2004年バカ親日記 

(主な登場人物) お父さん(ボク)41歳、長男ヒデフミ12歳、次男アツフミ9歳

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2004.12.29
  このサイトに「わや一家ギャラリー」ってのがあって、マンガを載せたりしてるのだが、最近更新がなくて寂しいと思ってらっしゃる方も居ないわけではないと思う。ボクは今のところマンガは描く気が起きないので、息子頼みなのだが、アツフミは検閲が厳しくて載せられるものがない。ヒデフミも最近はマンガを描かなくなったのでネタに困る状態なのだった。ところが冬休みになってここ2・3日急に二人ともマンガを描き始めたのだ。勉強してるかと思ってたらそういうことか。アツフミのはまだ見せてくれないのだが、ヒデフミのは読むとけっこう面白い。小学校の3年生の頃と絵が全く変わっていないのも良し悪しだがギャグのセンスは素晴らしい。ただし、某ネコ型ロボットマンガのパロディで、下品な表現やグロい演出のオンパレードなので公開はできそうにないのだった。

 ヒデフミがけっこう料理をやるようになった。インスタントラーメンや味噌煮込みうどんはしょっちゅう作っているし、具もちゃんと入れている。スクランブルエッグがアツフミに好評で作ってやったりもしているようだ。ただし、まだ不安も残る。先日、妻がたくさんグラタンを作って冷蔵庫に入れておいたのをヒデフミが食べようとして、オーブンレンジを「グラタン」にセットしてスイッチオンしたのだそうだ。ところがラップをかけたままやっちゃったのでラップが溶けて悲惨なことに。しかもヒデフミは気付かず一口食べてしまいすぐ吐き出したのだった。ま、これで身体でおぼえたってことかな。

 クリスマスは淡々と過ぎた。イブの夜、ボクがアランプーサンでライブ出演してて、家族で過ごせなかったのもいけないのだが、もう息子たちがさめちゃってるって感じ。いちおう、寝静まった頃枕元にはサンタがプレゼントを置いたので、翌朝プレゼントには喜んでいたのだった。そうそう、早くツリーを片付けなくちゃ。

2004.12.23
 また弁当ネタ。終業式の前日、小学校からもらってるプリントの予定表では「給食終了」となっていて、ボクも迷ったのだがこの日はもう給食がないのだと判断してアツフミに弁当を作ってやったのだ。けっこう気合入れて。ところが結局この日は給食があったのだ。予定表には「給食最終日」とでもしておいて欲しいよね。ただし、アツフミによると学童で(学童に入ってない子は給食なければ帰宅して食べるから弁当はどっちにしろいらないんだけど)間違って弁当を持ってきた子は他には一人もいなかったそうだ。ああ。バカ親(T_T) そうそう、翌日の終業式の日はもちろん弁当が必要で、これまた気合入れて作ったら、アツフミは全部きれいに食べてくれたので嬉しかったのだった。

 もう一つ弁当ネタ。ヒデフミがお友達とアイススケートに行くのに弁当を作ってくれと言う。聞くとメンバーには女の子もいるそうなので、「女子に作ってきてもらえばいいじゃん」と冷やかすと怒るヒデフミなのだった。いつも使ってるヒデフミ用の弁当箱はだいぶくたびれててかっこわるいと思ったので新しいのをいくつか見せて選ばせるが、大きさとかデザインで気に入らないらしく、「いつものでいい」と言う。結局ボクの判断で新しいけど一回り大きいのを使ったが結局少し食べ残してしまったようだ。この弁当箱は数日後玄関の隅で発見されヒデフミは叱られることになったのだった。

 もう明日がクリスマスイブ。早いもんだ。息子たちは二人ともサンタさんにお願いするプレゼントはゲームソフトに決定していた。ところが、なぜかそのソフト2本がボクの書斎の本棚にあるのをアツフミが発見してしまう。「あれはお父さんがサンタさんに説明するためのもので空き箱なんだよ」と言っておいたが、息子たちはニヤニヤしてるのだった。偉いのは、早くやりたいはずだけどクリスマスまでは我慢するところなのだった。セレモニーは大事だからね。

2004.12.16
 昼に職場でさあ弁当を食べようと思ったらありゃりゃカバンに入れ忘れたようだ。しょうがないのでボクは外食だが、ウチに残された弁当はもったいないのでヒデフミに食べてもらうことにして電話する。幸い、この日まで三者面談の関係でスクールランチがなく、昼に下校だからね。そういえば先週、妻がお弁当忘れたときも食べてもらったっけ。ただし、弁当ではもはやヒデフミには足りないらしく、何か追加で作って食べてるようなのだった。

2004.12.12
 今年もクリスマスツリーを出した。以前と比べると飾り付けを全部息子がやってくれるので楽なのだ。外のイルミネーションも今日は出そうかな。もう近所でも相当頑張ってる家が何軒もあるし。いつも我が家は最後に始めて、最後まで出してるのだった。

 先週、「ハウルの動く城」を家族で観てきた。封切から少し経つのでいいかなと思ったがそれでも結構混んでいて最前列で観る。やはり宮崎さんのアニメは面白いので一睡もせずに観れた。もっとも、「城」というよりは「家」だったし、どこでもドアがあるんだったら動く必要ないとか思ったりもしたけどね。

 ヒデフミがしっかりしてきたので、妻とボクの職場の飲み会が同じ日になってしまっても大丈夫なのだ。と思ってたら、夜に食べなさいと買っておいたドリアを昼に食べてしまってたり、何種類か作っておいたおかずが減ってなかったりで、実は大丈夫ではなかったのかもしれないのだった。

2004.12.10
 バカ親日記も間が空いたりするのだけどネタがたくさん消えていってしまうのだ。クリスマスが近づいてて、例のやり取りもあったのだけどね。そうそう、アツフミがお小遣い帳をちゃんとつけてた。12月分をもらおうと思ってるのだ。見ると残額が先月と同じ。ちゃんと数えたのか?って聞いたら、使ってないのだそうだ。それでも一応数えなおしをして、やっぱりそのまま残ってるのを確認。うーむ結局お出かけのときは親が出しちゃってるからなあ。約束は約束なので12月分を渡したがこれじゃ増える一方だね。かたやヒデフミはお小遣い帳をまだつけてないので、けっこう使ってるはずだけど12月分をもらえないでいるのだった。

2004.12.3
 ヒデフミにまた説教されたのだった。飲食代の半額を金券で払い戻すというチラシを見て行ったラーメン屋で、もらった券が平日のみ使用可だったのが発端なのだ。日曜日に行ったのに平日しか(土曜もダメ)使えない券を渡すというのがそもそも間違ってると思うのだが、よく見るとメニューもラーメン限定で大盛りにも使えないと書いてあるのだ。要するに平日ラーメン半額券をくれたってこと。こりゃ使えねーなと思っていたのだが、たまたまアツフミの授業参観で平日休みを取って、ヒデフミも期末試験で給食がなかったので、一緒にわざわざそのラーメン屋に行ってお昼を食べたのだった。ボクは特製(普通だけど)ラーメン、ヒデフミはチャーシューラーメン(チャーシューメンではない)を注文。あとギョーザも。ま、ギョーザにその券は使えないのはわかるけど、お勘定のとき、券を2枚出したら「1枚しか使えませんので1枚はお返ししますね」と言われたのだ。そうチャーシューのほうには使えないってわけ。予想はしていたので、ボクは「あ、やっぱそういうオチなんだ」と言い、続けて財布から残ってるラーメン半額券を出してそこに置いて、「もう来ないから返しますね」と言ったのだった。お店を出て帰宅途中、ヒデフミは「お父さん、すごくきついことさりげなく言うね」と言う。「お店の人が気を悪くするよ」とも言う。ここで断っておくが、決してボクはケチだとかせこいというわけではないのだ。美味しいラーメンを食べて、気分よく払って帰りたいのだが、その店がもしその券を「サービス」のつもりで渡してるのだったら、「そりゃ違うんじゃないの」と言いたいのだ。ヒデフミには「真のサービスとは何か」を学んで欲しいと思っているのだ。お店の人に気を遣うヒデフミの性格はそれはそれで素晴らしいし、お父さんに説教するのも大いに結構。その上で、「お客さんを満足させる」のがサービスだと、「感動を与える」お店がいい店なのだ、と、わかって欲しいと思うのだった。

2004.11.24
 些細なことで夫婦喧嘩をする。それはボージョレヌーボーをボクがほとんど一人で飲んでしまったからというくらい些細なこと。塾から帰ってアツフミから報告を受けたヒデフミはボクに「まったくそんなことで喧嘩しちゃダメじゃん」と説教たれたあと、2階に引きこもっていた妻のところに行き、なにか笑わせることをしてフォローしてくれたようなのだった。

 妻の誕生日、息子達は自分たちの小遣いで花を買ってプレゼントすることにしたらしい。ヒデフミは体調が悪くて寝ていたので自分の財布を大事に握り締めたアツフミと二人で花屋さんへ。3千円の花束を注文し、店員が花を選んで束にしてラッピングする間、ずっと真剣に花束の出来あがりを見ていたアツフミ。もうお母さんに渡して喜んでもらうのをイメージしながらって感じでほほえましい。消費税が150円かかるのを聞いたアツフミは財布から500円玉を取り出した。100円玉がなかったらしい。見ると10円玉がたくさんあったので15個使おうと提案すると今度は一生懸命数え始めた。これまたほほえましい。そして花束を大事に抱えて帰って、渡すまでは秘密にしておきたいらしく、妻に見つからないように自分の部屋に隠すのもまたまたほほえましい。いよいよ渡すときはそれこそ照れくさそうにしながらも満面の笑み。そんなにお母さんが好きなのかとツッコミたくなったくらい。もちろん妻は大喜びなのだった。

2004.11.15
 もうすぐ、ヒデフミの中学校三者面談があるそうだ。ボクが「先生にこんなこと言ってやろー」といろいろ思いつくまましゃべってたら、「お父さんは来なくていい」と言われてしまい、妻に任せることになりそうなのだった。

 ヒデフミが、かぶせてあった銀歯が取れたというので一人で歯医者に行かせる。さすがは中学生、ちゃんと一人で行ってきた。以前眼科に一人で行かせたときは、親を呼んで来てと言われたのでずいぶん進歩したのだった。

2004.11.3
 ヒデフミはツッコミが得意でボクがTVを観ながらボケるのに付き合ってくれるいいヤツなのだ。こないだも、マジシャンがトランプでビートたけしに選んだカードを当てさせるのを観ていて、ボクが「たけしすごいや、よくわかるなあ」とボケたら、ヒデフミすかさず「イヤイヤすごいのは手品師だって」とツッコんでくれたのだった。このときは何十分もツッコみ続けて疲れてしまったヒデフミなのだった。ヒデフミが塾に行っていていないときは代わりにアツフミがツッコんでくれるので、それもまた嬉しいのだった。

2004.10.31
 ヒデフミはバナナが好きだ。さる年生まれということもあって、「お前はサルか」と冷やかすと「ウッキー」とか言うのが面白い。ヒデフミによると、主食としてヒデフミ的には「バナナ・ご飯・麺類」の順になるくらい重要な食べ物らしいのだった。ちなみにボクは「ビール・麺類・ご飯」となってるのだ。

