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■公開の茶席■

・ 愛知県内でほぼ通年常時公開されている茶室。

・ 所在地の当該施設のHP内にその茶室が紹介されいる場合は、 所在地名がそのHPにリンクさせてあります。

常時公開とは言っても定休日や貸し出し中の場合も多いので、ご訪問の際には必ず御確認下さい。

※名古屋市内は「所在地名」(所在施設)の五十音順、市外は更に「市町村名」の五十音順で紹介してあります。

■名古屋市内■ ■尾張地区■ ■三河地区■

■名古屋市内■
所在地 席名・詳細

桑山美術館

昭和区
山中町2−12

・青山 ・望浪閣

 「青山」は美術館の庭園内にある四畳半中板付の席。
 四畳半といっても、点前座一畳であるが台目構え、上に利休像を祀る。  踏込畳が半畳。客座との間を中板で隔てる。
 従って又隠席の如き四畳半とは全く異なり、 二畳台目中板付の茶席を一回りゆったりとさせたような印象を受ける。
席の設計は美術館の創設者・桑山清一氏である。

 「望浪閣」は美術館の2階にあり、八畳二間。

何れも開館期間中、特に貸出していない時ならば随時見学可能。

  ※貸出可  ・貸席料等詳細は公式HPを参照


徳川美術館

東区
徳川町1017
徳川美術館内
第二展示室

・猿面茶室

 徳川美術館の展示室内の復元茶室で、 日本三名席の一つと称えられらがらも戦時中に焼失してしまった  「猿面の席」の在りし日の姿を偲ぶことができる。

 猿面茶室の名の由来は良く知られている通り、 床柱上方の手斧目の両脇に節が二つ出ており、それが猿の面のように見え、 信長が秀吉の顔そっくりだと言ったからだとか。
 席自体も信長が清洲城にあった当時に古田織部を招いて建築したと伝えられている。
 その後、名古屋城の二ノ丸御殿内に移築され、上使饗応などに利用された。

 この復元猿面茶室ではその際に使用されたであろう 数々の名物道具そのものが置き合わされて展示されているわけで、 これほど贅沢な展示はなかなかない。


古川為三郎
記念館


千種区
池下町2−50
(古川美術館)


↑美術館

↑記念館
・知足庵 ・為春亭 ・太郎庵

 映画で有名なヘラルドグループを築き上げた古川為三郎の旧宅。古川美術館が管理している。

実に贅沢な普請である上、手入れも充分に行き届いており、 現代数奇屋建築の美意識を存分に味わう事が出来る。
茶室は、「太郎庵」「葵の間」そして如庵写しの「知足庵」がある。

※貸出要相談 
・詳細は公式HPを参照



森村記念館
東区
東桜1-10-18

・三宜庵

 二畳台目に中板が大きく入った特異な造り。
 森村宜稲が知多の旧家より移築し、記念館建設時に館内に復元されたもの。
 貸出されていなければ随時見学可。

  ※貸出可


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■尾張地区■(市町村順)
所在地 席名・詳細
犬山市

有楽苑

犬山市
御門先1

・如庵 ・旧正伝院書院 ・元庵 ・弘庵

 国宝三茶席の一としてあまりに有名な「如庵」を有する茶苑。

 「如庵」及び「旧正伝院書院」については検索すれば いくらでも紹介されているサイトがあるのでそちらを参照して頂きたい。

 「元庵」は織田有楽斎が大阪・天満に構えた茶室を古図に基づいて復元したもの。
 三畳と台目畳を一列に敷き更に台目畳の奥に床を配した、奥深な三畳台目亭主床の席。
 鞘の間を隔てて六畳の広間が付く。
 にじり口が茶室正面中央寄りにあいていること、 客座中央部の鞘の間との境に大きく火灯口が開かれていること、 中柱が竹であること、洞庫が風炉先に設けられていること、等など特異な意匠が随所に見られる。 (堀口捨己著『茶室研究』に詳しい)

