所在地
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席名・詳細
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熱田神宮
熱田区神宮1-1-1
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・蓬庵 ・又兵衛 ・六友軒 ・清雪軒 ・千秋閣 ・龍影閣
ほぼ毎月月釜が催されている。「月釜」の頁参照。
「蓬庵」は高橋蓬庵こと高橋彦次郎の本邸に松尾流の好みを以って造られた茶室を、
昭和41年に熱田神宮茶苑に移築したものである。
高橋彦次郎の交友を物語るが如く、鈍翁の筆になる「蓬庵」の扁額が掛かる。
深三畳台目向切炉で台目床に床前板が入る。六畳の寄付が付く。
また、露地の織部燈篭や蹲踞も高橋家から移したもので、
特に蹲踞は見事な紅加茂(加茂七石の一つ)の巨石で如何にも富豪の庭にあったに相応しいものである。
「又兵衛」は元は岐阜県吉城郡にあった室町中期〜江戸初期の建築と考えられる合掌造りの民家である。
昭和初期に神野金之助の屋敷三渓荘内に移築され、更に昭和32年にこの茶苑に移築された。
鈍翁や三渓・耳庵に代表される財界系数寄者達が好んだ田舎家での草庵茶の遺芳を今に伝えている。
「六友軒」は昭和22年に名古屋道具商六友会によって寄贈された六畳の席。
台目床に墨蹟窓があけられ、また席内の窓はこの墨蹟窓のみで、二方に障子が立てられ縁が廻されている。
飾りが極力排除されたシンプルで開放的な席である。
「清雪軒」は綿布商伊東信一の別邸「東山荘」(現存・下記にて紹介有り)にあった茶席を移築したもの。
本席は三畳台目二畳向切炉であるが、厳密に言えば風炉先に向板が入るので、
一見台目畳に見える点前畳と踏込畳は台目畳よりも一回り短い。
また角切となった面に躙口が設けられており、従って客座三畳のうち下座一畳は切欠畳である。
床は台目床で右床柱が檜で左床柱が桜。床框も檜。本席の奥には板間の水屋と、それに続いて広々とした板間がある。
極めて複雑な構成ながらよくまとまった特殊な亭である。
東山荘時代には、東山荘西側斜面の森の中、滝の隣に建てられていた(現在は小さな空き地になっている)
「千秋閣」は八畳二間からなる小規模な数奇屋。
「龍影閣」は明治11年に明治天皇巡幸の途次、
愛知県に臨幸の際に便殿(休息場所)として造られたもの。献茶式の折に拝服席として使用される。
※貸出可 [茶席貸出料金]
茶席(茶亭)名 | 利用料金 |
蓬庵 | 11,000 |
又兵衛 | 11,000 |
千秋閣 | 9,000 |
六友軒 | 10,000 |
清雪庵 | 9,000 |
蓬乾亭 | 5,000 |
献茶会会員は各1000円引(千秋閣と蓬乾亭を除く)
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昭和美術館
昭和区汐見町4−1
052−832−5851
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・南山寿荘 ・捻駕籠席 ・有合庵
通常、茶席は庭からの外観の見学のみ可。春季に催される「昭和茶会」の折に一部見学出来る。
「南山寿荘」は尾張藩家老にして寺部領主であった渡辺規綱の別邸を移築したものとして名高い。
渡辺規綱は裏千家玄々斎の実兄でもあり、又日庵と号して風流三昧の日々を送った。「南山寿荘」はその舞台である。
「捻駕籠の席」は南山寿荘に付随する四畳中板付の席。
南山寿荘に駕籠が捻れて据えられたような外観を呈しているのでその名がついたとか。
非常に複雑な構成の茶席であり、その概要も到底ここでは述べきれない。
この構成の複雑さは南山寿荘二階広間の床にも感じられる。
同じく二階広間には玄々斎好みの扇面透かしの欄間が見られることから、
南山寿荘・捻駕籠の席共に玄々斎の手になるものと推測されている。
風流人であった実兄の邸を好むに当っての、玄々斎の並々ならぬ意欲が感じられるような名建築である。
「有合庵」は、愛知県十四山村の素封家・佐野家(佐野弥高亭)から移築したものである。
佐野弥高亭旧蔵品には大名物茶入「朱張茄子」を始め天下三柿蔕の一つ「京極」等があり、
中京を代表する数寄者であった。
九畳と六畳の広間、玄関に続く床付四畳、一畳台目中板付の小間、から構成されている。
小間は向切炉で、点前座には大きな丸窓があけられている。
全体として、南山寿荘とは好対照の、すっきりとした粋な意匠である。
※貸出可 ・貸席料等詳細は公式HPをご覧下さい
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白鳥庭園
熱田区熱田西町2-5
白鳥庭園管理事務所
052-681-8928
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・清羽亭 ・澄蘆 ・吸江軒
大名庭園のような池泉庭園の中に浮かぶ雅で端正な数奇屋建築が清羽亭。設計は言わずと知れた数奇屋建築の第一人者・中村昌生氏である。