 アイススケートをした。今や名古屋ではアイススケートリンクは大須の名古屋スポーツセンターの一箇所しかないようなのだ。プロを目指すやたら上手な女の子たちや、大学のスケート部(?)や子ども会のような団体に混じって滑る。そんなに混んでるわけでもないがガラガラでもない。カップルもいることはいるが、ボクたちのような親子連れは見当たらなかったなあ。そんな時代なのだ。さて、アツフミはさすがに先週初体験してすぐまたやりたいって言ったくらいなのでスイスイ滑ってる。ヒデフミは初めてだが、ローラースケートの経験もあるのでなんとかやれてるようだ。ボクも教えてやれるほどの知識も技術もないのでテキトーに滑って見せるだけ。鬼ごっこはまだ危険すぎるね。氷のかけらや削れて雪のようになった氷をぶつけ合って遊んだりも。疲れてくると転びやすいのだ。アツフミが満足したところで帰るのだ。ヒデフミは靴ズレができてしまった。また行くことはあるのだろうか。

2004.10.30
 ボクはたいてい早起きなので目覚まし時計は使っていないのだ。で、息子たちは(妻もだが)ボクが起こすので目覚まし時計は必要ないのだった。でも、目覚まし時計で起きるというのに憧れがあったのか、息子たちは最近使うときもあるのだけどボクには迷惑なハナシなのだ。
 アツフミは音楽が鳴る時計をセットしてたのだが、これがけっこうな大音量でしかも時刻かアラームセット時間が合ってないものだからとんでもない時間に鳴って起こされることになる。しばらく聴いててもアツフミが起きる気配が全くないのでボクが止めにいくと、アツフミはピクリともせずにぐっすり寝てるのだった。さらに止め方がよくわからなくてしばらくしたらまた鳴ったりもする。3回目には電池を取り出したのだった。
 ヒデフミも目覚ましでは起きないヤツで、実は毎朝セットしてるらしいのだがこっちはすぐ止めてしまってるようなのだった。それではイカンと、ウチにある卓上型電波時計三つを並べて1分ずつずらしてセットしたヒデフミ。平日はそれも順次鳴るたびに全部止めて寝てたのだから感心してしまうのだが、土曜の朝、たまたま一つ目で目が覚めたらしく、すぐ1階に降りていったヒデフミだが、次のが鳴り出したので急いで戻るハメになったりしてるのだった。

2004.10.24
 ヒデフミの中学校は衣替えは特に決まってなくて、生徒が自主的に天候や体調を考えて夏服だったり冬服だったりするそうなのだ。確かに通勤途中に見かける中学生は黒かったり白かったりするね。ヒデフミはここのところ夏ズボンに長袖のカッターシャツで登校してたのだが、22日朝、その組み合わせが、これから干す洗濯物に入っているのに気付いたのだ。そしてとんでもないことにそれぞれ一本・一着しかないことが判明。特にカッターシャツは一着しかないとは思わなかったのでビックリ。で、どうするかだが、ボクのカッターシャツは大きすぎて着れなかったので、やむなく半袖とする。ズボンは冬用というアンバランスな格好で登校したヒデフミ。スマン。で、その日の帰宅途中に早速カッターシャツを買う。ところがこれがサイズがないのだ。学生服専門の店は閉まってる時間だし、○イエーの服売り場は品揃えが薄い。一枚だけやっと見つけた(大人用だが)Sサイズを買って帰って、ヒデフミに着せてみたらなんとかピッタリとのことで一安心なのだった。

 アツフミが子ども会の行事でアイススケートを初体験してきた。滑れないとか寒いとか痛いとか言うのではと少し心配していたのだが、逆にとっても楽しかったらしく嬉しそうに報告し、来週また連れて行くことを約束させられたのだった。ヒデフミはまだ一度もやったことがないので悔しそう。ボクはバックもクロスステップもできるのでいいところを見せてやろうと楽しみだけど、妻は結婚前にボクと1回やっただけだそうで、あまりいい思い出ではなかったようなのだった。

2004.10.19
 マンガは自分のお小遣いで買うこと、ってのを守っている。アツフミはコロコロコミックを、ヒデフミはジャンプを。そしてお互い両方を読んでいる。ボクもジャンプは読ませてもらってるのだった。

 ウチのウサギはなんと地震予知ができるのだ。少し前、5回ほど続けて地震があったとき、いつもはお気に入りのビリヤード台の上にいるウサギがなんと台の下でじっとしていたのだ。こんなことは初めてだった。そしてその夜名古屋では20年以上ぶりの強い揺れを観測したのだった。なので、その後ウサギの様子を注意してみていたのだが、台の下にもぐることはなく、忘れかけていたくらいだったが、また数日前にもぐっているのを発見。また来るかと思ったけど、今回ははずれ。あれ?ただの偶然だったの?

 今年も串原村の中山神社太鼓祭りと芋掘りに行ってきた。残念ながら、ヒデフミは中間テスト前で欠席する。アツフミと二人の道中になったが、寂しさを紛らわせてるのかアツフミはよくしゃべる。お友達のこととかいろいろ聞けて楽しかった。山の空気も掘りたての芋も美味しい。アツフミは焚き火で作った焼き芋の火の番を頑張っていた。芋が焼けたかどうか串を刺して確かめる役も喜んでやっていたね。お土産にもらったサツマイモは、一番長いのが長さ49cm、一番太いのが太さ33cmでもうビックリサイズなのだった。

2004.10.17
 ヒデフミの運動会を観に行ってきた。いや、運動会ではないな、体育大会か。中学校のそれはなぜか中学校の運動場ではやらないで、わざわざ市バス・地下鉄で全校生徒が移動して瑞穂北陸上競技場で行われるのだ。運動場では狭いのかな。場所にも違和感あるのだけど内容がまたボクが中学生だったときのとはぜんぜん違うのだ。ボクのときはフォークダンスもあったし、部活対抗リレーで、各部がそれぞれのユニフォームを着て走る決まりで、剣道部は防具をつけてて走りにくかったりで大盛り上がりだったし、応援合戦もあった。親が見に来てたかどうかは記憶にはないのだけどね。ヒデフミのは広大な陸上競技場に生徒とわずかな父母。そして競技はまるで記録会のように何百メートル走とかばかりなのだった。ヒデフミは個人競技にはなぜか出場せず、全員リレーのみ。これは見ごたえはあったがクラス全員(40人)がリレーするのだ。9クラスあるのでけっこう混戦で抜きつ抜かれつもある。ヒデフミは人数調整のため2回走る。一回目は一人抜いたね。それにしても400mトラックの4箇所に選手が集合してるのだが、もちろん向こうのほうは誰が誰やら見えるわけがない。ヒデフミを見つけるのは無理かなと思ったら偶然一番近いところにいてこちらに気付いて手を振ってくれたので走るところをちゃんと見れたのはラッキーだった。ただし、1回走ったら100メートル先に行ってしまうので、次の走りを見るためにいったん競技場を出て、外側を反対側まで走るという大変さもあったのだ。ビデオカメラを持っていったけど撮影は失敗。ま、仕事を抜け出して現地に着いたらすぐ全員リレーが始まってヒデフミの2回走りも見れたので良しとしよう。職場からは新しい区間が開業したばかりの地下鉄で2駅。ちょっと早い昼休みで往復できる。来年も観に行くかどうかはちょっと考えてしまったのだった。

2004.10.14
 以前挫折したお小遣い帳を復活させることになった。ある新聞の記事によると最近の子供たちは月いくらというような決まったお小遣いをもらってなくて、欲しいものはその都度親が買ったりお金をもらったりしてるので金銭感覚が発達していないのだそうだ。それではまずいよね。ウチもまさにそうしていたのだから。毎週のマンガ雑誌もボクが夕食の買い物ついでに買ったりしてたし。そこで中学生のヒデフミには月2,000円、アツフミには月1,000円と決めて渡すことにする。もちろんマンガやカードの類は今後いっさい親は直接買わないからね。そして、きちんとお小遣い帳をつけて、翌月、ちゃんとできてないときはお小遣いを渡さないと決めた。今度は続けようと思う。

2004.10.5
 ウサギが座椅子の座面クッションを食い破って中身のスポンジを出していた。もちろんすぐ叱りつけるのだが、人間の言葉がわからないのかウサギは涼しい顔なのだ(毛むくじゃらなのに)。アツフミがスポンジを片付けてくれていて大量のウサギの毛が混じっているのを発見する。推測するに、開けた穴から座面にもぐりこんだウサギが、出られなくなって必死でもがいて大量に脱毛したのだろう。ま、脱出には成功したのだろうが、人間の居ないときにウサギが何してるか見てみたいのでビデオでも設置してやろうかと思ったのだった。

2004.10.4
 リビングの熱帯魚の水槽が、藻が繁茂してすごいことになっていた。もう何も見えないくらい。なので久しぶりに大掃除をする。大変だったがガラスについた苔を落とし、砂に埋もれてる汚れを吸い取り、モニュメントを新しいのに変えて、エンゼルフィッシュなど新しい魚を入れる。見違えるようになった水槽にアツフミは魅せられたようで、見向きもしていなかった水槽をいつまでも眺めてるのだった。

 アツフミに「今はマンガを読むな」とか言うと、さっと読むのをやめて「もう読んでないじゃん」と口答えをする。もちろん口答えも叱ることになるのだが、よく考えたらこれはボクの影響を受けているのだ。ウチの冷蔵庫は、扉を長時間開けていると「扉が開いています」と言うのだが、ボクは言い始める前に扉をさっと閉めて、言われたところで「もう閉めとるわい」とツッ込むことにしている。これがいけないのだろうか。

 妻が借りてきたヨン様主演の映画「スキャンダル」のビデオ。日曜の朝、ボクは一応見とくかと一人で見始める。始めにたくさんある予告編は早送りですっ飛ばし、本編の冒頭のシーンは普通に見て、そのあと展開が退屈だったのでまた面白そうなシーンまで早送りってやってたら、起きてきた妻にヒデフミが「お父さんは○ッチなところ以外は早送りして見てるよ」と言う。オイオイ、チェックしてたんかい。一応18禁らしいのだけど。

2004.9.28
 アツフミの枕元を見ると昆虫関係の図鑑がずらり並んでいた。カブトムシの標本も2箱。どんな夢を見られるのだろうと思ったのだった。

 東海北陸自動車道の川島ハイウェイオアシスにある河川環境楽園淡水魚水族館アクアトトぎふ(長い説明だ)に行った。世界最大級の淡水魚水族館と名乗るだけあって見ごたえがあった。特に、鯉・鮒・鰻が泳いでいた水槽では、じっとしてるかたくさん集まってうようよしているかというところしか見たことのない鰻が普通に泳いでいたのが面白くて息子たちは長時間座り込みで見てたのだった。

2004.9.26
 土曜日、近所の公園でアツフミとキャッチボールをする。決して野球少年ではないし、ボクも毎日キャッチボールやろうぜってほど好きではないのだけど、父と子のキャッチボールにはやはり特別な感じがあるのだ。それなりに上達してきてるし途中で怒ったりいじけたりしなくなったし。バッティングも気持ちのいい打球を飛ばすようになってるのだった。ボクのコントロールは最悪だけどね。デッドボールでも泣かないし。

