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■準公開茶席■
・ 通常は非公開ながら定期的に公開される茶席、又は定期的に一般参加可能な茶会が催される茶席。
・ 所在地の当該施設のホームページにその茶室が紹介されいる場合は、所在地名がそのホームページにリンクさせてあります。
※ 地域別に「所在地名」(所在施設)の五十音順に紹介してあります。

■名古屋市内■ ■尾張地区■ ■三河地区■

■名古屋市内■
所在地 席名・詳細

熱田神宮

熱田区
神宮1-1-1

・蓬庵 ・又兵衛 ・六友軒 ・清雪軒 ・千秋閣 ・龍影閣

 ほぼ毎月月釜が催されている。「月釜」の頁参照。

 「蓬庵」は高橋蓬庵こと高橋彦次郎の本邸に松尾流の好みを以って造られた茶室を、 昭和41年に熱田神宮茶苑に移築したものである。
 高橋彦次郎の交友を物語るが如く、鈍翁の筆になる「蓬庵」の扁額が掛かる。
 深三畳台目向切炉で台目床に床前板が入る。
 六畳の広間が付いており、寄付として使われている。
 また、露地の織部燈篭や蹲踞も高橋家から移したもので、 特に蹲踞は見事な紅加茂(加茂七石の一つ)の巨石で如何にも富豪の庭にあったに相応しいものである。

 「又兵衛」は元は岐阜県吉城郡にあった室町中期〜江戸初期の建築と考えられる合掌造りの民家である。 昭和初期に神野金之助の屋敷三渓荘内に移築され、更に昭和32年にこの茶苑に移築された。
鈍翁や三渓・耳庵に代表される財界系数寄者達が好んだ田舎家での草庵茶の遺芳を今に伝えている。

 「六友軒」は昭和22年に寄贈された六畳の席。 元は名古屋道具商六友会によって徳川園に猿面茶席写しの席の寄付として建てられたもの。
 台目床に墨蹟窓があけられ、また席内の窓はこの墨蹟窓のみで、二方に障子が立てられ縁が廻されている。
 飾りが極力排除されたシンプルで開放的な席である。

 「清雪軒」は綿布商伊東信一の別邸「東山荘」(現存・下記にて紹介有り)に あった茶席を移築したもの。
 本席は三畳台目二畳向切炉であるが、厳密に言えば風炉先に向板が入るので、 一見台目畳に見える点前畳と踏込畳は台目畳よりも一回り短い。
 また角切となった面に躙口が設けられており、従って客座三畳のうち下座一畳は切欠畳である。
 床は台目床で右床柱が檜で左床柱が桜。
 床框も檜。
 本席の奥には板間の水屋と、それに続いて広々とした板間がある。
 極めて複雑な構成ながらよくまとまった特殊な亭である。
 東山荘時代には、東山荘西側斜面の森の中、 滝の隣に建てられていた(現在は小さな空き地になっている)

 「千秋閣」は八畳二間からなる小規模な数奇屋。

 「龍影閣」は明治11年に明治天皇巡幸の途次、 愛知県に臨幸の際に便殿(休息場所)として造られた大規模な書院建築。
 献茶式の折に拝服席として使用される。

※貸出可
[茶席貸出料金]

茶席(茶亭)名利用料金
蓬庵11,000
又兵衛11,000
千秋閣9,000
六友軒10,000
清雪庵9,000
蓬乾亭5,000

献茶会会員は各1000円引(千秋閣と蓬乾亭を除く)


昭和美術館
昭和区
汐見町4−1

・南山寿荘 ・捻駕籠席 ・有合庵

 通常、茶席は庭からの外観の見学のみ可。春季に催される「昭和茶会」の折に一部見学出来る。

 「南山寿荘」は尾張藩家老にして寺部領主であった 渡辺規綱の別邸を移築したものとして名高い。
 渡辺規綱は裏千家玄々斎の実兄でもあり、 又日庵と号して風流三昧の日々を送った。「南山寿荘」はその舞台である。

 「捻駕籠の席」は「南山寿荘」に付随する四畳中板付の席。
 「南山寿荘」に駕籠が捻れて据えられたような外観を呈しているのでその名がついたとか。
 非常に複雑な構成の茶席であり、その概要も到底ここでは述べきれない。