亭内には十畳の主室と十一畳半の次の間がある。主室は間口一間半の床に加えて上段の間も設けられ、それに窓からの池泉の風情も加わり修学院や桂の離宮の如き宮廷趣味が漂う。次の間は打って変わって、床脇が吹き抜かれて白竹が乱れに立てられているような、洒脱で砕けた草の座敷である。炉は次の間のみ切られている。
また、亭の北側に付随して四畳半原叟床の「吸江軒」、西側に二畳台目の「澄蘆」がある。渡り廊下を渡れば、広々とした濡縁の張り出した立礼席がある。総体に、端正にして優雅、これに尽きる。
清羽亭の内部見学は毎週木曜のみ。席の貸出料金は以下の通り。
※貸出可 ・貸席料等詳細は公式HPをご覧下さい
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城山八幡宮
千種区城山町2-88
052-751-0788
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・洗心軒 ・松月亭 ・招月庵 他
ほぼ毎月月釜が催されている。「月釜」の頁参照。
元は堀川納屋橋付近にあった高松家の別邸を昭和43年に現在地に移築したものである。
松尾流半古斎の監修のもと、飛雲閣と詩仙堂を模して建てられた、名古屋有数の数奇屋建築である。
内部には松月亭(7畳)・招月庵(9畳)等の座敷がある。
※貸出可
貸出・由来等、洗心軒の詳細についてはこちら→洗心軒詳細
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鶴舞公園
問合せ等は「(財)名古屋市みどりの協会分室」まで。
昭和区鶴舞1-1-20
052-731-8590
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・鶴々亭 ・百華庵
朝日茶会と称して春季に市民茶会が催される。
「鶴々亭」は昭和三年に鶴舞公園一帯で行われた「御大典奉祝名古屋博覧会」の際に
名古屋木材商工会が参考館として出品もの。
木曽桧の最高級品が使用されている。
床の間付十畳の主室に六畳の次の間、四畳半の寄付、六畳の水屋がある。
ただ、炉が切られていない上、茶会に使うには非常に都合が悪い間取りであるので、
茶道関連で使う場合は充分に検討する必要がある。
「百華庵」は明治期に久田流の好みで建てられた席であるという。
六畳の茶席に五畳の水屋が付く。六畳ではあるものの、にじり口の付く小間の雰囲気の茶席である。
百華庵周辺は美しく茶庭が整えられ、申し分ない。
火気厳禁が徹底しており、蚊取線香でも使用不可。煙草盆の火入の炭でも、論外である。
※貸出可
(鶴々亭・百華庵を含む茶苑貸出料金)
利用時間 | 利用料金 |
9:00〜16:30 | 1600 |
9:00〜12:00 | 1100 |
13:00〜16:00 | 1100 |
17:30〜21:00 | 2400 |
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東山荘
瑞穂区初日町2-3 052−831-2672
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・迎西庵 ・東丘庵 他
桜の名所として有名な山崎川の東岸台地に綿布商・伊東信一の別邸として営まれた。
幾つかの書院や茶席を有する母屋を回遊式の林泉庭園が取り囲む、約四千坪の邸である。
母屋内は全館貸席利用の為、一般観覧は不可。
庭園のみ。
但し借り主の利用趣旨によっては一般観覧可の場合もあり。非常に利用しやすく、その為、非常に利用も多い。
※貸出可 ・貸席料等詳細は公式HPをご覧下さい
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徳川美術館
東区徳川町1017
052−935−6262
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・餘芳軒 ・心空庵 ・山の茶屋
徳川美術館の茶苑内の茶席。春季に葵茶会・秋季に徳川茶会が開催される。
苑内に配されている茶席や亭、燈篭・井筒・庭石、どれもが由緒に富んでおり非常に興味深い。
※貸出に関しては要相談
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中村公園 (桐蔭茶席)
中村区東宿町1丁目(中村公園内)
052-412-7302
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・豊頌軒 ・桐蔭席
ほぼ毎月月釜が催されている。「月釜」の頁参照。
「桐蔭席」は八畳の広間。月釜の時はここの土間が受付と待合になる。
「豊頌軒」は四畳半台目の席に小間の席が付随している。
※貸出可
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ながさか
中区錦2-16-12
052-231-3153
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・知足庵
隔月で月釜が催されている。「月釜」の頁参照。
茶道具商「ながさか」の2階にある四畳半台目の席。
※貸出要相談