2004.9.21
 妻の実家に泊まりにいって、翌朝、おじいちゃんと釣りに行った息子たち。ボクはあえてパスしたのだが、フナを4尾釣って戻ってきた。フナ釣りは難しいと思っていたので釣果にびっくり。さすがはおじいちゃんなのだ。息子たちも早起きした甲斐あったね。ただし、早起きと歩いたので疲れたのかその後は再びぐっすりだったのだった。

2004.9.18
 この夏は昨年以上に昆虫に夢中になったアツフミ。カマキリを捕ってきたり、アゲハを羽化させたりと楽しんでいたが、一番はやっぱりクワガタムシを戦わせることだったのだ。いつの間にかプラケースも増えて、なんと言う名前かがわからないクワガタムシがいっぱいいる。アツフミはけっこうマメにゼリーを交換したり霧吹きで水分を与えたりがんばっていたが、さすがに最近では飽きたのかクワガタは放置されているようだ。というわけで何匹が生存しているかは謎なのだった。

 そうそう、学童で班を作っているのだが、3年生のアツフミは2学期初めて班長になった。その班の名前が「ガングリオン」なのだそうだ。もちろんボクが作ったガングリオンシリーズの歌やヒデフミが描いたイラストやマンガのあの「ガングリオン」ワールドをイメージしてつけてるのでボクとしてはけっこう嬉しいのだ。笑えるのが、班のメンバーはみんな「何とかガングリオン」と名乗っていて、例えば「戦うガングリオン」とか「遊ぶガングリオン」となっているのだが、アツフミは「虫取りガングリオン」と名乗っているのだった。

 虫も好きだがアツフミは動物も好きだ。それも餌をやるのが大好き。なぜか家ではカメやイモリや熱帯魚には餌をやろうとしないのだが、出かけた先では馬・羊・ラクダ・ブタ・鹿・海亀・アザラシなどの珍しいものから鳩や鯉といったポピュラーなものまでチャンスがあれば餌をやりまくっている。オーストラリアに行ったときはもちろんカンガルーだ。ボクも初めてだったけどカンガルーに触ったり餌をやったりするのは楽しかった。お腹の袋の中にけっこう大きい子カンガルーが入ってるのも近くで見ると面白いのだった。

 グレートバリアリーフのグリーン島ではいろいろな海の生物を間近に見れて大喜び。普通の海水浴場の砂浜なのに膝くらいの浅さにエイがいたり、グラスボートからは熱帯魚だけでなく海亀も見れたり、桟橋からは綺麗なイカが見えたりした。何よりもちょっと沖に出てシュノーケリングをしたときはサンゴ礁に色とりどりの熱帯魚で、実況中継をしていたヒデフミは、一瞬おかしくなってしまったのではとおもうくらいの喜びようだったのだった。熱帯魚といえば、ツアー業者からお土産に「ニモ」のぬいぐるみを2個もらったのだが、ホテルで激しく遊んでいたらなぜか1個見つからなくなってしまい、最後は文字通り「ファインディング・ニモ」になったのだった。

 予想通りオージービーフステーキは巨大だった。ヒデフミはちゃんと完食できるのでたいしたものだ。アツフミは大好きなフライドポテトが大量についているのでそれだけで満腹なのだった。

 左は旅行中のヒデフミの写真だが、誰かに似てないかな?そう、ヨン様。メガネかけてるときはあ、似てるかもと思ったこともあるが、メガネのない顔も若い頃のヨン様って感じで、もちろん妻は大喜びなのだった。

 オーストラリアはウルル・カタジュタもグレートバリアリーフも熱帯雨林もさすがの世界遺産だった。ボクが「いやあさすが世界遺産、なかなかこんなのは緑区にはないね」とボケるとヒデフミとアツフミは「いや、日本中探してもないから」とかちゃんとツッ込んでくれたのだった。いやまてよ、まだ息子たちは沖縄には行ったことないし富士山にも登ってないし、順番間違えてるかな。

2004.9.16
 夏休みが終わってからは日常に戻って毎日学校に行って学童や部活にも行って塾にも行って家ではマンガ読んだりゲームをしたりしてるのだ。もう半月過ぎてしまったけど8月末に行ったオーストラリアでのことを書いておこう。

 余分な荷物は持って行くなと言っておいたのだけどやっぱりマンガとかをバッグに入れてる息子たち。クレヨンしんちゃんは相当重いと思うのだけど。ま、飛行機の中とか退屈するからね。ボクも帰りの便では読ませてもらったし。ヒデフミが持っていこうとしてアツフミが「お兄ちゃんがゲーム持ってる」とチクってボクが「ゲームはやめとけよ」と言ったので置いてきてたはずのゲーム機。ちゃっかりアツフミが持ってきてたのだった。このゲーム機はなんと20年以上前のゲームウォッチで、ボクが大学1年生のときに帰省で退屈しないようにと清水の舞台から飛び降りる思いで買ったものなのだ。今のゲームボーイアドバンスドとかいう代物とは次元の違う機能だとは思うのだけどやるとけっこう面白いのが面白い。そういえばゲームボーイは絶対買わないと決めてるのだけどテトリスとかの小物のゲーム機はいつの間にかあるのだった。

 アツフミは体力的には問題ない。カタジュタ散策ではボクに歩くのが遅いと言われたのに反発して一人で走っていってしまい、ヒデフミとボクが追いかけたけど追いつけなかったくらいなのだった。だからホントに体力的には問題ないと思うのだけどウルル登頂はアツフミには厳しかったのだ。事前に落ちて死ぬ人がいるとか聞かせたのがいけなかったのだろう。鎖がほぼ終わるあたりまでは登ったのだけど風は猛烈だしアツフミはそれ以上進むことができなかったのだ。ボクとヒデフミだけでも先に進みたかったのだけど降りるのも全員一緒でないとダメなので泣く泣く下まで降りたのだった。ボクは一旦は諦めたのだけどどうしてもヒデフミが諦めきれないようだったのでアツフミを説得してボクとヒデフミだけ再チャレンジすることになる。ここからは体力勝負。部活で鍛えたヒデフミはなんとボクと同じペースでぐいぐい登って行き、とにかく時間がなかったのでさっきのところまで、いや鎖の終わりまで、せめて向こう側が見えるところまで、とどんどん目標を先に進めて登り続ける。で、写真のように大満足で達成感いっぱいの笑顔になれたのだった。実は本当の頂上はもう少し先だったのだけど、ツアーのバスに乗り遅れるわけにはいかないのできっぱりと引き返す。下りも超ハイペースで足ガクガクになったけど登り返してよかったーとヒデフミと握手したのだった。

2004.9.9
 いとしろでの父と子のキャンプの続き。ここでのマス釣りは他でやったのとはちょっと違い、竿を借りるのも餌も無料なのだ。その代わり、釣り上げた分は買い取らなきゃいけない。まずマスを買ってそれを放流してってのが多いけど、それよりは釣るのが難しい。もらった餌は練り餌だし。食い付きが悪いので贅沢に飛騨牛を餌にしてみたがこれはサッパリ。ウインナーは少しいいみたいでヒデフミが釣るのに成功。やっと3尾釣れて、蚊にも食われてるし終わりたかったのだが、アツフミがどうしても1尾釣るまでとがんばる。他のキャンパーから「ぶどう虫」をもらってなおも頑張ってるととうとうアツフミも成功。大変だったけど粘り勝ちだったのだった。夜は焚き火と花火で盛り上がり翌朝ボクは5時に起きたのだが、息子たちは8時半過ぎまで起きてこなかったのだった。

2004.9.8
 お出かけが続くとネタはたくさんできるのだけど、逆に日記を書く暇がなくなってしまうのでストックされる一方となってしまうのだ。で、あまり溜まると書くのが億劫になって、書かなきゃというプレッシャーと闘う羽目になってしまうのだ。結局書かずに葬り去るネタや、メモを取ってなかったり、取ってても紛失したりして、忘れ去られてるネタもたくさんあるのが心苦しい。いやはや、ホントは書きたい!から始まるものなんだけどね。というわけで夏休みも終わってしまった息子たち。わりと新学期にはスムーズに入れてるようだ。2日目から給食・スクールランチが始まったのはホントにありがたかったのだった。

 さて、まず夏のことで書いとかなきゃいけないのは、父と子のキャンプのことだろう。キャンプにもいろいろあって、180人が集う学童キャンプやら、毎年同じメンバーで10年以上続いてる友人家族とのキャンプやら、参加者募集をする企画ものキャンプなどがあるが、一番のベースは家族キャンプなのだ。ただし、妻はアウトドアには積極的ではないのでボクと息子だけで行くことが多い。それが「父と子のキャンプ」というわけなのだった。どうせなら、目指すものとして、息子たちがテントやタープを張ったり、料理や片づけをしたり、一緒に山に登ったり走ったりしたいのだけど、なかなかできないでいるのはちょっと残念なのだけどね。毎年1回は行ってると思うけど、今年の夏はこれに3回行ったのだ。1回目は7月5日の日記に書いてあるやつで、アツフミと二人で行ったもの。ヒデフミが土曜日に塾に行っているのでなかなか土日が出かけにくくなっている。でも夏休み中だったら、ボクさえ休みをとれば3人でいけるのが嬉しい。写真のキャンプは8月はじめに伊勢志摩の御座白浜観光農園キャンプ場に行ったときのもの。二人ともファイヤーキーパーは好きなのでまかせておいた。海水浴と土砂降りの雨のキャンプだった。翌週は山のキャンプということで白山の近くのロックフィールドいとしろへ。川遊びと釣りと星空のキャンプだった。そうそう、このときはキャンプ帰りにモンキーパークに寄ってプールで泳いだりたっぷり乗り物に乗ったりもしたっけ。一回転宙返りのアトミックコースターには初挑戦で、びびりながらも楽しんだようなのだった。

2004.8.23
 とうとうヒデフミに追い抜かれてしまったのだ。身長ではまだまだだが、なんと手の指の長さ。ボクの指は太くて短いけど、母親の遺伝子が勝ってるらしくヒデフミの指はすらりとしているのだ。手のひらを合わせてみるとほぼ同じ大きさで中指は明らかにヒデフミのほうが長くなってるのだった。

 キャンプの帰り、温泉に寄る。恒例のパターンなのだ。今回は飛騨・和良川・馬瀬川方面で飛騨金山の道の駅のところには道路をはさんで温泉が二つあるのだ。はじめは川沿いのほうに入る。川が見下ろせて気分はいいのだけどアツフミが入りたがってたサウナはないのだ。サウナ上がりの冷水風呂がお気に入りの息子たち。もちろんボクも好きなのでいったん出て道の反対側のほうへ入りなおす。ここは水風呂が源水泉であまり冷たくなく、量も少なかったのだが、ま、よしとしよう。

 珍しく夕食をココ壱番屋のカレーライスにする。アツフミはとうとうハーフカレー(ライス150g)を卒業し、ライス200を完食する。しかもトッピングにパリパリチキンとコーンもつけて。少食だったアツフミがと思うと感激なのだ。ヒデフミも前回は辛さ普通にしてしまったため残してしまったライス300gを余裕でクリヤ。あとは辛さを徐々に上げていってやがてはお父さんのように10辛も食べられるようになって欲しい。いやいや5辛まででいいのだけど。

 キャンプではオニヤンマ3匹とかイモリを10匹以上とか捕まえて楽しめたようだ。イモリは3匹連れて帰ったので今まで飼っていた2匹とあわせて5匹。いやまてまた減ってるかも。