 この構成の複雑さは南山寿荘二階広間の床にも感じられる。
 同じく二階広間には玄々斎好みの扇面透かしの欄間が見られることから、 南山寿荘・捻駕籠の席共に玄々斎の手になるものと推測されている。
 風流人であった実兄の邸を好むに当っての、 玄々斎の並々ならぬ意欲が感じられるような名建築である。

 「有合庵」は、愛知県十四山村の素封家・佐野家(佐野弥高亭)から移築したものである。
 佐野弥高亭旧蔵品には大名物茶入「朱張茄子」を始め天下三柿蔕の一つ「京極」等があり、 中京を代表する数寄者であった。
 九畳と六畳の広間、玄関に続く床付四畳、一畳台目中板付の小間、から構成されている。
 小間は向切炉で、点前座には大きな丸窓があけられている。
 全体として、南山寿荘とは好対照の、すっきりとした粋な意匠である。

※貸出可 ・貸席料等詳細は 公式HPを参照


白鳥庭園

熱田区
熱田西町2-5

・清羽亭 ・澄蘆 ・吸江軒

 大名庭園のような池泉庭園の中に浮かぶ雅で端正な数奇屋建築が「清羽亭」
 設計は言わずと知れた数奇屋建築の第一人者・中村昌生氏である。

 亭内には十畳の主室と十一畳半の次の間がある。
 主室は間口一間半の床に加えて上段の間も設けられ、 それに窓からの池泉の風情も加わり修学院や桂の離宮の如き宮廷趣味が漂う。
 次の間は打って変わって、床脇が吹き抜かれて白竹が乱れに立てられているような、 洒脱で砕けた草の座敷である。炉は次の間のみ切られている。

 また、亭の北側に付随して四畳半原叟床の「吸江軒」、西側に二畳台目の「澄蘆」がある。  渡り廊下を渡れば、広々とした濡縁の張り出した立礼席がある。

 総体に、端正にして優雅、これに尽きる。

 清羽亭の内部見学は毎週木曜のみ。席の貸出料金は以下の通り。

※貸出可 ・貸席料等詳細は公式HPを参照


城山八幡宮

千種区
城山町2-88

・洗心軒 ・松月亭 ・招月庵 他

 ほぼ毎月月釜が催されている。「月釜」の頁参照。
 元は堀川納屋橋付近にあった高松家の別邸を昭和43年に現在地に移築したものである。
 松尾流半古斎の監修のもと、飛雲閣と詩仙堂を模して建てられた、名古屋有数の数奇屋建築である。
 内部には松月亭(7畳)・招月庵(9畳)等の座敷がある。


※貸出可 ・詳細は公式HPを参照
由来等、洗心軒の詳細についてはこちら→ 洗心軒詳細


鶴舞公園

昭和区
鶴舞1-1-20

・鶴々亭 ・百華庵

 「鶴々亭」は昭和三年に鶴舞公園一帯で行われた「御大典奉祝名古屋博覧会」の際に 名古屋木材商工会が参考館として出品もの。
 木曽桧の最高級品が使用されている。
 床の間付十畳の主室に六畳の次の間、四畳半の寄付、六畳の水屋がある。
 ただ、炉が切られていない上、茶会に使うには非常に都合が悪い間取りであるので、 茶道関連で使う場合は充分に検討する必要がある。

 「百華庵」は明治期に久田流の好みで建てられた席であるという。
 六畳の茶席に五畳の水屋が付く。
 六畳ではあるものの、にじり口の付く小間の雰囲気の茶席である。
 百華庵周辺は美しく茶庭が整えられ、申し分ない。

 茶苑内は火気厳禁が徹底しており、蚊取線香でも使用不可。  煙草盆の火入の炭でも、論外である。

 例年、朝日茶会などの市民茶会が催される。

※問合せ等は「(財)名古屋市みどりの協会分室」まで。

※貸出可
(鶴々亭・百華庵を含む茶苑貸出料金)

