2010/07/14
 

    ようこそ。いらっしゃいませ。

       ここは、はぐれ里でございます。

                         電子冊子:はぐれ里

                                           所在地  愛知県名古屋市緑区
                                                 大将ヶ根1-1503
                                          編集責任者    鈴木 和夫


2022年の作品をご覧になるにはここをクリックしてください。

はぐれ里には
「非常識の館」と「はぐれ二輪車の谷」があります。

非常識の館には図書室があります。

日常の出来事について、

わたくしが感じたこと・考えたことを書いたこと

至屑般若心経があります。

ぜひ読んでくださいませ。

そして、感想をお送りくださいませ。

図書室には堪忍袋が置かれていますご活用ください。



図書室にある書き物へ進みます 

    ○非常識の館  

    文章の総目次

      〇至屑般若心経

      〇歯周病(歯槽膿漏)

      ○憲法改正案    

      安全保障関連法への直行便

     〇算数・数学の学習 

     ○仮設 ・ ヒント ・

     〇ツイター

    
      ○メールをされるときは、hagure@mc.ccnw.ne.jp でお送りください。       



 

はぐれ二輪車の谷には二つの小屋があります。

 一つの小屋は迷子札の小屋です。  

もう一つのこやは、懺悔の小屋です。


はぐれ二輪車の谷には、

持ち主からはぐれたと見受けられる二輪車の一覧表が書かれています。

(場所はすべて愛知県名古屋市内とその周辺です。)

はぐれ二輪車の谷(はぐれ二輪車の一覧表へ)


         迷子札の小屋は、
            迷子札を貼り付ける小屋です。
            あなたから、はぐれてしまった二輪車の置いてある場所を
            知らせてほしいときに、本会に伝えてくださいませ。
            本会が書き込みます。

                         
                 
はぐれてしまった二輪車ではないかと思はれる二輪車を
            見かけられたときに、 本会に伝えてくださいませ。
            本会が確認をしまして、書き込みます。

         
懺悔の小屋は、
            懺悔札を貼り付ける小屋です。
             あなたが断りもなくだれかの二輪車を使ってしまったと、
            悩んでいられるのでしたら、本会に伝えてくださいませ。
            本会が書き込みます。
   




  はぐれ里のページをご覧になった、あなたに、お願いがあります。
 
ご覧になったのは何かのご縁だと思います。

 もしも、あなたが、社会の一員であることを確かめたいと思っていられるのでしたら、そして、自分のために何かをして、それが誰かのためになれば幸せだと思っていられるのでしたら、つぎのようにお願いいたします。

 あなたもはぐれ二輪車の谷を開拓して頂けないでしょうか。

 現在、わたしは、愛知県名古屋市緑区に住んでいます。ですから、住居から離れた谷間にある二輪車には目が届きません。多くの方が気配りをしていただけたら、よりたくさんの方の心が安らかになるのではないでしょうか。

 夢は大きい方が良いでしょう。このような活動が全国に広がれば、ついつい、無断で知らない人の二輪車を使って、知らない人の心を痛めるようなことをする、そんな人が少なくなっていって、それだけ、住みやすい世の中になるにちがいない。と思うのはいかがですか。


 もう一つお願いがあります。

 あなたのお知り合いの方、それも複数の方に、このホームページのことを教えてあげてくださいませ。
 そして、お知り合いの方に、その方も複数のお知り合いの方にも、このホームページのことを伝えてくださるようにお願いをしてくださいませ。このように、次々と伝達がなされますと、かならずや、二輪車をなくされて、心穏やかでない方々の心を安らかにして差し上げられると思います。そして、お伝えになった方々心にも安らぎの心が広がるものと信じます。  

2011/4/6

 このホームページはインターネットと接続されていましたら携帯電話でもご覧になられます。ねずみ算のように、ご連絡をお願いします。

 たまにですが、はぐれ二輪車の会をはじめた理由を聞かれることがありました。
  そんなときに、こんなふうに答えていました。
 「わたしの家の自転車がだれかに乗っていかれたので。」
これだけ言って、あとは言葉をにごしていました。
 我が家の自転車を捜しているうちに、札が付けてある自転車を見かけました。その札に書いてある文章が自転車の持ち主に対する文でした。
   何か、違っている、持ち主はこの札を読めないのに、と思いました。
 「あなたの自転車が、どこそこに、置いてあります。札を付けましたから、書いてあることを読んで対処してください。」。
 このように連絡されなければならないのです。
 このように連絡されることがあります。それは、ずいぶん後で知ったのですが、盗難届が出ているときに限ります。

 それも、撤去されて保管所に入ってからです。
   自転車に付けてある札にこのようなことが書いてあることを、いや、自転車に札が付いていることさえ持ち主は知らないことを、だから、持ち主が読まないことを承知の上で、「札を付けました。それでも、置いてあるから撤去しました。」と言い張るのは地頭が威張っていた時代と同じ考え方だと思います。
 撤去予告の札はどのような目的で二輪車に付けられるのでしょうか。
 目的と運用が
異なる行政はあり得ないと肩をつぼめて、手の平を上に揚げるしかありません。 

このようなお知らせは、札をつけた時点で、自転車やオートバイの持ち主に連絡しなければならないはずです。
「これなら納得がいきます。」。
 このような連絡がなされていれば、札に書いてある文は正しいと思います。
 そう思いませんか。太平洋の真ん中で「助けてくれ」と言っているのと同じことです。

 
 
  「こんなことで、はぐれ二輪車の会をつくりました。」。(とか何とか、言っちゃって)
 本心はこんなかっこうのよいことでなく 、悪意に満ちたものでした。
 家の自転車を無断で使った人を見つけたら「コテンパー」にしてやるとか。 呪い殺してやるとか。
 札の文章を考えた人の心無い無責任さ、それに、このような条例を決定した人の配慮に欠けた判断に悪態をつくとか。
 
   こんなことを考えたり、したりしたら、それこそ、こどもどころか獣にも劣る悪党です。
 わたくしは、仏教に関心があります、そして、なにをなすべきかと考えることができます。
 わたくしは、無断で、我が家の自転車を使って、どこかへ置きっぱなにした人に復讐をすることにしたのです。???


 

 復讐とは穏やかならざる言い方ですが、こんな復讐があってもいいと思います。
 はぐれ二輪車の会の活動で、たくさんの方が物を大切に扱うようになって、ひいては人の物も大切にするようになる。たくさんの人がこのような考えをするようになったら、人の物を黙って使うような気にならなくなると思います、そうなれば自転車泥棒は死滅したも同然ではありませんか。
 
   我が復讐は果たされたことになります。

 夢を見ているんじゃないかと言われそうですが、夢を追いかけるのは人として当たり前のことであると思います。

 ある人は数千億のお金を求め、ある人は宇宙旅行を目指しています。 このような夢はすばらしい夢でが本会の夢もなかなかの夢と思ています。 
               2011/5/29
    2011/8/1