2004.8.21
 夏休みもおしまいが見えてきたようだ。今年はキャンプにもよく行くし、お出かけも多いので、その分、家に居るときは勉強やれといわれ続けて息子たちは大変なのだ。なんとか「夏の生活」はめどが立ったようだけどね。エピソードは多数あるのだけどじっくり日記を書く時間がなくて消えてしまってるのが残念。学童キャンプで始まった夏休みは、8月に入って伊勢の御座白浜海岸での父と子のキャンプに続き、白山の近くの石徹白川河畔のロックフィールドいとしろでの父と子のキャンプ、そして四国帰省中には南予須ノ川海岸での家族キャンプとやってきたのだ。今日もこのあとキャンプに出発。以前にも行った和良川へ。またオオサンショウウオに会えるといいね。

2004.8.13
 家族で花火を見に行った。何千〜万発といった規模の花火大会を息子たちは間近で見たことがなかったのだ。ところがバスと電車を乗り継ぎ、たこ焼きなどの買出しも済み、やっと現地にたどり着いたところで雷と土砂降りの雨。早々に引き返すことになった。雨宿りしながら少しは見たが、残念な花火になってしまった。しかも、雨天は中止になると思ったから帰ったのに、打ち上げは続いていたのも悔しかった。ところがアツフミはぜんぜん残念がっていない。それどころか早く帰りたいという。なぜかと聞くとゲームの「どうぶつの森」でも花火大会があってそっちを見たいからだそうだ。8月の毎週土曜日の19時から21時に見れるのだそうでよく考えてあるゲームなのだ。ただし、結局帰宅したら22時近くになってしまい、ゲームの花火も見れなかったアツフミ。そこで感心したのは裏技、ゲームの時計を狂わせるのだ。自分で思いついたのだろうか。それってパソコン使った仕事でもお父さんが時々やってる技だぞ。

 部活のない日は適当に昼食を済ませるようにと千円渡しておくのだが、ある日、マンガやゲームの攻略本を買ったらお金が足りなくなり昼食が買えなくなったヒデフミ。でも、しっかり家でラーメンを作って食べたようだ。残った食器とか容器包装を見たらわかるのだよヒデフミくん。

 近所の空き地でカマキリをたくさん採って来たアツフミ。餌はどうするのかと思ったら共食いするので必要ないのだと。餌になる予定のカマキリはこいつとこいつだと教えてくれたのだった。

 父と子のキャンプにこの夏は3回行った。詳しくは時間のあるときに書くのだ。ああ、夏休みって忙しい。

2004.8.6
 ヒデフミがカレーハウスココ壱番屋の普通のカレーメニューに初挑戦した。量的にはハヤシライスやカレーきしめんなど、ちゃんと完食できるのはわかってるのだが、今回は辛さを「普通」にしたところがチャレンジなのだ。少しづつ鍛えられてたはずだったけど、一口目は余裕だったのがだんだん汗をかいてきて、水を大量に飲んだためお腹が膨れて結局少し残してしまったのだった。ちなみにアツフミはハーフカレーの甘口、ボクは8辛。そのうち再挑戦するとみた。

 アツフミが早起きだ。今朝ボクが5時頃起きて息子たちの様子を見回るとアツフミがいない。なんともう起きてクワガタの世話をしていたのだ。そうそうウサギの餌もやっていたっけ。さらにゲーム「どうぶつの森」でラジオ体操をやっていた。そして朝食はラーメン。なんとも朝から元気なヤツ。そういえば連日の夜更かしがたたってか昨日は11時頃まで寝てたんだっけ。

2004.8.4
 久しぶりに息子たちが庭でキャッチボールをしていた。保育園の頃ならいざしらず、今となっては狭すぎるよね。案の定、ボールは庭を飛び出して前の道路の側溝に転がり込む。この道はけっこうな坂道なので側溝に入ったボールは止まらず、ずっと下のほうまで転がっていってしまうのだった。もうそれこそ公園の手前まで。始めから公園でやったほうが早かったのだった。庭のビワの木を絶対に折っちゃダメだし。

 8月は旅行やキャンプが予定されてるので「夏の生活」は7月中にやり終えておくように言っておいたはずなのに、これができていないのだ。けっこう厳しくしてるつもりなのにね。とりあえず、できてないと連れて行かないと脅すのだが、決して正しいやり方ではないし、効果があるとも思えないし。「言わないとやらない」とこぼす妻に、「進んで勉強やる子供なんて珍しいよ」と言ったら夫婦喧嘩になったりするのだった。

2004.7.27
 日曜日、アツフミ念願のムシキングワールド開催中の日本モンキーパークに行く。名古屋は晴れてたが、途中路面が濡れてて、山沿いは黒い雲がかかっていたのだけど、まさかあれほど空いてるとは。それもそのはず、やっぱり雷も鳴ってて、プールに入った直後に大粒の雨で遊泳は中止に。1分も泳いでいないのにもう駄目かと思って帰ろうとしたらなんとか雨は止んで小一時間は泳いだりスライダーで遊んだりできたのでヤレヤレ。そうそう、プールはおまけで、本命はムシキングだった。ゲーム機はたくさんあったけどいくら空いてるとはいえ子供たちが数人づつ列を作っていたのでアツフミはゲームはやらず、ふれあいの森コーナーでカブトムシやノコギリクワガタを触って遊んでいたのだった。夏休み中何度でも入場できるフリー券を買ったのでまたくることになるのだ。ただし、ここでは満足できなかったアツフミはお誕生日プレゼント2として外国産クワガタのオス2匹を買うことにしたのだった。

 アツフミの誕生日は火曜日だが、その日にボクの職場の呑み会があるので日曜日に誕生祝をする。ケーキに立てたロウソク9本をボクのギター伴奏のハッピーバースデートウユーを歌いながら吹き消すオーソドックススタイルで。おめでとうアツフミ。学童用に書いた手紙を転載する。
「いつも一緒に居てくれたお兄ちゃんが中学生になって、分団登校も学童からの帰りも一人になって、はじめは心配していたけれど、朝の着替えや仕度が早くなったこと、ちゃんと一人でも塾に行ったりできること、ずいぶん頼もしくなってきたと感心しています。さらに、アツフミはもっともっと強くなれるはず。期待しているよ。」

2004.7.25
 夏休み最初の土日、ヒデフミの希望の「スパイダーマン2」を観に行く。我が家にしては支度が早く、10時の店舗OPEN前に行ったので三好のアイモールはすんなり駐車場にも入れて映画も初回のを観れてよかった。ボクにしては珍しくあまり寝ないで最後まで観たが、電車を止めるシーンなど、観てるこっちも力が入るシーンが多くて疲れてしまったのだった。

 ついでにアツフミのお誕生日プレゼントを買う。またゲーム関係だがしかたがない。携帯ゲーム機だけは禁止ってのを貫いてるので、今回はとうとう携帯機専用ソフトをGCで遊べるってのを買ったらしいのだった。そう、27日でアツフミは9歳になるのだ。早いものだ。月曜日には学童で7月生まれのお誕生会があるので締め切りギリギリになったお手紙を書いて夕方学童に届けた。この手紙はお誕生会でアツフミに手渡された上、卒所時にアルバムの形でもらえるのだ。毎年二人の息子に手紙を書くのは大変だけど親としてはそれくらいはやらなくちゃね。そうそう、アツフミ宛なので漢字をあまり使わず書いたのだが、実はけっこう読み書きができるようになってて侮れないのだった。ボクは漢字の書きは苦手で下書きにはワープロを使ってたりするインチキ野郎だし。

2004.7.21
 いよいよ夏休みに突入の息子たち。きっと長いようで短いのだ。通知表のことは書くまい。早速、学童キャンプで楽しんだアツフミと、家でダラダラ過ごしたヒデフミ。そうそう、ヒデフミに「カイワレ大根」を買ってきてと頼んだら「切干大根(お惣菜になってるヤツ)」を買ってきたのだった。

2004.7.15
 昆虫にはまっているアツフミには嬉しい夏がやってきた。いつもハム太郎や戦隊ものばかり催事で取り上げてる日本モンキーパークがこの夏は「ムシキングワールド」をやってくれるのだ。目を輝かせてチラシを隅から隅まで読んでいるアツフミ。他にも南知多ビーチランドでもクワガタカブトコーナーを作ってるようだし、名古屋市科学館では「大昆虫展」開催なのだ。もうすぐ夏休み。

2004.7.5
 アツフミと「父と子のキャンプ」に行く。中学生で部活・塾に忙しいヒデフミは今回初めてメンバーから外れてしまうのだ。そんなに残念がってる様子も見えなかったが、内心けっこう悔しい思いをしているのかもしれない。そんなお兄ちゃんのことはあまり気にしてないのがアツフミ。もともと昆虫熱が高じたアツフミがカブトムシやクワガタを採集したくて決行するキャンプなのだ。近くて雑木林のあるところということで八曽山のモミの木キャンプ場へ行く。1時間もかからないのがありがたい。
 キャンプ場に入る前に入鹿池で釣りをする。餌のミミズを350円で買って竿と仕掛けを150円で借りる。狙いはブルーギル。入れ食い状態ですぐ5尾釣れたところでやめる。ボクとアツフミの二人なのでそんなにたくさん釣っても食べきれないのだ。
 キャンプ場は空いていて、好きなサイトでタープとテントを張る。これまではあまり手伝ってなかったアツフミだが、今回はペグ打ちやマット敷きなど頑張ってくれた。夕食は沖縄そばとブルーギルのテンプラ。そういえば貸しボート屋の人もキャンプ場の管理人もボクがブルーギルをテンプラで食べるといったら驚いていたがみんな釣ったブルーギルはどうしているのだろう。
 暗くなってからアツフミはムシ探し。クヌギやコナラがいいそうなのだが、サイトに生えてるのはクリだし、まわりの木も名前がわからない。それにしても今回不思議だったのは虫が居ないこと。ランタンに寄ってくる蛾さえ居ないのは異変だ。もちろんカブトクワガタは見つかるはずもなくアツフミはがっかり。あとは気を取り直して焚き火で過ごす。家の庭の木を剪定してできた大量のマキを延々と燃やし続ける。アツフミと語ったり、一人物思いにふけったり。そしてテントで寝る。
 翌朝、カブトクワガタを諦めていなかったアツフミはなんとボクより早い4時起き。まだ少し暗いので懐中電灯を持ってまたキャンプ場を歩き回る。ホント不気味なほど虫の居ないキャンプ場なのだった。朝食はラーメン。いつもより早めに片付け始めて、8時にはチェックアウトだ。
 そして、こっちがもともとの目的だと思ってしまうくらいの入鹿池での釣り。なんと前日のお店で餌のミミズの残りを取り置いてもらってるのだ。さらに、また竿と仕掛けを貸してもらったのになぜか料金はいらないと言われ、申し訳ない思い。商売っ気がないのはボクらはいいけど心配になったりもするのだった。前日よりはかからなかったけど、それでもアツフミは14尾釣ってお土産ができたと大喜び。
 10時には帰宅できたインスタントキャンプだったが充実していたような気がする。夜、職場関係のお通夜があったため、14尾のブルーギルを開いてテンプラにしたら9時近くになってしまって、夕食も済んでたのだが、みんな揚げたてをほおばって全部食べてしまったのだった。

2004.6.28
 大高緑地のベビーゴルフ場に行った。けっこう賑わっていたぞ。息子たちは初めてやるのだ。お父さんに勝ったらおもちゃ屋に連れて行く約束をする。ボクは負けるわけがないと思ったからね。始めの9ホールはボクの順当勝ち。やってるうちに息子たちの性格が出てきておもしろい。ヒデフミは一度失敗すると集中力が切れて笑ってしまい大たたきをする。アツフミは負けず嫌いなのでぜんぜん勝てないときはふざけてやってるが、勝てるかもとなったときはすごい集中力でパットを決めてくるのだった。後半の9ホールはゼロからのスタートとしたらなんとアツフミが優勝してしまった。パットの正確さはたいしたものだ。しかたがないので約束どおりおもちゃ屋に行ったのだった。

2004.6.27
 先週、串原村から連れて帰ったイモリはすぐに既に2匹いる水槽に入れたはずなのだ。簡単な足し算で3匹になるよね。ところが昨夜水替えをしたのだが、どうみても2匹しかいない。さて、1・逃げた(フタはしてあったはず・・・)、2・他の2匹に食べられた(跡形もなく?)、3・盗まれた(誰が!)。さて答えはどれだ?