利用時間利用料金
9:00〜16:301600
9:00〜12:001100
13:00〜16:001100
17:30〜21:002400


東山荘

瑞穂区
初日町2-3

・迎西庵 ・東丘庵 他

 桜の名所として有名な山崎川の東岸台地に綿布商・伊東信一の別邸として営まれた。
 幾つかの書院や茶席を有する母屋を回遊式の林泉庭園が取り囲む、約四千坪の邸である。

 母屋内は全館貸席利用の為、一般観覧は不可。
 庭園のみ観覧可能(無料)。
 但し借り主の利用趣旨によっては一般観覧可の場合もあり。

 雰囲気もよく、設備も充分に整っており利用しやすい為、貸席として非常に人気がある。


※貸出可 ・貸席料等の詳細は 公式HPを参照

東山荘自体の詳細についてはこちら→
東山荘詳細


徳川美術館

東区
徳川町1017

・心空庵 ・餘芳軒 ・山の茶屋

 徳川美術館の茶苑内の茶席。春季に葵茶会・秋季に徳川茶会が開催される。

 茶苑内には中国の太湖石に似た石が散見されるが、 これは現在の知多半島沖にある佐久島から産出した石で、 名古屋城二の丸庭園の庭石を明治期に移したものである。

 「心空庵」はもともと尾張藩茶頭・六代目平尾数也(すうや) が自邸に建てた茶室を現在地に移築したものであったが戦災で焼失、 現在の建物は大正期の産業博覧会に出品され尾張徳川侯爵家麻布本邸に移築されていた茶室を 戦後に再度美術館に移築して「心空庵」と名付けたものである。

 「餘芳軒」は昭和49年に千種区堀割町にあった数奇屋建築を移築したもの。
 十畳の主室に四畳の入側が付く。
 移築の際に、上記の「心空庵」が接続された。

 「餘芳軒」と「心空庵」の前の茶庭には、平尾家から移された井筒や織部灯篭が現存している。

 「山の茶屋」はもとは江戸・本所横網の尾州家下屋敷内にあった御茶屋で、 明治20年代に尾州家大曽根別邸(現在地)に移築されたものである。
 内部は、遠侍が二間、それに奥方の間、上段の間、の四つの部屋から構成されている。
 なお、上段の間の前の庭にある朝鮮灯篭は、 加藤清正が朝鮮の役の際に持ち帰ったとの由来がある。

※貸出に関しては要相談


中村公園
(桐蔭茶席)


中村区
東宿町1
(中村公園内)

・豊頌軒 ・桐蔭席

 ほぼ毎月月釜が催されている。「月釜」の頁参照。

 「桐蔭席」は八畳の広間に、同じく八畳ほどの大きな土間が接続した席。
 「豊頌軒」は四畳半台目の席に小間の席が付随している。
 江南市古知野の旧家から移築したもの。

※貸出可


ながさか

中区
錦2-16-12

・知足庵

 隔月で月釜が催されている。「月釜」の頁参照。
 茶道具商「ながさか」の2階にある四畳半台目の席。

※貸出要相談


名古屋城

中区
本丸1−1

・猿面茶席 ・望嶽茶席 ・又隠茶席 ・織部堂 ・書院

 春秋に市民茶会が催される。

 「猿面茶席」は天下三名席の一つで名古屋城二の丸にあった四畳半台目の茶室。
 ただし第二次大戦で焼失し、現在立っているのは昭和24年に地元の素封家・森川如春庵の 尽力により復元されたもの。
 また焼失する直前の姿ではなく、近代補修と 思われる箇所を改めた姿(如春庵の考証に依る)で再建されている。
 従って、躙口の位置を始めとして、焼失直前の茶席とは多くの点で相違が見られる。

 「望嶽茶席」は「澱見茶席」ともいう。
 文字通り、金戒光明寺西翁院の「澱見の席」を写した、三畳・道安囲・室床の席。
 建築時期は上記「猿面茶席」と同じ。

 「又隠茶席」(又隠席)は、安永年間に裏千家又隠席の写し として久田宗参の好みを加えて建てられたものという。
 本歌の裏千家又隠席は天明の大火で焼失しているから、 この茶席が現存最古の又隠写しであると考えられる。
 焼失直前の又隠席の姿を伝える、四畳半の席である。
 知多郡大野の浜島家〜海部郡佐屋の黒宮家〜中島郡祖父江の山内家〜現在地、 と移築を重ねている。
 現在地に移築された時期は上記「猿面茶席」と同じ。

