名古屋の職家・作家等
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田中訥言(画)
江戸後期の大和絵画家。寛政二年の御所造営の折には障壁画を受持っている。
岡谷家を始めとする名古屋の豪商は訥言最大のパトロンであった。門下に冷泉為恭、渡辺清、浮田一宸ネどがある。
これら復古大和絵の画家は、名古屋の茶会の寄付掛に欠かせない。
京都では四条派が寄付掛の王道だが、名古屋では復古大和絵画家が王道である。
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森村∴(画)
明治〜昭和初期の大和絵画家。日比野白圭に師事し大和絵を修めた。
名古屋で寄付掛として復古大和絵の系が喜ばれることは上記の通りであるが、
なかでも特に∴は頻繁に登場する。
これは今に始まったことではなく、それどころか一時代前は今日では想像もつかない、非常な人気であったと聞く。
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木村表恵(漆)
漆師。初代は漆匠高橋表光に師事。漆の可能性を広げる様々な技法に挑戦にながらも、
どの作品もお茶に適うことが先ず念頭におかれており、非常に合わせやすく使いやすい。
まさに茶席の名脇役である。
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村瀬玄之(漆)
張貫師。張貫とは和紙を胎として漆をぬったものをいい、代々それを専門としているだけでも大変珍しいが、
特に編みこよりを組み合わせることにより、精緻でしかもざんぐりとした如何にも茶に相応しい作風を得意とする。
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加藤春二(陶)
窯名:葵窯 尾張徳川家康御用達窯である。黄瀬戸等を得意とする他、代々轆轤の上手さでは定評がある。
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加藤芳右衛門(陶)
窯名:八坂窯 昭和7年、岐阜県無形文化財保持者の加藤十右衛門の長男として生まれる。
志野、織部、黄瀬戸の茶陶を中心に制作する。
例え豪快な桃山の写しであっても独自の「はんなり」とした作風が展開され、
特に千家系の道具とは非常によく合い、人気がある。
なお、同じく加藤十右衛門の子として次男・光右衛門(山十窯)、三男・彌右衛門(大萱窯)があり、
加藤三兄弟ならぬ三右衛門として有名。
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中村道年(陶)
窯名:八事窯 高橋道八に師事した初代から、現在五代を数える。
初代道年(明治9〜昭和12)は京都の人であったが、高松定一(城山八幡宮の頁参照)の招きにより来名。
現在の八事の地に開窯する。作品は楽焼を始めとして朝鮮系から和物まで幅広い。
2代以降、特に楽焼が主体となり、現在、道年といえば光悦風の楽焼として定着している。
八事窯の命名は表千家即中斎であるが、名古屋の茶会では流儀を問わず、まことに重宝されている。
中村道年公式HP
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米禽(陶)
横井米禽(べいきん)。本業(古美術商)の傍ら作陶にいそしみ、研究・研鑽を重ね、大正13年には東雲焼(窯)を譲り受けて作陶に励んだ。
朝鮮系のものから伊賀などの和物に安南まで幅広く手がけ、なりよりどれも実にお茶に適っているので茶席で取り合わせるに重宝し、現在でも人気が高い。
昭和16年没。56歳。
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長谷川一望斎(金工)
金もの師。初代青龍斎克明より一望斎春江・一望斎春泉・一望斎春洸と続く。
茶道具は勿論のこと、現代的な諸作品まで幅広く手がける。
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加藤忠三朗(釜)
釜師。初代は尾張国東春日井郡守山村の人で鋳物師を業とし、
慶長6年、藩主に招かれ清洲に移り更に慶長16年、清洲越に伴い名古屋城下へ移住する。
以後、代々尾張徳川家のお抱え釜師として活躍し、現在の12代に至る。
名古屋の釜師として最も代表的な家である。
HP内に詳しく紹介されているので、是非参考にして頂きたい。
加藤忠三朗家公式ホームページ
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