 リビングでくつろいでいると2階からガラガラガッシャンとすごい音。慌てて行ってみるとヒデフミが積み木で遊んでいた。中学生が積み木をしてはいけないということはないのだが、「積み木崩し」はやめて欲しいのだった。

 先週はクワガタを3匹買ったのだが、ベリコサ1匹が強すぎてブケット夫妻はお亡くなりになってしまった。アツフミはどうしても戦わせて遊びたいのでまた同じ店に行ってコーカサスオオカブトを買う。これがデカくてびっくり。去年はスマトラオオヒラタクワガタとアトラスオオカブトの戦いをこのバカ親日記でも紹介したが、今度のベリコサVSコーカサスもそれ以上の迫力だ。ミシミシ音を立てながら戦い続けるのだ。そうそう、コーカサスはメスも一緒だ。さすがのベリコサもこっちは真っ二つというわけにはいかないのだった。

2004.6.24
 アニメ映画「ファインディング・ニモ」をDVDで観る。予想以上に面白い。バカ親としてお勧めしてしまうぞ。ヒデフミも期末テスト初日の前日だというのに最後まで観てしまう。アツフミも宿題の作文ができていないのに観てしまったので寝るのが遅くなる。その代わり、作文のテーマは「ファインディング・ニモ」を観たことで決まりだったのだった。

 夜。暑くて寝苦しい。ヒデフミの部屋と夫婦の寝室の2部屋はエアコン運転とする。アツフミは久しぶりにお兄ちゃんと一緒に寝られるのがすごく嬉しかったようだった。

2004.6.21
 アツフミが欲しがるのでクワガタムシの成虫を買う。外国産が安いのはありがたい。今回はブケットフタマタクワガタのペアとベリコサツヤクワガタのオス。残念なことにブケットのオスが元気はあるのだが下半身が不自由なようでベリコサと戦わせても勝負にならない。逆にベリコサはアゴの長さこそ短いもののすごいパワーの持ち主でちょっと一緒にさせただけのブケットのメスを真っ二つにしてしまったのだ。このメスの生命力もすごくて、頭と胴が切り離されてしまったにもかかわらず、数時間もの間動き続けていたのだった。

 串原村の岡村さん宅におじゃまする。期末テストの近いヒデフミも一緒だ。アツフミはここでは雨もお構い無しに夢中で虫取りをするのだ。今回の獲物で注目すべきはミズカマキリ。ボクは図鑑でしか見たことがなかったぞ。あとタイコウチやマツモムシ(?)も。水棲昆虫が面白い。トンボにはカエルを食べさせたりしてちょっとグロ。お持ち帰りはイモリ。ウチにはもう2匹飼ってるので3匹目になる。仲良くできるかどうか心配なのだった。

2004.6.18
 ついにアツフミのアゲハチョウがさなぎから羽化した。だんだん緑色だったのが色が黒くなってきて、羽根の模様のようなのも見えてきてたのでそろそろかなと思いつつ、図鑑によるとサナギになって2週間で羽化とあったのでうかうかしていたのだ。羽化する様子を見たかったのだけど、昼間に出ちゃってたのでそれはかなわず。でもアツフミはとても喜んでいて、サナギの抜け殻も大事に取っておいてるし、写真右下にもあるように庭に咲いていたバラを入れてやったりしている。そりゃ嬉しいだろう。まだ黒い毛虫のときから育ててきたのだものね。図鑑も相当読み込んですっかり詳しくなったくらい。あと、どうするかと思っていたら、夜には逃がしてやったのだ。ただし、チョウは翔んでいかず、網戸にしばらくとまっていた。それは、アツフミにお礼を言っているとか、別れを惜しんでいるように見えたのだった。

 ボクの誕生日プレゼントとして息子たちが「お手伝いカード」を作ってくれた。以前は「お手伝い券」で、回数券のような形式だったのだが、今回のは厚紙にヒデフミのは銀、アツフミのは金の折り紙を張ってカード型になっているのだ。ヒデフミのには「肩たたきや足フミなどに10回使えます」と書いてある。10回分の丸も書いてあって、使ったら塗りつぶして残度数表示になるらしい。アツフミのには表に「1年分いろんなことをできるだけやります!!」、裏に「おとうさんせんよう」と書いてあって泣かせてくれるのだった。 

2004.6.13
 最近家族でお出かけしてないような気がしたので土曜日に「なばなの里」に行く。息子たちにどこか行きたい所はないかと聞いても「別にない」とか昼から出かけるには遠いところとか言わないのでボクの行きたいところにしたのだ。花を見ても息子は喜ばないがそれでも池の鯉に喜んだりはしている。地ビールを呑んでステーキやビーフシチューやスペアリブや焼き蛤などを食べて、あと温泉に入ればボクは満足だったのだが、ヒデフミは早く帰って勉強したい(マジで!)というし、アツフミはどうしてもシューティングゲームをしたい(帰りにそれだけをやりに名古屋港の遊園地に寄った)というので温泉は入れなかったのだった。やはり、だんだん付き合いは悪くなってきた息子たち。まあ成長したってことなのだけど。そうそう、金曜のアランプーサンのアコでナイトにも一緒に行くのだが、食べるだけ食べたらさっさと帰ってしまうようになったのだった。

 『散髪と父と息子と』の歌詞とはちょっとニュアンスが違うのだが、今回、ヒデフミが一緒に散髪をしなかったのだ。けっこう長くなっててうっとおしいだろうと思うのだが、切るには心の準備が要るのだと言う。じゃ来週一人で行けよと言ってやったら、それもなんかイヤそうなのだった。

2004.6.9
 アツフミのアゲハの幼虫がサナギになった。アツフミは幼虫が最後の脱皮をしてサナギになるところをずっと見ていたそうだ。すごく嬉しそうに報告してくれた。いよいよあとは羽化だね。すごく楽しみなのだ。

2004.6.6
 ヒデフミの中学校の生徒手帳が洗濯されてしまった。カッターシャツを脱ぎっぱなしにしてたのを妻が洗濯機に放り込んだのだ。落ち込むヒデフミ。いつもなら、よく確認せずに洗濯機に入れるのが悪いとか、脱ぎっぱなしにしておくほうが悪いとかの言い合いになるので、ボクは決してお互いを責めないように言ってから出勤した。再発行してもらうしかないと思っていたが、妻がアイロンで1ページずつ乾かしてなんと元通りとはいかないが、なんとか使えるようになったのだ。ヒデフミは感謝し、妻はフォローできたと喜んだのだった。

2004.6.3
 びっくりしたなあもう、という言葉がピッタリ。ウチで飼ってるカメが卵を産んだのだ。水槽を洗っていたらカイコの繭のようなもの(形と大きさはほとんど同じ)が浮いてきて、なんだこりゃと手にとって見たらなんと卵ではないか。残念ながら真ん中で殻が割れていて孵化する可能性はないと思われた。そもそもウチのカメはクサガメのガボラとミシシッピアカミミガメのガボラの2匹で、勝手に両方ともオスだと思って名付けてたのだが、どちらかがメスだったらしい。多分無精卵で、けっこう大きい卵なので体が大きいクサガメの卵だと思う。中身はちゃんと白身と黄身に分かれていた。

 アツフミのアゲハの幼虫が大きくなり脱皮をして黒い毛虫だったのが緑色の幼虫になった。葉っぱが枯れてきたら小学校から持ち帰って入れ替えていた。蝶にまでなったらすごく喜ぶだろうなあ。本当にムシが好きなのだ。学童キャンプの下見では、アツフミは実行委員ではないので自由行動で、ずっと虫網と虫カゴを持って虫取りをしていたし。

2004.5.27
 ヒデフミは初めての中間テスト。1週間前から家庭訪問週間でもあり、連日、昼食を家で食べている。お弁当を作っておいてやったり、コンビニでテキトーに自分で買って食べるように言ったり。ごはんを炊いておいて、おかずもお皿に入れておいてやると、自分でおかずはレンジで温めて、ごはんを茶碗によそって食べられるのでこれがベスト。あと、以前味噌煮込みうどんの作り方(インスタントだけど)を伝授しておいたのが役に立ったようで、自分で作って食べたようだ。ちゃんと具も入れたというので褒めてやった。

 アツフミはほんとうに昆虫が好きで、学校で見つけたアゲハの幼虫を持って帰って育てている。ヤクルトの容器を切って濡れティッシュを入れて葉っぱが枯れないようにしたり、図鑑で調べて自分でやってるのでえらい。あと、カマキリも小さいのを捕まえてきて育てているようだ。ビワの実を入れてるのだけど、これはカマキリの餌じゃなくて、ビワに寄ってくるショウジョウバエがカマキリの餌になるのだと説明してくれた。

2004.5.23
 ここのところ、日記ネタになりそうなことはあるのだけど、ヒデフミには書かないでと言われてるし、あれこれ考えてたらずっと書けずにいたのだった。

 昨日は小学校の運動会。これまでずっと9月だったので、なんか雰囲気に乗れないって気がする。昨年までは二人いたので出番も多く忙しかったような気がするがもうアツフミだけなので空き時間ができてしまうね。親子でのフォークダンス「タタロチカ」には妻に出てもらおうと思っていたのだが、カカトのあるサンダルを履いてきた妻はNGでボクが出ることになる。アツフミには「踊り知ってる?」と言われたが、大丈夫、お父さんは簡単な振りならすぐ覚えるし、タタロチカは前に(たぶんヒデフミのとき)やったことがあるのだ。親と子が向かい合って踊り始めるのだが、反対方向に輪が移動するのでアツフミとは離れ離れに。でもちょうど終わったとき1周してまたアツフミが正面に来たのが嬉しかった。つなひきはアツフミは頑張ってたが負けてしまう。このあと、午前は出番がないのでいったん家に帰り、昼にお弁当を持って出直す。ウチは小学校に近いのでありがたい。アツフミがお友達と一緒に食べたいというが、ウチのお弁当はお重なのでアツフミだけ別にできず、お友達に来てもらう。仲良しがいるのはいいね。さて、午後はいよいよ全力走。これまでは直線コースだったが3年生からはトラック周回コースだ。ゴール近くにいてビデオ撮影をするがおぉアツフミ速い。ダントツ1位。妻は写真を撮りそこなう。そういえばこの日履いている靴はお気に入りのナイキのサッカーシューズ(風)で、これが一番速く走れるのだそうだが、その靴が先日の雨の日に泥だらけになってたので週末に洗おうとよけておいたのをアツフミがこれでなきゃダメというので濡れタオルで拭いてやったのだった。その甲斐あったね。