 「弘庵」は昭和61年に茶会用に造られた。
 主室は15畳余で一間半の床に一間の地袋、付書院を備える。
 また寄付として八畳の広間ある。

 他、苑内には
・藤村庸軒旧蔵石燈篭
・岩栖門(細川満元建立・室町中期の武家屋敷門)
・藤原藤房(万里小路藤房・後醍醐帝の側近)旧蔵石燈篭
・有楽好井筒(元和元年九月二日有楽の銘有り)
・釜山海
  「如庵の露地にある自然石の蹲踞手水鉢で、釜山海の銘が陰刻してある。韓国釜山海岸の海石を、加藤清正が文禄慶長の役の時持って帰り秀吉に献上し、それを織田有楽が拝領したと伝える。海水で浸食された自然の水穴と石肌が特徴。」『角川茶道大事典』より
・徳源寺唐門(織田高長が大和宇多群に建立した織田家の菩提寺)
・観心寺旧蔵十三重層塔
などが配され、或いは茶花園も併設されている。

※貸出可
貸席料(元庵・弘庵・広芝生)各25,000円

犬山市

明治村

犬山市内山1
・東松家 ・坐漁荘 ・亦楽庵

 通常は外部からの見学のみのものが多いが、 「明治村茶会」等の機会を利用すれば内部見学も可である。

 「東松家」は、名古屋の豪商の一つ東松(とうまつ)家の船入町居宅を移築したものである。
 油問屋として江戸時代以来の伝統的工法で建てられた、明治期の典型的名古屋商家の遺構といえる。
 茶室は二階にあり、町屋内の限られた空間に設置された茶席の作例として興味深い。
 なお、東松家の膨大な茶道具コレクションの一部は名古屋市博物館に寄贈されている。

 「坐漁荘」は西園寺公望の別邸として建てられ、その晩年の大半を過ごした場所として名高い。 移築前は静岡県清水市興津町の風光明媚な海岸に沿って建てられていた。

 「亦楽庵」は京都の医家・漢学者であった福井恒斎が、明治10年頃自宅の庭に建てたものとされる。 四畳半席で、裏千家にある四畳半茶室「又隠」の写し。

 また茶席ではないが、明治村茶会では「学習院長官舎」も使用される。 洋館と和館が併設されており、乃木希典が院長の代に建てられた至って質素な建物である。

瀬戸市


愛知県陶磁資料館

瀬戸市
南山口町234

・陶翠庵

 四畳半の小間と八畳の広間、そしてその中央に立礼席を備える。
 どの席もこの地方の陶芸家の作品でしつらえてある。
 資料館の開館日であれば常時、立礼席で一服点出し(510円)があり、 その月が誕生月の作家の茶碗で飲むことが出来る。
アルバムに20点ほど茶碗の写真が貼られているので、その中から好きな茶碗を選ぶ。
 因みに、9月には加藤卓男、12月には鈴木蔵の茶碗が出される。
 また、加藤舜陶、加藤清之、鯉江良二、等の茶碗は通年で出されている。

※貸出可 ・貸席料等詳細は 公式HPを参照
長久手町

色金山歴史公園

長久手町
大字岩作
字色金37-1

・胡牀庵

 色金山は長久手の戦いの際に徳川家康本陣となった場所。
 山頂には家康が座ったとされる床机石があり、周囲は砦風の公園となっている。
 その公園の一角に茶苑が設けられ、如庵写しの「胡牀庵(こしょうあん)」に 10畳の広間が二間、それに立礼席がある。

 建物内部はそれほど凝ったものではなく、いかにも「公共茶室」といった感は免れないが、 しかし茶庭は公共茶室とは思えない凝り様で、驚かされる。
 特に使用されてなければ、管理事務室に申請の上、見学可。立礼席での呈茶も有り。

※貸出可(但し長久手町関係者に限る)
区分9:30〜12:0013:00〜16:00
さつきの間
(10畳)
250円300円
かえでの間
(10畳)
250円300円
胡牀庵300円400円

