|
「旧近衛邸」外観。
中央の主棟が書院、右に玄関が付く。左は茶室。
緩い桟瓦葺屋根で、もとは柿葺だったかも知れない。茶室は軒が銅版葺となっている。
もとはどのような庭が付随していたのか分からないが、
今はいかにも公共施設にありがちな、業者任せの、無味乾燥とした庭の中に建つ。
周囲は団地らしき集合住宅が迫り、あまり環境はよくない。
|
書院内部。
右の写真は「一の間」(十畳)、左は「二の間」(八畳)から見た「一の間」。
床は一間半、床脇に地袋と天袋を備える。面皮柱が多く使われ、またどれも細め。
また長押もなく、本当に草の草と言いたくなるような数奇屋らしい軽い造りである。
しかし・・・
|
|
|
しかし、床框は随分高めでそれも黒塗、壁も通常の土壁でなく漆喰塗り、更に左の写真のように天袋には
極彩色の草花絵が描かれ、非常な格式を醸し出す。
ただし、上記に述べたように、建物自体の造りは
草の草なのである。居酒屋の店員が燕尾服を着ているような、そんな違和感を感じてしまう。
ちなみに襖の引手は千鳥で、愛らしい。
|
|
二の間(八畳)。
ここでも、軽やかな数奇屋のはずなのに、何故か床内に唐木の地袋棚が設けられ、これだけが格調高い。
なお、書院の南・東の二方には畳敷の入側が廻されている。数奇屋とはいえ、さすが上級公家・宮家の邸である。
|
   
|
|
茶室外観。
入口には雨戸がかかっているが、本来は障子戸(下記室内の写真参照)。従って、躙口ではない。
入口が奥まっているのが異様であるが、それは入口左まで入側が
廻され、かつ入口と並んで床が配され
(墨蹟窓に雨戸がかかっているのが見える)ているからである。
床側から客が入るとは非常に珍しく、異様に見えるのも当然である。
|
茶室内部。
六畳敷で、右の写真の通り三畳の次の間が付く(水屋は廊下にある)。
まず真っ先に床框が非常に高いのが目に付く。書院一の間の床框と同寸法であろう。
天井は、下の写真の通り客座上が掛込天井、あとは網代の平天井である。
床框に対するこだわりからみても、この席は床前貴人畳を点前畳とする亭主床の席なのだろう。
亭主床は別段珍しくもないが、六畳も空間があるのにわざわざ床前を占拠する亭主床の席にするのは珍しい。
いにしえは親王よりも格上だったという摂家の自負心だろうか。どうせならいっそ床の間を点前座すれば天下一の珍席
となって面白かったのだが。
(注:左は平成13年頃撮影、右は平成16年撮影、畳の敷き方が改正されている)
|
|
|
この、床の横の障子が入口。上の茶室外観の写真は、ここを外から見たものである。
一見すると二枚一組の障子、ありふれた貴人口に見え、「さすが近衛様、躙口なんか作らずに貴人口だけだ」
と思うが、さにあらず。実際は上下に分かれた、上下二組の障子なのである。当然なかほどに桟があるから、
席入の客はほとんど躙口と同じような格好で入ることになる。これでは貴人口とも、躙口とも言えない。
また、客が床側から入るというのも大変珍しい。もちろん席入りした客の目には下の写真のような光景が目に入る
ばかり、通常の茶室のように先ず床が目に飛び込んでくるというドラマティックな演出は欠ける。
|
|
・・・本当に、開放的な茶室である。また廊下も畳敷なので茶室とは奇妙な一体感すらある。
非常に開放的な上に、先に述べた通り、床の間周辺に点前座や席入口など茶室の主だった機能がすべて
集まってあるので、残された三面はどうしても手持ち無沙汰になってしまう。六畳という広さがあるから尚更である。
(だから普通は各面にそれぞれ役割を持たせて茶室全体を「生かす」)
|
|
上の写真の箇所を廊下から見る。
間延びした空間に変化を持たせようと必死である。
しかしこうも開口部(それも廊下側にまで)が多くては、茶室の精神性が薄れ、非常に浅薄な空間になってしまう。畳廊下なので
尚更だろう。
とはいえ、お公家さんらしい、「遊びのお茶」としての伸び伸びとした雰囲気は充分感じ取ることができる。
|
|
茶室水屋。
こんな明るく開放的な水屋も珍しい。茶家の、暗く狭く寒い水屋の対極にあるような水屋である。
|
   
|