 そうそう、運動会のとき、ジャングルジムの近くに座ったのだが、遊具には「つかわない、のぼらない」と書いてあるのに遊ぶ子供たちが続出。誰も注意しないのでボクが「今日は使えないんじゃないの」とか「この字読めるよね」とか言ってやめさせたりした。素直に従う子もいるが言うことを聞かない子もいる。小学生はともかく、幼児は近くに連れてきた親がいるはずなのに誰もやめさせようとしないのはどういうことなのだろう。ボクもバカ親だが、大馬鹿親というのはいるのだと思ったのだった。

 ヒデフミはもうすぐ中間テスト。プレッシャーを感じすぎだと思うときもあるし、のんびりしすぎだと思うときもあるのだった。妻は発破をかけるタイプなのでボクは「中学の頃は試験勉強なんてやった記憶はないぞ」とバランスをとるのだった。

2004.5.4
 すごく長いと思っていたGWも終わりに近づいている。犬山の妻の実家に泊まりに行ったほかはたいしたお出かけもしていない。以前と比べると「どこに行きたい?」と聞いても反応がないのでつまらないのだ。家でゲームをやってるほうが楽しいらしい。ま、おかげで親は普段できない片づけをできたのだけど。けっこう勉強にも時間をとっているが、息子たちは集中すればすごいのだが集中できないのが玉の傷で無駄な時間を費やしてると思うのだ。

 そうそう、ボーリングに行きたいというので連れて行った。実は親としてはあまりボーリングには乗り気でないのだ。けっこう待たされたりお金もかかったりするしボクはギターが弾けなくなることもあるからね。そこで今回はプレイするのは息子たちだけとして、親は見てるだけにする。これはいい。安く済むし息子たちも順番が早く回ってくるのでうれしいよね。いつもは2ゲームでおしまいにするが、そんなわけで3ゲームできた。その2ゲーム目に息子二人が揃って自己ベストを更新。ガーターなしレーンなので参考記録なのだが、ヒデフミが134点、アツフミが初100点オーバーとなる103点だったのだ。大喜びだったね。こうなるとまた連れて行ってやろうと思うよね。もっとも、今回ははじめ行ったところは2時間半待ちと言われ断念。別のところに行ったら30分待ちでヤレヤレだったのだった。

 ヒデフミの部屋にエアコンを設置した。今まではユーティリティールーム(雨天時の洗濯物干し場とかおもちゃ置き場ともいう)として使っていたのでエアコンはなかったのだ。これから夏になってもヒデフミは学習机で勉強できるよね。ま、できるだけ居間でやって欲しいと思ってはいるけど。

2004.4.27
 ヒデフミはもう中学生なので、この日記でいろいろ書かれると嫌だなあと思う気持ちもわかるのだ。なのでなるべくアツフミネタ中心で書いて行くことになるよね。ただし、アツフミも「お、これはバカ親日記ネタだな」と言うと「書かないで〜」と言うことが多いので難しいのだった。

 岐阜公園にある名和昆虫博物館に行った。前に一度行ったことがあるのだが、そのときは子供も居なかったし、そんなに印象に残っていないのだが、今回は昆虫大好きのアツフミが一緒。もう予想通り大喜び。例のムシキングに登場するギラファなんとかクワガタとかちゃんと実在してて、標本がたくさん並んでいる。昆虫クイズをやってみたらさすがアツフミ、ほとんど全問正解だったのだった。お土産になんとかクワガタとなんとかタマムシ(両方とも緑色でキレイ)がプラスチックで固められたキーホルダーを買う。片方はヒデフミ用なのだが、当然のようにアツフミが両方所持して、夜寝るときも枕元に置いてあったのだった。

2004.4.20
 ヒデフミからアツフミがDMを買いたいらしいと聞いて「デュエルマスターズカードか?」と即答したボク。普通の大人にはわからないはずなのだがボクにはなぜかわかるのだ。もっとも遊び方とかは全く知らないし自分では欲しくも何ともないのだけどね。欲しがるアツフミをつれて車の夏タイヤへの履き替えにタイヤ屋さんへ。作業が終わるまでDMを求めて歩く。コンビニって、車で移動するといくらでもあるけど歩いてってなると結構大変。40分かけて2軒行ったがどちらにも置いていない。もう意地になって履き替え完了した車でさらに3軒回ってようやく見つける。いいのが出たと喜んでいたからまあいいか。アツフミとも散歩できたし。

 地球に生命が誕生して40億年というのをTVで見る。ボクはそういえばあの頃はとボケる。ヒデフミもアツフミもツッコミOK。

2004.4.15
 中学生になったら部活動をするのは当たり前くらいに思っていて、ボク自身も中学のとき迷った末にバスケ部に入って、レギュラーにはなれなかったけど充実した生活を送れたのだ。だからヒデフミが中学校で何部を選ぶのか楽しみだったし、頑張ってもらいたいと思っていたのだ。ところが聞いてみるとなんとヒデフミの中学校にはバスケ部もテニス部も卓球部もないのだそうだ。さすがに野球部やサッカー部はあるらしいのだが一学年に10クラスもある大きな学校なのに不思議だー。あ、卓球部はあるけどもうすぐなくなっちゃうので1年生は入れないようだし。

2004.4.11
 ヒデフミが中学校の入学式を前にやっと散髪する気持ちになった。「一人で行ってきな」と言ったのだけど、どうやら一人では行きたくないらしい。『散髪と父と息子と』ではそろそろ親離れするだろうと思ってそう歌っているのだが、実際にはまだまだ親離れできてないのだった。同行したボクもついでに散髪。1ヶ月の間を置かずに散髪したのはもしかしたら生まれて始めてかも。

 たしかクリスマスのときのプレゼントだったガンダムのプラモをようやく完成させたヒデフミ。得意げだが今時のプラモは接着剤は使わなくてもいいし、彩色をしなくてもそれなりに完成してるので楽なもんだ。ただし、関節の作りなどとてもよくできてるので細かい部品が多くて大変だったのだろうと思う。

 土曜の夜、焼肉を食べようということで買出しに行くが近くのスーパーはアメリカ産の輸入肉しか取り扱ってないのか今は牛タンは入ってこないと言われる。アツフミは焼肉といえば牛タンだ。仕方ないので松阪牛取り扱いの店に行って我が家にしては高級な牛タンと特上カルビを買ったのだった。息子たちが肉をたくさん食べてくれるのでいいのだけど。

2004.4.8
 昨日はヒデフミの中学校の入学式。けっこう学ランも似合ってるぞ。学区はけっこう広いので遠い人は大変だろうけどウチからは歩いて5分で楽〜。1学年に10クラスもある。まだ初日では実感わかないけど、本当にあのヒデフミが中学生なのだ。早いものだなあということだけは痛感するのだった。

2004.4.3
 とうとう学童にアツフミ一人が行く日がやってきた。もう3年生になるので心配することはないのかもしれないが、帰宅のときなどこれまで必ずヒデフミがいたので一人で帰ってこれるかどうかがやっぱり気になる。実際、ヒデフミが修学旅行のときだったか、行方不明事件を起こしてるしね。初日はヒデフミが迎えに行ったそうで、ヒデフミも心配してくれてるんだ。ま、いつまでも独り立ちできないではアツフミのためにはならないし。たぶん今は甘えん坊のアツフミも兄離れをしたら大きく成長すると信じているのだ。

2004.4.1
 もう4月になってしまった。ヒデフミは小学校を卒業しただけでなく、6年間過ごした学童を卒所したのだ。昨日の卒所式では大勢泣いたそうだし、色紙と花ももらってきていた。大きな区切りなのだが、実は今日もまた学童へ行って、卒所仲間と集合してから水族館へお出かけをするらしい。お弁当もいるとのことで、昨日までと変わってないジャンと思ったのだった。市バスと地下鉄に乗るというのでユリカを1枚あげる。昨日までは子供料金だったけど、今日からは大人料金だからそのまま使えるのだ。黙ってれば子供料金でいけると思いはするが、成長したおかげと気持ちよく大人料金を払えばいいのだ。早生まれは損だけどね。

 小学校の卒業式は夫婦で出席する。ヒデフミは卒業証書授与のときの「ハイ」という返事の発声で、変な声になるのを心配して、練習もしていたが、本番では声が裏返るのを警戒しすぎて低く抑えた声になってしまってたね。それにしてもブレザーが良く似合う。我が息子ながらとてもかっこよく着こなしてるぞ。次は中学校の学ラン姿でも楽しませてもらおうと思う。

 今の家に引っ越してから、子供部屋はヒデフミとアツフミの二人の相部屋で、ヒデフミが小学校に入るときに学習机と二段ベッドを入れ、アツフミが小学校に入るときにもう一つ学習机を入れ、それでずっと来ていたのだが、ついにヒデフミが独立を希望したのだ。アツフミは寂しくなるのでイヤだったようだが、ヒデフミの個室を欲しがる気持ちはわかるのでこれまでおもちゃ置き場兼室内洗濯物干し場として使っていた部屋をヒデフミの部屋にする。2段ベッドの梯子と手すりともお別れだ。まだ大量のおもちゃの置き場をどうするかなど、とても片付いては居ないのだが、とりあえずヒデフミは喜んでいる。もっとも、寝るときは寂しいアツフミがヒデフミのベッドにもぐりこんだりして結局一緒に寝ることも多いのだった。

 ヒデフミの誕生祝兼中学校入学祝として新しく自転車を買ってやった。26インチのマウンテンバイクだ。ちゃんと乗れるようになったので成長とはすばらしい。ボクが中学生のときに乗っていた自転車は買うときにまだ体が小さいからと24インチのにして、その後ずっと友達のより小さい自転車に劣等感を感じていたのでヒデフミのときは26インチにこだわったのだった。そうそう、リビングに置いてあるパソコンをヒデフミの学習机に移設しようと思うのだが妻が仕事で使ったりしてまだ保留になっている。移設の際はサイト閲覧制限ソフトを入れてやらんといかん。

 やっぱ小ネタは思い出せないね。がっくし。

2004.3.25
 日記が滞っている。ヒデフミがとうとう小学校を卒業したり、アツフミと同室だった子供部屋を分けたりとトピックスはたくさんあるのだが落ち着いて書けるのは週末になりそうだ。消えた(忘れちゃった)ネタもあるだろうなあ。

2004.3.15
 先日、少し残業して帰宅したらアツフミの様子がおかしい。腹痛を訴えて苦しんでいるが声は出ないし瞳がぐるぐる回っている。慌てて電話で何箇所かかけて調べてその時間でもやってる小児科を教えてもらって連れて行く。診断は胃腸風邪でほどなく症状も落ち着いたので一安心。結果的には連れて行くほどのことはなかったのでやはりバカ親だなーと思ったのだった。

 学童祭りでボクが歌うのでヒデフミにデュエットしてもらおうとお願いするが断られる。ふぉーくちゃんぽりーなどのステージに立つのは平気でも普段一緒にいる友達の前で歌うのは嫌なようだ。それとも親離れ加速ってこと?