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■三河地区■(市町村順)
所在地 席名・詳細
岡崎市

岡崎公園
城南亭


岡崎市
康生町561-1


・城南亭 ・葵松庵

 岡崎城を有する岡崎公園内にある。

 「城南亭」は桜の間(12畳)と藤の間(10畳)からなる多目的な和室。

 「葵松庵」は完全に茶室棟として建てられており、設計は中村昌生氏。
 広間と四畳半席からなる。
 広間は主室八畳に六畳の次の間がつき、北側には畳と榑板張の入側がまわり、 その西端には月見台が付く。
 主室は北山絞丸太の床柱と上端溜漆塗の杉丸太を框とした一間床の左右に地袋と琵琶台を配し、 脇に平書院を設けている。
 四畳半席は東正面に躙口を開け、その矩折北面に貴人口を開け、躙口正面に床を設ける。
 千家流正統の実に端正な席である。
 なお、葵松庵詳細は中村昌生著『数寄の空間T』淡交社を参照。

※貸出可 ・貸席料等詳細は 公式HPを参照

刈谷市

刈谷市 美術館

刈谷市
住吉町4-5


・佐喜知庵

 刈谷市美術館に隣接する茶席で、主屋は一間半の床の間付十畳の広間が二室、 その間に十畳の次の間がある。

 主屋に接続して小間の茶席があり、 これは又隠風の四畳半、但し貴人口が躙口と矩折に開けられている。

※貸出可 ・貸席料等詳細は 公式HPを参照

吉良町

旧糟谷邸

幡豆郡
吉良町
荻原
字大道通18‐1


 糟谷家は三河木綿の江戸送り総問屋でこの地方の大地主である。
 現在その本邸が一般公開されているが、その中に三畳台目の茶室がある。
 席名は不明ながら、茶室・露地・寄付共々、両替町久田の系を引く久田宗甫の好みと伝えられる。
 床が斜めに切られているが、このような「斜め切り」は他の久田流の茶席にも見られる意匠である。

豊田市

喜楽亭

豊田市
小坂本町1-025
産業文化センター内

・喜楽亭

 豊田市産業文化センターの敷地内にある大きな和館で、もと料亭を移築したもの。
 いわゆる「茶室」はなく、派手で奇抜な意匠の座敷ばかりであるが、 炉が切れられ水屋も付属した座敷があるので、茶席として充分使用できる。

 月曜等の休館日以外であれば見学も随時可能。
 侘び寂びとは無縁、むしろ対極であるが、 料亭であった頃の華やかな雰囲気を感じることができ、それはそれで面白い。

※貸出可 ・貸席料等詳細は公式HPをご覧下さい
豊田市

童子苑

豊田市
小坂本町8-5-1

・豊祥庵 ・一歩亭

 豊田市美術館の敷地内にある茶苑。
 毎月不定期に月釜が懸かる。「月釜」の頁参照。

 「豊祥庵」は裏千家鵬雲斎の命名、鵬雲斎筆の扁額が掛かる。
 三畳台目の席と二畳中板入の席がある。

 「一歩亭」は十畳二室の広間の席。他、八畳の寄付や立礼席も付属している。

 いずれも豊田市美術館本館と同じく、谷口吉生氏の設計。
 線と面の美しさを際立たせたモダンなデザインながらも、  所々に華やかな素材がさり気なく使用されていて、非常に洗練された印象を受ける。

 なお、裏千家玄々斎実兄渡辺又日庵ゆかりの茶亭「又日亭」が同美術館敷地内に保存されている。 「準公開の茶席」参照。

※貸出可 ・貸席料等詳細は 公式HPを参照

豊田市

毛受庵

豊田市
西田町
けやき1番地
地域文化広場内

・毛受庵 ・けやき亭

 豊田地域文化広場には茶苑が設けられ、八畳・六畳の広間と四畳半の茶席のある「けやき亭」と、 小間(二畳台目)の「毛受庵」がある。

 「毛受庵」は明治中期に地元出身の国会議員によって建てられ、 豊田市寺部町の毛受家に移築され、更に現在の豊田地域文化広場 に移築された茶席である。詳しくは公式HP参照。