 「織部堂」は古田織部を顕彰するため、昭和30年に建てられた三畳ほどの小亭。
 古田織部の坐像を安置する。

 「書院」は十畳の広間で、他に八畳の次の間、五畳の座敷などがある。
 名古屋城内にあった加藤清正手植えの老松が古材として随所に使われている。
 建築時期は上記「猿面茶席」と同じ。
   


※貸出可 ・貸席料等詳細は 公式HPをご覧下さい


名古屋美術倶楽部

中区
栄3-12-13

・葵の間 ・残月の間 ・聚楽庵

 隔月で月釜(吉祥会)が催される。「月釜」の頁参照。

 「葵の間」は十五畳の主室と十二畳の次の間からなる。共に床付。
 「残月の間」は、主室が言うまでもなく表千家の残月の間の自由な写しで十四畳。
 次の間は十一畳床付。
 「聚楽庵」はにじり口のついた四畳半台目。


※貸出可 ・貸席料等詳細は公式HPをご覧下さい


南山大学

昭和区
山里町18

・方寸庵 ・他有の席

 「他有の席」は昭和41年に東区長塀町の旧土井国丸邸(名古屋美術倶楽部管理) から移築したもの。
 同じく土居邸から移築されたものに稲沢・国府宮神社の半床庵がある。
 方寸庵は四畳の席で躙口はなく貴人口のみ、袋床で床柱は杉の磨丸太、 火灯窓を開けた付書院を備え、格調高い書院茶室の構えである。


※見学・貸出要相談


暮雨巷

瑞穂区
陽明町2-4

・暮雨巷(付 ・深三畳台目席 ・一畳台目席 ・三畳半原叟床席)

 現在、UFJ銀行所有の暮雨巷会館の片隅に建つ。
 俳人として名を知られる久村暁台が手を加えて住んだされ、 もともと中区大須四丁目の野崎氏別邸龍門園にあったが大正初年に現在地に移築された。

 主室は二方に高欄付の縁が廻る八畳。もと武家屋敷だけあり数奇屋建築ながらも格調高い。
 また、利休好の深三畳台目席や一畳台目席・三畳半原叟床席など、茶室研究の上で非常に興味深い茶室が幾つも配されている。
見学は第2・第3水曜。要申込。052-831-8069

※貸出不可
見学許可・由来等、暮雨巷の詳細についてはこちら→
暮雨巷詳細


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■尾張地区■
所在地 席名・詳細

犬山 国際観光センター
(フロイデ)


犬山市
松本町4-21

・如庵写

 犬山国際観光センター(フロイデ)のなかにある如庵写しの茶室。
 和室も併設する。
 なお、犬山国際観光センターは黒川紀章の設計。

※見学要相談・貸出可

如庵写し茶室、及び和室の詳細についてはこちら→
フロイデ茶室詳細

国府宮神社

稲沢市
国府宮1-1-1

・三笑亭 ・半床庵

 ほぼ毎月月釜が催される。「月釜」の頁参照。

「三笑亭」は昭和29年、松尾流10代不染斎の設計により造られた茶席。
同じく不染斎により、  三面大黒の画像が社宝としてあること事から「三笑亭」と命名された。
床柱は神苑の藪椿、床縁は神社の古材を使用。
 障子腰張の内側は蒲の網代組に、欄間は桂離宮笑意軒の窓に因んだ丸窓を配し、 軒は檜皮葺の穏かな円みをおびる屋根となっている。

「半床庵」は、幕末に尾張藩より寄合組200石取りの武士、 尾崎藤兵衛氏の屋敷にあったもので、 道路拡張により昭和47年に移築された。(稲沢市指定文化財)

以上、国府宮神社HPより抜粋。また同HPは神社内での茶会案内にも詳しい。
※貸出要相談


三養荘

津島市
本町4丁目
問合は平山学園
清林館高校

・一雨軒 ・清風

 三養荘は、現在平山学園清林館高校の所有になる町屋建築である。貞享2年(1685)の建築とされる。
 一雨軒はその三養荘の敷地奥に建つ。
 明治中期に京都から津島に移築したといい、  更に昭和4年に松尾流10代不染斎の指導により現在地に移築されたものである。
 平三畳台目の席であるが、千宗旦の好みであると伝え、「一雨軒」とある扁額には宗旦の花押が認められる。