2004.3.9
 最近デザートにフルーチェがお気に入りの息子たち。牛乳を使うので栄養も取れるからいいやと好きなだけ食べさせてる。神経質なアツフミは牛乳をきっちり計って入れ、かき混ぜるのも自分でやらないと気がすまない。新製品の4種のベリーってのを買ってきた。ストロベリー・ラズベリー・ブルーベリーあとなんだったっけ。アツフミから空き箱を受け取ったボクが、「ベリベリ〜」と言いながら破る。アツフミもヒデフミに負けずにツッコミもできるようになってきているので、すかさず「そのシャレ、やめなしゃれ」と言うのだった。そういえばアツフミのツッコミはこのフレーズが多いね。

 アツフミが自分の財布を整理していた。なんか増えてるーと嬉しそうにしている。実はお小遣い帳はつけさせようと思っているのだが、もうずいぶん残高確認すらしていない状態なのだ。増えているわけはないのだが、お年玉を貯金した残りがあるのを忘れているのだろう。財布を持ち歩かないので使って減ることはないし。どこかのお土産で買った小判(おもちゃ)を財布に入れながら、「(増えたのは)こいつのおかげかな」と言うのが妙にカワイイのだった。

 心配していたがPSXのコントローラのコードを早速ウサに咬まれてしまった。バイブレーターが作動してブルブル震えたまま止まらなくなってしまったのだ。買い物ついでに新しいのを買ってきて代金は息子たちに請求する。ちゃんと二人でいくらずつと計算してるのは偉い。ヒデフミのほうが少し余分に負担してるのも感心したのだった。

 ヒデフミの行ってる塾の授業時間が中学生コースに変わって夜遅くなってしまう。終わってから夕食ではとても持たないので思案した結果。初日はボク用に作ったお弁当を取っておいてレンジで温めさせることにする。実際にはボクの帰宅時間が何とか間に合って、弁当だけでなくもう一品作って食べさせたのだが、これから毎週工夫がいるよね。で第2回目の今夜はシチューを作っておいたのを食べてもらうことにした。さて。

 ボクの3回目の学区対抗駅伝大会出場だった。これまでは息子たちが応援に来てくれて励みになったし、学区の役員の方にもそのイメージで覚えてもらってるのだが、今年はヒデフミが友達と映画を見に行く約束をしていたので応援はなし。アツフミも一人ではイヤとのこと。寂しいが仕方がない。ボクも子離れしなくてはね。

2004.2.27
 牛肉があの状態で鶏肉がああなってしまっては、もはや豚だけが頼りだと言いながら、夕食にポークステーキを出したところ好評で、ヒデフミはもちろん、あまり肉を喜ばないアツフミもたくさん食べてくれたのだった。

 たくさん食べるといえば、手巻き寿司だ。アツフミはいつもの3倍くらい食べてるのではないかというくらい次々に巻いて食べている。ヒデフミは納豆も食べてくれるしこれなら毎日手巻き寿司でもいいかなと思ったのだった。で、翌日も手巻き寿司にしたら残念ながら勢いはすっかり消えていたのだった。

2004.2.26
 今年度最後となる授業参観に行ってきました。ヒデフミとアツフミが違う日なので両方行くわけには行かなくて、妻にヒデフミのほうに行ってもらいボクはアツフミのへ。ボクの子供の頃と違ってこの小学校の授業参観は発表会形式が多いのだが、今回も「こんなことできるようになったよ」というのを見せてもらう。アツフミが木琴やピアニカを演奏するのを見たのは初めてかも。恥ずかしそうにしていたね。多目的教室に移動して大縄跳びと竹馬を披露してもらう。アツフミの竹馬も初めて見たかも。大縄跳びにはボクも参加したりして1時間はあっという間の授業参観だったのだった。

 少なくともアツフミはムシキング熱が復活したようだ。

2004.2.22
 新曲『散髪』ができた。歌詞やメロディはそのうち公開できると思うけど、ラストはしんみりする歌になったのだ。子離れ・親離れがテーマというか。最後のフレーズは「そしてボクはまた一人で散髪屋に行くのだ」なのだった。

 その歌の中にも出てくるのだがアツフミの髪質は柔らかくて、ヒデフミの固めの髪とはぜんぜん違ってる。かなり伸びてきてもペタッとしてるし少しクセっ毛なのではねることがなくまとまっているのだ。ヒデフミの髪が油断すると昔のベッカムのように真ん中が立ってたりするのをアツフミはうらやましがってたわけではないのだろうけど、風呂上りに丁寧に立てていた。それで写真のような髪型になったのだが、まるで霊感アンテナのように見えるのだった。

 アツフミが起きてイキナリボクのところへ直行し、耳餃子を見せてくれた。前にも書いたことがあるし写真も載せてたような気がするけど再掲するのだ。左の写真と見比べると右の写真では見事な「耳餃子」ができているのがわかるよね。今回のすごいところは持続時間が長かったこと。ボクに見せに来て、写真をとって、お母さんに見せに行って、それでもギョーザ状態を維持していたのだった。

 すっかり忘れ去られていたムシキングだが、コロコロコミックにポスターのようなものが載っていたからか、また再燃しそうな気配だ。アツフミもまたやりたいというので土曜の昼に昼食がてら行く。久しぶりだがカンは鈍っていないようで、アツフミは2ゲームやったのだが、一度もジャンケンに負けず、2度とも本当の最後の敵までストレートで倒したのだった。

2004.2.17
 家族でボーリングに行く。先日の学童ボーリングでヒデフミに負けてたので今回は親父の威厳を見せねばと頑張ったのだ。ヒデフミは逆に調子が悪く、2ゲームとも100点行かなかったのでボクとの差は歴然。アツフミはスコアは伸びなかったものの、投げるポーズもかっこよくなってるしけっこう真ん中に転がせてるのでそのうち大ブレークするだろう。2人とも終わり間際にストライク取れたのでご機嫌で終われたのだった。そうそう、そのボーリング場の近くにはラブホがたくさんあったのだが、ヒデフミはそこがどういうところだか友達に教えてもらったとうれしそうに話していたのだった。親に話すところがまだまだ子供だね。

 スーパー銭湯に行った。息子たちにしては珍しくサウナに入る。すごく混んでてサウナの中に30人もいた。5分くらい入ってたっけ。そうそう、ヒデフミの体重がいつの間にかボクの半分を超えている。といっても、中学生の3年のうちに身長ではボクを追い抜くのだろうけど、体重では追い抜くことはないだろう。

2004.2.15
 日曜の朝、走りに行こうと思ったらアツフミも行きたいというので一緒に滝の水公園に行く。アツフミは自転車での伴走だ。行きはずっと上りなのでアツフミは立ちこぎをしてる。最近買った、アツフミにはちとオーバーサイズの自転車だが、うまいもんだ。滝の水公園まで登ったら楽チン周回コース。ところが残念ながら雨がパラついてきたのですぐ切り上げて帰ることにする。下り坂はブレーキに気をつけてと。アツフミが付き合ってくれてうれしい朝ランだったのだった。あ、ヒデフミは攻略本を見ながらゲームをやってたぞ。

2004.2.13
 ヒデフミは語彙力検定6級に合格している。なるほど会話の中にもけっこう難しい言い回しが出たりするようになってきた。でも時々怪しい間違え方もするのが子供らしくて面白い。先日行った回転寿司屋のトイレに赤外線センサーがついていて、使用中かどうかが外からもわかるようになっていたのに感心したヒデフミ曰く「ここのトイレ、ハイビジョンだったよ」『え?トイレにテレビがついてたの?』「違うってあれがこうなってこうなるんだよ」『それをいうならハイテクじゃーい』。もうひとつ、夕食時飲んでたワインを少し舐めさせたとき、けっこう美味しかったらしくボクが『ガブガブ飲むんじゃないよ、お酒だから』と言うと、ヒデフミ「しみじみ飲んでます」『・・・それを言うならチビチビじゃーい』ま、しみじみ飲むってのもアリだけどね。

2004.2.11
 先日、県美術館でやってる日展を見に行った。息子たちが小学校からタダ券をもらってきてたので情操教育のために連れて行ったのだ。もっとも券は1枚は破れてしまってたので買わなきゃならなかったし、息子たちは決して絵とか彫刻をしっかり見てくれはしなかったのだった。絵というと、人物画で、女性がモデルのそういう絵を見つけては二人でふざけあってるし、彫刻にいたってはほとんどがそういうモチーフなのでアツフミはボクの背中に顔をうずめて見ようとしなかったりしたのだった。人に迷惑をかけないように注意して疲れたのだった。

 しばらく前に見た「クレヨンしんちゃんなんたらのヤクニクロード」のことはまだ記憶に鮮明らしく、焼肉を食べたーいと大合唱の息子たち。ウチから歩いていける焼肉屋に久しぶりに行く。ま、たまにはいいか。喜んで肉を食べる息子たちを見ているとヒデフミが少食だったころやアツフミが肉を食べられなかった頃が信じられない思いなのだった。

 朝食のリクエスト、最近多いのが「卵ごはん」。なぜか朝食はアツフミのほうがたくさん食べたりする。ヤクルトは以前はモドキ商品をヤクルトだといって飲ませてて、バレてからもヤクルトと呼び続けていたが、最近は本物を買うこともあるのだ。ヤクルト200とかヤクルトピルクルといったちょっと変わったのは喜んで飲んでくれるので多少高くてもいいのだ。もっともチチヤスという商品はネーミングが気に入ったのか人気なのだった。

2004.2.7
 ヒデフミが突然、明日の朝のメニューはトーストに目玉焼きを載せたものにして欲しいと言い出した。「天空の城ラピュタ」でパズーが作っていたシーンを思い出してどうしても食べたくなったらしい。翌朝、起きるなり「今朝のメニューはそういうことでヨロシク」というので100円ショップで買った目玉焼き用のフライパンで作ってやる。いつも食の細い朝食だが綺麗に食べたので感心。お皿にこぼれた半熟の黄身はちゃんとパンでふき取って食べてるのだった。

 朝食メニューはアツフミも前夜から希望を出すことがあって、今週はコーンフレークがお気に入りのようだ。希望のメニューだとちゃんと食べてくれるので助かるのだ。ただし、すぐ飽きるのがアツフミの特徴なのだった。

 ところで、今この日記を書いているのは6:35。昨夜は残業&YUMEYAで帰宅したらもう息子たちは寝ていて、なんとまた発熱したのだそうだ。インフルエンザが治りきってなかったのかなあ。週末にまたどこへもお出かけできないなんて可哀想だけど仕方ないね。もう少ししたら様子を見に行こう。今朝の朝食希望は何だろう。元気なときの週末は「ラーメン」か「味噌煮込みうどん」が多いのだけど。

2004.2,5
 ヒデフミが借りてきていたレンタルDVDのスパイダーマンが返却期限を過ぎているのにボクが気づいたのだ。ボクが行ってもよかったのだが、教育的配慮でヒデフミに行かせることにする。延滞料金は自分の財布から払うように言う。3日過ぎてるから1万円×3だと脅してやったが、「そんなはずないって」とつっこまれる。実際には1日150円だったようだ。まあ、いい勉強になったことだろう。