※貸出可 ・貸席料等詳細は公式HPを参照

由来等、茶席の詳細についてはこちら→
豊田地域文化広場・詳細

豊明市

豊明市文化会館

豊明市
西川町
広原28-1 
0562-93-3310

・欅庵

 四畳半の小間と二十畳・十畳の広間がある。
 広間は三角形をモチーフとした斬新なデザインの和室である。
 写真

※貸出可・貸席料等詳細は公式HPをご覧下さい

西尾市

旧近衛邸

西尾市
錦城町231-1
(西尾城内)


 書院と茶室を備える江戸後期の数奇屋で、近衛忠房邸内にあった。
 後、小松宮彰仁親王・山階宮晃親王の別邸として使用されたというまことに由緒正しい建物で、 明治天皇もここで一服されたとか。
 小松宮彰仁親王は、明治期の皇族としては珍しく茶道を深く嗜まれたかたであり、 この茶亭がその茶道愛好の良き舞台であったことは容易に想像される。

 十畳の主室と八畳の次の間、六畳の茶室からなる。

 主室は床框が異様に高く、畳廊下でもあり、 簡素な数奇屋でありながら最上級の公家らしい格式が随所に垣間見える。

 茶室においても他には見られない特異な意匠に溢れ、 これもまた茶の湯を「遊興」とした公家らしい自由な遊び心を感じさせる。

※貸出可
由来等、茶席の詳細についてはこちら→旧近衛邸詳細
貸出についての詳細はこちら→旧近衛邸利用申込みについて

西尾市

尚古荘

西尾市
錦城町176-1

・不言庵

 西尾城に隣接して造られた日本庭園。
 隣接といっても今は跡形もない東の丸の一角にである。

 昭和初期に米穀商・大黒屋岩崎明三郎によって造られた庭園で、 内堀や櫓跡等の起伏を活用した、変化に富んだ景が見られる。
 園内の茶室「不言庵」はここが金物商鍋屋八代目辻利八の別邸として建てられた時のもの。
 七畳半の壁床の席。
 壁床横の壁一杯は大きな円窓があけられているが、天井も張らない上、 皮付の丸太ばかりで建てられているので、 茶室というよりは山小屋のような印象さえ受ける。
旧西尾藩主の松平乗承・国学者の佐々木弘綱等、当地の名士がここで遊んだと伝える。

ほか敷地内には、三十畳近い大広間のある母屋がある。

※貸出可
貸出についての詳細はこちら→尚古荘利用申込みについて

西尾市

伝想庵

西尾市
山下町泡原30 
文化会館内

・伝想庵

 西尾市文化会館の広大な日本庭園内にある茶室で、庵号は寄贈者である日本電装鰍ノよる。

 立礼席と十畳の広間、四畳半台目の席がある。

 西尾城内の旧近衛邸、或いは尚古荘にほど近い。

※貸出可
三好町

三好町文化センター

三好町
大字三好
字大慈山1−1
文化センター
ふるさと会館内

・大慈庵 ・栄松軒 他

 千坪近い日本庭園「鶴駕苑」内に、十畳の広間二間を持つ数奇屋を中心に、 大慈庵と栄松軒の二棟の茶室がある。

 「大慈庵」は三畳台目で、床と点前座が並び、 その間に大きな墨蹟窓が開けられた、金地院の八窓席と同型の席。

 栄松軒は四畳半中板の席。
 医家で三好町きっての旧家・酒井家の茶室を再現したもの。

※貸出可 ・貸席料等は公式HPをご覧下さい
由来等、茶席の詳細についてはこちら→
三好町文化センター茶席・詳細

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