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名古屋城
中区本丸1−1
052-231-1700
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・猿面茶席 ・望嶽茶席 ・又隠茶席 ・織部堂 ・書院
春秋に市民茶会が催される。
名古屋最大の観光地名古屋城内にあって、殆ど知られることもなくひっそりと佇む、まさに珠玉のような茶苑。
※貸出可 ・貸席料等詳細は公式HPをご覧下さい
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名古屋美術倶楽部
中区栄3-12-13
052-241-4356
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・葵の間 ・残月の間 ・聚楽庵
ほぼ毎月月釜(吉祥会)が催される。「月釜」の頁参照。
「葵の間」は十五畳の主室と十二畳の次の間からなる。共に床付。
「残月の間」は、主室が言うまでもなく表千家の残月の間の自由な写しで十四畳。次の間は十一畳床付。
「聚楽庵」はにじり口のついた四畳半台目。
※貸出可 ・貸席料等詳細は公式HPをご覧下さい
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南山大学
昭和区山里町18
052-832-3111
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・方寸庵 ・他有の席
昭和41年に東区長塀町の旧土井国丸邸(名古屋美術倶楽部管理)から移築したもの。
同じく土居邸から移築されたものに稲沢・国府宮神社の半床庵がある。
方寸庵は四畳の席で躙口はなく貴人口のみ、袋床で床柱は杉の磨丸太、
火灯窓を開けた付書院を備え、格調高い書院茶室の構えである。
※見学・貸出要相談
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古川為三郎記念館
千種区池下町2−50(古川美術館)
↑美術館
↑記念館
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・知足庵 ・為春亭 ・太郎庵
春秋に長期間に亙って公開される。
現ヘラルドグループを築き上げた古川為三郎の旧宅。実に贅沢な普請である上、手入れも充分に行き届いており、現代数奇屋建築の美意識を存分に味わう事が出来る。
茶室は、「太郎庵」「葵の間」そして如庵写しの「知足庵」がある。
※貸出要相談
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暮雨巷
瑞穂区陽明町2−4
052-831-8069
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・暮雨巷(付 ・深三畳台目席 ・一畳台目席 ・三畳半原叟床席)
現在、UFJ銀行所有の暮雨巷会館の片隅に建つ。
俳人として名を知られる久村暁台が手を加えて住んだされ、
もともと中区大須四丁目の野崎氏別邸龍門園にあったが大正初年に現在地に移築された。
主室は二方に高欄付の縁が廻る八畳。もと武家屋敷だけあり数奇屋建築ながらも格調高い。
また、利休好の深三畳台目席や一畳台目席・三畳半原叟床席など、茶室研究の上で非常に興味深い茶室が幾つも配されている。
見学は第2・第3水曜。要申込。052-831-8069
※貸出不可
見学許可・由来等、暮雨巷の詳細についてはこちら→暮雨巷詳細
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所在地
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席名・詳細
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国府宮神社
稲沢市国府宮1-1-1
:0587-23-2121
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・三笑亭 ・半床庵
ほぼ毎月月釜が催される。「月釜」の頁参照。
「三笑亭」は昭和29年、松尾流10代不染斎の設計により造られた茶席。同じく不染斎により、
三面大黒の画像が社宝としてあること事から「三笑亭」と命名された。
床柱は神苑の藪椿、
床縁は神社の古材を使用。障子腰張の内側は蒲の網代組に、
欄間は桂離宮笑意軒の窓に因んだ丸窓を配し、軒は檜皮葺の穏かな円みをおびる屋根となっている。
「半床庵」は、幕末に尾張藩より寄合組200石取りの武士、尾崎藤兵衛氏の屋敷にあったもので、
道路拡張により昭和47年に移築された。(稲沢市指定文化財)
以上、国府宮神社HPより抜粋。また同HPは神社内での茶会案内にも詳しい。
※貸出要相談
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三養荘
津島市本町4丁目
問合は平山学園清林館高校
0567-28-3010
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・一雨軒