 ゲームキューブはリビングではなく隣の和室でやらせてるのだが、PS2のソフトが使えることが判明したPSXはもともと録画用なのでケーブルテレビのチューナーの関係でリビングに置いてあり、ゲームもそこでやることになる。ところがこの位置が和室との間の襖を閉めているときはウサギが和室に入りたくて待機する場所なのだ。アツフミがガンダムのゲームをやっている間中、ウサギが「ここアタシの座るところなんだけど」という風にアツフミを見ながらうろうろしているのだ。コントローラーのケーブルを咬まれないかとヒヤヒヤ。そうそう、最近はコードをあまり咬まなくなったウサだが、一時期いろいろ被害にあった時期があって、その中でもビデオデッキの電源コードが咬まれて使用不能になっていたのだ。これを年末に修理に出したのだが、電源コードを交換するだけなのでそんなにかからないと思っていたらなんと見積もりは1万200円。詳しく聞いてみたらケースを外してする修理は一律この料金の設定なのだそうだ。そんなバカな。メーカーの人に「あなただったら修理しますか」と聞いたら「しません」と即答。実売1万数千円のビデオの修理に1万円以上出す人はそりゃいないでしょう。始めはユーザー自身では修理できないと言っていたメーカーだったが、ボクがあきれ果てて技術者の魂がなんたらと説教したら「いや自分でも修理できますよ」と言い出した。ケーブルの単価も650円で販売できますとのこと。それを先に言えって。結局、電器屋に持ち込んでから1ヶ月以上たったが、コードが届いたので修理する。なんとネジを4つ外してケースを開け、咬まれたコードを抜いて新しいのを挿すだけで直ってしまったのだった。あまりの簡単さに1万200円の見積もり(一律なのだから見積もる必要すらないし)はなんだったのだろうと改めて思ったのだった。一応ウサギには再発防止のために「お前がコードを咬むと修理に1万円かかるんだぞ」と言い聞かせておいたけどね。

 我が家では初めてかもしれないがインフルエンザにかかってしまったのだった。始めは妻で、何日か寝込んでしまう。続いてアツフミがアツネツじゃなくて発熱。検査をしてもらったら反応が出ました。ヒデフミはその前の週に1日風邪を引いて学校を休んでるので今回は大丈夫かと思ったらやっぱり移ってしまう。実は日曜日にナゴヤドームでやるイベントに友達と参加したいとヒデフミは言っていたのだが断念せざるを得なくなってしまったのはかわいそうだったね。

 そうそう、このイベントに行く計画だが、始め相談されたときは、集合時間が午前4時半だという。まだバスも走っていない真っ暗な時間に小学生が出かけて集まるのはダメと言い渡す。どうも友達の提案をホイホイ聞いてるだけのようなので、もっと主体的に計画に関わるように注文する。ヒデフミなりに悩んでいたようだが、今回は自粛断念することになってしまったのだった。

 インフルエンザの検査は近くの医院でやってもらう。ボクも熱はなかったけどずっと調子悪かったのでやってもらった。この検査というのが細くて長い綿棒で鼻の奥の粘液(膜?)を取るのだが、これが脳の中まで刺さっているのではないかというくらい深く入れるので涙を大量に出す。同じ検査で泣かなかったというアツフミに感心したのだった。

2004.1.29
 長生きしていたオオクワガタのオスとメスがほぼ同時に死んでしまった。最後まで別居させていたのが悔やまれる。もうずいぶん前から弱っていたのだが、ピクリとも動かないのでもう死んだと思ってアツフミに言ったら、まだ死んでないよと言って木の棒に顎を近づけてみたらクワガタがガッシとくわえたりして、なかなかにしぶといのだ。もしかしたらまだ生きている可能性もあったのだが、アツフミが死んでしまったと判定したのだった。これで夏以来の甲虫系の生き物は全滅してしまったことになる。こいつらはお墓に入るのはずいぶん先で、そのままでもけっこう標本のようになるので、台所のカウンターのワインラックにディスプレイしてるのだった。そうそう、カタツムリもいたのだが、これが不思議。いつもは存在を忘れていてもケースにくっついて固まっていて、水をやると蘇っていたのだが、今回気づいたら影も形もない。どこへ消えてしまったのだろう。

2004.1.27
 とうとうこの日がやってきたのだ。ボーリングのスコアでヒデフミに負ける日が。学童の交流行事で2ゲームやった。1ゲーム目はボクはそこそこでヒデフミは散々な出来だったのだが、2ゲーム目にヒデフミは100点ちょうど。ボクは真面目にやったのに、色だけで選んだ13ポンドのボールが重すぎたのかメロメロで89点どまり。負けても悔しさはない。ヒデフミの成長を喜んでいるのだ。ボクも緑色のボールにこだわるのはそろそろ限界なのかもしれないね。そうそう、アツフミはガーターなしのレーンだったのでまだスコアは参考記録なのだった。

2004.1.22
 TV番組「トリビアのなんたら」は息子たちも喜んでみている。本も1冊買っている。「へぇ〜」ということもあるし「そんなん知ってるし」というネタもある。ガチャガチャでゲットしたのとクレーンゲームのようなものでゲットした小さな「へぇボタン」は前からあったのだが、お正月におもちゃ屋で1/1サイズの番組公認「へぇボタン」を見つけたので早速購入した。普通に「へぇ」「へぇ」やってても面白いのだがわが息子たちはそれでは飽き足らない。ヒデフミ用とアツフミ用の二つを服の中の胸のところに入れて、グラマーな女性のように見せて胸をたたいたり触ったりしながら「へぇ」「へぇ」と遊んでいる。絶対よそではやらないように言い聞かせたのだった。もうひとつ面白い使い方を思いついてるのだが、それは「肉体再生日記」で紹介しよう。

2004.1.19
 この冬はお正月の帰省旅行の他は家族でお出かけをしていないので、お天気のよい日曜日、日本昭和村に行ってみる。昨年できたばかりの新しいところで行くのは初めてだ。この近くにはご存知「明治村」、そして「日本大正村」もあるのだが。そのどちらともコンセプトが違っている。よく知らないで行ったのだが結果的にはけっこう満足。息子たちはアーチェリーや面白自転車やフワフワで遊べたのが楽しかったようで、妻は団子茶屋が気に入ったようだし、ボクは併設の年末にオープンしたばかりの昭和銭湯里山の湯が気に入ったのだった。乗らなかったけどボートもあったし、暖かい季節にはジャブジャブ池が子供の人気になりそうだ。動物広場にはウサギがいっぱい居て、ウチのメイと比較したりしてずいぶん長時間楽しめたのだった。走り回ってお腹が空いたのか、帰りに寄った吉○屋の牛丼並は二人ともスゴイ勢いで食べたのだった。

 レンタルビデオで「クレヨンしんちゃんなんたらのヤクニクロード」とかを借りてきて観る。これは笑えた。ちょうど昼に焼肉を食べてたからよかったのだが、そうでなければ焼肉を食べたくて食べたくてたまらーんということになるはずなのだった。

2004.1.18
 「わやNEWS」のライブ報告や「週刊わやソング」で、ふぉーくちゃんぽりーでヒデフミが歌ったことは書いてるのだが、ここでも少し書いておかなくてはね。もう1週間も経っちゃってるけど。全くステージ度胸はたいしたもので、ぜんぜん緊張していないように見えるのだが、やはり本番直前の控え室ではドキドキしていたようだった。ボクのハモリにつられないのはもちろんボクが歌詞を間違えても動じないところが大物なのだ。インタビューも予想通り独占されてしまったけど今年は割りとハキハキ答えてたし。ヒデフミなりに、もっとこうしておけばよかったとか、こう答えればよかったとか思ったようなので、今後も楽しみなのだった。って、中学生になっても出てもらえるのだろうか。

2004.1.9
 寒い朝、アツフミの寝起きが悪い。以前は甘やかして2階の子供部屋の2段ベッドの上段から1階の暖房の効いた居間までおんぶで運んでいたのだが、さすがにそれではいけないと思いおんぶはやめにした。でもそれではなかなか起きて来ないので代わりにまず靴下を履かせてやることにした。足が冷たいのが嫌ということらしいからね。出かけ間際に「靴下履けー」と叫ばなくてもすむし。まだ甘い?

 風呂上り、髪型で遊んでいた息子たち。ヒデフミは髪を立てて爆発したようにしてる。ヒデフミの場合はそのまま固まることになるので面白い。アツフミはオールバックに。ちょうどTVで観ていた「白い巨塔」の財前教授役の唐沢寿明にソックリになり妻が大喜び。それにしても息子二人の髪質はぜんぜん違っていて面白い。ツムジの巻き方も逆になってるから笑える。どっちが右でどっちが左かは伏せておこう。

2004.1.5
 冬休みはあっという間に終わりそうだ。四国に帰省し、犬山に年始に行ったほかはどこへも出かけなかったのは不本意だが、息子たちはクリスマスプレゼントやお年玉で買ったゲームソフトをやるので忙しいのだ。勉強もそれなりにやっているようだけどなかなか集中は出来ないのだった。

 先月からスタートしたお小遣い帳で今年はお年玉の管理を厳密にやる。ボクが立て替えて払っておいたゲームやマンガなどの支出もきちんとつけさせたし。さらにあまり現金で持たせてもいけないので、二人とも5千円程度を残して貯金させる。郵便局には一緒に行ったが、書類にはボクが記入・押印した。アツフミはともかくヒデフミにはやらせるべきだったと反省。相変わらず、あまり貯金残高を気にしていないのが不思議なのだった。

 最近アツフミにお昼ごはんの外食は何がいい?と聞くと「回転寿司」という答えが多くなった。じゃ寿司が好きかというとあまり食べないので困る。必ずコーン(軍艦)とエビ天ぷらは食べるが後に続くものがないのだ。フライドポテトくらいかな。その点、ヒデフミはサカナでも何でも食べるので偉い。生ズワイもぺろり。そういえば、以前はメロンなどの果物やデザート系をよく食べていたが、最近は欲しがらない。成長したのだきっと。

 大晦日に四国に帰省した。名古屋空港から松山空港まで飛行機で。今回、初めてプロペラ機に乗る。以前はANAのジェット機が就航していたのだが、不採算なのか撤退してしまって、代わりにNALのフォッカー50というプロペラ機が飛ぶようになったのだ。便数が増えて便利にはなったし、世界一安全な機体だと昔聞いたことがあるので不満はない。とはいえ、今回の松山行きはとにかく揺れた揺れた。上空は途中からずっと気流が悪い状態で、降り始めてからも着地するまで揺れ続けた。妻が気分悪くなったくらい。ところが息子たちは怖がりも気持ち悪がりもしないので感心感心。ま、ほとんど寝てたけどね。

 帰省で楽しみなのは従弟と遊ぶこと。相変わらず年に2回しか会ってない割にはスゴク仲良しで走り回ったりおしゃべりしたりしている。ゲームの話題が共通なのがいいのかな。ゲーム機のない実家では外に走り出す子供たち。すぐ近くの川幅が100メートル以上ある川原で棒を拾ってチャンバラをしてる。水は干上がっていて全く流れていないので安心だが。さすがに走った後は食が進むので喜ぶ妻だった。

 車で移動中もしゃべり続ける息子たち。何が面白いのか繰り返し同じネタで盛り上がったり。そんな彼らも一瞬静かになったときがあった。ボクが「お、静かだな」と言うと、沈黙を破ったのがアツフミの「オ○ンチ〜ン」だったのでみんなで大爆笑したのだった。