※見学・貸出要相談
見学許可・由来等、三養荘の詳細についてはこちら→
三養荘詳細

中部大学

春日井市
松本町1200

・工法庵 ・洞雲亭

「工法庵」は『数奇屋工法集』(貞享三年・1686)に 記される利休茶室の寸法書通りに平成2年に建てられた、 二畳隅炉の席である。
 間取りは当に妙喜庵の待庵通り、他もほぼ待庵と共通する。
 待庵写しのようであるが、 しかし床の塗り回しは天井のみであり、それが待庵との著しい印象の相違となっている 。
 詳しくは『中部大学工学部紀要』第26巻1990年10月を参照。

「洞雲亭」は香川県小豆島内海町坂手の洞雲山観音寺庫裏を移築したもの。
 文化九年(1812)建築を示す棟札があり、瀬戸内上流民家の典型として貴重な古建築である。
 外観は二重造本瓦葺の屋根に鯱を戴き、まことに重厚である。
 内部は出入り口の土間・台所土間・台所とそれに続く広い板の間・八畳二間・九畳、からなっている。
 八畳主室と九畳にはそれぞれ床の間があり、また炉も切られている。
 移築に際して九畳間が水屋を解して工法庵と接続された。
詳しくは『中部大学通信』第97〜99号「洞雲亭縁起」上中下を参照。

※見学・貸出要相談


真清田神社

一宮市
真清田1-2-1


・桃丘亭

 ほぼ毎月月釜が催される。「月釜」の頁参照。

 ・「桃丘亭」の由来については以下の通りである(桃丘会作成桃丘亭紹介文から要約)

 「昭和二十二年頃、岐阜県養老公園内に茶室を建設する計画が持ち上がり、 即中斎宗匠並びに無適斎久田宗匠を迎えて打ち合わせするも、 地元の協力者が少なく延び延びになっていた。
 幸い昭和二十五年春、真清田神社境内に茶室建設の話が持ち上がり、養老の設計を流用する旨、 即中斎宗匠に願い出て快諾を得、吉田萬次一宮市長の尽力により建設に着手することになった。
 茶室は斎館と隣接して着手され四畳半台目の席と長四畳半の控えの間と水屋で、 原案は無適斎久田宗匠と林不同庵と合議の上で作成し、即中斎宗匠の意見を取り入れ、 お好みの茶室として東海地方唯一の茶室が完成した。
 斎館の一部として使用するに手狭な為、八畳の広間と奥玄関とを追加して斎館とをつなげ、 昭和二十五年十月に目出度く竣工した。
 竣工後間もなく即中斎宗匠が献茶式ご奉仕の為に 来社し茶室を御覧になった折には桃丘の二字額と台目棚の下板の左前隅に御花押の染筆とを願い、 露地庭も御覧願って更に手を入れて頂き、遂に完成を見たのである。」

※見学・貸出要相談


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■三河地区■
所在地 席名・詳細

又日亭

豊田市
小坂本町8-5-1

・又日亭

 豊田市美術館と同敷地(七洲城址公園内)にある茶亭。
 もとは寺部陣屋にあった茶亭で、明治25年頃、千足町の竜寿寺に移築され、 更に昭和52年に市が譲り受け、現在地に移築した。

 寺部領は現在の豊田市街地から矢作川を挟んで東岸に位置し、 尾張藩家老の渡辺家がその領主であった。
 又日亭は江戸後期の渡辺家の当主で裏千家玄々斎の実兄である 規綱又日庵の好みと推測されるが確証はない。
 又日亭という亭号も又日庵に因んで近年命名されたものである。

 内部は四畳半の茶席や八畳の書院等がある。
 四畳半の床は洞床であるが琵琶台も備えられた特殊な例である。
 琵琶台がある為、横物しか掛けることが出来ない。
 八畳の書院も鎧飾台(見た目は腰の高さまである巨大な地袋)が設置されており圧倒される。

 茶匠というよりもいかにも武家の好みといった骨太な印象の珍席である。


※貸出可

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