三養荘は、現在平山学園清林館高校の所有になる町屋建築である。貞享2年(1685)の建築とされる。
一雨軒はその三養荘の敷地奥に建つ。
明治中期に京都から津島に移築したといい、
更に昭和4年に松尾流10代不染斎の指導により現在地に移築されたものである。
平三畳台目の席であるが、千宗旦の好みであると伝え、「一雨軒」とある扁額には宗旦の花押が認められる。
※見学・貸出要相談
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若水庵
犬山市犬山北白山平5
問合は成田山名古屋別院大聖寺
0568-61-2583
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・若水庵
犬山のランドマーク的寺院・成田山内にあり、昭和43年に犬山高等学校礼法室を移築復元したものである。
主室は残月亭の自由な写しで、二畳の上段に更に床が加えられた仰々しい構えである。
※見学・貸出要相談
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中部大学
春日井市松本町1200
:0568-51-1111
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・工法庵 ・洞雲亭
「工法庵」は『数奇屋工法集』(貞享三年・1686)に記される利休茶室の寸法書通りに平成2年に建てられた、
二畳隅炉の席である。間取りは当に妙喜庵の待庵通り、他もほぼ待庵と共通する。待庵写しのようであるが、
しかし床の塗り回しは天井のみであり、それが待庵との著しい印象の相違となっている
。詳しくは『中部大学工学部紀要』第26巻1990年10月を参照。
「洞雲亭」は香川県小豆島内海町坂手の洞雲山観音寺庫裏を移築したもの。
文化九年(1812)建築を示す棟札があり、瀬戸内上流民家の典型として貴重な古建築である。
外観は二重造本瓦葺の屋根に鯱を戴き、まことに重厚である。
内部は出入り口の土間・台所土間・台所とそれに続く広い板の間・八畳二間・九畳、からなっている。
八畳主室と九畳にはそれぞれ床の間があり、また炉も切られている。
移築に際して九畳間が水屋を解して工法庵と接続された。
詳しくは『中部大学通信』第97〜99号「洞雲亭縁起」上中下を参照。
※見学・貸出要相談
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堀田家住宅
津島市南門前町1−2−1
問合は津島市教育委員会生涯学習課
:0567-25-2165まで
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宗参好二畳台目席
津島天王祭で知られる津島神社の隣に延々と塀の続く大きな御屋敷があるが、それがこの堀田家。
現在の建物は江戸中期に建てられ、その後増築を重ねられたもの。
茶処津島の例に漏れずこの邸にも茶室がある。
書院と蔵に続いて建てられた二畳台目、片流造銅板葺屋根の席で、
表千家久田流六代の久田宗参が好んだと伝えられている。
現在は津島市の所有となっており、
見学は5人以上で1ヶ月前までに津島市教育委員会生涯学習課へ申し込み(0567−25−2165)
尚、以上の詳細は
津島市HP
に紹介されている。
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真澄田神社
一宮市真清田1-2-1
0586-73-5196
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桃丘亭
ほぼ毎月月釜が催される。「月釜」の頁参照。
「桃丘亭」は、神社正面・楼門を入って右にあるのだが、
案内板が出ているわけでもなく、そもそも桃丘亭自体が外からは古い社務所にしか見えないので、
初めて行く方はとまどうのではないかと思う。
桃丘亭の由来については以下の通りである(桃丘会作成桃丘亭紹介文から要約)
「昭和二十二年頃、岐阜県養老公園内に茶室を建設する計画が持ち上がり、
即中斎宗匠並びに無適斎久田宗匠を迎えて打ち合わせするも、
地元の協力者が少なく延び延びになっていた。
幸い昭和二十五年春、真澄田神社境内に茶室建設の話が持ち上がり、養老の設計を流用する旨、
即中斎宗匠に願い出て快諾を得、吉田萬次一宮市長の尽力により建設に着手することになった。
茶室は斎館と隣接して着手され四畳半台目の席と長四畳半の控えの間と水屋で、
原案は無適斎久田宗匠と林不同庵と合議の上で作成し、即中斎宗匠の意見を取り入れ、
お好みの茶室として東海地方唯一の茶室が完成した。
斎館の一部として使用するに手狭な為、八畳の広間と奥玄関とを追加して斎館とをつなげ、
昭和二十五年十月に目出度く竣工した。
竣工後間もなく即中斎宗匠が献茶式ご奉仕の為に
来社し茶室を御覧になった折には桃丘の二字額と台目棚の下板の左前隅に御花押の染筆とを願い、
露地庭も御覧願って更に手を入れて頂き、遂に完成を見たのである。」
※見学・貸出要相談
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