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■三養荘■
 津島は木曽川支流の天王川の湊町として大いに栄えた町であり、また同時に非常に「お茶」が 盛んであった土地としてもよく知られている。往時は町屋のほとんどに茶室が設けられていたという。
 そんな津島の町屋の中でも、ここ三養荘は比較的大規模な上に、松尾流宗匠の好みが取り入れられて 数奇屋としても秀逸であり、なにより千宗旦好の茶室も存するという、実に貴重な一軒。母屋の建築は貞享2年(1685) と伝えられ、横井家〜堀田家〜服部家と受け継がれた後、昭和60年に平山学園津田女子高等学校の所有となり、現在に至っている。

三養荘外観  三養荘正面。
 本町筋の町屋の連なる中にある為、外観はそれほど目立たない。
三養荘中庭  母屋壱の間から中庭(露地)を見る。
 ここ三養荘はかなり松尾流10代不染斎の手が入っているが、この中庭も不染斎の好みという。
 右端に見えるのはこれも不染斎好みの書院「清風」。中央左にかすかに見えるのが宗旦好みと伝えられる茶室「一雨軒」。 「清風」から「一雨軒」までは中庭を取り囲むように回廊が設けられている(下写真)
一雨軒への回廊 一雨軒への回廊
 「清風」と「一雨軒」をつなぐ回廊。
 正方形の敷瓦を四半敷にした床(ゆか)は禅寺を連想させ、清々しく厳しい空間である。
一雨軒露地 一雨軒露地
 一雨軒の露地。
 中庭には銘石の類がゴロゴロと配されているが、この蹲周辺もその余波を受けて、少々騒がしい気がする。
一雨軒外観 一雨軒外観
 一雨軒外観。
 繊細で端正で、抜群の美しさを見せる。右の写真は席に接続する水屋部分。
一雨軒扁額  扁額はもともとは宗旦筆と目されるものが掲げてあったのだが、現在は取り外されて保管され、代わりに 不染斎筆のものが掲げられている。
 「一雨軒 宗吾(花押)」とある。
一雨軒躙口から露地を見る  躙口から見た露地の風情。
一雨軒内部・躙口から床を見る  一雨軒内部。不審庵に代表される平三畳台目。但し不審庵は上座床であるがここ一雨軒は下座床である。 茶道口に対して給仕口をぐっと下げてバランスをとるのは不審庵型の定法通り(右端に少し写っているのが茶道口)。
 床柱はなぐりが施され、不審庵の端正な赤松皮付丸太とは正反対の荒々しいものである。
一雨軒床周辺  床周辺。床前のかなり高い所に開けられた窓が印象的である。
 各窓の位置は不審庵とは全く異なるようでありながら、左写真の床に連続する面と右下写真の躙口のある面を 入れ替えると、実は不審庵と全く同じ窓配置になる。
一雨軒・点前座 一雨軒・客座
 点前座周辺。不審庵との共通性の見出すことの出来る平三畳台目の席であるが、 さすがに不審庵のように茶道口が風炉先側にあるわけではない。
 更に大きな違いとして、 中柱につく袖壁の壁留が、横竹ではなく横木となっている。壁留に横竹を使うことは宗旦が利休流の特色 としていたことだから、宗旦好の席と言うならば是非横竹を使っていて欲しいところ。
 この席は不審庵形の平三畳台目を基調としながらも、このような横木やなぐりの床柱など、武家好みと言って 良い要素も散見される。
一雨軒水屋周辺 一雨軒水屋
 一雨軒水屋とその周辺。
 席の周囲は板張り廊下で囲まれ、茶道口に隣接して水屋が設けられている。(右写真)
 茶道口に隣接して水屋が設けられている点、天明の大火以前の、宗旦・江岑好みの不審庵を彷彿とさせる。
清風外観  不染斎好みの書院「清風」。妻に掲げられた扁額も不染斎筆で「清風」とある。
清風主室床周辺  非常に雅びで端正な主室。この薄暗い写真からでも、選りすぐりの材が使用されていることが伺われるだろう。「三養荘」 のパンフレットには以下のようにある。
「昭和四年、松尾流家元松尾宗吾宗匠好みにより、現在では得がたい当時の銘木を用いて作られた数寄屋造りの書院には、 どっしりとした趣がある。当代きっての職人といわれた戸屋清の手になる建具の数々は味わい深く、ことに北山杉の丸太 なげしの技術は見事である。」
清風天袋襖絵  天袋の大和絵は浮田一尓M。無論、浮田一宸フ方が古いから、襖が先にあって、それに合わせて天袋を作ったのであろう。
 後に述べるように、この書院には桂離宮新御殿の意匠が至る所に取り入れられているが、この襖の引き手も、有名な桂棚に 用いられているデザインである。
清風主室欄間  主室の欄間も桂離宮新御殿の一の間のものと全く意匠である。 数本の桟木のみを使って、簡潔ではあるがすっきりとしている。 「月」の字を表現していると言われる。
清風次の間欄間  次の間の欄間。
 丸く透かして葦らしきものが詰め打ちされている。
清風主室障子 清風廊下の意匠
 左写真は障子の腰板。杉に松を組み合わせた凝った意匠である。様々な材を組み合わせるのは これも桂離宮新御殿の桂棚が連想されるが、こじつけ過ぎだろうか。
 右写真は主室廊下の一部分。万事隅々まで神経が行き届き、まさに数奇屋普請の粋を凝らしたという表現が相応しい。
清風から見た庭 清風裏庭
 左写真、主室からみた中庭。色とりどりの巨石・銘石が配されて少々騒がしいが、 宙に浮くように軽やかな手水鉢が全体をよく引き締め、実に絵になる光景である。
 右写真は主室裏庭。
三養荘母屋主室内部  三養荘母屋奥座敷。
 母屋は貞享2年(1685)の建築というが、ここ奥座敷は間違いなく不染斎(或いは戸屋清)の手が入っている。
 但し床柱と床框は旧材を利用したのであろう。(雅で端正な座敷のなかでこの二つだけが浮いている・・・)
三養荘母屋主室内部  奥座敷の欄間。欄間の四方を黒漆塗で囲む意匠は「清風」次の間の欄間と同一。 この欄間も軽やかで典雅なデザイン。誇らしげに近江八景や松竹梅の欄間を嵌め込んでいる家に見せてやりたい趣味の良さである。 やはり数奇屋普請をするなら茶匠の指図を受けねばとしみじみ思ってしまう。
三養荘母屋主室から二の間・三の間を見る  典雅で洗練されているのは奥座敷のみ、続く二の間・三の間はほとんど不染斎らの手が入っていないらしく、 ありきたりの田舎の家となんら変わらない。
 取材時は津島祭の屏風が展示されていた。
三養荘外観  三養荘外観。
 通常は平山学園・津島女子高校の礼法道場として使用されており見学不可。
 取材時は津島藤祭り協賛の特別公開中であった。

三養荘
学校法人平山学園(所有・管理)
津島市本町五丁目2番地
  地図
0584-55-0031

電話:0567-28-3010(平山学園代表)
※見学等、上記平山学園津島女子高等学校まで要問合

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