙な物語」とかいうドラマの一つで異常に食べる順序にこだわって駅弁を食べるのをやっていて、とても面白かったのでヒデフミも真似してやってみてる。メインはハンバーグで、それを最後に残して、途中「待てよ、これを食べるとご飯が余ってしまう」とか言いながら。ドラマでは最後に残しておいた思い出のイカリングが実は玉ねぎだったというのが印象深いのだが、ハンバーグはハンバーグだったのだった。

 電車内でトランプをする。2人×2人で向かい合わせの座席にしてるのでボックス席気分。なんか昔懐かしい感じで楽しかったのだった。騒々しかったかも。「大富豪(大貧民ともいう)」をやったが、息子たちは出し方がめちゃくちゃなのでボクが勝つのだ。でも、ババ抜きはボクがなぜか一番弱いのだった。

 日常に日記が追いついてないけど、とりあえず書けたとこまでってことで。

2003.1.1
 息子たちは初めて初日の出を見たのだった。あ、いやわざわざ出かけてってのはホント初めてのはず。ウチのすぐ近くに滝の水公園という初日の出の名所があるにもかかわらず、元旦は帰省してることが多いので実はボクも2回目なのだった。昨夜はTVの行く年来る年で除夜の鐘を聞いてから寝たので起きられるかどうか心配だったが目覚ましをかけてたのでバッチリ。あ、もちろんボクは目覚ましより早く目覚まし無しで起きてたけどね。公園には普段では考えられない数の人がいて息子たちは驚いていた。地元なのに知ってる人には全く会わなかったが。日の出の瞬間ビデオカメラを向けて「今年の抱負は」と聞いたところアツフミは「おやすみなさい」、ヒデフミは「のびのび暮らす」と答えたのだった。

 自宅でのお正月はお屠蘇とお雑煮、タイとブリの刺身で始める。和室に家族が揃って挨拶してからお年玉を渡す。ヒデフミはお屠蘇を少し飲んでしまったのだった。床の間の横の壁にはヒデフミとアツフミが習字の塾で書いて、コミセン祭りに出展した掛け軸を飾った。正月らしい部屋になってるのだ。二人の字の筆使いなどに成長振りを見て取ってご機嫌な父と母なのだった。

 年末、街にお出かけしたとき、たまたま献血車を見つけたのでボクが献血をする。妻もチャレンジしたがこちらは比重不足で断られてしまった。献血は人助けだと息子に説明する。太い針にも平気な父親の強さも見せてやれたのだ。ところで我家はボクがA型、妻がB型、アツフミがAB型である。ヒデフミがO型だと全種類揃って(家族バラバラともいう)面白いのだが、残念なことにヒデフミの血液型は未だ不明なのだ。赤ちゃんのとき、病院で調べてもらおうと思ったら2000円かかると言われて思わず断ってしまったことを妻は後悔しているのだ。別に困りはしないと思ってたら、ヒデフミは血液型がわからないせいでずっと辛い思いをしてきたのだそうだ。よく聞いてみたら、血液型占いが出来ないんだゾ〜とのこと。そそれはかわいそう・・・